19. テロ事件の恐怖
9月11日、歴史に残る大事件が起きてしまいました。アメリカで起こった同時多発テロです。子供の泣き声に起こされていつもより早く起きた私が、眠気まなこでテレビのスイッチをつけたらこの光景。その5分後には2機目がビルに激突して…。まだその時にはニュースでもテロとは言っていなかったので、パイロットの操縦ミスか管制塔の指示ミスだと思い、まさかこんな大惨事になろうとは夢にも思っていませんでした。ダンナと「損害賠償大変だね。誰が払うんだろうね」と話していたくらいですから。その後の状況はみなさんご存知の通りです。というか、24時間関連ニュースが流れていますが英語がさっぱりなので、日本のみなさんの方がよっぽど詳しいのではないでしょうか。そういうわけなので、日本のニュースでは流れない、シカゴの地元の状況についてお伝えします。
シカゴもアメリカ経済の要地なので、事件から2・3日はシアーズ・タワーやジョン・ハンコック・センターなどの高層ビル、美術館や博物館、大型ショッピングモール、官公庁は閉鎖になりました。ジョン・ハンコック・センターなんて、そこに居を構えている人がいるんですよ。くつろぎの場所が一瞬にして黄色に点滅、危険地帯になるなんて、一体だれが予想したでしょうか。その後避難勧告は解除されましたが、シアーズ・タワーの展望台は当分の間閉鎖のままだそうです。
我が家はシカゴといっても郊外なので、近所のお店などは開いていました。実はその日にスーパーに行ったのですが、車通りもお客さんの入りも普段通り。だた、いたるところでテレビニュースが流れていて、みんな釘漬け。口々に「ひどい」「信じられない」、中には涙を流している人もいました。
その日から街は星条旗一色。我が家がアメリカ国旗というのは意味合いが違ってしまうようで気持ちだけでしたが、それが異常に思われてしまうほど、どの家にも大きな国旗が掲げられています。新聞の折り込みにまで星条旗ステッカーが付いてくるくらい。車にも星条旗、星条旗ネクタイにTシャツ、トレーナー、ブローチ。店の電光掲示板には「GOD BLESS AMERICA」。ちょっと便乗ぽいのですが、テレビショッピングでは、アメリカ関連の歌を収録したCD、国旗を掲げる消防士たちをかたどった置き物なども売り出しています。
シカゴは、今のところ物質的な打撃はありませんが、精神的ショックは計り知れません。家の近くにはオヘア空港のほかに小型機飛行場もあるので飛行機の音がよくするのですが、事件以来過敏になってしまって、「墜落するのでは?」と心配になったり、救急車のサイレンが避難勧告に聞こえたりと、ドキドキしっぱなしです。第二のテロと噂されていた9月22日なんて、一日中家に閉じこもってハラハラ。シカゴにいる私でさえこれですから、ニューヨーク市民の精神状態はいわずもがなでしょう。事件後も「○○の橋に爆弾をしかけた」「次のターゲットは××のビル」など、嫌がらせと思われる脅迫電話が1日に何十件もあるそう。でも、本当だったら困るので、そのたびに避難。頭がおかしくなりそうですね。
さて、今回の事件で感じたことがいくつかあります。
ひとつは、ニュースでこのテロ事件のことを「セカンド・パール・ハーバー」と表現していること。それほど今回の事件は衝撃的だった。言い換えれば、60年たった今でも真珠湾奇襲のショックが忘れられないということでしょうか。そういったアメリカ人の強い思いが、日本人の私にとっては驚きであり、ショックでした。
もうひとつ、助け合いの精神には脱帽です。人種のるつぼでは気持ちもばらばらと思っていましたが、有事の際の迅速で力強い言動には感動してしまいました。街の献血センターは長蛇の列。寄付金ボックスには、手持ちのお金だけでは足りなくて高額の小切手を寄付する人も。今アメリカの人の心はひとつになっている、という気がします。以前よりも、見知らぬ人に笑顔で話しかけられることが多くなった、渋滞でも快く道を譲ってくれる…事件以来みんながやさしくなったと感じるのは、私だけでしょうか。
ただ一方で、事件の主犯とされるアル・カイダのメンバーが、ターバンを巻いたイスラム教徒でアラブ人ということから、外見がそう見える人たちへの嫌がらせが多発していると聞きます。現段階で3人も犠牲になっています。政府は「第二次世界大戦で日系アメリカ人の多くが犠牲になったことを忘れないで欲しい」と呼びかけていますが、混乱の中ではなかなか声が届かないようです。
事件は生もの。これからどんな状況になるかわかりませんが、アクション映画みたいなことが実際に起こると、地位や名誉やお金なんてどうでもいい。平和が一番だと痛感します。世界中のだれもがそう思ってくれることを心から願います。
2001年9月
〈写真:特大の星条旗で犠牲者を追悼〉