「掲示板」のほうに書いたんだけど、演奏者も裏方もみんな女性だけのコンサートで、お客も女性だけしかアカンというチケットが送られてきた。VFC宛てに送ってきたものなので、一応「掲示板」で行きたい人に渡すと書いたんだけど、いまのところ行きたいという返事はきていない。
わたしは女性だけの催しには参加したくない。だっておもしろくないもん。ジャズは好き、なんて言うのもおかしいほどに入れ込んでいた時代が長い。それでも行きたくないのは主催者が「ジャズ」より「女性」に重きを置いているからだと思う。
「女性だけの…」という言葉で、考えてしまったんやけど、わたしの若いときは“オトコの中にオンナがひとり”という状態が多かった。山登りも文学サークルも男性の中にわたし一人だった。そして両方とも女性扱いされないように行動していた。
山登りは男性といっしょで容赦なしの山行きをやった後に、女性だけでもこんなことくらいやれるよとばかりに、女性だけのパーティを組んでみたり、一人で登ったりした。ずいぶん無茶をしたものだ。同人雑誌にも女性はわたし一人でずいぶん目立っていた。これが快感だった気持ちは、その後サラ・パレツキー論を書いたとき、“名誉男性”だったと深く反省しました。
女性ということとほんとに向き合ったのはVFCをはじめてからのように思う。ヴィク・シリーズを読んで反省したこと励まされたことは、当ホームページのサラ・パレツキーサイトに掲載してあります。
2002.2.28
我が家の元気の元になっている野菜スープの素をこっそり教えます(笑)。野菜の屑を集めておいて作るのだが、めんどくさくなっていっとき休んでいたのが最近復活した。
うちは毎日のご飯に野菜をたくさん食べるほうだと思う。捨てる皮や根元がけっこうある。もったいないよね。そこで丸元淑生さんの本である。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、大根、小松菜、セロリ(キャベツはダメ)など使うたびに皮や根元などを袋に入れて冷蔵庫にとっておき、ある程度たまったところでつくる。まず水を沸騰させる。おまじない程度の塩を入れて、野菜屑を入れていくのだが、少しずつ沸騰状態を維持しながら入れていくのがコツ。みんな入れてから30分ほど煮て、野菜を引き上げる。本格的にやるのなら漉すのだが、めんどうなので鍋の底に沈澱したのをそっとして容器に入れている。
容器は牛乳パックを洗っておいたもの。4つの角に切り込みを入れて折り、ガムテープでしっかりとめて冷めてから冷凍庫に保存する。使うときはパックを破って中味をそのまま鍋に入れて温める。
朝のスープにはいろいろな野菜を入れると完璧野菜スープである。コリアンダーなどスパイスで味付けする。カレーのときに水でなくこのスープを入れると格別おいしくなる。一度めんどくさいなと思うと、なかなか次にやる気がおきないのがナンギなところ。
2002.2.27
ご飯の前にひまがあったので、新聞のテレビ番組をていねいに見ていたら、テレビ大阪で8時から波照間島に間寛平が行くというのがあった。波照間島にはわたしの友人が2人いる。日本最南端に位置し人口600人の島なので、もしかして顔が見られるかもしれない。それに彼らが住んでいる島を見るのもよいなと思った。
寛平さんが大阪の子ども2人を連れて行くという企画で、飛行機で石垣島に飛び、そこからかなり高速な船で1時間かけて波照間島に着いた。3人は民宿に泊まって島をあちこち歩き、サトウキビの採り入れを手伝い、南十字星を見るために早朝3時半に起きたりした。いろいろと行動する途中でお弁当を買いに入ったのが「藤井弁当店」だった。
藤井夫妻がまず1人目の友人である。大阪の寺田町で「ごう家」という料理店をしていた、ゴウくんとカメラマンの彼女である。2人は仲良くお弁当を作っていた。ちょっとも変わってへんやんか。なつかしいなあ。「わたし大正区出身で寛平さんのテレビ見て育ちました」と彼女が言っている。ごう家の料理は独創的でおいしかった。お客があると連れて行き、VFCのメンバーとも何回も行ったっけ。
今回テレビに出たのは藤井夫妻だけだったけれど、もう1人の大阪出身、昔ロックバンドでドラムを叩いていた友人Jちゃんは、島出身のパートナーと島で唯一の喫茶店「パナヌファ」を開いている。波照間島のホームページを調べたら、ちゃんと写真つきでありました。南国らしいお洒落な店である。
もう一昨年になるか、ゴウくんとJちゃんから電話がかかった。わたしは2人を知っているが、2人はお互いにわたしの知り合いということを知らなくって、話をしているうちに共通の知り合いということがわかったのだった。
2002.2.26
半月ほど前から朝起きるとクシャミ・鼻水である。ストレッチやっていると異常にあくびが出て鼻水がたれてくる。これがないと春にならないのが、毎年のことながらナンギなことである。でもわたしの場合は人様の話からするとずっと軽いので、たいそうに騒ぐほどではないのだが…。
10年くらい前に異常な日があった。仕事場から10分の道を歩いて帰るときに、すごい風が吹いていて、目がしょぼしょぼ、鼻がずるずる、頭がくらくらして、部屋に倒れ込んだ。鼻をかんで目を洗ってもへんな頭痛は治らない。ぼーっとした頭でこれがほんとの花粉症だと思った。
そのとき以来、たいしたことなく過ぎている。でも今年はどうかな? 先日ラジオで、今年の花粉はすごくて、花粉症の人はもちろんのこと、花粉症でない人も花粉症になるくらいだと予報していた。
わたしは花粉情報を見るのはけっこう好きで、やっぱりこのしんどさは花粉のせいだったんだってほっとしたりする。けったいな心理やけど。
2002.2.25
いい男の代名詞を長い間ほしいままにしていたアラン・ドロン。さっきテレビで「サムライ」を見てやっぱりすごいオトコマエやなあと思った。あたしは彼の笑顔が好きなんだけど、この映画ではニコリともしない。プロの殺し屋で、危ない殺しを引き受けて、惚れている女を使ってアリバイは完璧にしたけど、警察は周りをかためていく。最後はやるべきことをやった後、サムライのような死に方を選ぶ。ジャン=ピエール・メルヴィルらしいスタイリッシュなフィルム・ノワール。アンリ・ドカエの撮影は暗い画面が多くて雰囲気がある。でも見終わってなんだか照れくさくて笑ってしまった。引き込まれて見ていたくせにね。
アラン・ドロンの映画であたしが好きなのは「太陽はひとりぼっち」。このタイトルって2年前の「太陽がいっぱい」にあやかってつけたものだろうが、アントニオーニの映画によくつけたものだとかえって感心してしまうわ。アラン・ドロンは株式仲買人の役で、陽気だけど内面がなさそうな青年でぴったり似合っていた。相手が愛の不毛専門のモニカ・ヴィッティだからうまくいくはずないのがよくわかる(笑)。
だいたい陰のある美貌が好き。アラン・ドロンだって陰がないわけではないが、オトコマエ過ぎて深みを感じることができないっていうか。
2002.2.24
いま行っているプールに来ている人たちが、ジャグジープールなんかで交わしている話を聞くともなしに聞いていると、わりと下町風な感じがする。もっとも、わたしが行くのは普通の人が働いている時間だから、サラリーマンがいないのは当たり前のことだけど。
先日ジャグジーでぼやっとしていると、こんな会話が耳に入ってきた。年金の話で、どうやらここにいる数人はほとんどというほど、年金をもらっていないらしい。60歳という男性がニコニコしながら「わしは年金いらんねん、商売してると死ぬまで働けるやん、ジイサンもバアサンもオヤジもオフクロもオジサンももみんな死ぬまで働いとった。サラリーマンはかわいそうや、60になったら働かれへん。年金いるわなあ」と言う。こんな明るい言い方はじめて聞いた。わたしも死ぬまで働こうと思っている。しかし、そう言う言葉のウラには、サラリーマンや公務員にたいするひがみ根性が宿っている。まだまだ修行が足りません。
いつだったか、雑誌「アエラ」の記者から電話があった。「老後」のことを、VFCのメンバーはどう思っているか。つまり、いまチャラチャラしていても老後のことを考えれば不安でいっぱいという記事を書くために、VFCのメンバーに老後の不安を語ってほしかったみたいだ。だけど、わたしには「老後」という考えがないので話にならなかった。記者には世の中みんなサラリーマンという前提があるんやね。
年金がわずかだから、死ぬまで働かんと食べて行かれへんと言うよりも、死ぬまで働けるなんて幸せなことだと言ったほうがかっこええやん。ふーっ、そやけど仕事がなかったらどうするねん。それはそのとき考えるとしよう。
2002.2.22
パルプ小説を1冊(ジョエル・タウンズリー・ロジャース「赤い右手」)読んだら、この本を無性に開きたくなった。数年前に洋書店で見つけて、けっこうな値段だったが、どうもこうもなく買ってしまった。ハリウッドの犯罪映画100作のポスターが集めてある大型の本である。わたしが見た映画は少ないが、あこがれて名前の知っているのがたくさんあって何度ページをめくってもときめく。
子どものころ10歳年上の姉がハリウッド映画のファンで、映画に行くたびにストーリーや俳優の魅力について話したものだから、わたしは幼くして耳年増になってしまった。リタ・ヘイワースの「ギルダ」で背中のジッパーを男に開けさせるところなど、見ていないのに覚えているという始末である。その「ギルダ」のポスターもある。
悪女たちの魅力がわかるのもうれしい。深夜映画で見て忘れられない「飾り窓の女」のジョーン・ベネット。映画雑誌で見ていまだに覚えているバーバラ・スタンウィックやヴェロニカ・レイクやジョーン・クロフォードやラナ・ターナーの美しくも陰ある顔。何本か見た覚えのあるベティ・デイヴィスの妖艶な目と複雑に唇を曲げた表情。「駅馬車」のクレア・トレヴァーも、その後たくさん犯罪映画に出ているのがわかる。色気のある大人の女だぁ。
それらの中でいちばん見たいのは「ガラスの鍵」だ。ハメットの小説の映画化で、ヴェロニカ・レイクと若き日のアラン・ラッドが出ているもの。
男たち、ジョージ・ラフト、ダナ・アンドリュース、ジェイムズ・キャグニイ、ハンフリー・ボガード…。パット・オブラエン(よく行く喫茶店の店名)の映画もある。全部見終わるとまた最初から見たくなる。
2002.2.21
冬になったころやお正月はキノコが高い。鍋物をする人が多いので、需要が多いから高いのだと思う。みんなが鍋物に飽きて春らしいものを食べようと思ういまごろが、この料理の季節である。キノコ(シメジを中心に後はなんでもあるもので)をたくさん食べられて、しかもたいへんおいしい。丸元淑生さんの家庭料理の本に出ていたもので、うちでは朝ご飯によく食べる。時間がかかるが、火にかけておけば待つだけだから、他の用事をしていられる。
使うのはキノコとジャガイモだけ、そしてミルク。キノコはほぐして洗い、塩こしょうしておく(生しいたけは細切りする)。ジャガイモは3ミリくらいの厚さに切っておく。鍋の丸みに合うように丸三角形に切って底辺を鍋の周りにずらっと敷けるようにする。鍋にオリーブオイルをひいて、ジャガイモを鍋に合わせてびっしりと敷き、塩こしょうする。その上にキノコをまんべんなくおく。その上にジャガイモをかぶせる。つまりジャガイモでキノコをはさむ。ミルクを入れて蓋をし、最弱の火で35分そのままにしておくとできあがる。これは蒸しものなのでミルクの量が多いと煮ることになってしまうと丸元さんは書いておられる。でもわたしの経験から言うと、ミルクが少ないよりも多いほうが、失敗しても食べられるから多めをおすすめ。朝のトーストとミルクにぴったりです。
2002.2.20
クラシックシリーズの中から次に選んだのは「赤い右手」(国書刊行会 2200円+税)。表紙の帯に書かれた“カルト的名作”という惹句にひかれた。ジョエル・タウンズリー・ロジャース(1896〜1984)はパルプ作家で、この作品は1945年に書かれたものだが、若い頃は1日に40ページの割合で書いていたという。
「郵便配達は二度ベルをならす」と雰囲気が似ていると思ったが、時代が同じ頃なのかなあ。話は全然違うんだけどね。両方とも人間の底知れない怖さを感じる。
アーミッシュの村で育った娘エリナが家を処分し、あこがれのニューヨークに出てきて保険会社で働いている。金持ちの青年が保険に入りに来て付き合いはじめ、結婚の申し込みをし、すぐに結婚許可がでる州に向かって車で出発する(そんなことしたらあかんとエリナに言いたくなる)。その途中であやしげな浮浪者を乗せるはめになり、そして起こる殺人事件。
一方、仕事からニューヨークに帰る医師リドルが借りた車でその道を通ると、若く美しい女性(エリナ)が必死で逃げてきたので助ける。この作品は最初から医師の記述ではじまるのだが、読んでいるうちに、わけがわからなくなってしまいそうになる。それをコペルニクス的展開と解説で言っているわけだろうけど、最後までいってほっとしました。
2002.2.19
所得税の確定申告受付は2月16日からと毎年決まっているが、今年は16日が土曜日なので、今日が初日である。しかし、税務署のほうが16日から受付といつものように言っていたらしく、土曜日に税務署に行った人がけっこういたらしい。毎年初日に行くと決めている人が大勢いるんやなあ。わたしは初日が好きというわけではないが、源泉徴収をされているお金を早く精算して返してもらいたいので、初日の今日午後遅くではあるが行ってきた。受付は空いていて、係りの人は愛想がよかった。
最近散歩をしないので、木津川を渡って歩くのは久しぶりである。松島公園の北側にプールが新設されるという話を聞いているので、そこを通って行くことにした。更地になっているが狭いような気がする。左はちょっと木が植えてある部分の向こうがグラウンドで、右はすぐ保育園、向こう側は民家と会社がある。どうするのかな。
いま行っているプールの人に、近くにプールができるから、再来年からはもうここには来ないと言ったら「1年でできると思てるのん、2年はかかるで」と笑われた。バス代がまだ2年いるのかと思うとせつなくなるよ。
道端の家には沈丁花が咲いていたし、ヘクソカズラの実がいっぱいくっついている垣根を見たし、なかなか収穫のあった散歩であった。
2002.2.18
なにがうれしいって、会報を郵送して1日過ぎたころにとどくメールがいちばんうれしい。会員の原稿や手紙を、へたくそ(ケンソンです)ながら、わたしがレイアウトして作った自信の会報が着いたら、会員としてはうれしいだろうと思っちゃうのよね。だから、その思いをその通りに受け取ってくれて、即読んでメールをくれるのがいちばんうれしい。
木曜日の夕方ポストに入れにいったから、着いているところかなりあると思う。それで、なんとなくメールの着信を待っている今日のわたし(笑)。そしたらやっぱりUさんからきました。1〜2月、彼女は仕事が忙しいのを知っているから、こちらからもご無沙汰していたが、そろそろ忙しさから抜け出たようで、うれしいメールであった。
ヴィク・ファン・クラブは10年経った会だが、Uさんが例会に出てくれなかったら、毎月の例会は開けなかっただろう。また、パソコンが普及していないころに、Dさんの文字入力ボランティアがなかったら、会報は出せていなかたったろう。こうしていろんな人の努力で継続してきた会だから、もう少し続けていきたいと思っている。
4年間も会費だけ払ってくれて沈黙の人がいた。実は「隠れファンでした」と10周年のパーティに出てきて言いはったのには驚いたわ。まあ、いろんな楽しい人のいる会です。
会員の資格はヴィクのファンであることだけです。このサイトを見て、いっちょ入ってみようかと思われるかたは「届けっ!」メールでお問い合わせください。ていねいにお返事します。
2002.2.17
毎年冬になるとオイルが必要だった。椿油かオリーブオイルを寝る前に手や顔にたっぷりつけてマッサージする。それが当たり前だと思っていた。それでも手は荒れている。少し寒くなると手の爪の両端の皮がささくれだってくる。あげくにアカギレである。オイルをつけて手袋をはめて寝たりしていた。
ところが今年はまだオイルの世話になっていない。ささくれもない。もちろんハンドクリームなんかつけていない。顔もなんにもつけないがすべすべです。去年までハリに行くと、先生がまず脈と舌を診たあと、お腹にさわって冷たいねえと言う。胃も下腹も冷たいので、まず温灸で温めてくれる。ふだん自分でも触ってみるんだけど、いつでも冷たかった。それが、今年はそれほど肩が凝らないのでハリに行ってないし、お腹が冷たいということがない。考えられるのは血液の循環がよくなったということである。やっぱりプールで水中歩行のおかげだ!
これまで体に悪いことをいっぱいしてきたと思う。震災ボランティアで仮設住宅を訪問していたときの冬の3年はきつかった。山に近い吹きさらしの戸外で何時間も話をしたり、家に上げてもらっても30センチに足りない地面からの高さの床だから冷え上がっていた。それを卒業して、これからは映画館で映画だと張り切ったのが、梅雨時の映画館の冷房にやられた。そんなこんながずっと積み重なってすっかり足にきてしまったのだ。
悔やんでも遅い。ひたすら水の中で歩き続けて回復をはかるのみだ。プールに行き始めて9か月だが、最初行ったプールは遠くて週2回がやっとだった。少し近くになって週4日にしてから5か月、足のほうはそろそろだが、全身の血のめぐりはすごくよくなったと思う。アタマのほうのめぐりもよくなったと思いたい。
2002.2.15
今日は「VFC NEWS」を怒涛のように綴じて封筒に入れ発送までやってしまった。これをやるとどっと疲れるのだが、せっかちな性格は治らず、最後の詰めになるとせいてせいてせきまくる。そしてどっと疲れるというパターンなのである。
こんなときに読む本はドロシー・L・セイヤーズにかぎる。オリンピックをテレビで見たあと、お茶をいれて広げたのは「忙しい蜜月旅行」(やっぱり!)であった。
「学寮祭の夜」の最後で結ばれたハリエット・ヴェーンとピーター・ウィムジイ卿は、オクスフォードの教会で結婚して、極秘の新婚旅行は愛車ダイムラーでハリエットの出身地に近い田舎の屋敷に行く。書面で買い取りの契約を交わしてあるので大丈夫と思っての行動だったが、その屋敷に着くと誰もいない。ひと騒動の後にようやくベッドに入ったふたりだが、翌日、前の持ち主の死体を発見する。もちろんピーターとハリエットが活躍して解決するが、犯人の死刑の時期にピーターの精神面に問題が起こり、結婚生活にも危機が訪れる。もちろん乗り越えるが。
田舎の家の暖炉や煙突のことなんかにも詳しいピーターにハリエットは驚く。イギリスの紳士階級はロンドンで優雅な社交生活をしていても、田舎では質実剛健な生活をしているんやなあ。ピーターの実家に行ったときにハリエットが幽霊を見るのだが、その屋敷には先祖の幽霊がごろごろいるらしい。会話の中で、ハリエットのような中産階級は病院で死ぬけど、貴族は家のベッドで死ぬというのが、はじめて読んだときの記憶に残っている。
バンターとハリエットの関係もうまくいってめでたしめでたしである。ドロシー・L・セイヤーズのお茶目な一面がたくさん出ていてこたえられない作品。新訳がでればいいなあ。
昨日書いた「ハムレット復讐せよ」でもセイヤーズの他の作品でも、古典の引用が会話の中にあふれている。こんな会話を一度交わしてみたいものだ。
2002.2.14
数年前にクレイグ・ライスの未読の本の広告を見て買ったときに、ついでにクラシックなのを読んでみるべえと思って書店に注文を出した。毎月のように配本されたのが20数冊たまってしまったところで断ったのだが、在庫中まだ2冊しか読んでいなかった。こんな時代にもったいない話である。
字が大きくて夜読むのにいいと、10日ばかり前にタイトルがおしゃれな「ハムレット復讐せよ」をまず取り出した。マイクル・イネスははじめて読む作家だが、ドロシー・L・セイヤーズの「忙しい蜜月旅行」の解説で名前を知っていた。イネスはセイヤーズの後輩にあたるが、その作品全体のおもしろさを理解するのが難しいのは、セイヤーズを思わせると書いてあった。クラシック・シリーズに入っているのが当たり前という感じの古風さがある作品だというのが、読み終わってのわたしの感想。セイヤーズのほうが格段にモダンだと思う。
イギリスの田舎の大邸宅でハムレットを上演するという奇抜な催しが開かれる。その上演中に殺されたのはポローニアス役の英国大法官であった。首相に捜査を命じられたのはスコットランドヤードのアプルビイ警部だが、この人は呼ばれたとき、バレエを見に劇場へ行っていて部屋に首相を待たしていた。警部が屋敷に着き取り調べをはじめると、屋敷に滞在中の友人ジャイルズ・ゴットがいた。彼は学者で探偵小説作家である。またもや起きた第二の殺人と三人目の傷害事件、解決はなんと女性たちの力と知恵が大きかった。
作家の主人公へのべたべたの愛情が感じられて微笑ましい。解説は1930年代のイギリスの政治情勢にも触れられており、カズオ・イシグロの「日の名残り」の時代とだぶっているのがわかった。シェイクスピアに詳しければもっとおもしろかったろう。(国書刊行会 2500円+税)
2002.2.13
今日は菜の花を茹でたのにかつお節をさっとかけて炒めて、醤油ほんの少々で味付けしたのを食べた。ほんの少しの苦みが春を感じさせてくれた。食後に伊予柑を剥くと果汁とともに良い香りがほとばしった。わたしの春への予感はもっぱら食べもののようである。
友人からのメールに、冬の服にあきてきたので春色の服を早く着たいとあったので、ほーっと思った。家にいるばかりなので、そういう気持ちにならない。やっぱり通勤っていいなあ。毎日家にいると、ほんと、着るものにかまわなくなる。もともとかまわないほうだからよけいだ。いまは暖かければええやん、である。毛糸のレッグウォーマーやら厚手ソックスやら、足もとを冷やさないようにだけ考えているから、色気もくそもない。
パンツの在庫が少なくなっている。もしかしてワンサイズ小さくなるんではないかと去年から買い控えしているけど、ワンサイズも半サイズも小さくなってないっす(笑)。
そうか、それで同じものばかり着ているから気分が冴えないのかな。せめて春色の新しいセーターを買ってこようか。考えたら最近の外出はプール以外本屋だけであった。
2002.2.12
しばらく暖かかったのに、また寒さがもどってきた。昨日は千里まで行く用事があったので出かけたが寒かった。前回行った正月3日は特別寒い日だったが、また今回も特別寒い日になった。精進が悪いんやね。
兄のパソコンの不具合を直して、新しく挑戦するソフトの講習をして(わたしはダベリ専門)、帰りは千里阪急ホテルで晩ご飯をおごってもらった。千里の住宅街を歩くと、庭に植えてある木を眺めるのが楽しい。ロウバイ、梅、南天、寒椿、山茶花など鑑賞しつつ歩いた。
今日はここ大阪市内でも雪が降った。さて、15分くらいは降っていたのかな。雪に気がついてからまもなく日がさしてきたけど、けっこう道が濡れていた。それからもう少しの雪を待っていたが、降らなかったのでプールに行った。遅れたバスを待っているのが寒かったわー。
ヴィク・ファン・クラブの会報は10日で締めて15日発行としているので、昨日から作りはじめて、昨夜は夜中までやり、今夜もまだこれからやる。原稿がたくさんあるのでうれしい悲鳴をあげてます。
2002.2.11
去年の暮れのこと、クッキング・ママ・シリーズを読んでみようと思ったが、近所の本屋にこれしか置いてなくて、とりあえず買ってきた。ほんま、あんまり期待していなかったのよね。なんか幸せそうな太ったお母さんが出てきそうで…。勝手に思い込んでいたんだから世話はない。
それが読みだしてびっくりした。夫から暴力を受けて離婚したミステリーの主人公ははじめてだ。主役が夫の暴力から逃げまくる小説は読んだことがある。けれども、この場合、同じ町に住んでいて、元夫の恋人が殺されるというシチュエーションではあるが、その元夫が押し掛けて暴力をふるおうとするすさまじさ。
ケータリング業のゴルディは第1作「クッキング・ママは名探偵」で知り合った敏腕刑事トム・シュルツと結婚して、幸せな結婚生活を送っている(この間の5作を読まなくちゃ)。ところが元夫ジョンの恋人が殺され、息子のアーチの実父であるジョンが容疑者として逮捕される。実の父親の無実を証明してほしいとアーチの願いでゴルディは聞き込みをはじめる。
その仕事を本業の合間にやるのだからすごい。催しに合わせたメニューを考え材料の手配をする。当日は出かけた場所の台所を使って、温かいものは温かく冷たいものは冷やして、順序よく出していく。
いろんなメニューやレシピがあるんだけど、わたしにはできそうにはないものばかりだ。ひとつだけグリルド・チキン4人分の作り方があった。胸肉を使う料理、これならできそうだ。ソースもわりと簡単に作れそう。いっちょやってみるか。
(集英社文庫 724円+税)
2002.2.9
今朝いつものように、窓を見たらシロちゃんが倒れていた。いままでピンと羽根を張ってとまっていたのに、今朝は横に倒れたまま動かない。2ヶ月の命だった。去年12月12日に蝶が部屋に入ってきたことをこのページに書いている。その2・3日前に部屋に迷い込み、ベランダの植木にとまらせたのに、部屋に入れる植木についてまた入ってきた。そして西側の窓を居場所にして今日まで砂糖水をごはんにして生きていた。ティッシュペーパーに砂糖水をしませて持っていくと、さっととまってチューチュー(この言い方はオーバーだけど)吸っていたのに…。陽が当たるとうれしそうに窓の上のほうまであがってひらひら飛んでいた。
きっとそれがいけなかったんだろう。冬眠するところを部屋の暖かさや日差しの暖かさにだまされてひらひらしてしまった。窓際の夜は寒いから寒暖の激しさについていけなかったのではないだろうか。春まで生きていてほしかったなあ。でも、タマゴを産んで部屋中青虫だらけになったらどうしようとも心配していた。わたし長い虫がアカンので。
そろそろバレンタインデーがくる。猫の花子が一昨年のバレンタインデーの夜中にわたしの腕の中で死んだ。あれから2年経ったんやなあ。今年のバレンタインデーにはシロちゃんがいると思っていたのに残念だわあ。明日うつぼ公園の桜の木の下に葬ってやろう。
2002.2.8
この本はホームページ「子育ち食堂」(http://www.sailing-bros.com/_ny/)を開いていらっしゃる、るりこさんから教えていただいた。そしてメールマガジンを出していると知り、申し込んで第4便までいただいている。
それなのになかなか手が出なかったのは、最初のイメージが染みついたせいだ。それも具体的にどうっていうんでなくて、クッキング・ママとという本のタイトルから、太めの愛想のよいお母さんみたいな女性を想像して“苦手”と思っていただけであった。るりこさん、すみません。
去年ふと思いついて本屋で手にしたのは7作目の「クッキング・ママの依頼人」で、読み出したら、ええっ! であった。主人公のゴルディ・ベア(クッキング・ママ)は若くして結婚した相手に暴力を受けて、肉体的にも精神的にも傷を負った人だった。離婚してケータリングを仕事に子どもと暮らしている。これはいかん、と1冊目「クッキング・ママは名探偵」を買ってきて読んだ。
コロラド州のリゾート地である町での話だが、アメリカではケータリングという仕事が成り立つことがよくわかる。目的にあったメニューを決め、材料を仕入れて半製品にまで作って運び、あとはその家の台所を使って料理を出す。たくさんの客をもてなせる広い庭のある広い家と台所が必要だ。
殺人事件もうまく書いているが、それよりももっと料理がうまそう。るりこさんが言っている「1冊で2度おいしい、食いしん坊のミステリーファン必読の名作」納得しましたー。
2002.2.7
ゲイの弁護士ヘンリー・リオス・シリーズの4作目「秘められた掟」(創元推理文庫 700円+税)を読んだ。3作目以来長い時間が経っているので、もう翻訳はないかと思っていたところ、新聞広告で目にしたのであわてて買いに行った。
前作「喪われた故郷」から3年後、ヘンリー・リオスは40歳、恋人のジョシュはエイズが悪化しつつあり、リオスから遠ざかっていく。人間をエイズであるかエイズでないかという分け方をしてしまうようになったジョシュはエイズ患者の新しい恋人と暮らすことを選ぶ。ジョシュを失った痛みをこらえつつ、リオスはヒスパニック系の上院議員ガス・ペーニヤを殺した容疑で逮捕された青年の弁護と、真犯人探しに奔走する。リオスはガス・ペーニヤと自分は似ていると思う。同じようにヒスパニック系で父親の暴力のもとに育ち、自分の人生を努力してかちとった。かたやしゃかりきに生きて政治家に、かたやしっかり勉強して弁護士になった。しかし、ふたりともアル中になってしまって父の子であることから抜け出せなかった。
ガス・ペーニヤと息子との関係を知り、容疑者の青年と話を交わしながら、自分を振り返ったリオスは、ヒスパニック系の男たちが白人の世界で差別されて働くがために、家に帰ったら妻子を虐待するというパターンに陥ることも語っている。
リオスはヒスパニック系のゲイを治療するカウンセラーに父親との関係を話しだす。またゲイの友人とも話をする。この作品はリオスが交わす会話と独白がからみあって、リオスの苦悩が浮き彫りになっている。
最後はジョシュに遺言状の作成を依頼される。すでに脳の働きが10%失われているというジョシュを抱いて泣くリオス。ジョシュはリオスに誰かいるのかと尋ねて、彼のことを詳しく話してくれと言う。
暗い内容なのに、この作品が明るく感じられるのは、新しい恋人ロニーが現れたこともあるけれど、ヘンリー・リオスが父親の存在を明るみに出し、自分自身をしっかりつかむことができたからだ。
このシリーズの前3作については、当サイトのミステリーのページ「わたしの好きなミステリー」に書いているので読んでください。
2002.2.6
深夜映画を録画した「昭和残侠伝」をようやく見た。なつかしかった。「昭和残侠伝」は60年代から70年代にかけて、わたしが見たヤクザ映画のシリーズの中で、いちばん様式美が優れていると思う。特にマキノ雅弘監督のこの作品は、高倉健と池部良に加えて藤順子の三人がそれぞれ輝いていて出色の出来だ。若くして世間を知りすぎてしまったふうな渋くて折り目正しい高倉健、陰りのある中年男の悲哀をにじませた池部良、哀愁あふれる色気と可愛らしさを芸者の姿で表現している藤純子、それぞれが輝いている。
そして三人三様のこの世で生きにくい理由が、最後の殴り込みに集約される。暗い出口なしの物語である。だけどこの映画はそのやりきれない暗さを美しく輝かせている。
健さんと池部良が連れ立って強欲なヤクザのところへ殴り込みをかける。昔片手を高倉健との立ち会いで切り落とされたという因縁を持つ池部良だが、ここでいっしょに闘うと決める。もう一方の手を差しだし手拭いで刀をしっかりと手に結わえてもらう。高倉健のほうはもろ肌脱いで唐獅子牡丹の刺青を見せる。呼吸よく主題歌が流れて二人は歩いていく。悲惨な映画である。
2002.2.5
わたしだけでなかったんだ。1月27日のこのページにわたしはこう書いた。〈取組前に花道に立って、虚空を見つめていた千代大海の顔は興福寺の阿修羅像そっくりやった。〉
今日の朝日新聞の投書ページにあったんやけど、「闘志をを秘めた風貌に感銘」綾部市の住職のかたの投書で、【不動のその表情は、奈良・興福寺の有名な阿修羅像をほうふつさせた。】とある。わたしよりだいぶんに文章が巧いけど、あのときの千代大海の表情を同じように見た人がいたのだった。わたしは花道だと思っていたが、土俵に上がってからの表情と書いておられる。花道からそうだったような気がしてるんやけど・・・
わたしは仏像のなかで阿修羅像がいちばん好きだ。いっとき奈良のお寺と仏像を見るのに打ち込んだ時期があった。好きなお寺は、唐招提寺、浄瑠璃時、秋篠寺、新薬師寺、室生寺・・・東大寺の戒壇院もよい。もちろん、法隆寺はすごい。日帰りで奈良へ行ける大阪に住んで、ほんとに幸運だと思う。と言っても最近はほとんど家にいるけど、そのうちにまたとは思っている。
2002.2.4
昨日の寝る前に見たNHK海外ドラマ「ダーマ&グレッグ」のせいで昨夜は夢を見て寝苦しかった。このドラマはときどき抜かすけど第1回から見ている。ダーマとグレッグははじめて出会ってその日に結婚した。ダーマの両親は70年代ヒッピーの生き残りで、そのときの考え方をそのままに生活している。ダーマはヨガを教えていて、環境問題やらボランティアやらで忙しい。グレッグはお金持ちの息子で頭がよく法律の勉強をして役所勤めしていた。環境の違う2人が愛し合っているけど、いままでの育ちが出てぶつかってしまう。たいていダーマのええかげんなほうに寄ってしまうのだが、そこまでのやりとりが両親と仲間をまきこんで30分のお楽しみとなる。ノーテンキなドラマながら、きついセリフや視点もあって見逃せない。
先週と昨夜は連続したテーマで、ダーマを浮気したと思い込んでいるグレッグが、いつになくしつこく怒っていた。最後には解消して終わるのだが、その最後に車で仲直りして運転から気がそれた瞬間、目の前に動物が飛び出したのを避けて車が激突し炎上する。「ダーマ大丈夫?」「大丈夫じゃない」の会話で終わり。もし「次のシリーズは○月から」と字幕が出なければ、えらい最後でドラマが終わったことになる。
「ER」もそうだったけど、1クールが終わるときは次に期待をもたそうと衝撃的に終わるのが海外ドラマの流行りみたいね。それで悪夢を見たこちらが単純なのだけれどうまいものだ。
2002.2.3
掲示板で京都の話をしていたら思い出したことがあった。ついこの間のことにように思っていたが、考えたら震災前のようなので、ノートを調べてみたら、なんと1994年9月のことだった。いまは倒産してしまった書店駸々堂で本を買ったら、カウンターにセミナーの案内がおいてあった。駸々堂がブリティッシュ・カウンシル主催のクライム・フィクション・セミナーを無料で提供するというもので、イギリスから3人の作家(レジナルド・ヒル、マイケル・ディブディン、フィリップ・カー)が来るという。ほいほいと申込んで京都三条駅から20分くらい歩いて国際交流会館へ行った。
少し早かったので喫茶室でコーヒーを飲んでいると、知的な白人の中年男性が近くのテーブルでビールを飲んでいた。3人のうちの1人に違いない。白状すると、わたしはこの3人の本を1冊も読んだことがなかったし、2人は名前を聞いたのもはじめてだった。ほんまにええかげんなヤツです。
同時通訳のイヤホンを借りて聞いた3人の話と若島正さんの司会がすごく気持ちよかったのを覚えている。真摯な文学への態度が話の内容にも話のしかたにも現れていた。
さすが本屋さん主催だけあって、帰りにはちゃんと3人の本を売っていた。そしてサインしてもらえるという。わたしはさっさと3冊(1人一冊ずつ)買って3人のサインの列に並んだ。後日ちゃんと本を読みましたよ。サイン本いまも持ってます。
この話には後がある。その後、あるミステリーの会を紹介してもらって集まりに出かけたのだが、そこにいたH氏が翌月写真を持ってきたのだ。なんとサインしてもらっているわたしの姿が写っている。他の人が入っているわけではない。わたしが本を差し出しているところだ。なぜ撮ったか聞き忘れたままなんだけど。
2002.2.1
写真:「秘められた掟」創元推理文庫、「クッキング・ママは名探偵」集英社文庫