GMの破綻にアメリカ史を思う
『運命の日』デニス・ルヘイン
『ブラッディ・カンザス』サラ・パレツキー
アメリカ車といえば、やたらとでかいガソリン食いの車が頭に浮かぶ。なかでも、その象徴といえるのが、キャデラック。日本の道路では、あんなでかい車は小回りが利かないだろう。あの車は、自宅の門から家屋まで続く小道があって、どーんと広くて、裏庭なんかもある、そんな邸宅にこそ似合う車だ。
そんなでっかい車を作っていた会社が、破産法の適用を受けた。事実上の破綻である。このところ、アメリカの自動車業界は終わりかけているように見えたから、GMの破綻は不思議ではない。アメリカという国が巨大自動車会社の終わりを静かに悼んでいるような報道を見ていたら、こうやって歴史が動いていくのだなという感慨にとらわれた。ひとつの時代が終わり、新たな時代が始まろうとしている、そんな場に立ち会っているような気がして、昨年から今年にかけて読んだ物語のなかでかいま見たアメリカ史をたどりたくなった。
ひとつはデニス・ルヘイン『運命の日』。第1次世界大戦末期のボストンを舞台に、社会のうねりや家族の愛憎を描いた物語である。警官を父に持つボストンの若き警官ダニー・コグリンは、スペイン風邪が流行するなか、特別な任務を受け、活動家たちに近づく。一方、オクラホマから追われるようにボストンに来た黒人青年ルーサーは、ふとしたきっかけからコグリン家で働くことになる。不況が深刻になり、感染症が蔓延し、社会不安が増大する。劣悪な環境で身を挺して働くボストン市警の警官たちは、待遇の改善を求めて大規模なストを決行する。ベーブ・ルースの活躍を挟みながら、暗い世相のなかで、懸命に生きた人々の苦悩と喜び、憎悪と愛情が切々と伝わる。
そして、われらがサラ・パレツキーの『ブラッディ・カンザス』。カンザス州東部の盆地に1850年代から暮らしてきたグルニエ家、フリーマントル家、シャーペン家の3家族。グルニエ家とシャーペン家は宗教をめぐって対立し、フリーマントル家の屋敷は廃屋と化した。その屋敷に、ニューヨークからジーナという女性が移ってきたことから、人々の間に波紋が広がる。お手製のワンピースを着て夏のトウモロコシ畑に寝ころぶラーラ・グルニエの姿から始まるこの物語には、宗教、戦争、同性愛など、アメリカの深部に横たわるさまざまな問題が織り込まれている。本書に描かれる宗教的な葛藤は、八百万の神々の国に住むわたしたちにはいささか奇異に映るが、これこそがアメリカを動かしている原動力といえるのかもしれない。
どでかい車が悠然と走る国と、小さな車が忙しげに走るこの国の歩んだ道は、敵味方に分かれたときもあれば、共存するときもある。互いにどのような道を歩んでいくのか、どのように関わり合っていくのか、双方の国の来し方行く末に、ひととき思いをはせている。
『運命の日』デニス・ルヘイン 加賀山卓朗訳 ハヤカワ・ノヴェルズ
『ブラッディ・カンザス』サラ・パレツキー 山本やよい訳 早川書房
(2009年6月)