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2002年4月


ローリー・キング「バスカヴィルの謎」


「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズの4作目がやっと出た。前作「マリアの手紙」で尊敬する友人を亡くして気持ちの整理がつかないメアリ・ラッセルは、オクスフォードにもどって研究生活に入っている。そこへ夫のホームズから呼び出しの電報がとどいて、釈然としないままにデヴォンの老牧師セイビン・ベアリング=グールドの邸に行く。昔ホームズが解決した事件「バスカヴィルの犬」の土地で新たに変死事件があり、住人が幽霊馬車や大きな黒い犬を目撃したというのだ。
2人はこの事件を追うことになるが、ある夜ダートムアに住むベアリング=グールドの知人の邸に招かれる。その邸こそあのバスカヴィル館だった。その邸を維持できない相続人から買い取ったのはアメリカからやってきた金持ちで、アラスカで金を掘るのに成功したケタリッジである。煌々と電気を照らした邸でラッセルはなにかちぐはぐなものを感じる。
この物語の中心はダートムアという場所である。ラッセルは人を振り落とすクセのある馬に乗り聞き込みにまわる。荒々しい自然と折り合って暮らしている人々と接して話しているうちに、ムアが気に入っていく。
中心人物はベアリング=グールドというダートムアを愛する老人だ。彼は実在した人で、彼の書いた「回想録」の文章がこの本の章のはじめに引用されている。
最後は雷鳴とどろく深夜に犯人が活動するのを見越して2人は出かけていく。一度は犯人にホームズが捕まるが、協力して危機を脱して犯人を追いかける。犯人はぶよぶよするムアの沼へ落ちて行く。
全体に寒くて陰気な場面が多く、ラッセルが馬から何度も振り落とされて体を傷めたり、雨と寒さで凍えそうになったりするが、その中できらめいているのが食べ物である。聞き込み先でふるまわれた暖かいスコーンとお茶、家政婦エリオット夫人の作る食事やお弁当がほっとさせてくれる。
また、ダートムアの宿屋の食堂に集った住民たちが歌い、ラッセルがお返しに歌うユダヤのもの悲しい歌、それにみんなが満足して引き上げるシーンがとてもよかった。(集英社文庫 726円+税)

2002.4.30


はじめて甲子園へ行ったころ


ヤクルトに連敗していやな連休であったけれど、今日は2敗のあと引き分けの中日に勝った。片岡選手がホームランを2本打った。ここまで書くと主語がないと怒られそうだが、主語はもちろん阪神タイガースです。昨日「シャーロック・ホームズの愛弟子」の4冊目を読んでいたら、ホームズとメアリ・ラッセルの会話で、ホームズが「主語が欠落している質問をしつこくぼくにぶつけるのは、ぜひともやめてもらいたい」と言い、「話題とされていることを双方が理解している場合は必要ないの」とラッセルが答えている。うちではしょっちゅう「主語はなんやねん」と言われているので、「ほれ、みてみいな、ホームズとラッセルかてこんなやりとりしてるやんか」と言ったところである。
話が大それしてしまった。わたしがはじめて甲子園に行ったのは70年代の中ごろ、天王寺のジャズ喫茶マントヒヒの常連で、近くの居酒屋三喜屋で働いていた芳養くんに連れていってもらった。阪神:巨人戦の入場券を昼頃買いに行き手に入れたと電話があった。球場の入り口で落ち合うとちゃんと3人分の手作りのお弁当を持っている。はじめて入った甲子園球場の大きさと美しさに驚いた。“暮れなずむ甲子園”の魔力に囚われた最初の日である。
結局その試合はいいところがなく負けてしまい、芳養くんは押し黙ったまま、さっさとわたしたちを置いて出ていってしまった。どこかにヤケ酒を飲みに行ったのであろう。あれからもう30年経つ。その後は何度も甲子園に足を運んだ。
それからしばらくして芳養くんは「芳養屋」という居酒屋を寺田町で開店した。最初のころはよく行ったものだ。昔からなじみの憂歌団のメンバーがよくきていて、なんだかだと飲みながらしゃべっていた。近鉄劇場に韓国の太鼓を聴きに行った帰りに寄ったら、憂歌団の木村さんもその帰りで、むちゃくちゃマジメに話した覚えがある。

2002.4.29


テレビの映画「サンセット大通り」


評判になった映画なのに見たことがなかった。この映画が日本で上映されたころは、映画雑誌をいっぱい読んでいたから、この映画にかかわる話はよく覚えている。でも見ようとしなかった。紹介や解説を読みすぎたのかもしれない。めちゃ若いときやもん、ストーリーを知っただけでも見る気がおこらんかったんやろね。ハリウッドのサイレント時代のスタアが若い男をひっかけて錯乱する映画なんて。
でもって、さっきNHKテレビでやったのではじめて見た。グロリア・スワンソンが美しくて誇り高いのに魅惑された。またエリッヒ・フォン・シュトロハイムの威厳と愛のかたちにも魅惑された。ウィリアム・ホールデンが最後に自分の人生を取り戻そうとしなければ、年老いた2人は虚構の生活を続けられたのにと思った。
セシル・B・デミル、ヘッダ・ホッパー女史は本人が出ていて、その姿を見ただけでちょっと感動した。ビリー・ワイルダーの映画は実はあんまり好きではないんやけど、この映画はよかった。

2002.4.28


今度はダートムアだ


ジョン・リーバス警部とシボーン・クラーク刑事が生活しているエジンバラから離れがたくて、「滝」をあちこち読み返していたが、ようやく昨日本棚につっこんだ。月曜日に新大阪の書店で買ってきた「シャーロック・ホームズの愛弟子 バスカヴィルの謎」が待っているからで、いま半分くらいまで読んだところである。
この本は題名を見たらわかるとおり、コナン・ドイルの「バスカヴィルの犬」と関係がある。シャーロック・ホームズとメアリ・ラッセルが出会ってから8年、結婚してからいっしょに仕事をした後、オクスフォードでの研究生活に戻ったラッセルが、ホームズに呼ばれてしかたなくデヴォンに行くところからはじまる。
「バスカヴィルの犬」の舞台となったダートムアで、またもや奇怪な事件が起こったのだ。デヴォンに住む高齢の牧師に事件の解決をホームズが頼まれ、ホームズにラッセルが呼ばれて、2人の冒険がはじまる。
半分読んだだけでもダートムアの荒涼とした土地に驚かされ惹かれる。羊歯(シダ)や針金雀児(ハリエニシダ)に覆われた丘、怖ろしい沼地、一寸先も見えなくなる霧…。ダートムアってどこにあるのかと地図を調べたらロンドンをずっと西、コーンウォール半島にあった。シャーロック・ホームズの物語は何十年も読んでいない。わたしはメアリ・ラッセルのファンなんでと言い訳してきたが、そろそろ「バスカヴィルの犬」から『聖典』だか『正典』だかを読まねばなるまい。

2002.4.26


エイの煮付け


魚の煮付けというと鬼平さんの好きなアイナメを思い出す。大好きなんだけどアイナメはいまじゃ高級魚だ。メバルもイサギもシタビラメも煮付けにいいな。しょっちゅう食べるのはサバだけど…。お刺身にも焼き魚にもない煮魚の濃厚な味が好きだ。
今日はスーパーにエイがあったので買ってきた。エイをはじめて見たのは鶴橋の韓国市場だったと思う。水族館でひらひら泳いでいるエイは愛嬌があって好きだけれど、食用に売っているのはそのときはじめて見た。けっこう大きい切り身だったが買って帰って、濃い味に煮付けてみたらおいしかった。その後、数年前から近所のスーパーで売っているのでときどき買ってくる。生姜を入れて煮るとおいしくて、ご飯によく合う。
今日の献立はお酒抜きで、ご飯、新じゃがのみそ汁、エイの煮付け、ほうれん草のナムル、大根葉とチリメンジャコの炒めもの、キュウリの漬け物、納豆、ほうじ茶、でした。

2002.4.25


イアン・ランキン「滝」


ジョン・リーバス警部を主人公とするシリーズの翻訳6冊目である。どれも長い力作だけど今回も長くて読み応えたっぷりである。そしてどれもそうだったけれど、今回も読みだしたら最後まで休まずに一直線で読み通してしまいたくて困った。
いままでの上司が引退し、リーバスが昔つきあっていたジル・テンプラーが主任警視として上司となっている。リーバスも50歳代に入って退職のことを考えたりすることもあるが、相変わずオックスフォード・バーで飲む日々である。
エジンバラの銀行家の一人娘フィリッパが失踪した。エジンバラ大学で美術史を学ぶ20歳の学生、親が所有する豪華なフラットに暮らしており、美しくて活発で屈託のない女性である。フィリッパの親の屋敷の近くで小さな棺が見つかり、リーバスが調べるように命じられる。いやいや調べるうちに、過去にも行方不明になった女性のそばに小さな棺が見つかったことが何度かあったことがわかる。フィリッパの死体が見つかり、リーバスは連続殺人かと考えて調査を続ける。棺のことでジルに紹介されて知り合った博物館のジーン・バーチルとリーバスはつきあうようになる。
一方女性刑事シボーン・クラークはフィリッパがパソコンゲームをしていたことを知り、パソコンに明るい刑事グラントとクイズマスターという謎の相手とやりとりを重ねるが、難解な質問に苦労しつつゲームにはまっていく。グラントはシボーンに言い寄るが、広報係に抜擢されるとまっしぐらに出世に励む。最後にゲームに追いついたシボーンは誰にも知らせずにクイズマスターに会いにいく。それを知ったリーバスは思う、【シボーンはリーバスがやるようなことをしたのだ。】
過去の事件をリーバスが追いかけ、現在の事件をシボーンが追いかけていくわけだが、最後に結びつくところが圧巻で、夜が更けても本を離せなかった。
「滝」中のの名文句をもうひとつ、【「大きく言ってみれば、ペンキが乾くのを見つめているような生き方を選ばないってことなんじゃないか」】リーバスがシボーンに言う言葉である。(ハヤカワ・ミステリ 1900円+税)

2002.4.24


今夜は悪酔い


7時からの野球中継に合わせて晩ご飯にしようと、まずはラジオを聞きながら支度をはじめた。それがねえ、ご飯の前に8点入れられてしもた。ピッチャーがいかん、その上にエラーが2つ、なにやってんねんな、とばかりに、ついついお酒を過ごしてしまい、ご飯は食べたんだけど、めちゃくちゃしんどくなってきた。わたしはお酒が好きだけど弱いんである。酔うほど飲むことはめったにない。酔わないうちに飲むのを止めてしまうんだが、今日はやけ酒っぽく定量を超してしまった。
肩が凝る、足がだるい、目の奥が痛い、あちこち体が敏感になってきた。やばいと思って横になってようやくさっき治ってきたところである。先日から松岡正剛のサイトをちょっと読み過ぎた。その後、分厚いイアン・ランキンの本を手放さずに読んだ。それで目の奥の神経が疲れてしまった。だが、2時間の仮眠で治ってやれやれ。これをアップしたら風呂入って寝ます。

2002.4.23


シカゴから友だちがやってきた


このサイトに「シカゴだより」を連載している中野さんが、一時帰国されるというので、できたら一度お会いしたいと思っていたのが遂に今日実現した。短い日程の中で、ご自分やパートナーの実家やきょうだい、友人たちとも会わなければいけないのに、わたしに時間をとってくださってありがたいことである。中国地方から関東まで新幹線で行くので、途中下車をしてもらって大阪で会うということになった。
彼女は大阪で働いていたことがあったそうで、その当時の同僚とランチをとる約束をすませて、わたしのほうはその後のお茶ということになった。約束の梅田のホテルのロビーで待っていると、お子さんをだっこした中野さんが現れた。お互い、一目でわかったよ。数年間メールのみのやりとりであったが、気心が知れているから、昔からの友人のように話していた。
新幹線に乗りやすいように新大阪まで行ってお茶とケーキを前にして話はつきない。シカゴからのおみやげは、6匹のネコが座ったり寝ころんでいる玄関先の飾り物。下のほうに鍵とか小物をぶら下げるような仕掛けになっている。
子どもが退屈しだしたので、店を出て本屋さんに入ってあれこれ本の話をしているうちに時間がきてしまった。まだ話したりないことがいっぱいあるけれど、あとはメールにしよう。

2002.4.22


はるかなるスコットランド


イアン・ランキンの「滝」を読みだして3日、まだ読み切っていない。細かい文字のポケミスで550ページもある。今日はプールを休んで1日中読んでいたがまだまだだ。なんとか今夜中に片づけてしまいたい。雨の気配のなかで読んでいると、こころはエジンバラにしっかりはまりこんでしまった。
30数年前友人のYさんがエジンバラ大学に留学した。それまでわたしはスコットランドやエジンバラについてなにも知らなかった。えらい辺境の大学に留学したんやなあというのが感想であった。その彼が留学を終えたときにモルトウィスキーをお土産に持ってきてくれた。自分はお酒を飲まないので教授に教えてもらって買ってきたという。これはうまかった。
その後10年ほどしてイギリス児童文学に目覚めて、スコットランドとアイルランドに夢中になり地図を調べたりした。ちょうどそのころYさんが今度は大学の先生になっていたが、イングランドに留学することになった。前と違ってお金に余裕もでき、音楽会や社交や旅行もできるようになっていて、英国旅行するならいまがチャンスだと言われたのだが、相変わらずの貧乏ひまなしと出不精で行かなかった。
そのころ読んだのが、ウィリアム・マッキルヴァニーの「夜を深く葬れ」、グラスゴウの警官レイドロウを主人公とした警察小説である。スコットランドへの憧れは頂点に達していた。けど気がついたのよね。グラスゴウもエジンバラも大阪なんじゃないかって。負け惜しみかもしれないけれど、大阪を深く知れば他の都市を知るのもいっしょだと思った。イアン・ランキンがエジンバラならあたしは大阪さって(笑)。と言いつつ、リーバス警部とイアン・ランキンの行きつけのパブ「オックスフォード・バー」のホームページに見入ってしまうのであった。

2002.4.21


サラ・パレツキー「サマータイム・ブルース」


「サマータイム・ブルース」が発行されたのは1985年の6月だった。もう18年も経つのか。えっ! 1985年って阪神タイガースが優勝した年やんか! その年の6月、相棒が1ヶ月入院したんだった。ということは、病院通いをしつつこの本を買ったことになる。覚えているのは暑い夏の日のけだるい午後、猫の花子がかたわらにいて、わたしは床に寝そべってこの本を読んでいた。当時凝っていたセントポーリアの鉢植えが床のあちこちに置いてあった。
「サマータイム・ブルース」はヴィクシリーズの後の作品と違って、私立探偵小説としての形式を守っているところにわたしは郷愁を覚える。依頼人がオフィスにやってくるところがなんとも言えず好き。また【いかに男前かを人から教えてもらう必要のない】ラルフ・デヴローをあっさりとひっかけるヴィクが好きだ。最後はヴィクの強さに圧倒された彼から【「つきあってもどうにもなりゃしないよ」】と言われ別れてしまうのだが…。そのラルフの名前が「ハード・タイム」に出てきたときはうれしかったなあ。
それから5冊の文庫本が出て、1991年にヴィク・ファン・クラブが発足した。1994年にサラ・パレツキーさんが来日され、幸運にも大阪でパーティが主催できたのだった。
それから8年、いつもは英語堪能な人に頼んでいるんだけど、今回はわたしがサラ・パレツキーさんに会報を送るのと共に手紙をつけた。そしたら返事も手紙できたのね(この場合、メールよりもサインつきの手紙のほうが何倍もうれしい)。その文中に、わたしの仕事のことを聞いてくださった。パーティのとき、ほんの一瞬くらいしかわたしはお話できなかったんだけど、「お仕事はなにを?」と聞かれて、身振り手振りをいれて「ええと・・・アップル社のマックわかりますか? あれでDTPを・・・」と言ったんだった。それを覚えていてくれて「あなた個人の仕事はどうですか? わたしはあなたの仕事を印刷関係のビジネスと記憶しているが合っていますか? 今はむずかしい時代だがあなたの仕事がうまくいっていますように・・・」とあった。ヤッホー〜

2002.4.19


ハヤカワ・ポケット・ミステリ


近所や心斎橋の本屋にはハヤカワ・ポケット・ミステリが置いてない。イアン・ランキンの「滝」を読みたいのだが、先日梅田のジュンク堂へ行ったときはころっと忘れていた。ローリー・キング「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズの新刊が出るというウワサを聞いたので見に行ったのだが、出ていなかったのでがっかりして帰ってきた。
「滝」はぜひ読むようにメールもいただいている。朝の4時までかかって読んだと聞くとおもしろいんだろうなあ。今日はミナミのジュンク堂へ行くことにした。「滝」をさっさと手にして他の本を見ていたら、なんとドロシー・L・セイヤーズの名前がある。いつ出てたんだろう。最近新刊書に対する関心が低くなっている。老化現象だったら困ったことだと思いながら買った。「箱の中の書類」ピーター卿が出てこない唯一の長編小説とのことだ。当分読書が忙しいぞ。
道頓堀に出てから心斎橋筋をまっすぐ行くのは久しぶりのコース。戎橋を渡ってすぐのビルに小さな雑貨店アリコベールがあったのだが、久しく来ていなかったので心配になった。入っていったら、やっぱり閉まっていた。ここではいろいろなものを買ったのに…。イギリス製の食器、おしゃれなレターセット、堀井和子さんの本、ちょっとしたプレゼント品…。こういうちょっと大人向けのおしゃれな店が立ちゆかなくなっているのが淋しい。実際わたし自身も買えなくなっているんだけれど。
他の店をちょっとのぞいたが欲しいものなし。また真っ直ぐ行くと、輸入雑貨の店「リチャード」がなんと、日用品・生鮮品のスーパーマーケットになっている。なんちゅうこっちゃ。心斎橋筋はだんだん品がなくなっていってるのが淋しい。御堂筋に出てエディ・バウアーに寄り、これからの季節に着られそうなセーターを買って帰った。

2002.4.18


お弁当にもよさそう、タケノコの炒めもの


野菜の宅配で今週もタケノコがきたので、この間の新聞に出ていたのをやってみた。タケノコは茹でるのがめんどくさいといつも思うのだが、時間がかかるだけで、めんどうくさくはないのよね。いまのように職住いっしょだと、鍋をかけておけばよいのだから。1時間落とし蓋して弱火にかけ、竹串を刺してみて通ったら、その鍋のまま冷やしておく。新聞の料理の作り方は読んでおいて、あとは自己流。いちいち老眼鏡をかけて確かめるのはめんどくさい。
タケノコの先のほうは縦に4つ切り、その他はイチョウ切りにする。フライパンにごま油をひいて、タケノコを炒める。そこにタカノツメを輪切りにして入れ、醤油と酒を振り入れる。そのあとに、ミソ少々をミリンで溶いて入れて、また炒める。それでできあがり。酒のサカナによし、お弁当にもよいと思う。わざわざ茹でるとこからやらなくても、水煮を買ってきてもいいんじゃないかしら。
タケノコって、わたしのイメージは「めんどう、たいへん」である。これはなぜかと言うと、子どものとき大所帯だったので、タケノコを炊くのはたいへんだった。数本を大鍋で茹でるのを見ているだけでいやになった。天ぷら揚げるのはたいへんながら、横に座っていれば1切れ2切れもらえたりするのだが、タケノコはそんなことはなかったしね。

2002.4.17


ダイタイビル


数年前まで借りていた事務所は四つ橋の厚生年金会館のそばにあった。20年ほどそこで仕事をしてきたのだが、入居したときから、四つ橋筋に出るたびにダイタイビルが気になっていた。ビルの横に大きく「ダイタイビル」と看板が出ているんだもん。ダイタイ(大体)ビルだったら困るんじゃないかって思いました(笑)。多分ダイは大阪で、タイはなんだろ、耐火煉瓦かなあ。そういう名前の会社が建てたオフィスビルなのであろう。
そのころの若者向き雑誌の「宝島」や「びっくりはうす」で、おかしな看板や広告を読者が写真に撮ったのを載せたり、賞を出したりしていた。それに投稿しようかと思ったくらいだ。
なんでこんなことを書くかというと、今日の夕刊に出ていたんだけど、西区のビルの4・5階から側壁からはがれたセメント片が落ちてきて通行人が怪我をしたんだって。写真を見たら、なんとダイタイビルの看板が出てる。なんたってダイタイ(大体)ビルやからなあ、とわたしは思ったのでした。

2002.4.16


きれいよー、のだふじ


下福島公園の藤の花がいよいよ満開になってきた。どういうあんばいか、まだ咲いていない棚があるのだが、咲いている棚のはみごとに満開である。花の房が短いと前回書いたけど、房は短くても花の数が多い。びっしり棚の上に横たわったり、垂れて揺れていたり見事である。
プールで知り合った近所の人によると、ここ数年は鳥に芽をついばまれて花がなかったそうだ。今年は藤棚の上に網を張って鳥から守っている。そのおかげで花がたくさん咲いたようだ。どこから飛んでくるのか湧いてくるのか大きな丸っこい蜂が忙しそうにたくさん飛んでいる。
マイナーな公園のせいか日曜日も人が少ない。ケヤキの木の下に机と椅子を置いて将棋をしている人がいたり、のどかな風景である。
ちょっと陰になっているところに雑草がいっぱい。カラスノエンドウ、タンポポ、カタバミ、ポピーみたいな赤い花、すごく伸びたオオイヌノフグリなど摘んで帰った。

2002.4.15


ぺんぺん草も生えない


ぺんぺん草が好きである。春先に白い小さな花が可愛いらしく咲く。街の中のどこでも隙間あらば出ているたくましさも好きである。そのころはナズナと呼んでいる。いまごろになると茎が伸びて白い小さな花が実を結んでいる。その姿がまた可愛らしい。手折って実をちょっとずつ下へ引くと実がぶらぶらする。全部やって耳元で振るとぺんぺんと音がする。もうぺんぺん草である。いつだったかネコに「ほらほらぺんぺん草」と振ってやったが、無視されたことがあったっけ。
わたしが“ぺんぺん草も生えない”という言葉をどこで知ったのか定かでない。ただそれほどに荒涼たる土地なんかのことを表す言葉だと思っていた。“ぺんぺん草も生えない”ってなんかすごく生理的にわかるっていうか…。
今朝の朝日新聞「花おりおり」はナズナだった。別名ぺんぺん草は【昔はワラ屋根に生え、手を抜くとよく茂り、貧乏の象徴とされた。】とある。それで合点した。土地でなくてワラ屋根なんですね。屋根の手入れができなくて、ぺんぺん草を生やしてしまうほどの貧乏があり、それ以上に“ぺんぺん草も生えない”ほどの朽ちた屋根の下の貧乏があるということなんだ。

2002.4.14


イーディス・ウォートン「エイジ・オブ・イノセンス」


友人に貸してあった本が返ってきた。大切な好きな本を人に貸すときは、読んで欲しいと切に思うわけだけれど、なかなか帰ってこない本を読みたくなったときは、貸した自分がつくづくいやになる。
わたしの場合、愛読書は昔から読んでいるものが多いが、「エイジ・オブ・イノセンス」はわりと新しい。はじめて読んだのはマーティン・スコセッシ監督の映画を見てからである。映画がとてもよかったので文庫本を買った。それがアタリだったので、何冊か図書館で借りて読んだが、他の本はもうひとつであった。
物語は1870年代はじめのニューヨークで、オペラ「ファースト」で開いたシーズン最初の劇場に上流階級の人々が集まってくる。主人公の青年弁護士ニューランド・アーチャーが遅れて劇場に着く。劇場に早々とくるのは“粋な行為でない”からだ。ボックス席にいる婚約者メイとその家族の姿を眺めていると意外な女性がいるのに気がついた。メイのいとこのエレン・オレンスカである。メイは名家の娘で美しく申し分なく、ニューランドはメイと婚約して幸福だと思っている。エレンはヨーロッパの富裕な貴族と結婚していたが、離婚を望みニューランドに手続きを依頼する。当時離婚は一族のスキャンダルであり大変なことである。メイや周りの女性には見られない自由な生き方をしているエレンにニューランドは惹かれていく。それを感づいたメイは先手を打ち、結婚式を早めて、夫を愛で囲いこもうと努力する。
結婚生活を捨ててエレンとともにと思ったニューランドだが、エレンはヨーロッパにもどっていく。お別れの晩餐会がすんで帰るエレンにせめて一言と思っても、メイを取り囲む親戚たちに巧妙に邪魔されてしまう。実はメイが妊娠していると言ったからエレンは身を引いたのだった。その後は3人の子どもが産まれて家庭生活がずっと続く。
妻の愛の策略にからまれてしまった男の悲劇というのかな。ディレッタントであり、開けた思想を持っているのだけれど、やっぱり保守的な生活になってしまう。メイはずいぶんと批判的に書かれているけれど、妻という立場を生きざるを得なくて生きている。外を見たらはずれてしまうのを知っているから、見ないで生きていくように社会に巧妙に仕込まれているのだ。
映画はダニエル・デイ・ルイスがめちゃくちゃかっこよく、メイのウィノナ・ライダーが巧かったが、せっかくのエレンのミシェル・ファイファーがちょっとーであった。この人のためにダニエル・デイ・ルイスが苦悩するなんて、って思ってしまいました。

2002.4.11


野田藤


プールの帰りは下福島公園を横切ってバス停に出ることにしている。この公園の特徴は藤棚がたくさんあることだ。公園の公衆便所の壁に福島区の区の花として野田藤の絵が描いてある。野田という古い地名がついた花を早く見たいものだと思っていたら、さっさと蔓が伸びてきて花が咲いた。例年よりも半月早いとそばで花を見ている人が言っている。
花は藤色と白とがあって、普通の藤よりも花の房が短いようだ。だからあんまり垂れ下がっていない。そして花弁が厚いような気がする。公園の一隅に藤邸の庭園がある。藤邸は600年前にこの地にあり、足利義詮や豊臣秀吉が訪れたと碑に書いてある。まだ咲いていない棚もたくさんあるので、これからのプール通いが楽しみだ。
今年は季節が早く通り過ぎる。今日はポラン広場の宅配の中に筍が入っていた。新鮮なうちにと、さっさと茹でてワカメといっしょに炊いて晩ご飯に間に合わせた。うちでは筍はいつも5月の連休に入ってから食べているから、やっぱり半月以上早い。

2002.4.10


今日の話題はやっぱり野球


今日の話題はやっぱり野球でしょう。阪神タイガースは7勝1敗という驚異的な成績で甲子園に戻ってきた。関東での最後の試合に負けてしまったものの、最後まで試合を投げないねばり強さが、今日もやってくれると確信させた。
ちょっとお酒なしの日が続いていたので、今日は飲もうということで、ジャガイモにクミンをからめて炒めたのでウィスキーをロックにした。そのあとはメバルの煮付け、ほうれん草のおひたし、チリメンジャコ、子鮎の佃煮、キャベツの漬け物、海苔でご飯を食べたが、お茶にしたときには試合は終わっていた。たしか8時20分、藪投手が小気味よい投球してたもんな。そして期待以上の素晴らしさで勝った。藪投手の完投、今岡、片岡、ホワイトの素晴らしい守り。藪が2塁打を打って、赤星がエラーで出塁し、今岡がホームランを打って先制した。藤本くん、監督に耳打ちされて打席に入ると初球を打ってヒット。ウソみたい…。アリアスにも1発ホームランが出たんで、やれやれだ。明日が楽しみ。

2002.4.9


チェザーレ・パヴェーゼ「女ともだち」


チェザーレ・パヴェーゼは1950年8月、北イタリアの都市トリノのあるホテルの一室で睡眠薬を飲んで自殺した。42歳だった。「女ともだち」はその前年1949年に執筆されたのだが、この作品ではホテルで睡眠薬を飲むが発見されて助かったものの、その後またもや睡眠薬自殺してしまう若い女性ロゼッタの姿がパヴェーゼと重なりあう。
「女ともだち」の主人公クレリアはトリノの貧民階級の出身で、17年前に恋人とローマに出たが、男を捨てて洋裁店で働き続け、一流ブティックで地位を築く。物語はクレリアがローマの本店からトリノに新しい店を開くためにやってきて、ホテルに着いたところからはじまる。女中にお茶を頼んだのだが届かないので部屋のドアを開けると、すぐ近くの部屋から担架が運び出されるところだった。若い女性が睡眠薬を飲んだという。
翌日ローマで知り合った富裕な男性モレリがいろいろとトリノの社交界の手引きをする。またクレリアは子どものころ暮らした、貧しい人々が住む界隈を歩く。新しい店の場所は決まっているが、工事がなかなか進行しない。クレリアはきびきびと仕事を片づけ、新しい顧客になるはずの社交界にも顔を出して、若い女性たちに好意をもたれる。自殺未遂のロゼッタとも親しくなる。その女性たちとの会話から出口のない彼女たちの苦しみを知るが、どうしようもない。ロゼッタはまたもや薬を飲み今度はほんとに死んでしまう。
クレリアは富裕階級の女性たちを批判して、働いたらわかることがたくさんあるのにと言う。しかし、彼女自身が貧しさから抜け出して、毛皮のコートを着て歩き、舞踏会にも招待される身分になって、【わたしが望んだものは、すべて手に入れてしまった】のに、むなしい。
白水社の「新しい世界の文学」でパヴェーゼが日本に紹介されたのは1964年だった。それ以来わたしはこの小説を何度も読んでいる。サガンの小説を思わせる社交界の女たちの会話が実は好きだったのである。パヴェーゼがいきいきと書いている、華々しくもけだるい社交界の描写が実は好きだったのである。クレリアの“むなしさ”よりも、クレリアが貧しい階級の出身であり、富裕階級の女たちを批判する言葉を吐くところが好きだったのだ。
今回何年かぶりに読んだら、パヴェーゼの気持ちがはじめてほんとうに理解できたような気がする。せつなくてせつなくてしかたない。

2002.4.8


チェザーレ・パヴェーゼのこと


掲示板で“ヴィクを演じさせたい女優”という話題が出たとき、わたしはずっと前に、「グレタ・スカッキに演じてほしい」と会報に書いたことがあるのを思い出した。「抱きしめたいから」のジャーナリスト役を見て、彼女がヴィクをやったらいいやろなあと思ったのだが、なぜこの映画を見に行ったかというと、その前に見た「ア・マン・イン・ラブ」のグレタ・スカッキがよかったからだ。2本の映画の彼女はまったく違う役柄をきちんと演じていたが、「ア・マン・イン・ラブ」は初々しく、「抱きしめたいから」は知的でたくましかった。
「ア・マン・イン・ラブ」(1987)はイタリア、トリノ出身の作家チェザーレ・パヴェーゼの生涯を描く映画を撮る様子を描いた映画である。アメリカの人気俳優(ピーター・コヨーテ)がパヴェーゼの役のために妻子をおいてローマに来ている。恋人ジェーン役にグレタ・スカッキが起用され、撮影がはじまると映画のストーリーと同じように2人の恋がはじまる。最後は母(クラウディア・カルディナーレ)の死を乗り越えて、ジェーンは一人で生きていくことを選ぶ。
ディアーヌ・キュリスという女性が製作・原案・監督・脚本のフランス映画である。ものすごく彼女がパヴェーゼに惹かれていてこの映画を心をこめて作ったのがよくわかる。わたしは最初は知らないで見ていたのだが、途中でこれはパヴェーゼだと気がついた。ピーター・コヨーテの神経の張りつめた演技がパヴェーゼそのままに乗り移ったようであった。またグレタ・スカッキが若く美しく溌剌としていたのに、演じているうちにコヨーテに惹かれていき苦しむところをよくやっている。映画撮影中にコヨーテの妻(ジェイミー・リー・カーティス)がアメリカからやってくる。彼女がまたすごくかっこいい。神経症的でジェーンとの間を察してしまう彼女の苦しみがパヴェーゼ的なのだ。
パヴェーゼの小説を最初に読んだのは1964年、「美しい夏」と「女ともだち」であった。それから何度「女ともだち」を読んだことだろう。一昨日、昨日、今日と3日かけてまた読んでしまった。

2002.4.7


こんなことでいいのかしら


今日もいい試合だった。もちろんプロ野球阪神タイガースの話。2リーグ制になってから6連勝ははじめての快挙だそうだ。素晴らしい試合だった。8回と9回に各1点入れたが、それまでも緊張はしたが勝つことを信じて見ていた。晩ご飯の支度をしていた6時〜7時はおいて、そのあとご飯を食べながら、そして食べ終わってもテレビの前。
阪神タイガースの快進撃はうれしいけど、こんなことでいいのかしら。毎日のようにプールに行く。出かけるときの支度から、帰って水着の洗濯する時間まで入れると3時間使っている。その上にご飯を食べながらというものの野球観戦に3時間使ったら、睡眠時間を削るっかないじゃん。しかし最近の体調からするとそれはむずかしい。眠ることで健康を保っているんやもん。ああどうしよう。と言いながらスポーツニュースを2つ見る予定なのである。

2002.4.5


ダイアン・デヴィッドソン「クッキング・ママの捜査網」


ケータラーのゴルディは暴力亭主ジョン・リチャードと離婚して息子のアーチと暮らしているが、住まいに暴力亭主が押し入りそうになり、警報装備が完備している知りあいの邸宅に、コックとして住み込みで働いている。1冊目で知り合ったトム・シュルツ刑事と仲良くなっているかと思ったが、精神科医フィッリップ・ミラーとつきあっている。そのフィリップがゴルディと車を連ねて走っている途中で運転がおかしくなり、ゴルディの目の前で事故死する。
事故ということが考えられず、原因を突き止めようとするが、料理の内容を地元紙に誹謗中傷されたり、難題が次から次へと起こる。ゴルディはストレス解消に猛烈に食べ物作りに打ち込む。その料理がとてもおいしそうだし、邸宅でのパーティのための料理のレシピを読むのが楽しい。美味しそうだし見た目も素晴らしいのだと思う。ほんとのプロの料理人なのだ。
ゴルディは7年間も夫の暴力を耐え、その間にプロの料理人として生活できるように勉強したねばり強い人だ。殺人と思い込めば捜査を自分ではじめ、フィリップの診療所にしのびこんで書類を調べたりと自分の意志で活動する。
今回も最後はシュルツといっしょに事件を解決する。2人はだんだんいい感じになり、最後はどうもいっしょになるみたい。まだシリーズの2冊目である。まだまだこれから読む本が何冊もあると思うとうれしい。

2002.4.4


虎猫


21年前の春にネコの花子はうちにやってきた。誰が捨てたのか、うちのアパートの廊下の隅のごみ箱で泣いていた。生後2ヶ月くらいで可愛らしかったなぁ。ネコ好きの隣人が廊下で世話をしていたが、見つけてから1週間、悩んだ末にうちで飼うことにした。それから一昨年まで19年の間いっしょに暮らした。桜が咲くと小さな花子を肩に乗せてうつぼ公園にお花見に行ったことを思い出す。お腹が真っ白で背中が薄い茶と白い縞の美しいアカトラネコであった。女の子だと思って花子とつけたが、後に男性と判明した。yukariさんが見たら「ショタやー」と言って可愛がってくれたであろう。
今日もプロ野球をテレビで見ているのだが、もちろん阪神の試合で相手は横浜、解説を往年の名投手斉藤明夫がやっている。昨日の駒田氏の解説はうるさかったなあ、今日はええやんか、斉藤明夫ってどんな人やったっけ、と話していて思い出した。15年くらい前の名投手じゃん。阪神打線は彼によく抑えられていたっけ。
そこでもうひとつ思い出した。阪神・横浜戦のハラハラする場面だった。斉藤投手がまさに投げようとしたときに、花子がテレビ画面の斉藤投手の顔に手を伸ばしてカリカリした。うるさそうに顔に手をやった斉藤(これはウソ)は、すぐに阪神の打者に打たれてしまったのだ。そして阪神は勝ち、その後は優勝に向かってまっしぐらだったのです。今日も余裕しゃくしゃくのタイガースファンなのだ。

2002.4.3


吹けよ春風


子どものころ、姉の本棚に「吹けよ春風」という本があった。春の野原に風が吹いていて、横座りした少女の挿絵があったのを覚えている。去年図書館で「少年文学大系」みたいなのの中に入っているのを発見した。いつか読もうと思ったままだが、今日歩いていたらふっと「吹けよ春風」という言葉が浮かんできた。
今日吹いていた風はほんと穏やかな春風であった。堂島大橋から堂島川の流れを眺めていたら、川面に1メートルほどの幅の白い帯が見える。なにかと思って目をこらすと、桜の花びらが帯になって流れているのだった。中之島の桜が散りはじめているんやね。
このごろのお出かけはプールくらいしかないので、ついそこにあるものを着てしまう。いいかげんに黒のセーターとジーンズというスタイルを、春らしいものに替えなければ。

2002.4.2


医食同源


近ごろ医食同源という言葉をよく聞く。今日からはじまった朝日新聞の料理欄も「からだに三つ星」と題して医食同源をテーマにした料理を紹介している。今日は大人のストレスに立ち向かう料理である。
あまりにもカンタンなのでさっそく同じようなのを作って食べた。記事通りではなく、わたしがやったことを書くね。土鍋に昆布を入れて湯をわかし、そこに豚肉の細切れを入れてよく炊いて、そこへキノコ類を入れて、その後に新キャベツを入れ、春菊を入れてさっと火をとおしてできあがり。鍋をテーブルに運んで、大根おろしとレモンとお醤油とで食べた。おいしかったのでスープも昆布も食べてしまって、あとには鍋だけが残った。経済的で美味しい、そしてカンタンなのがいい。定番になりそう。あとは塩鯖を焼いて漬け物と海苔で夕飯をすませた。
先日の新聞で読んだんだけど、アルツハイマー病の予防には、日本の伝統料理がいいんだって。それならかなり大丈夫だわ。

2002.4.1

写真:下福島公園の「野田藤」

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