1週間ほど前、新聞チラシの中に心斎橋東急ハンズのハンズメッセの広告があった。たしか年に1回のセールである。いつもハンズのチラシが入ると丁寧に見てなにか欲しいものがないか検討する。それですぐ買いにいくつもりになるが、日にちが経つうちに忘れることもしょっちゅうである。今回はプール用にぴったりの真っ白なバスタオルが出ている。フチにちょっとチェック柄がついていて可愛い。1枚980円というのも魅力だし、いま使っている大型タオルは体ひとつ拭くだけに大荷物になるので困っていたところだ。9月1日までではあるが、在庫がなくならないうちに行こうと思った。
いつもクリスタ長堀からエレベーターでハンズ前に出るのだが、B3の駐車場から満員で止まらずに通り過ぎてしまう。これはえらい人だろうなと思いつつ、ちょっと離れたエスカレーターまで行った。ほんまにえらい人だった。いつもは8階まで上がってエスカレーターで下りつつ各階を見るのだけれど、今回は買う物だけにしようと3階へ行った。
人混みの中で運良くタオルは見つかった。縁とりのギンガムチェックが赤とブルーと黄色のを各1枚、スリッパ2足、それから3カ月ほど前から探していた洗濯機のくず入れ袋の換えがあったので買った(2枚入っていて380円、うまくどの洗濯機にもつけられるようになっている)。運良くすべて一箇所のレジですんだ。
あとはバーゲン品には欲しいものはないし、買おうと思うとレジに並ばないといけないのでそれだけで帰った。
2002.8.31
たいそうなタイトルをつけたが、要するに残り野菜でスープをつくったという話です。ポランの宅配でトマトとキュウリが終了した。クソ暑いけどもう夏も終りなんやなあと、残り野菜を調べたら、ズッキーニ、オクラ、三度豆、トマトが少々残っている。それにナス、ピーマン、タマネギ、ニンジン、ブロッコリー、トウモロコシ、ニンニクを加えてスープをつくった。豚肉が少々あったので水から茹でアクを取っておく。他に手作り野菜スープを1パック溶かして混ぜ、ニンニク、タマネギその他固い野菜をオリーブオイルで炒めたのを入れる。少々時間をおいて柔らかい野菜を入れ、最後にトマトを入れる。味付けはコリアンダーと塩とコショウ。
ちょっとしつこい味だが、これで夏も終わりだなあと感傷的になった夏のスープ、2回分あるので、今日食べて明日も楽しめる。
2002.8.30
ハイパーカードというのはマックのソフトなんだけど、カードに描いたりした絵なんかが何枚か続けて見られるようになっていて、それをまとめたものをスタックという。
マック雑誌(ありったけのマック雑誌を買っていたあのころ)の広告で見て買ったのが、るじるしさんの「おやつ」だった。包装がおしゃれなので、わたしの大切ファイルにしまってあったのを取り出してきた。折り畳んで作った薄いダンボール紙の封筒にプリンターで出したシールが貼ってある。「Macintosh
HyperCard StackWare おやつ」FD2枚組で3,200円であった。「10時のおやつ」「3時のおやつ」でいま見てもおもしろい。ルシルとルシラという2人の女の子の1日が描かれているのが好きだ。水族館へ行ったり、家事をしたり、遊んだりする。クリックすると場面が飛ぶところが楽しい。ときどき効果音や音楽が入る。
絵本のような形式の他に、単純に楽しめる1コマものもあって、いちばんのケッサクが「だいじょうぶのおじさん」である。トーストみたいな四角い顔のオッサンが座っていて、顔をクリックすると「だいじょうぶだいじょうぶ」と言う。横の湯飲みをクリックすると、「まあおちゃでものんでよ」と言う。関東弁なんだけど、かえってユーモラスなんである。それだけの単純なものだが、いまでも笑える。当時はずいぶんと見せびらかしたものだ。
まだメールはなく、パソコン通信もしていなかったときだから、発売元にるじるしさん宛のファンレターを出した。そしたら可愛いハンコを捺した封筒の手紙がとどき、中にはまた1枚「セルリアン」というスタックが入っていた。その後も「かばかばん」を買った覚えがある。1989年〜90年のことだ。るじるしさん、いまどうしてはるかな。
2002.8.29
パソコンをはじめて使い出したのは15年くらい前だと先日書いたが、いま調べたら1987年11月13日に最初のマックプラスを買っている。ほんまに15年になろうとしている。買ったときはまだハードデスクがなくて、ワープロソフトのフロッピーデスク(FD)を何枚もフロッピーデスクドライブに入れたり出したりでわけがわからなくなった。それまではキャノンのワープロを使っていて、けっこう使いこなしていたが、そのときのわたしはパソコンを使うのはお手上げ状態だった。相棒のほうはこのときからマックの泥沼にはまってしまって、今日に至るである。
その後ハードデスクも買える値段になったので(いまと比べるとめちゃくちゃ高かったが)買い、漢字トークのバージョンアップをし、たくさんのアプリケーションソフトを買い、マックの2台目(SE/30)を買ったのは90年4月だった。SE/30で91年秋にVFCの会報をつくったのがDTPのはじまりなんだよね。ふーむ、すでに歴史だー。
とにかく当初は相棒のオモチャと化したマックだが、お金のかかるオモチャなので、わたしにもなにかやらして、ひっぱりこもうと考えた結果が、ハイパーカードだったみたいだ。まずマックのショップで買ってきたのが、Amanda
Goodenoughの「Inigo Gets Out」というFD1枚であった。見ると軽やかなタッチで描かれたネコがお風呂に入ったり、ウサギを追いかけたりする。マウスでクリックしたものが動いて、違う場面に移動する。いまなら単純すぎてばからしいものだが、その当時は驚いた。ページをめくって次の場面ではなく、こちらがネコをクリックしたり草むらをクリックしたりウサギをクリックすると場面が変わるのだから。
そのネコやウサギやクジラのイラストをプリントしていまも便箋にして使っている。当時のプリンター(イメージライター)はかしゃかしゃと音を立てながら色をのせていった。独特の色合いがオシャレである。便箋はもう製造不能だから最近は使うのがもったいなくて原紙として保存しコピーしたのを使っている。ハイパーカードのお話はまた明日に続く。
2002.8.28
岩波少年文庫の創刊40周年記念として発行された全30冊セットの1冊らしいが、図書館で見つけてラッキーだった。
メアリ・ド・モーガン(1850-1907)はイギリスの高名な学者の娘で、ウィリアム・モリスなどの芸術家たちと家族ぐるみのつきあいがあり、自分の作品を集まった人たちに読んで聞かせていたという。
ギリシャ神話みたいだけど、ロマンチックですっとこちらの気持ちに入ってきたウォルター・ペーター(1839-1891)の「キューピッドとプシケー」を思い出した。民話を思わせるこの本も、アイルランドの民話よりもすっとこちらに寄り添ってくる。わたしの自分勝手な感想だけど、神話や民話はもっとごつごつして読みにくい。
産業革命の時代にかえってこういう作品を書く人がいたのは納得できる。そして産業革命の嵐に吹きまくられた人たちにも、まだこの時代は暖かさがあったような気がする。先日アリスン・アトリーの「くつなおしの店」を読んだのだが、大資本の靴屋に駆逐されていく小さなくつなおしの店のおじいさんが妖精に助けられる話であった。まだ妖精が助けてくれるかもしれない幻想を持つことができた時代であった。
リクツが先になってしまったが、「風の妖精たち」という美しいタイトルのこの本は、妖精やこびとや木の精がまだいたるところにいると信じられる時代があったんだと思わせる。そして人間がそれらのものとの約束を守れば幸せになれるということを信じられる時代があったのだと思わせる。
本の姿が美しく、挿絵も美しく、楽しく読めた本です。矢川澄子さんの訳がとても読みやすい。
2002.8.27
うちは自営業で毎日自宅で仕事している。それで、お昼ご飯を家で食べるわけだが、手軽につくれる麺類にすることが多い。夏だってお蕎麦やうどんや焼きそばなど熱いものを食べるが、夏ならではの冷たい麺類もよく食べる(なぜか冷やし中華は食べないけれど)。
先日、富士山のお土産に「おざら」、上高地のお土産に「とろろ蕎麦」をもらった。「おざら」は名前を聞くのもはじめてだったが、煮込みで食べる「おほうとう」の親戚のようだ。真空包装の麺を茹でて水で洗ってざるに上げ、熱いミソ味の汁につけて食べる。山梨県の母親の実家では、たしか普通の晩ご飯はカボチャ、サツマイモ、コイモ、キノコ、揚げを入れてミソで煮込む「おほうとう」で、来客があると、うどんと汁、つまり釜揚げうどんのようなものを出していたように思う。きっとそれが「おざら」なのであろう。いただいた「おざら」はおいしかった。「とろろ蕎麦」は言うまでもなくオーソドックスでおいしかった。
そういう臨時のありがたいご馳走はたまにあるが、夏のふだんのお昼はソーメンが多い。最近はサボリになって市販品の汁を買っている。ついこの間まではちゃんと干しエビのダシでお酒と味醂と醤油でおいしい汁をつくったのに…。そして錦糸卵をつくり、干し椎茸を甘く炊いて細く切ったものをつけていた。最近はかろうじて卵はつくるが、あとは刻み葱、青じそ、茗荷、おろし生姜、梅干しである。梅干しは丸元淑生さんの本で覚えた。いまやソーメンを食べるときには絶対欠かせない。
2002.8.26
国書刊行会発行の世界探偵小説全集の1冊を久しぶりに手にした。ジョン・ディクスン・カーには好きな作品が何冊かある。子どものころに「別冊宝石」で「夜歩く」をわけもわからず読んだ。家にあった「別冊宝石」の何冊かをいまも持っているが、表紙がモダンで、いわば日本のパルプ雑誌というような感じで捨てられない。チャンドラーもクレイグ・ライスもこの雑誌で読んだ。
「火刑法廷」は澁澤龍彦の本で知り、読んだことで得意になっていた時期がある。「エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件」は雰囲気が好き。でもいちばん好きなのは「皇帝のかぎ煙草入れ」である。ぼろぼろの文庫本を出してきて年に1回は必ず読む。なんで私立探偵小説のファンが本格ものを読むのかと、以前ニフティのミステリー会議室で言われた。他のミステリーサークルでも言われた。両方とも言われただけで、すぐにこちらが離れてしまったのだが、好きなんやからしゃあないじゃん。そんなに縦の線を引かなくてもいいと思うんやけどね。
涼しくなったので取り出した「死が二人をわかつまで」だが、今日は暑くてカーを読む気温ではなかった。でもおもしろいので西日があたる机に向かって最後まで読んた。女性の主人公が「皇帝のかぎ煙草入れ」の人と似ている。美人で外見は弱々しいがシンのしっかりした人で、やっぱり窮地におちいる。事件解決に出てきたのはフェル博士、複雑怪奇な密室殺人にいどむ。フェル博士が出てきて「彼女は犯人ではない」と言うと、恋人といっしょにホッとするのである。そして複雑な謎解きは読み飛ばす。こんなことを書くと今度は本格ファンの皆様方から怒られそうだが、カーの小説は上等の恋愛小説だ。
2002.8.25
いまどきの子どもはイソップ物語を読むのだろうか。わたしは子どものときに読んだ。もしかして学校の教科書にもあったのかもしれない。教訓がついているのが全然おもしろくなかった。なのに、いまなぜたくさんの物語を覚えているのだろう。不思議千万である。
いちばん身近な話は「アリとキリギリス」、これって、いつもわたしの親が「あんたはこうなるで」と言っていた。まさにいまなりつつあるような。「田舎のネズミと町のネズミ」も身にしみる。まさに都会のネズミであるわたし。「北風と太陽」は素直に受け取っている。さきの短い人生ながらいつも太陽のほうであろうと思っている。
手許にあるのはCharlotte Voakeの絵本「THE BEST of AESOP'S FABLES」で、とてもすっきりしたイラストが楽しいし、茶系統の色で統一された全体がシックである。「ウサギとカメ」は蚊取り線香のようなぐるぐるの道の絵にあっと思う。「キツネとぶどう」ではぶどう棚ががおしゃれである。ときどきネコがさりげなくいるのがいい。外国の絵本って表紙の裏の見開きになったところがおしゃれで好き。
2002.8.23
いつも送っていただいている田辺寄席の会報「寄合酒」に東住吉区女性学級の案内が出ていて、テーマが「田辺に落とされた模擬原爆、戦中戦後の男性と女性」、講師が小山仁示さん(関大名誉教授)とある。模擬原爆については冊子を送っていただいて、わたしなりに理解したが、お話を聞けばもっと深まるだろう。とか理屈をつけたが、講師の小山さんにお会いしたくなったのが本音である。
小山さんとお会いするのは彼の結婚式以来である。会費制の結婚式で子分(?)のわたしは受付をした。あれからうん十年、その当時、歌ったり踊ったり、山に登ったりして遊びまくっていたが、学習会なんかもしていて、学習会の中心に小山さんと恋人の節子さんがいた。節子さんは姉御肌の人でいろいろと引き回してくれた。目が大きくにぎやかな人だった。今日、20年前に亡くなったと聞いて感無量であった。
入り口で「他の区の者ですがいいですか」と断ったら、どうぞどうぞということで中で座っていると、世話役のかたが側に来て「田辺寄席のOさんから聞いています、小山先生と終了後ゆっくりお話ください」とのことでびっくりした。わたしが講演会に行くつもりと書いたVFCの会報の編集後記を読んで連絡してくださったのだ。
小山さんの講演は大阪弁で聞きやすく、先日掲載されたばかりの「毎日新聞」「産経新聞」の記事をテキストに進められたので、模擬原爆が落とされた背景などもよくわかった。その後に来会者からいろいろと戦争体験の話が出た。女学校時代に工場に徴用されて、旋盤や機織り機で労働したわけだが、その製品は、パラシュート、爆弾類、ロープなど多種だった。来会者は60人くらいで年配の女性が多かったが、非常に和やかな会だった。
世話人のかたに改めて挨拶して小山さんのところに行くと、なんとわたしのフルネームや、住んでいたところ、そのときエキサイトしていたことまで覚えてくださっていて感激であった。当時のわたしはちっちゃくて元気な少女であったそうな(笑)。しっかし、びっくりしはったやろね。突然うん十年ぶりの顔がにたにたと「結婚式の受付しましたよ」って(笑)。つい「あのときはお世話になりました」と返事してまいはった(笑)。講演が終わっても個人的に話しかける人がいてなかなかの人気のある先生なのであった。区役所前の喫茶店に座っても、先に座っている人たちがいろいろと話しかけてくる。ようやく彼女らが引き上げてゆっくり話すことができ、帰りの地下鉄でも話は尽きなかった。
2002.8.22
よそで出てきたら食べるけれど、自分で煮炊きしてまで食べる気がなかった冬瓜を今年は料理してみようと決意(笑)していたので、ポランの宅配に入っていたのをさいわいにつくってみた。作り方は冬瓜にくっついていたメモにたよった。鍋に水を入れて昆布を敷き、冬瓜の皮をむいて中わたをとって適当に切って入れ、塩少しを入れて中火でことこと煮含める。そこへくず粉を溶いて回し入れる。カンタンでしかもおいしく、お椀の底まできれいに食べた。
これだけでは野菜分が足りないかなと、先日うまくできた焼き茄子のエジプト風をまたつくった。これは丸元淑生さんのレシピを適当に解釈している。大きな茄子4個を焼いて冷やして皮をむいて細く切っておく。黒ゴマ大スプーン3を煎って摺っておく。ニンニク2かけを細かく切って油で炒めてつぶしておく。この2つを混ぜて、そこにレモン汁3/4個分くらい入れて混ぜたものを茄子と混ぜる。上に刻みパセリを散らし、お皿にレタスを敷いてのせる。うまい。
今日の晩ご飯は以上2品に、焼いた鮭とカボチャの煮付け(昨日のあまりもの)と納豆と梅干し、焙じ番茶でした。みそ汁はさぼった。
2002.8.21
先週の暑さはすごかった。今年最高の暑さを感じたと書いたのは16日(金曜日)で、風がなく最高気温37.1度だった。なのに、その翌々日の日曜日は30.9度、今日は29.6度である。なんという激しい移り変わり。しかし木曜日つまり明後日からはもとにもどって暑くなるらしい。
昨夜は久しぶりに寝るときに窓も戸も閉めたら、外から聞こえるクルマの音が低くてよく眠れた。救急車のサイレン、バイクのめちゃ響く排気音が暑さの上にこれでもかこれでもかと迫る熱帯夜はたまらない。今日も閉めて寝られそうだが、明日からはまた熱帯夜かねえ。せめて今夜は早寝してぐっすりと睡眠不足を取り戻しておかねば。アセモも引っ込んだし安眠できそう。
35度でもまだましと思っていたのに、30度の涼しさには感激しかない。今日は昼間も涼しくて、冬に着るものの算段をせんとあかんと気があせったです。
2002.8.20
クッキング・ママシリーズも6冊目ともなると読むのがちょっとめんどくさくなってきた。それでさっさととばし読みになってしまったのだが、途中から俄然おもしろくなって、とばしてしまったところを戻って読んだりした。
定収入のある警官のトム・シュルツと再婚しても、自分の収入はきちんと確保したいゴルディだが、なかなか思うようにケータリングの仕事が入ってこない。離婚した元夫のリチャードとその後に結婚して離婚したマーラとは親友になっていて、今回もケータリングの仕事を世話してくれる。マーラは新しい恋人トニーと結婚するつもりでいたが、トニーの共同経営者が失踪する。それからなんやかやとあって、トニーもいなくなり、マーラが2つの失踪事件の容疑者として逮捕される。
逮捕に怒るゴルディだが、夫のトム刑事はなんにもするなと言って仕事に行く。が、やっぱりやってしまうゴルディ、今回は警察に拘留されているマーラを力ずくで連れ出し、失踪人と犯人を自分たちの手で捜そうとする。
最後は犯人の片割れの女の髪をむんずと掴み、振り回して彼女の顔を泥の中につっこむ。こんなところをトムに見られたくないと思ったところへ、「もういいよ、ミス・G」とトムの声。「そういう姿、見たくなかった」「ごめんなさい」「いつも言う台詞はきまってるんだから」ほらほらほら、毎度暴力渦巻くクライマックスから、一転事件解決にいたり、もう一方から事件を正当に追っていたトムと出会う。わかっていても読むのを止められない。
2002.8.19
午後から田辺寄席に行って来た。2度目なのでもう慣れた道という感じで地下鉄御堂筋線の昭和町下車、歩いて10分、蓮の花が咲く桃ヶ池の周りを通って会場に着いた。今日は早めに出たので正面の前の方に席が取れた。1時半開演なのだが、その前に雑談みたいなのがある。早く来た人たちへのサービス、よう考えているもんだ。
演目は「延陽伯」(笑福亭蕎若)「桑名船煙管遣取」(桂文太)「算段の平兵衛」(月亭八天)どれも大口開けて笑ってしまった。ここで中入り、ロビーに出るとお茶とお菓子が用意されている。主催者の大久保さんと少しお話しして、後半の噺を聞く。「野ざらし」(桂春菜)「リクエスト97」(桂文太)もう・・・笑いすぎて涙が出た。
「延陽伯」(江戸落語では「たらちね」)、「野ざらし」は昔からよくラジオで聞いておなじみだったからよけいに笑えた。わたしは子どものころ、ラジオの落語放送をじっと聞いていた。古いラジオで音が大きくならなかったので、耳をひっつけるようにして聞いていたことを思い出す。親が東京の人だったから落語は江戸落語と信じていたころである。寄席の中継はテレビ時代になって廃れてしまったんだよね。
東京まで行って寄席に行ったくせに、長いこと上方落語は聞かなかった。上方落語に親しみ出したのは、30年ほど前ジャズ喫茶「タイム」で毎週日曜日の夜遅く店主がかけた米朝さんのレコードを聴いてからである。
その上に今日は文太さんからお土産があった。お母さんが編んだ毛糸のたわしを50個持ってこられたのだ。会場に投げたのを運良く相棒がキャッチして持って帰りました。黄、ベージュ、茶の3色のとてもよい配色で使うのがもったいない。
2002.8.18
今年の1月に発行された金井美恵子の小説「噂の娘」を10日ほどかけて読んだ。わたしは金井美恵子と水村美苗のふたりの小説こそ文学だと思っている。
1950年代の東京に近い地方都市で、どこか遠いところで病気になった父親の看病に行く母親の留守に、主人公のおませな女の子は弟と商店街の美容院の一家に預けられる。美容院にはマダムとその母、3人の大きな娘たち、住み込みの美容師見習いの娘が2人いてにぎやかである。少女はそこで病気になり寝ながら本を読む。「秘密の花園」のインドにいるメアリの描写が少女の熱と混じり合う。「秘密の花園」はこんなにも濃厚な小説だったのか。夏風邪を引き扁桃腺がはれてしまった少女の熱っぽさが匂ってくる。
美容院は町の噂の行き交う最大のところである。商店街にある店の年頃の娘たちの噂が集まってくる。親の決めた結婚の日取りが決まり、東京までウエディングドレスの仮縫いに行った娘が列車から飛び降りて死ぬ。自殺か事故か憶測が飛び交う。見習い美容師の娘は映画の新人募集に応募しようと計画を練っている。母が父の看病に行ったというのもなにか理由がありそうなのだ。子どもたちの頭越しに目配せが交わされる。
少女と弟に一度戻ると母から手紙がきて、母に返事を書こうというところから、便箋のセットの話が延々と続いているうちに、美容院の次女と出かけることになり、商店街の家並みの話になり、なぜか女海賊のモーリン・オハラの赤毛が美しく風に揺れている。そこから一気に現在。弟は煙草をガラスの灰皿に押しつけて消し、私は黙っている。私たちは、たった今、母の葬式をすませて来たのだ、となる。その後に最後の一行がある。(講談社 2300円+税)
2002.8.17
今日の昼間は体感からいくと今年で一番暑かった。午前中にプールに行ったが、外に向かって開け放したドアから少しも風が入ってこない。途中で水を飲んで顔を洗ってしばし休んだ。こんなんはじめて。帰りのバスを待っているときも風がないのでムッとした空気の中にいるから苦しいほどの暑さ。なんぼなんでもこの暑さはがまんできない、ということで今日はクーラーをつけて仕事である。
することはたくさんあるのだが、髪がうっとうしくてしかたがない。それで夕方早めに美容院へ行って髪を染めカットしてもらった。すごく短く切ってもらっていい気分。3回目だから、もうアウンの呼吸になってきた。若い子相手にバカ話が楽しい。プールでもよう話しかけられたし、1日中しゃべりっぱなしではないかい、今日は。
なんだかだして晩ご飯になりテレビをつけたら天童よしみが歌っている。「そして歌は誕生した」という番組で、「道頓堀人情」が世に出たイキサツが語られている。ヒットした年は阪神が優勝した年だそうである。歌詞の「負けたらあかんで東京に」というところって、まるで阪神ファンみたいだ。「巨人だけには負けたらあかんで」だよな。なんだか東京と大阪、最初から勝負にならへんのに、気張って「負けへんで」と言っている。巨人と阪神、かけているお金が違う。それでもケナゲに闘っている大阪と阪神タイガースが好き! よしみちゃんも大好き!
2002.8.16
図書館で夏休みらしい本を探してみた。子ども向きの本棚で、タイトルが可愛らしく、表紙と挿絵が明るい夏の風を感じさせてくれるので、知らない作家のだけど借りてみた。1892年生まれの作家が子どものころを振り返って書いている。おしゃまな小さな2人の女の子の話である。風が入る窓の側で、氷水がたっぷりはいったコップを手に読みだした。
作家の子ども時代はお話好きのベッツィーであろう。向かえに越してきたはにかみやのテイシイと仲良くなって、なにをするにも2人でいっしょに行動する。ヒル・ストリートという小さな町で、外に出ると丘がある。春になるとイースターの行事があり、誕生日のパーティがあり、夏はいつまでも暮れない日長なのにまだ短いと感じる外での遊びがある。
大人の服を着て近所をまわってお茶を出してもらうところがとりわけ楽しい。大人ごっこをしたいと言うと母は古い服を出してくれる。帽子とパラソルも借りて名刺を入れたバッグも借りて出ていく。近所の夫人は2人を大人のご婦人として相手をしてくれる。
ベッツィーに妹が産まれたとき、近所の大きい空き家に新しい家族が越してきたとき、いろんな出来事をつうじて成長していく少女たち、夏の少女たちはこれからどうなるのか…。翻訳はなさそうだが、作者はベッツィーが結婚するまで数冊の本を書いているらしい。表紙と挿絵は山脇百合子さん。
2002.8.15
下福島プールの帰りにゆっくりと元日本紡績のレンガ塀を眺めてきた。家で大正13年発行の地図を調べたら、ちゃんとこの場所に広大な工場があった。厚生年金病院、野球場と野球場をかこむ遊歩道、プール、いま工事中の大きな地下貯水漕…がある広い土地が工場だったのだ。
19世紀の終わりから20世紀のはじめに東洋のマンチェスターと呼ばれ、豪華な綿業会館が建てられていたころ、たくさんの若い女性たちがここで働いていたのだろう。
インターネットで調べてみたら「大日本紡績の重役たちを懲らせ!!! 可憐なる籠の鳥の小女を救え!!!」という昭和2年7月のチラシが出てきた。9畳の部屋に18名が住まされ、食事は印度米と麦3割だったという。3500人の従業員(うち2000人が女工)に対し数百名の暴力団員が威嚇していたという。
女性たちの要求は、「1、食事は日本米に麦2割までにして下さい。2、仕事時間外の外出を自由にして下さい(現在月2回、多くの場合1回)。3、労働組合に加入する自由を許して下さい。4、労働組合に加入した為に解雇された11名の人々を復職さしてください。」というものである。このチラシは橋場工場のものであるが、ここでも若い女性たちが同じような条件で働かせられていたのは間違いないだろう。
いまプールでたくさんの女性が泳いだり歩いたりしゃべったり、にぎやかにしているけれど、75年前はこうだったんだ。「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」のようなとき、売春宿に売られた女性たちや、送金を当てにして遠くの紡績工場に働きにやられた女性たちがたくさんいたのだ。なんか、いろいろと考えさせるレンガ塀だ。女たちが逃げようとして引き戻されるのもきっと見ていたのだろう。
2002.8.13
7月のはじめから放映されているジェームズ・キャメロン監督の「ダークエンジェル」がおもしろい。2019年という近未来のお話だが、ほんとにすぐ先の話として受け取れるリアルさがある。2019年は電磁波爆弾でコンピューター網が破壊され、すべてのデータが消失という暗黒時代になっている。街の様子は「ブレードランナー」と同じようだ。
2009年にDNA研究所が作り出した遺伝子操作人間で、ジェネッテックスと名付けられ戦士として開発された子どもたちが脱走した。それから10年、脱走したひとりマックス(ジェシカ・アルバ)は19歳になり、シアトルで昼はバイク・メッセンジャーとして働き、夜は美術品の窃盗をして資金をつくり、他の仲間を探している。あるときマックスはローガン(マイケル・ウェザリー)という男の家に窃盗に入る。ローガンは腐敗しきった政府と戦うため電波ジャックをして地下放送で真実を流している。
という設定ではじまったドラマだが、美少女でやたらと強いマックスと、襲撃されて車いすの身だが、コンピュータを駆使して情報を得て活動するローガンが協力して正義のために闘うストーリーが楽しい。もちろん2人の間はもやもやしているのだが、2人とも認めないふりをしているところも楽しい。
2002.8.12
盆休みだからってどこへ行くわけでもない。兄が住んでいる千里まで行けば、ツクツクボウシの声が聞けるのはわかっているのだが、それもおっくう。今週も相変わらずプール生活の予定である。
国際会議場の前でバスを降りて堂島大橋を渡って下福島公園に入りまっすぐプールへ行く。最近は屋内と屋外プールとの間のドアが全部開け放してあるので、開放感があってうれしい。
帰りはバスの時間まで少し早めに出て公園内を散歩する。大きい木があるところで梢を仰ぎながら水筒の水を飲む。通る人がいぶかしげに見ていく。こんな美しい木があるのに、気をつけて見てやってほしいなあ。奥のほうに珊瑚樹があって遠くからも赤い実が見える。
ここへ通い始めたころから気になってしかたがなかったのがレンガの塀である。厚生年金病院の横の狭い道から公園の背中にあたる部分が古色蒼然としたレンガ塀が続いている。いま公園と道路の間にマンションが建設中なのだが、レンガ塀は残されそうなので、なにか由緒があると思っていた。
福島区のサイトをあちこちのぞいていたら、「福島中年探検隊」というのがあり、そこに「都心の分校」というのがあった。厚生年金病院に子どもの入院患者のための分校があるそうである。そのおまけにレンガ塀の話があった。明治27年(1894)に日本紡績の広大な工場ができた。いまの公園、病院もその敷地内だったそうだ。張り巡らされたレンガ塀は明治42年、北区から燃え広がった火事をくい止め、工場は無事であったという。明日は100年以上も前からあるレンガ塀をよーく眺めて敬意を表してこよう。
2002.8.11
毎月の会報「VIC FAN CLUB NEWS」を10日で締めて15日発行と勝手に決めて長いこと作っている。5日間で仕上げられるものだから、いたって安易なのは先刻承知ということで、突貫工事を毎月やっているのだが、病気にもならずに続けられるのは有難いことである。
それでも月が変わると「今月の表紙はどないしょう」とか、「なんか特集記事はないもんかなあ」とか考えている。それが、まったく“下手の考え休むに似たり”で10日にいたってしまうのである。ああ、どないしょ〜〜が毎月。
そういう中で会員の娘さんたちがイラストを真面目に送ってくれるのがうれしい。昨日は入道雲や海水浴の真夏らしいカットがファックスで届いた。これで人気ページ「今月の手紙」はいきいきと引き立つ。今日は表紙にいけるイラストがメールと共に届いたのでラッキーとばかり、いま表紙を作った。乙女チック(絵)+ユーモラス(文章)な表紙で、すっごく満足。ああ、これで今月もなんとか会報ができる。そこで、突然思うのだ。今月の会報なかなかええやん。まだ20ページ中1ページしかできてないんやけど…。
2002.8.10
夏でうれしいことのひとつはトマトがおいしいこと。毎日いろいろにして食べている。ナマでおいしく煮込んでおいしい。今日はよくつくるトマトのサラダを紹介します。
インド風サラダ=丸元淑生さんの本で覚えていまいちばんよくつくる。トマト2、キュウリ2を1センチ角に切る。タマネギ1個を輪切り。レモン汁(1/2個分)をかけて、塩、コショウ、コリアンダー、クミン、カイエンペッパーをかける。
アボカドとトマトのサラダ=これも丸元さんの本から。アボカド2個をむいて種をとり、レモン汁(1+1/2個分)をすぐかけておく。トマトは1センチ角、タマネギは5ミリ角に切り、全部を混ぜる。
ニンジンとトマトのサラダ=堀井和子さんの本から。ニンジンをグレンダーでおろし、トマトは薄く切る。レモン汁を少々かけ、ゆで卵を添える。
その他、トマトの薄切りにバジルを刻んで、フレンチドレッシングと辛子を混ぜたものをかけて冷蔵庫で3時間ほど冷やしたもの。単純にバジルだけのせてオイルを少々かけたもの。
以上、いろいろやっておいしいけれど、いちばん抜群においしいのはよく冷やした完熟トマト丸かじり。
2002.8.9
今日も暑かった。明日も暑いらしい。一雨降ったらどんなにいいだろうと思う。この10年くらい夕立ちってあんまり降ってへんよね。夕立ち、ええよねえ、風情があって。昔はよく降ったものだ。数日前の午後にちょっと降ったが、降り足らずによけいに暑くなった。毎日毎日の直射日光の強さにはあきれかえるよ。
衰えを知らなかった食欲が少し落ちてきたような気がする今日この頃であるが、とりあえず夕方になるとビールを飲む。そしてテレビで7時のニュースでプロ野球速報を見て、阪神が勝っているとそっちにまわすことにしている。なんぼなんでも毎日野球ばかり見ているわけにはいかへんもんな、と言っているが、負けているとよけい暑いからである。
今日は広島球場で7:4で勝った。3回に矢野がホームランを打ったのだが、コメントがよかった。「打ったのはやや外目のスライダー。今日は、ヨメの誕生日なんだ。今日この日に本塁打を打ってよかった。最高のプレーができた。いつも感謝してるよ」満面の笑みに優しい言葉がわたしには一服の清涼剤であった。毎日がヨメの誕生日やったらええのになあ。
2002.8.8
多分70年代はじめだったと思う。ミナミのジャズ喫茶でよく顔を合わせていた老人が、あなたたちに紹介したい人がいると言う。うっとうしいと思いながら承知して指定された喫茶店に行った。紹介されたのは詩人支路遺耕治だった。いまも名刺をおいてあるのだが、名前と同じ大きさで「他人の街社」とあるおしゃれなデザインである。声は小さいしうつむいた顔はうつろだった。こちらは支路遺耕治の名前は知っていたが、詩を読んだことがなく、せっかく会ったのに会話は弾むはずもない。老人がなんのつもりで紹介したがったのかもわからない。支路遺が知らない人に会いに出てきたのは、多分詩の雑誌「他人の街」の購読かカンパを頼もうと思っていたのではないかと思う。持ってきていた「他人の街」1冊はもらったのか、買ったんだったか…。結局二度と会うことはなかったし、カンパもしなかったが、「現代詩手帖」なんかでたまに消息を知ることがあった。それにしてもあの暗さうつろさは印象的だった。やっぱり詩人だ。わたしは去年まで「支路遺氏、どないしているかなあ」と数回は言っている。
ところが去年、古本屋で「幻のビート詩人 支路遺耕治・川井清澄読本」(リトル・ガリヴァー社 2500円+税)という本を見つけた。川井清澄は支路遺の本名だという。そして彼は1998年に53歳で亡くなっていたのだ。写真があるのだが、子ども時代の家族写真2枚を除いては川井さんにもどって勤め人になってからのものばかりだ。晩年は絵を描いていたそうで、作品の写真もある。だが、わたしのたった一回会った支路遺のおもかげを思わすものはない。
しかし、作品はすべて収録されているので詩集「疾走の終り」は読むことができたし、同時代に書かれた支路遺への批評・評論も読むことができた。港区市岡の町工場で旋盤工をしながら、まさに身を削って書いた[ぼくはいま梅田だ 難波だ 港区だ 姫路だ 能登半島だ つづく御堂筋の・・・]という美しい「おおさか」という詩を読むとすごいやつやってんなあと改めて思う。
支路遺耕治という名前から本名へ、もう一つの人生を生きた彼を批判するなんてとんでもないけれど、知りたくなかったとも思ってしまう。
2002.8.7
朝日新聞夕刊の文化欄、文芸21(詩歌)に高橋睦郎が「声をめぐって」というタイトルで書いているのを読んで、吉増剛造がいまも詩の朗読をしていることを知り、わたしが彼の詩を読んでいたころを思い出した。本棚を探したら「黄金詩篇」(1970)「頭脳の塔」(1971 1000部限定)「わが悪魔祓い」(1974 箱入り豪華本)と3冊の詩集が出てきた。どれも初版である。当時はそらで言えるほど読みこんでいたのだ。
吉増自身による詩の朗読会がけっこうひんぱんに東京で行われているのを知って、ミーハー的に一度行ってみたいと思っていたら、大阪の三越劇場でジャズと詩の朗読会があった。なんで深夜のジャズ喫茶かなんかでなくて、夕方の三越劇場かわからなかったが。
ジャズのほうはミドリカワケイキ(漢字を忘れてしまった)だったが、それはどうでもよくて、とにかく吉増がかっこよかった。黒い服で詩集は持っているが、たいていは虚空を見ながら朗読していった。詩人という言葉を人間にしたら吉増になるという印象であった。「頭脳の塔」から、わたしがいちばん好きな「古代天文台」を読んだときは、[ああ/雪が降る、雪が降る/雪が降って、/純白の恋人が歩いてくる・・・][魔子の、緑の、魔子の、緑の、魔子の、緑の・・・][ゆうぜんと/空に魔子一千行を書く/空に魔子一千行を書く/ふたたび/・・・]しびれた。だけど、ええかげんなわたしは、この朗読会で納得してしまって吉増から離れていった。ジャズでない音楽、パンクロックとニューウエーブを聴きだしたのはそれから間もなくであった。
あれから30年も経ったいま、吉増剛造の詩にまた出会う予感がしている。高橋睦郎が文の最後に書いている【この詩人は孤独なのだ。そしてその孤独は日本語の孤独をわが身に引き受けての孤独かもしれない、とも思った。】という言葉がわかるような気がするので…。
2002.8.6
夕方洗濯機をかけたまま干すのをころっと忘れていて、気がついたら11時をまわっていた。あわててベランダに出て、これはクセになっているのだけれど、空を仰いだら、なんというグッドタイミング! 流れ星が空を横切った。ここではっきり見えたのだからけっこう大きい流れ星だと思う。考えたら○○流星群を見に出かけて、空を仰いで数個見つけた覚えがあるが、何気なく空を仰いで流れ星を見たということは、子どものときからなかったんじゃないかな。
めでたい、めでたい。昨日は人工衛星が落下していった夜のことを思い出したのだが、今日は流れ星じゃ。
スターと言えば、中田選手、さっきスポーツニュースで見たが、試合ではベッカム選手とわたりあって、その後2人はユニフォーム交換してましたね。世界の中田ここにあり、だわ。
2002.8.5
昨日プールの知り合いからのメールで淀川花火大会があることを知った。マンションの屋上に集まってバーベキューをして花火を楽しむとのこと。福島区からだったらすぐ近くに見えるよね。ええなあ、うちからはどこの花火も見えない。20数年前に引っ越してきたときは天神祭の花火も見えたのに、いまは音だけが聞こえる。昨日ご飯を食べていると、どーんどーんと花火の音がしたので、開け放した窓から見たが北のほうの空がほの赤くなっているだけである。それでもクライマックスになると、かなり高くあがったので、少しだけ見ることができた。周りにどんどんビルやマンションが建ち、見通しがすごく悪くなっている。
書いているうちに思い出したんやけど、わが家にパソコンはまだない時代、15年くらい前の話しになるけど、毎晩レーザーデスクを見ていた時代があった。ある夜、レーザーデスクをひっくり返す(最初のころのレーザーデスクは表・裏の両面をひっくり返していた)ときに、空気を入れ換えようとして西向きの窓を開けたら、燃えるような赤く輝くものが北から南へ向かっていく。びっくり仰天とはあのことだ。翌日の新聞に出てなかったので、知り合いに聞きまくったが、だれも知らない。それで朝日新聞に電話して聞いてみた。新聞社に電話したのは生まれてはじめてのことである。電話に出た人はうるさそうに何人かから電話があったという。結局、数日後の新聞に出ていたのだが、人工衛星がいくつかに別れて燃えながら海へ落下していく、その様子を見たのだった。
2002.8.4
暑いうちに水着をもう1枚買っておきたいと思っているところへ、相棒が新しいスニーカーを買いたいというのでいっしょに出かけた。ミナミのスポーツタカハシへ行ってそれぞれが欲しいものを探すことにしたが、スニーカーのほうが早く決まり、水着を決めるのを手伝ってもらった。今度のはシルバーにシャープな黄色い線が入っているダイナミックな感じので、自分一人ではとても買わなかっただろう。でも着てみたらとっても似合っているの(笑)。
道頓堀の橋の上で川を眺めていたら、西のほうにおもしろい姿の新しいビルが見える。あれがいま話題のFM大阪のビル「湊町リバープレイス」か、おしゃれやなあということで、ちょっと行ってみることにした。御堂筋から道頓堀に沿って歩いて行く道は、昔得意先があってよく通ったところである。ついでにその辺りがどうなったかも調査(笑)して湊町へ着いた。
いやまあ、すごいですよ。道頓堀川を背にして野外コンサートができるようになっている。すごく広い場所が板敷きになっていて、ものすごく広い階段が2階・3階と連なっていて、川端でコンサートをすれば、この階段が観客席となるのであろう。リバーカフェというのもあるので入ってみたがえらく寒いんで、入り口で戻ってきてしまった。
わたしは普通ラジオをかけるときはFM802ばかり聞いている。DJがちょっと違う。FM大阪の建物がおしゃれになったんやから、DJもおしゃれになればいいのにな。すぐ下の地下鉄千日前線の難波駅から帰ったんやけど、ホームの冷風装置10数台が全部FM802の広告付きで見事である。FM802の殴り込みみたい。
2002.8.3
サラ・パレツキーがシカゴの書店から自費出版した小冊子を手に入れることができた。タイトルは「V.I.×2」で、ファンならぜひとも持っていたい1冊である。短編集「WINDY
CITY BLUES(Deracorte Press,1995年) 以後に書かれたヴィクが主人公の短編小説が2作収録されている。2作とも既に邦訳があり、英語のできない私としてはホッとしちゃった。
1作は季刊雑誌「ジャーロ」に掲載されたもので、ちょっと甘いという批判もあったが、わたしは好き。ヴィクの事務所を訪ねてきた上品な若い男性が父親探しをヴィクに頼む。そのとき交わす会話がとても好き。
もう1作は「ミステリマガジン」に掲載されたもので、サラ・パレツキー編集のアンソロジー「ウーマンズ・ケース」下巻に収録されている。サラ・パレツキーのは「売名作戦」で、当サイト「サラ・パレツキー」のページに会員の感想がアップされているので読んでみてください。
上・下2冊を久しぶりに取り出して、サラ・パレツキー以外の作家のも読んだらおもしろかった。ルース・レンデルはやっぱり巧い。.女性探偵もので大好きだけれど最近翻訳がないリンダ・バーンズ、ライア・マテラがなつかしい。「バースデイ・ブルー」の献辞の相手〈ドロシー〉はこの人であると木村二郎さんに教えてもらったドロシー・ソールズベリ・デイヴィスの作品もある。もちろんリザ・コディ、アマンダ・クロス、ナンシー・ピカード、マーシャ・ミュラーなど一流メンバーが揃っている。(ハヤカワ文庫〈上下とも〉700円+税)
2002.8.2
去年の夏の終わりごろにウツボ公園横の植木屋ジャルで、売れ残っていたジャスミンの鉢植えを安くしてもらって買った。去年は数輪の花をつけただけだったが、冬中丹精して育てたせいか、枝がよく伸びて5月から小さな白い花がぼちぼち咲き出した。花は1日しか咲かず、咲いたらその日にぽとりと落ちるので、拾ってはガラス鉢に入れて乾燥させている。白い花は紫がかったピンクに変色してから茶色くなる。乾いたのを、もともとジャスミン茶を入れていた缶に入れて貯めている。たくさんたまったらウーロン茶と混ぜてジャスミン茶にするつもりである。
5月に咲いたのは全部で10コくらいだったが、6月には20コは咲いた。7月に入ってからは少し休んでいたが、数日前からすごい勢いで咲いている。毎日5〜7コ咲いて、まだツボミがどんどんついている。ベランダに置いていたが、しょっちゅう見ていたいし香りを楽しみたいので、部屋の中に持ってきた。落ちた花からもいい香りがするので、乾燥かたがたテーブルに置いている。暑い最中になかなかの清涼剤になっている。
2002.8.1
写真:うたたね猫の蚊取り線香立て(2002.7.23)