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2003年12


大晦日の夜は更けいく


楽しみにしていたK-1の曙とボブ・サップの試合が終わってしまった。曙は負けてしまったけど、その前にやった須藤元気くんのパフォーマンスと勝つところを見たからまあいいか。
今日は大掃除ではなく小掃除、日常的な掃除をした。晩ご飯も日常的にすました。明日もいつもどおりにするつもりである。
数年前まではよく出かけていた。京都で夜明かししたこともあった。震災の年の大晦日はボランティアの仲間の人に誘われて、神戸港で年を越した。元町のバーで時間待ちして、フィッシュダンスホール前で待ち合わせ、港でコンロにおでんの鍋をのせて食べた。寒かったなぁ。翌年はわたしたちだけで神戸に行ったのだが、同じバーに入ったら、「去年もきてくれはりましたね」と女主人が覚えてくれていた。そのときは若者がいくところへ行って、大勢の人たちといっしょにカウントダウンなるものを経験した。
その後の年は近くの神社を初詣巡りをしたり散歩をしたことがあるが、足を悪くして以来、テレビを友にしてワインを飲むという生活になった。もっと最近はパソコンに向かっている。つまりいつもどおりの日常生活である。
ぐだぐだ書いているうちに夜が更けてきた。紅白もそろそろ終わるころだろう。年内にアップしよう。
今日もお読みくださったかたへ
いつもこのページを読んでくださりありがとうございます。来年もできるだけ毎日書いていくつもりですのでよろしくお願いします。たまにはメールをください!

2003.12.31


木村蒹葭堂のこと


このページトップの写真は木村蒹葭堂とわたしです。もう見飽きたという方もおられますが、あと1日(更新するまで数日かも)ご辛抱くださりませ。
西区堀江にある大阪市中央図書館の敷地に「木村蒹葭堂邸跡」という碑が建っています。以前から気になっていたのですが、今年はじめに大阪歴史博物館で木村蒹葭堂(けんかどう)展があったときは、全然関連に気がつきませんでした。11月になって図書館のギャラリーで展覧があって、カタログを買い、ようやくあの蒹葭堂さんのこととわかったのです。以下はカタログからの受け売りに感想を交えて書きます。
いまから200年以上前の江戸時代の後期、近世大阪の趣味人であり町人学者として知られる蒹葭堂さんは、北堀江に住んでいました。比類なき趣味人であり、ありとあらゆるものに興味を持っていたと言われています。生家は中流の町人でしたが、子どものときから一流の師について画を習い学問を学びました。12歳で京都の学者に入門し本草学を修め、茶事では売茶翁につきました。当時の町人だと読み書きソロバンができたらいいくらいだから、破格の教育を受けたことになります。
カタログにはたくさんの書や絵があるのですが、図書館にはあまり数はありませんでした。でも竹を描いた掛け軸が二枚並んでいて、その絵もさることながら、わたしは表装の布地の柄に感心しました。ウイリアム・モリスのような模様なんです。
書はわたしには読めませんでしたが、なんか品格があったような。それから博物誌のようなもの。魚や貝や動物の絵のレイアウトがすごくいいんです。
楽しそうな標本箱もありました。木の箱ですが、3センチ角くらいに区切ってあり、珍しい貝や石が並べてあります。それが重箱みたいに三重、四重に重ねてあるんです。
そうした展覧の中に、へんな形の急須がありました。小さくいびつな四角形です。今回の催しではじめて世に出た蒹葭堂自作の急須なんだそうです。ヘタクソなんだけど味がありました。これで煎茶を飲んでいたのかと親近感を覚えました。
特筆すべきは、蒹葭堂の交遊の広さでしょう。残されている20年間の日記には9万人の名前が記されているそうですが、すごいデータベースですよね。あーあ、蒹葭堂さんはインターネットがなかった時代の人ではありますが、優れてインターネット的人間だったんですねー。

2003.12.30


父と娘─「ある女の遠景」(2)


小津安二郎監督の映画「晩春」で、父と結婚式を目前に控えた娘が、旅館の同じ部屋で隣り合わせて布団を並べる場面の話題が新聞に出ていた。わたしも映画を見たときからずっと気になっていた。なんか恥ずかしいようないやな気分なのである。
新聞記事では外国人には理解できないというようなことだったが、考えようによっては、和室に布団を並べるのは、日本人の習慣としては自然なのかもしれない。いまどきは親子で“川の字”になって寝るというのはないだろうが、わたしの子どものときはそれが自然だったように思う。というように、日本人の習慣として当たり前としても、わたしはどうもあの場面に、父と娘の間の精神的な近親相姦を感じてしまう。
「ある女の遠景」を読むと、ひとつには維子と老練な政治家の泉中との、切るに切れない愛欲生活があるんだけど、維子の父、九谷修吉の妹と娘への異常なまでの愛と執着心も大きなテーマであるように思える。修吉は泉中が彼女らを手玉に取っていると感じて憎悪感をつのらせるのだが、その父の心が近親相姦的なのである。
泉中に呼び出されて出かけていた維子だったが、泉中の世話になってアパートで暮らすことになる。そのアパートで心臓発作を起こして、親の言いなりに家へ戻った維子が、男恋しさに結局親を欺いて家出する。未来のない恋の行方なのだけれど、なにか明るい結末なのは、維子が自ら親との縁を切ったからだろう。
和泉式部がいま(1960年ごろ)生きていたらこうではないかと、ひとつの物語を舟橋聖一は書いたのだと思う。いろんな女たちの遠景に和泉式部がいて、いろんな女の生き方があるのだとしみじみした。

2003.12.29


板東玉三郎の「お染の七役」


今日は夕方からテレビっ子だった。これ以上は見ていられないと、まだ30分あるのだが、さっき玉三郎の芝居を途中で切ってしまった。これを書いて、お茶碗洗わんとー。
7時からなんかやってないかとテレビをつけて、NHKニュースの後、京都テレビで西郷輝彦が富良野へ、五木ひろしが横浜へ行っているのをぼけーっと見た。その次は水前寺清子だったので教育テレビにまわしたら、活け花作家の中川幸夫だったので見続けた。ものすごい量のチューリップの花びらを空からまく美しいところを見られてよかった。中川さんの花はすごい。日常生活の花もすごいし、美術館での竹の造形もすごい。太い筆で書く文字がまたすごい。“すごい”が重なったが、すごいとしか言いようがないのでしょうがない。
そのあとはN響の時間だったのでつけておいて、パソコンに向かい、掲示板に書き込みして、あちこちいつも見るところを見てまわった。
それからがたいへん、洗いものをせなあかんと思いつつ劇場中継、玉三郎の「お染めの七役」を見はじめた。玉三郎が、お染、久松、芸者、御殿女中、お染の母、それからだれだっけ、もう一人“土手のお六”に早変わりする。わたしはずっと昔、前進座の河原崎長十郎にぞっこんだったので友の会にも入って、大阪に前進座がきたときはいつも行っていた。それでこの芝居は河原崎国太郎が七役をつとめたのを見た。国太郎のお六は凄艶でいまも覚えているくらいよかった。玉三郎はお六よりもまだお染のほうが似合うように思う。いまお六が似合うのは桂文太だわいと玉三郎を見ながら思った。しかし、なんやかや言っても、玉三郎はほんとに奇麗。
歌舞伎に凝ったのははるか昔、10代のころである。それからバレエ、新劇、文楽、能、芝居(日本維新派とか状況劇場とか)に凝った。音楽はクラシック、ジャズ、そしてロックという順番である。
芝居でも音楽でもライブが好きだったが、最近はとんとご無沙汰で、映画にさえ行っていない。インターネットがわたしのいまのライブであり、いままでは観客だったが、いまは自分がライブをやっている感覚だからこれでいいのだ。

2003.12.28


ヴィク・ファン・クラブ今年最後の例会がすんだ


今日はヴィク・ファン・クラブ今年最後の例会日だった。毎月第4土曜日を例会日としてから数年経っている。テーマを設けて講師のような人にきてもらったとこともあったし、たくさんの参加者で発言を順番にしてもらうほど賑わったこともあった。例会で悩みを話してほっとして帰る人も複数いた。けっこう会員の役にたっていたんだよなぁ、と低迷中のいまは思う。今年は最初から最後まで参加者が少ないままだった。いつわたし一人という夜がくるかと恐れている状態である。
よそのミステリークラブが賑わっている話を今日聞いたんだけど、えーっ、なんでやと思う。子どもを預けて主婦が参加していると聞くと、うーん、うちの例会にはそういう魅力がないんだーと考え込む。
わたし一人でできることならなんでもするけど、こればっかりはどうしようもないよね。今日みたいに寒い夜に出てきたくはないだろうしねぇ。それに暮れでみんな忙しいわなぁ。などと、ま、いろいろと考えてしまうんですよ。
いっそやめてしまおうと思うこともあるけれど、少なくても参加した人との会話はすごくはずむから、意義があるのかと思う。あれこれ考えることばっかりだけど、一度やめたらもう終わりだと思うのでまだ続けます。

2003.12.27


舟橋聖一「ある女の遠景」


今月のはじめごろ講談社文芸文庫の広告を見て読みたいと思った。わたしがこの本を初めて読んだのは出版されてすぐだから1963年ごろである。なにがおもしろかったのか、ときどき出しては何十回も読んだが、もういいやと思って震災のときに捨ててしまった。それ以来忘れていたのだが、広告を見たら郷愁のような気持ちが起こって読みたくなり先日買ってきた。文庫本で1500円は高いけど、出版部数が少ないのだろう。さっそく読んでいるのだが、さすが何十回も読んでいるからよく覚えていた。
主人公の維子は九歳のときに、叔母の伊勢子の愛人泉中紋哉から接吻されたのを忘れることができない。第二次大戦中のことで、泉中は軍需産業の経営者で羽振りがよい。伊勢子がいるのに芸者時子との間に子どもができて結婚する。戦後になって伊勢子は自殺してしまう。泉中は政界に乗り出し保守派の大物代議士になっている。大人になった維子は叔母の仇を討ちたい気持ちで泉中に接近するが、かえってとりこになってしまう。維子の遠景に伊勢子がおり、その遠景に和泉式部の存在がある。二人とも和泉式部に惹かれており、伝説のある場所を訪ねて旅をするし、和泉式部日記はぼろぼろになるまで読み込んでいる。
維子は泉中に捨てられるかたちになって自殺した伊勢子のようにならないと、豪語しながらも親を捨て男をとるのだが、これが若い娘かというようなことを口に出したりしておかしな小説なのだ。なんでこんなにおもしろいのか、もう一度読みながらよく考えてみることにしよう。(講談社文芸文庫 1500円+税)

2003.12.26


贅沢貧乏をやりぬく


今月の16日に森茉莉の「贅沢貧乏」について書いたら、掲示板で綾美さんから〈心の豊かさが全てを決めると思います。〉と言う意見が出た。わたしはちょっと気むずかしく〈贅沢貧乏は、清貧とは違うし、ただの心の豊かさと言ってしまうのも違う。むずかしい貧乏です(爆)〉と答えたのだが、そこに、るりこさんが〈それは「プライド」です。〉と明確な意見を出してくれた。わたしはそこまで言ってもらったからこそ、〈それにプラス自分だけが持つ「美意識」かな。〉と考えをまとめることができた。今日の掲示板では、るりこさんが〈自分だけが持つ美意識〉について明確に書いてくださっている。
掲示板のいいところは、こうして話し合いつつ考えがまとまっていくことで、このライブ感覚が好きでたまらない。2・3ヵ月前にやはりるりこさんが「コミュニケーション能力」について質問してくださり、考えて返事をしつつ、それは「誠意」だとまとまっていったときはうれしかった。そんなにたいそうなことでなくとも、生活のことや季節感のことなど、おやっと思ったり、感心したりすることがある。映画の新作がどんなのかもわかるし。
贅沢貧乏と言っても価値観が変わるから、こうしたらいいというものはない。20年前には野の花が好きだったけれど、こう世間が野の花ブームならもう言っちゃぁださい。手作りというのも、言葉にカビが生えているようでこだわれない。「杉谷さんは田辺寄席に行ってらっしゃるの。わたしは米朝独演会に毎年行ってますよ」とわざわざ言ってきた人がいる。この場合は米朝さんの値打ちは別の問題で、田辺寄席にかかわっているわたしのほうが贅沢でおしゃれだとわたしは言う。

2003.12.25


エロール・ル・カインのカレンダー


今年はだれからもクリスマスプレゼントがないなぁと思っていたら、今朝エロール・ル・カインのカレンダーがやってきた。うれしいな、来年は毎月ル・カインの絵を見ながら暮らせる。エロール・ル・カインの絵本が大好きだ。バーバラ・クーニーとビネッテ・シュレーダーと3人それぞれ違うけど、それぞれが大好き。
いまお風呂に入ったし、あとはこれを書いて寝るだけなので、絵本を出してきた。ル・カイン数冊をちょっとおいて、ルーマー・ゴッデンのお話にバーバラ・クーニーが絵をつけた「クリスマス人形の願い」がやっぱり今夜の本だなぁ。ねがいごととお人形と小さな女の子の物語。読みだしたらこれを書けないよー。もうちょっとここで待ってて。あと少しでブランデーといっしょにあじあうつもりだからね。
ル・カインのカレンダーは12冊の絵本から1枚ずつ取り上げている。わたしの好きなのは「いばら姫」だが、「おどる12人のおひめさま」もいい。「ハーメルンの笛ふき」と「アラジンと不思議なランプ」は知らないなぁ。こんど本屋さんで探そう。
このページを読んでくださっているあなたに、メリークリスマス!

2003.12.24


アントニー・バークリー「ジャンピング・ジェニイ」


世界探偵小説全集の1冊を図書館で見つけたんだけど、表紙(わら人形なんだけど首つり死体が3体ぶら下がっている)がちょっとかなわん。でも本の題名に気を惹かれ、中をちょっと読んだら探偵ロジャー・シェリンガム、やあ久しぶりということで借りて帰った。
大きな屋敷に住む探偵作家ストラットンの、趣向をこらした〈殺人者と犠牲者〉パーティにシェリンガムは招かれる。屋上に3体のわら人形で作った死体が風に揺れているという凝ったもの。客はそれぞれ有名な殺人者と犠牲者に扮して集まっている。浴槽の花嫁殺し、父親殺し、愛人殺し、保険金殺人等イギリスで有名な殺人事件の殺人者。それからロンドン塔の王子(「時の娘」で話題の)、切り裂きジャック、ブランヴィリエ侯爵夫人(澁澤龍彦の本で読んだなぁ、悪女中の悪女)等の残虐な事件の主人公たちである。わたしも犯罪実話が大好きなんで、こういうのって楽しい。
ストラットンの弟の妻イーナはちょっと常軌を逸した女性で、このパーティでいちばん目立ちたがっており、相手をした男性すべてに言い寄って嫌がられている。パーティがお開きになるころイーナがいないのでみんなで探すと、彼女は屋上で首を吊って死んでいた。自殺か他殺か、警察が動き出す。
ロジャー自身が出席者から殺したのではないかと疑われてあわてたり、推理の結果、イーナの夫が殺したと思い込んで、警察の取り調べに対する話を調整したりする。
バークリーの本をたくさん読んだわけではないが、覚えているかぎり殺されたほうがみんなのためになるというような人間が殺される。今回もいやというほど死んだ女性がいやらしく書かれている。

2003.12.23


冬至なのでカボチャ


先日買ったカボチャの焼き菓子は一昨日と昨日で食べてしまったので、今朝は代わりにカボチャスープをつくった。別に冬至だからなんてことではなくカボチャが好きだからなんだけどね。
先日テレビで「田舎に泊まろう」というのを見てたら、山梨県のナントカという村で泊まろうと何軒もトライしていた。10何軒目でようやく泊めてもらえたんだけど、そこの人があわてて「〈おほうとう〉を出さないと・・・」と言って、知り合いに材料を持ってくるよう電話していた。いまや〈おほうとう〉は郷土料理ということになっているらしい。
わたしが子どものころ、祖母の家では家族で毎晩食べるのが〈おほうとう〉だった。来客があると、ざるうどんを出していた。どっちもおばさんがうどん粉を練るところからはじめていた。練って徐々に広げたのを畳んで切ってと、手間のかかることを毎日やっていた。
うちではうどん玉を買ってきてつくるから、ほんとに手間のかからないごちそうである。今日入れたのは、カボチャ、サトイモ、サツマイモ、ニンジン、ネギ。鍋に水を入れて豚肉と油揚げを少しずつ入れて、根菜も入れて火にかける。沸いてきたらアクをとって、ぐつぐつ煮て、うどんとネギを入れて味噌を入れたら出来上がり。おいしくて経済的で簡単にできて、温まって、ほんと「うまいものはカボチャのほうとう」です。

2003.12.22


歳末の街は大にぎわい


この季節にプールに着ていく上着が欲しくて、去年エディ・バウアーの通信販売で紺のジャケットを買った。とてもきれいな紺で真っ赤な裏地がついていて気に入ったんだけど、ウエストがしぼってあって、ジッパーをはめたらきつくてむちゃおかしい。前を開いたらまだ見られるので、2日プールに着ていったんだけど、寒くってー(笑)。ほっそりしてカジュアルが似合う友だちにあげました。
もう通信販売で買うのはやめようということで、そのかわりを買いにエディ・バウアーのお店に行った。いろいろ見たんだけど、わたしが気に入ったのは予算よりはるかにオーバーしていた。でも欲しかったので2人で持っていたお金をさらえて買ってしまった。赤頭巾ちゃん型のフードがついた黒のコートでとても似合う(自分で言ってりゃ世話はない)。プールに着ていくにはもったいないから、そっちはいま着ているので辛抱だ。これで後は耐乏生活。
御堂筋から道頓堀へ出て、法善寺横町を通って千日前へ、それからジュンク堂へ行った。わたしは文庫本、相棒はウェブ関係と別れて本を買い、子どもの本を立ち読みして帰った。ミナミの街は不景気風はどこへやら、賑わっていた。晩ご飯は外食とんでもないと帰って食べた。

2003.12.21


クリスマスの映画「三十四丁目の奇蹟」をテレビで見た


はじめてこの映画を見たときは子どもだった。それ以来である。何度もテレビでやっていたし、最近再映画化もされているが、ずーっと見ようとは思わなかった。クリスマスの善意ドラマと記憶していてそれがアホらしいと思っていた。
今朝、番組表で主演のモーリン・オハラと子役のナタリー・ウッドの名前を見てびっくりした。彼女らが出ていたことを全然覚えていなかった。えーっ、見なきゃ!
モーリン・オハラはジョン・フォードの作品にジョン・ウェインと出ていることが多く、アイルランド系で気の強い女性役がよく似合う女優で大好きだ。「静かなる男」のアイルランド娘良かったなぁ。
ナタリー・ウッドは子役だったことは知っていたが、こんなにおしゃまな役をうまくこなしているとは! 大きくなってから「理由なき抵抗」でジェームズ・ディーンと、「ウエスト・サイド物語」でジョージ・チャキリスと、「草原の輝き」でウォーレン・ビーティと共演したのは見ている。このころがいちばん輝いていたと思う。
モーリン・オハラはニューヨークのメーシー百貨店で働いていて、折しもクリスマスのパレードの人員点検をしている。サンタクロースが酔っぱらっているところに、サンタ風のヒゲを生やした老人(エドマンド・グウェン)が言葉をかけ代わってサンタになる。
モーリン・オハラの娘がナタリー・ウッドで、母親から徹底的に合理的教育を受けたこまっしゃくれた娘である。この3人の配役だけでもすごい。そこにジョン・ペインが同じアパートに住む弁護士役で登場して、完璧なストーリーになっている。

2003.12.20


来年はパリーグに注目しよう


いまテレビを消したところです。日本ハムファイターズに入団した新庄選手の特集で、今年活躍した坪井選手も途中から出てきて楽しかった。けっこう長い時間やってくれたので、アメリカでの活躍や札幌市民の歓迎ぶりもわかりました。札幌にきてくださいという署名運動までしてくれたんですね。意気に感じる彼のことだから、来年は絶対に活躍するでしょう。
画面中央が開いて出てきたんだけど、立ってるだけでスターの貫禄がありました。坪井選手のカジュアルなスタイルもかっこよかったです。わたしは阪神時代の坪井ファンだったので、ファイターズに行ってしまったのが残念だったけど、今年は活躍したもんね。来年は新庄ともども応援するわ(じゃ、オトコマエ揃いのダイエーはどないするんじゃーと内からの声あり)。
新庄くんも坪井くんも着こなしが実にうまい。阪神の選手に爪の垢をあげてほしいわ。この時間の前にタイガースの藤本選手が関西圏のテレビに出ていたんですが、どこのあんちゃんかというようなかっこで、ちょっと淋しかったです。もうちょっとなんとかならんもんかなぁ。せっかく可愛い顔してるんだから似合う服があるはずやけどなぁ。
赤星選手のスーツ姿があか抜けしていて、おっ、おしゃれ!と思った以外は、オフのタイガースの選手ってみんなダサイのが残念です。

2003.12.19


廣井堂のお菓子でストレス解消


今月は仕事が忙しかった上に気分をこわすことがあって、ちょっとストレスが溜まっているように感じる。今朝の新聞に出ていたが、ストレスがかかると高血圧の人は普通の人より血圧が上がるそうだ。だから高血圧の人にストレスがかかると脳卒中になる危険度が高くなる。肩こりの人は末梢血流量が低下する、だから…というようにストレスは人それぞれが体内に抱えている「弱点」を攻撃するらしい。
それで、いま抱えているストレスを解消しなければと話し合っで出したストレス解消法は、「廣井堂のお菓子を買ってきて食べよう」(笑)。
午後から銀行や郵便局への用事があって四つ橋方面へ行った。ついでに南船場まで行ってちょっとしたプレゼントも買った。ほとんど年末の支払もすませたし、気になっていたプレゼントもいいのがあって、気分がよくなったところで廣井堂へ寄り、豆大福とゴマ大福を今日のために、ついでに夕霧最中を明日のために、そして冬至用にカボチャの入った焼き菓子を買った。
とっておきの煎茶を淹れて食べた上品な大福は美味しかったです。わたしは最中が好きなんだけど、ここの夕霧最中は包み紙の新町遊郭の花魁の絵がおしゃれだから特に好き。もちろん味は上品です。待っている間に出してくれた松葉の干菓子もおいしかった。因みに、新町遊郭は、江戸の吉原、京の島原とならぶ三大遊郭の一つであったそうな。
大福を食べてお茶を飲んでいるうちに、おだやかな気分になってきた。会話もはずんで、なんとかなるさといたって楽観的な気分になってきた。

2003.12.18


ナリンダー・ダミ「ベッカムに恋して」


ベッカムの名前が日本中にまん延していたころに上映された映画の原作であるが、これは日本での題名で、ほんとうは「ベッカムのように曲げろ」である。「ベッカムに恋して」ではなんのこっちゃかわからんよね。アホな女の子がサッカーには関係なくベッカムに憧れてるようにとれる。原題「ベッカムのように曲げろ」は、ベッカムの曲がるシュートにあこがれて、練習して実際に打って、アメリカに留学することを獲得した少女の物語である。
ロンドンに住むインド系の高校生ジェスはサッカーが好きで、いつも公園で男の子たちに混じって裸足でサッカーの練習している。ある日、女子サッカーチームのジュールズがジェスを見てチームに誘う。そこで出会ったのがアイルランド系のジョーで、彼はかつてはサッカー選手だったがヒザの故障でやめ、パブでバーテンをしながら女子チームのコーチをしている。彼の指導でめきめき上達するジェスだが、ジョーの存在が気になってしかたがない。ジュールズもジョーが好きらしいので悩む。
ジェスの家はイギリスに住むインド人の典型的な家庭で両親と婚約中の姉がいる。母親が女らしくとうるさく言うが、黙って抜け出したり、だまして出かけたりとジェスはサッカーに打ち込む。友人のトニーがよく助けてくれて、両方の親も2人が婚約することを望んでいるが、彼はゲイであると言う。2人とも親が喜ばない選択をしてわざわざ険しい道を行こうとし、そのお陰で2人は親友になった。
解説によるとイギリスの総人口の4パーセントが南アジア出身者で、その約半数がインド系で、人種差別や偏見と対峙しながら独特の社会を作り上げてきたという。そうした社会状勢を踏まえて書いており、決して甘いだけの作品ではない。
最後はジュールズともどもアメリカからのスカウトの目に止まり留学が決まるし、コーチのジョーとはいい仲になるし、両親ともに理解して送り出してくれる。都合のよいハッピーエンドであるが、そこまでの紆余曲折をすり抜けたり飛び越えたりが、うまく書かれていてとても気持ちが良かった。図書館で借りた。角川書店 1000円+税です。

2003.12.17


森茉莉「贅澤貧乏」


このページに森茉莉「贅澤貧乏」という文字を何度書いただろう。暮らしの聖書のように入れ込んでいた時代があった。1963年初版で買って、それから40年。さすがにここ数年は開いていなかった。それはいやになったということではなくて、血肉化してしまったので、わざわざ開く必要がなくなったのである。
上に「赤」とつくほどの貧乏だけど、それでいて貧乏臭さというものを心から嫌っている魔莉という主人公の言葉に共感した。わたしも言葉や思想になっていなかったが、そう思って貧乏な生活をしていたから、お墨付きをいただいたようなものであった。
友人の家に行ったとき、ビールのコップにメーカー名が入っていたり、プラスチックの笊に枝豆が入れてあったらもうダメで、友人とは認めないことにしてしまう。結婚式の引き出物の花模様の鍋を使うなんてもってのほかである。そんなものを押入にいっぱい入れている人を軽蔑する。高価でも使わないものは捨てなきゃ。
勝手に軽蔑しているだけだからどうってことはないのだけれど、なかなかもって、厳しい贅澤貧乏原理主義者なのであった。森茉莉という有名人のお墨付きであることで理由付けできたのが便利であった。森茉莉がこの本を書かず、またわたしがこの本を読まなかったら、ずいぶんとぐずぐずした気持ちで暮らしていたに違いない。
近所の主婦達の会話を聞いていてついていけず、「あれは別の星の人間だ」と友人にしゃべってうっぷんを晴らすのもおもしろかった。わたしもアパートの入り口にたむろしている主婦達の間を通り抜けるのにナンギしていたから、ほんと別の星の人やと心の中で言いながら通ったものだ。

2003.12.16


泳ぎの達人


昨日書き忘れたので、もう一回プールの話題です。
先日プールに入っていったら、ねえねえとさっそく呼びかけられた。「昨日きてへんかったやろ、惜しいことしたなぁ、おもしろかったのにー」なにがあったんと聞いたらこういうことらしい。
杖をついたおばあさんがよろよろとプールにやってきた。85歳以上に見えたそうだ。そういう人でも最近は医者に言われて歩きにくることがあるので、こっちに来ると思ってたら、上級者用の泳ぎのレーンに危なっかしく入ったそうな。
「それからがすごいねん。行ったり来たり何往復したかわからへん、1000メートルは泳いだんとちゃうかな、泳ぎ方がきれいで早いねん」だそうだ。他の人はみんな泳ぐのをやめてじっと見ていたという。「泳ぎ終わったときは拍手したん?」と聞いたら、それはなかったけど、またよろよろと帰って行くのをみんなが見守っていたという。あの年であれだけ泳げるのは「昔前畑選手なんかといっしょに泳いでいた人かもしれへんね、もしかしたらオリンピックに出たかもしれへん」ということになった。
歩く人たちが特に痛快だったのは、泳ぐ人は歩く人を差別しがちだから、いつもちょっと偉そうにしている泳ぎ人たちを、おばあさんがへこませたからだと思う。

2003.12.15


師走のプール


12月に入るとプールがいちだんと空いてくる。というわたしも休みがちで、また行ってもあわただしく帰ってくる。プールにいる時間は邪魔されずに歩いていたいが、おしゃべりの相手に選ばれることが多く、立ち止まって話を聞く間はストレッチをすることにしている。
昨日はプールの入り口から歩いてくるのをじっと見ていた人に「その細い脚と小さい足で体重を支えているんやから、ヒザも悪くなるわなぁ」と言われた。おぬし観察がするどい(笑)。指導員の兄ちゃんは来年の阪神についてコメントを求められるし(笑)、大もてです。
わざわざ側まで来て「おくさんは生活が豊かなんやろね、わかるわ」と話しかける人がいてびっくりした。ここに来ている人の中でいちばん貧乏だと思っているのにと答えたが、「そんなことあれへんわ、いつも呑気そうで、明るうて…」と言う。わたしには人並みの生活をするという意識がキレているので、呑気に見えるのかもしれない。かえって中流の人たちのほうが、あれこれとお金に細かい話をするのであろう。ま、ネットで好きなこと書いているし、好きな食器でおいしいおいしいとご飯を食べてるし、豊かと言えば豊かかも。

2003.12.14


門前の小僧さん─ストリーム配信


お昼過ぎにプールに行く支度をしていたら「おーはじまるー」と相棒が言っている。昨日から騒いでいた“ストリーム配信”とやらがはじまったようだ。1時から4時までということなので、「しっかり楽しみやー」と言ってわたしは出かけた。1時間以上たっぷり歩いて帰って玄関のドアを開けたら、来客がたくさんいるような話し声が聞こえる。なーんとそれは東京は赤坂のセミナー会場の質疑応答の声なのであった。
このセミナーはプロのウェブ制作者が集まったメーリングリストが行っているもので、映像と音声が発信されて、それがそれぞれのパソコンにリアルタイムで配信されている。画像は少し難ありだが、音声はすごく鮮明で、目をつぶるとセミナー会場にいると言ってもいくらいな臨場感がある。おまけにチャット機能もついており、自宅のパソコンで見ている者どうしが会話をしたり、セミナー会場の講師に質問ができる。
北は札幌から南は石垣島までの会員が、リアルタイムで楽しそうにチャットをしているさまは、なかなか微笑ましくうらやましくなった。4時までどころか5時過ぎても終わらない。講師は2人なんだけど、1人は熱く語るタイプで、も1人は冷静なタイプ。わたしは著書を読んだことはないけど、本の背表紙を毎日見ているのでおなじみの人である(笑)。
「これやったらセミナー会場まで行く必要あれへんね」と言ったら、「むこうはこれから飲み会やねんで」と口惜しそうな返事が返ってきた。

2003.12.13


ブリのアラ


今日はブリのアラで粕汁をした。地酒の濃厚な酒粕が手に入ったので、今年の冬はおいしい粕汁が食べられる。先日はブリ大根しにた。どちらもうまかった。ブリのアラはスーパーで1パック198円だった。去年までは398円くらいで大きなパックがあって重宝した。カマの部分が入っていたので、そこは焼いて食べ、あとを粕汁やブリ大根にして2日楽しめた。
今年はカマがついた大きめの切り身を売っていて、当然いい値段がついている。ブリは大好きだけど、高価なのと切り身よりカマのところがおいしいので、ここ2年ほどアラしか買ってない。
今年はどうもそのカマのところが食べられなのではないか。困ったなぁ。いつも粕汁とブリ大根ではなぁとぼやいていたら、相棒が死ぬ前に一度ブリの塩焼きが食いたかったって言うんとちゃうかと笑う。照り焼きじゃなくて、あっさり塩焼きにしたブリが大好物なのだ。大根おろしを添えて、ほうれん草のおひたしをつけて、焼きたてにお醤油をじゅっとかける。クリスマスにでもカマ付き切り身を買ってきて食べよかな。

2003.12.12


寒雨の一日


今日はこの冬でいちばん寒いと思う。底冷えがする感じである。膝掛け毛布を出してきたが、座布団代わりの毛布と同じく、これも猫の花子の形見である。なんだかんだと死んでもう4年近くの猫を思い出しつつ暮らしている。
午後美容院へ行きカラー&カットをしてもらった。髪をうんと短く切ってもらって気持ちいい。お茶とお菓子を出してもらって、他愛ないおしゃべりを楽しんだ。
店主のSさんは最近プジョーの黄色いしゃれた自転車をマンションの駐輪場で盗まれたという。うちはボロ自転車だが数日前に地下鉄の入り口付近に止めておいて盗まれた。2年ほど前にはけっこう新しい自転車を盗まれた。それでもう当分自転車はやめて、歩きだけにすることにした。Sさんのほうはすぐに同じプジョーの自転車を買ったというから根性がある。若さかな。さすが駐輪場には置かず、自分の部屋の前まで持って上がっているという。
美容師のIちゃんが今日その自転車で御堂筋までお使いに行ったら、テレビの取材に出くわしたそうだ。大阪は日本一自転車が多いのを知ってますかと聞かれたとか。自転車の盗難もいちばん多いのとちゃうかしらね。

2003.12.11


木村二郎さん訳 エドワード・D・ホック「怪盗ニックの事件簿」


3ヵ月ほど前に東京在住のミステリーファンの姪が、おもしろい本はないかと聞いてきたので、どうかなぁと思いつつ「怪盗ニックを盗め」を紹介した。彼女はたいへんなステファニー・プラムのファンであるけれど、ドナルド・E・ウェストレイクのドートマンダーもののファンでもある。結果はオーケーで次も買うと言う。若い人にもエドワード・D・ホックが好まれるのを知ってなんとなく安心した。彼女だけということはないでしょうね。
本書は「怪盗ニックを盗め」に続く、異色の泥棒ニック・ヴェルヴェットが活躍する短編集で、10作が収められている。泥棒に活躍というのもなんだが、でもやっぱり活躍なんだわ。ニックはお金や宝石など金目のものは盗まないで、値打ちのないものを盗む泥棒である。料金は1件2万ドルで、プールの水を全部盗むように頼まれて盗んだことがある。
今回もおかしな注文を受ける。98セントのおもちゃのネズミ、家族のポートレート、昨日の新聞等々そのものには値打ちはないが、頼む人にとっては値打ちがある品物を頼まれる。理由は聞かない。泥棒をしているうちに、その理由がわかって、泥棒なのに探偵になっていることが多い。それでも絶対きっちりと料金をいただくところがなんともえらい。
いちばんおもしろかったのは「マフィアの虎猫」で、マフィアのドンが可愛がっている虎猫を盗むように頼まれるのだが、こころ温まる物語である。
同居しているガールフレンドのグロリアがのんびりしているようで、実はしっかり者であるのがこの本でわかった。その理由は読んだらわかります。(ハヤカワ文庫 740円+税)

2003.12.10


田辺寄席ニュース「寄合酒」12月号


上方落語の地域寄席「田辺寄席」は毎月1回阿倍野青年センターで開かれている。わたしはその存在を、数年前の週末ボランティアの掲示板とのつきあいで知った。ようやく去年の夏から聴きに行きはじめたがとても楽しい。できることでお手伝いをしようと、去年の末からボランティアでホームページを作らせてもらっている。
世話人会の人たちが当日の朝から作り上げた舞台で演じられる上方落語は大笑いさせてくれる。毎月満員御礼状態なので、いつも早めに行って席をとっているのだが、今月は仕事が詰まってしまい、どうにも行けそうもなくて残念である。
今日会報の「寄合酒」331号がとどいた。田辺大根フェスティバルの記事や、万葉集に歌われた息長川があったのは近江ではなく大阪であるという説の記事などがあって、落語の記事がある。そしてこの会報の中心である「参加者の声」がある。先月の感想を参加者が書いたもので、たくさんの人々が書いているのにおどろく。(ホームページにこの「参加者の声」が収録されているのでお読みください。田辺寄席サイトにはリンクページからいけます)
その中に【私は田辺寄席のHPを作ってられるビルボさんの奥さんがやられているVICのHPを見て、この会を知り・・・】と書かれている人がいる。ちょっと誰かに聞いて声をかけてくださればお話できたのに。いまも読んでいてくださるだろうか。服部さん、よければ「届けっ」メールをください。

2003.12.9


木村蒹葭(けんか)堂という人がいた


このページの上の写真見てくれはった? けんか堂さんの横でちょっと緊張しているのはわたしです(笑)。場所は大阪中央図書館のギャラリーの入り口です。江戸時代、堀江に木村蒹葭(けんか)堂という人が住んでいました。堀江はわたしの住んでいる西区新町の隣りの町です。けんか堂さんは近世大阪の趣味人として知られている人で、本名は坪井屋吉右衛門。蒹葭は芦の根という意味で、庭で井戸掘りをしていて偶然、芦の根を掘り出し「これは古来有名な浪華の芦に違いない」ということで書斎の名前としました。
わたしをエスコートしてくれているかのような立像(?)は、今回の展示をするにあたり、主催者が谷文晁の描いた肖像画(重要文化財)を元に、背丈を割り出して作ったものだそうです。
今年は没後200年ということで、大阪歴史博物館で1月に大がかりな展示があったのですが、わたしは行きませんでした。単なる偉い人だと思っていたからです。ところがですね、いま図書館で展示されている絵や書を見、説明を読んで、これは単に偉い人ではないと知ったのです。運よく歴史博物館発行のカタログを売っていたので買っていま読みかけています。
けんか堂さんはものすごく幅の広いインテリなんですね。「蒹葭堂日記」は44歳(1779年)から書き始めて亡くなるまで24年間続きましたが、そのうち20年分が残っています。その日記には交流した9万人の有名無名の名前がしるされているそうです。(後日に続く)

2003.12.8


久守和子/中川僚子編「〈インテリア〉で読むイギリス小説」


昨日この本を借りてきたと書いたんだけど、読みだしてみると、翻訳のあるものはほとんど読んでいるので、そのインテリアからの言及がおもしろくてたまらない。持って歩いて2/3まで読んでしまった。13人のイギリス文学研究家がテーマ毎に作家を取り上げて書いている。いままで読んだところでは、ジェイン・オースティン、ジョージ・エリオット、チャールズ・ディケンズ、ウイリアム・モリス、オスカー・ワイルド、ブロンテ姉妹と18・19世紀の作品をたどりながら、インテリアと主人公と作家についての考察していく。
「高慢と偏見」のエリザベスがダーシーの屋敷を好きである理由もわかったし、ディケンズの荒涼館の二つの館のこともわかった。
中でも、今回勉強になったのは、久守和子さんの『〈インテリア小説〉としての「嵐が丘」』である。バルテュスが「嵐が丘」の挿絵を描いていたのは知っていたが、見たことがなかった。そのペン画15枚のうち6枚が掲載されている。そしてその絵を解読しているのだが、納得できるものだった。でももっと驚いたのは口絵にあるカラー図版「キャシーの化粧」(油絵 1933年)である。挿絵を発展させたもので、登場人物のキャサリン、ヒースクリッフ、召使いのネリーの3人がいるのだが、現代の男女になっている。3人のそれぞれの表情が「嵐が丘」のそれぞれであることがすごい。これを知っただけでもよかった。

2003.12.7


夢のインテリア


「〈インテリア〉で読むイギリス小説」という本を図書館で見つけた。まだパラパラとしか見ていないのだが、ジェーン・オースティンのカントリーハウス、ジョージ・エリオット、チャールズ・ディケンズのヴィクトリア時代のインテリアからはじまって、現代にいたるイギリスの小説に書き表されたインテリアについて述べてあり興味津々である。
インテリアという言葉を知ったのはいつごろだろうか。言葉は知らなかったけれど、わたしは子どものときからインテリアに憧れていた。姉が持っていた紙でできたドールハウスは、折り畳んだ紙を広げると部屋の壁があり戸棚などが描かれていて、テーブルや椅子はうまいぐあいに床に糊で貼られていて立つのだった。その部屋の住人の名前はくるみちゃんで、友だちもいて、紙の着せ替え人形なのだった。姉が飽きてくれたときはどんなにうれしかったか。紙の部屋とくるみちゃんとで物語がどんどんできていくのだった。
それから中原淳一である。雑誌「ひまわり」には着るものだけでなく、インテリア記事がたくさん載っていた。貧乏で子だくさんの家だったから、狭い家の中の狭い自分のスペースをどうしておしゃれにするかが大問題だった。中学生のときに買った小さな本棚はいまも使っているが、花や人形を飾ったりしてどれだけ楽しんだことか。
独立してはじめて住んだ6畳の木賃アパートや、その次ぎの2間の文化住宅では、インテリアもクソもなく部屋中本だらけだった。その次は1LDKの公団住宅で、このときはずいぶんと凝ったものである。いま使っているテーブルもこのときに買った。同じ部屋なのになんでこんなに広いのかとウワサがたって、近所の人が見に来たことがある。なーに、人並みの結婚家具を持っていないだけなのである。

2003.12.6


お鍋で炊いたご飯はおいしい


今日は「お鍋で炊いたご飯はおいしい」というタイトルで書くというと、相棒がそれしか知らないのにおかしいと言う。なんで電気炊飯器よりお鍋のごはんがおいしいかとつっこまれるでと続いた。ごもっとも(笑)。でもおいしいよ、うちのごはん。
若い友人から、ビタクラフトの鍋でご飯を炊きだしたらとてもおいしい。しかも早く炊けるのがよい。なにかコツがあれば教えてほしいというメールがとどいた。やっぱりお鍋で炊くご飯がおいしいと思っている人がいるんだ。
ご飯を炊くのになにもコツなんかない。うちでは1時間くらい前に研いでザルに上げておいたお米をビタクラフトの鍋に入れ、1.2倍の水を入れて強火にかけ、吹いてきたら弱火の一歩前にして、5分くらいで最弱にして8分くらい、火を消して10分蒸すだけである。昔の「始めちょろちょろ、中ぱっぱ、ふうふういうたら火を止めて」の通りである。鍋が厚いから熱が通るまでが、始めちょろちょろ状態にあたる。
親戚の家で留守番を頼まれて1泊したことがあったが、その家の最新式炊飯器の使い方がわからないのである。その上にお米を入れ物からどうして出すかがわからない。うちは1斗缶にお米を入れているので、文明の利器を前にするとうろうろしてしまう。

2003.12.5


「ミステリマガジン」1月号 作家特集イアン・ランキン


「ミステリマガジン」を買っていた時期はずいぶん長い。創刊号が出たころから買っていたように思う。当時はとてもおしゃれな雑誌だった。ミステリーから離れた時期があったが、また10年くらい前から買いだして、2年くらい前まで毎月買っていた。いつも同じような誌面に飽きたのと、経済事情が悪くなったこともあって、最近は気に入った特集のときだけ買っている。たまに図書館で読む。
今月はイアン・ランキンの短編小説が5篇入っているという広告を見て買いにいった。お目当てのジョン・リーバス警部のは2篇ある。
クリスマスストーリーの「サンタクロースなんていない」はリーバスと恋人のジーンが、ホテルで催されるクリスマス特別企画「ミステリの夕べ」へ行って出くわした事件の話である。刑務所から出所後9週目のジョウイは、国から支給されるわずかなお金でワンルームアパートで暮らしている。スコットランド議会でエイチスン議員の意見が通れば、お金の支給は止められ、すぐに浮浪者の仲間入りである。暖房がままならないので、彼は毎日図書館に行って本を読んでいて、エドガー・アラン・ポーに出会った。ポーの本の中に「盗まれた手紙」があった。ジョウイはそれにヒントを得て、サンタクロースの衣装を貸衣装屋で借りる。サンタクロースになればホテルにも自然に入り込める。そう、そこでリーバスと出会うのである。とても気持ちの良い終わり方で楽しい短編であった。あと4篇もよかった。

2003.12.4


今日もスープストックづくり


水曜日は「ポランの宅配」がネットで注文しておいた野菜やハムや卵や調味料を届けてくれる日だ。最近は野菜セットを頼むのをやめて、単品を選んでいるので意外性がないのがちょっと残念。でもセットだと値段はお得になるものの、2人家族では食べきれなくてかえってもったいない。
今日はセロリの1株がものすごく大きくて青々しているのに感激した。キャベツもレタスもイキイキしている。ジャガイモ、タマネギ、ニンジンもうまそう。ほうれん草、小松菜、水菜、ニラなど元気な葉っぱを見ていると、早く食べてやらなきゃと思う。
そして、今日はスープストックをつくる日である。料理するたびにとっておいた野菜の皮なんかと、セロリの葉っぱやレタスの外側を順番に水に入れて煮て、できたスープを牛乳パックに3本つくって冷凍する。その他、大根の葉っぱとチリメンジャコを炒めたり、カブを薄く切ってカブ酢をつくったりと忙しい日である。

2003.12.3


うまいものはいまのうちに


うちで仕事をしていると朝がだらしなくなる。もともと夜型なのでいよいよいけない。仕事を晩ご飯後にまわしてしまい、その間にテレビを見たりするのでますます遅くなる。このページももっと早く書いてしまいたいのだが、メールの返事をしたり掲示板に書いたりでだんだん遅くなる。でも今朝は相棒の仕事の打合せが早い時間なので早起きした。目覚まし時計を3個もつけて飛び起きた。6時過ぎってまだ暗いのね。
夕方早めに晩ご飯にした。テレビのニュースを見ながら「うまいうまい」とお酒を飲んでいたのだが、相棒が「地震、テロ、なにが起こるかわからんから、こんなにうまいものは今のうちに食べとかんとあかんなぁ」だって。うまいものってなにを食べているかと思うでしょ。ふつうなら、お刺身、ステーキ、カニ、なんかを想像するよね。それが・・・うちの今夜は、魚フライ(既製品)に刻みキャベツ、湯豆腐、目刺し、カボチャの煮付け、カブの漬け物なのでありました。こんなんやから出世せえへんわなぁ。

2003.12.2


ローラ・リップマン「ストレンジ・シティ」


ボルチモアの女性探偵テス・モナハンもの6作目である。最初からずっと読んできたのは、女性探偵ということのほかに、表紙のイラストが大好きなさべあのまだからというエエカゲンな理由だった。いままでの5作まではどこかなじめない感じがあったのだが、この作品でいっきょ好きな探偵の中に入れました。
テスは犬のエスケイとはじめて手に入れた一軒家に暮らしている。と言っても廃屋同然で手をかけなければ住めないので、恋人のクロウは別のアパートにいるのだが、毎日来てなにかしている。家に帰るとクロウが「今日はどうだった?」と言うアツアツの生活である。
ボルチモアはエドガー・アラン・ポーの家や墓のある街である。1月19日のポーの誕生日には、マントにくるまった正体不明の人物が毎年欠かさず3本の赤いバラとボトル半分のコニャックを墓前に捧げに行く。この話は実話で、いまもボルチモアの人々はその人物をそっと見守っているそうである。
この墓参者の正体をあばいてほしいとテスの許へ依頼人がやってきた。依頼人は古物商で買い付けした装飾品が贋物だったのを、その墓参者につかまされたと言う。うさんくさい話なのでテスは依頼を断るが、クロウに墓参者を守るべきだと言われて、ポーの誕生日に墓地へいっしょに出かけて行く。
ポーの遺品や本が命より大事な人間が犯した殺人事件をテスが解き明かす。最後に墓参者と会うところが楽しい。彼はもう年なのでそろそろ後継者を探したいと思っている。そして「きみといっしょにいた若者だけど、彼なら─」とテスに聞くのである。「だめ!」と即答するテス。クロウはきっと毎年欠かさず出かけるだろうし、そしたら二人の生活にポーの墓が根を下ろしてしまうだろう。必死で断るテスがおかしい。
複雑なストーリーの他に、ハメットを意識した小道具、実在の人物から想定した墓参者の姿、ポー礼讃者の生態などとても楽しめた。(ハヤカワ文庫 880円+税)

2003.12.1

写真:木村けんか堂宅玄関にてツーショットしました〜

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