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2003年3

 


ルーマ・ゴッデン「トウシューズ」


図書館でちょっと座って読んでいたら離せなくなったので、借りて帰り続きを読んだ。バレエダンサーを志す少女の物語で、ルーマ・ゴッデン(1907〜1998)が1992年に書いた物語である。
バレエは昔の少女小説や少女マンガの得意なテーマだった。大きな目の少女、トウシューズ…、運命に翻弄されるが最後には成功して涙涙の物語。わたしの少女時代は谷桃子、貝谷八百子という2大スターがいて、少女雑誌で毎月舞台姿や私生活の写真を見るのが楽しみだった。その後も「白鳥の死」や「赤い靴」などを上映しているところを探したり、ボリショイバレエ団の公演に行ったり、そのもっと後にはヌレエフの映画を見たりして、バレエ好きは続いている。
ルーマ・ゴッデンの作品は日本の感傷過剰のバレリーナ物語とは違う。清々しく凛々しい。バレエを踊ることが生きることである少女の物語である。シャーロットの母親はバレリーナだったが、出産のときに死んでしまい、母の8歳年上の姉に育てられる。シャーロットはおばが衣装係をしている小さなバレエ劇場で、小さいときから習っていたが、王立のバレエ学校の試験に合格する。このバレエ学校はモデルがロンドンのロイヤルバレエ学校だそうで、全世界から優秀な子どもたちが集まっている寄宿学校である。
学校の友だち、運命的に手に入った可愛い犬とその縁で知り合う少女、取り囲むおばさんをはじめとする大人たち、バレエの先生たちがとても魅力的だ。シャーロットに意地悪する少年は最後には大人になったら結婚しようという仲になる。「赤い靴」の踊りと結婚の両方を手にしようとして、結局死ぬしかなかったバレリーナを思い出した。

2003.3.31


イギリス黄金時代の女性作家─E・C・R・ロラック「ジョン・ブラウンの死体」


国書刊行会のこのシリーズは解説が詳しくておもしろくて勉強になる。E・C・R・ロラックは1894年生まれの女性ミステリー作家で、日本では40年前に「ウィーンの殺人」が訳されただけだそうだ。創元社の「現代推理小説全集」はわたしの家にあったと思うが、読んだ記憶が全然ない。そのときの植草甚一のインパクトのある解説が「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」に入っているというので、そのうち読んでみよう。
ロンドンの出版社に人気作家ヴェルラムから原稿が届く。編集者のファールが読むと、かんじんのところを昔読んだ記憶があって、そのまま出版すると剽窃ではないかと心配になる。ジャーナリストの友人ヴァーノンに話すと、彼は先に読んだ作品のことを思い出し、ヴェルラムを訪ねてさりげなく聞いてみると言い出す。たまたま彼の友人スコットランド・ヤードのマクドナルド警部は、同じ地方の牧師から瀕死の浮浪者ジョン・ブラウンが言い残した言葉を聞いていて、休暇を取って調べてみようとしているところだった。2人はイギリス南西部デヴォンシャーへ連れだって出かけて、それぞれの調べものをすることにする。
霧に覆われて先の見えない山道の中での怖ろしい出来事、突然空き家に若い女がいて、などストーリーもおもしろいが、荒涼とした風景の描写がよりすごくておもしろい。たくましいミステリーだ。(国書刊行会 2300円)

2003.3.29


雑誌「白鳥」


先日知らないかたからメールをいただいた。長澤節さんに学んだ人だが、長澤さんのことを懐かしくなってふと思いつき、検索してみたら私の文章が出てきたというのだ。1999年6月のものである。ほんまかなとわたしも検索してみたら、一番先に出てきたのでびっくりした。気がついて「長沢節」で検索したらいっぱい出てきたので、これでは、わたしのなんか何十番目かわからないところだ。運がよかったんだ。
そのとき書いた「長澤節さん」を読んでみたら、雑誌「白鳥」のことを書いている。それで懐かしくなって、今度は「雑誌 白鳥」で検索してみた。「白鳥」だからバレエやらいろいろとある。たくさんある中で目指す記事は2つ見つかった。1つは古本屋で「昭和22年1月創刊号 7,000円」とあった。そして痛んでいると書いてある。見たいことは見たいが買うほどではないと思った。以前国書刊行会から出ている「ひまわり」復刻版を28,000円で買ったけど、懐かしいが持っていてもしょうがないので古本屋に売った覚えがある。懐かしいものは懐かしむだけでいい。
もう1つは、熊本日々新聞に掲載された記事で、「白鳥」の作文コンクールに入賞したけど、出版元がつぶれて賞金がもらえなかったという話である。書いているのは尾崎一枝さんで、作家尾崎士郎の娘さんらしい。それが昭和23年のことだそうだ。
ということは4冊揃ったのをわたしが姉にもらったのだから季刊誌だったのかな。ともかくも記憶の中にあったものが実在していたのだ。長澤節さん、子どものときのわたしの偉大なる師だった。メールをくださった人は節先生の側でデザインや画を学び、褒めてもらったことがあるという。うらやましい。

2003.3.28


買い物は楽しい


昨日の夜食器を洗っていてお皿とお茶碗を割ってしまった。お気に入りだがけっこう使ったものでそう惜しくはないが、一度に二つも割るなんて、どっかが老化したんだろうか。もともとはなんでも壊すのが得意なんだけど(最近の大ヒット? プリンタのインキの封を切り損なって本体部分を剥がしてしまい4,410円の損失)、なぜか食器は割っていなかった。だから長いこと食器の補充をしていない。とはいえ、同じ皿を数枚買ったものが、なぜか2枚ずつになっていて、1枚割ると最低線が維持できなくなったということなのである。
そうなると俄然買い物をしたくなって、今日はアフタヌーン・ティーに行こうと決めた。ブルーの線が入った白いお皿を2枚、サラダを入れたら映えそうなブルーの花柄の皿を2枚買った。
わたしは昔から袋物に目がなくて、とにかく気に入ったら欲しくなるので困りものなのだ。でも最近はお金まわりが悪いので、いい袋があっても見ないふりして通り過ぎている。プールに行くときの水着入れのバッグだって同じのを2年間使ってきた。これを持つのがいやになって、先日からあちこちでトートバッグを見ているのだが、これって思うのがない。まあいいかと思っていたのだが、今日はアフタヌーン・ティーで気に入ったのがあった。ポケットがたくさんある赤いトートバッグ、当分プールどころかどこへ行くのにも持っていこう。

2003.3.27


春の野菜がおいしい


今年も新玉葱が手に入る季節になった。まだ直径3センチくらいの小さな玉葱に濃い緑のしっかりした葉がついている。葉もいっしょに薄揚げと甘辛く炊く。おいしくてご飯がすすんで困る。
だいぶ前から新キャベツがある。刻んでそのまま食べてもおいしく、コールスローもおいしく、スープに使ってもおいしい。
先週はとっても新鮮な水菜の若葉がとどいた。2束あったので1束の半分を朝のサラダにしてみた。ベーコンの脂身をとったのを細かく刻んで炒めたものと合わせて、フレンチドレッシングをかけたらおいしかった。あと半分は夕食に大根の千切りと合わせておいて、ゴマ油を熱したのをかけてみた。うまかった。1束はオーソドックスに薄揚げと炊いて食べた。
菜の花はいままで、さっとお湯をとおしてからかつお節たっぷりと油炒めしていたが、ふと思いついて、朝食にバター炒めしてみた。お湯をとおさずに直接炒めたのだが、苦みがあっておいしい。淡泊なトリムネ肉の蒸し焼きに付け合わせたのが成功の秘訣だな。

2003.3.26


アントニー・バークリー「地下室の殺人」


アントニー・バークリーの本を読むのは3冊目、素人探偵で作家のロジャー・シェリンガムにもだいぶ慣れて好ましく思うようになってきた。この前に読んだ「第二の銃声」もそうだったが、被害者が全然同情されない人間で、真犯人がわかるとあっと驚く仕組みである。
この本では新婚の夫婦が新しく借りた家の地下室で若い女性の死体を見つけ、スコットランドヤード主席警部モーズビーが捜査にあたる。地道な捜査をつくして、ようやくその女性が右大腿骨の手術したときに入れたプレートから身元がわかる。その女性が働いていた学校に去年シェリンガムが病気の教師の代役をつとめたことがわかり、モーズビーはシェリンガムに応援を求める。シェリンガムはその学校での経験を小説にしようと書きだしたものをモーズビーに見せる。だから読者は殺人事件の背景をシェリンガムの小説によって知ることになる。被害者と関係のあった教師は、警察に動機も物証も本命と目された容疑者なのだが、どうしても決定的な詰めができない。
バークリーはドロシー・L・セイヤーズと同時代のミステリー作家である。シェリンガムは同じく素人探偵ピーター・ウィムジイ卿に似ているところがあるが、ピーター卿みたいな貴族でも秀才でもないし、おしゃべりもそれほどでもない。なんとなく愛嬌があってそこそこおしゃべりで好きになった。でも、ピーター卿みたいに熱烈に好きになるというほどではない。(国書刊行会 2300円+税)

2003.3.25


昨日はちょっとバテ気味で…


昨日は田辺寄席の日だったが、朝うまく起きられなくって皆勤は8回で終わり。年末に皆勤賞をとる予定だったのに残念だわー。ここんとこちょっとバテ気味である。プールに行って歩いたらいいかと思って出かけたのだが、体が重くてもうひとつ元気になれなかった。まあこんな日もあるさと早めに出て公園のベンチで座っていた。雪柳、馬酔木、やぶ椿が咲いている。金雀児の濃い緑色の葉が美しい。桜がもう少しで咲きそうである。バスから見える辛夷の花も満開だった。
夕食後にどうもこうもなく眠くなって2時間爆睡、ようやく元気になったと思ったら12時である。テレビの戦争報道番組を見ていたら1時過ぎで、とめようと思ったら「上方演芸ホール」がはじまった。桂文珍の「地獄八景 亡者の戯れ」だったので最後まで見てしまった。花のある人で、話が創作落語みたいに自由にふくらむが、ちゃんとあらすじはおさえている。うまいものだと感心して聞いていた。
今日は料理をする気がおこってきたので、得意のエビ入りおからをつくることにした。あ、乾しシイタケを水でもどしとかにゃ。

2003.3.24


「キャットクラブニュース」1993


書類の整理をしていたら引き出しから「キャットクラブニュース」の版下が出てきた。わたしが1993年5月から毎月無料配布していた小冊子である。B4用紙の中心を真横に切れ目を入れて折ると、うまい具合に8ページになる。最初の4冊は手書き、後半はマックでつくったもの。それぞれ特集号になっていて、(1)ジェニー・リンスキー(2)大島弓子とスーザン・テリス(3)ノラとトラー(4)部屋の中の麦畑(5)ロバート・アルトマン監督「ロング・グッドバイ(6)「のっぽのサラ」(7)森栗丸「あじさいの唄」(8)花子。
イラストと写真がうまくレイアウトされており(自画自賛)、楽しい小冊子である。友人たちに配ったのだが、好評で各100部くらいは配ったろうか。一度に10部くらいづつ作ったのだが、紙を切って折ってという手間がたいへんだった。8号でついに息切れしてしまった。「花子」を作ったので、もうよいと思ったんだったか。手書きのときは修正ペンを片手に下書きなしで書いたものだ。「発刊の言葉」なんか格調高くて涙が出そう(笑)。
今日はまだ残っていたピンクとブルーの上質紙を出してきてコピーした。夜のVFCの例会に持っていって喜びそうな人にセットであげよう。自分用にも作って永久保存版を作っておこう。10年前、手書きとパソコン制作にまたがった記念誌でもある。

2003.3.22


生きる歓び「チャペックの本棚」


昨日アメリカ村の本屋さんで見つけて迷わず買った。ヨゼフ・チャペックの装幀デザインを集めた本である。この本、はじめて見たと思ったのだが、当然のことで、1週間ほど前に出たばかりだった。そう言えば、2年ほど前にカレル・チャペックの「ダーシェンカ」「子犬の生活 ダーシェンカII」の新潮社から出ている可愛い本を見つけたのもこの本屋さんだった。縁だなあ。
洋書かと思ったらそうでなくて、解説がちゃんと日本語だから助かるのだが、なにぶん、おっしゃれな本なので字が細かい。日が照ってるときに窓際で読むことにしよう。
昨日も今日もぱらぱらとめくっては、チャペックが装幀したたくさんの本の写真を見ている。淡い色、渋い色、落ち着いた色が美しい。そして文字の扱いの自在なことにおどろく。多彩なフォント、自在な文字の並べ方、イラストとの組み合わせが素晴らしい。中味が読みたくなってくる表紙である。
わたしはたった50部ほどだけど毎月VFCの会報を作っている。白い紙に黒色の文字とイラストを組み合わせて、楽しく読めるものを作ろうと考え込む。タイトルの英文とその他の日本語とイラストをああでもない、こうでもないといじっているのだが、この本からたくさん学べそうだ。もちろん直接ではない。バランス感覚みたいなものかな。
1939年チェコはナチスに占領された。ヨゼフ・チャペックは強制連行され、1945年、解放直前に収容所内で亡くなった。いまヨゼフ・チャペックが装幀した本の表紙を眺めていると「生きる歓び」がわき上がってくる。生きているうちは精一杯楽しく美しく生きようと呼びかけている本である。(ピエ・ブックス 2500円+税)

2003.3.21


暖かいのでアメリカ村を散歩


お昼ごろ用事で出た帰りにアメリカ村に行ってみた。この冬のはじめに毛糸の帽子を買いに行ってから、全然足を向けてなかったので久しぶりである。四つ橋の南の筋から入ってまっすぐ行くと、左側に遊べる本屋さん、ヴィレッジヴァンガードができていた。こんなに広い場所、以前はなにがあったんだったんだろう。全然覚えていない。三角公園の側のビルに店があったときは、4階まで長いエスカレーターで上がっていくのが面倒なので、つい敬遠していたが、道路からすぐに入れるとなると話は別だ。この本屋はわたし好みの本が揃っているので好きなのだが、ほんとは若い人向きの品揃えなんだろうな。谷崎潤一郎の「細雪」の文庫本が上・中・下積み上げてある。寺山修司もたくさんある。デザイン関係・画集、料理の本も好きなのがある。今日はヨゼフ・チャペックの装幀デザインの本「BOOKSHELF」を買った。
ぶらっとひとまわりしたが、やけに若い子がたくさん歩いている。日曜日みたいやんと思ったら、春休みなのであった。20代〜30代の知り合いが、アメリカ村に行きにくくなったと言っていたが、わたしは平気。だってどこへ行っても自分より若い人ばかりやもん。それにけっこう地元の年寄りも歩いている。ここは生活地域でもあるんやから堂々と歩きましょう(笑)。
午後お米の配達にきたお兄さんが「戦争がはじまってまっせ」と言うので、テレビをつけた。「シカゴだより」の中野さんから開戦を伝えるメールもとどいていた。

2003.3.20


まりこさんバッジ


今朝の新聞チラシで仲田万里子さんのイラストを見つけた。「たがやす会」という無農薬・無化学肥料栽培した野菜などの宅配チラシで、表側はおとこの子がバナナを口に入れようとするところの全身像である。裏側には各食品の紹介写真の真ん中におんなの子の顔がある。一目見て、まりこさんのイラストとわかった。活き活きしていて純朴な感じが商品にぴったし。
まりこさんは大阪在住の画家(仲田万里子公式ホームページは当サイトのリンクページからいけます)で、去年の秋にうちの近くの画廊で初個展を開いた。わたしは行けなかったのだが、相棒が見に行き本人にもお会いできて楽しかったそうだ。買ってきた犬が主人公になっている絵はがきいろいろを見たらわたしも好きになった。ホームページがまた元気で楽しいので、リンクをお願いして、その後も絵はがきやバッジを買ったり、楽しいイラスト入りメールをもらったりしている。
ところで、バッジなのだが、わたしは丸顔・おかっぱのおんなの子の顔バッジが大いに気に入って、この冬の間ずっと黒いセーターの胸につけていた。せんだって友人と食事をしたとき、「それなに?」と聞かれたので、「知り合いがつくったバッジ」と勝手に知り合いにしてしまったのだが、そしたら「それkumikoの肖像画と違うのん、そっくりやん」だってさ。

2003.3.19


お気に入りのアナウンサー 黒崎めぐみさん


最初に気がついたのは震災番組だった。阪神大震災のときに関西にいたのかどうか知らないが、震災何周年かの番組に出演していたのをよく覚えている。にっこりと微笑むところがよく、普通のアナウンサーと違うものを持っている人だなあと思った。夕方6時からの「ニュース関西発」に出ていたときは、番組最後の天気予報で予報士の南さんとの掛け合いがおもしろかった。真ん中に天気図や映像の大画面があり、その両端に2人が立ってしゃべっていたのだが、どうということのないダジャレではあるが、黒崎さんの愛嬌ある話し方が楽しかった。
その番組への出演が3年ほど前に終わって、彼女は東京へ行ったようで、オリンピック番組に出ているなあと思ったら、ある日突然「日曜芸術劇場」の音楽の日の司会者になっているではないか。それ以来、出演者が好きでなくても、めぐみさんを見るために日曜芸術劇場は欠かさない。大阪にいたときよりも数段洗練されて、きっちりと話しているのを、なんだか可愛がっていた姪の活躍でも見ているような気分である(笑)。今夜はなにを着ているかを見るのも楽しみのひとつ。さりげないおしゃれで他のアナウンサーや司会者と全然違う。気取ってないし。

2003.3.18


ロバート・B・パーカー「沈黙」


いちばん好きな作家がロバート・B・パーカーだったときがあった。ずいぶん長い年月だった。「失投」「約束の地」「ユダの山羊」「レイチェル・ウォーレスを捜せ」は何度も読んで暗記しているセリフもたくさんある。私立探偵スペンサーが好きで、恋人のスーザンが好きでともに闘う友ホークも好きだった。
最初に読んだのは20年以上前だと思う。たくさんの友人に教えたし、会報にも書いたし、どっちかというとサラ・パレツキーよりも好きだったくらいだ。数年前まで入っていたミステリーの会では特にスーザンの評判が悪かったので、わたしは孤軍奮闘してスーザンとスペンサーをかばったものだ(笑)。発行日にはきちんと買いに行くファンだった。
それが23冊目「チャンス」を買って読んだところで、前出の本以外は処分してしまった。なんだか急にいやになっちゃったのね。恋い焦がれていた恋人でも飽きるときってあるんだ(笑)。
土曜日、図書館の棚で「チャンス」の後に出た「沈黙」を見つけ、郷愁にかられて借りてきた。1999年の暮れに出版されているから3年ちょっと前か。読み出すとけっこうおもしろくて日曜日と2日で読んでしまった。しかし、もう一度は読む気がおこらない。昔の恋人に会って、「あんたって少しも変わってへんね」と言ってるような気分である。

2003.3.17


桂あやめさん


いまNHKの上方演芸で桂あやめさんの噺を聴いたところである。それで思い出したのだが、わたしは去年の田辺寄席ではじめてナマの上方落語を聴いたと思っていたが、1991年末に桂あやめ(当時は桂花枝)さんの噺を聴いたことがあったのだった。
ヴィク・ファン・クラブができてすぐ、当時会員だった島崎今日子さんのお誘いで、江坂のたしかクレヨンハウスのあるビルで催された落語会で、桂花枝さんはOLのお弁当の噺をした。小倉千加子さんも来ていて、そのときに花枝さんのファンクラブ( Her She's Club )をつくるという企画が告げられて、わたしはその場で会員になった。
その後に花枝さんの住まいに強盗が入る事件があった。それから会報「花枝新聞」の発行となるのだが、その第1号を私の事務所でつくることになった。大部分はボランティアである。会員証もつくったが、これは花枝さんがえらく気に入ってくれたと聞いた。いま探したら会報(B5・8ページ)も会員証も出てきた。わたしも原稿を書いていてけっこうおもしろい。ファンクラブとしてお花見をするという話は聞いたが、その後のことは知らないまま今日に至っている。
今日のあやめさんの噺は12年前からするとうんとあか抜けていた。いわゆる高齢出産をして、その出産をネタに創作落語をやるのだからすごく肝が据わっている。「マル高vs.ヤンママ真昼の決闘」は、高齢出産する高学歴の働く女性と、若くして結婚・妊娠した女性が妊婦の講習をいっしょに受ける教室でのいがみあう様子の噺である。笑った、笑った。
あやめさんがもう誰にもなんとも言わさない、独自の世界をつくりあげていることに感動した。ひっつめた髪型にも着物姿にも色気があってかっこよかった。

2003.3.16


赤羽末吉の絵本「かちかちやま」


「かちかちやま」の話ってどんなだったかしっかり忘れていた。たしかタヌキが出てきたくらいしか覚えていない。今回赤羽さんの絵本の1冊として手にして読んだわけだが、いやはや驚いた。
まず、タヌキ汁にして食べてしまわれるべきタヌキが反対におばあさんを殺して、ばあ汁をつくる。そしておばあさんに化けておじいさんに食べさす。おじいさんが「ばあさまや。このたぬきじる、なんだか ばあさまくさいなあ」とか言って食べてしまった後で、タヌキは「ばあじる くったし、あわもち くった。ながしのしたのほねを みろ」と言って逃げてしまう。
嘆くおじいさんから話を聞いたウサギが敵討ちを約束する。山でカヤを刈っているとタヌキがきてなにをしているか聞くので、だましてカヤを刈らせてタヌキに背負わせ、火打ち石を出してカチカチと火をつける。タヌキが「かちかち いうのは なんのおとかな」と聞くので「このあたりは かちかちやま」と答える。火をつけられてタヌキは背中に大やけど。その次は唐辛子畑にいるとタヌキがやってくる。まただまして親切げにやけどに唐辛子を塗ってやる。これは思うだに痛かろう。その上にまただまして泥船に乗せ、沖でおぼれ死にさすのだからなんともはや残酷な話である。三度もウサギにだまされたタヌキは、ウサギに惚れていたのかも。しかし、こんな残酷な話を子どものときに読んでいたのかぁぁぁ。
ちなみに池波正太郎の「鬼平犯科帳」に教えてもらったタヌキ汁は、こんにゃくを手でちぎってカラ炒りしたのを、大根、牛蒡の乱切りといっしょにゴマ油で炒めてみそ汁にする。食べるときに七味をふる。うまいし体が温まる。

2003.3.15


裁縫上手っていいなあ


プールに来る人ならだれでも知っている女性の2人組がいる。「元気なおばあさん」と言えば、「ああ、あの2人ね」となる。2人とも80歳を越えてかくしゃくとしていて、水中歩行をしていても途中から走りだすんだからたまらない。わたしなど普通に歩いていても追い抜かされている。きれいな水着を取っ替え引き替えしているおしゃれさんでもある。
それでもさすがに寒いうちは見かけなかった。今日は暖かくなったのでと言って2人のうちのお転婆っぽいほうが来ていた。なぜか、わたしのことを好いていてくれるようで、休憩時間に手を振って呼んでくれたので、ジャグジープールで久しぶりのおしゃべりを楽しんだ。
プールを休んでいるうちに家の押入を片づけようと、亡くなった御主人の着物や袴をほどいて、綿入れにつくりかえたのだそうだ。「全部で8枚縫いましてなあ、綿入れやさかいに、綿を入れるのがたいへんでしたけど、息子や嫁が暖かいというてくれて」と言う。また「わたしが死んだ後も孫が着られると思いましてね」と言う。
裁縫のできる人ってうらやましいな。わたしに縫い物ができたら古着を買ってきてなにかつくるのに。東寺の市なんかに行って気に入った柄の古い着物を見ると欲しくなったものだが、あっても真っ直ぐ縫うのもおぼつかないんだからしょうがない。せめてわたしは、80歳を越えてもパソコンのキーボードを叩いている人になるようにがんばろ。

2003.3.14


はじめて100円ショップに行った


2ヵ月くらい前からパジャマのゴムがゆるくなって困っていた。ずり下がるのを引っ張って寝るのだが、寝相が悪いので困っちゃう(笑)。ゴムを替えたらいいだけだが、ちょうど裁縫箱にずっとあったゴムひもがなくなったところだ。一巻きあれば忘れるほどあるのに、その一巻きが無くなったわけ。近所のスーパーやコンビニで探したが売っていない。ジャスコならあると思って、この間は野田阪神まで行ったのに見つからなかった。店内改装中だったから、ちょうど改装中の売り場だったのかもしれない。
ゴムくらいのことでもたもたするなんておかしいけど、どこで売っているんだろと考えて、100円ショップならあるだろうと思い当たった。それで今日は暖かいことだし心斎橋まで行ってみた。長堀通りより北の心斎橋筋に100円ショップダイソーがある。
わたしは今日まで100円ショップって入ったことがない。知り合いの部屋にはなにからなにまで100円ショップのものが溢れている。びっくりするようなものが100円なのだ。うちの場合、生活はすでに買ってあるもので間にあっているし、消耗品も買うところが決まっている。良い物を長く使うのがわたしの生活習慣である。しかし、今日はしゃあない。ダイソーに入ってみた。すぐゴムひもはあった。ついでに白と黒のセットの木綿糸と、40ワットの電球2個入りを買った。あとはお店全体を入念に見て回ったけど、要るものはなし。
その後は東急ハンズの家庭用品売り場で、夏用の野菜を入れる袋(虫が入らないで空気は入る)と冷蔵庫内の整理箱、菜箸、かや布巾、スパイス等を買った。
帰ってからゴムを通して(ゴム通しが見あたらなくて苦心惨憺)ほっとした。もう1枚スエットパンツがゆるくなっているのも替えてやれやれ。

2003.3.13


今年もがんばれ 新庄くん


新庄選手が今日の試合で打率を3割台にもどした。テレビのニュースを待っていてよかった。どんどん調子を上げて開幕から試合に出て欲しいなあ。別に松井選手が嫌いではないが、松井選手が渡米してからは、打とうが打つまいがまず松井というテレビのニュース姿勢がわからん。映像で松井、イチローが出て、新庄くんは打っているのに停止写真だけとか、アナウンサーの声だけとか、特にNHKがおかしい。まあ、ええけどな。新庄くんが活躍してだれも無視できひん存在になればええねん。しかし、新庄選手だけでなく2年間の確固たるキャリアを持つイチロー選手がなんでテレビでは二番手なんやろ?
それはそうと、相撲、栃東って大関いたよね。どうしてはるんやろ。大阪府立体育館の前に力士のノボリがひるがえっている中に「栃東」というのがあって、あれなんでやろと思った。最近はテレビも見ていないが、一応千代大海を応援しております。

2003.3.12


先輩たち


昨日は野上彌生子の「真知子」に「高慢と偏見」の同類を見つけたことではしゃいでしまった。今日用事をしながら考えたのだが、それだけではなく昭和初期の女性たちの苦悩を書いた作品なのだと思い至った。
主人公真知子の親友米子は東北の地主の娘である。貴族院議員の父は借金だけを残して死んだ。あとを継いだ兄は病身で無気力である。年貢は入っても借金返済と税金で首が回らず、朽ち果てそうな屋敷に住んでいる。米子は東京の大学で真知子と知り合うのだが、学費が出なくなって働くことになり、村の水車小屋の息子の関といっしょにプロレタリア解放運動に入っていく。真知子をはじめとして当時の社会情勢に目覚めた若者にとっては、出身のぬくぬくとした階級に居続けるか、捨てて闘争の道に行くかの二つの道しかなかった。この作品の中でもそのように議論されている。
真知子は関に惹かれたことを媒介にして、運動に身を投じようとして家を出るのだが、関のええかげんな女性関係に失望して、そこから革命家の人間性に疑問を持って退いていく。
そこらへんが都合のよい書き方で、結局第三の道、理解ある河井のほうに心が通っていくようにうまく話を進めていくのだからちょっとずるい。
しかし、どういう選択をしたとしても、当時の目覚めた女性の生きる道を選ぶ苦しみが伝わってくる。先輩たちの苦悩と苦労をまず知っておかなければと強く思った。

2003.3.11


「高慢と偏見」日本版 野上彌生子「真知子」


野上彌生子の本は他には名作と評判だった「迷路」くらいしか読んでいないが、「真知子」は少女時代とても好きな小説だった。岩波文庫で持っていて何度でも読んだのだが、あるときこんなもんいらんと捨てたときから何十年も忘れていた。それが最近気になりだしたので、図書館で借りてきたのだが、やっぱりそうだった。「真知子」は「高慢と偏見」の日本版であった。
時代は第2次大戦前、高級官吏だった父親が財産を残さなかったので、それなりの世帯をはるのに苦労する母親と暮らす24歳の美貌の娘真知子が主人公である。兄は金持ちの娘と結婚していて、嫂は華やかな社交界の人だし、長女も美貌を買われて裕福な家に嫁いでいる。戦前の日本には貴族がいて成り上がってきたブルジョワジーがいて、社交界というものがあったらしい。夜会や午餐会や能の会や音楽会ときらびやかな催しがある。真知子は専門学校を卒業したあと、大学は女性の入学を認めなかったので、聴講生として社会学を勉強している。友人の左翼活動家である米子とのつき合いで周りに嫌気がさしているが、なかなか自立に踏み切れない。
そこへケンブリッジ留学から帰ってきた大ブルジョワの一人息子で、考古学者の河井が真知子に惹かれて結婚を申し込む。断った真知子はプロレタリアの活動家オトコマエの関といっしょに運動に飛び込むべく家出するが、友人の米子が関の子どもを身ごもっているのがわかり、東京を逃げ出して北海道にいるもう一人の姉のところに居候することになる。そこへまた河井さんが来て・・・というストーリー。
真知子は河井さんに求婚されて、彼の階級や態度をきつい言葉で拒絶するが、河井さんは引き下がらずに、考古学の研究に外国に行こうと誘い、最後は相思相愛になる。
河井さんは自分が求婚すれば誰でもなびくと思っているダーシー氏だし、真知子は当時の流行の「アカ」になりかけたりするが、本質はエリザベスそのもので河井に偏見を持っている。カタキ役にプロレタリア階級出身の関をもってくるところなんか手慣れた感じ。「高慢と偏見」の貴婦人たちとよく似た社交界の夫人たちは、野上彌生子がつきあっていながら嫌悪していた女性たちがモデルなのであろう。会話がいやにリアルだ。そういうところ嫌いじゃないけど。

2003.3.10


大阪人にとって納豆とはなにか


またもや今朝の新聞の話題です。大阪は納豆の1世帯あたり年間購入金額が47都道府県中46位なんだって。金額は1967円、トップが福島県で6871円、18位の東京都(23区)が4412円である。ベベタが和歌山県。
うちの納豆の消費量はどのくらいだろう。毎日食べるときあり、1週間食べないときありだけど、大阪人としてはよく食べるほうだろうと思う。お醤油だけであとはなにも入れないで食べる。ざっと考えて4000円くらいだから中くらいかな。
記事の中で関西の納豆組合の代表理事さんは「大阪人の納豆嫌いは関東(東京)への強烈な対抗意識の表れではないか」とおっしゃっている。アンチ巨人みたいなもんかいな。そんな食べ物でがんばらんでもええやん。うちなんかバリバリの阪神ファンやけど、丸餅より四角いお餅のほうが好きやで。
それはそうと、この記事を書いている記者がおん年何歳か知らねども、姫路出身で生まれてから納豆を食べたことがないんだって。記事を書く前に食うてみいって!

2003.3.9


大佛次郎の童話絵本「スイッチョねこ」


大佛次郎が猫愛好家だということは猫の雑誌の特集記事で知っていた。夫婦とも猫が大好きでたくさん飼っていたこと、また猫グッズをたくさん持っていたというようなことも写真付きで載っていた。切り抜いてわたしの大切な猫ファイルに綴じ込んである。
図書館の子ども向けの絵本棚を見ていたら、大佛次郎の文に、安 泰(やす たい)という人の絵がついた「スイッチョねこ」があった。猫の絵がそれはそれは可愛らしい。文のほうも解りやすい言葉で子猫の行動を書いている。しろきちと人間に呼ばれている活発な猫が秋の月夜に庭へ出て、虫を食べてしまい、その虫がお腹の中でスイッチョと鳴くというナンセンスな話なのだ。お母さん猫が連れて行ったお医者はおじいさん虎猫で虫下しを飲ませてくれる。
まあ、それだけの絵本なのである。猫絵本と言って持っていたりするほどのことはない。しかし、そののんびりした文とやけに可愛らしい猫の絵は子どもが見たら喜ぶだろうと思う。フレーベル館から1975年に初版で、1994年には第34刷なのである。知らなかったけど、人気がある絵本なんだ。

2003.3.8


ジャガイモの消費量


朝日新聞の連載記事に「満腹ニッポン」というのがあって、今日は「e-びーふ」と名付けられた国産牛の話だった。輸入トウモロコシのエサではなく、ポテトチップ工場から出たジャガイモの皮などを発酵させた飼料についての記事である。
その後のほうに、ジャガイモについての課題が書かれている、国民1人が1年に食べるジャガイモの量は、この10数年は16〜18キロだったのが、消費者がスーパーなどで買う青果需要が2割以上減っている。そしてその分加工食品需要(フレンチフライ、総菜)が増えているそうだ。
それで、うちではジャガイモをどのくらい食べているか計算してみた。毎週「ポランの宅配」から1キロ買うが、それでは足りないのでときどき2キロ買う。2人で月に5キロ以上食べているから、年間1人当たり30キロ以上である。
朝ごはんによく食べるからかな。茹でたり蒸したり炒めたり、カレーやシチューもよく食べるからかな。加工食品はほとんどというより全然食べないしね。こんなことを書くと、お米を買えない貧乏人と思われへんかな、まさかね。

2003.3.7


柴田文彦「Mac OS 進化の系譜」


著者は大学時代にApple II に感化された人で、スティーブ・ウォズニアックを間接的な師と仰いでいるという。Apple II というのは、Apple創設時のパソコンではありませんか。
とてもおしゃれな本で表紙も本文のレイアウトも洗練されていて最新のiMacのようである。図書館で見つけて借りてきて、あちこち興味のあるところを読んでいるのだが、なんだかすごい。わたしにはすごいというくらいのことしか書けないのが困るなあ。“すごい”の中味は、圧倒的なMacにかける情熱であり、次にMacのことならなんでも知っているという知識である。
わが家がMacを初めて買ったのはMac Plusで、とにかくカッコがおしゃれということで、どこのパソコンを買うか悩んでいた相棒をつついて決心させてしまったのだ。この本を読んでいるとそのころのことを思い出す。そしてなにがなにやらさっぱり解らなかったことが、いまや笑って、これで悩んでたんだ、なんて思い出してうれしがっている。なんせフロッピーデスクが1枚600円だった時代だ。思えば遠くへきたもんだ。

2003.3.6


まだまだ鍋物 キムチ鍋


キムチは好きなのだが、このごろは鶴橋市場まで買い物に行かないので、なんとなく食べていなかった。鶴橋まで行って野菜のキムチだけでなく、カニや魚のを買ってきたいのだが、そんなに遠くないのに行きそびれている。そうそう、おいしいチジミ(韓国お好み焼き)も食べたいなあ。ホルモンのとか白身魚とか・・・考えただけでよだれが出そう。
新聞にキムチ鍋の作り方が出ていたので、キムチがあればやるのにと思っていたら、近所のスーパーに鶴橋のキムチを売っていた。食べてみたら、本場もんのキムチである。さっそく鍋をしたのは先週で、新聞に出ていた通りタラを入れた。ニンニクをすったもの、ゴマを炒ってすったもの、キムチを刻んだのをいっしょにごま油で炒め、水を入れてスープにする。タラ、とうふ、納豆(つぶして)、生シイタケを入れてミソで味付けし、最後にニラを少々入れる。これがうまかった。
今日はタラの代わりに豚肉にした。豚肉だとわざわざ魚を買いに行かなくてもいいし、あり合わせの野菜でいい。今日は納豆は入れずに春菊とニラをたっぷり入れた。これでビールを飲み、ご飯は大根の漬け物、大根葉とチリメンジャコの炒めもので食べた。残った鍋の汁がみそ汁の代わりなった。残り物なし。

2003.3.5


時速2キロメートル


昨日の天気予報で明日は真冬の寒さになると言っていたので、覚悟して寝たらやっぱり今朝は寒かった。でも昨日は雨で休んだし、仕事の都合がよいうちにと、お昼前にプールに行った。毛糸の帽子とマフラーと手袋と重装備で出かけたら、帰りには雪が降っていたのでぴったりだった。さすがにお水取りだけある。
プールが空いていたので考え事をしながら歩いた。今朝の朝日新聞のコラム「eメール時評」に京大教授の山極氏が「散歩の営みが今、危機に」と題して書いている散歩のこと。散歩のよさを書いた後に、だんだん町中で歩く道が少なくなってきているので、車の通る道だけでなく、気ままに歩ける道がほしいとおしゃっている。そして散歩で時速4キロメートルと書かれているのを読んで、時速という言い方がおもしろいと思った。
わたしがプールに行くのはもちろん散歩ではなくウォーキングであるが、歩く速度は時速2キロメートルである。秒針をメインにした時計(なんという名称かな)があるのでたまに計るのだが、50メートルを歩くのに、60秒だと全速力である。たいてい65〜70秒かかるから、大体1時間に2キロメートル以上歩いている勘定になる。
散歩と違って同じところをしっかり往復するのだから、物思いにふけるのはちょっとむずかしいのだが、20分くらい歩いているうちに気持ちが集中していることがある。あっという間に時間が経っていて、声をかけられてびっくりする。

2003.3.4


ナイオ・マーシュ「ランプリイ家の殺人」


また古い英国の探偵小説を手にとってしまった。この本の前には2冊読みかけて放り出している。もったいないけど名作といわれても性に合うのと合わないのがある。好きなのはやっぱし利発な女性が出てくるやつです。
ナイオ・マーシュの本を読むのははじめてだけど、浅羽莢子さんの訳なので期待が持てた。浅羽さんが訳したドロシー・L・セイヤーズは、書いたときのセイヤーズの気持ちがちゃんと伝わっている、とわたしは勝手に思っている。
「ランプリイ家の殺人」(1940)の最初の舞台はニュージーランドで、ロバータという娘がイギリスの貴族の一家と知り合い、友人として信頼を得るところからはじまる。ランプリイ家は当主の夫婦と男女6人の子どもがいるが、全員に経済観念がなく絶えず破産の危機にさらされ、その都度遺産が入ったりして助かっている。ロバータは一家の魅力に惹かれ、長男のヘンリーと仲良くなるが、ニュージーランドの土地が売れて一家はイギリスにもどっていく。ロバータが20歳になったとき、両親が事故死し彼女はイギリスの伯母のもとに行くことになる。ロンドンに着いたロバータは1ヵ月ランプリイ家で居候することに決まるのだが、その翌日事件が起きる。当主の兄がやってきて借金の処理を頼まれたのを断り、帰るときにエレベーターの中で金串で刺されたのだ。スコットランドヤードのアレン主席警部が短時間で犯人を突き止める。そして一家は子どものいない兄を相続して貴族の称号とお金が手に入る。
前半はロバータの側からの説明、後半はアレン警部の推理となるが、なんと言っても華々しいのは、ご本人たちも言っている“魅力的な人々”である貴族の一家である。この人たちのお陰で退屈せずにどんどん読み進めた。ヘンリーとロバータの関係はピーター卿とハリエットを思い出させる。(国書刊行会 2500円)

2003.3.3


今度のプリンタはLEXMARK


2月の会報をつくる直前にプリンタが言うことを聞かなくなった。そろそろ新しいプリンタがいると思いつつ使い続けてきたのだが、今度もアルプスがほしいと言うほど気に入っていた。でもどうやらアルプスはもう選択肢に入らないようだ。こういうときの決断が早いのがうちのいいところ(?)である。アスクルのカタログを開いたら最近のプリンタが数種類あって値段も安いようだ。アスクルで買えばいいじゃんとなったが、出ているのはみんなUSB対応とある。うちのマックは1台はiMacだが、あとは2台ともUSB対応になる直前のG3機である。こりゃあかんわ、どないしょうと他のページを見たらLEXMARKの新製品があって、ネットワーク対応とある。これならいけるんとちゃうか。A4対応で値段は29,700円、よそのより高いけどネットワークで使えたら理想である。ということですぐ注文したら翌日到着した。で、すぐに接続して(もちろん相棒の仕事)iMacだけはすぐに使えたが、G3機からはつながらない。夜までがんばったが仕方ないので、わたしのほうには古いエプソンのA3ノビのほうをつないで、とりあえず会報はつくれるようにはなった。
だけどこれで気持ちがおさまらないのが相棒で、ネットで調べ雑誌で調べた上で、LEXMARK社に電話して説明を聞いた。とうとう苦労の甲斐ありネットワークでつながったのである。いまは3台のマックからきれいなプリントが流れ出ている。

2003.3.1

 

写真:春の香りがとどいた

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