闘い続ける女たちの物語
ボストン・テラン『音もなく少女は』
この不思議な読後感は何だろう? 現代の物語なのに、太古の昔から語り継がれた物語のような気がする。洞窟のなか、火を囲んで、一族の長である老いた女が語る物語に耳を傾けていたような……。
1951年7月、ブロンクスの狭苦しい地下のアパートメントでイヴは生まれた。カヴァーの端にアメリカ国旗が描かれた枕に寝かせて運ぶことができるくらい、小さな赤ん坊だった。母のクラリッサは祈った。どうか、この子の耳が聞こえていますように。イヴの姉メアリーは聾者だった。ある夜、イヴの父ロメインは、ベビーベッドが置いてある部屋の壁を銃で撃った。「こいつはやっぱり耳が聞こえないんだ」。そして、クラリッサを責めた。「全部おまえのせいだ」と。クラリッサは言った。「ふたりともわたしたちの娘よ」と。
ある年のクリスマス。老いた隣人に手を貸して教会にいたフランコニア・カールは、制止をものともせず、祭壇の階段をのぼる女の子を見かけた。母親らしき女が謝りながら、その子のあとを追っていた。「すみません、あの子は耳が聞こえないんです」。フランは女の子に手話で話しかけた。女の子の母親がフランに声をかけた。「少し話を聞いてもらえませんか」。
耳の聞こえない姉妹の母であり、夫に暴力を振るわれながらも、苦しい家計の足しにするため、娘を連れて工場へ働きに出るクラリッサ。写真家を目指しながらも心身に深い傷を負って故国ドイツを後にし、伯父の残したキャンディストアで生計を立てるフラン。ふたりはいつしか互いにかけがえのない存在になる。フランはクラリッサの手に手話で伝える。「女、姉妹。友達。ありがとう」
二人の女の深い愛情に包まれて成長したイヴは、写真を通して想いを表現することを覚える。聾学校でのイヴェントで撮影を依頼されたイヴは、人込みのなかで羽を広げる天使のような幼女に目を止める。そして、肩にその幼女を乗せた青年を見たとき、イヴは全身を貫かれたような感覚を覚える。
これは、女たちの闘いの物語である。暴力と屈辱にまみれながらも、女たちは決して屈しない。しなやかに凛として、闘い続ける。そんな女たちの血を吐くような闘いを、テランは哀切で胸苦しいほどの叙情を込めて描く。夜の屋上で手話を使って語り合う恋人たち。傷ついたハトを手で包み込む女たち。出番を終えた男たちは遠景に溶け込み、消えていく。叙事詩であり叙情詩でもある、女たちの物語。
本を閉じる。物語が語りかける。あなたの物語を語って、と。
激情を秘めながらも静謐な、この物語の原題は "WOMAN" である。
『音もなく少女は』ボストン・テラン 田口俊樹訳 文春文庫
(2010年9月)