お知らせ
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2006.4.15
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ダン・ギルモア「ブログ 世界を変える個人メディア」を読みながら
去年の夏ごろ朝日新聞の書評を読んで買おうと思ったのだが、ころっと忘れていた。先日図書館で借りたのだが、それで正解だった。一度読めばいいや。すこぶる正しい見解の本だと思うのだが、わたしにはエリートの人の声に聞こえる。
最初のほうに「脅迫状メディア」という項目がある。パソコンによってだれでも手軽に出版物を創作しレイアウトできるようになった。ところがプロでない人が力を手にしたため、様々なフォントを使う傾向があり、【それは何というか、脅迫状のスタイルに、まさに瓜二つなのだ。】とある。プロが素人のすることに対する嫌悪感だと思った。その後には【ただ、「新しい声」が登場してきた、ということを考えれば、印刷のごちゃごちゃ感など大した問題ではなかった。】と続いているが。
わたし自身がもう20年近く前にパソコンを手にし、会報とかお知らせ程度であっても出版物をつくり、パソコン通信からはじまってインターネットにつながり、メイリングリストを経験し、掲示板で苦労し、サイトに日記を8年近く書き続けてきた。この自分史があるので、本書を読んでいて、スケールが違うけれども同時代を生きているという気持ちになる。
本書を読むのと同じとき(朝日新聞4月12日)に大江健三郎さんのインタビューを読んだ。記者の「Eメールはお使いですか」という質問に「Eメールの迅速なやりとりが必要な時は、若い友人に来てもらいます。・・・」とあったのには笑った。
2006.4.14
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朝方の夢、午後の散歩、夜の作業
朝方へんな夢を見た。バスを降りたら人がずらっと並んでいて、差し出されたものになにか書いている。わたしの順番がきた。ここに○を書けと言う。次の場面になって水玉アーチストがみんなが書いた○に訂正を入れている。なんで水玉アーチストと思ったのもわからん。そのアーチストは水玉がいっぱいの座布団のようなものを掲げて、アート作品ができたと言っている。そんなもんなにがアートやねんとモンクを言ったら、寝言になって自分の耳に聞こえて目が覚めた。
午後、今日もうっとおしい天気だが、堺筋本町のポールでパンを買いたいし、その向かえにある紀伊国屋で買いたい本もある。阿波座の銀行へ寄って中央線で堺筋本町へ出た。買った本は、ノーマ・フィールド「へんな子じゃないもん」、クレイグ・ライスの「セントラル・パーク事件」、ドロシー・L・セイヤーズの2册は持ってるのを人にあげたので補充。本を買った満腹感で東急ハンズまで丼池筋を歩いた。問屋街は活気がなかった。
ハンズで椿油のいいのがあれば買おうと思ったのだが、薬局にあるのと同じ「大島椿」だったので、買わずに近くのダイコクドラッグに行った。思った通り3割引くらいであった。その分で富山の薬屋のアセモ薬を買った。
夜は会報づくり。今月はさっさと進んでいる。表紙に“○○山○○寺縁起絵巻”の最初をうまく入れることができた。送ってもらってからずっと考えていたのだが、すっとこうしようとアイデアが出てきたのだ。朝の夢の水玉アーチストなんかなんぼのもんじゃ。
2006.4.13
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ジョン・リカーズ「聖ヴァレンタインの劫火」
今回もYさんおすすめのヴィレッジブックス発行の本である。本屋へ行くとハヤカワ文庫、創元推理文庫、講談社文庫はしっかりと見るのだけれど、ヴィレッジブックスの棚は見落とすことが多い。ええっ、こんなにいろいろ出ているのかとびっくり。古典的ミステリファンのせいかと反省。
ボストンの私立探偵アレックス・ロークは幼なじみの警察署長デイルの依頼で、故郷のメイン州の小さな田舎町に帰ってくる。アレックスは元FBI捜査官で、以前にもデイルの依頼で事件を解決したことがある。そのときは現場に行かずにすんだが、今回は難事件で行かずにすますことはできない。薄いメタリックブルーの1969年型スティングレー・コルヴェットに乗って出かける。
事件はデイルが激しい雷雨の夜パトカーで走っているとき、突然上半身裸の男が浮かび上がったところからはじまる。足下には10数カ所を刺された全裸の女性の死体があった。男は逮捕されるが、名前も言わず、女性を刺した証拠もない。全裸の女性は看護師のアンジェラだった。
警察ではデイルが待っていた。捕まえた男は法廷でも名乗らないので、身元確認に躍起になっているという。ランチの後アレックスは留置場へ行く。そして名前を一応ニコラスとして尋問をはじめるが、ニコラスはアレックスのことをよく知っているような不気味な反応である。
他に泊まり客のいない不気味なホテルでベッドに入ると、子ども時代の思い出、両親を乗せて自分が運転していた車が追突されて両親が亡くなったこと、FBIを辞めた原因など、過去の記憶が浮かび上がる。頭痛が激しく体調が悪い中、薬を飲みながら捜査を続ける。検死官ジェマの存在がアレックスを支えるのだが、その彼女にさえ怒りをぶつけてしまうのだ。
“聖ヴァレンタイン”というのは父親も関係していた孤児院で、火事で焼け落ちて廃墟になっている。アンジェラがそこで働いていたことがわかる。だんだん事件も探偵もおどろおどろしてくる。メイン州の森がまた不気味な雰囲気で、ジョニー・デップの「スリーピー・ホロウ」を思い出した。
ジョン・リカーズはイギリスの作家で、本書は第1作である。すでに3作目が出版予定されているそうだ。イギリスの作家と知るとやっぱりみたいな感じがする。(ヴィレッジブックス 870円+税)
2006.4.12
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雨の中、桜を求めて公園めぐり
昨日も雨、今日も雨。雨の中の桜も風情がありそうだと公園めぐりに出かけた。2面がレナウンと西教会に面している立売堀公園に見事な桜がある。雨でぐっしょりとなっており、かなり散っていた。次の阿波座南公園は明治小学校の隣にあり、近所の人たちが集まって作った池や植物のビオトープがある。ドングリ類の木々がたくさんあるのはわかっていたが、その向こう側の桜は気がついていなかった。気品ある大きい桜が行き止まりの道に面して立っている。南に向かっていくとスーパーライフの隣に新町南公園がある。ここは桜より梅雨時のクチナシがよい。
阿弥陀池筋と新なにわ筋を渡ると、大阪市公文書館の裏側にしだれ桜が2本ある。普通の花よりも少し遅れて咲くので、いまが盛りの濃いピンクの花を咲かせていた。向かいは土佐稲荷神社である。神社だけでなく前と横の公園にもたくさんの桜がある。かなり落ちていて足下がピンク色だ。水たまりで歩くのがたいへん。長堀通を渡って区役所の裏側、細野ビルの横にあるのが新町西公園。ここは大きな楠が10数本あり、見上げると大空にこんもりした葉がふんわりとしていて好きな場所だ。桜は半分くらい落ちていた。
けっこう激しく降っているときで、どこも人を見かけずに桜の空間を独占できてよかった。どこも花びらのピンクを踏んで歩けたし。水たまりへぽしゃんとはまったり。
2006.4.11
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「辰巳芳子のことことふっくら豆料理」
この間のひよこ豆のカレーはおいしかった。乾物のひよこ豆を前の晩から水につけておいて、翌日のお昼過ぎからカレーをつくった。やっぱり豆は乾かしたのを水でもどして使わなくてはね。昔からやってる食べ方がやっぱり一番だと、カレーのうまさが証明してくれた。最近は手抜きで缶詰のひよこ豆を使っていたから反省だ。
それで豆料理の本書を台所の戸棚から出してきた。1991年発行の本ですぐに買ったと思うのだが、読み物として読んではいたけど活用してなかった。なんか親しめない雰囲気があった。例えば高級陶器店みたいな感じ。わたしは雑貨店派だからさ。
めくっていて思い出した。卯の花の作り方で、イカの足を入れたらおいしいというのをやったことがある。でもいつの間にか、エビを入れるのにもどってた。エビが入っているおからは、吉田健一の「東京の昔」に「あそこのおからは旨い。エビが入っている」という言葉があったので、それ以来やっている。
今日はせっかくあるのに使わなければもったいないと思って、作れそうな料理を探した。乾物の豆を使った料理がたくさんあるので挑戦してみよう。
2006.4.10
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1日2食で10カ月経過
1日2食を始めたのは去年の6月11日だから明日で10カ月になる。ほんと月日が経つのは早いわ(最近こればっかり)。
最初のころはストイックに本の通りやっていたが、最近少し崩れ気味だ。それでもって、体重も立ち止まっている。4キロ減のまま、あと2キロは無理な相談みたいになっている。体が軽くなった感じだったのだが、最近は重く感じる。花粉症の代わりにやってきたジンマシンのせいかもしれない。
痒いというのはどこから来るのだろう。例えばパソコンを打っているときは、両手を使っているというだけでなく痒く感じないのだ。書いたものを読み返していると痒くなる。右手にマウス、左手でぼりぼりということに相成る。そしてやがて右手でも掻いている。早く花粉症の季節が去ってラクになりたいものだ。
あと2カ月で1年なんだから、また気持ちを改めて減食に取り組もう。本はどこへいったかな。水が温かくなってきたから温冷浴(いまはお湯入りの水を肩からかけている)も再開しなければ。なんと言っても2食は固く守っているんだし。
一昨日書いた白玉粉のぜんざいやけど、今日は忘れずに白玉餅を先に器に入れて、その上から小豆を入れた。お餅よりもあっさりとしておいしい。やってもらえるからなお良し。
2006.4.9
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買い物散歩
毎日の買い物がスーパーだけというのは味気ない。なんていうほどの物を買うわけではないが、堀江とアメリカ村を通って心斎橋へと買い物に出かけた。少し風がきつかったが暖かくて散歩日和である。堀江もアメリカ村も若者がたくさん歩いていた。欲しい本はないだろうなと思いながらアメ村のアセンスに寄った。もしかしてと思ってたクラシックDVDもなし。大丸へ行ってポールのパンを買い、カレーペーストや野菜などを買った。けっこうな荷物になったが、次は東急ハンズへ行った。店舗の前でクラシック食器市というテント張りの売り場があったので、覗いてみたら印判の深めの皿があった。20年も使っていた4枚の皿のうち2枚が金属疲労みたいな感じで割れてしまったので、代わりがほしかったところだ。1枚800円ならすごく安いと思い2枚買った。一時ばからしいくらい高かったように思う。最近こういう皿って流行らないのかな。あとは野菜を入れる袋を買った。ジャガイモとタマネギをゴキブリから守るための保存袋である。毎年4月になると買う。
こうして春が来て桜が咲いているのを見たり、生活必需品を買ったりすると、「今年も花を見られたなぁ」「今年もこうやって生活できてるなぁ」なんて何十年も感無量みたいに思ってきた。今年はそんな余裕のあることを考えている余裕がない。とにかく見るべきものは見ておく、するべきことはやっておく、だけである。
2006.4.8
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白玉餅のぜんざい
先週のことだけど、乾物の在庫整理をしたら小豆が1合残っていた。期日がぎりぎりだったので即ぜんざいをつくって食べた。「お餅も入って、なんやら(忘れている)で、甘くてどうもすみません」というのは林家三平のコマーシャルだったなんて思い出しながらだったが、相方に言わせると「砂糖屋の前を走って通ったんとちゃうか」くらいに甘みがなかったそうな。
そんなことで、今日は自分で砂糖を入れている。ええっ、そんなにがばっと入れてええんかいな。その上に白玉粉を買いに行って、白玉ぜんざいにするって。
わたしは白玉粉って使ったことがないので、お手並み拝見することにした。耳たぶくらいにこねて湯に通して水で洗いザルにあげておく。そこまでしてくれたので、後は炊いたあずきを、椀に入れた白玉だんごの上にかけたらよいのを、うっかりとぜんざいの中に放り込んで煮立てて椀によそった。ちゃうがなと言われて、あっそうやったとしらばくれたけど、最近はなんか考えなしにやってしまうことが多々あり。気をつけなくっちゃ。おいしかったからまあいいか。両方とも半分残っているので、2・3日後にまたつくろう。
白玉餅は「鬼平犯科帳」の鬼平こと長谷川平蔵の好物である。例によって、佐藤隆介編「池波正太郎・鬼平料理帳」を開くと、春の項に「白玉餅」があった。「艶婦の毒」の一節が書き抜いてある。驟雨がきて、春雷が鳴って、京都のなじみの茶屋を出た平蔵は、小さな茶店へ飛び込む。その店の女主人のお豊の姿に平蔵の胸はさわいだ。その店でお酒をもらって、白玉餅を食べる。「あれ……意地悪(こんじょわる)なことをなさります」というお豊の言葉がすごく粋。
2006.4.7
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ハリー・ボッシュとエルヴィス・コールが交差点ですれ違った
マイクル・コナリーの「暗く聖なる夜」の下巻27章に、とても爽やかな気持ちよいところがある。主人公ヒエロニムス(ハリー)ボッシュが車で出かけたとき、交差点の反対側でビンテージ物の黄色いコルヴェットが信号を待っているのを見る。その男は尾根の反対側に住んでいる私立探偵で、ジョギングをしているときに会ったり、彼がコルヴェットに乗ってボッシュの家の前を通り過ぎるのを見たこともある。二人は腕を差し出して挨拶を交わす。
この本はとても気に入って何度か読んだのだが、特にここは気持ちよいなと思っていた。訳者の古沢さんの解説によると、その私立探偵はエルヴィス・コールなのだ。ところが、わたしときたら、ずっと昔に「モンキーズ・レインコート」を読んだきりで探偵の名前も作家の名前も忘れていた。
ミクシィの「サラ・パレツキー コミュ」で知り合ったシャンテさんが、新しく「ロバート・クレイス コミュ」を開かれたとき、知らない作家なので、1冊読んでから参加するわねと言って買ったのが「ホステージ」。ここの解説に「モンキーズ・レインコート」を書いたとあり、あの作家だとわかり、それではとコミュにも参加した。
でも、まだマイクル・コナリーの「暗く聖なる夜」とは結びついていなかった。今日またもやミクシィの「マルタの鷹協会 コミュ」のトピック「Rick's Bar」で、古沢さんがこの件を書いておられるのを読んで、はじめてつながった。あの気持ちよい二人はボッシュとコールだったのだ。
2006.4.6
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コールスローと大根おろし
ご飯のときは生野菜を一品食べることにしていて、お昼は野菜スープとパンにサラダをつける。毎日違ったものをと思うんだけど、コールスローにすることが多い。大量につくって置いとけるのがよい。その他はトマト、キャベツ、水菜、レタス、マッシュルーム、アボカドなんかのサラダを食べている。コールスローってそんなに美味しいものではないけど、飽きがこないからほんとに便利だ。たまねぎ、にんじん、キャベツといういつでもある基本のものというのもよい。
晩ご飯は酒の肴に生野菜を食べる。セロリに梅マヨネーズとか、大根と人参のなますとか大根のサラダとか、山芋短冊とか。いちばんよく食べるのは大根おろしである。ほとんど毎日食べている。チリメンジャコや釜揚げシラスにつけることが多い。アジやイワシを焼いてもつけるし、たまーにタマゴ焼いてもつける。タマゴは食べるのをやめたんだけど、フレンチトーストをするときにひっつくので、たまに6個入りパックを買っている。大根は葉っぱも食べられるしいいね。大根をおろすのはめんどくさくてきらい。
2006.4.5
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RIP RIG+PANIC「I'M COLD +」を久しぶりに聴いた
散歩に出た相方から電話があり、アメリカ村のレコード店にリップ リグ パニックのCDがあるけど買っておこうかと言う。そういえば去年中にアルバム全てがCD化されるという話をどこかで読んだのを思い出した。そのときは懐かしいなと思い、見たら買うかなとは思っていたのだが、ころっと忘れていた。
買ってきたCD「I'M COLD +」のジャケットが懐かしい。ピカソのリトグラフでランボーの肖像(だと思う)である。さっそく聴いたんだけど、忘れていてはじめて聴くような気分だ。ドン・チェリーの出番が多い。
リップ リグ パニックのコンサートに行ったのは80年代半ばで、厚生年金会館中ホールだった。70年代後半からパンク・ニューウェーブを聴いていて、いろいろなバンドのライブに行ったけど、これほど知性があると思ったバンドは他になかった。そして第一級のユーモアも。
舞台にはクラシックの雰囲気でピアノが置かれ、正装した少年が出てきて静かにピアノを弾きはじめた。10分くらいするとネナ・チェリーがエプロン姿で箒とバケツを持って出てきて、エネルギッシュに踊り歌う。それから全員揃ってのにぎやかな演奏。途中からネナのお父さんのドン・チェリーが出てきて笛やポケットトランペットを吹きまくった。楽しい夜だったなぁ。
バンドの解散は早かったように思う。ドン.チェリーは1995年に亡くなった。レコードを持っていたけどCDの時代になって処分してしまっていた。いま聴いて懐かしむよりも新しい音と出会ったようである。
2006.4.4
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さくら咲き、けやきも新芽が・・・
銀行へ行ったついでに久しぶりに靭公園にまわった。年の始めから公園全体を閉め切って工事をしていて、昨日から公開されたばかりである。桜が咲くと付近の会社が毎晩お花見をするから、きっちりと期日を守って公開したようだ。入ってみるとまだあちこちに工事中の箇所があった。
公園内にあった1階に飲食店が入っていたテニスの事務所みたいな建物がなくなって、バラ園につながる大きな階段になっている。テニスコートは半分だけ(4コート)になっている。半分はまだ囲ってあるがなにになるんだろう。
全体にものすごくすっきりしている。樹木の下の方の枝は払われて見通しがよくなった。雑草なんか生える余地がないよ。土の部分が少ないし。バラ園は人工の公園の極致って感じだ。
ベンチに座って遠くで咲いている(お花見の人たちが場所をとっているので近づけない)桜を眺めて、上を見るとけやきに新芽が出ている。なんやかや言っても、戦後60年の歴史がある公園だから木が大きく成長している。都心にこんなにたくさん樹木がある場所があるだけでもありがたい。
2006.4.3
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「攻殻機動隊」漬け
押井守監督の映画を見たのが最初で、次はテレビドラマである。毎週金曜日の夜「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」を見続けていた。それが一昨日で終わったので、今日はまだ見ていなかった前編「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」1枚目のDVDをTSUTAYAで借りてきて見た。めちゃくちゃおもしろい。
その前にようやく原作を読まなきゃという気持ちになり、コミックのほうを読み始めたところである。この本はずっと前からわが家にあったのだけれど、わたしは背表紙の文字〈攻殻機動隊 士郎正宗〉しか見ていなかった。SFがどうも苦手でコミックも苦手だったから。なのに今日は読み出すとはまってしまった。あわてて読むともったいないから数日かけて楽しもうと思う。登場人物や周辺機器(?)はもうおなじみだからすいすいと理解できている。
愛嬌のあるブルーのタチコマ(どう書いていいかわからないので検索したら、アームスーツ、思考戦車とあった。原作のほうはデザインが違っていてフチコマとなっている。)が活躍するのがおもしろいし、義体の草薙素子に惚れ惚れしている。
2006.4.2
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2メートルの絵巻
VFC会員は人数は少ないけど楽しい人が多いのでまとめ役も楽しくやっていける。届いたメールや原稿を整理し少しばかりのレイアウトをして、毎月発行する会報がわたしの楽しい仕事だ。そこにアクセントが入るとガゼンはりきる。毎月10日の夜にファックスが音を立てるとOさんの娘さんのMちゃんからのイラストだ。たまにMさんの娘さんUさんからメールに添付したユーモラスなイラストが届く。そして先月は新会員のTさんからヴィクシリーズ登場人物のイラストを全員分カラープリントして送ってくださった。
今日はまたものすごいのが届いた。SさんはTさんの娘さんで、小さいときから折にふれイラストを送ってくれている。独特のヒヨコが主人公のマンガ風イラストは、ときに鋭いブラックユーモアがあふれている。半紙2枚に描かれた続き絵を表紙と裏表紙に続けてのせたことがあった。横長の絵を眺めて考えた結果がうまくいった。なに、表紙には〈裏に続く〉と書き、裏表紙には〈表紙から続く〉としただけだが。
今日届いたのは、A4の半紙を横にしてなんと2メートルの絵巻である。「○○山 ○○寺 縁起絵巻」(○○は会報まで公表しない)とある。iPodが重要なテーマになっている。この絵巻どう料理しよう。
2006.4.1
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ジャスパー・フォード「文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!」
去年の夏の終わりにクリスタ長堀の丸善で平積みされていた文庫本が目に入った。へんなイラストの表紙はふざけたSFという感じだ。手にとって中を見てもどしたのだけれど、“ジェイン・エア”の文字が気になって買ってしまった。そのまま置いてあったのをようやく読み出したら、これがおもしろくてたまらない。
読み終わってから検索してみたら、ハードカバーで2003年10月に発行されていたのの文庫化(2005年9月)だとわかった。そして「文学刑事サーズデイ・ネクスト2 さらば大鴉」も出ているのがわかった。へえ、知らぬはわたし一人なりだったのね。イギリス、アメリカでたちまちベストセラーになり、各紙が書評を載せたそうな。
1985年のイギリスが舞台なのだが、物語の世界ではロシア帝国とのクリミア戦争が131年目を迎えている。イングランドは超巨大企業のゴアライアス社に支配されており、ウェールズは共産化して独立している。
主人公サーズデイ・ネクストは36歳の独身女性でクリミヤ戦争に従軍したことがあり、いまは特別捜査機関の文学刑事局に勤務している。元恋人のランデンはサーズデイの兄とクリミヤ戦争でいっしょだったが、兄は戦死しランデンは片足を失った。そのときの状況を知った彼女はランデンを許せずに離れてしまった。転勤でロンドンから故郷のスウィンドンに飛行船で到着する。その地にはランデンが住んでいて再会するが、サーズデイは気持ちとうらはらに冷たい態度で接する。
ジェット機でなくて飛行船というところがおかしい。コンピューターはないけど、タイムトラベルのできる人たちがいるし、クローン技術は発展しているというけったいな社会である。
発明家の伯父マイクロフトが本の中へ入ることのできる装置“文の門”を発明したのを、悪用されて事件が起こる。発見された死体はディケンズの「マーティン・チャズルウィット」の登場人物クウェイヴァリーだった。
それから犯人を追ううちに相手は「ジェイン・エア」の中に逃げ込む。そこでロチェスターさんと協力して犯人と対決とあいなる。その結果、もともとの本と内容が違ってくるのがおかしい。その結果というのが、いま我々が読んでいる「ジェイン・エア」なのである。「ジェイン・エア」にからんで最後の方には中島さんという日本人も出てくる。
作者のジャスパー・フォードは1961年生まれのウェールズの男性で、最初は映画作家を志したが、ヒマを見つけて小説を書き始め6冊目に書いたのが本書だそうだ。
ほんとに文学好きにとってはおもしろくてしかたない作品だが、ふざけていると怒る人もいるかも。こういう本がベストセラーになるというのは、とても成熟した社会だからだと思う。先日読んだ「ジェイン・オースティン読書会」にしても、文学が生活に溶けこんでいるのを感じたが、本書も文学を日常的に愛して暮らしている人たちが多い成熟した国の本という感じだ。(ソニーマガジンズ ヴィレッジブックス 920円+税)
2006.3.31
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今日も寒かった
いつになったら暖かくなるのか、今日もまた寒い日だった。
歯医者へ行くのは3回目、週に一度のペースである。虫歯の詰め物がとれて歯も欠けたので行ったのだが、神経をとってあるので痛みがなかったのがいけなかったみたいだ。けっこう膿んでいるそうで膿止めの薬をつけてもらっている。去年のアセモの薬で懲りてると言ったら、ゆっくりと治しましょういうことなり、化膿止めの飲み薬は飲まないことになった。また1週間後に行く。風邪薬はなにを飲んでましたかと聞かれたので、生姜湯を飲んで寝てましたと答えて笑われた。
細野ビルの催しで知り合った写真家のizumiさん(izumiさんの日記にわたしの姿が写っています。3月30日の写真のうち、下の2枚の中の左が私です。)が近所の画廊アンポポで個展をしている。先日行ったときは留守だったが、今日は写真家仲間が来ていて賑やかだった。昨日ミクシィのだれかのところでわたしの名前を見たそうで、ミクシィメールが届き、なーんだ、お互いに入ってたのねとさっそくマイミクになった。
若くない女性はミクシィやパソコンに関係ないと思われがちなのか、やっていると言うとちょっと驚かれる。たいしたことはやってないけどパソコン歴は20年、とか言って驚かせてあげるのが趣味(笑)。
帰りに近所の公園をあちこちまわってみた。桜はチラホラでユキヤナギは満開だった。寒さで花も縮こまっている感じだ。東京方面の知り合いからは桜満開の便りがあったが、こちらは遅れている。
2006.3.30
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成瀬巳喜男監督「歌行燈」
泉鏡花の作品の中でも「歌行燈」は好きだ。物語はいやが上にもドラマチックで、論理を超えた情が心を揺する。その神秘とも言えるような物語を人間が出てきて演じた映画「歌行燈」(1943)が、60年以上経っても心に響くのだからすごい。
時は明治のはじめ頃か、恩地源三郎は能楽師で鼓方の弟と息子の喜多八(花柳章太郎)と東京から関西にきている。伊勢の古市に盲目の老人で名人がいると聞いて喜多八が行くと、出てきたのが娘のお袖(山田五十鈴)である。喜多八は若気の至りで老人に謡わせて恥をかかせる。そのあと老人は自殺してしまう。それを知った源三郎は息子を勘当する。
それまで芸の他は何不自由なく暮らしていた喜多八は門付となって街をさまよい、世話好きな友人ができてなんとかやっていけるようになる。そしてお袖のほうは継母に売られて芸者になっている。
その二人が巡り会い、お袖が不器用で三味線もひけないのを、たった一つ仕舞を教えて喜多八は去る。
最後は月が冴える桑名の宿で、源三郎らが芸者を呼ぶとお袖がきて、芸ができないけど舞なら一つだけ舞えると言って舞うと喜多八が教えたとすぐにわかる。鼓の音が遠くまで聞こえて喜多八がやってきて、勘当を許される。
新派の芝居は見たことがないからはっきりわからないけど、この映画は新派の俳優が主になっていて独特の世界を展開しているように思う。泉鏡花の芝居を新派で一度見ておきたかったなぁ。滝の白糸、日本橋、湯島の白梅・・・
それにしても、こんな美しい映画があったんだ。成瀬巳喜男の映画は戦前、戦中のほうが戦後のよりずっと好きだ。
2006.3.29
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芸術新潮4月号 特集 藤田嗣治の真実
日曜日の新聞広告で「芸術新潮4月号 特集 藤田嗣治の真実」を見てすぐに欲しくなり、昨日心斎橋そごうの丸善まで買いに行った。子どものころに「ひまわり」か「婦人公論」かの挟み込みの口絵で、藤田の裸婦と猫または少女と猫の絵を見て以来のファンである。
手頃な画集があれば欲しいのだが、22000円のはわたしの懐からすると高価過ぎる。それで絵はがき数枚と2003年に出た画文集「猫の本」だけを大切に持っている。
本書に収録されている絵で気に入ったのは1926年頃に描かれたという〈アンナ・ド・ノアイユの肖像〉だ。ドレスのレースと花柄の繊細なことにおどろく。しかしノアイユ伯爵夫人はいろんなアーティストに肖像画を頼んだのに気に入らず、この絵もキャンセルされたそうだ。ああ、もったいない。
それと戦争画にも驚いた。〈アリューシャン列島での死闘図〉、〈アッツ島玉砕〉のリアリティに、画家である人間の熱狂を感じて怖くなった。わたしにとって藤田の新しい側面。
そして少女たち、猫たち、猫を抱く少女たちの絵がたくさんある。
今年は生誕120年だそうで、いま東京で展覧会をやっている。その後に5月末から7月23日まで京都国立近代美術館であるので行くつもりだ。
2006.3.28
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いまさらですが、「アメリ」を見たので
ようやく「アメリ」(2001)をレンタルDVDで見た。ずいぶんと評判だったけど、映画を見る気力が衰えていていまごろになった。ずいぶんと評判になっていたし、オリーブ少女が喜びそうな内容とは女性誌なども読んで知っていたが、こんなにもおもしろいとは思わなかった。
ジャン=ピエール・ジュネ監督の作品を見るのははじめてだが、フランス映画の伝統を受け継いでいるのに感心した。アメリがサンマルタン運河で水切りするところはフランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」を思い出した。アメリの部屋のインテリアから、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーバ」を思い出した。けれどもまったく新しい感覚の映画なのである。フランス映画の滔々たる流れの中に新しく名乗りをあげたって感じかな。
アメリのオドレイ・トトゥは黒髪と大きな黒い瞳が印象的な奇妙な美少女。相手役のマチュ−・カソヴィッツの不器用で誠実な感じが良い。孤独なお父さんがドワーフを庭にある亡き妻の祭壇に置いているのを、アメリが持って行ってなにをするかと思うと、ほんとに旅をさせてしまい、旅先からドワーフが写った写真が届けられる。この他にいっぱいアメリが考えついた善意と善意から発した悪意の行為が次々に繰り出されて、まわりの人々が振りまわされる。
先天的な病気で骨がガラスのように脆く、外出したことがない孤独な隣りのアパートの住人と仲良くなり、最後は彼の一言でアメリは走り出す。そして孤独な少女は孤独な青年と向き合う。パリはモンマルトルのカフェを舞台に、現代の青春を描いたおしゃれで気が利いた映画。
2006.3.27
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イギリスの短編小説
昨日はジュンク堂へ行ったのに買おうと思ってる本が見当たらなくて、まぁいいかと「ミステリマガジン」5月号だけを買った。この2月に93歳で亡くなった、イギリスミステリ界の最長老マイクル・ギルバート追悼特集号である。読んだ覚えがないので、どうしようかと迷ったが、立ち読みしたらおもしろそう。野崎六助さんの連載記事も気になってる。
帰ってから本棚を見たら特大の3月号をまだ少ししか読んでないし、4月号もイアン・ランキンとレジナルド・ヒルの短編と連載を少ししか読んでいない。せっかく買ったのに読まなくてはもったいないね。
イアン・ランキン「誰を殺させばいいのか教えろ」は、リーバス警部もので、彼が土曜日の夕方オックスフォードバーから出て歩いて帰る途中で救急車を見る。バスが人身事故を起こしたのだ。自分の出る幕でないと車道を横断しようとして携帯電話を拾う。画面を見ると文字があった。「誰を殺させばいいのか教えろ」、これでは黙って帰れない。リーバスは行動を起こす。
レジナルド・ヒル「犬のゲーム」は、パスコー主任警部が犬の散歩の途中、折り返し点にあるパブに入るのが日課のようになり、犬の愛好家たちと親しくなる。彼らの一人の家が火事になり愛好家の女房の母親が焼け死ぬ。ダルジール警視も少し出てくる。
マイクル・ギルバートの短編は大人の小説という感じ。数編あるので読むのが楽しみ。
2006.3.26
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延々5時間
春めいて暖かい日だった。シャーロックホームズのある大阪駅前第1ビルの横の桜3本が満開だった。早咲きの種類なのかな。ジュンク堂で本を探していたら汗をかいてしまった。欲しい本が見つからず、結局「ミステリマガジン」5月号を買っただけ。
今日のシャーロックホームズでのおしゃべりは午後6時から11時まで延々5時間だった。よくおしゃべりのネタがつきないものだと我ながら感心。ノンストップだもんね。ミステリー、ネット、VFCのことから本町・堀江・新町かいわいのこと、雑貨、袋物、そして食べ物。それから仕事のこと。ありとあらゆることにああでもない、こうでもない、だから好き、だから嫌いとやっていた。
Sさんとはもう5年くらいのつきあいかな。会ったのは2年ぶりくらいかな。ネットではしょっちゅう会っているので、なんでも知り合ったどうしである。でも顔を突き合わせてしゃべる快感にまさるものなし。
飲んだのはギネスとバスペールエール、食べ物はカモネギ、フィッシュ&チップス、バンガードマッシュ、そしてコーヒー。
栃東は勝ったらしいので、これから大相撲幕内全取組をゆっくりと見る。明日千秋楽が楽しみだ。
2006.3.25
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寒天、ほとんど毎日食べてます
いつごろから食べ出したのか忘れたけれど、そろそろ1年近くなるんじゃないかな。まだ1日2食にしてないときだったように思う。テレビで見たのか、なにかで読んだのか、人にすすめられたのか忘れてしまった。なににいいんだっけね。
一時ブームになって品不足だった。そのときは見かけたら買っておいたので、まだ在庫がけっこうある。最近はどこでも見かけるようになった。高価なものでないところがよい。
子どものころは台所の片隅にいつも角寒天がある感じだった。ところが、わたしときたらそういうものを使ったお菓子など作ったことがないのだ。今更ながら説明書きを読んでこういうものかと納得した。糸寒天などは水につけておく。粉寒天はここからいっしょ。鍋に所定の水を入れて寒天を入れて煮る。あら熱をとってから容器に入れて冷やし固める。簡単やとばかりに毎日作って食べている。そのままでは味気ないので、キナコ、粉の黒砂糖、メープルシロップ、蜂蜜などを少々かける。または煮るときに、蜂蜜、トマトジュース、リンゴジュースなどを入れる。けっこうおいしい。一度に粉寒天だと2回分、糸寒天か角寒天なら4回分くらい作る。最近作り忘れることが多く、これはいかんと気を引き締めているところである。
2006.3.24
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〈冒険小説+ハーレクイン〉マーク・バーネル「素顔なき女豹」
さきにヘニング・マンケルのヴァランダー警部シリーズと、グレッグ・ルッカのボディーガードものアティカス・コディアックシリーズを教えてくれたYさんからの推薦図書である。おすすめ3冊のうち1冊を買った。タイトルがちょっとなあと思ったんだけどね。
厚いけどすぐに読めたということはおもしろかったんだ。だけど好みではないのは、読み出してすぐにわかった。社会主義国家が崩壊した後の混沌のロシア、そしてロシアマフィアを扱った小説はたくさんあるに違いない。わたしの好むところでないので読んだことはないが。
物語は映画「ニキータ」やそのリメイク版「アサシン」の女主人公がその任務をおりて、日常生活を取り戻して生活している場面と、同じところからはじまる。せっかく取り戻した普通の生活に過去からの呼び出しがかかるのだ。断りようのない誘いにのって暗殺者として再び仕事をはじめる。しっかり冒険小説ではじまるのだ。しかし、仕事に関連して出会ったロシア人実業家コマロフと愛し合う。それがかっこいい男で、やってることもかっこよすぎ。なんとまあすっかりハーレクインロマンスの香り。嫌いではないが甘過ぎ。最後にひねりがあったのでまあいいか。(ソニーマガジンズ ヴィレッジブックス 1250円+税)
2006.3.23
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デレク・ジャーマン「ザ・ガーデン」
10日ほど前なにか映画を見たいなとTSUTAYAの店内をめぐっていて見つけた。すぐに見る気にならず、1週間後の返却寸前に見ることになった。見たらやっぱりいまの気分には重すぎる映画だった。しんどかったけれども日にちが経つにつれてしみじみと考えさせられている。「エドワードII」(1991)、「ブルー」(1993)の前になる。死去したのは1994年。
本の「Derek Jarman's Garden」は大切に持っている。1987年頃、デレク・ジャーマンはイギリスのドーバー海峡沿いのダンジェネスという土地に移り住んだ。原子力発電所が近くにある荒涼としたところで、可憐な草花を育み、小さなオブジェを置き、虫と親しむ生活である。死を前にしたデレク・ジャーマンの生きることへの気持ちが伝わる本だ。庭仕事をする彼の表情がとても美しくて切ない。
その庭で1990年に撮られた映画で、ゲイのカップルが権力に虐待され、キリストと同じように十字架に晒されるさまが描かれている。デレク・ジャーマンにとっては、ゲイの青年たちはキリストと同じように殉教者なのだ。そのあいだに挟まれる映像が美しいのや滑稽なのや、さすがデレク・ジャーマンやなと思わせるが、わたしは全体の雰囲気にルイス・ブニュエルの「黄金時代」を思い出していた。チルダ・スウィントンの美しいこと!
2006.3.22
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静かにしていたい?
春はややこしい。花粉症はどうやら免れたものの、皮膚のかゆみはいっそうひどい。背中が掻き傷だらけで水着が着られない。痒いと気分を平静に保つのに努力がいる。日常の用事を意識して丁寧にしている。
こんなときに良いのが読み慣れた本を読むことだ。「セイヤーズ読書会 コミュニティ」を発足させたところだし、1冊の本をテーマにするべく、まず「死体をどうぞ」を読み出した。これも何度読んだかわからないくらい読んだ本だ。以前持っていたのは抄訳だったが、完訳があるいま思うに、かなりうまくまとめてあった。ロマンチックな面がちゃんと出ていた。
そこで引用
ハリエット「わたしはどんな状況も望んでないわ。静かにしていたいだけなの。」
ピーター卿「へえっ! けどあなたは静かにしていられる人じゃない。いつだって何かしら面倒を引き起こす。それなら対等な条件で闘って、楽しんだらどうだね?・・・僕も闘うのならうまいよ」
ハリエットとピーター卿のように規模がでかくないが、わたしも静かに暮らしたいのに、向こうから面倒がやってくる。もっとも面倒を起こす相手とつきあってきたということから考えると、“静かにしていられる人じゃない。いつだって何かしら面倒を引き起こす”人なのである。ほんま、なんにもしなければ面倒はこないし、静かに暮らせるはずだけど、なんて愚痴を言わずに、バカなことを言ったやつと闘うのを楽しもう(笑)。
2006.3.21
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手間ヒマかければおいしい
昨日は新聞に大阪フキの記事があった。初夏に出て当たり前のフキが、いまの時期に出回っているには陰に苦労があるという話だった。そうなのかと読み過ごしたが、スーパーへ行ったら入荷したてって感じのフキがあった。葉っぱもきれいそう。料理が面倒だなと思いつつ2束買った。去年は結局一度も食べなかった。今年は気持ちにゆとりがあるのかな。
最近は葉っぱをつけとくかレジで聞かれない。昔は聞かれて、いらないと言えば歯を切り落としてくれた。わたしが葉っぱいるよと返事したら、レジの女性がこれもと言って、切り落としてあったのを10束分くらいくれたことがある。大鍋で炊いたがたいへんやった。友人に分けてあげたら、これでメシが一杯食えると喜ばれた。
開いたら大きくてきれいな葉っぱである。まず葉を茹でて水にさらしてから、チリメンジャコとしっかり炊いた。そのかたわら茎の方を茹でて皮をむいて薄い出汁で炊いた。どちらも春の香りがしておいしかった。茎のほうは昨日と今日と2回食べて、葉っぱのほうは、明日の分もまだ残してある。熱々のご飯にのせて食べると最高。
2006.3.20
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久しぶりの歯科医院
一昨日の夜寝る前に歯を磨いていたら、ポロリと虫歯の詰め物と歯のかけらが落ちた。あちこち具合の悪いところがあって、歯医者に行かねばと思っていたのを1日伸ばしにしていたのだが、いよいよ行かねばとあいなった。
考えたら阪神大震災からこっちは歯医者に行ってないので、10年以上行ってないことになる。近所に評判の良い歯医者さんがあって、行くならここと思っていた。土曜日行ってみたら、痛くなかったら予約をということで、今日うまく空いてる時間があった。
今日診てもらったところでは、わたしの歯はとてもいいらしい。生まれてはじめて歯医者に行ったとき「あんた歯性が悪いねぇ」と言われた。2人の姉の歯が悪かったこともあって、恐怖心から毎食後に歯を磨くようになった。最初の虫歯治療以来、数回しか歯医者に行ってないし、最後に行ったところで「歯石をとってください」と言ったら「とるほどついてないよ」と言われた。
今日は問診票を見ながら応答があり、レントゲンを撮ってもらい、詰め物がとれた歯に一応の処置をし、歯の磨き過ぎで歯茎が傷んでいるところの処置もしてもらった。小さい虫歯もあるのでぼちぼち治してもらうことになった。加齢で歯茎が衰えてもいるらしい。
「親知らずを抜いたのはいつですか」と聞かれて、「阪神が優勝した年だから、21年前」と言って大笑いされた。
2006.3.19
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セイヤーズ読書会
「セイヤーズ読書会」は実際に集まる読書会でないのが残念だけど、とりあえずミクシィにコミュニティをつくってみました。さっきアップしたので会員はまだわたし一人です。
実は「セイヤーズ(DL)」というコミュニティがあって、わたしも参加しているのですが、そこは作品についてあまり話せない雰囲気なのです。そこで、どうしてもセイヤーズの作品について語り合いたいという気持ちが強くなり、「セイヤーズ読書会」を立ち上げてみたというわけです。同じ気持ちの人がいたらうれしいんですけどね。セイヤーズファンのかたがおられましたらご連絡ください。なんと言っても、わたしはサラ・パレツキーとドロシー・L・セイヤーズの2本立て人間なのです。
さて、本家本元の「サラ・パレツキーコミュニティ」のほうはぼちぼち集まってきていますが、読書家がまだミクシィに入っておられないのか、ほんとにぼちぼちです。最近「4Fってなんですか」と聞かれて驚きましたが、10年前には、いまをときめいていた4Fが通らない世の中になっているんですね(知らない人はメールください、お教えします)。ヴィク・ファン・クラブもミクシィのコミュニティも頑張らなくては。どない頑張ったらええんかはわからへんのですが(笑)。
2006.3.18
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iTunes Music Storeでお買い物
このあいだアップルストアへ行ったとき、2500円のiTunes Music Card(いちばん安い)を買ってみた。そのとき欲しかった1曲を相方が買ったままだったが、今度はミュージックビデオを買ってみようということになった。ボブ・マーレーを1曲、U2を2曲買った。あれかこれかと駄菓子屋感覚でおもしろい。最初のときはカード番号を入力したり手間がかかったが、一度買うと次はラクだ。iTunesを立ち上げてMusic Storeを開くと、右上にカードの残額が表示される。あと100円残ったらどうなるのかしら、なんて疑問もそのときになったらうまく解決されるのであろう。
座ったまま買ってすぐさま聴けるというのは素晴らしい。U2はレーザーディスクとビデオでけっこう持っているけど、改まって見ることもなくなっている。これくらいでちょうど良い。ボノはやっぱりカッコいい。
音楽は聴いたり見たりできたらいいのだから、物を持たずにすむのがいいと思う。でもやっぱりCDやDVDを持っているという喜びもあるので、決め付けてしまうのもおかしいか。当分は1曲買いを楽しもう。ちょっとした贈り物にしてもいいかも。
2006.3.17
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セイヤーズの短編が入った「伯母殺人事件」
ドロシー・L・セイヤーズを検索していて見つかったのでびっくりした。嶋中文庫という聞き慣れない文庫である。あわててアマゾンで探して注文した。表紙はセイヤーズの見慣れた顔写真を元にしたイラストだ。「伯母殺人事件」というのはリチャード・ハルの長編小説である。セイヤーズは「疑惑」「アリババの呪文」の2短編で量からいくと1/4ないくらいだ。グレート・ミステリーズというシリーズで第1期10巻発売中とある。
「疑惑」は郊外に住んでいる中年男が体調がすぐれず、調べると食べ物に砒素が入っていたのがわかる。ブラックユーモアに満ちた巧みな短編。
「アリババの呪文」はピーター卿が、猛獣狩りで不慮の死を遂げたというところからはじまる。社交界の花形で享年37歳だからまだハリエットと出会っていない。そこまで用意周到に死んだことにして捉えたい犯人がいるわけだ。聞いたようなタイトルだと気になって、読みだして気がついた。これともう一つ短編が入っている本をわたしは持っている。戦後すぐに出た本だ。もう一つはピーター卿とハリエットの間に子どもが産まれる夜の話だった。どこかにあるはずだ、探してみよう。「伯母殺人事件」はこれから読む。おもしろかったら儲けもの。(嶋中文庫 762円+税)
2006.3.16
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浪速の春、大相撲春場所
浪速の春は大相撲春場所からはじまる。先週は梅田でのんびりと歩いているお相撲さんを8人も見かけた。春が来たのだなぁと感じた。
場所がはじまると毎日忙しい。5時半頃にテレビをつける。見損なったら夜中の「大相撲幕内全取組」を見る。いまもそれを見たところだ。
栃東は2日目に安美錦に破れて、今日で3勝1敗である。1回負けて気が楽になったと言っていると、さっきアナウンサーが言っていた。気を楽にしてあとはずっと勝ってほしいなぁ。
今日はK-1もあったし、格闘技で忙しいこっちゃった。8時から2時間も真剣に見てしまった。“トリックスター”須藤元気くんが苦戦の末に勝ち、“フリーター”所秀男くんがあっという間に勝って満足だった。
2006.3.15
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3人のコラージュのようなアトリエ
10日から細野ビル2階でやっている催しがおもしろいらしい。3人の女性(ceramistのmasayoさん、floristのmiyaさん、photographerのizumiさん)の作品展というのでなくて、いろんなものを持ち寄っているのがおもしろいのだと、昨日行った相方が言う。
告知から引用させてもらうと
ビルの一部屋に3人それぞれのアトリエのカケラを持ち寄りました。
3人のコラージュのようなアトリエ。
どんな空気が流れているのでしょうか。
ということである。
細野ビルのレトロな空間に花屋と雑貨屋と写真屋があってなぁと説明がややこしい。コンロでお茶を沸かしてハーブティを飲ませてくれて、人によっては3時間も4時間も座っているんやって。棚や台などすべて自分らで作ったりしたのを持ち込んだという。エレベーターがないからすごい労働だったろう。
それで行ってみると、まったく百聞は一見にしかず。
部屋に入るとすぐに花屋さんがある。花は花屋のような作り付けの棚にたくさんあり、コサージュも華やかにあり、リボンや包み紙やハサミや、ようするに花屋さんが一つの角にある。フラワーアレンジメントをmiyaさんが教えたり、お花を買っていく人もいる。
奥の角には陶器を置いた棚があって、その前の机では陶器創りを教えている。masayoさんの陶器は慎ましいのに華やかである。桜色の湯のみ、薄紅色の椀がとても気に入った。気に入った器を持った写真を撮ってくれるというので、薄紅色のを持ってポーズしたらmasayoさんとphotographerのizumiさんもカメラを向けてくれた。あんまりのアップでシミやシワが〜〜
こちら側にはizumiさんの写真が棚や机に置いてある。マックが置いてあって、昨日ここへ来た人たちの写真をスライドショーにして見られるようになっている。
昨日ズッケロの話をしたと聞いたので、ズッケロで買ったちっちゃな黒猫をバッグにしのばせて持って行ったら大人気だった。いろんなところに置いて写真を撮ってもらって、人形の身ながらすごい晴れがましかったんじゃないかな。ポラロイドで撮ったのを1枚もらった。プロの写真はひと味違う。(19日まで)
帰りにビル事務所に寄って細野さんと1時間ばかりおしゃべり。このビルを気に入って個展などやるからには、普通の画廊のように絵を並べて見てもらうというより、今日みたいなのがいいねと言い合った。
熱血漢の細野さんは、わたしが帰るときいっしょに出てきてビルを目で愛でた。外から眺めた展示のある部屋を、一つの作品のように思っているみたいだ。こうして今日の午後は優雅に暮れていった。
2006.3.14
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いまごろDVD借りて「ブリジット・ジョーンズの日記」
ずっと前、NHKで深夜放映されたテレビドラマ「高慢と偏見」のコリン・ファースがカッコいいと盛り上がっていたころ、ヘレン・フィールディングの原作を若い友人が貸してくれた。作品中にコリン・ファースが出てきたのだが、わたしは全然おもしろさを理解できずに途中まで読んで返してしまった。
だから映画も見る気がなかったのだが、この映画でコリン・ファースファンになった人もいると知って、昨日道頓堀のTSUTAYAで借りてきた。実はなにか借りようと思っていったのだが、大量のDVDとビデオを前にして借りる映画が見当たらない。真面目なのも大作も笑えるのも見る気が起こらない。ようやくデレク・ジャーマンの「ガーデン」とこれを借りた。
さっき見たのだが、いやまあ実におもしろかった。これだけ笑えればええわ。
「高慢と偏見」が物語の下敷きになっている。はっきりとコリン・ファースの役はマーク・ダーシーという高慢な弁護士だ。もちろん偏見に満ちたヒロインがレニー・ゼルウィガーで、いい感じの女優さんである。恋敵がヒュ−・グラントで楽しんでやっている。ちょっとドタバタが過ぎる感じではあるが、ここまでやったほうが勧善懲悪みたいなラブストーリーでイヤミになるとこころだ。
コリン・ファースはイギリスではとても人気があるらしいけど、日本では未公開の映画が多かった。「アナザー・カントリー」からのファンであるわたしとしては、いま脚光を浴びているのはうれしいような、ちょっと淋しいような気持ちである。
2006.3.13
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「語り継ぐ、空襲―昭和20年3月、東京・大阪が火の海になった日―」
今年もまた大阪西区にあったわが家が、空襲で焼かれた日が近づいてきた。1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけ、B29の攻撃を受けて家は焼け落ち、わたしの家族は命からがら逃げた。それからもう61年経つ。
その空襲で助かった上の兄から、朝日新聞社主催の大空襲の講演会に2人分申し込んだから行こうと誘いがあった。わざわざ申し込んでまで出かける気はなかったけど、券があるなら興味はなくもない。場所はまだ行ったことのない森ノ宮の「ピースおおさか(大阪国際平和センター)」である。ぞくぞくと会場に入っていくのは、ほとんどが戦争の体験者と見受けられた。
東京大空襲については早乙女勝元さん、大阪大空襲については小山仁示さんの話があり、休憩をはさんでお二人の対談と聴衆からの発言があった。
東京には空襲被害に関しての公的機関がないそうで、早乙女さんが館長を務めている「東京大空襲・戦災資料センター」は募金で活動を開始した民間のものである。お話はそこで製作されたビデオを中にはさんで行われた。ビデオの中心は今井正監督の最後の映画「戦争と青春」(1991)の空襲シーンである。原作が早乙女さんで、工藤夕貴が主演。東京大空襲のありさまがすごい迫力で再現されているものだ。
大阪もビデオが中心で、占領軍が空襲の1年後に撮った記録フィルムである。大阪の中心部が焼け跡になっている風景がずーっと映し出されていく。御堂筋のガスビルは目立たないように黒く塗ってあり空襲から逃れている。ここの地下室にわたしの姉は逃げこんで命拾いしたのだ。
お二人の対談の合間に「大阪大空襲を語る会」代表の女性が話された。当時15歳で、土佐堀川と堂島川に沢山の遺体を見たそうだ。満潮時には中之島のあたりまで見えたそうだ。また木津川には色とりどりの着物が浮かんでいたのだが、よく見ると松島遊郭の遊女の遺体だったそうだ。また、話すと後が疲れてと言いながら、目の前で両親が焼夷弾を受けて死亡し、自分も障害を負った女性は、語り継がねばという思いにかられて語り出したという。
そういう言葉を受けて、早乙女さんと小山さんは去年くらいから運動が盛り上がってきたことを受け、「語るしかテがない」「追体験をなしうるか」「経験者は語る義務があり、知らない者は語られることを聞く義務がある」等、説得力のあるお話をされた。
小山さんは旧知の人である。数年前に東住吉区で行われた疑似原爆の講演会に行って、何十年ぶりの挨拶をした。今日は少し足腰が弱っているような印象を受けたが、言葉は明晰だしユーモアがあったし説得力があった。つまらないことを言った人を小言幸兵衛さんみたいにたしなめたのには笑った。いつまでも元気で頑張ってほしいです。
その後は梅田へ出て阪神百貨店で買い物。相方とシャーロックホームズで待ち合わせ、ギネスを飲んで晩ご飯を食べ、難波へ出てツタヤでビデオを借りて帰った。わたしとしては長い外出だったので疲れた。
2006.3.12
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パトリック・ニート「シティ・オブ・タイニー・ライツ」
パトリック・ニートってはじめての名前だけど「英国の新鋭が紡ぎあげる探偵小説のニュー・ボイス」と帯にあるし、もしかして「酔いどれに悪人なし」のケン・ブルーウンみたいだったらたいへんと思い、ハードカバーだけど買うことにした。アジア系の探偵というところにも惹かれるものがあった。
ロンドンの裏町で事務所を開いている私立探偵トミー・アクタルのところに依頼人がやってくるという古典的な出だしである。
父親ファルザドは元医師であり画家として成功しかけたこともあるが、いまは酒浸りの生活だ。インド人の母ミーナは亡くなり、性格の合わない弟が同じ建物でタクシー業を営んでいる。一家はアフリカのウガンダに住んでいたが、アミン大統領がウガンダ国籍を持たないインド系アジア住民を、国外追放したためイギリスへやってきた。
トミーはソ連侵攻後のアフガニスタンへ行き、聖戦士軍に入って戦い、ソ連軍の撤退と同じ頃にイギリスへ帰ったという経歴の持ち主である。
そいう屈折した経歴やタクシー会社の運転手や、近所の少年の一癖も二癖もある登場人物はおもしろい。依頼人の娼婦エキゾティックメロディやその連れのセクシーロシアンもおもしろいのだが、言葉だけがおもしろいように思った。
同じように酒とタバコをは離さず、狂気の沙汰をやっても、ケン・ブルーウンの描く探偵ジャック・テイラーとは違う。心底から狂ってないっていうか。ストイックなボディーガードのアティカス・コディアックシリーズのほうが新しいと思う。
2006.3.11
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ズッケロの黒猫
トップにある写真すごーく可愛いでしょ。堀江の雑貨店ズッケロで買いました。同じような猫が何匹かいましたが、手作りなのでまったく同じでありません。微妙に違いがあり選ぶのに困りました。いままで猫の人形は何十個と手に入れましたが、今回のがいちばんのお気に入りとなりました。見た目よく手触りよく申し分ありません。わたしのマックミニの上でひょうきんな顔して、しっぽを立ててふんばっています。
去年はじめてズッケロに行って以来欲しかったんですよね。今回は友人の子どもに、握りやすい猫のぬいぐるみ風人形を買ったのですが、いっしょにこれもって買ってしまいました。懐不如意につきあまり無駄遣いはできないのですが、なんとかなるやろって。そんなに高価なものではございませんけどね。
「フィガロジャポン(Figaro Japon)」4月号の大阪特集に載っているのを、今日美容院シュリットで見つけました。オトコマエの経営者の写真の下にこの猫の仲間が立ってます。
2006.3.10
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おしゃべりは百薬の長
昼ご飯を食べていたらVFC会員のS・Yさんから電話があり、中央図書館で調べものをしているので、それがすんだころに会えるかしらと言う。今日はヒマだからオーケーよと、3時に会って堀江方面に歩いた。彼女と会うのは去年の夏以来だ。顔を見るなりしゃべりだす。大手の外資系企業で働いていたが、去年の春に退職し1年間充電して4月から大学の先生になるという。こういう人となんで友だちなのかと言われそうだが、10数年前に会ってからなんとなく気が合って、いつも昨日の続きみたいにしゃべっている。
チャルカで久しぶりのケーキを食べて3時間ほど延々とおしゃべりし、お互いにストレス解消できて機嫌良く別れた。
チャルカは先日朝日新聞に東欧雑貨の記事が写真入りで出ていたし、その前は「Lマガジン」の表紙と記事になったしで、雑貨店の最前線みたいな感じになっている。今日は乙女柄と花柄のレターセット、桃柄のメモ用紙、細かい花模様の薄紙を買った。この間から来ようと思っていたところだったのでちょうどよかった。
2006.3.9
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水菜のサラダ
今年になってからか去年も食べたか覚えはないのだけれど、今年はよく水菜のサラダを食べた。毎日のご飯には必ず生野菜を食べるので、寒い時期にすごく役立った。いまはサラダ用水菜として売っているけど、最初はどうだったんだろう。わたしはいつも通りに薄揚げと炊いて食べようと買ってきたのが、繊細な葉っぱだったので、これは生で食べようと思ったのだった。それ以来サラダにしてよく食べている。水菜とたまねぎとマッシュルームの薄切りにプチトマトを混ぜたサラダがうまい。
それまで水菜といえば揚げさんと炊くだけだった。ずっと昔はクジラの赤身と炊いていた。子どものとき、猫の額ほどの庭の片隅で育てていた水菜を思い出すとおかしくなる。人間の頭くらいの株だった。それで母親はパーマをかけてばーっと広がった頭を見ると“水菜みたいな頭をして”と評したものだ。そのでっかい水菜はばりばりしていていっこもうまくなかった。お腹が空いていたから食べたけど。
繊細な水菜が入ったおしゃれなサラダを食べながら、毎日のように食べさせられた、しつこく炊いた歯ごたえのあるクジラと水菜を思い出す。クジラを食べることはもうないだろう。
2006.3.8
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何度も読んだり見たりする快楽
「高慢と偏見」を何度も読んでいる話をミクシィ日記に書いたら、“本を何度も読む”ことがわからない人からの、冷やかしコメントが入ったのでおどろいた。気に入った本を何度も読むって当たり前のこっちゃろというのが、わたしの気持ちである。30回読んだ本、20回、10回、3回、読んだ本がある。プルーストの「失われた時を求めて」は2回読んで3回目は挫折中(インテリっぽいのも言っておかないと―笑)。
「忠臣蔵」なんか子どものときから本で読み、歌舞伎で見て、テレビで見て、講談を聞いて、「赤垣源蔵徳利の別れ」なぞ一席できるくらいだ。尊敬されなくてもいいが、冷やかされる筋合いない。
さっきサンテレビで「剣客商売」の再放送をやっていた。渡部篤郎が秋山大治郎になっているやつ。これが放映されたころは、わたしは「鬼平犯科帳」は好きだったが、こちらはどうもって思っていて見たことがなかった。渡部さんもどんな俳優か知らなかった。ところが渡部ファンになり、「剣客商売」ファンになりで見たくてたまらなかったのが、偶然テレビ番組を見たらいまから始まるところだった。渡部篤郎の大治郎はとってもよかったです。毎週やるのだろうか。来週火曜日忘れないようにしよう。今日はこんなことで幸せになった。
2006.3.7
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鳩居堂の絵はがきを買いに
夕方雨が小降りになったので梅田まで買い物に行った。鳩居堂の絵はがきが紀伊国屋で売っていると小耳にはさんだので、居ても立ってもいられぬ(笑)。呑気な話である。
ほんまに紀伊国屋へ行くと文具売り場にたくさんの種類があった。全部2枚ずつ合計30枚だが、1枚63円だったから、わたしの小遣いでも買えたってわけ。春の便りを出すのが楽しみ。
あとは「ミステリマガジン」4月号を買った。今月は特集が「英国ミステリの現在」で,イアン・ランキンの短編小説があるので楽しみだ。
梅田へ行くとソニープラザ、成城石井、イカリスーパーと行く場所が決まっているが、たいしたものは買わず、阪神百貨店地下でパンや魚やお茶を買って帰った。そうそう、紀伊国屋から阪急に入る前の角にあったナショナルトラストの店がなくなっていた。よくレターセットを買ってたのに。
西梅田の地下鉄乗り場の本屋にDVD「痴人の愛」が500円だったので買った。ずっとベティ・デイヴィスの悪女ものを見たかったのだが、なかなかレーザーディスクやビデオでなかった。こうして古い映画がDVDが出るので助かる。
いま「ミステリマガジン」をめくっていたら、「新刊評・文芸とミステリのはざまで」で、風間賢二さんが「ジェイン・オースティンの読書会」を取り上げている。著者のファウラーはSFの分野でよく知られている人なんだって。そして最初に書いてあるんだけど、今世紀に入ってから、欧米の女性のあいだでジェイン・オースティンがブームなんだそうだ。最後には本書を読むとオースティンの作品に挑戦したくなると書いてある。
2006.3.6
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真面目でなきゃ
「ジェイン・オースティンの読書会」を読んだら、映画「めぐりあう時間たち」(2002)を思い出した。ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」をテーマに3人の女性の生き方を描いた映画である。残念ながらマイケル・カニンガムの原作をまだ読んでいないので、こちらは映画の印象からの話になる。
ジェイン・オースティンとヴァージニア・ウルフの作品を読んだ女性たちにとって、生きること、生活していくことは、とても真面目に考えるべき問題となる。少なくとも「ジェイン・オースティンの読書会」で読書した5人の女性、「めぐりあう時間たち」に描かれた3人の女性は真面目である。ついでに、サラ・パレツキーの作品の中の女性たちは真面目に生きている。作品を読んで共感すれば真面目でなくては生きていけないはずだ。
登場する女性たちは若くはない。ずっと独身だったり、子どもがいたり、夫との確執を抱えたりして悩む人たちである。そして人生について深く考えている。普通に暮らしながら真面目にさまざまなことを考え行動する。
ひるがえって、わたしの周りにいた人たちのことを考えると、青春時代というものがあって、勇ましいことを言っていた人が大人になって去って行った。文学を真面目に読んでいたらできないことだと、わたしは思うんだけどね。
大人になっても文学を読む、読書会をする。読書会は先生をお呼びしてお話を聞くのでなくて、自分たちで語り合うってこと。わたしはなんと言われようと真面目でいく。
2006.3.5
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カレン・ジョイ・ファウラー「ジェイン・オースティンの読書会」
1カ月ほど前、堺筋本町の紀伊国屋で翻訳書のところに平積みしてあったのを見たのが最初だった。その日はわたしにしてはミステリーをたくさん買ったので、この次ということにした。ところがその後他の本屋で探したが見つからない。ネット注文したらよかろうに、なぜか本屋にこだわっていた。ようやく先週の土曜日、ジュンク堂のアメリカ文学の一番下の棚にあるのを見つけた。その日から読み出して今日で1週間。読んでよかった。
プロローグ1行目、【私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンをもっている。】。
そして、登場人物のオースティン像が語られる。読書会を言い出したのはジョスリン。彼女は縁結びが得意で、でも自分は独身でケンネルを経営している。バーナデットは最年長の67歳、老化のきざしが見えてきたいま鏡を見ないことにすると宣言。彼女のオースティンは喜劇の天才だ。シルヴィアはジョスリンと11歳で知り合っていまは50歳をまわっている。32年連れ添った夫のダニエルに去られて苦しい時期である。シルヴィアのオースティンは娘であり、妹であり、叔母だった。
アレグラは30歳、シルヴィアの娘でレズビアンであることを公言している。アレグラのオースティンは、経済的窮状が女性の性生活にどのような影響を与えるかをテーマに小説に書いた。ブルーディーはいちばん若くて27歳、ハイスクールでフランス語を教えている。シルヴィアが離婚すると、彼女だけが既婚者である。いちばん好きなのは「説得」でオースティンが最後に書き上げた、もっとも生真面目な作品だ。
読書会に男性はいらないとみんなは言ったが、ジョスリンはグレッグを入れる。彼は濃い長い睫毛の持ち主である。だれも彼が既婚者であるかグリッグのオースティンがどんな人かを知らない。
この後が読書会の記録となる。会話の合間に、それぞれのいままでの人生が語られ、いまの生活があり、友情や恋が生まれる。思いもよらぬ組み合わせがあり、驚きの出会いもあり、再会もあり。気持ちのよい幕引きはまるでジェイン・オースティンの作品のようだ。
あとがきによると、【ファウラーはこの作品を書くにあたって、(1)オースティンを読んだことがない人、(2)昔読んだだけの人、(3)毎年読み返す人、の三種類の読者を想定し、すべてを満足させられるように工夫をこらしたという。】
わたしは「高慢と偏見」だけに限るけど(3)にあたる。まさにジェイン・オースティンを読んで幸福になっていたように、本書を読んで幸福になった。(白水社 2400円+税)
2006.3.4
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インテルマックがやってきた
今日の午後やってまいりました。箱を開ける前に撮影、それからおもむろに取り出しました。置く場所は古い(大福)マックと入れ替えです。相方が設置している間に、わたしはキーボードのお掃除をしました。いつも掃除しているようでも汚れているものです。表面よりもキーの間にホコリが溜まっています。綿棒、爪楊枝、縫い針を使って追い出しました。髪の毛が入っていたのにはびっくり。1センチくらいのやけどなんでこんなもんが入ってるねん。3台分掃除してほっとひといき。
晩ご飯はちょっとお祝いしようと買い物に行ったら、途中で突然ヒョウが降ってきました。魚がうまい遠いスーパーまで行ったので、濡れて帰るわけにいかずビニール傘を買いました。黄色の細かいチェックが気に入ったので、当分これを持ち歩くでしょう。
魚は北海道産のカジカがあったので鍋にしました。カジカは北海道では味噌汁にするそうです。で、鍋のあとは味噌味の雑炊にしました。うまかったです。今度は温かいご飯に野菜をたっぷりのカジカ味噌汁にしてみよう。
相方はいままで17インチ大福型マックを2台並べて仕事していたのが、1台が20インチになってさらに仕事場らしくなりました。わたしはミニマック+20インチシネマディスプレイを使っています。
2006.3.3
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読書会をしたい
カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」がおもしろい。最初のうちはかなり面倒くさいところがあった。ミステリーならこうもぐだぐだと女の愚痴が続かないぞと思ったりした。読んでいるうちにだんだん、その愚痴と思えたものが作品の必然だったとわかってきた。がぜんおもしろくなって読んでいる。もう少しで終わるのが惜しい。
それにつけても、アメリカの住宅環境がうらやましい。女性5人と男性1人がそれぞれの家に持ち回りで集まって、ジェイン・オースティンの全作品6作について話し合う。うちなんか集まって語り合う場所がないもんなぁ。いやいや昔はこの部屋によく集まって話したものだ。雑魚寝で10人泊まらせたこともあるけど。いまやこの部屋はパソコンだらけだもんなぁ。
アメリカではすごい数の読書会があるらしい。VFCの例会も読書会っぽい時代があった。サラ・パレツキーとヴィクについて、はじめて同好の女性と語りあえる幸せで盛り上がったものだ。最近は雑談に終始してしまっている。初心を取り戻したいなぁ。
とりあえずは、もうひと頑張りして、ミクシィの〈サラ・パレツキーコミュニティ〉で語り合うことにするか。
2006.3.2
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雨の御堂筋をアップルストア心斎橋へ
我が社(笑)では5台のパソコンが現役で働いていて、そのうち3台はマックで2台はウィンドウズ機である。わたしが使っているのは去年買ったマックミニ+20インチシネマディスプレイで、唯一の20インチモニターなのだ。
20インチの使いやすさを体験して、次はタワー型で20インチを買うんやと言い続けていた相方が、インテルマックの発売以来悩みに悩んでこっちを買うと決めた。そう決まったらすぐに欲しいのはいつものこと、お金をどうにか工面して注文したら、ずいぶん待たされ、ようやく入荷したと連絡があった。
というわけで、夜になってから雨の御堂筋を歩いてアップルストア心斎橋へ行った。今回は持って帰るのはやめて配達を頼んだので、明日発送で明後日到着の予定である。11台目のマックがインテルマックになる。
アップルストアには雨降りにもかかわらず、けっこうな人がいた。今朝早朝の新製品の発表を待っていた人たちが会社帰りに寄ったのかな。わたしの目の前でiPod Hi-Fiを買って行った人が2人いたぞ。
これだけの買い物をすると、帰りは本屋に寄る気もカフェや居酒屋へ寄る気も起こらず、堀江のバーの前も素通りして帰った。
2006.3.1
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