6. レジーナ・カーター

前回は某ファーストフードのせいで肝心なコンサートのことが書けなかった。まったく、あの店ときたら…と始めるときりがないので、今回はレジーナ・カーターだ。

レジーナ・カーター・クインテッドはジャズバイオリンのレジーナ率いるピアノ・ベース・ドラム・パーカッションの5人で構成されている。レジーナは元々クラシックバイオリンをしていて、かの有名な“スズキ・メソッド”で学んだという。もちろんスズキというのは日本人で大正時代にバイオリン教育を中心に開かれ、今ではアメリカでも有名な音楽教室となっており、同じ日本人としてうれしく思わないではいられない。
 レジーナの名前を知らなくとも彼女とコラボレイトしているミュージシャンの名前をあげれば、彼女がどれだけ現代のミュージックシーンで重要なポストにいるかわかるだろう。ウィントン・マルサリス、マックス・ローチ、アレサ・フランクリン、ビリー・ジョエル、メアリー・J・ブリッジ、ローレン・ヒル等々……ジャンルを超えてビッグネームばかりである。

いつもオーケストラホールの客層は年配のひとか、いかにも学生ですというひとが多いのだが、今日はどうもクールにきめたひとが多いようだ。しかも最後部に席を取ったのだが、客席はほぼ埋まっている。
 演奏が始まると一瞬でこんな大きなホールでジャズなんて…という思いが吹き飛んだ。オペラグラスが必要なほどステージは遠いのだが、グルーブはホールの隅々にまで行き渡り、自然と頬が緩んでくる。
 たいていCSO(シカゴ・シンフォニー・オーケストラ)のコンサートでは一度はうとうとしてしまう。これは決して退屈だからではなく、あまりにも演奏が素晴らしいから心地よくなってしまうのだ。下手な演奏だと、落ち着かず、居眠りなどできないものである。
 しかしレジーナの演奏中は、気づくと転げ落ちそうなくらいに前に乗り出していて、しかもずっとにやにやしていた。パーカッションの女性がキューバの出身ということもあり、ラテンのリズムを取り入れた曲になると、客側もじっとしていられずに狭い席で体をゆすっている。

あっという間にステージが終わり、インターミッションの時間になったのだが拍手は鳴り止むことはなく、アンコールの要求の激しくなった。レジーナは挨拶にだけステージに現れたが、セカンドステージに大御所、ビリー・テイラーが控えているからなのか、演奏はなかった。
 後半はビリー・テイラー・トリオ(ピアノ・ベース・ドラム)だった。ビリーはとても人間業とは思えないいわゆる、“シルキーフィンガー”で素晴らしいピアノを聴かせてくれたが、客の大半はいつまでもレジーナの演奏の余韻に浸っていたように思われた。

いい音楽をそれも生演奏で聴くと精神はともかく体まで元気になるものだ。翌朝は珍しく早起きして一番にCD屋に行った。もちろんレジーナのCDを買うためだ。彼女の「Rhythms of the Heart」とチャーリー・パーカーがマックス・ローチと演奏した「Jazz at Massy Hall」を買うことにした。“そのチャーリー・パーカーのライヴCDはすごくいいよ!”と店員。“昨日、レジーナのコンサートに行ったの…”と言いかけると話が止まらない。早く帰ってレジーナのCDを聴きたいのに…と思いながら、とどまることのない店員のジャズ談義を聞くはめになってしまった。

吉野八英 / Yae Yoshino 2000年5月