晩ご飯をシャーロック・ホームズで食べることにして、夕方までそれぞれ自由行動ということで、わたしは先にバスで出かけた。時間どおりにバスがきて快適に進んでいたが、福島西通りまできたら前方がクルマだらけだ。運転手が大阪駅前へ行く人はここで降りてJR東西線に乗るようにと言う。そこで何人かが降りて、次は浄正橋なんだけどなかなか動かない。停留所に着く前に、ここで降りたら阪神の福島駅に乗れると言う。あと2駅で桜橋だから歩こうと降りた。歩いていると出入橋のところに20分前に出たはずのバスがあった。降りてよかったーと歩いて桜橋に出てジュンク堂に行った。本を買って阪神百貨店のほうへ歩いていたら、20分前のバスがまだうろうろしている(バスの形でわかった)。わたしの乗っていたバスはどこまできたろう。こんなんはじめてだ。
阪神百貨店もえらい人である。早々に買い物をすませて、シャーロック・ホームズでへたりこんだ。でもおいしいギネスの生を飲んで元気回復。女主人が相棒にはバランタイン17年ものを、わたしにはカシスのお酒を振る舞ってくれた。すごーくうまくて、ますます元気になって帰ってきた。
テレビでヌレエフと森下洋子のバレエ「ジゼル」を見た。いまから20年前の東京公演である。その10年後にヌレエフはエイズで亡くなり、それから10年経ったんだ。
2003.11.30
毎週大きなキャベツ1個を食べきる。2人家族にしたら多いでしょ。刻みキャベツにレモンと醤油をかけて食べるのが好きで、塩鯖を焼いても横につけている。バター炒めしたのにスクランブルエッグをからませたのもカンタンなのでよくつくる。新キャベツのときはトマトといっしょのサラダだ。キャベツのスープも得意だし、カレー粉でインド風にしてもうまい。
年がら年中食べているのはコールスロー。コールスローというちょっとエキゾチック(?)な料理名をいつもなんのことかと不思議に思っていたが、つい最近「ロンドンのパブメニュー」という本でわかった。オランダ語でキャベツサラダという意味なんだって。
その本に作り方がのっているが、やっぱりキャベツ、ニンジン、タマネギのせん切りである。わたしはたいていレモンをたくさん搾ってマヨネーズで混ぜているが、この本では、マヨネーズ1カップ、白ワインビネガー1/2カップ、砂糖とキャラウェイとマスタードを各小さじ1,塩コショウを少々、となっている。そして和えてから冷蔵庫に1〜2時間入れておくんだって。なるほどである。
ちょっとおしゃれに食べるときにやったらええな。うちの場合は朝食に食べることが多いので大特急でつくるから、今度夕食にサラダがいるときにやってみよう。
2003.11.29
このサイトのミステリーページに岡田春生さんの「古代史ミステリー」をアップした。その中で触れられているジョセフィン・テイ「時の娘」はミステリーの名作中の名作として名前だけは知っていた。岡田さんはそれを翻訳書が側になかったので原書を読んだと書いておられる。こちらは残念ながら英語が読めないので小泉喜美子さん訳の文庫本を買って読んだ。この本が書かれたのは1951年、作者が亡くなる前年の作品である。
主人公グラント警部はケガをして入院中で、ベッドの上で時間をもてあましている。女優のマータが見舞いに来て人物の肖像画をくれる。その中にあったリチャード三世の顔にグラントは魅せられてしまう。
わたしはイギリスの歴史に知識も興味もなかった。でもリチャード三世という名は薔薇戦争のときのめちゃくちゃ悪いヤツというくらいは知っていた。本書には本編に先立って「薔薇戦争」についてのアンドレ・モーロアの「イギリス史」の一節と系図があって親切だ。
グラントは突然リチャード三世に興味を持ち歴史書を調べ出す。マータが役に立つと歴史研究生のキャラダインを紹介してくれたので、彼に頼んで古文書なども調査する。ベッド探偵と調査員の関係ができあがった。グラントの警官としての態度は、殺人によって誰が得をしたかという現実的なもので、文書を調べて結論を導き出していく。ロンドン塔に幽閉されていた二人の王子を殺したとされていることにも疑問を持ち、論理的に結論を導き出す。
最後に退院するときの看護婦との会話が暖かくてよい。わたしもリチャード三世に思い入れをするようになってしまった。こんな縁ってあるんやな。本の扉に〈真理は時の娘─古い諺─〉とある。(ハヤカワ文庫 600円+税)
2003.11.28
何回も書いているけどわたしは果物の中でいちばん柿が好きである。秋だけとシーズンが限られているのもいい。夏の終わり頃に梨が出はじめる。わたしは青い梨より赤くて堅い梨が好きで長十郎に目がなかったが、最近は売っているのを見たことがない。仕方なく豊水を買うがなんとなくたよりない。長十郎の堅い歯触りがなつかしい。その点、柿はいい。ポランの宅配に頼んでいるのだが、最初には刀根早生柿や種なし柿が届き、それから富有柿になる。
富有柿がきたらもうたまらない。いくらでも食べ続けるところを理性で抑えている(笑)。カゴに入れると美しい色合いが部屋の彩りにもなる。昨日はポランから届いた上に、ご近所の人が田舎から送ってきた柿を持ってきてくれた。山盛りの柿を眺めてホクホクしている。
相棒はリンゴのほうが好きなのだが、柿は今年いっぱいだからとガマンしていただいている。でも今日はこれが本物のリンゴだーと自分で紅玉をたくさん買ってきた。半分は皮つきのままかじって、半分はジャムをつくるそうである。
2003.11.27
いま西長堀からナニワ筋までの長堀通りの真ん中が工事中である。道路が両端にあって、けっこう広い真ん中部分が遊歩道になるらしい。決められた枠の中ではあるが、曲がりくねった道になりそうな工事の進行を見ていると楽しみである。
この道路は数年前までは同じく中央が遊歩道になっていたが、手入れをしていなかったので汚れていて歩く気が起きない道だった。でも勝手に伸びている雑草を見るのは楽しかった。そこが地下鉄工事のために閉鎖されて、その後は観光バスの駐車場になっているところ、更地のままのところがあったが、ようやく工事がはじまった。
まずその場所を片づけにかかり、ゴミといっしょに雑草や雑木をとりはらったのだが、立派なケヤキ1本だけはそのまま残してある。わたしがいつも渡る信号の安全地帯の側に桐の木が3本伸びていた。いつのまにか勝手に生えて伸びていったもので、毎年5月になるとみごとな紫色の花を咲かせていた。最初の整理段階ではそのまま残してあったので、「桐の木は残った」なんて喜んでいた。でも次の整理段階で切られてしまった。台帳にのってない木だろうから、しかたないのかもしれないが可哀想だった。せめてこのページに美しい花を咲かせていた桐の木が3本あったことを書き残しておこう。
2003.11.26
中央図書館の子ども向けの本棚の一番奥、研究書や宮沢賢治の本などが置いてあるところで「伴先生」と「わすれなぐさ」を見つけた。「屋根裏の二処女」と併せて3冊が嶽本野ばら監修で国書刊行会から出版された吉屋信子乙女小説コレクションである。3冊とも中原淳一の表紙絵で乙女チックそのものである。嫌いじゃないよ(笑)。
わたしは吉屋信子全集(朝日新聞社)に入っている「屋根裏の二処女」を持っていて、何度も読んでいる。二人の処女が二人だけの愛の世界を持つにいたり、二人で世間に立ち向かおうとしているところがなんとも言えない、素晴らしい作品である。
「伴先生」と「わすれなぐさ」は「屋根裏の二処女」に比べるとちょっと物足りなかったが、それでも吉屋信子の正義感の筋が通っていて楽しく読めた。「わすれなぐさ」は女学校のクラスを〈軟派〉〈硬派〉〈個人主義〉の三つに分類しているのがおもしろい。その派の代表として目立つ三人のそれぞれの家庭や生活が描かれ、自分にないものに惹かれる少女の心の揺れがいとおしい。もちろん、最後は〈大団円〉である。「伴先生」は東京の学校を卒業して地方の女学校の先生になった女性の話である。捨て子を拾って新聞に載り、有名になったために陰謀にまきこまれたりするが、あれこれあって、最後はやっぱり〈大団円〉へ一直線なのである。
この2冊と「屋根裏の二処女」は完成度が全然違うけれど、これもまた楽しく読めてよかった。
2003.11.25
ヴィクシリーズの翻訳者、山本やよいさんの本「わたしのボスはわたし」の企画・編集をされた松井さんは大阪在住の編集者である。「わたしのボスはわたし」ができたときにお会いして、いろいろとお話しているうちに、共通の知り合いがいることがわかってびっくりした。
その松井さんが企画された写真集の出版記念展を南堀江のSixでやるという案内をいただき、案内ハガキに使われている写真(本の表紙といっしょ)がとても気に入ったので行ってみた。Sixは先月一度ランチを食べておいしかったので、楽しみにして行ったのだが今日もおいしかった。スープとパン(オリーブオイルつき)とパスタ(エビとチンゲンサイのクリームソース)とコーヒーが量たっぷり。
ウッキーの写真は壁に黒い額に入れられて10枚ほどあった。あれっ、ハガキの写真と感じが違うなぁと見ていたら、お店の人が写真集を見せてくれた。うん、額に入れてあるのよりこっちがいい。大きさ・かたち(A5変形・ビス止め)、厚さ、紙の質、など、とてもよく考えて作られた楽しい本である。
うつぼ公園だとわかるのもあり、どこかで見たことのある建物だったり、通天閣がちょこっと見えていたりする風景、いかにも今風な若者たちの姿や生活情景など、軽さと暖かさがいい。(青幻舎 2800円+税)
2003.11.24
先月髪を切ってもらいにシュリットヘアへ行ったときに、店主のシマさんにろうそくをともしてお風呂に入ると気持ちよいと聞いた。真似してみようと思いつつ、ころっと忘れていたが、今朝半身浴をしようとして思い出した。昨夜例会でしゃべり過ぎて帰り、帰ってからもなんだかだと遅くなって今朝はアタマが重い。こういうときは半身浴に限るのだ。そこでろうそくを思い出したわけ。
ろうそくを出して昔気に入っていたベティさんが描いてあるピンクの小さい灰皿を出してきた。どっしりとしたろうそくにぴったり。風呂場に置くと火がゆらめいていい感じである。
気分がよくなり「ひまわり少女歌集」にあった歌を順番に思い出して歌っていた。ラパロマ、サンタルチア、帰れソレントへ、ソルヴェージの歌、等々。
それからは黙って火を見ていたら、突然ガストン・バシュラールの名前を思い出した。昔読んだ「火の精神分析」がどこかにあったはず。無性に読みたくなって探したが出てこなかった。どこへやったんだろ。好きな本だったのに。
2003.11.23
ずっと暖かい日が続いていたが、今日は風が吹いて寒い日になった。いよいよ冬到来かな。お昼に散歩に出たらナニワ筋のイチョウが風に吹かれて舞い散っている。うつぼ公園のケヤキ並木もきれいな色の葉っぱが足元にいっぱいこぼれている。葉を落とした枝の間から青空が見えるのももうすぐだろう。
今日はVFCの例会の日なので、梅田に早めに出て本屋に寄ろうとバスに乗ったら、eikoさんから電話があってもう梅田にいるとのこと。ジュンク堂で待ち合わせていっしょに本の間を歩き、お互いの本を買った。その間もしゃべりっぱなし。
例会場所に行ったら少し遅れてmariさんが来た。ものすごいスピードの会話でアタマもフル回転、しゃべって笑って4時間15分の例会が終わった。帰りはイーマの横を通って大阪駅前を通って阪急梅田までmariさんを送った。
地下鉄を降りると、空には星がきらきらしている。あれっ、シリウスじゃん、とばかりに目を凝らすとシリウスの上にオリオンが見えた、この冬最初に見たシリウスとオリオンである。
2003.11.22
最近の新聞や雑誌の健康記事を読んだおかげで、病気にならずに日常生活をきちんと送るためには、運動が大切だと改めてわかった。高年になると“今より鍛える”ことよりも“今を維持する”ために運動しなくていけない。運動はウォーキングがいちばんだという。それも、がんばらずにニコニコしながら(という感じで)歩くのがいいそうである。
水中歩行に通い出して2年ちょっと経つが、肩こりはゆるくなったし、体重は減ってきたし、よいことずくめである。最初はかなわんかったプールの人たちともよく話すようになった。ツーカーな人もできてこれも楽しいことである。はじめての人には、“一声かけ運動”と称して、にっこりとこちらから話しかけることにしている。なんてったって、お話伺いボランティアで鍛えているもん。ははは・・・生まれついてのお節介なのかもね。
今日わたしの前で展開された大阪のおばちゃんの話。
(1)献血に行ったら貧血気味だから血を採れないと言われたおばちゃん、「貧血にはなにを食べたらええのん」と聞くので「牛乳、チリメンジャコ、納豆・・・」なんて当てずっぽうに答えたのだが、そのおばちゃんは納豆が嫌いなんだって。それで「嫌いなものを無理に食べるのはようないよ」と返事したら「そうやな」と言った後、「かわりに甘納豆を食べてるねん」
(2)話し中になにか単語をど忘れしてしまったおばちゃん、「あれやん、あれやん」と言ったあげくに、のど元をさわって「ここまで出てきてるんやけどな、ここまで・・・それが出てけえへんねん」
相手は平然と「口開けーな、引っ張り出したげるよってに・・・」
2003.11.21
長い間、ミステリーの主人公は男性だった。ドロシー・L・セイヤーズのハリエットとピーター卿もそれをくつがえせなかった。まだ女性探偵が活躍できる時代でなかったからだ。ピーター卿の助手クリスピンさんのように調査の仕事をする人はいたが、主体は男性探偵だった。
レジナルド・ヒルのダルジール&パスコーのシリーズを読むと、はじめのうちは警察官は男性ばかりである。後のほうに女性警官が出てきたように思うが、まだ作品の中心になっていない。重要な女性はパスコーのよき伴侶エリーなのである。いくらエリーが作家として成功しても、作品の主人公ではない。
スペンサーシリーズも探偵はスペンサーであり、彼がいくら愛していて影響を受けていても、スーザンはよき伴侶なのである。
サラ・パレツキーの女性探偵V・I・ウォーショースキーが登場して、はじめて女性が主体のミステリーが誕生した。それまでに何人かの女性探偵はいたのだが、これだけの作品、これだけの探偵はなかった。まさに女性探偵の時代がはじまった。
警察小説もそうである。イアン・ランキンの作品を読むとレジナルド・ヒルとは一時代違うのである。主人公は一応リーバス警部だが、対等に女性のシボーン刑事も活躍する。シボーンはまるでリーバスが若いときにやったように事件に入れ込む。だからどっちが好きという問題でなく、レジナルド・ヒルも好きで読むけれど、イアン・ランキンは新しい時代を画した作家として読むということである(しかも大好き)。というようなことをレジナルド・ヒルを読み続けて思った。
余談ながら、映画「リトル・ダンサー」で、最後に大人になった主人公が「白鳥の湖」を踊る。そのシーンだけで、わたしはアダム・クーパーにいかれてしまった。そのアダム・クーパーのインタビューをネットで読んだのだが、彼がイアン・ランキンの作品を愛読していると言ったので、ますます好意を持ってしまった。
2003.11.20
1973年に書かれたダルジール&パスコーシリーズの3冊目だが、翻訳は遅れて1996年である。京都で講演会があったときは、まだこのシリーズを読んだことがなくて、サインしてもらうためにロビーで1冊買ったというお粗末なことであった。講演後の質問時間に、エリーのファンだという女性がうれしそうに質問していたが、ちんぷんかんぷんであったことを、いま思い出して赤面している。
その後、あるミステリーの会で、ダルジールもパスコーもほかの男性警官もみんないいのに、エリーだけが嫌いという意見に出合った。なんでパスコーがあんな女と結婚したのかわからないと言う。当時はエリーともう一人、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズのスーザンが嫌われていた。フェミニストということで、また主人公がそういう女に惚れ込んでいることにハラが立っていたみたい。
パスコーとエリーは大学時代の友人夫婦の田舎の新居に招かれたが、パスコーの仕事が遅くなり、その日に着くはずが翌朝になってしまう。訪れた家で2人はもう1組の客(ゲイのカップル)が銃に撃たれて死んでいるのを見つける。招待主の妻は庭で殺され、夫のコリンだけがいないため殺人の容疑者にされる。パスコーは友人の無罪を信じているが、他地域のことなので口だしできない立場である。一方、パスコーが残業して調べていた空き巣事件はついに死者が出た上に、被害者が自殺をはかる。
パスコーとエリーは悩みをともにしていよいよ近づき、本の最後では婚約するまでになる。なかなかいい感じです。フェミニストのエリーと昔かたぎのダルジールが対立し、妥協のない口論をするが、お互いに理解しあうところがよい。婚約者の上司だからといって、全然妥協しないエリーが素敵。いま二度目を読んでいる。何度でも読むだろう本の1冊になった。(ハヤカワ文庫 660円+税)
2003.11.19
わたしっていけないファンだわ。ここ何年か相撲に無関心だった。だって栃東が負けてばかりだもん。今場所、6連勝くらいで気がついて、その後は毎日5時過ぎにはテレビの前に座っている。新聞によると親方に「関脇に落ちて出直せ」ときついことを言われて、「一からやり直す」決心をした。ボクシングのトレーナーについて、坂を上り階段を駆け上り、ダッシュや反復横跳びなどで下半身を鍛えた。まるで「ロッキー」やな。昨日も今日も落ち着いて勝って10連勝である。あと5日見守っているからね。野球は終われども相撲があったのだ。
そして今日はK-1があった。世界王者魔裟斗が圧倒的な蹴りで勝った。強い上にオトコマエなんだよね。会場でクルマから降りたときの服装もカッコよかった。王者はこうでなくっちゃ。
もう一人、今日は負けてしまったけど、須藤元気もお気に入りである。入場のときのパフォーマンスがカッコいい。試合中のステップがいい。近未来的〜〜
わたしって薄情な女ね。勝っているときは騒ぐけど、負け出すと見向きもしない。阪神が負けているときも知らん顔してたし・・・
蛇足ながら・・・今日K-I見て思ったこと。阪神の選手はユニフォーム以外の服にもう少しおしゃれをしてほしい、お金をかけてほしい。
2003.11.18
このページのバックの色を変えました。読みやすくなったと思うのですがいかがでしょう。
10日ほど前、このページを読みたいのだが、バックがオレンジなので目が疲れて読めないというメールをいただきました。わたしは以前のカボチャ色がとても気に入っていたんですが、色が濃いので、パソコンによっては見にくい人がいるということに、はじめて気がつきました。
教えてくださった渡部さん、メールアドレスが書いてないので直接お知らせできませんが、またここへ訪れてくださったときは、ゆっくりと読んでくださいね。
ウェブ制作者から:ホームページをはじめて作ったのがこのサイトなので、行き届かないところが多々あると思います。こちらで気がついた不都合なところは追々直していくつもりですが、読者のかたがお気づきの点をご指摘くださればありがたいです。
2003.11.17
図書館で汚いハヤカワポケットミステリを手にしたら、〈私立探偵ダン・クルーガー〉とタイトルの上にある。名前を知っているような気がして開いてみたら、シカゴの私立探偵ではありませんか。1988年アメリカで発行され、1991年に翻訳が出ていたのだ。読んだような気がしたが、読み始めるとはじめてであった。シリーズでこの後何冊か書いているらしいが、翻訳されているのはこの1冊だけのようだ。
ダン・クルーガーはこの本では35歳、シカゴで警官を1年半ばかりやったがわけあって辞め、その後にロックバンドでギターを弾いていたが私立探偵に転身した。あらゆるドラッグに手を出すという、いっぷう変わった探偵である。小柄で痩せていて独身で銃を持っていない。それでシカゴの街を生きているのだから根性はすわっている。
シカゴの短い夏は猛烈な暑さである。依頼されたのは家出した娘を捜して連れて帰ることだった。難なく探しだして連れて帰ると、家では母親と娘のボーイフレンドがベッドにいた。泣く娘を連れて姉の家に連れて行ってすんだと思っていたら、翌日電話で呼び出されて、依頼人の家にいくと刑事が待っていた。昨日あれからすぐにボーイフレンドが殺され、娘を連れてあわてて車に乗ったのを逃走と誤解されていたのだ。その後は暑いシカゴの街を殺されそうになったり、ボロボロになりながら犯人を探り出す。
ドラッグをやる私立探偵にはロジャー・L・サイモンのモウゼズ・ワインがいて、彼の本は全部持っている。しかしモウゼズ・ワインが活躍したのは70年〜80年ではなかったろうか。88年に書かれたこの本は少し遅すぎたみたいな気がする。そのころはもうドラッグもタバコもやらない探偵の時代になっていたと思う。とダン・クルーガーを読んでいなかったことを弁解しております(笑)。
2003.11.16
実は洗濯機の「くずとりフィルター用替えネット」のことなんだけど、袋に大きな字で書いてあるのが「やっと見つけました」なのである。2年くらい前に東急ハンズで見つけて2つ入っていたのを使ってしまったので、また買いに行った。
もひとつ前の洗濯機のときは販売店で取り寄せてもらって、付け替えたのだがけっこういい値段だった。今度はもったいないのでネットの部分を自分でつくってみたんだけど、どうもうまくいかない。東急ハンズの家庭用品売り場で見つけたときは快さいを叫んだ(オーバーな)。ほんと、「やっと見つけました」んです。2つ入って380円。
今日も置いてあるか心配していたがあったのでほっとした。この袋ってよく汚れるし、最初についてたのは破れるまで使ったんで…。これで清潔、一安心。
今日は四つ橋に出てアレンジアロンゾで知り合いへのプレゼント用の品物を買い、心斎橋へ出てすこしうろうろした。このあたりはもうクリスマスセールがはじまっている。なにも買わないけど、街が楽しそうなのはいい。
2003.11.15
今年は毎日野球漬けだったので、日本シリーズが終わり、優勝パレードが終わって、ようやく野球は終わってよかったと思った。しかし、なんのなんの毎日のようにテレビにだれかが出ていて、やっぱり見てしまう毎日である。今日はサンテレビで「熱血!タイガース党」を見て、11時からNHKで「人間ドキュメント 阪神矢野輝弘」を見た。
先日は2時間番組があったのを途中から見たのだが、星野前監督の名言集がおもしろかった。そして赤星選手が可愛かった。
いつまで続くんやろね。プールで指導員のお兄さんと「昨日のテレビ見た?」なんてしゃべっていたら「これからお正月番組とかいろいろ出るやろから楽しみですね」とのこと。そうやろなぁ。でも、そこまではつきあわんとことは思っている。でも、赤星選手が出るとわかってたら見るやろなぁ。
2003.11.14
思い起こせば「トレント最後の事件」こそ、わたしが最初に読んだ海外ミステリーなんである。家の本棚にはたくさんの海外ミステリーの翻訳本が並んでいた。表紙がおどろおどろしいのがあって、本棚に立ててあっても表紙を思い起こしてしまって、トイレに行くとき困ったものだ。
「トレント最後の事件」はその後何十年も読んだことがないのに、トレントの爽やかさとヒロインの魅力が記憶に残っている。そのトレントが活躍している本ということで、図書館で見つけたときはうれしかった。最初の作品が「最後の事件」というのは、子ども心に残念に思ったものだが、その長編1作で退場させるはずだったのを、好評だったので長期に亘って活躍させたということである。
この本には12の短編が収められているが、さわやかなトレントに再び出会ってうれしい。トレントをちょっと紹介すると…彼は商業的に成功している画家である。あるとき新聞で読んだ殺人事件の記事をもとに推理し犯人を指摘する投書をした。これが当たっていたので、新聞社の社主に認められ、その新聞の特別調査員になり、新聞紙上で成果をあげる。アマチュア探偵ではあるが、警察とも信頼関係を結んでおり、しばしば相談相手として呼びだされている。独身で背が高く人当たりがよい。
ゆったりとしたイギリスのお話が心地よく、毎日ご飯を食べた後のお茶の友にして読みふけった。わたしには他のものには望めない癒し効果があった。
2003.11.13
最近あじが安くてありがたい。近所のスーパーで1匹100円くらいからある。いつも塩焼きで飽きてしまったので、例のごとく丸元さんの本を出してきた。
「丸元淑生のからだにやさしい料理ブック 楽しもう一人料理」の30ページに、〈あじの基本処理〉と〈あじの茶漬け〉と〈あじのフライ〉がある。昨日はあじを4匹買ってきて、基本処理を本のとおりに三枚おろしにした。それから2匹を明日のために茶漬け用をつくっておくことにした。うちは茶漬けはあまり好まないので、多分酒のサカナになると思った。この場合のあじは一口に食べられる大きさに切っておく。1カップのお水に昆布をたっぷり入れて強火にかけ、沸騰したら昆布を取り出す(この昆布は冷凍庫にためておいて煮昆布にする)。別にゴマ1/3カップを炒って加え、醤油と味噌と卵黄をよく混ぜる。そこへあじを入れて冷蔵庫にしまっておく。
あと2匹はフライである。三枚におろしたあじを2つに切って、塩をふり、小麦粉をまぶし、溶き卵につけ、パン粉の衣をつける。オリーブオイルを5〜6ミリの深さ(魚の身がかくれる程度)に入れて焦げ目がつくくらいに揚げる。
昨日の晩ご飯はあじのフライがおいしかった。レモンをたくさんしぼって刻みキャベツをつけたら塩焼きと違ったモダンな味である。
そして今夜、「これがあじか〜」と感嘆するほどおいしかったです。絶対お茶漬けでなくて酒のサカナにすべしと思いました。ゴマたっぷりの汁は温かいご飯にかけるとうまい。
2003.11.12
土曜日はちょっと南へ行って西の方角の浪速区へ、日曜日はかなり南へ行って東の方角の東住吉区へ行った。どちらもけっこう遠回りをして、道々のおうちの前にある植木を観賞させてもらいながら歩いた。
高さ1メートルをこえ、幹(という感じ)は直径3センチほどに成長しているローズマリーが紫色の花を咲かせている。遅咲きの朝顔が長い塀にからみついて咲いている。なぜか見事にみんな紫色なのだ。昔風の鶏頭の花を見たのは何年ぶりだろう。紅赤のトサカがすごく大きいのにおどろいた。ちょっとした空き地のいろんな草花のあいだにミズヒキグサがあちこちに咲いていた。更地の真ん中に紅色のコスモスが揺れていた。
そして、この秋いちばんのびっくりは柿がいっぱいなっている柿の木である。奈良なんかを散歩していて柿の木を見るのは当たり前だけど、こんな市内になんでやと思った。誰も取っていけへんのかしら。渋柿かもしれないな。
2003.11.11
わたしは阿倍晴明に昔から好意を持っているんだけど、なぜなんだろうと考えたら、子どもの時からなんとなく知っている名前なんだよね。「葛の葉物語」みたいな子ども向きの絵本を読んだのかもしれない。
それから多分だけど、先日このページに書いた花田清輝が書いていたと思うのよね。確信があるわけではないが、晴明とその時代の知識人が出てくる戯曲だった。知識人は動乱の時代をどう生きたらいいか、みたいなことをひねって書いてあったような気がする。そこでニヒルな晴明にいかれたような気がする。ここでわたしの晴明像ができあがった。
その後は歌舞伎に凝ったときに見た「芦屋道満大内鏡」である。そして岸里に住んでいたころは近くに晴明神社があり天神ノ森があった。泉北に住んでいたときには信田の森へ探索に行ったことがある。
そして最近のブームだが、だいたいわたしの晴明像と重なっているが、だんだんオーバーになってきている。わたしは岡部玲子のマンガを7冊目まで読み、夢枕爆の小説は2冊読み、テレビドラマで稲垣吾郎が晴明をやったのを毎回見た。映画はテレビで見た。それでちょっと飽きてきたところである。ま、新しい映画をテレビでやってくれれば見るけど、わたしにはもう、ちょっとかなわんというところまできている。
阿倍晴明は実在の人ではあったが、なぜ現代のわたしたちがこんなに彼に思い入れするのだろう。それを「阿倍晴明の虚像と実像 語られた歴史・由緒と被差別民」で知ったのだけれど、賤視されていた民間の陰陽師たちが、晴明の直系であるとことを、自分たちに権威をつけるためにさかんに言ったらしい。そしてどんどん晴明の姿は貴族的になり虚像になっていったという。その延長線上にいまの晴明ブームがあるのだろう。ええかげんな晴明ファンの自分を捉え直すいい機会になった。
2003.11.10
地下鉄田辺で降りてぶらぶら歩いていくと、漢方薬会社「うどんや風邪一夜薬」の横に実がいっぱいの柿の木があった。桃ヶ池公園の中ではケヤキが紅葉しはじめている。
先月は仕事の都合で来られなくて、結局今年は3回休んでしまった。皆勤するのはむずかしい。今日は早く行き開演45分前には座って本を読んでいた。今日も満員である。
桂文太の開口0番は「質問に答えて」で、寄せられた質問にユーモアとシャレで答えていた。シャレでウソを言ったあとに「今のはウソだっせ」と即言う。誤解されたことがあったんでしょうね。わたしも真似しょ。
「平林」桂まん我、この噺は子どものときラジオでさんざん聞いたが忘れていた。田辺寄席に行くようになって“タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ”というのを、突然電車を待っていて思い出した。
「首の仕替え」笑福亭三喬、顔が悪いから結婚もできないということで、顔を付け替えてくれる医者に行く。いろんな顔があるが人気者のは高価なので、捨てるばかりの落語家たちの首の中から笑福亭三喬(本人)のに付け替えるナンセンスな笑いの噺。角刈りの頭ででっかい体つきの楽しい落語家である。
「ゴーイング見合いウェイ」月亭遊方、自分には面倒を見過ぎる母親がいるというマクラの後に、しょぼいサラリーマンが会社の雑用係のおばさんに見合いを勧められる噺。可愛くてなんとなく憎めない遊方くん。(掲示板のケンケンくんはこんな感じの青年かなとふと思う)
「瑠璃壺芝居」桂文太、「瑠璃の壺 誉れの早駆け」という芝居を見に行った二人連れが、声をかけたり、弁当を食べたりしながら楽しんで見ている。芝居と二人の様子が、目に見えるようである。主君が他藩の姫と結婚するが、輿入れ時の書状と宝物瑠璃の壺が悪人に盗まれる。それがなければお家取りつぶしとなるので、必死で取り戻すというストーリーを、登場人物を演じ分ける文太さんの達者なこと!
「仏師屋盗人」笑福亭三喬、泥棒に入ったら仏師屋の家だった。素人の泥棒ととぼけた職人のやりとりがおもしろかった。親に勘当された泥棒は印伝の煙草入れと銀の煙管を持っていて、職人は「ええ煙草吸うてるなぁ」と一服する。
2003.11.9
「阿倍晴明の虚像と実像 語られた歴史・由緒と被差別民」という催しのポスターを地下鉄の通路で見て、行かなくちゃと思ったのは9月のことである。11月までやってると安心していたら、明日9日までになってしもた。絶対行こうと話し合っているときに、知り合いからメールをいただだいた。なんとわたしらが行こうとしている芦原橋の人権博物館に近い人権センターで、「1963年三池CO大災害40年シンポジウム」があるというのだ。
この手の催しには最近とんとご無沙汰しているが、三池には思い出があるので行っておこう。それで、今日お昼前にタクシーで出かけた。うちから環状線に乗ろうとすると、まず地下鉄に乗らなきゃならない。2人だとタクシー代と変わらない上にすぐに着く。帰りはわたしだけシンポジウムに行くことになった。
常設展示の部屋を進むと一番奥の部屋が特別展覧室である。入ったところに阿倍晴明関係の本がいっぱいある。難解そうなのからマンガまでいろいろ。そして、葛の葉伝説の歌舞伎「芦屋道満大内鏡」の錦絵が飾られている。いろいろな資料が展示されていてそれぞれ興味深い。
阿倍晴明は実在の人物であった。しかし、最近の本やテレビや映画では貴族社会の陰陽師として描かれ過ぎて、実際の陰陽師の姿からだんだん遠くなっているということからの展示である。中世から近世にかけて、貴族社会だけでなく民間にたくさんの陰陽師が存在していた。それを証明するいろいろな資料が展示され、解説が書かれている。
これって「ゲド戦記」と同じやんかとわたしは思った。「ゲド戦記」には魔法使いやマジナイ師たちが頼りにされつつ蔑視されている様子が克明に描れていた。西も東も同じように人間たちは不安で、祈祷やマジナイに頼るけれど、それを行う人をさげすんでいたのだ。
2003.11.8
近所のスーパーで箱入りの生干し身欠きにしんが安かったので買ってみた。安いだけあって身が小さかったけどね。でも一人前に木箱入りである。炊き方はたしか丸元淑生さんの本にあったぞと調べたら、ページがばらばらになった中央公論社「暮らしの設計170号 新・家庭料理」にあった。この本は17年間わが家の料理指南番である。
丸元さんのレシピは書かれた通りに写真に従ってすると、ちゃんとできあがるのがうれしい。
さっそくやってみた。油がきついのでまず油ぬきをする。大きめの鍋に湯を沸かしてにしんを入れ弱火にかけ少し煮る。静かに湯を捨てて流水で洗う。そのにしんをだし汁(昆布とかつお節に濃いめの醤油)に入れて中火で煮るとできあがり。
そのままごはんのおかずによし、にしんそばによしである。残ったのは冷蔵庫に入れておくとけっこうもつので便利である。
今回はにしんそばを2回した。京都のお蕎麦屋さんで食べるのとかわらないという評判である。ははは・・二人だけで言っているのです。ごはんのおかずにも2回した。酒のサカナにもいい。焼酎湯割りにぴったしでした。
2003.11.7
昨日書いた花田清輝の講演会に行ったのはだいぶ後のことであった。たしか新日本文学会の主催で数人の作家のうちの一人であった。あとは野間宏がいたことを記憶している。昔の朝日会館だったろうか、同人雑誌の友人たちとわいわい言いながら行った。花田清輝のハンカチを手から手へ移したりポケットに入れたりしながら話したスタイルは覚えているが、内容はさっぱりと忘れてしまった。ライトが当たるとブサイクな人でもきれいに見えることを知ったのは、作家たちの帰りを見送って出口に立っていたからだ。
あと講演会に行ったのはサラ・パレツキーのほかは、サルトルとボーヴォワールを東京の読売ホールで、アーノルド・ウェスカー(だったと思うんだけど・・・イギリスの怒れる若者作家3人のうちの1人だったと思う)を北浜の生命保険会社のホールで、開高健がベトナムから帰ったときに御堂会館で。そうそう、京都までレジナルド・ヒル、マイケル・ディブディン、フィリップ・カーのミステリー作家の講演会も行ったっけ。
サラ・パレツキーは別格として、ボーヴォワールとサルトルのカップルはかっこよくて、わざわざ東京まで出かけた甲斐があった。アーノルド・ウェスカーは黒いマントを背中にかけて、身振り手振りが大きくてスターって感じがした。開高健はベトナム帰りで興奮してた。ミステリー作家3人はみなまじめでよかった。
2003.11.6
わたしがヨーロッパの文化に関心を持ったのは、少女雑誌「ひまわり」に連載されていた大久保泰さんの解説記事からだと、以前このページで書いたことがある。その後に影響を受けたのが花田清輝「復興期の精神」だった。どこでこの本のことを知ったのかおぼえていないが、古本屋で買った文庫本はよれよれだった。その本をわたしが何度も暗記するほどに読んだので、ページが離ればなれになってしまった。
なんでこの本をいま思い出したかというと、先日読んだ「バルテュスとの対話」で、バルテュスが若いときにイタリアでいろいろな絵や彫刻を見て学んだという話で、チマブエとジョットオの名前が出てきたからだ。「絵にてはチマブエ・・・」という1行が「復興期の精神」の中にあった。以前はチマブエがもてはやされていたが、ジョットオが出てきて第一人者になってしまった、というようなことだったと思う。
また、リラダンの名前も知った。「生きることか、それは家来どもにまかせておけ」って言葉が紹介されていたが、かっこいいと思ったなぁ。そして岩波文庫でリラダンの本を読んだのだった。花田清輝が書いているのを知るとその雑誌を買って、彼の記事だけをしっかりファイルしていたし「近代の超克」も買ったことがある。
ミステリーを書くと言っていて結局書かなかったんだっけ。チェスタートンについておもしろいことを書いていたと思う。なんでか、「ミステリマガジン」に写真が出たことがあって、ヴィクター・マチュアに似ていると書かれていたことがあった。
そんなことを思い出してちょっと検索してみたら立派なサイトがあったのでおどろいた。若い人が花田清輝に興味を持ちだしているとは知らなかった。講談社学術文庫で「復興期の精神」が復刊されているのもさっき知った。わたしには昔の恋人みたいなもんで、いまは興味がない。
2003.11.5
今朝の新聞の座談会(読者交流月間シンポ「言いたい!聞きたい!朝日新聞」)で宮台真司さんが言ってるのを読んで笑ってしまった。引用させてもらうと・・・
「・・・若い人の行動パターンも変わり、映画で言えば90分とか120分間、暗い場所にいて画面を見続けることができなくなっています。だから時間をかけて新聞を読む忍耐力を持たないということもあります。」
わたしは新聞は時間をかけて読む方だ。忍耐力があるというより活字中毒者の習慣かな。
先日野球シーズンが終わったので、見たかったビデオを借りてきた。1日目、晩ご飯をさっさと食べて「シカゴ」を見だしたのはいいが、なんか落ち着かない。刑務所の場面が冗長な感じがする。最後のマシンガンを持って踊るところはよかったけど、そこまでが長かった。翌日は「ショコラ」を借りてきた。うーん、やっぱり途中で退屈したというか、動きたくてもぞもぞしてくるのよね。90分とか120分かけて画面を見ることができなくなっている。これって若い証拠? 映画館だったら別だったかもしれないが。
2003.11.4
朝起きたら雨が降っていた。ご飯を食べたら優勝パレードを見に出発しようと決めていたけど、雨はだんだんひどくなっている。雨に濡れたらまた体調を崩すからと、ライブは中止にしてテレビで見ることにした。
降りしきる雨の中を選手たちはずぶ塗れになりながら出発した。後のほうにいたら、傘が邪魔になって選手の顔が見えへんやろと思っていたのだが、とんでもない、前にいる人はみんな後の人を気遣って、傘をささずにパレードを迎えていた。さすが阪神ファン!
金曜日の夜は胃が重くてナンギし、土曜日には治ったがビデオで映画を見たあと、本を読んで、このページと掲示板で夜更かししてまた疲れてしまった。
映画のビデオがいけなかった。野球が終わったので待望の映画を見ようと「シカゴ」「ショコラ」と2日続けて見た。野球だとコマーシャルはあるし、途中で立ち上がって用事をしたり、負けてきたら止めたりしていたが、映画はずっと見っぱなしだもんね。目も疲れた。若いときの勢いは何処にいったやら…、1日に映画館をハシゴして3本見たこともあったのに…。2本立てを2館行ったこともあったのに…。
今日は出かけるのを中止したのが正解で、昼ご飯をつくってもらい、夕方から爆睡したら、調子はずーっとよくなった。明日は元気だ!
2003.11.3
便利な世の中になったものだ。先週の日曜日の新聞書評で見た本が書店になかったので、その夜アマゾンに注文したら木曜日にとどいている。新聞にあった表紙の写真を見ただけで楽しそうと思った。もちろんカレル・チャペックの本だから一筋縄でいかない楽しさなのはわかっていたが、ほんまにそう。
まず、めす猫のプドレンカがおす猫と入れ替わって住みつくまでの話がきつい。バイタリティーのあるおす猫がヒ素と人間の怨念の毒気にあてられて息をひきとったとき、戸口に猫の鳴き声が聞こえた。この子猫がプドレンカと名付けられ、たくさんの子どもを産み、チャペックはその子どもたちを引き取ってくれるところを探すのに苦労する。
その後のプドレンカやその子たちの話、犬と猫の違いなど、いつものユーモアのある文章が続く。「子犬の生活 ダーシェンカ」の写真がめちゃくちゃ可愛かったが、今度も猫の写真が可愛い。両方とも兄さんのヨゼフ・チャペックのイラストがある。これもめっぽう可愛い。わたしはどっちかというと猫のほうが好きなので、本としては「子犬の生活
ダーシェンカ」のほうがいいけれど、写真が可愛いのでこちらのほうがいい。もう、ねえ、一枚一枚の写真がすごく可愛いの。ちょっとせつないほど可愛い。猫の本や写真集をたくさん持っているけど、この本の写真がいちばんいい。
※「子犬の生活 ダーシェンカ」を読んだのは2000年の5月で、このページのバックナンバーに(1)(2)の感想が入っています。
2003.11.2
プールのロッカールームであれーとなった。トートバックの中にいつも入れている、濡れた水着を入れるビニール袋が入ってない。そういや昨日古くなったので捨てて、代わりのを入れるのを忘れていた。家から服の下に水着を着てくるので着替えを持っているが、これは先月からお気に入りの布袋にしている。どうしようかなと困ったが思い出した。先月アレンジアロンゾへ行ったときに猫がリンゴをかじっている絵のついた小さな袋を買ったんだった。それに手帖とボールペンとポリ袋を入れていた。やれやれスペアがあってよかった。
先月はパソコンのインキがなくなってあわてて買いに行ったっけ。こんなのぜったい早めに用意しとかなくちゃいけない。スペアは大切だ。
若いころはよくお米を切らしてあわてて一升買いをしたものだ。なんて言ってるけど、最近だって味噌醤油を切らしてあわてている。
2003.11.1
写真:「ふしぎ猫 プドレンカ」ブロンズ新社