マイクル・コナリーの「夜より深き闇」を読むと、絵画が作品の中で重要なものとして書かれていることに、驚きを感じるとともに懐かしくもなった。大胆にも画家の名前(ヒエロニムス・ボッシュ)を主人公の刑事の名前にしていることには、シリーズを読み出した最初から気になっていたが、今回は画家ヒエロニムス・ボッシュの作品が主題なのである。
少女雑誌や婦人雑誌の口絵で泰西名画を知ったくらいの知識しかなかったわたしが、最初に理論として絵画を知ったのは、野間宏がブリューゲルを取り上げていた「暗い絵」だった。内容を忘れてしまったが、ブリューゲルをこの本で知ったのは間違いない。そのあと、中野重治が「百姓ブリューゲル」と書いていたように思うが、この記憶はおぼつかない。雑誌「みずえ」のブリューゲル特集号を大切に持っていた時期があった。
そのあと、だいぶ経ってから、多分、澁澤龍彦の著書でヒエロニムス・ボッシュを知ったと思う。画集も買い一時は熱中していた。
「夜より深き闇」でヒエロニムス(ハリー)・ボッシュ刑事は、元FBIの心理分析官(退職しているが元同僚に頼まれて登場)に殺人事件の犯人と目される。その理由になるのはヒエロニムス・ボッシュの絵に現されたものの分析である。ボッシュの生い立ちも調べられる。ボッシュの母親はハリウッドで売春婦をしていた。ボッシュが幼いころに母親は殺され、犯人は捕まらなかった。そのあと青少年施設や里親のところで大きくなり、軍隊から戻って警察に入った。その経歴も娼婦を殺した男を殺したに違いないと思われる要因になる。
あと少しで読み終わるので、明日には「夜より深き闇」全体の感想が書けると思う。
2003.7.31
仕事が一段落したので、夕方から散歩に出てどこかで晩ご飯を食べようということになった。四つ橋でちょっと用事をすませて南のほうへ向かった。元は結婚家具専門店が立ち並んでいた立花通り商店街が変わっているという話なので、ちょっと見ておこうというわけである。
いやぁ、すごいすごい、この辺りは昔よく納品の帰りに通っていたが、地味なところだった。それが大阪とは思えないようなおしゃれな通りになっている。こんなにたくさんの店が密集しているところは珍しいと雑誌に出ていたが、ほんまに超お洒落な服屋さん、雑貨屋さん、家具屋さん、カフェ等が集まっていて、若い客がいっぱいいる。わたしのような普段着の高齢者がこんなカフェに入ったら、遠く郊外から出てきている若者に悪いとマジで思った(笑)。
お腹も減ってきたし、そうそうに堀江かいわいを去り、昔から知っている新町の居酒屋へ行った。この店はテレビがなくて、昔からサラリーマンがボヤキながら飲む店であったが、今夜も一組だけの客が営業マンの優劣について論じていた。昔みたいであり、しかし昔の活気がないというのが悲しい。まあ、久しぶりのちゃんこ鍋と生ビールがおいしかったからよしとするか。
2003.7.30
夏の健康維持のために、酢、オリーブオイル、ゴマを食べようということになったが、いちばん食べにくいのがゴマである。パンを食べるときはゴマのペーストよりジャムのほうが好きである。ゴマの豆乳ドリンクもうまいけど、毎日飲む習慣がなかなかつかない。豆乳を買ってくるのを忘れる。
やっぱり料理で食べるのが正統ではないか。ということで、ゴマ和えをいろいろと試すことにした。ゴマを炒って、小さいすり鉢に入れて山椒のすりこぎで摺る。ほうれん草、インゲン豆がなんと言ってもうまい。ナスを炒めてから和えるのもいい。それから案外おいしいのがモヤシである。ブロッコリー、キャベツ、小松菜は食べられるが、もう一つやなぁ。でも晩ご飯のおかずの一皿としては出せる。ゴマ和えにおいしい野菜がまだなにかあったら教えてください。
今日の晩ご飯は、ハチミツ鶏(ハチミツ、ショウガ、ニンニク、酒、味噌に半日つけておいたもの)を焼いたもの、ビールに合う。シシトウの焼いたの、キャベツのゴマ和え、タマネギのみそ汁、納豆、キムチでした。
2003.7.29
古い友人からちょっとだけだがテレビに顔が映るので見てくれとメールがあった。30年くらい前にジャズ喫茶で知り合った仲で、税理士という堅い商売をしながら趣味でブルースバンドをやっている。10年くらい前に郊外のバーへ演奏を聴きに行ったほかは、年に1回くらい電話でしゃべるだけだった。そのころの友人とは、いつでもどこでも知り合ったときの調子でしゃべる。私がいちばん年上なのでいちばん偉そうにしている。
先週の祝日の午後1時、忘れないように早めにテレビ大阪をつけて待っていた。そしたらその番組は先日行われた、大阪とシカゴの姉妹都市を結ぶブルース・フェスティバルなのであった。大阪のブルースバンドの演奏の間にシカゴのブルースバーや街の様子が映し出されて、思わぬ拾いものであった。
友人の出演場面はほとんど一瞬の間であった。なんせ長いこと会ってないので、あれかなと言いあっている間にカメラは他の場面になってしまった。
ありがたいことに大阪のブルースバンドあれこれの他に、木村充揮やシカゴのブルースバンドも出演していて、久しぶりに聴いた“天使のだみ声”木村充揮のブルースがよかった。憂歌団のコンサートで木村充揮が歌う「サマータイム」を聴いて、震えあがるほど感銘を受けたことがあったが、いつ聴いてもブルースを生きている歌い手である。シカゴブルースと並んで遜色のない大阪ブルースである。
2003.7.28
今日は夏らしい天気になった。ゆっくり起きて朝風呂にゆっくりつかって、朝ごはんを食べて、コーヒーを飲みながら新聞を読んだらいい時間になった。プールに行き1時間と少々を真剣に歩いて帰るともう午後遅い時間。ちょうど一仕事終えた相方が一息入れようと、ジン(タンカレー)のロックをつくっているところだったので、わたしも一杯つくってもらった。レモンとジンの香りが心地よく、つい飲み過ぎてしまい、遅い昼寝をしてしまった。
夜は昨日つくったカレーの残りとサラダ(キャベツとトマト)で簡単にすませた。お酒は焼酎(久米仙)のロックにした。最近はビールよりスピリッツのほうが好きである。そんなことを言うと飲んべえみたいだが、わたしの場合は“好きだけど弱い”の言葉どおりである。ほんの少々で酔っぱらう。ご飯のあと野球を見ているうちにまた寝てしまった。それから目を覚ましてテレビで南極大紀行を見た。さあ、片づけものして本を読まなくっちゃ!
2003.7.27
ジュンク堂でマイクル・コナリーの新訳を探して新刊コーナーをぶらついていたら、目に飛び込んできた。藤田嗣治の画集が欲しかったんだけど、ずっと前に洋書店で見たときは、目の玉が飛び出るほど高くてとうてい買えなかった。少し前に同じ講談社から出た「素晴らしき乳白色」の広告を見て欲しかったけど、21,000円だったのであきらめた。そこへ猫の画と猫についての随想を集めた画文集である。うれしい。3,000円という身分相応な金額(笑)で手に入ったのがうれしい。
藤田嗣治の画が昔から好きだった。「婦人公論」や「新女苑」など昔姉が買っていた雑誌の口絵で知っているくらいの知識だけれど、“フジタと猫”として記憶していた。いま持っているのは“名画の中の猫”という本に猫と裸婦が描いてあるのと、イギリスに留学していた友人が送ってくれた絵はがき、猫関係の展覧会があったときに買った絵はがきなどである。どんなに画集が欲しかったか。今日ようやく手に入れて幸せ。
内容は知っている画よりも、はじめて見る画が多く、フジタが自画像を描いている写真や、1950年代の“猫の日”(フランスには猫の日があるのかな)にジャン・コクトーといっしょに王冠をかぶった素晴らしい猫と写っている写真がある。さまざまな少女と猫、裸婦と猫、幻想的な猫の姿態を描いたものなどがあるが、なかでも猫といっしょの自画像数枚が興味深い。(講談社 3000円+税)
2003.7.26
毎日涼しくて過ごしやすいなんて呑気に思っていた。そのうち梅雨明けして暑くなるさなんて思っていた。ところが冷夏らしい。えっ、なんで? 先月バスで聞いた「梅雨が長いと夏が暑いと天気予報で言っていた」というのはどうなったの? 寒さの夏はおろおろ歩き・・・という宮沢賢治の一節が浮かんできた。洗濯物が乾かないのでオイルヒーターをつけてのっけといてもそんなに暑く感じない。えらいこっちゃ。
今日は涼しいしヒマだったので午後から堀江方面に散歩に行った。陽が当たらないから帽子をかぶることもない。今度友人とおしゃべりするとき、どこのお店でお茶しようかと街をうろついていると、新しいカフェ、雑貨店がやたらと目につく。久しぶりだもんな。しかし今月は節約予算なので欲しいと思う気持ちを起こさないように気をつけて、お茶もせず、雑貨も買わずに帰った。
帰り道に新しく開店したスーパーがあったので、今日のおかず、天神祭だからお刺身用の剣先イカを買い、明日のカレーに入れる鶏肉やカリフラワーなんかを買った。
昨日ここで「届けっ」メールを出してくださいと書いた相手のかたから、今朝いちばんにメールが届いた。毎日読んでくださっているんだと感激した。
2003.7.25
まだこれから暑くなるだろうけれど、今年は涼しい日が多い。昼は蒸し暑くても、夜は涼しくてよく眠れる。今日なんかいつもの天神祭の暑さを思うとウソのように過ごしやすい。温かいご飯とみそ汁で夕食を食べても、冷たい風が吹き抜けていき汗をかくことはなかった。いっとき幸せな気分に満たされた。
髪が伸びてうるさくなってきたので、シュリット・ヘアに行き髪を染めてもらいカットしてもらった。その間ずっと他愛なくしゃべりっぱなし。水着の話はウケてました(kumikoページ7月15日とBBS16日をお読みください)。もちろん昨日の久保田投手については熱い会話が交わされた。
当ページを読んでシュリットの常連客になった人がいらっしゃるそうである。わたしが最初に行ったときのこのページを読んでからなので、もう1年経っていることになる。「一度kumikoさんに会いたいと言うてはったけど、どう返事しましょうか」とのことなので、「届けっ!」メールを出してくれたらメールで返事するからとことづけた。
そのおかたへ……これを読んだら「kumiko」ページのトップに「MAIL」という文字があるのでクリックしてください。「届けっ!」メールが現れます。お待ちしております。
2003.7.24
1976年コリン・デクスターの第1作「ウッドストック行き最終バス」が発行されたとき、わたしはイギリスにウッドストックがあると知らなかった。それで「ウッドストック行き最終バス」をアメリカのウッドストックと誤解して買って読んでがっかりした。1969年に行われたウッドストック・フェスティバルはいまや歴史の1ページだが、その当時はまだまだそうでなかった。“愛と平和と音楽の3日間”と呼ばれていたその開催地の名前をつけた作品が地味っぽい警察ものだったんだから。当時よく行っていたミナミの飲み屋中野でしゃべっていたらミステリーの話になって、いつのまにか話に加わっていた男性が、自分もウッドストックにだまされて買ったと言ったので笑ってしまった。
それ以来コリン・デクスターを読む気が起こらないままになっていたのだが、先日突然読んでみようという気になって、モース主任警部シリーズ(オックスフォード)の2作品「消えた装身具」「カインの娘たち」を読んだらおもしろかった。これから当分図書館で借りられるだけ全部を読んでしまいそうだ。去年から今年にかけてレジナルド・ヒルのダルジール警視シリーズ(ヨークシャー)をたくさん読んだが、続けてとりこになりそう。ピーター・ラヴゼイのダイアモンド警視シリーズ(バース)もあるし、イギリス各地に詳しくなりそうだ。もちろんイアン・ランキンのリーバス警部(エジンバラ)もいる。一時はアメリカ各地の私立探偵に夢中だったのだが…。
2003.7.23
副題が「ジェンダーの言説と表象」となっている。ふだんはあまり読まない類の本だが、図書館の新刊本の棚にあったので借りてみた。ジェンダーとかフェミニズムとかをタイトルにうたった本はほんとに苦手である。でも読んでみようと思ったのは、目次を見たとき、ヴァージニア・ウルフを取り上げるのは当然のことだが、大好きな「カーミラ」、映画を見たときに熱中して読んだ「レベッカ」、「フランス軍中尉の女」などが取り上げられていたからだ。これら愛読した本をジェンダーの視点から解読しているのであれば、わたしにもジェンダーを説明できる理論的な智恵が得られるのに違いないなんて、ちゃっかり思ったりして読んだんだけど、「あーそーなの」くらいしか頭に残らなかった。学者の本を読むのは苦手であるとまた認識した。
サラ・パレツキーの「ウーマンズ・アイ」序文を読むと、「これがほんまのフェミニズムやんか」と元気になる。「やったろやんか」という気がふつふつとわき上がってくる。わたしには解説本はいらないとつくづく思った。
2003.7.22
この映画がサリー・ポッターによって製作されたのは1992年のことで、翌年のVFC会報『VI』12号にわたしが紹介記事を書いている。それなのに見ないままに10年経って、ようやく先日ビデオで見ることができた。ヴァージニア・ウルフの同名の作品(小説の翻訳タイトルは「オーランドー」)の映画化である。
少し古びてはいるが格調が高くて豪華な映画だった。16世紀のイギリス、エリザベス女王に寵愛されて不老不死であれと言われ、ノールという屋敷を与えられた青年貴族オルランドの物語である。ティルダ・スウィントンが美青年と美女の400年の年月を、最初は男性として登場してロシアの女性に恋をして、あるとき目覚めると女性となり、最後は原作の時代を超えて現代になり子どもを連れている。
原作はヴァージニア・ウルフが恋人のヴィタ・サックヴィル=ウェストに捧げた作品で、また主人公オーランドーはヴィタをモデルにしているという複雑な小説である。オーランドーと並んで物語の中心となる実在の広大な屋敷ノールは、1976年にナショナルトラストのものになるまでサックヴィル家のものだった。しかし女性が財産相続できないという法律のためにヴィタはノールを去ることになる。ヴァージニア・ウルフは愛するヴィタのためにこの作品を書いた。
2003.7.21
今日の甲子園は広島の黒田投手と阪神の下柳投手が投げ合ってすごく緊張した試合だった。広島は初回に1点とってあとは0が続き、阪神はずっと0で8回裏に苦労して1点取った。片岡の2塁打、矢野のバント、藤本の犠牲フライとつないで、ようやく取った1点。しかし、9回表、久保田投手に代わったら、あっさり本塁打で2点取られてしまった。久保田くん、この前も広島相手に負けてしまったんじゃなかったっけ。
人のことを言っている場合ではない。kumikoの今日も失敗(今日のではなく、今日もです)談。晩ご飯をつくっている最中に、不用意にレンジの上に置いたボールをつかんで親指を火傷した。ご飯の最中は氷を入れたコップに当てて冷やし、すんだ後は冷やした布巾に氷を包んで冷やしているうちに、ようやく皮がぷっくりと猫マメみたいになってきた。
それだけではすまず、さっき洗濯物を取り入れようとして朝顔の蔓用の針金にひっかけて、朝顔の鉢が台から転落、苗はすっぽぬけてしまった。とりあえず全部こぼれた土をもどして苗を突っ込んだが、明日の朝、相方が面倒をみるそうである。
2003.7.19
わたしは私立探偵が活躍するハードボイルドミステリが好きと言っているけれども、新刊書をどんどん読んでいるわけではない。実は翻訳ものの本格探偵小説も好きなのだ。子どものときから並行して家にあるものをなんでも読んでいる。でも一応ハードボイルドを主にしようと決めてからは、ドロシー・L・セイヤーズとクレイグ・ライス以外はあまり手にしないようになっていた。
数年前に郷愁に誘われたように、国書刊行会から出ている世界探偵小説全集を買い始めた。結局買ったものの積んでおくだけだったので、20数冊(もっとあるかな)でやめてしまったのだけれど、まだ読んでないのが10冊ほどある。読んだらきっと収穫があるに違いないと最近思うようになった。エドマンド・クリスピンがドロシー・L・セイヤーズの次に好きなんだとわかってからである。こんなに楽しい作家がいたんやねえと、つくづく思っているところである。
一昨日「永久の別れのために」を特急で読んで感想を書いたのだが、昨日と今日、時間がある限り読み返していた。ゆっくり読んでいると味わいがじわりとひろがってくるという感じである。
学者探偵のフェンの言動がすこぶる楽しい。イギリス中にその名が知られているからと、ダチェリーと称して、村人を悩ませている中傷手紙の調査に村にやってくる。キャスビー警部が村のパブで話をしたときに、その名がディケンズの登場人物であると知っていて、皮肉で応酬するのも楽しい。バスから降りて村に向かって歩いていて道に迷う。そこで出会うのが主要人物の少女で、クリスピン好みの早熟で生意気だが純真な少女である。
1951年の発表だから第2次大戦後で、イギリスも時代の変わり目だということがわかる。変わらない田舎の暮らしといえども、中産階級が召使いを雇いにくくなりだした様子が見える。キャスビー警部はビルマ戦線で日本軍にやられた顔の傷があって、そのせいで女性に内気になっている。そういう変化する時代の中で、まだ古風な生活感覚を持っていた資産家の独身女性が自殺する。自殺に追いやったのは中傷手紙であった。遺産が医師のヘレンにいくことを知っていて、自殺に追いやりヘレンと結婚しようともくろむ卑しい男がいた。そこへ今度は殺人事件が起きる。
2003.7.18
プロ野球をテレビで見るのは例年4月、5月で、6月になると興味を失ってしまい、時間つぶしのテレビ観戦をしないですむと喜ぶのである。したがって、オールスターゲームを見ることはあまりない。でも今年は秋まで野球に時間が取られそうで、困ったものだ。
一昨日と昨日のオールスター戦をご飯を食べたり、片づけたり、しゃべったりしながらも見たが、時間を取られただけのことはあった。パリーグの選手にオトコマエが多かったからである。一番はダイエーの和田毅投手の凛々しいお顔、特に美しい眉毛が印象に残る。大写しになるたびに歓声を上げてしまいました。それからダイエーの城島捕手がボールを投げるときの姿もよかった。ダイエーのユニホームええね。日本ハムの坪井選手は可愛らしかった。前から好きだったけどオトコマエ度が上がっている。今年のプロ野球後半はパリーグのオトコマエたちを注目しなきゃ。
2003.7.17
とてもロマンチックで文学趣味にあふれた作品で、わたしは本格ミステリーではドロシー・L・セイヤーズの次にエドマンド・クリスピンが好きなんだと認識した。「愛は血を流して横たわる」「白鳥の歌」に続いてこの本を読んだら、クリスピンのとりこになってしまった。もっと読みたいけど古いハヤカワ文庫2冊が手に入るだろうか。版を重ねていることを願う。1冊は昔読んでおもしろかったおぼえがあるのだが…。
イギリスの田舎にダチェリー(ディケンズの有名な作品中の名前)と名乗る男がふらりとやってくる。その村ではいま中傷の手紙がウワサになっていて、その手紙が元らしい自殺者が出る。その捜査中に今度は殺人事件が起こる。医師のヘレンは父親の保険金で村に家を買って開業しているが、もう一人男性の医師のほうが流行っている。ヘレンの隣に住んでいるキャスビー警部はこの事件を担当し捜査中にヘレンに結婚を申し込む。しかし、調べていくうちに、自殺者の遺産相続人にヘレンが指定されていることや殺人事件の凶器のことで、ヘレンを容疑者にしなければならなくて悩む。
警察署長に捜査からおりたいとキャスビーが話しているときに、出てきたのがダチェリーで、実は彼はクリスピンの作品によく出てくる有名な素人探偵なのであった。
空気がきれいでビールがうまそうなイギリスの田舎の話である。しっかりした医師のヘレンと賢い少女ペネロープ、この女性たちの気持ちよい描き方がクリスピンの特徴なのである。
2003.7.16
最初の水着は頂き物で紺に赤いアクセントのついたミズノのだった。2枚目は紺にベージュの細い線の入ったエレッセ、3枚目はシルバーグレイに黄色い細い線の入ったデサント製。今日4枚目の水着を買いに道頓堀のスポーツタカハシに行ってきた。今度はナイキのセパレーツで、紺に1センチくらいの白い線が入っていて、衿ぐりと袖ぐりはブルーで、そして胸に白い小さなナイキのマーク。シンプルだけどものすごくおしゃれなんだー。
毎年ナイキの水着を見てはいいなぁと思っていたが、シャープでいかにも泳ぐ人のものである。泳げもしないのに僭越だと思っていたが、今回のは一見おとなしいので、これはよいと思って買いました(笑)。試着室で3枚着てみたのだが、いちばん似合っていた。ほほほ・・・明日が楽しみだ。
2003.7.15
タイトルは「おもしろい会報をつくる」いう意味と「会報づくりはおもしろい」を兼ねてつけてみました。いまVFCの会報をつくって封筒に入れたところです。10日に締め切って原稿整理にとりかかるころ、イラストがファックスでとどきます。イラストを眺めながら、原稿を書きつつ、レイアウトしつつ、コピーを順番にとり(今回は24ページ)、綴じて封筒に入れ、15日発行という急ぎ働きです。発行部数が少ないとはいえ、会費をいただいての会報ですから気を使っています。
月が変わると会報のことを考えなくちゃと思い、5日になるとできるところはやっておこうとなり、特集記事を決めます。今月の特集は「関西のおばちゃん」です。以前に描いてもらったイラストにぴったりなのがあったのを思い出し、これで決まりとなるとあとは早い。連載、投稿記事を入れて、期間中にいただいたメールと手紙を着順に入れて「今月の手紙」ページ、このkumikoページをぎっちりと入れたページ、その他お知らせいろいろ。
会報のことを考えるのがおもしろいけど、できあがった会報もおもしろいです。自画自賛でーす。会員のみなさまは明日ヤマトメール便で送るから明後日お手元にとどきます。会員以外で読みたい人は会員になってください。毎月おもしろい会報がとどきますよ。
2003.7.14
雨がたくさん降っていたがなんのその、今日は桂文太さんが二席やるので一番前に座るつもりで早く出かけたのに、入場開始時間が早かったらしく全部うまっている。壁にそっている見やすい席があってほっとした。すごい雨なのにどんどん人が入って、文太さんの開口0番がはじまるころは満員であった。
「開口0番」、先月は文太さんの保育園から高校までいっしょの同級生が来られたそうだ。ホームページを見て来てくれたと文太さんは言っていた。こういうことを聞くと、ホームページをつくる苦労がむくいられたという感じがする。
「狸賽子」月亭八光(はちみつ)、「大阪のおばちゃん」について、経験を交えて笑わせた。テレビに出ているので顔が知られているらしい。道を歩いているとおばちゃんが突進してくる。「オバチャン、あんたのファンやで、いつも見てるでー」というのが常套句とか。そして一人でしゃべりまくるんだって。落語のほうは、ばくち打ちのところへ狸が来て恩返しをしたいというので、サイコロに化けてもらう。さて、ばくち場では…。
講談「那須与一」旭堂花鱗、女性の講談を聴くのは二度目である。「平家物語」で知られる「扇の的」の物語。那須家には10人の息子のあとに産まれたので「あまりの一」で余一と名付けられたが、あとで与一に直したとか。平家の女官が扇の横に立ってさし招いたとかいう、もう少しイロケのある話だったと思ったが…。
「刻うどん」桂文太、ポピュラーな話をさらりと聴かせる。うどんを食べるところが見せ場なんだなあ。ほんまにうどんの食べかたである。文太さんの着物の色がすごい。帰ってからカラーガイド(日本の色)で調べたら、柿色か樺色かだと思える。着物と羽織が対になっている。おっしゃれ!
「月宮殿星の都」林家染雀、もらったウナギが海に千年、沼に千年、川に千年というえらいウナギで突如大きくなり男をぐるぐる巻きして空に飛んでいく。放されたところが月世界で、昔世話したことがある雷さんと出会う。奥さんはイナヅマである。
「火焔太鼓」桂文太、古道具屋が大きな太鼓を仕入れてくる。丁稚が掃除しながら太鼓を叩くと、通りかかった殿様が、あとで太鼓を持ってくるように言う。屋敷に上がると三百両という大金で買い上げてくれる。古道具屋の夫婦の会話や、屋敷での遣り取りがおもしろい。中川桂さんの解説によると、もとは江戸落語で古今亭志ん生が十八番にしていたそうだ。そう言えばお屋敷なんか江戸の大名屋敷という感じだ。子どものときラジオで聴いた憶えがある。今度の文太さんの着物はグレイの濃淡の細かい縞柄で、羽織は黒の紋付きであった。
帰り道は桃ヶ池の蓮が雨に打たれるさまをゆっくりと眺めて歩いた。いい日曜日だった。
2003.7.13
昨日はお米をといであったんだけど、外出から帰った相方がお好み焼きが食べたいと言ったので、近所に最近できたお好み焼き屋に行くことにした。ご飯は炊いておいて明日焼きめしにでもしよう。考えたらお好み焼きを食べるのはVFCの10周年で大阪巡りをしたときに、ぼてじゅうで食べたきりである。そう言えばタコヤキも半年くらい食べてないなぁ。大阪人の風上におけないと怒られそうだ。
家で仕事をすると晩ご飯に出ていく気がしない。お昼頃から今日は外食と決めてそのつもりで仕事する。となると晩ご飯はお好み焼きとはなかなかならない。もちょっとましなものとなる。もちろん嫌いでは全然ないです。
昨日行ったお好み焼き屋は若いお兄さんが2人でやっていて、以前はなにかの商店のあとを自分たちで改造したようで、荒っぽく素人丸出しの内装だが、お好み焼きはおいしかった。野球のテレビを見ながら生ビールを飲んで、家にいるのと同じようにくつろいでしまった。食べるものを運んでもらえる分よけいにくつろげる。他の客もだれもが阪神ファンだから居心地良い。そして大量得点だもん。近ごろの大阪の飲み屋はみんなこんなふうに盛り上がっているのだろうな。帰ってから枝豆を茹でてまたビールを飲みながら野球の続きを見た。
それからこのページを書いてその後に会報づくり。夜はいつまでも起きているのが平気で頭も冴えてくる。そのぶん朝があきません。
2003.7.12
肛門クリニックの診察ベッドにて
相方「お尻が痛くて座ってられへんのですわ。痔が再発したと思うんやけど・・・」
医師「どれどれ、おお、これはウォッシュレット症候群ですなあ。肛門のあたりがただれている」
相方「うちのトイレはウォッシュレットちゃうんですけど・・・」
医師「こういう症状のことをそう言うんですわ。最近多いんですわ」
という会話が今日の午後、近くの肛門クリニックで交わされたそうです。
うちの相方は3年ほど前に痔になったとき、そのクリニックに行きました。そのときは薬ですぐに治ったのですが、以後えらく清潔好きになってしまいました。わが家はクーラーが嫌いなのでとても暑いのです。それでよくシャワーを浴びます。相方はその度にお尻を石けんで洗っていたそうです。洗いすぎてただれてしまったんですね。トイレがウォッシュレットでなくてもウォッシュレット症候群にはなったというわけです。
お医者様の話では、ウォッシュレットの場合は長時間の使用を避けること。4、5秒で充分だそうです。
2003.7.11
この本はアントニイ・バークリーの長編第1作である。作家ロジャー・シェリンガムが探偵となって事件の謎をとく作品を何冊か読んだので、かなりバークリーについてわかってきた。解説によると、バークリーの日本における長編第1作の翻訳は77年かかったそうである。もう一人の最近まで全貌が紹介されてなかった大作家はドロシー・L・セイヤーズだそうだ。わたしはドロシー・L・セイヤーズはまともでない訳にせよ、子どものころから読んでいたが、バークリーはほんまに知らなんだ。
さて、「レイトン・コートの謎」は、イギリスの田舎でハウスパーティを開いている屋敷の主人が死体で発見される。はじめて書いた作品なのに、手慣れた書き出しである。泊まっている客が足止めされ捜査がはじまるが、遺書もあり、警察は自殺と判断する。シェリンガムはこの男が自殺するはずがないと考えて、共にこの屋敷に招かれているアレグザンダーをワトソン役に仕立てて捜査をはじめる。ちょっとA・A・ミルンの「赤い館の秘密」を思い出したが、あっちのほうがおもしろい。こっちはちょっと退屈だ。
殺された男がとんでもない悪党だったというのは、前にも読んだことがあるが(第二の銃声だったか)、シェリンガムは素人探偵なので自己満足して、犯人はわかっても人に言わないのである。(国書刊行会 2500円+税)
2003.7.10
田辺寄席に行くと仲入りにお茶とお菓子がふるまわれる。安い入場料(当日500円、前売り400円)で4人の落語家の噺が聴けて、おやつがあるのだからたいした寄席だ。会場のロビーと裏庭にテーブルがしつらえてあり、駄菓子がお盆に盛られている。雨が降れば裏庭に大きなテントが張られて、桃ヶ池に降る雨を眺めつつお茶を飲みお菓子を食べる。めっちゃ、風流。
わたしは朝ごはんを食べて出かけるだけで精一杯だから、仲入りの時間になると腹ぺこなのだ。それで遠慮無くお菓子をつまむ。ちょっとかっこわるいほど食べている。受付のすぐのテーブルから順番にとっては食べて裏庭に出てまた食べる。なんでこんなにおいしいのって思うが、昔懐かしい駄菓子ばかり。かりんとう、おかき、あわおこしなど、忘れていた昔菓子の味である。こんなん、どこで売ってるんやろね。
「ポランの宅配」のカタログを見ていたら、お菓子のところにかりんとうがあった。さっそく注文したのが今日とどいたがなかなかいけた。こちらはリクツっぽく国内産小麦粉と黒糖でつくったものだが、それでも昔菓子の味わいはある。
今度の日曜日は田辺寄席の日で、桂文太さんが〈たっぷりじっくり〉二席やることになっている。わたしは文太さんの大ファンだから落語はもちろん楽しみだけど、お茶とお菓子も楽しみなのだ。
2003.7.9
6月30日アメリカの絵本作家ロバート・マックロスキーが88歳で死去したと新聞に出ていた。このごろは知った名前の訃報が多いが、この人はまだ生きていたのかって感じだ。それだけ40〜60年代の仕事が偉大だったからだろう。それ以後の仕事はどうだったのだろうか。
ロバート・マックロスキーの本をはじめて読んだのはずいぶん昔のことで、岩波書店から出ていた「ゆかいなホーマーくん」だったが、なぜか名前を忘れてしまっていた。自分が読むためでなく妹か姪のために買ったのだと思う。渡す前に先に読んでおもしろかったのだ。
それから何十年が経って、洋書店で見つけた「 Time of Wonder 」と「 BLUEBRRIES FOR SAL 」をずっと宝物にしている。「かもさんおとおり」の原書も持っていたのだが、だれかにあげたみたいで見あたらない。
ある日図書館で「ゆかいなホーマーくん」を見つけてびっくりした。なーんとロバート・マックロスキーだったんだー。それでまた買って持っていたのだが、本の整理をしたときに友人の子どもにあげた。ドーナツがどんどん出てくるところは何度読んでも楽しい。
「 Time of Wonder 」(1957)は小学生か中学生くらいの姉妹が夏休みに海辺の家で過ごす話である。2人はたくさんの自然の不思議に出会う。草が芽吹いてきた森で遊び、海ではヨットに乗り、海辺で友だちといっしょに遊ぶ。嵐が来た夜は家の中まで風が吹きすさぶ。嵐は大きな木をなぎ倒していく。それらの1ページごとの水彩画風の絵が素晴らしい。
「 BLUEBRRIES FOR SAL 」は1948年の作品だが、ほんとに40〜50年代のアメリカの空気が伝わってくる絵である。SALという女の子とお母さんがブルーベリーの実を摘みに行くのだが、熊も親子で来ていて、SALは母親熊の後を追いかけるし、小熊はSALの母親のバケツのブルーベリーを食べてしまう。表紙裏の見開きの、台所で母親がブルーベリージャムをつくっていて子どもがそばで遊んでいる絵がすごく楽しい。猫もいる。
2003.7.8
ミュージカル映画「オリバー」を見たのは騒然とした時代の1969年のことだった。なんであんなミュージカルを見に行ったのかというと、そのとき明るい映画がほかになかったからだ。キャロル・リード監督だったからええかと思ったわけではない。あとになって、あれってディケンズの「オリヴァー・トゥィスト」やんかと思い当たった。そのくらいノーテンキなミュージカルだった。
先日、図書館から「オリヴァー・トゥィスト」の文庫本上下を借りてきて読んだ。ディケンズの作品は子どものころからいろいろと読んでいるが、最近は長さに閉口して敬遠していた。しかし読むとやっぱり魅力がある。ほんとにのろのろしているのだが、そこが気持ちよい。悪いヤツはどこまでも悪辣で、良い人はどこまでも清く、オリヴァーはどんなにひどい環境でも清い心を失わない少年なのである。それで清い人に救われて最後はほっとする。
だがそれだけではなく、わたしはロンドンの貧民窟やテームズ河やロンドン橋の様子が好きなのである。その悪者の中にアグネスという娘がいて、オリヴァーを助けようとするのだが、その挙動を悪党たちが不審に思いスパイをつける。良い人たちがアグネスを助けようとしても、彼女は悪党に惚れているので戻っていき、その惚れた男に情け容赦なく殺されるのである。
2003.7.7
最近はいままでになく疲れを感じることが多くて、呑気者のわたしも少しは健康に気をつけなくてはと思うようになった。よく眠れないという人がいるが、わたしはいくらでも眠れて、しかも熟睡できるので、睡眠はオーケーである。足の調子はなかなか治らないが、まあまあ日常生活は送れている。足のために行きだしたプールは、肩こりを治してくれたし、体調全体に影響を及ぼしていると思う。
食べ物は全体量が多いのがいちばんのネックである。わかっていて減らせないのがナンギなところ。でも朝以外は油ものはあんまり食べないし、いわゆる伝統食が多いのでいいんじゃないかと思っている。問題は量を減らすことです(笑)。
でも疲れるのはなんでかな? あまり年のせいとは思いたくないが、いくら考えてもそれしかないみたいね。なんて考えて健康雑誌を買ってまいりました。NHKのテレビと連動している「きょうの健康」7月号。「納得!食の健康術」を読んで、酢、オリーブオイル、ゴマの3種類をいままで以上に食べようと決めた。「酢」は酢のものやサラダなど毎日なにかで食べよう。「オリーブオイル」はエキストラバージンオリーブオイルをずっと使っているので、これもオーケーだが、バターの代わりにトーストに塗るところまではしていなかった。「ゴマ」が問題だ。あんまり食べていない。ゴマ和えをもっとひんぱんにすることにしよう。それから、ここに紹介されている「ゴマと豆乳ドリンク」を作ってみたらおいしかったので常飲しよう。
材料:(1人分)ゴマ大さじ1、豆乳250cc、ハチミツ大さじ1、塩少々。作り方:ゴマを炒ってすり鉢で摺る。そこへハチミツを入れて混ぜ、そこへ豆乳を少々入れて混ぜ、液状になったら器を変えて豆乳を全部入れて塩を入れて混ぜる。なかなかうまい。わたしはハチミツ半分くらいでちょうどです。
2003.7.6
うちの朝が遅いだけだが、朝早く宅急便に起こされた。田辺寄席世話人のOさんからで、包みの中には今月の会報「寄合酒」と郷土銘菓「田辺大根」が入っていた。
パッケージはこげ茶とクリーム色に大根のイラストがあってなかなかおしゃれ。箱を開けると、巾着型の白い紙に包まれており、首から上と結んだ紐は大根の葉をイメージしたグリーンである。お菓子そのものはサンドイッチのような外観で、外側は白くて、中はこんにゃくのような色である。食べてみると外側はかるかんまんじゅうみたいで、中は生姜風味の羊羹餡であった。もちろん田辺大根のエキスが入っている。あっさりと関西風の仕上がりは田辺駅前のお菓子屋、松屋の苦心が感じられる。
Oさんにお礼の電話をしたら、たくさん買って知り合いに送ったとのこと。送料がけっこうかかったとうれしそうにグチっていた。
これで来週のおやつができた。先週は例会で東京土産(資生堂パーラー)のお菓子をもらってので、2週連続でお菓子がある。うれしいな。
2003.7.5
6月29日に書いた「関西のおばちゃん」はたくさんの反響があると思っていたのですが、掲示板で翌日るりこさんから「関西じゃなくても」という過激なレスがあっただけでした。そのおかしさにあっけにとられてしまったのか、それきりなにも反響がなかったです。さて、今日は第2弾。わたしの「関西のおばちゃん」経験をご披露します。
昨日は野田阪神にある大型スーパー、ジャスコに行きました。入って行くとすぐに奉仕品のコーナーがあり、たくさんの婦人服がぶらさがっています。そこで服を選んでいたおばちゃん、通路を通るこちらを見て「これどっちがええかな?」と聞くのです。同じスタイルのカーディガン、ブルー系と茶系を手に持っています。わたしは思わず立ち止まって「ブルー系のほうが似合いはるのとちゃう」と返事しました。「私もそない思てん、ほな、これ買お」とにんまりするおばちゃん。おお、純正関西のおばちゃんに今日も出会った(笑)。
今日も今日とて、プールで水中歩行中、すれ違いざま「和田選手、いまどないしてるん?」だってー。一瞬の間のあと「阪神のコーチしてるやん、テレビでよう見るよ」と返事したら、阪神ファンやけど、野球を知らんので結果だけニュースで見るんだって。突然前の優勝の時にいた和田選手を思いだしたらしいが、なぜわたしがいま和田選手がどうしているか知っていると思ったんやろ? 関西のおばちゃんの勘の良さには呆れる(笑)が、水中歩行中に突然元阪神の選手の動向をだれが聞く?
2003.7.4
この本が日本で出版されたのは1990年で、わたしはそのときエドモンド・ホワイトを全然知らなくて、出版されたことすら気にしていなかった。早川書房の新刊本は特別気をつけていたのになぜだろう。
何度もこのページに書いたけれど、エドモンド・ホワイトを知ったのは、数年前にテレビで見たのが最初である。パリの石畳の道をレインコートを着た男性が歩きながら、ジャン・ジュネのことを語っていた。一目惚れしてしまい、当時友人だったS嬢に話したら、彼女はその男性はエドモンド・ホワイト以外に考えられないと言った。それから彼の本を数冊読んだが、この「美しい部屋は空っぽ」は新刊では見あたらなかった。図書館の棚にもなかったのだが、検索がめんどうで先延ばしにしていたら、パソコン検索ができるようになって、ようやく読むことができた。いま読み終わってものすごく幸せである。
この作品は10代の少年がゲイになる過程を描いた「ある少年の物語」に続く自伝的作品で、10代の後半から20代後半にいたる生活をゲイ体験を主にして書いている。このゲイ体験の様子が具体的で圧倒される。
20年くらい前にゲイの探偵ブランドステッターが活躍する私立探偵小説のシリーズがあって、それがわたしが現代のゲイを描いた小説を読んだ最初であった。それからずっと経ってマイケル・ナーヴァが書いたゲイの弁護士ヘンリー・リオスのシリーズ(当サイト、ミステリーページに紹介があります)を読んだ。その他にはレズビアンの私立探偵や刑事ものも読んだ。そしてレズビアンの友人ができたし、また女装の男性と街を歩いて半日を過ごすという体験もした。そういう下地があったから、この本をごく当たり前に読めてよかったと思う。なにもそう構えなくていいと思うけど、やっぱりトイレでの体験とかきついところがある。【その徹底的な堕落ぶりと、ぼく自身の隷属状態にもかかわらず、トイレはぼくにとって最高のひとときだったのである。あまりにも卑しいからこそかえって真実かもしれない。まるで夜の町に帰ってきた売春婦みたいにぼくはこう言うのだ。「オーケー、また戻ってきたよ。本当の人生に」】。
彼は作品を書き続ける。小説を書くことによって名声を手に入れるほかに、【ぼくの人生における罪を、芸術の美徳に昇華させることで償うことだった。】と思いながら。
最後はニューヨーク、クリストファー・ストリートでの事件である。警官がゲイ・バーに侵入してきたことに対して、「ブラック・イズ・ビューティフル」をもじった「ゲイ・イズ・グッド」と叫んで闘うゲイたちがいた。機動隊が導入され、ひと晩中騒ぎが続いた。【「あれこそぼくたちの革命記念日だ」とルーは言った。だがぼくたちにとって、記念すべきターニングポイントとなるはずの事件の記述は、新聞のどこを探しても一行も見つからなかった。】しかしながら、エドモンド・ホワイトは真実を手に入れたのだ。
2003.7.3
図書館で楽しそうだと思って借りてきた、ハンス・フィッシャーの絵本「長ぐつをはいたねこ」をどこかで見たことがあると解説を読んだら、大型絵本「こねこのぴっち」を描いた人だった。なるほどいきいきとした線は彼のものだ。「こねこのぴっち」は昔から買うたびに友人の子どもにあげてしまい、家に留まっていることの少ない絵本だ。いまは持っていない。
わたしは「長ぐつをはいたねこ」の絵本を3冊持っているがどれも楽しい。片山健(訳:澁澤龍彦)の片目に眼帯をしているえらそうな猫、ジュリアーノ・ルネッリ(訳:末松氷海子)の赤い長ぐつをはいたなまめかしい猫、泰西名画のような
ALAN VAES(Retold By LINCOLN KIRSTEIN)の立派な猫、どの本も出してくると、ぺらぺらめくって終わりまできたら、まためくって見る。それぞれの猫と若者と王女、ひとくい鬼、それぞれ楽しい。
ハンス・フィッシャーのは訳が矢川澄子である。その訳は原文をそのままうつしたような素朴さがありながら、切れ味がよくて巧妙である。
2003.7.2
キャサリン・ヘップバーンで思い出すのは、子どものころ見た映画雑誌の中の写真である。椅子に浅く座ってズボンをはいた脚をすらりと机の上にのせている。こんなカッコイイ女性を見たことがなかった。いまだにわたしには机に脚(短いのが残念!)をのせるクセがあるが、それはキャサリン・ヘップバーンの真似事なのである。
亡くなったことを知って大切な本を出してきた。「MORA FABULOUS FACES」という1979年に出た本で、5人のハリウッド女優(ドロレス・デル・リオ、マーナ・ロイ、キャロル・ロンバード、ベティ・ディヴィス、そしてキャサリン・ヘップバーン)の写真集である。キャサリン・ヘップバーンのデビューから老年にいたる映画とブロマイドなど、そして私生活の写真がある、わたしが好きなのは「OFFSCREEN
LOOKS」と題された写真の中の3枚で、それぞれ長い脚をもてあますようにしている。若いときと中年のときに、同じポーズで撮っているのは、いつもそのかっこで座っていたからだろう。片足を椅子の腕にのっけている。ものすごく自然でかっこいいのである。
2003.7.1
写真:むくげ(堂島川右岸)