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kumikoのほとんど毎日ページ
2004年1

 


テレックスというものがあった─テレビの映画「未来は今」


ティム・ロビンスとポール・ニューマンという顔ぶれなので深夜映画をビデオに録っておいた。だれの映画か知らないで見たのだけれど、コーエン兄弟の映画だったんですね。いやらしくおもしろかったはずだ。ティム・ロビンスは「さよならゲーム」でおつむの弱いピッチャー役で出ていたときは、いまのようになるなんて思いもよらなかった。この「未来は今」(1994)でも、同じような感じで出ている。その間に出ている6本の映画を見ていないのでわからないが、最近のように渋くなったのはいつごろかしらと思ったら、同じ1994年に「ショーシャンクの空」があるのだ。これはすぐに見に行ってビデオでもテレビでも見たが、渋い上にすごい演技だったよね。
さて、この映画ではティム・ロビンスが社長室にいると、続々と細い紙に印字されたものが流れ出てくる。あれはテレックスやんか、と昔を思い出した。ファックスが普及する前のこと、30数年前の半年ほどだけど、わたしが最後に働いた会社にあった(それ以来自営業で今日に至る)。そのときテレックスをはじめて見たもので、取り扱いがこわかったものだ。いちばんの得意先の専用で、注文が細い紙に印字されて出てくるようになっていた。注文は少量を小刻みで、こちら側はすぐに倉庫から出して指定された工場へ納品していたようだ。看板方式みたいなもんだったのね。
ソロバンから電卓へそしてコンピュータへ。テレックスが新しかった時代があったのに、すぐにファックスからメールへと進んでいく。めまぐるしい時代を生きてきたのだなぁ。

2004.1.31


枸杞(クコ)酒がたのしみ


年末に中国旅行をした東京の友人から上海土産の乾燥したクコの実をもらった。袋にぎっしりとつまっている。こんなにたくさん、どうしようと思ってネットで調べたら、目によいので毎日数粒ずつ食べたらいいとのこと。まずくもうまくもないと言いながら、それから毎日食べていたが、送ってくれた本人から電話があって、枸杞(クコ)酒にしたらよいと言う。以前にもつくったことがあるそうで、砂糖やハチミツなど入れなくても、果実酒用の焼酎につけておくだけでいいそうだ。きれいな赤い色で食前酒に良いという。
聞き流していたわけではないが、バタバタしていたのでまだやってなかった。彼女が春に大阪へ行くからね、と言っていたのを思い出して、ヤバイヤバイとあわてて今日焼酎を買ってきた。半分を瓶に入れて焼酎を入れると数時間で淡いピンク色になってきた。これは楽しみ。残りは毎日数粒ずつ食べることにして、これも硝子瓶に入れてある。赤い色がとてもきれい。

2004.1.30


山本やよいさん訳 ピーター・ラヴゼイ「最後の声」


ピーター・ラヴゼイのピーター・ダイヤモンド警視シリーズ最新作である。本の帯に「最悪の事件。警視の愛妻ステフ、殺害さる。」と大きな文字で書かれているのにびっくりして、訳者あとがきを開いた。山本さんも翻訳にとりかかる前に、カバーの内容紹介を初めて読んで思わず自分の目を疑ったと書いておられる。われらがダイヤモンド警視は愛妻ステフがいるからこそ、いままで逆境でもやってこられたのに、なんとしたことなんだと、だれにともなくふつふつと怒りがわいてきた。
ページをめくると裁判所でダイヤモンドが検挙した男が有罪判決を受けるところである。ダイヤモンドが裁判所を出ると、待っていた犯人の“女”に顔をひっかかれてしまう。家に帰ってステフに消毒してもらい、その事件について話し、その夜は仲良くベッドに入る。翌日いつもどおり仕事に行き、転勤をすすめる上司とやりあい、昼休みを過ぎたころ、ヴィクトリア公園で銃で殺された女性の死体が見つかったと連絡が入る。ダイヤモンドが行って覆いをとると、その殺された女性は妻のステフだった。捜査本部が設置され、他地域から責任者が任命される。
そんな理不尽な不条理なことがあるかとダイヤモンドも読者も思うが、話はどんどん進んでいき、ダイヤモンド自身が容疑者という事態になる。もちろんダイヤモンドは独自に動き、最後に事件を解決する。
昔彼の部下だったジュリーは他地域にいるが電話で話すことで援助するし、ステフの葬儀に関しても実際的な助言でダイヤモンドを助ける。バース寺院での葬儀はステフがどんなに周りの人たちに愛されていたかを教えてくれる。自身には子どもがいなかったが、たくさんの人たちをボランティアで支えていたこともわかる。なのになんで殺されてしまったのだ?
殺人は冷然と行われたものだった。だれであっても、いくら本人が無垢であっても、犯罪の犠牲になってしまう恐怖がひしひしと伝わってきた。(早川書房 1900円+税)

2004.1.29


恋のドラマ「マンハッタンの哀愁」


エッセイページに昔書いた映画についての文章を載せているのだけれど、そのタイトルが「恋のドラマに酔いしれる」。こういうのを恥ずかしげもなくというのかも(笑)。
「マンハッタンの哀愁」は1965年製作のフランス映画でマルセル・カルネ監督。当時もそんなに評判にならなかったし、批評家たちは駄作と言っていた。それを見に行って2回続けて見て、何日か後にまた見に行って2回続けて見た。わたしにとっては、素晴らしい恋の映画だった。わたしがもう一度見たいと騒いでいたのを覚えていた知り合いが、数年前にBS放送でやったのをビデオに録ってくれたときはうれしかった。
モーリス・ロネはフランスの映画俳優だが、妻に去られてアメリカに来たものの、ハリウッドで失敗し、ニューヨークでテレビドラマの仕事をしようとしている。アニー・ジラルドは元伯爵夫人だが、ジゴロと駆け落ちして、いまはニューヨークでうらぶれている。深夜のバーで二人は出会い、離れられなくなるというストーリー。
このビデオをもらったときは、一生大切に持っていようと思っていたのだが、今日は冷静に見てしまい「もう見いへんなぁ、ほかそかなぁ」とつぶやいてしまった。さて、どないしょ。
それと40年近く前に見たときは音楽に気がついていなかったんじゃないかしら。ビデオのときは気がついたと思うんだけど忘れていた。何度も繰り返されるテーマ曲がマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」なのね。わたしが「レフト・アローン」のLPレコードを買ったのは、1970年代だったかしら。何度でも聴いた曲のナンバー20くらいではなかろうか。あんまり流行ったのでいつの間にか聴かなくなってしまったが。それが40年近く前の恋のドラマに流れていたなんておどろきだ。マル・ウォルドロンはずっとパリで暮らしたジャズミュージシャンで数年前に亡くなった。

2004.1.28


白ワインだから魚料理を


ワインをいただいた。ご近所の小さなフレンチレストランのハウスワインということである。白と赤があるが、先だってやっぱり頂き物のオーストラリアワインの赤を飲んだところだったので、白を先に飲むことにした。
さぁ、料理はなんにしょう。そうそう「丸元淑生のシンプル料理 2」に魚を洋風に食べるのがあったっけ。「魚とたくさんの野菜のとびきり美味しい料理」という章を広げて、魚と野菜のシチューをつくることに決めた。
白身魚(イサギ、シロメダイ、イボダイ、スズキなど)と書かれているので、イボダイと同じように見えるウオゼを2匹買った。まず3枚におろして塩をしておく。別に鍋に湯を沸かし、アタマとアラを煮出してアクをすくい取り、スープストックをつくっておく。
野菜は、トマト1個、マッシュルーム1パック、赤と黄のピーマン1個ずつ、ズッキーニ2本、リーキ(白ネギでも可)2本、ミニトマト1パック。その他にはニンニク、レモン汁、塩コショウ。アメリカ村の八百吉という八百屋には、近所のイタメシ屋さんらが買いにくるらしく、洋野菜がなんでも揃っている。リーキもあった。
作り方は:鍋にオリーブオイルをひいてニンニクをつぶして入れる。火が通るまでの間にマッシュルームを細かく刻む。マッシュルームを入れて塩をふり、赤・黄のピーマンを8ミリくらいの縦切りして入れる。次にトマトをつぶして入れる。ズッキーニを8ミリ幅に切って塩をふっておく。このへんで別の鍋を弱火にかけておき、オリーブオイルをひいて魚を入れてフタをする。野菜の鍋にズッキーニ(出た水分は捨てる)を入れ、リーキをタテに4つに切ってのせ、魚のスープストックを加える(ネギがストックにひたるくらい)。魚に火が通ったらレモン汁をかけ、野菜の鍋に汁とともに移す。最後にミニトマトを入れて1分間の加熱で出来上がり。火加減はずっと弱火。
出来上がりの写真と同じものができるのがうれしい丸元料理である。特に技術がいらない混ぜ合わす料理はわたしのお得意、味付けには自信がある。これは塩とコショウのみなので、味見がかんじんです。フルーティな白ワインとフランスパンにぴったりで美味しかった。今度はイサギでやってみよう。
普通シチューというとクリームシチューとかタンシチューとか考えるよね。またはわたしがしょっちゅうつくるアイリッシュシチューとか。でもそういうのと全然違うシチューです。
今日はデザートもある。友人が送ってくれた焼き菓子、甘くてずっしりしとしていておいしい。体重の心配は明日からにしよう。

2004.1.27


イラム・ティの思い出


昨日の午後になってようやく仕事が一段落したので、京町堀までお茶に行った。お目当ての店は貸切りになっていたので、どこにしようかとぶらぶら歩いていたら、わたしたちよりは少し若いかなという感じの夫婦者ふうな人に声をかけられた。てっきり道を聞かれるのかと思ったら「おふたり、よくうちの店に来てくれはったでしょ」と言う。「僕はアメリカ村でモンスーンというお茶の店・・・」で思い出した。よく行っていたお店の経営書であった。VFCが発足した当時はなにかにつけ人と会うことが多く、よくモンスーンでネパール風カレーのセットを食べたながらしゃべくったものだ。数年前からその店は若者向けの服屋になっている。彼らはいま御堂筋のアクタスの地下で店をやっていると言う。それは気がつかなかった。そう聞いたらまたあのおいしいネパールカレーを食べたくなった。
それで、また思い出したんだけど、いつもそこでイラム・ティを飲んでいたのね。お茶の葉も売っていたので、月に一度は買って帰っていたのだが、直接現地から仕入れていたみたいで、ときどき品切れになる。あるときイラム・ティを頼んだら「切らしてまして・・・」という返事、そしてこう言われてしまった。「カンテに行ってもないと思いますよ」、ううう・・・。そのころ同じアメリカ村に「カンテグランテ」ができて、わたしもそちらに浮気してたのだ。カンテは関西では有名な古い店で、中津に本店があり梅田に2店ある。モンスーンとどちらがおいしいということはないのだが、開店早々だから人と会うと「カンテ行こか」となっていた。
彼らに声をかけられてそんなことを思い出したが、わたしらって凸凹コンビなのでよく目立つんだわぁ。これからはあのけったいな老人夫婦として、もっとあちこちで目立つんだろうなぁ。がんばろ。

2004.1.26


お餅大好き


お正月だからってお雑煮は食べないけれど、お餅は大好きである。昨日も今日もお昼は安倍川餅にした。昨日はお砂糖を控えめにしたら、“砂糖屋の前を走って通ってる”と批判が出たので、今日はうんと甘くした。
“砂糖屋の前を走って通ってる”という言葉に出会ったのは、以前働いていた会社でのことだ。その会社はお正月が終わって鏡餅を片づけたときに、その鏡餅を砕いたのを入れて、ぜんざいをつくるのが習わしだった。ぜんざいが配られると、“砂糖屋の前を走って通ってる”という批判が出る。会社がなにごとにつけケチなのを皮肉っているのである。へんなことを思い出してしまった(笑)。
ぜんざいに入れたお餅も好き。海苔を巻いてお醤油の香りがするのも好き。白粥に入れてとろとろになったのも好き。おじやに入れてもおいしい。うどんに入れてもおいしいね。韓国のお餅「トック」を入れたゴマ油をきかせた雑煮もおいしい。

2004.1.21


あじゃー栃東


今場所一日目に破れたものの、二日目からは快進撃してきた栃東だが、昨日はタカミンこと高見盛に突き落としで負けてしまい、今日は旭天鵬に完敗と冴えない。今場所は綱取り場所だと騒がれていたけれど、緊張の持続も切れてしまったみたいで、これではもうダメだー。結局、実力以上の騒がれかただったということね。栃東自身が自分の実力ではまだまだ1年くらいは練習しなくてはダメだと、場所前に言っていたんじゃなかったっけ。薄情なファンのわたしはもう今場所は見る気がしない。
一人横綱でがんばる超強い朝青龍がモンゴルでスーツ姿だったと怒るなんて、とんでもない時代錯誤だ。こんな批判を浴びている朝青龍が、もしK-1とかプロレスにに行ってしまったらどうするんだろ。
相撲協会にとってあまり勝って欲しくない朝青龍が勝ち続け、どうしても勝って明日の相撲界を支える横綱になって欲しい栃東が負けてしまうのがおかしい。もしかして二人して相撲協会に反抗しているのかしらね。
栃東の土俵での立ち姿ってクラシックでお相撲さんらしく、さまになってきていると思う。気を取り直して来場所の活躍を期待しよう。

2004.1.20


高橋祐子/高橋達史「ヴィクトリア朝万華鏡」


わたしはヴィクトリア時代の小説や出来事が好きと言っているくせに、ヴィクトリア時代の全体をほとんど知らなかった。正月前に図書館でこの時代を簡単に見渡せる本があったらいいな、と思って探していたらこの本にぶつかった。正月のヒマな数日を、つれづれなるままに読もうと思ったのだが、ヒマがぜんぜんなかったし、「剣客商売」が間に入ったし。でも今日ようやく読み終えた。1993年に新潮社から出た4200円のきれいな本である。
全体に図版が入って読みやすい。写真がない時代、画家は正確な絵を描いていたんですね。さまざまな階級のさまざまなシーンが絵で見られる。上流階級の人たちの服装、習慣、インテリア、遊びが華々しい絵になっている。そして貧困階級の貧困のありさまがリアルに見られる。上・中流家庭から没落した教養ある女性がなる家庭教師の悲哀、屋根裏のお針子、救貧院で入所を待つ人たち、貧困の生活からアメリカなど新天地へ脱出する人たち。そして、停車場、旅の車中、子どもの情景…リアルな絵は百の言葉よりも語りかけてくるものがある。
イギリスの画家の名はターナーとホイッスラーしか知らず、ラファエル前派のことを数年前にかじったくらいだった。こんなにたくさんの画家の仕事があったんだ。

2004.1.19


やっときた正月


ぐっすりと眠って起きたら昼だった。今日は田辺寄席に行くつもりだったんだけど、昨夜から体がだるかったので、眠れるだけ眠ろうと思って横になったらやっぱり寝過ぎてしまった。朝ごはんを食べてなんやかやしたら午後も遅い時間になったが、今日はパソコンの前を離れようやと散歩に出かけることにした。
堀江に出てチャルカでおいしいコーヒーとケーキで和んだ。雑貨のバーゲンをしていたので、以前買ったモンドリアン風袋と称しているお気に入りの袋の大きいのを買った。袋は1つずつしか作ってないはずなので、この布地の袋はわたし専用よ。その他スカーフやマレーク・ベロニカの絵はがきをたくさん買った。
ぶらぶら歩いて、アートハウスという雑貨屋で絵はがきをたくさん買った。可愛い絵はがきがたくさんあってお小遣いがいくらでも出ていく。
またぶらぶらと南の方へ歩いて、FM802が運営しているらしいdigmeout caffの雑貨スペースへ行った。ここもバーゲン中でおしゃれな若者がわんさかいる中、めげずに相棒のマフラー(いま風な地味柄)を買った(汗)。FM大阪のでかいビルのすぐ足元でFM802が商売をしているのがおもしろい。
今朝方の夢なんだけど、階段を駆け下りていて、えっ、どうもないやんと思った。現実には階段は昇るのはいいが、まだ下りは一段降りである。正夢なるか? 明日からプール再開しようと思っているのでそんな夢を見たのかもしれない。

2004.1.18


やっと小掃除


暮れに掃除機をかけて少し雑巾がけをしたままで現在にいたる。それぞれが目に見えるホコリを、拾ったり箒ではいたり小さな掃除機でとったり布きれで拭き取ったりしていたが、ようやく今日は家中開けはなして掃除機をかけた。ほんまにホコリだらけの部屋で暮らしていたんだと感心した。ホコリでは死なないってほんとだ(笑)。
また、ブラシがあるので台所の壁の掃除を続けている。なんとなく台所が明るくなってきたような気がする。トイレも風呂場もぼちぼちきれいになっている。窓がしめっているので、このときこそ窓ふきをしなくちゃと思うが、これはまだまだである。
VFCの会報を送ってしまってほっとしたところ。少し休んだら青色申告の準備にかかる。早く片づけて早めに申告に行こうと思う。

2004.1.17


池波正太郎「剣客商売」1冊目を再読


「剣客商売」をはじめて読んだのははるか昔のことで、そのときは「鬼平犯科帳」のほうがずっといいと思った。それで何冊も持っていたのを、いつまででもいいよって人に貸して、そのままになってもなんとも思っていなかった。
今週からテレビの新番組で「剣客商売」がはじまった。出演者はこの前と同じ顔ぶれで、秋山大治郎と三冬に子どもができている。この物語いったいどこまであるんだろ。わたしはそこまで読んでいなかった。
それで近所の小さな本屋にも池波正太郎の本は揃っているので、1冊目だけ買って読みだしたら、そのおもしろいことったらない。昔はこの味がわからなかったのね。秋山小兵衛が大治郎に語る言葉を長いけど引用します。
「年をとるとな、若いときのように手足はきかぬ。なれどそのかわり、世の中を見る眼がぴたりと決まり、若いころのように思い迷うことがなくなる。これが年の功というやつで、若いころにはおもってもみなかった気楽さがあるものよ」
わおっ・・・そうよね、そうよね、わたしも秋山小兵衛の半分くらいのところまではきていると思いたい。だってこの言葉身にしてみてわかるもん。いろんなことを通り越した気楽さがあるのよ、年をとると。だからとても陽気になれる。わたし、もうちょっとで人生の達人になれるかも(爆)

2004.1.16


すてきなブラシ


年末にきた「ポランの宅配」カタログの生活用品ページに、洗剤を使わないできれいになるブラシというのがあった。テレビコマーシャルで、吹き付けておけばきれいに目地のカビがとれる洗剤なんてやっているけど、どうもひっかかる。といって日常使っている自然洗剤は洗浄力が弱いから、風呂場と台所の掃除は力ずくになる。だまされたと思って、トイレ(780円)、風呂場(1,180円)、台所(580円)の3つを注文してみた。それが今週届いたのでぼちぼち掃除しようかなと、まず台所のタイルの壁をこすってみたら・・・なんと〜目地の汚れがとれるんですぅ。
カタログを捨ててしまったのでわからないのだが、たしかゴムで作ってあると書いてあった。ブラシも柄も真っ白で気持ちがよい。当然ブラシが汚れるが石けんで洗えばきれいになる。掃除しようと身構えなくても、台所はご飯ごしらえをしながら手が空いたときにこすればいいし、お風呂も入ったときにちょっとやればよい。ひとつ課題が片づいたような気がする。

2004.1.15


花子とセーラ


うちの花子(オス猫)はめちゃくちゃ可愛い子でした。4年前のバレンタインデーの夜にわたしの腕の中で19年の生涯を終えましたが、気位の高い贅沢な猫でした。
花子がくるまで、うちは人形やぬいぐるみの類はいっさいないシンプルな家でしたが、花子が来てからは一変しました。可愛らしいお盆とお皿が置かれ、リボンや鈴がカゴにあふれるほどになりました。あるとき留守番の仲間としてぬいぐるみを買ってやりました。ソニープラザでピーター・ラビットを買ってきたのですが、顔が大きいのと服がグレーなのが気に入らなかったようで、フンとばかりに無視されてしまいました。次に心斎橋のドイツ製玩具店で見つけたのがセーラです。クマの女の子のぬいぐるみで、これしかないと思いました。9,200円だったのを覚えてます。上の写真に写っているのがそのセーラ(小公女のヒロインの名前をいただきました)です。
これは気に入って、ときどきチュッとやってました。お昼寝はセーラの膝枕でした。最初の服がいたんできたので、この服をわたしが縫ってやりました。白いレースの衿とピンクのリボンがついたリバティプリントのお洋服、なかなか似合ってますでしょ。

2004.1.14


ほっ!といっぱい


12月半ばからずっと仕事が重なって、暮れも正月もなく忙しかったのだが、今日やっと一応片づいた。これで終わりではないのだが、1ヵ月ぶりに少しほっとして、久しぶりに日本酒を飲んだ。お気に入りの能勢の銘酒「秋鹿」。ずっと前のことだけど、箕面へ行ったときに「秋鹿」の新酒を売っている店があって、一升瓶をリュックで背負って帰った。それがとてもおいしくて、それ以来のごひいきである。久しぶりに気持ちよくのんびりと飲んだので酔っぱらってしまった。そんなもんで、今日はもう風呂入って寝る。

みなさま、トップのツーショット写真に飽き飽きされたことでしょう。ただいま猫とぬいぐるみのツーショットと取り替えました。

「届け!」メールをくださった関西出身で東京在住の辻本さん、お訊ねの件で返信メールを出したのですがもどってきました。正しいメールアドレスを連絡してください。

2004.1.13


「紅雀」も「高慢と偏見」の仲間


つい数日前、何十回目にもなる「紅雀」を読み終え、いままで気にしていなかったことに気がついた。いままでなにを読んでいたんだろう。ヒロインまゆみの魅力にばかり気をとられていた。
若き男爵、辻珠彦はなにもかも揃った青年である。お金持ちで最高の教育を受け、その上容姿端麗で、家を守り母と妹に対する責任感も強い。周りの女性たちは当然ご機嫌取りする人ばかりである。そこへ現れたのが列車で行き倒れた女の娘、まゆみである。居候の身になってもおべっかを使わず自分の意見を持っている。珠彦はそういうまゆみにだんだん惹かれていくが、なんやかやあった後、まゆみは家出してしまう。
そして、まゆみの身を心配する母や家庭教師の純子が遠慮しているときに言う。みんなが自分に意識して妙に改まって接してくるのに、「彼女は僕の前で昂然と自分の誇りを保って無用のお世辞もおべっかも使わなかったんです」と。そして積極的にまゆみを探すことになる。
最後はまゆみがいる場所が見つかり、彼女の高貴な身元がわかるということになるのだが、それ以前に貧しい孤児のまゆみの値打ちに気がついていたというのが大切なところ。
しかし、イギリスの小説と違って“貴種流離譯”にしたところが、第二次大戦前の日本の少女小説の限界なのであろう。

2004.1.12


おんなの日記


毎朝の仕事として、関係しているところのホームページをチェックしているのだけれど、近ごろはその上に毎朝訪問するサイトが増えている。るりこさん、YOKOさん、Mah&Botch
彼女ら(わたしも含めてね)が毎日書き続けているのを読むと、平安時代の女性たちの姿が浮かんでくる。特に和泉式部と蜻蛉の日記を書き残したひと(室生犀星にならって紫苑の上と呼ぼう)がこころに浮かんでくる。二人とも恋に生き恋に苦しんで、歌や日記を残した。その言葉はいまも生きていてわたしのこころをうるおしてくれる。
和泉式部のうたを読んで最近びっくりしたことがあった。「秋風はすごく吹くとも・・・」というんだけど、「すごく」という言葉は昔から使ってたんだ。それからわたしの書く言葉に「すごく」が増えた。
紫苑の上の日記がすごく好きだ。原文はよう読まないのだけれど、現代文にしたのと、室生犀星の「蜻蛉の日記遺文」に親しんでいる。
るりこさん、YOKOさん、Mah&Botch さんは恋の日記を書いているわけではないが、毎日書いている気分が伝わってくるところが、そこらへんの小説を読むよりずっといい。ホームページの女流日記は新しい日記文学の流れをつくるかもしれないと思う。政治や社会に言及するわけでなく、日々の暮らしが淡々と語られる。掲示板となると、恋文のやりとりのような微妙な感情の動きもある(かな)。

2004.1.11


吉屋信子「紅雀」


数ある吉屋信子の作品の中でもいちばん好きなのが「紅雀」だ。小学校1年のときに家にあった姉の本を読んで以来のお気に入りである。わたしがいま持っているのは、1977年にポプラ社から出版された新書版である。もうぼろぼろ。内容は同じと思っても、最近ゆまに書房から出た新刊本を読むと楽しい。これは買うつもりだったのだが、装画が松本かつぢなので図書館で借りた。松本かつぢも嫌いではないが、ちょっと違う。中原淳一だったらなぁ。
辻男爵家の家庭教師、純子は故郷から東京行きの列車に乗る。同じ列車にまゆみ、章一のきょうだいと母親が乗っているが、母親が車中で衰弱死してしまう。純子は2人をほおっておけず男爵未亡人に頼んで引き取る。その家には兄の珠彦と妹の綾子がいて優しく接するが、珠彦と結婚をたくらむ金持ちの娘の利栄子は意地悪である。まゆみは自立心の強い少女で、養われる生活に耐えられない。利栄子の意地悪が過ぎた日、まゆみは家出する。
それからのまゆみの苦難の生活と、男爵家のほうでまゆみの身元が立派な家柄とわかるのが並行して書かれ、最後は大団円なのだが、ただの幸運ではなく、努力して報われる幸運に書いてあるところがうまい。
「屋根裏の二処女」と「紅雀」の2冊がわたしのおすすめ吉屋信子本です。

2004.1.10


イングリッド・チューリンが憧れだった


今日の夕刊にイングリッド・チューリンの訃報があった。74歳だったとのこと。最近彼女のことをよく思い出していたので、なんか因縁みたいなものを感じた。
思い出していたのは、「野いちご」(1957 イングマール・ベルイマン)の1シーンである。栄誉ある賞をもらった老学者が、息子夫婦の運転する車で受賞のために移動中、若いころの自分と亡き妻の姿を野原で見るところだ。この映画をはじめて見たとき、わたしは息子の嫁(イングリッド・チューリン)の立場で老教授を眺めていた。いまは老教授の年齢に近づいているという感慨なのである。そのついでに息子の嫁になっていた彼女の知的な美貌を思い出していたのだった。美貌と一言で言ってしまうともったいない。あんな個性的な顔の人はちょっといない。
今夜はイングリッド・チューリンが若くて美しかったときの映画を次々に思い出していた。そんなにたくさん見たわけではないが、ベルイマンの映画で重要な役をしていたから、印象が深いのであろう。つぎに見た「沈黙」(1962)、後々見た「魔術師」(1958)、その他に「戦争が終わった」(1965 アラン・レネ)を見ている。ずっと後になって「地獄に堕ちた勇者ども」(1969 ルキノ・ヴィスコンティ)を見た。誇り高い女性を演じたらだれも真似できないものがあった。
なにがいちばん良かったかと言えば「野いちご」で、いちばん印象に残っているのが「地獄に堕ちた勇者ども」である。

2004.1.9


タラの白子は美味


今朝るりこさんの「献立日記」を見たら昨日白子を食べたとあった。なんの白子かしら。白子と言ってもいろいろあるが、いちばんポピュラーなのはタラの白子でしょう。
わたしは30数年前にはじめて北海道へ行ったとき、小樽のおでん屋で食べてあまりのうまさに仰天した。さっと煮付けたのもおいしかった。小樽ではキクと言っていた。菊の花に似ているからだそうだ。
それから数年後に阪神百貨店地下食料品の魚売場で見つけたときはうれしくてすぐに買った。薄味でさっと煮たら北海道で食べた味だったが、おでん屋の味は無理だった。そのころはまだ安く買えたから、見かけたら買っていた。あるとき、売り場で横にいた人に「気持ち悪いものを買いはるね」と言われた。「おしいしんですよ」と答えたが、「ばーか」と思っていた(笑)。それからまた数年後には高価なものになってしまった。大阪の食いしん坊が北海道や北陸旅行で食べて、味を覚えて買うようになったのだろう。
いまはとにかく高い。冷凍をもどしたようなのが、少し安く売っているようだが買う気がしない。やっぱり見て新しいと思えるようなのでないと。
それに、たかがタラの白子があんなに高いのは合点がいかないから買わない。でも好きだから食べたい。

2004.1.8


こころが薔薇色になる本


どの程度の間隔で読んでいるのか気にしたことがないのだけれど、あの本を読もうと出してくる本がある。「高慢と偏見」「ジェイン・エア」「小公女」「秘密の花園」「リンバロストの乙女」、そして吉屋信子の数冊、秋月こおのフジミシリーズである。そうそう、まだあった。ドロシー・L・セイヤーズとクレイグ・ライスの本、そして「モンテ・クリスト伯」。
疲れているときも、別になんでもないけど読みたいときも、なんとなく手に取って読み出すと、もうこころは薔薇色である。なんでこんなに効くのだろう。読むところが決まっていて、本を持つとそこが開く。たいてい主人公が幸せになるところである。あほくさい話でしょ。
カラオケ、ゲーム、パチンコ等々人がすることはなんにもしなくて、ひたすら本である。それもボロボロになったのを読んでいる。安上がりこの上なし。そして散歩する。クルマ不要、近所を歩くだけ、なんせプールに行っても歩くだけの人である。
散歩から帰って、ろうそくをつけてぬるいお風呂に入り、おいしいお菓子とお茶があって本があれば言うことがない。そういうのがなくても読むけど。今夜はこれから寝るまでなにを読もうかな。

2004.1.7


笑う門には福きたる?


福がくるかどうか知らないが、わたしはよく笑う。けつまずいても箸がこけても笑うのだから、一日中笑っているようなもんだ。つられてかなんか、相棒もよく笑っている。お陰様でいままでのところ、相棒が18年前(タイガース前回優勝の年)に1ヵ月の入院をしただけで、それ以後は達者に暮らせているのだと思う。
笑い声の大きさもたいしたもので、どこにいても目立つそうである。かっこつけようと思っても、チビであることと、それに比べて声がでかいことで、かっこがつかない。しかたがないから(笑)、こちらから目立つように振る舞ったりして、よけいに目立つ。
その点、文章だけだとごまかせるもんなぁ。このページを読んだ若い人が「kumikoさんて、おかっぱで紫色の服を着ている感じ」とメールに書いてくださったときは、なにやらうれしかったです、はい。実際は超ショートヘアで黒いセーターとGパンとスニーカーが基本のスタイルである。そのかたに去年は会えなくて、今年は会えると思うんだけど、待ち合わせたらすぐにわかるはず。そして、すぐに何十年来の友人のように笑いながらしゃべるのが目に見えるよう。
笑う門には福がくると思いたい。もうすぐ“えべっさん”です。

2004.1.6


お気に入りの食器


晩ご飯が終わるとまず食器を流しまで持っていき水につけておく。いつもぐずぐずしていて、その後の片づけが遅くなるのがわたしの悪い癖である。食器洗い器があったらいいなと思うときもあるが、手で洗うのは嫌いではない。きれいに洗いあげてカゴに重ねた食器を見るのが好き。
今日は洗いおけに入れてある茶碗やお皿を見てうれしくなった。たいていは白地に藍の線や単純な絵が描かれている。少しだけ赤い色が微妙に入っていて実にきれい。みんな自分が好きで買った食器である。シンプルなのが主だが、イギリス製の全体が花模様のお皿には小さなケーキや和菓子をのせる。やはり花模様のフランスどんぶり(内藤ルネ命名のフランスでカフェオレを飲む小鉢)は割らないように特に気をつけている。さっぱりした柄のは和食にも使えて便利である。
来客用とかお正月用とかいっさいなし。上等だからふだんに使う。最近はあまり買い足ささないので減る一方だが、なぜか割ることが少なくなった。買えないから無意識に気をつけているのかもしれない(笑)。

2004.1.5


浪人暮らし


年末の「忠臣蔵」で、吉良家の用心棒に雇われた清水一角が、ある日吉良家家老(米沢藩から派遣されていた小林平八郎)と語りあうところがあった。「おぬし、浪人暮らしは長いのか」と聞かれて、一角は「親の代からの浪人で、仕官ということすらわからない」というような返事をする。それで、真面目な一角を気に入っていた小林平八郎は、あと少しで主君(吉良)が米沢へ引き取られるので、ここの警備も終わるから、米沢藩に仕官できるように取りはからうと言う。その約束は討ち入りの夜、二人とも壮烈な討ち死にをしたので果たされなかった。
わが家はいま仕事が重なって暮れも正月もないありさまである。休めるのは仕事が切れたとき。だから休みたいけど、仕事が切れたらどないしょうということなのである。でも宮仕えにない自由がある、と書いて、ほんまかなぁと思う。
それで、今日の会話なんだけど、「仕官というものをしたことがあったなぁ」「あんまり昔なので、仕官ということすら忘れているなぁ」と笑い合った。うちの仕事って、浪人が傘貼りの内職しているようなもんだ。長い浪人暮らしで、月代の髪が伸びるようにだらしなくなっているかもしれない。気をつけなくっちゃ。

2004.1.4


えらい人出にびっくり


正月だからといってなにもしないわが家、野菜だけはなんでも揃っているが、魚や肉系のものは味噌漬けと頂き物の肉の佃煮くらいしかない。今年はとうとう新巻鮭がこなかった(お返しをしなかったのだからしかたがないが)ので、散歩がてらなにかないかとスーパーに買いにいった。でもスーパーだけではみじめ(笑)なので、いまをときめく堀江をまわって行くことにした。
ナニワ筋を東へ越えるとえらい人出である。若者がたくさんいま買ってきたばかりの紙袋をさげて歩いている。カップルも多いし、女の子どうし男の子どうしの2人連れやグループもいる。その中をさっそう(?)とうろついてきた。
服屋さんはたいてい開いていてセールのところもある。服屋にはよう入りません。ふーんと外から見るだけである。小さな雑貨屋があったので入って全部しっかり見た。布地のバッグがたくさんあってどれもいい。いつかお金のあるときに買おうと決意して買わなかった。チャペック兄弟の絵やイラストを使ったカレンダー、手帖類がいくつかあってどれもよい。カレンダーはもうあるし、手帖はいろいろと持っているしで、卓上カレンダーのおしゃれなのと猫の絵はがきを買った。子どものころはお年玉をもらうと雑貨店に行ったものだ。それから幾星霜、相変わらずの雑貨屋好きには我ながら呆れる。
スーパーは年末から後の仕入れがないから、売れ残りばかりの感あり。しかし、サカナ類は冷凍庫から徐々に出しているみたいで揃っている。結局、鍋物用にセットしてあるカワハギを買った。

2004.1.3


池波正太郎「堀部安兵衛」上下


前から読みたくて買うつもりだったのに、本屋に行ったときは買い忘れていた本である。暮れに図書館で見つけたのをさいわい借りてきて読んでしまった。テレビでだが歌舞伎を思い出したように見たり、木村蒹葭堂さんに惹かれたり、ちょっと江戸時代をさまよっている昨今です。暮れには「忠臣蔵」を2日にわたって見た。
わたしは「忠臣蔵」が大好きで、その中でも一番に堀部安兵衛、二番に不破数右衛門が好きである。やんちゃなところがいい。堀部安兵衛は堀部家に養子に行く前の中山安兵衛だったとき、高田の馬場へ助太刀に走る映画を子どものときに見てからのファンである。叔父の一大事を知り、高田の馬場へ駆けていく安兵衛は、途中で塩を舐めて桝の酒をがぶっと飲んだ。なんともカッコよかった。「忠臣蔵」の映画やテレビではわりとオトコマエの俳優がやっているので、オトコマエだったんだろうとは思っていた。
さて、この本を読んだら安兵衛がオトコマエであることも、剣だけでなく学問もできる若者ということもわかった。
毎朝木刀をふるう稽古をさせ続けた、硬骨の父が自刃するところを見た少年から、家出して苦労を重ね、狂ったように女に迷う青年となる。しかし安兵衛の一直線の性格と素直さは、いろいろな大人から興味と好意を受ける。兄と慕う友人ができ、道場では浅野家家臣の奥田孫太夫と知り合う。
安兵衛が果たし合いの助太刀をした叔父という人は、血のつながりはなく、相手に気に入られて叔父甥の関係になった人である。「好きな男に、少しばかりの世話をするだけだから、恩に着てもらっては困る」と言い、安兵衛の世話をする。その叔父に一大事が起こったので助太刀にかけつけたのである。そのカッコよさが江戸中の噂になり、堀部弥兵衛の目に留まる。しつこい弥兵衛のくどきに負けて娘と結婚し婿になった安兵衛は、引退した弥兵衛に代わって浅野家に仕える。そして「忠臣蔵」へ一直線となるのだ。

2004.1.2


今年もよろしく(⌒=⌒)


新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今年は年賀状を出しませんでしたので、ここでご挨拶させていただきました。

ゆうべテレビを見ながら飲んだワインが効いたのか、うるさい討論番組だったのに、なにもかも忘れてぐっすりと眠って、目が覚めたらお昼前だった。
朝昼兼用のご飯を食べて、新聞と年賀状を見て、腹ごなしに散歩を兼ねて、堀江の最近開店した年中無休のスーパーに行ってみた。ほんまにやってるしお客も多いのにびっくり。お豆腐をカゴに入れて店内を見ていたら、もやしが15円だったので買った。去年の仕入れ残りかな。
帰りは道頓堀川にかかる橋まで出てちょっとうろうろした。東へ行けば湊町リバープレス(FM大阪の入っているなんばハッチがある)で、西へ行けば大阪ドームである。どっちも10分ほど歩けば行けるのだが、行くのはいいが買い物袋さげて帰りがたいへん。どっちも行かずに帰ってきた。
歩いていたら若いカップルに厚生年金会館への道を聞かれた。地下鉄を四つ橋で降りてとんでもない方角へ歩いてきたのに、まだ位置がつかめてない様子。教えてあげたが、わたしから離れたら、また違う人に聞いている。自分らが間違ったと思ってないみたい。あのオバハンが間違って教えたと思ったのだろう。今度は納得してあわてて歩いていった。誰のコンサートに行くんかな。元旦そうそう道を聞かれた。今年もたいして変わらん1年になるんかな。

2004.1.1

写真:在りし日の愛猫花子とガールフレンドのセーラ

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