どこかに行くとその付近を探検するのが楽しみだったのは昔のことで、いまは目的地に行くだけのことが多い。下福島プールに行きだして2年半経ったが、プール以外は公園内と隣の厚生年金病院の庭しか行ってない。
今日は帰りのバス停に行くときに見えるメリヤス会館に、先日からカフェと家具店が開店しているのに気がついたので寄ってみたい。それと去年12月に開館した、味の素大阪本社ビル2階にあるという「食の図書館」にも行ってみたい。
バスを1台見送る時間ではちょっと足りないだろうが、まず家具店に寄ってみた。tinというお店で、古めかしいメリヤス会館のビルによく似合っている。アンティークといってもそんな年代物でない、70〜80年代アメリカの家具を置いている。食器や小物やビーズのアクセサリーもある。それぞれをゆっくり眺めて、愛想のいいおねえさんとちょっとしゃべった。そして、うちの掲示板でお店が話題になったんですよと言って、URLの入った名刺を渡した。読んでくれるかな。
味の素大阪本社ビルは堂島大橋の南詰めを西に曲がってちょっと行き、また南に曲がったところにある。けっこう歩きでがあり、とても中に入っている時間はないので、建物の確認だけした。ショーウィンドゥを見るだけでもけっこうよかった。このビルを建てるときにわかったらしいが、昔ここは蔵屋敷があった。ここで出土した茶碗や容器が展示してある。中にもきっとなにかあるに違いない。それに食に関する本が1万冊以上! 早く入ってみたい。
2004.3.31
女性私立探偵小説を読んだのは久しぶりで、とてもおもしろかったけれど、文字が細かい上にやけに長くて、えらく時間がかかってしまった。今日は最後の追い込みとばかりに読み続け、ようやく12時5分前に読み終わった。あわてて読んだので結末のあれこれで理解しにくいところがある。最後のところを明日読み直さなくちゃ。
女性作家S・J・ローザンの、中国人女性探偵リディア・チンと白人男性探偵ビル・スミスの物語の5冊目である。1作ごとに主役が入れ替わるのだが、今回はリディアが主役でビルが助手になる。
全体の印象は映画「イヤーオブザドラゴン」であった。ミッキー・ローク扮するニューヨークの刑事が、中国人の闇世界の新しい実力者(ジョン・ローン)を追いつめていた。あれはすごい映画だったなぁ。あの映画でわたしはミッキー・ロークにめろめろになったのであった。
リディアはニューヨークのチャイナタウンで、子どものときからの友人である弁護士ピーター・リーに、失踪した中国人労働者4人を探してほしいと依頼される。ピーターの婚約者メアリー・キーは敏腕の刑事で、危険なこの事件にリディアが首を突っ込むのをやめさせようとするが、それで引っ込むリディアではない。探っているうちに、ピーターが爆破事件にまきこまれて大怪我をすると、よりいっそうはまりこんでいく。
なぜかチャイナタウンの大物H・B・ヤンがリディアに声をかけてきて、失踪人を探すように依頼する。彼の経営する中華料理店〈ドラゴンガーデン〉の飲茶売りになって、店内の様子を探っていくうちに、失踪人には麻薬の密輸がからんでいるらしく事件は複雑になっていく。
小柄なリディアが、さまざまな権力を持つ男たちを相手に、一歩も引かずに頑張る姿を見るのが心地よい。早く結婚しろとこうるさい母親が最後に友人へ電話しているのを聞いて、リディアは元気になる。母親はこう言っていた。表彰されてテレビに映ったメアリーのことを「あんなふうにテレビに映されちゃうのは考えものだわね。反対に差し障りなく仕事を続けることができるように、表立たないでひっそりしているってのは見上げたものよ」。リディアには「仕事を続ける」と母親が言ったことが、春の夜に温かみを添えたように思えた。(創元推理文庫 1000円+税)
2004.3.30
スーパーへ行ったついでに土佐の稲荷神社の桜を見てきた。まだ三分咲きだが、屋台もたくさん出ているし、横の公園では少ないけど酒盛りしている人もいる。陽が当たっているところはそこそこ暖かいけど、地べたに座るのは冷たいだろうなぁと思う。でも宴会やってる人たちは元気そうである。コーヒー200円というテーブルが3つほどあった。いろいろと考えるものだ。
今度の土・日がピークになるかな。神社の境内では宴会ができないので、ゆっくりと桜をみることができるからここが好き。
26日にカウント数が50000を通過した。一応の目安というか、早く50000になりたいと思っていたのでうれしい。直接BBSやKUMIKOページのほうへ行かれる人が多いので、実数はもっとあるはず、と一言多いけど言わせてもらう。
今日は入会申し込みもあった。去年BBSから1人入られただけだったので、とてもうれしい。
ここのところBBSも和やかにすすんでいるし、オフ会も例会もとても和やかでいい感じである。いただくメールも楽しいものばかりでほっとしている。
2004.3.28
内藤ルネ編集の雑誌「薔薇の小部屋」は1978年の夏と秋の号があり、そのあとは出なかったようである。そういえば、次の号が出ないかと本屋を探したことを思い出した。ほんまになんとも言いようのないおかしな雑誌で、買ったときからくすぐったい感覚があった。でも捨てかねてずっと持っている。
もう十数年前になるが、美術家の友人に見せたらすぐに全部のカラーコピーをとったので驚いた。あのころのカラーコピー代金は高かった。こりゃ大事に持っていなきゃと思ってしまいこんだ。その後は忘れ去っていたが、このページを書くテーマを考えていて、「ふらんすどんぶり」を思い出した。1999年10月に書いているのだが、フランス人がカフェオーレを飲む、大きめのご飯茶碗のようなもののことである。それをこの雑誌の編集者、内藤ルネさんは「ふらんすどんぶり」と称していたということを書いている。
実は今日、それ(Googleで“雑誌「薔薇の小部屋」”を検索したら1ページ目に出てきたのでびっくり)を読んだと思われる方からメールがあって、処分するつもりがあるなら譲ってほしいとのことである。
あわてて出してきて拾い読みしたら、これがおもしろいんですね。うーん、せっかくだけど譲れません。森茉莉、田辺聖子、宇野亜喜良、城夏子、北林谷栄、美輪明宏、四谷シモン、竹内てるよ、砂山健、等々錚々たる書き手である。もちろん、中原淳一、松本かつぢ、内藤ルネの絵がちりばめられている。斉藤亢のすごい写真もある。宝塚紹介の記事もある。数日楽しんで大切にしまいこんでおこう。
2004.3.27
ページレイアウトソフト「ページメーカー」を最初に買ったのはかなり昔のことで、マックの2台目(SE/30)と、個人用のデータベースソフト「ファイルメーカー」といっしょだった。その頃のわたしはVFCのお知らせや手紙などでようやく文字打ちができるようになったくらいだった。相棒はいきいきとマックに向かっていて、稼いだお金はマシン、ソフト、周辺機器に流れ込んでいた。
最初「ページメーカー」はわたしには無縁だったが、「ファイルメーカー」は相棒に経理用にセットしてもらったのを、使ってみてあまりの便利さにびっくりした。市販の経理ソフトでなく、わたしが手書きでやっていた方法を、「ファイルメーカー」でどうやるかを二人で検討した結果だから有頂天であった。いまもそのまま使っている。
「ページメーカー」のほうは、いつごろだったか、ワープロソフトより簡単にいろいろなことができると言われて、おそるおそる向きあった。VFCの会報をワープロよりもかっこよく作りたい一心だった。やってみるとできるもので、いまや厚かましくも「ページメーカーの達人」と自称しているくらいである(笑)。でも直接の仕事には使っていないから、バージョンアップはしていなくて、6.0を数年間使い続けてきた。しかし、ようやく年末からの忙しさを理由に最新バージョンにすることにした。いまごろ7.0にしましたと言っても笑われるだろうけど、わたしはうれしい。
今日の午後、掲示板でおなじみのchissarossaさんと堀江チャルカでオフライン会議をした。掲示板やVFCのことなど詳しく話し合って有意義な会合でありました(笑)。
2004.3.26
嶽本野ばらの「エミリー」には短編があと二つ入っている。土曜日に返すつもりなのであわてて読んだ。あわててと言っても、読みだしたら彼の世界にどっぷりとはまってしまって、用事をしていても夢心地(すこしオーバーか)。
「レディメイド」は、いつもは口が過ぎるほどなのに、貴方の前では言葉を失ってしまうという女性の独白。同じ会社で働く彼を、クールで知的でミステリアスで可愛げがなく母性本能が疼かないと同僚は評するが、そんな彼に惹かれる「私」は彼の関心を惹くために、美術館でMoMA展があることを話しかける。突き放なされたような気分になった「私」だが、帰りにジャケットの内ポケットにMoMA展のチケットが入った封筒を発見する。土曜日の午後1時、デュシャンの「処女から花嫁への移行」の前で会おうというメモつき。
「コルセット」、時代遅れのイラストを描いている「僕」は、偶然入った骨董店で店番の女性と友だちになる。30歳になった彼女はこれから帰ったらお互いに自殺しましょうと言い、本当に自殺してしまう。死にきれない「僕」は精神科で治療を受けながらも死ぬことを考えている。医院の受付の女性に声をかけて一度だけつき合ってほしいと頼み、「身体の夢─ファッション
OR 見えないコルセット」という展覧会に行くが…。
「エミリー」を含めて一人称で、それぞれの主人公は自分のことを、とるに足らない人間というふうに述べている。それが相手からは、それぞれがおしゃれで気高いと思われているのがわかる描写なのである。書き手が自分のことを卑下して話すのは「フジミシリーズ」を含む“やおい”の特徴であった。ただし“やおい”の場合は、相手の男性はオトコマエで背が高くて金持ちで自信たっぷりと決まっていた。
嶽本野ばらの場合はそこが違う。“やおい”ではないのだから、そういう“決まり”に関わりないのは当然のことだけど、読み物を超えられない“やおい”の作品とは違う力がある。アートの力と言ったらよいかな。
2004.3.25
一昨日の新聞に出ていたんだけど、フジテレビは「剣客商売」をもう製作しないそうである。「剣客商売」だけでなく時代劇を作るのをやめたんだって。民間テレビの時代劇で残るのは「水戸黄門」と「銭形平次」だけだそうだ。山口馬木也くん、大治郎役がとても似合ってたのに残念だ。静かに時代劇を楽しもうという人が減っているのだろう。秋山小兵衛の生き方に共感する人も少ないのだろう。ま、そういうことでしょう。
「僕と彼女と彼女の生きる道」のとき、いつもやっていたコマーシャル。走っている若者はペットボトルの水を買うのにスマートにカードで支払う。コーチかなんかの年寄りはレジで現金をばらまいてしまってどんくさい。これが日本における若者と年寄りについての認識であろう。
わたしが子どものときに読んだ本にこんなのがあった。昔々インドの王様が「老人は汚いから捨てろ」とお触れを出した。ある若者は祖母を隠しておく。あるとき、王様が「象の体重を量るのはどうしたらよいか」と訊ねたがだれも答えられない。若者の祖母が「舟に象を乗せて、水に沈んだところに線を引き、次にその線まで小石を乗せて、あとで小石の重量を量ればよい」と孫に教える。若者は王様から誉められて、「実は私の祖母が・・・」と答える。王様は深く恥じて、お触れを撤回したそうな。
子ども心にいたく感心したのを覚えている。この絵本を読んだときからはるか遠くへきたもんだ。状況は古代のインドとそう変わっていないようだ。反省する王様がいないぶん、もっと悪くなっているかも。
2004.3.24
今日は久しぶりにプールに行った。「久しぶりー」と言い合った人から、「新しいプールに行ってるの?」と聞かれたが、西区民プールのことをころっと忘れてた。3月からと聞いていたがどうなっているのだろう。ネットでわかるかしら。
ここのプールは50分おきに10分間水から上がることになっていて、その間のジャグジープールが社交場となる。これがないとそんなに誰とも話をしないですむのだが、でも、そのおかげで、なんやかやと大阪のおばちゃんの動向がわかるのである。
今日は便秘の話に花が咲いていた。わたしは「快食・快便・快眠」なので、そこにいる半分くらいの人が便秘と聞いてびっくりした。みんなのしゃべるのを聞いて思ったのだが、みんな便秘にはなにが効くという、即効性を求めているのではないかしら。漢方薬の人、医者に行っている人、ヨーグルトなど便秘によいと聞く度に試している人、いろいろである。
おいしく食べてそれが消化がよくて、便秘にならなければいいと思うけどね。そんなことを言ったら、じゃ、あんたの花粉症はどうなのよって聞かれたら困るから言わないけど(笑)。
2004.3.23
先日書いたんだけど、2ヵ月ほど前からご飯のときにお酒を飲むのをやめている。食事時間が短くなったぶん本を読んだり、パソコンに向かったりできる。健康にもいいような気がするし、お金も助かっている。
昨夜はシュリットヘアのパーティで久しぶりにワインを飲んだらいい気分だった。ただし、昼間はずっと仕事して、パーティで息抜きして、帰ってからそれぞれ自分のサイトに写真や文章をアップして、わたしは本を読んでから寝たけど、相棒はそれから朝まで仕事であった。タダでもしたいくらいな好きな仕事とはいえきつい。少々の仮眠をとっても、電話がかかるからそうそう寝ていられない。わたしも結局まともに寝ていなくて、仕事だったからきつかった。
そんなことで、今夜はリラックスして早寝しようということになり、晩ご飯に日本酒を買ってきた。1回分だから秋鹿のちょっといいやつの4合瓶。カツオのたたきと新タマネギで飲んだらうまかった。たまにはこういうのもいい。
2004.3.22
2年前に近所に開店したシュリットヘアは、若い女性が2人でやっていて、いつ行っても陽気な雰囲気なのが気に入っている。1周年は閉店後にお店でやったが、今年はちゃんと場所を借りてやるという。商売、うまくいってるんだー。
京町堀のカフェ「ネイチャーズコーリング」にはまだ入ったことがないので、それも楽しみで出かけた。夜のお出かけは最近ないのでこれもうれしいことである。
壁一面に本や小物が置いてある棚に照明が当たって、とてもよい雰囲気。食べ物はフリーでテーブルいっぱいに並び、飲み物は各自払いということで、まずワインをもらった。行くのが遅かったので、広い店内だけどいちばん奥の席になった。同席していた若い夫婦と言葉を交わしたら、すぐ近所の人であった。みんなカット仲間なんだー。マックつながりということで、若者のグループに紹介された。マックを使っていると聞いただけで、すぐにうち解けてしまうのよね。
マジックあり、ジェスチャーあり、ビンゴあり、ギターを抱えた青年の歌ありで、2人のバイタリティはすごい。それは今夜一晩のことだけでなくて、日常の仕事がそうだからだと思う。楽しい一夜を過ごせた。
帰り道、うつぼ公園を通り抜けて歩いていると、さっき同席した若者夫婦が自転車で駆け抜けて行った。
2004.3.21
昨夜のテレビ「10代しゃべり場」で嶽本野ばらさんを見たあと、久しぶりに「それいぬ」をあちこち拾い読みした。展開されている乙女論は何度読んでもおもしろい。“なんでそんなにわたしのことがわかっているの”って感じなんである。
だけど、嶽本野ばらが好きだと言ってるわりに、小説は「ミシン」しか読んでいないのに気がついた。買おうと思っていた「エミリー」もまだ買っていない。めちゃくちゃ読みたくなって、相棒が堀江の貸本屋「ちょうちょぼっこ」へ行くというので、ついでに借りてきてもらった。3つの短編小説が収めてあるうち、本のタイトルになっている「エミリー」をすぐに読んだ。
「エミリー」って、エミリー・ディキンソンか、エミリー・ブロンテかと思っていたのだが、それは古くさい文学少女の考えで、このエミリーはお洋服のブランド Emily
Tnmple なのであった。主人公の少女は学校から帰ると、Emily Tnmple cute のお洋服を着て、八王子の自宅から原宿ラフォーレの前まで毎日やってきて、人の目から隠れるように地べたに座って過ごしている。学校でひどいイジメにあっているが、Emily
Tnmple cute の服を着ていることによって自分を保っている。そんな彼女に声をかけたのが、SUPER LOVERS の服を着た少年だった。彼は彼女と同じ学校に通っているが、放課後この近くの絵画教室に通っている。彼は体育部の少年に憧れて自分が同性愛者であることを知ったが、相手にホモと言いふらされて学校中に知られてしまった存在である。彼は彼女のことを、イジメにあっている有名人として知っているという。二人の哀しいまでの純愛に酔ってしまった。
2004.3.20
昨日の「木登り猫」の新聞記事をファイルするついでに、また古いのを読み返してしまった。猛虎よりすごいニャンコ、大西洋を酒樽で横断したネコ、お金をくわえて帰ってきたネコ、飼い主をたずねて旅したネコ、震災で被災したたくさんのネコたち、神社を案内するネコ、火事から子どもを救ったネコ、十数年にわたるさまざまなネコの姿がある。それと4コマまんがの切り抜きもある。1995年は阪神大震災の年で、震災ボランティアに必要なので、新聞4紙(朝日、毎日、日経、神戸)をとっていた。震災関連記事を使うだけではもったいないので、連載小説と連載まんがをちゃんと読んでいた。朝夕で8本の小説とまんが、忙しかったなぁ。
中でも毎日新聞の東海林さだおのまんが「アサッテ君」はよくネコが登場していて楽しかった。ひとつ紹介すると、1、テレビでネコがネズミをくわえている場面。2、コタツで、アサッテ君夫婦が「ヘエーネコってネズミたべるの!?」その横にちょこんとネコがいて・・・。3、「そうよ、しらなかった?」「しらなかったな」と会話、ネコが体をおこして・・・。4、ネコがテレビの真ん前に来て「へえーしらなかった」。飼い猫らしい無邪気なネコの顔。
うちの花子もそんなネコだった。ゴキブリを見るとキャーッと叫ぶ飼い主にならって、彼もゴキブリが苦手だった。ごはんを横取りされても黙って見ていたっけ。
お気に入りの作家、嶽本野ばらさんが、テレビの「10代しゃべり場」に出ていたので、さっきまで見ていた。若者たちの話はテーマも内容もつまらなかったが、いままで写真でしか見たことのなかった嶽本野ばらさんが、動いて話をするところを見られてよかった。お洋服がとてもよくお似合いで、彼を見ているだけで時間がムダにならなかった(ミーハー魂)。最近はメジャーになりはって、ちょっとつまらない。「それいぬ」をフリーペーパー「花形文化通信」に書いてはったころがなつかしい。
2004.3.19
今朝の新聞に「木登り猫 6日目の生還」という記事があった。大正区の公園で約15メートルの高さまで木に登ったまま下りられなくなった猫が、消防署員によって救出されたそうである。白猫のゴンタくんは12日昼に飼い主の女性と散歩に来て木に登って下りられなくなり、女性はなすすべなく木の下で待っていた。気がついた人が消防署に連絡したという。
今日の記事には、はしご車から差し出した捕獲網でつかまえた写真がついているが、これがとてもよい。よかったね、ゴンタくん。
久しぶりに新聞の切り抜きをした。わたしは猫の花子がきてから、猫関連の記事があると切り抜いてA4サイズにコピーしてファイルしてある。とてもたくさん、いろんな記事があっておもしろい。花子が死んだいまでもときどき出して読んでいる。
「木登り猫」がテーマの絵本も思い出した。エスター・アベレル作「しょうぼうねこ」である。
ピックルズは黄色に黒い点がぼつぼつとついている大きな猫で、アパートの裏庭の樽に住んでいる。彼の楽しみは小さい猫を追いかけることで、アパートに住むおくさんが自分の部屋に連れて行っても出ていってしまう。ピックルズは小さい猫を追いかけて木に登る。ところが雨が降ってきて下りられなくなり、おくさんは消防署に電話をかける。助けられたピックルズは消防署に住むことにする。消防の訓練をみんなといっしょにやり、仕事を助ける。ある日、小さい猫が木に登って下りられなくなったと電話がかかる。ピックルズは木に登って猫を助け下ろす。おくさんは「わたしはいつかきっとお前が素敵なことをやるだろうと思っていたよ」と言う。お話がよくて絵もよい不朽の名作である。(文化出版局 854円+税)
2004.3.18
「剣客商売」は文庫本1冊に数編の短編小説が収めてあるのだが、それぞれの作品に小兵衛は小柄な老人だと説明がある。ふだんは柔和な表情だが、なにかあると一変して鋭くなる。「馬鹿者」と大音声で叱りつけるときはほんまに怖い。言われた相手はひぇーっとびびってしまう。以前は道場を持っていたが、いまは隠居して40歳も若いおはるといっしょに、楽しく暮らしている。“剣客”を商売だと言ってるくらいだから、お礼金などはあっさりともらう。その代わりに手伝ってくれた人にはケチケチしない。気持ちよく「これをとっておいておくれ」と紙にくるんだお金を渡すのである。人が訪ねてくるとすぐに「酒を」と言っておはるに用意させるし、仕事で連絡にきた人には「飯を食っていけ」と言ってあるものを出す。気持ちよく暮らすお手本としてもこの本は読める。
話を強引にひきつけるみたいだけど、わたしも小柄な老人(自分で言ってるぶんにはいいのよっ!)で、ふだんはとても穏和である。しょっちゅう人の打ち明け話の相手になっている。でも小柄なのと貧乏のせいだと思うが、人から見下ろされることがある。で、ごく稀にだけど「馬鹿者」とはよう怒鳴らんけど、バクハツすることがある。そういうときって頭脳明晰になるからすごいです(自分で言ってりゃ世話はない)。
なんの話だっけ、そうそう秋山小兵衛をお手本にして、生きにくい世の中だけど、楽しくやっていこうと思っているのね。
2004.3.17
毎週火曜日はテレビドラマを見る日にしていたのに、「剣客商売」は今日で終わり、「彼と彼女と彼女の生きる道」は来週で終わるらしい。なんかさびしい。草なぎくん扮する小柳さんは妻が娘を置いて出ていった後、娘と過ごす時間を確保しようと、銀行を辞めてレストランの厨房で働いている。好感が持てる男子ナンバーワンである。もう一人の男子ナンバーワンは山口馬木也扮する秋山大治郎である。現代劇と時代劇でナンバーワンは各々一人としておこう。
テレビドラマは先へ行っているが、いま読み終わったのは6冊目「新妻」である。「品川お匙屋敷」で、三冬は大治郎を意識している自分に気づく。伯父の家に行った帰り道、切られて瀕死の女から品物を預かる。追いかけてきた男どもをやっつけ、死んだ女をお寺に運んで、大治郎の家に行ける理由ができたのを喜ぶ三冬である。品物は禁制品の香であった。それから話がすすんで、三冬は悪党どもに誘拐される。きっと大治郎が助けにくると拷問に耐えながら、辱めにあえばそのときは死のうと思いさだめる。ぎりぎりに大治郎はやってきて三冬を助け出す。最後は三冬の父、田沼意次が秋山親子を招待しての席で突然、大治郎に三冬を妻にしてやってくれと頼むのであった。
話の途中でも周りの人が三冬のちょっとした身のこなしに女らしさを感じたり、大治郎の懊悩に気がついたりする。大治郎がドラマチックに愛を表現できてよかった。池波正太郎のお話のうまさに酔ってしまう一冊(新潮文庫 552円+税)
2004.3.16
いつも京揚げを4×5cmくらいの大きさに切ってゆっくりと甘辛く炊き冷蔵庫に入れておく。おかずがもう一品ほしいときにそのまま温めて食べてもいいし、菜っぱと炊いてもいいので便利だ。
先日はスーパーで大安売りのお揚げさんがあったので、思い切って20枚買った。大鍋に出汁をとって弱火で時間をかけて炊いたら、部屋中に甘辛い匂いがただよった。晩ご飯のおかずに、黒ゴマと刻みネギをのせたら、うまくてご飯をもう一杯食べそうになった。
残りは冷蔵庫にしまって、翌日はきつねうどんにした。ていねいにとった昆布とイリコの出汁のうどんに、お揚げさんと刻みネギをのせたら、「松葉」のきつねうどんと変わらんような味になった。結局、そのまま食べるのときつねうどんと変わりばんこで、20枚のお揚げさんを楽しく食べ終わった。
2004.3.15
ずーっと何十年も晩ご飯のときはお酒を飲んでいた。ビールと日本酒が主でたまにワイン。去年から焼酎も飲んでみようと、お湯で割ったりロックにしたり、いいものはストレートで飲んだりしていた。でも最近の2ヵ月くらい、お酒なしである。たまーに飲むけどほんの少々である。今日はワインと決めた日はご馳走を食べることにして、日常的に飲まない生活を当分続けようと決めた。はじめはちょっと手持ちぶさただったけどもう慣れたし。
お酒を飲むと肴がいる。お刺身や煮魚やそれに合う野菜などを考えて、その後のご飯のおかずを考える。お茶漬けなどには絶対ならないのである。そんなわけでうちはエンゲル係数が高かった。いまはお酒の分とおかずの量が減ってエンゲル係数は下がったが、深夜になるとお腹が減ってしかたがない。それでなんで痩せへんのか不思議やなぁ。あ、甘いものが増えてるかも。
今日は日曜日だけど、相変わらず仕事をしているから、すこし贅沢しようとお刺身を買ってきた。ご飯とみそ汁とお刺身と野菜の炊いたんと納豆その他の晩ご飯だったが、ご飯にお刺身というのもおいしいもんですね。ご飯にはアワだのヒエだのを混ぜているので、どうかと思ったが、ぜんぜん大丈夫でよく合っていた。
2004.3.14
ここ数日仕事ではなくて私事のほうが忙しくてアタマが煮詰まっている感じ。こういうときはパソコンの前を離れたほうがよいと思っていたら、あらら、コピー機のトナーがなくなってしまった。いつもスペアを早めに用意しているのに、なんでやー。今日は土曜日、明日にかけてコピーしてしまおうと思ったのにー。ゼロックスへの電話は月曜日になる。
こうなったら、まあえええわ、あとは来週と決断が早い。散歩に出かけることにした。
ぶらぶらと堀江へ出てチャルカでお茶にした。この前ここで買った袋をぶら下げて行ったら「袋、持ってくれてはるんですね」と目が早い。「今日はお一人ですか」なんて言われてコーヒーとチーズケーキを頼んだ。土曜日の午後らしくお店は若い客でいっぱい。雑貨コーナーで文房具を見ていたら、先週買った絵本「ラチとライオン」の原書があった。ハンガリー語はわからないけど、日本版を読んでいるから大丈夫。本の大きさが違うのと紙の地色その他少し違いがある。絵はがきやカードも買った。
少し歩いて「いろはいちば」という雑貨屋さんに行った。道から路地(ろーじ)に入っていくと、戦災から焼け残った長屋がある。そのいちばん奥にある店に入ると、昔の駄菓子屋を思わせるカラフルな品物の数々。床にもきれいな色のちっちゃい石が塗り込めてある。レターセット、絵はがき、シール、バッジ、髪飾り。ピンクのビニール傘には手書きの花模様。壁に机に天井からといっぱいの商品はみんな手作り。淡い色彩でユーモラスで、みんな欲しくなるものばかり。それが値段が安いから買いやすい。あれこれと買ってしまった。店主&創り主の女性もカラフルで可愛らしく、またくるねと約束して帰ってきた。
2004.3.13
堀江のカフェ「チャルカ」で去年何度も幻燈会があったのだが、行けなかったので、上映された作品を絵はがきにしたものを何組か買った。その中で特に気に入っているのが、「ラチとライオン」で、自分だけではもったいなく、プレゼントにもした。
実はその「ラチとライオン」はちゃんと絵本があったのだ。福音館書店から1965年に初版が出ていて、今年第62刷が発行されているのを本屋で見つけた。自分は絵はがきを持っているからもういらないので、友人に送ろうと思って買ったのだが、広げるととても楽しい。古風なところがなんともいえない。絵はがきもいいが、絵本はもっとよい。友人にはまた買ってくるか、それとも送ってから自分用を買おうかと悩んで(?)いるところである。
マレーク・ベロニカはハンガリーの人である。お話は簡単で、ラチというめそめそした男の子が、みんなに相手にされず絵本ばかり見ているのだけれど、絵本のライオンが好きで、こんなライオンがいたらいいなぁと思う。そしたら翌朝ベッドのそばに小さな赤いライオンがいた! ラチとライオンは仲良くなり、いっしょに遊んだり冒険したりする。そしてラチは勇敢な男の子になる。ちょっと小型の本のかたちもよくてステキな絵本です。(福音館書店 1000円+税)
2004.3.12
美しい風景の中に馬がいるとってもきれいなハガキがとどいた。なんと、知り合いが乗馬をはじめたことを知らせるハガキであった。考えられへんことをやりはる、というのがまずわたしの第一印象であった。でも、カッコイイ。うらやましいという気持ちを越えてしまっている。
わたしだって馬は好きなんである。映画に出てくる馬なら(笑)。
別に気にしてはいなかったのだけれど、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを読んでいてわかった。スペンサーは西部劇が好きである。それも馬が走らなきゃいけない。そこを読んでわたしもわかったのだ。映画には“馬が出てこなくっちゃ”おもしろくないってことが…。
白馬の騎士のような「ペイルライダー」のクリント・イーストウッド、別れの姿が美しい「シェーン」のアラン・ラッド、「赤い河」のモンゴメリー・クリフトとジョン・ウエインの男伊達。「モンタナの風に抱かれて」は西部劇でなかったけど、馬を愛する伝説のカウボーイになったロバート・レッドフォードがよかったなぁ。
2004.3.11
テレビドラマのほうは、大治郎と三冬はとうに結婚して小太郎という男の子がいる。わたしが追いかけて読んでいる本のほうは、意識しあってはいるものの、なかなか進展しないからいらしているところである。結婚することがわかっているけど、なんとかせんかいなと読みつつ思うんだからうまい小説である。
昨日は大治郎が明け方に夢でにやついていたとかで、三冬がその原因をただそうと剣を打ち込むのを、大治郎がたじたじと受けていた。楽しい夫婦である。小兵衛と意次は「三冬が女になった」と喜ぶ。
5冊目「白い鬼」には七つの短編が収められていて、秋山小兵衛も驚く手裏剣の名手お秀が主役の「手裏剣お秀」がよかったけれど、ここはやっぱり「三冬の縁談」でしょう。
老中田沼意次の妾腹の娘である三冬は剣道に開眼して男装で暮らしている。意次が婚期を過ぎた娘に嫁に行くようすすめると、自分より剣の強い人ならということで、試合をしてはやっつけてしまう。今回も三冬は自分が勝つと信じて疑わない。でも相手の名前を聞いた大治郎は青ざめる。その男が三冬より強いのを大治郎は知っていた。
父親のところへ行ったものの、煮え切らない態度でいるのを小兵衛に問い詰められ、三冬への恋を白状する大治郎のかわいいこと。小兵衛も考えあぐねてしまうが、弥七の協力でその男の性格がよくないのを知り、人知れず三冬との試合に出られないようにする。
三冬と大治郎の世間知らずの初々しさが気持ちよい。その次の「たのまれ男」の最後で、小兵衛は「そういえば佐々木三冬……いや、お前の恋女の始末を、これから、どうつけるつもりかよ?」と聞いている。返事をはぐらかした大治郎だが、次の6冊目にはきっと決着がつく一編があるのでありましょう。そう言えばその話、テレビで見たっけ。ああややこし。(新潮文庫 552円+税)
2004.3.10
「ジュネ伝」を読んでいると、知った名前がたくさん出てくる。その人についてあれこれと思い出すのが、この本を読む楽しみのひとつになった。いま読んでいるのは、ジュネがロンドンに行ったところで、ローリングストーンズについての考えや、デヴィット・ボウイと待ち合わせたときのケッサクな話があっておもしろい。
そんな中でもマリア・カザレスの名前が出てきたときはときめいた。わたしがマリア・カザレスの映画をはじめて見たのは「オルフェ」(1949)だった。ジャン・マレー扮するオルフェを支配する死の女神みたいな役で、冷徹な美貌はそれまでの知識では例えるものがなかった。もっともその映画を見たときのわたしは中学生だったんじゃないかしら。
そのだいぶ後で「パルムの僧院」(1947)を見たのだが、またまた大ショックだった。パルムのサンセヴェリナ公爵夫人(カザレス)はナポリから帰ってきた美貌の甥ファブリス(ジェラール・フィリップ)を秘かに愛してしまう。ファブリスは無鉄砲に人を殺して捕らえられる。刑務所長の娘クレリアが獄中のファブリスに恋する。政治と恋がからんで複雑な物語なんだけど、私はひたすらマリア・カザレスの姿を眺めていた。こんなに美しい大人の女性っているのかと思った。最後にファブリスを助けるために、パルマ公国のえらいさんに身をまかせることを決心する複雑な表情に惚れ惚れした。鏡に映る自分を見ている表情のすごかったこと! 若くて美人のクレリアなんか小娘だと思った。
「ジュネ伝」のカザレスはジュネの芝居「屏風」に出演することになるのだけれど、稽古中にいきづまり、ジュネと会って話し合う。そして役を生きることをつかむのだ。なんかすごく感動してうれしくなった。
2004.3.9
春の台所清潔大作戦の第3回は換気扇の掃除と高いところの拭き掃除をした。第1回は壁の汚れ落としをし、第2回は冷蔵庫を消毒用アルコールで拭いた。換気扇はいつも見上げては汚れているなあと思っているが、掃除はいつでもできるんだし、また今度しようということになり、何ヶ月も過ぎる。今日はようやく重い腰を上げて掃除した。やれば1時間もかからないのに、なんでこんなに取りかかれないのかな。踏み台を持ってきたので、ついでに高いところを拭いた。きれいになると狭い台所でもすこしだけ広く見える。
相方が出かけたついでに、換気扇掃除記念にチョコレートケーキを買ってきてくれたので、きれいになったのを見上げながらお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。堀江の
garage flowerのチョコレートケーキは、めっちゃおいしくて、ほっぺたがおちそう。
次の第4回は食器戸棚と物置棚を拭くことにしよう。明るい春の日射しのもと、ピカピカの台所でご飯をつくるのが楽しみ。
2004.3.8
プールに行ったら、今日は臨時に休むことにしたが、手伝うのなら入ってもいいと言われた。なんにでも首をつっこむ性格だから、なにを手伝うのだろうと思いつつ水着に着替えた。プールのいつもは透き通っている水がよどんでいる。なんとワカメがいっぱい生い茂っているのだ。それを潜って取るのが気色悪いので、上で受け取る係りをすることにした。
そこで目が覚めてしまったのだけれど、なんでこんな夢を見たかというと、先日から「メカブ」ってどんなんだと思っていたのね。
タレントのはなさんが毎朝、納豆にアボカドとメカブを混ぜて食べていると書いてあるのを読んで、メカブってなんやと調べて、ワカメに関係あるのがわかったばかりである。ネット販売のサイトには「生長したワカメの茎の下にヒダヒダ状にできたところがメカブ(芽かぶ)です。ワカメの胞子ができるところです。」と説明があった。ガンの予防にもなり、花粉症にもよいらしい。
へえーっと感心したが、夢にまで出てくるとは思わなかった。夢はすぐに忘れてしまったが、今日スーパーに行ったら、魚売場にメカブが特価品で売っていたのである! 生メカブというのかな、1パック158円だった。さっそく買ったのはいうまでもない。そして晩ご飯に納豆に入れて食べてみた。キムチもいけたがこれもいける。
2004.3.7
サンテレビでやっていたので、また「足ながおじさん」(1955)を見てしまった。フランスのバレリーナ、レスリー・キャロンをヒロインのジュディにしようと、出身をフランスの孤児院にして、アステアは仕事でパリに行って偶然の出会いという設定になっている。彼の匿名の援助でアメリカの女子大の寮に入ったジュディは、毎月おじさんに手紙を書くよう言われているが、秘書が読むだけである。でも健気に“ジョン・スミス=足ながおじさん”に手紙をたくさん書く。
2年間に溜まった手紙を秘書と執事に読まされたアステアは、興味を持って大学のパーティに行き、ジュディといっしょに踊り、夢中になってしまう。喜劇的なシーンも数々あってハッピーエンド。
わたしはフレッド・アステアのダンスに一時夢中になっていた。ジンジャー・ロジャースとコンビのRKO時代の作品が特に好きで、レーザーデスクでたいてい揃っている。パソコンが日常化するまではレーザーデスクが日常だった時代の話である。アステアのダンスの相手として、ジンジャー・ロジャースの次に好きなのがシド・チャリシーで、特に「バンドワゴン」(1953)の中の「ガールハントバレエ」は何度見ても素敵だ。いままで何回か「足ながおじさん」を見ているのに、覚えていなかったが、「ガールハントバレエ」と装置も衣装もほとんど同じ踊りがあったのにはびっくりした。「バンドワゴン」そしてシド・チャリシーのほうがずっといい。レスリー・キャロンは可愛くてハードボイルドな役は似合わない。アステアとしっとり踊るところも、ジンジャー・ロジャースを思わせるところがあったが優雅さに欠ける。でもジュディの若さと愛らしさはよく出ていた。なんて書いているけど、50年も前の映画なんですね。
2004.3.6
「ジュネ伝」を読んでいると、目が眩むような第2次大戦後のヨーロッパ文化人たちの名前が出てくる。中でも「聖ジュネ」を書いたサルトルはたくさん出てくるし、ボーヴォワールもよく出てくる。
わたしはサルトルとボーヴォワールが60年代後半に来日したとき、わざわざ東京での講演会に行ったくらいに、このカップルが好きだった。それはボーヴォワールの「娘時代」「女ざかり」などの自伝的な本を読んだからだが、当時はめちゃくちゃカッコいいカップルなのだった。サルトルにはたくさんの女性がまわりにいたけれど、ボーヴォワールは別格の同志であり生涯の伴侶だった。そのきづなが羨ましかった。
ボーヴォワールのほうはサルトル以外の恋人はフランスではあんまりいなかったようで、ようやくできた感じの恋人が、アメリカの作家ネルソン・アルグレンだった。「女さがり」に書かれた二人の愛の日々は素晴らしかった、というか、素晴らしく思えて羨ましかった。
アルグレンの本はだいぶ後になって「荒野を歩く」や「シカゴ、シカゴ」などが翻訳されたし、来日したという雑誌の記事を読んだように思う。映画「黄金の腕」(1956年オットー・プレミンジャー監督、フランク・シナトラ主演)の原作者でもある。
アメリカからアルグレンがやってきたのをサルトルに紹介しているところなど、女冥利に尽きるって感じだったなぁ。ジュネの伝記を読んでこんなことを思い出してしまった。
2004.3.5
29日の新聞に「ミステリマガジン」4月号の広告があり、ドロシー・L・セイヤーズの名前があった。あじゃー、土曜日にジュンク堂へ行ったとき、なぜ雑誌を見なかったのかしら。近所の本屋さん3軒には「ミステリマガジン」は置いてないので、バスに乗って梅田まで買いに行った。
それでですね。ドロシー・L・セイヤーズの作品は雑誌の中にあることはあった。でも3ページ。特集「ホームズ150回目の誕生日」のグラビア記事のすぐ後、本文記事のいちばんはじめの1ページが、タイトルとピーター卿が子どものときのイラスト、あと2ページが本文である。創刊以来長いことお世話になった「ミステリマガジン」だから、年に3回くらいは買ってもいいかと思い直して買った。
でも内容はおもしろかった。「若きピーター卿、ホームズの依頼人となる」というタイトル通りで、ピーター卿が子どものときのお話。可愛がっている子猫がいなくなったため、ベイカー街を訪ねていき、ホームズに猫の居場所を聞く。ずばり当てたホームズに貯金箱のすべてを送って、サイン入りの領収書をもらう。そして彼の志を継ごうと努力するのである。
そのあと、ジャン・ジュネの文庫本を探した。河出文庫で「ブレストの乱暴者」(澁澤龍彦訳)、「葬儀」(生田耕作訳)の2冊があり、両方とも文字がびっしり。早く伝記を読んでしまって、たまっているミステリーを片づけて読みたい。
友だちにプレゼントする絵本を探したり、雑誌の立ち読みをしていて「現代」も買ってしまった。今月も苦しい家計なのにいいのかな。まあなんとかなるやろ。
関西ではお水取りがすまないと春はこないと言うけど、ほんまに今日は寒かった。今夜はもっと寒くなるそうである。ふとん乾燥機かけて寝よう。
2004.3.4
昨日のVFC BBSでは納豆についての話がはずんだ。関西の人は納豆を食べる習慣がなかったが、最近は食べるようになったということで、「関西人は納豆に砂糖をかけて食べるらしい」なんて、そんなこと、わたしに言うても知らんがな。わたしは醤油をかけるだけである。
無理して体に良いものを食べても身につかないと思う。毎日のご飯をおいしく食べて、それが体によければええんとちゃうかな。アタマにたたき込んでいる丸元淑生さんの「システム料理」の考え方で献立を考える。魚と野菜と豆類と海草類を主に、納豆もゴマも梅干しも毎日食卓に出して食べている。
気になっていたのが酢である。酢の物をいろいろとしようと思うが、なかなか日常的にできない。そこへ、1日の朝日新聞の家庭欄、タレントのはなさんの食生活に酢が出てきた。朝晩、納豆と梅干しを食べてはるそうだ。その梅干しの食べ方をなるほどと思った。「梅干しには酢」だそうだ。それで真似して小さな鉢に梅干しを入れて酢を注いで食べた。梅干しだけで食べるよりうまい。少し酸っぱいが、酢をみんな飲んでしまった。これはよい。
はなさんは、米酢、黒酢、すし酢、バルサミコ酢といろいろな酢を取り揃えておられるそうだ。うちにはいまのところ千鳥酢しかないけど、そろそろと買いそろえていこう。
2004.3.3
岡崎京子のマンガを久しぶりに読んだ。ほとんど10年ぶりである。そのころ出ていたものはけっこう持っていたのだが、あるとき、もういいかな、と話し合って古本屋に出してしまった。かなり惜しい。
それからすぐの1996年に、岡崎さんは飲酒運転の車にはねられ、長い療養生活を送られることになった。わたしが事故のことを最初に知ったのは、パソコン通信の掲示板だった。
その後、いまの時代の女性を鋭く描いていると言われる作品を読んでも、なんだ、岡崎京子がもっと以前にもっと深く描いているじゃないか、まだ岡崎京子を超える作家はいないんだといつも思うのだった。
「ヘルタースケルター」は連載が終わったのが事故に遭ったときだったという。それを去年単行本化したものである。ヒロインりりこはモデルをやり、テレビコマーシャルに出て、映画出演して、インタビューに応じてと、あらゆる媒体に完璧な肉体を露出して生きている。その肉体は整形によってつくられたものである。日本中を制覇しているかのようなりりこが、落ちていくさま、りりこの孤独が描かれるのだが、りりこの孤独なんて言葉にしてしまったら薄っぺらになる、おそろしい孤独と残酷がマンガというかたちで紙の上に現されている。ものすごく怖い絵にたじろぎ、いっぺんに読めなくて、毎日一章ずつ読みすすんだ。
この本を読み終えて昨日、新聞を広げたら高島屋の新しい化粧品「SUQQU」の広告があった。美しさを誇示したモデルの姿と、横にあるコピー「7年前の顔。」にはっとした。りりこだ。(祥伝社 1200円+税)
2004.3.2
先日おいしそうな大根を前に、どうして食べようかと少し悩んだ。ブリ大根、イカ大根、おでん、粕汁、タヌキ汁、冬中いろいろして食べた。違う食べ方がないかなと考えたら、先週テレビドラマの「剣客商売」で、おいしそうに大根を食べていたのを思い出した。大根だけを出し汁で炊いたと言っていた。さてどんなものか。
そのあとで「剣客商売」4冊目を読んだら、その大根の食べ方があった。「約束金二十両」の中の一節である。老浪人平山太兵衛が持ってきた大根を、おはるが鉄鍋にたっぷりと薄目の出し汁を張り、大根を切り入れ、ふつふつと煮えたぎったのを炉端で食べさす。小皿にとって、「粉山椒をふったほうがいい」と小兵衛がすすめる。「こりゃあ、うまい」「そりゃあ、平内さん、大根がよいのだ。だから、そのまま、こうして食べるのが、いちばん、うまいのじゃ」なるほど。
うちにあるのは、ポランの宅配が持ってきた、ほんとにおいしそうな太い大根である。昆布とカツオたっぷりの出し汁をつくって大根を炊いてみたら、そのうまいこと、うまいこと。粉山椒を買い忘れたがなくてもうまい。
「約束金二十両」は古い百姓家に住む老浪人平山が、隣に住む百姓の娘おもよが茶屋の出物があるのを、二十両で買いたいという熱望をかなえるために、剣術の試合を計画する話である。勝ったら三両もらい受けるという立札を神田明神社に立てたのを見て、大治郎と三冬が行き、小兵衛も行く。すべて終わったあと小兵衛を訪ねてきた平山は、小兵衛とおはるが夫婦なのを知り驚く。小兵衛は平然と平山におもよと暮らせと言うのである。「こだわることはない。養っておもらいなさい」。(新潮文庫 552円+税)
2004.3.1
写真:「ラチとライオン」ハンガリー語版