ブラック・リスト を読んで |
岡田春生
私は『ビター・メモリー』みたいな暗い作品はあまり好きではありませんが、初期の作品のように跳びまわるヴィクが甦ったのは嬉しいです。自分の腕をつかんだ男の腕の内側にもぐりこみ、肘で肋骨をガンと突いてやった。男はギャッと叫んでわたしの腕を放した、(378頁)なんていうのはいいですね。
ただおなじみの昔のメンバー、コントレーラスは別として、マリ・ライアスン。愛犬ゴールデン・レトリヴァーなどももっと活躍させたかったですね。そうすればもっと賑やかで娯(たの)しかったでしょう。
それにしてもサラ・パレツキーの筆力には感嘆しました。気の利いた会話の応酬、相手の心理を読みながら、寸鉄で相手をやつける丁々発止の対話、その中にはモザイク文化のアメリカの広く深い教養が感ぜられました。このような文章は他に誰が書けるでしょう。
また標題も「またしてもブタ箱入りです。仲良しのみなさん」「アイガー北壁を征服」「石頭どうしの会話」「サイの皮もすりむける」などうまいですし、「さあペネロペイア、機織りを始める時間よ」(66頁)などはサラ・パレツキーの教養を示しています。
しかしあらゆる勢力が混然として影響し合う懐の深いアメリカ社会も、9・11のショック以来、急速にしめつけがきびしくなり、かつてのマッカーシズムやレイシズムが復活しそうになり、それに対して敢然と挑むヴィクの姿もたのしいです。
大体、日本人にはポーランドに対する深い同情(sympathy)があります。シェンキービッチの「クオヴァディス」や「十字軍の騎士」などは私たちの心に深く刻まれていますし、落合直文のポーランド回顧「聞くも哀れやその昔、亡ぼされたるポーランド」などは軍歌として行進中歌われ、また新渡戸稲造は留学中ポーランドの遺跡を度々訪ねて同情の涙を注ぎ、また日露戦争では旅順の戦いで、ポーランド人のロシア兵が多数の日本兵を機関銃でなぎ倒したにも拘らず、第一次大戦後のロシア革命で、シベリアで孤児となったポーランド人の多数の子供を救済して、故国へ還したりしています。
主人公のヴィクのWARSHAWSKIの名もポーランドへの深いこだわりを示していますし、VFCができたのも偶然とは言えない気がします。