日系人庭師、探偵となる
庭師マス・アライ事件簿
3月になると、東京大空襲、大阪大空襲の記事がわずかながらも新聞に載る。直接経験したわけではないが、空襲については亡くなった祖父母から聞いたことがある。6月には沖縄追悼の日、8月はヒロシマ、ナガサキ原爆の日、そして終戦の日と続く。出会いと別れが交錯する春は、ことしも追悼の季節が始まると感じさせる季節でもある。
かつてヒロシマを訪れたことがある。原爆の日の前日、献血後に原爆ドームを見学して貧血を起こしてしまい、平和公園で休んでいたとき、年輩の女性が話しかけてこられた。どこから来たのか、広島は初めてかなどひとしきり話した後、遠い目をしてこう語られた。「むごいのう、原爆は」。家族を亡くされたというその方のお声を、原爆の日が来るたび、思い出す。
今回ご紹介する日系人庭師マス・アライは、原爆投下の日、ヒロシマの爆心地近くにいた。生まれたのはアメリカではあるが、両親とともに太平洋を渡ってヒロシマで育ち、戦後アメリカに帰った「キベイ(帰米)」である。寡黙で働き者、出しゃばることが嫌いなマスは、今や絶滅しつつある日本の父親像と言ってもいいだろう。
カリフォルニアの庭師マス・アライは、長く連れ添った妻チズコを亡くし、ひとりで暮らしていた。ニューヨークで白人と結婚した一人娘マリとは、しっくりいかない状態が続いている。ある夜、マリが電話をかけてきた。「父さんの助けが必要かもしれない」ニューヨークに飛んだマスは、マリに殺人容疑がかけられていることを知る。事件現場となった日本庭園の池でマスは白いクチナシの花を見つける。
軽妙でコミカルな語り口ながら、その背景にあるのは日系人がアメリカでたどった苦難の歴史である。自分がいかにアメリカでの日系人の歴史を知らないかを痛切に感じさせられた。無骨ながら娘思いのマスに、父の面影を重ねてしまった。
著者ナオミ・ヒラハラはカリフォルニア生まれの日系3世。新聞記者を経て作家に転身した。父はヒロシマで被ばくしたキベイの庭師であり、マスのモデルと思われる。
『スネークスキン三味線』はアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀ペーパーバック賞を受賞し、ナオミ・ヒラハラはMWA賞史上初の日系人授賞作家となった。本シリーズは3部作であるが、第1作である"SUMMER OF THE BIG BACHI" は国際ミステリ愛好家クラブが主催するマカヴィティ賞の最優秀処女長編賞候補となったが、現在のところ、邦訳されていない。
『ガサガサ・ガール』ナオミ・ヒラハラ 富永和子訳 小学館文庫
『スネークスキン三味線』ナオミ・ヒラハラ 富永和子訳 小学館文庫
(2009年3月)