リーバス警部シリーズの最新作。今回は前回の「滝」より少しページ数が少ないが、それでも長くて、読んでいていつ終わるのかと思ってしまった。ということは退屈なところがあったからだろうか。でも、読み終わった満足感はやっぱりイアン・ランキンだからこそ。
リーバス警部は警察の日常業務からはずされて、田園の中の警官の再教育施設にいる。会議中に上司のジル・テンプラー警視に紅茶カップを投げつけたことが原因である。再教育を受けている6人のメンバーは、みんな警官として20年は働いてきて、たいていは上司との関係がうまくいかなくて、ここへ放り込まれた。そしてここで教育を受け直して現場へ戻ることになるわけだが、教材になったのはリーバスの関係していた過去の事件だった。その事件を再審査するうちに、一癖も二癖もある5人の仲間と付き合ってリーバスが探ったのは、警官たちの過去の犯罪であり、現在進行している犯罪である。
捜査中だった美術商殺しはシボーン・クラーク部長刑事が調べ続けている。シボーンはリーバスの部下で、このシリーズの中で成長してきた。そして、今回は捜査の主役としての登場である。この人の冷静さが好きだ。そして他の男性刑事との距離のとり方、かっとしても今後の仕事のことを考えて行動するところなど大人だなと思う。また暗黒街の顔役の取り調べにも積極果敢に取り組んでかっこいい。他の警察署の女性部長刑事とパブで話し合うところもよかったし、最後にカウンセリングを受けて話しているときに、まだ売店が開いているからと、いっしょにチョコレートを買いに行くところもよかった。(ハヤカワ・ミステリ 1800円+税)
2003.4.30
昨日は晩ご飯のメニューに行き詰まって、丸元淑生さんの料理の本でなにかヒントがないかと見ていたら、晩ご飯のおかずとは別にトマトスープが目についた。これはミキサーを使うので、いままでしたことがなかった。野菜をミキサーでつぶさなくても、細切れ状態のスープでええやんかと今朝やってみた。
材料はトマト2コ、セロリ2本、ニンジン1本、タマネギ1コ、レモン1コ、オリーブオイル・塩・バジル少々。まず、タマネギを切って鍋に入れ、その上にオリーブオイルを振りかけて弱火にかける。別の鍋にセロリの葉やニンジンの皮等を入れて煮てスープをつくっておく。セロリとニンジンを細かく切ってタマネギの上におく。トマトを切って砕いてその上におく。本によると煮えたらミキサーにかけて滑らかなスープにするのだが、うちでは細切れ野菜のまま。そこに野菜屑を取り出したあとのスープを入れて煮る。その後はレモン汁と塩とバジルを加える。
このスープは血圧を下げると書いてあったが、ほんまに食べているとそんな気がしてくる。滋養があるという感じ。残ったら冷凍しておいてもおいしいと出ていたが、うちではスープ皿たっぷり2杯ずつ食べてしまって残らなかった。
わが家の朝食メニューは「子育ち食堂」の献立日記に毎日書いてます。当サイトのリンクページからいけます。
2003.4.29
暖かい春の午後、洗濯物を干すためにベランダに出ていると、か細いながらはっきりと「ニャー」という呼び声が聞こえた。いつも昼寝から覚めた花子が、わたしがいないのに気がついたときの呼び声である。びっくりして部屋の中に入って、いないのはわかっているのに探してしまった。花子は19年わたしたちといっしょに暮らしていたが、3年少し前に死んだ。最初の2年間はなぜか夢に出てこなかったが、去年から出てくるようになった。今度は声が聞こえてきた。
内田百間は行方不明のままの猫ノラの後に、跡継ぎのように来て5年半暮らしたクルが病死した後でこう書いている。【行きとし生けるもの、必ず死ぬ。その死ぬ前に生きているのであって、それは勿論そうで、生きていないものが死ぬ事はできない。猫と云えどもその通り、クルと云えどもその通り。その死ぬ前に生きている時、私共と起居を共にした。そうしてこの通り深刻な感銘を残して行った。】寝ていると枕元にクルがきてヒゲがくすぐったかったり、猫ノミに食われた痕が残っていたりしたそうな。
わたしは百間のこの言葉を花子が来たときに、すでに読んでいた。そしていつも、いつ花子と別れねばならないかを考えながら生きてきた。そのときが過ぎて3年ちょっと経って、呼び声が聞こえた。なんかうれしい。
2003.4.28
いま下福島公園は、藤と金雀児と白いツツジとハナミズキが真っ盛りで、プールの帰りにそこらへんをうろつくのが楽しい。金雀児・金雀枝=エニシダとはどういうところからついた名前なんだろう。同じ春に咲く黄色い花でも連翹(レンギョウ)とは違う。連翹は中国からきた花だから東洋的である。金雀児は西洋の香りがする。わたしはイギリスっぽい花だと思っていた。児童文学の一節にあったからかもしれない。
それでちょっと調べてみたら、金雀児(マメ科・ヨーロッパ原産・落葉低木)はラテン語genistaが転訛したスペイン語hiniestaからきており、日本にきてからエニシダと訛ったらしい。キリスト教と縁がある植物とのこと。また魔女が空飛ぶ箒はこの木でつくるそうである。漢字は花の印象からつけたみたいね。
えにしだの 黄色は雨も さまし得ず(高浜虚子)
こういうことがわかると、なかなか味わい深い。また明日行ったらゆっくり眺めてこよう。
午後遅くプールを出ると、藤棚の下は将棋をする人がいっぱいである。普段はどこかに仕舞ってあるのだろう机と椅子のセットが7つ・8つ出してあって、それぞれ将棋の真っ最中である。縁台将棋やなくて集団将棋やな。「春の公園(にわ)、ひねもす、将棋するおっちゃんら」お粗末でした。
2003.4.27
山田登世子さんの「ブランドの世紀」には、谷崎潤一郎の「痴人の愛」が取り上げられていて詳しく説明がある。1925年、アメリカでフィッツジェラルドの「グレイト・ギャツビー」が登場したとき、日本では「痴人の愛」が登場したんだって。そこを読んでいて「痴人の愛」のいろいろな場面を思い出したり、そうだったのかと納得したりした。
わたしは実は谷崎潤一郎の小説はあんまり読んでいない。夏目漱石、泉鏡花、川端康成、堀辰雄、室生犀星、中野重治、坂口安吾、内田百間…いま思いついただけでも、これだけ全集を読んでいるのだけれど、谷崎は「細雪」「鍵」その他短編を少々読んでいるだけである。「細雪」は別格で何度も読んだし、映画も2回(高峰秀子が妙子をやったのと、佐久間良子が幸子になったのと)見ている。
なぜかと思うでしょ。実は「痴人の愛」を小学生4年のときに読んで、心底いやになってしまったのだ。しかもいやだいやだと思いつつ、最後まで読んだのである。その気持ちのまま現在にいたる。しかし「ブランドの世紀」を読んで再読する元気が起こってきて、今日アメリカ村の本屋さんに、三島由起夫、安部公房といっしょに平積みしてあったので買ってきた。いま読んでいる本3冊を読み終わったら取りかかるつもりです。
2003.4.26
昨日のVFC BBSでyukariさんが、信州大町で咲き乱れるラッパ水仙のことを書いているのを読んで、突然思い出したことがある。
小学生のとき、先生の家に行ったことなんて、後にも先にもこれっきりのことなのだが、担任の先生が病気で休まれているので、近所に住む3人組でお見舞いに行くことになった。親に言うと、当時は高価なタマゴを隣りのヨロズ屋さんで買ってきて、10個新聞紙にくるんでくれ、風呂敷で包んで持っていくことになった。妙子さんは裕福な家の子なので、タマゴ20個の箱入り、ちゃんと紙箱の中にもみがらが敷き詰められていた。一子さんはうちより貧乏な家の子だったので、持っていくものがないから行かないと言うので、わたしが家の前に咲いていたラッパ水仙を切って花束をつくってあげた。
先生の家に行くと、喜んでくれたのはいいが、「僕はこのラッパ水仙のお見舞いがいちばんうれしい」と言ったのである。妙子さんは知らん顔(先生はそう言ってるだけで、私のを一番喜ぶのは当たり前と思っている顔)、一子さんはうれしそう。わたしときたら、「それはわたしのラッパ水仙です」とも言えず、内心忸怩たるものがあった。いまだに覚えているのだからしつこい(笑)。
一昨年だったか、その一子さんから電話があった。わたしは同窓会・クラス会なんか行ったことがないので、ずいぶんと苦労して探したらしい。なつかしがって何十年ぶりに会いたいと言われたが、ええかげんな返事をしたままである。わたしの友だちは、いつもいま話が合う人だけでいいのである。ふっといま思ったのだが、一子さんはラッパ水仙のことを覚えているだろうか?
2003.4.25
わたしがブランドに目覚めたのは20年ほど前、ドロシー・L・セイヤーズの「忙しい蜜月旅行」を読んだときだ。ピーター・ウィムジイ卿とハリエット・ヴェーンが新婚旅行に行く先は、新しく手に入れた田舎の屋敷である。スピード狂のピーター卿が運転するのは最高級車ダイムラー、これはブランドものだけど高値の花すぎるし、わたしはくるまには乗らない。もしかして手に入るかもしれないブランドものが、彼らが田舎に持っていく食料品の「フォートナム&メーソン」なのであった。こういう名前を忘れないのがブランド主義者たるゆえんであろう(笑)。あるとき、大丸か高島屋かで「フォートナム&メーソン」の名前を見つけて狂喜して紅茶(ダージリン)を買った。
あとは同じようなバッグだったから少々高かったけどソニア・リキエルを買ったくらいかな。それでもブランド名がほとんどわからないやつね。ケンゾーのスカーフ2枚はいまもお気に入りである。
前置きばかりで本の紹介が終わりそうだ。山田登世子「ブランドの世紀」は2年前に出た本だが、おしゃれな表紙と読みやすい文字組でページをめくるのが楽しい。ビクトリア時代のイギリスからはじまって、パリの栄光、アメリカの市場、そして現在の日本のブランド信仰にいたる100年の歴史が書かれている。資本主義の発展、女性の社会進出など興味ある問題とそれにかかわるシャネル等のブランドを創った人々の話がいっぱいである。
映画「ベニスに死す」で、主人公の作家がベニスに旅したときのトランク類をよく覚えているが、あれはルイ・ヴィトンの洋服ダンスのようなトランクだった。あれがどのようなものかもちゃんと書いてある。おもしろかった。(マガジンハウス 1800円+税)
2003.4.24
昨日は良いお天気だった。プールに行ったら藤棚から薄紫色(つまり藤色やね)の花房が下がっているのが見えた。あれ、3日来てないうちに…と早い季節の動きに驚いた。野田藤を知ったのは去年のことである。去年このページに「野田藤」を書いたのは4月10日、「きれいよー、のだふじ」を書いたのは4月15日だった。今年は咲くのが少し遅いようだ。あっと違った、去年が半月早いと書いてある、今年は例年通りに開花したということか。
プールで、公園の反対側に帰る人に「きれいやから見て帰りはったら」と言ったら、「京都の藤を見たらあんなん見られへん」とにべもない返事が帰ってきた。可愛くないなあ。この公園の野田藤は鳥に花芽を食べられてしまい、一度全滅しかけたのを再生させたので、まだ花が本来の姿に成長していないらしい。でも房が多くてきれいだとわたしは思うけどなあ。
足元にはタンポポがいっぱい咲いていて、今年もともかくも元気でよかったなあと、幸福感でいっぱいになった。
2003.4.23
ニーナ・シモンが昨日フランスの自宅で亡くなったと新聞で読んだ。最近聴いていなかったのが、なんとなく悔やまれる。わたしがニーナ・シモンをはじめて聴いたのは30年以上も前のことだ。父親がいいレコードだぞと貸してくれたLPレコードを安物の装置で聴いて驚いた。そのときのわたしの気持ちにぴったりの曲だった。あのレコードを返してくれと何度も言われて、今度返すから…と返事しつつ返さずに聴いていた。その後オーディオ装置もそこそこになり、レコードもたくさん買ったけれど、ニーナ・シモンのは買ったことがない。いまは名前も忘れてしまった、たいして有名でない盤を聴くだけで満足していた。そのほとんどの曲をいまも口ずさめる。
フェスティバルホールのコンサートに行ったのは70年代の後半だった。一番前の席で、目の前にニーナ・シモンがいることに震えてしまった。最後のお辞儀が白鳥のように優雅だったのをよく覚えている。
ジャズから離れて聴くこともなくなったころ、映画「アサシン」で彼女の声を聴いてびっくりした。ブリジッド・フォンダが演った主人公が好きでかけていたのだが、ふーん、やっぱりええなあと思ったのだった。いまでもジャズシンガーでいちばん好きな人はと聞かれれば、わたしはニーナ・シモンと答えるだろう。
2003.4.22
バレエが好きなので見たくて見たくてたまらなかった映画だ。イギリス北西部の炭坑町では炭坑労働者たちが長期にわたるストライキ中である。母が死んだ後、祖母と炭坑夫の父・兄と暮らす少年ビリーは踊ることが好きで、ボクシングを習うお金で隣りのバレエ教室へ行ってバレエを習う。教師に才能を認められオーディションを受けるよう勧められるが、親が許さない。教師と親の言い争いを避けて外へ飛び出したビリーが踊る姿が、「赤い靴」のモイラ・シャーラーとダブって見えた。赤い靴をはいた少女は踊ることをやめられないように少年は道で踊り続ける。
その踊りが結局親に認められ、ロンドンへオーディションを受けに行くのだが、費用のために父親はスト破りまでしょうとする。ロンドンへ出るバスで、父はロンドンに行くのは初めてだと言う。なぜかと息子が聞くと「ロンドンには炭坑がない」。オーディションの終わって、審査員が「ストライキ頑張ってください」と言葉をかけるところがよかった。
わたしはイギリス児童文学研究会に行っていたとき、取り上げる本はファンタジーよりも現実的な少女・少年の物語が好きだった。そして上流階級の子どもたちのものも好きだったけれど、労働者階級の子どもたちを描いたものが好きだった。中にピアノの天才少年のがあって、この映画と同じようなストーリーだった。
さて、映画の最後は、父と兄がバスと電車を乗り継ぎ劇場に着く。少年は大人になっていて主役を踊るために舞台の袖に立っている。そして舞台に出て大きく飛ぶ。
2003.4.21
映画を見に行くどころか、レンタルビデオを借りたのも久しぶりである。この映画は去年の夏に公開されたときに、見に行きたいと思ったままだった。主演のハル・ベリーが黒人女優として初めてアカデミー主演女優賞を受けたこと以外は内容を知らなかったので、最初の刑務所からはじまり死刑執行シーンになったときはびっくりしてしまった。
アメリカ南部の田舎町に住む白人男性優位主義の権化のような男性を描くにはこれ以上のものはない。刑務所の看守ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)の一家は父親は元看守であり、今は息子も看守をしている。差別主義者のハンクと父親は息子のソニーが親しくしている隣家の黒人の子どもたちが庭を通っただけでも銃を持ち出しておどす。ソニーは気が優しくて、死刑執行のときに吐いてしまい立ち会いができず、ハンクに殴られる。止めに入った黒人の同僚に「黒人は俺の体にさわるな」と言って怒り、家に帰ってもソニーに暴力をふるうが、かえってソニーが手にしたピストルで脅される。そしてソニーはその銃で自殺してしまう。
処刑された死刑囚の妻レティシア(ハル・ベリー)は家の家賃を払えず、1ヵ月後に立ち退きを言い渡されている。古い車も故障して乗れなくなり、息子を連れて歩いて夜中のウエイトレスの仕事から帰る途中、息子が車にはねられて死ぬ。そこへ通りかかったハンクが病院へ運ぶところからラブストーリーがはじまる。ハンクは仕事を辞め隣家の黒人とも挨拶を交わし、レティシアを助けるようになる。
最後にはいっしょに住むことを決めたレティシアだが、死刑囚の夫が描いたハンクとソニーの絵を見つけて怒り悲しむ。しかし、家の外の階段に座ってソニーの墓を見つめ、ハンクが買ってきたチョコレートアイスをスプーンで食べさせてもらい、ハンクが「おれたちこれからうまくやっていけると思う」と言うと、なんとも言えない表情でなにも言わないでいる。
南部では普通のことかもしれないが、家のすぐ横に墓が三つ並んでいるのがなんだか考えさせられた。そして、レティシアがハンクへの礼に帽子を買って持っていくと、父親がいて「あいつも黒人の女とやったのか、俺も若いときによくやったもんだ」と言うところも。しかし、あんたも父親と同じだったのかと、振りきって帰ったレティシアを取り戻すために、父親を施設に預けてしまうハンクにも感心した。
2003.4.20
グアテマラ生まれの作家ロドリゴ・レイローサの作品を読みたいと思っていたら、図書館に翻訳3冊目の「アフリカの海岸」があった。細長いしゃれたかたちの本で、表紙の絵がよくわからないながらアフリカっぽいような気がした。しかし、表紙の印象と違って内容は気持ち悪い魅力のある作品だった。
ロドリゴ・レイローサは学校を終えてから内戦状態のグアテマラを離れて、映画の勉強をしにニューヨークに行き、それからモロッコのタンジールへ行って、ポール・ボウルズが講師をしているワークショップに参加した。若い彼の才能を認めたボウルズは彼の作品を自ら英訳して英米で出版した。
第1部、羊飼いの少年ハムサはタンジールを見下ろす丘で、羊の番をしながら小屋に一人で住んでいる。キフ(麻薬の一種のようだ)を吸い、気分のおもむくままに自分より幼い少年や羊と性交する暮らしである。ある日フクロウをよその家から盗み出して小屋で飼うことにする。そのフクロウの目玉を煮込んでお守りにしようと思っているのだ。第2部、タンジールにいるコロンビア人の青年の物語で、道端でフクロウを買って帰ったためホテルを追い出されてしまう。そのフクロウを連れての人との出会いがあったり危険な目にあったりする。街の様子や女たちの描写がみごと。第3部、物語はハムサにもどる。
フクロウがなぜか人間みたいに思えてくる奇妙な小説で、引き入れられるが気持ちよくない。しかし読むのをやめることができない魅力がある。ポール・ボウルズがいるタンジールが背後にあるように感じた。
2003.4.18
去年の春、山本やよいさんからチャイブがいくらでも伸びてくるので、いろいろな料理に使っているというメールをいただいた。うちではチャイブをまだ育てたことがなかったので、さっそく苗を買いに行って鉢植えにしたのだが、去年はひょろひょろしていて、ほんの少ししか食べられなかった。そして冬がきて、水やりをしていると、小さいなりにふんばっているのがわかった。根がはってきたんやね。そして暖かくなるとどんどん伸びてきた。
今日は一握り切り取り、細かく刻んでスクランブルエッグをつくった。ほのかな香りがしておいしかった。見た目もとてもきれいだ。
こんなことを書くと広いベランダでたくさんの鉢植え、と思われそうだが、ほんとに狭いところに洗濯ものがぶらさがっていて、洗濯物をかきわけて水をやったりするのである。それでも春になるとケナゲに伸びてくる鉢植えが可愛くてしかたがない。うちにきてよかったと植物が思っているような気がする。
2003.4.17
今日は仕事がひと山越えたので、次のひと山のために自分で自分を激励ということで、久しぶりに外食に出ることにした。近所の昔なじみの小料理屋でお刺身、どて焼き、合鴨の鍋を食べて生ビールを飲んで、久しぶりのおかみさんとおしゃべりした。帰りには四つ橋筋に面したビルの地下にあるジャズスポット「マンハッタン」に入ってみた。客は時間が早いせいかわたしらだけ。壁になつかしいレコードジャケットがいっぱい貼ってある。ほとんどがわたしらが持っていたレコードだ。考えたら音楽聴き歴の中でジャズを聴いていた時期がいちばん長く、熱中度もいちばんだった。コルトレーンとマイルスの「サムシングエルス」をリクエストしてジントニックを飲んだ。すごくいい音を大きい音で聴いて満足した。
帰りは四つ橋筋からあちこち道を違えつつもどったのだが、確実になにわ筋まではおしゃれな店が増えている。食べ物屋、カフェもあるけど、家具雑貨の素敵なショーウィンドウも見つけた。これならミナミ、キタと出て行かなくても近場で充分遊べる。そうそう、以前うちの事務所があった近くにインターネットまんが喫茶がオープン近しだった。
2003.4.16
「世の中は三日見ぬまの桜かな」っていうけど、ここでは世の中の話ではなくて桜の話です。今日は1週間ぶりにプールに行くために家の外へ出たら、桜の花が散って葉桜になりかけていた。そしてイチョウの木が緑色になっていた。先週の今日はちょぼちょぼと緑の芽が出ていただけなのに…。
そしてハナミズキの花が咲いているし、雪柳が終わって山吹が咲いている。ツツジがあちこち咲きかけている。足元を見るとホトケノザが花盛り、カラスノエンドウも伸びている。黄色いタビラコの花も可愛らしい。ナズナがペンペン草になっている。タンポポが咲いているのや種になって飛ぼうとしているのや…。
明日の大阪は25度ぐらいになるんやて。 冬から夏へと一直線じゃん。
今年は桜の花を見に行ってなかったなぁ。たいてい毎年行く御津八幡宮にも堀江公園にも行かなかった。まあ、ええけどぉ…。
2003.4.15
昨日は田辺寄席の記念すべき350回記念の日だったのだが、どないもこないも仕事の具合で参加できなかった。夜になって田辺寄席サイト(当サイトのリンクページからいけます)に「演題解説」を書いていらっしゃる中川さんから盛会だったとメールをいただいた。
今日はなんとまあお餅を、この近くに職場のある世話人のひとりが持ってきてくれた。紅・白・草色の3色のお餅に橘右佐喜さんの寄席文字で「三五〇回目の祝餅 田辺寄席」という札が貼ってあるのがふたつ。50キロの餅をついて、参加者全員に持って帰ってもらったそうだ。そして、笑福亭鶴瓶さんの噺がすごくよかったとのこと。
世話人代表のOさんにお礼の電話をしたら、鶴瓶さんが来られることは発表していなかったので、高座に出てきたときは会場がどよめいたという。しかもその噺が素晴らしかったそうで、いなくてほんとに残念だった。
当日の参加者から書いてもらう「参加者の声」がもう少ししたらとどくのが楽しみ。そしたら田辺寄席サイトにアップしますので読んでくださいね。
2003.4.14
今日は田辺寄席の日なのに仕事で行けなかった。先月で皆勤が途切れてまた今日である。考えてみたら8回も連続して行けたほうが不思議だったかも。今日は田辺寄席350回記念の日で、笑福亭鶴瓶さんが来られるというのに、行けなくってほんとに残念。行ってたらいまごろ、どんなにおもしろかったか報告を書いていたのにね。去年も大物が来るからおいでと言われていたのに、その日は仕事で行けなかった。鶴瓶さんとは縁がないみたいで淋しいな。
ばたばたとお昼ごはんを食べ、晩ご飯もできあいのおかずですましたが、今夜はなによりも阪神:巨人の野球中継がご馳走だった。一昨日のなんとも言いようのない試合(大量リードしていたのに9回裏に同点にされ、延長の末引き分け)の後は暗澹たる気持ちになったが、阪神選手たちは昨日も今日もよく投げてよく打ってよく守って勝った。よっしゃー。
今日のテレビは阪神ファンがよく写っていた。今年になって急激に増えたんとちゃうかな。東京ドームではいつまでも「六甲おろし」が響いていたでしょうね。ただいま首位ですよ。ふっふっふ。
2003.4.13
昨日で長く続いていた「アリー・myラブ」が終了した。5年目に入ってからは、ストーリーや登場人物が煮詰まっていたし、9・11以後の真面目にしなきゃみたいな雰囲気が感じられてあんまり楽しめなかった。ボン・ジョヴィが恋人になったときは、この人とうまくいくんじゃないかと思ったんだけど、またまたあかんかって、なんだか見放してしまったが、その後はジョンの思いが通じたらいいのにとか思ったり…、けどラリーが忘れられなかったんだ…。
同じ昨日の7時25分から「ヤングスーパーマン」がはじまった。これは絶対見ようと思って早めにNHK教育テレビをつけたらアニメをやっていた。「戦記、始まる」というので、やたらときれいな画面である。ちょっと見ただけだけどストーリーもおもしろそう。
「ヤングスーパーマン」のほうは、宇宙から地球へ落ちてきた宇宙船から歩み出した子どもを若い夫婦が見つける。その子(クラーク・ケント)が高校生になっているが、親が目立たないようにと育てるのが不満である。「お前は普通の子ではない」とある日父がうち明ける。クラーク・ケントが「それじゃ、屋根裏に宇宙船が置いてあるの」と軽く冗談を言うと、父は「地下室にある」と言う。そして地下室に連れて行くと、ちゃんと残骸が置いてあった。また、クラークが持っていた木札みたいなのには地球上にはない文字があった。さて来週はどうなるのでしょう。
2003.4.11
ようやく読み終わった。おもしろかった。南米の貧しい小さな国の副大統領邸で、日本の大企業経営者ホソカワの誕生パーティが開かれている。日本企業を誘致して利益を得たいがためのことで、ホソカワがオペラ好きのために、たいそうなギャラを奮発してマリア・カラスの再来のような歌姫ロクサーヌをシカゴから招いていた。しかし出席を予定していた大統領は、家でテレビの人気番組を見るために突然欠席ということになる。パーティ最中にテロリストが侵入する。彼らは大統領を人質にして要求を通すつもりだったが、不在のためそこにいた全員を人質にすることになってしまう。
使用人や女性を解放した後は、重要な地位にいる男性数十人と女性はロクサーヌ一人が残される。ホソカワが信頼する言葉の天才、通訳のゲンもいっしょに残る。毎日の生活が秩序だって進行していく。副大統領は洗濯や掃除やアイロン掛けに熱心である。毎日運ばれてくる食品がはじめはすぐ食べられるものだったが、素材が来るようになり、グルメのフランス大使は料理を担当する。ロクサーヌの伴奏者が死に、ピアノを弾ける人間をさがすと、ホソカワの部下のカトウが玄人なみに弾けることがわかり、ロクサーヌは歌い始める。
こんな具合に細かく具体的に人質とテロリストが描かれ、彼らの交流が描かれる。ホソカワは穏やかな首謀者ベンハミンとチェスをし、ロクサーヌは少年に歌を教える。
ロシア人、フランス人、ドイツ人、スペイン人、日本人、等々の政界、経済界で活躍していた人たちが、仕事を忘れ本来の自分を取り戻す。ゲンはその人たちの中を自由にあやつれる言葉でつないでいく。
しかし最後は侵入者に楽園は破壊される。そう、救助に入ってきた人間こそ侵入者として楽園を破壊したのだ。長くは続くはずのない楽園だからこその美しい輝きである。とても美しい作品です。こころを打たれた。(早川書房 2600円+税)
2003.4.10
昨日は阪神と中日の試合を長時間にわたってだらだらと見てしまった。阪神が負けてお終いと思ったら、浜中選手のスリーランホームランがあって同点、しかし、延長戦に入って負けた。あああ、時間の無駄…。野球中継が終わってから45分遅れてエリック・ロメールの映画「パリのランデブー」(1994)があったので見た。テレビでさえ映画を見るのは久しぶりである。終わったあとすぐ心地よく眠ってしまった。
エリック・ロメールの映画は80年代の作品はほとんど見ているが、90年からあとは見ていない。これはいかん。昨日の映画も小粋でよかった。なんとかビデオででも見なくちゃ。大作ではなくてこういう映画を見続けたい。
「パリのランデブー」は三つの話にわかれていて、第1話は「7時のランデブー」、女子大生が主人公で、恋人に他の女がいると聞いて悩む。市場で摺られた財布を拾って届けてくれた女性と行ったカフェで、その女性を待っていたのは自分の恋人だった。悩みに悩んでいたのに、カフェでテーブルを前に座った恋人を愚弄して帰っていくところがよかった。
第2話「パリのベンチ」は、大学講師と夫のいる女性の恋を描いていて、2人はあちこちのパリの公園や墓地でデートを重ねる。ある日女性のほうから、パリへ来た観光客ごっこをしてホテルに泊まろうと提案する。観光地図を片手に駅から電車に乗ったりしてホテルのそばにくると、ホテルに入っていったのは女性の夫と浮気の相手であった。この女性は勝手ではあるが筋がとおっていて爽やか。
第3話「母と子 1907年」は、友達に紹介された娘を案内することになった画家は、ピカソの展覧会に連れて行くが、自分は絵を描きに家へもどろうとする。そこで美貌の女性を見かけて美術館へ戻っていく。「母と子 1907年」はピカソの絵のタイトル。
3つのエピソードがシャンソンによってつながっているわけだが、それぞれが気が強くて美しい女性が主人公である。ルーズなワンピースにカーディガンをはおっている姿がとても自然だった。
2003.4.9
掲示板で魚柄仁之助という料理家の話題が出たので図書館で探したら、話題の本ではなかったが別のが1冊あったので借りてきた。その隣にあったのが「小林カツ代のキャベツ大好き」で、ちょうど新キャベツが2個あるのを思い出して借りた。
私の料理の本は教科書にしている丸元淑生さんと堀井和子さんの初期の4冊で、辰巳浜子さんの古典的な本や池波正太郎さんの本はどちらかというと楽しむ本である。
それ以外は雑誌や新聞でこれと思ったのを切り抜いてファイルしてある。こう書くとなんか勤勉なようだが、切り抜いたとき1回作っただけで忘れ去るものも多い。魚と野菜ととうふ類でテキトーにというのが私の毎日の料理なのだ。
新刊書の料理の本棚を見るのは好きであれこれ見るけど、写真やイラストやレイアウトを見るのが好きなので、実用的なキャベツの食べ方なんて、背表紙を見ても手に取ったこともなかった。それが偶然図書館で見つけた隣の本を開いたわけだが、こういう本って役に立つのね。数日キャベツ料理をあれこれつくってみた。何度かつくってレパートリーにしたいのもある。図書館の2週間プラス延長を頼むことにして4週間のうちにものにしたい。
2003.4.7
数日前に山本やよいさんからいただいたんだけど、すぐに読めなくてようやく昨日読みだしたら、これがおもしろくてやめられない。でも仕事があって本にばかり向かっていられない。昨日は夜中の3時まで読んでいて、今日はご飯がすんでお茶にするやいなや手にとっているがなかなか進まない。目も疲れてきた。
著者のアン・パチェットはアメリカ人で、この本は長編4作目だそうだ。日本人が重要な役というより主役で出てくるのだが、全然不自然でないし上品なのだ。山本やよいさんの訳が原文の静かな描写をとてもうまく日本語に置き換えているのだと思う。
まだ三分の一しか読んでないので、どういう結末になるかわからないのだが、ともかくおもしろい。読み終わったらちゃんと紹介するね。タイトルが「ベル・カント」だからオペラにも関係あります。
2003.4.6
タイトルを見ただけでおわかりでしょう。今日は阪神タイガースが大量点で勝ちました。テレビを見ていなくて、夕方のニュースで知ったのですが、浜中が2本、片岡が1本ホームランを打ったそうですね。昨日4日は伊良部投手が力投し、矢野、藤本と恐怖の下位打線が活躍して勝ち、今日はムーア投手で大量点で、開幕から今日まで6勝2敗ですかね。
開幕戦で負けたときは気持ちに暗雲立ちこめていましたが、今日になってはもうなんともはや、にんまりです。友人から「タイガースも調子ええし、ご機嫌でしょ?」とメールがありました。ふっふっふ。
先日の中継に遠山元阪神投手が解説に出ていましたが、なかなか歯切れ良くしゃべってましたね。何年前だったかなぁ、松井選手を何度もきりきり舞いさせたことを思い出しました。解説者としてがんばってほしいです。
これで野茂投手が次回で100勝になり、新庄選手が活躍してくれたら言うことなしです。
2003.4.5
秋深くなると野菜の宅配にセロリが入りはじめる。大きな1株が480円、これを2週間に一度買い続けて春になった。先々週のセロリは伸びきって堂々とした大きな株だったが、今週は若々しくみずみずしい若葉である。このシリーズが伸びきるまでは配達してくれるだろう。
セロリをそんなにたくさん買ってどうするのとよく聞かれる。まず、セロリとジャガイモの蒸し煮を週に1回つくる。毎朝のスープに週2回は使う。サラダにもする。カレーにも入れる。除いた葉っぱはスープストックの素になる。セロリの入ったスープストックでつくったスープは美味しい。
冷蔵庫にセロリが入っていると豊かな気分になる。1週間おきにコーヒー1杯と変わらない値段で、秋から冬へ食卓が豊かになる。
2003.4.4
エドマンド・ホワイトがプルーストの伝記を書いているというので楽しみにしていたが、近くの本屋になくて、ようやくジュンク堂で手に入れた。岩波書店から出ている「ペンギン評伝双書」の1冊である。
エドマンド・ホワイトを知ったのは数年前のテレビ番組だった。多分イギリスの制作になるアーティストについての番組で、そのときはジャン・ジュネがテーマだった。彼がパリの歩道を歩いている映像がめちゃくちゃよかったのだが、ええかげんなわたしは印象だけ残っているまま、その作家の名前を忘れてしまっていた。その話を若い友人にしたら、彼女はその番組を見ていなかったけれど、それはエドマンド・ホワイトに違いないと言った。わたしはすぐに何冊かの作品を読んでほんまのファンになった。その後で出版された「燃える図書館」はすごくよかった(2000年9月のこのページに感想を書いてます)。
エドマンド・ホワイトはプルーストの伝記を書くのに、現在いちばん適している人だと思う。彼自身がゲイであり、恋人をエイズで失っており、彼自身もHIV陽性という危機的状況を生きているから、プルーストが常に死を意識しながら生きていた状況をだれよりも理解できている。
この本では、子どもの時のプルーストからはじまって、「失われた時を求めて」に先立つ作品について触れ、ついに「失われた時を求めて」について順を追って書いている。いままでプルーストが同性愛者であることをわかりつつ、異性愛者である如く書かれてきた伝記から、ついに、ここではじめてエドマンド・ホワイトによって同性愛者プルーストの伝記が書かれた。
おもしろくてどんどん読んでしまった。もう一度落ち着いて読んで感想をまた書きます。途中で挫折している三度目の「失われた時を求めて」読書も再開したい。(岩波書店 2400円+税)
2003.4.3
今朝の新聞でレスリー・チャンが自殺したことを知った。最近の映画を見ていないので過去のことしか言えないが、哀しいまでに美しい人だった。
わたしが香港映画をよく見ていたころは、いま数えてみると5・6年前になる。あのころはよく映画館に行っていた。まだホームページを開いていなかったから時間と気持ちの余裕があった。やおい小説とともに、香港映画を教えてくれたのは若い会員のS嬢だった。あのころの香港映画はおもしろかった。どんなにつまらないばからしいストーリーでも力があふれていた。
その中でも「覇王別姫」と「ブエノスアイレス」は最上の作品だった。そのどちらも素晴らしい作品だが、好きという点ではわたしは「ブエノスアイレス」だ。あんなにうらぶれた退廃の美が似合う人は他にいない。あんなに哀愁にあふれた人、あんなに美しい人がこの世にいないと思うとほんとに淋しい。
2003.4.2
ミドリさんと言って知っている人はいるだろうか。10年以上前にコミック誌「ビッグコミックオリジナル」に連載されていたマンガの主役の名前なんである。そのマンガの作者もタイトルも覚えていなくて、ただ、ミドリバアサンというわが家での愛称だけが残っている。どなたか覚えている人がいたら教えてください。下町暮らしで、出っ歯で下駄をはいているバアサンである。
連載当時あと10年ほどしたら、ミドリバアサンがわが家に出現するという話があった。口が悪い、お節介、おっちょこちょい、早合点、お人好し、へんにケチだが財布はザル、等々わたしと共通の性格の持ち主なので、わたしがその年齢に到達したらミドリバアサンになるということなんであった。いまやその時が刻々とせまってきている。
わたしはホンマは深く人に関わるのは好きでないし暖かくもない。ミドリさんにはとうてい追いつかないのだが、なぜか、へんにお節介なところがあり、ずるずると深みにはまる傾向にあるため、ああっ! またミドリバアサンをやってしまった、ということがけっこうあるのである。ミドリさんになりたいんだか、なりたくないんだか。
2003.4.1
写真:『チャペックの本棚ーヨゼフ・チャペックの装丁デザイン』発行:ピエ・ブックス 2003年3月