《蛹》に託された深い愛
ヘザー・テレル『蛹令嬢の肖像』

蛹令嬢の肖像 (集英社文庫)  なんともキワモノぽいタイトルである。書店で一度は手に取ったものの棚に返したが、なぜか気になり、あとでネットのお急ぎ便で注文し、届いた日に一気に読んでしまった。

 タイトルからオカルトかホラーかSFかと決めつけてしまったが、れっきとした歴史ミステリである。17世紀のオランダ、ホロコースト、そして現代という3つの時代を謎めいた絵がしっかりとつないでいる。そこには、その時代に生きた人々の愛があり、涙がある。現代に生きるわたしたちへの問いかけも込められている。

 現代のアメリカ。大手法律事務所に勤務する弁護士マーラ・コインは、名門オークションハウス「ビーズリーズ」の弁護を担当することになった。首尾よくいけば、大部屋ともいえるアソシエイトから幹部級のパートナーに昇進するチャンスとなる。

 ビーズリーズは《蛹》と呼ばれる絵の所有権をめぐって訴えられていた。《蛹》はフェルメールの同時代人であるオランダの画家ヨハネス・ミーレフェルトによって描かれ、幾人かの所有者を経て、アメリカにやってきた。アムステルダム出身のヒルダ・バウムは、《蛹》の正当な所有権を持つのは自分であると主張していた。

 たおやかに微笑む令嬢とその左手に載る蛹を描いた《蛹》は美しいだけでなく象徴的な意味にあふれ、ヒルダの父は他のどの作品よりもこの絵を大事にしていた。ナチスは《蛹》を含めた父のコレクションを手に入れようとして、両親をだまして連行し、収容所で殺害した。《蛹》はナチスに盗まれたものであり、正当な所有者を確かめずに売買したビーズリーズは《蛹》を自分に返還すべきだと、ヒルダは訴えていた。

 ビーズリーズの法務担当者がともに学生時代を過ごしたマイケルだと知り、マーラは胸をときめかせながらも周到な準備を整えて法廷で冴えた弁論を披露し、審理はビーズリーズに有利に展開する。だが、調査を進めるうちに、自分はホロコーストの犠牲者から大事なものを奪おうとしているのではないかと考え始めたマーラは、まばゆいばかりの魅力を放つ《蛹》のたどった道を探ろうとする。

 絵画に秘められた謎やナチスに奪われた美術品をテーマにした作品はもう出尽くしたかと思われたが、それでもまだ、これほど魅力的な作品が生まれるのかと驚かされた。ミーレフェルトも《蛹》も架空の存在であるが、まるでこの目で見たように、鮮やかに心に刻まれる。ホロコーストの時代に生きたバウム一家の物語が胸に迫るが、父の支配下から抜けられないマーラが自立したひとりの人間へと脱皮していく過程もまた、印象的である。

 個人的な感想ではあるが、タイトルは『蛹―ある令嬢の肖像』などとした方がふさわしいのではないかと思う。

『蛹令嬢の肖像』ヘザー・テレル 宮内もと子訳 集英社文庫

(2009年8月)