なんでかしらんが、わたしはフィギュアスケートが好きである。回転したあとの、着地ができるかどうかのスリルが好きなのかなあと思うことがある。日本人の選手はようこけるからハラハラできる。さっき女子のショートプログラムとペアがテレビであったので見ていたら、ちゃんと日本選手2人がこけた。
わたしは実地でスケートを見たことがない。スケートとボウリングがずいぶん流行った時代があったけど、両方とも自慢じゃないがしたことがない。でも、テレビ観戦は好きで、放送があれば見ることにしている。今日はお気に入りの「クレヨンしんちゃん」を犠牲にして見てました(笑)。
3人の日本女子選手のうち、こけなかった恩田選手がすごく良かった。物怖じせず元気で笑顔がステキ。ガッツポーズも初々しい。衣装もちょっと珍しいデザインでシンプルで良かった。
しかし、スケートの衣装ってなんであんなにひらひらピカピカしているのだろう。ミシェル・クワンが好きなのは、スケートがうまいのと衣装がシンプルだからだ。
アイスダンスのフランスのアニシナ、ペーゼラ組を見たかったんだけど、放送されなくて残念だった。ずいぶん前からこの組のファンなので、今朝の新聞の写真を見て期待していたのに…。もう何年か前のことだけど、なんで「男が抱いて女が抱かれるのか」とアイスダンスを見ていて疑問に思ったことがあった。そしたら、このアニシナ、ペーゼラ組は女が男を抱く場面があった。それから気にしていたら毎年ある。今年はどうなのか楽しみだが、写真の衣装から想像すると、そういうことからは卒業したかもしれない。
朝起きたらまずメールの着信を確かめるのを楽しみにしている。友人からのはもちろんうれしいけど、ときどき見知らぬ人からいただくメールほどうれしいものはない。今朝は『堀江』のHPからこのページに来られた「みかん」さんからの「届けっ」メールがあった。近くに住んでいると書いてあり、ありがたくもプール情報を知らせてくださった。わが西区に市営プールができるという。松島公園の側に来年の3月に着工の予定だそうだ。そしたら近くだから歩いて行ける。まだちょっと先なのが残念だけど、それまで下福島プールでがんばろう。
《「みかん」さま、腰痛があるなら西区の市民プールまで待たずに下福島プールへ行かれたらどうですか? プールは気持ちがいいですよ。》
プールでは見知らぬ人の話が聞けておもしろい。1時間に1回ある休憩タイムはジャグジープールか採暖室に入いる。そのときが公認(?)のおしゃべりタイムとなる。ここでの話をじっと聞いていると、いろいろ世間がわかっておもしろい。こんな話があった。
かなり年配の女性なんだけど、牛肉を辛抱して食べなかったらガマンできなくなり、ステーキなら大丈夫だろうと、ステーキを食べに行き、200グラムのを食べて胃がおかしくなったという。話相手だけでなく、周りの人も笑ってしまった。かなりの人が狂牛病騒ぎで食べ控えているけれど、そろそろガマンが切れて食べ出す時期かもしれないね。
今朝の新聞に「瀬戸際の世界経済」というのがあって、世界同時不況の危険水域に入るとか書いてあるんだけど、日本の場合は景気の下支え役の個人消費が息切れしているそうだ。最近目立つのは「巣ごもり消費」で、海外旅行を控えて自宅で過ごす傾向にあるんだと。それで百貨店などでは土鍋が売れているという。だけど、これでは個人消費の柱にならないんだって。
というのを読んで笑ってしまったのだけれど、わが家には上等の土鍋が2つある。ひとつは来客用、もうひとつはこじんまりとしたやつ。両方とも奮発して買った。なんせ、猫と暮らしだしてから外泊をしないので、20年を越える巣ごもり生活である。猫が死んだ後も外泊という文字はわが家の辞書にはない。そんなことで家で使うものは気張っていいものを買っているが、ぜんぜん日本経済に貢献していないようだ。
ついでに言うと、すき焼き用の鍋は持っていない。3年ほど前に強烈なインフルエンザに罹った。一昼夜下痢と嘔吐を繰り返し、三日間なにも食べず、一週間寝ていた。お粥からふだんの生活にもどったのだが、いちばん食べたいと思ったのがすき焼きで、上等の牛肉を買ってきてもらったが、すき鍋がない。フライパンでやりましたよ。それでインフルエンザから回復した(笑)。その時から牛肉はほとんど食べてない。肉と言えば豚肉の細切れか麻婆豆腐用のミンチ肉くらい。鶏肉はけっこう食べている。
ちょっと暖かい日が続いていたが、昨日の夜くらいから急に寒くなった。今朝がたはほんとに寒かった。窓を開けると街路樹のイチョウが黄色くなっている。もっとも、クルマの見通しのためか、葉っぱが落ちるのが困るからか、すっかり刈り込まれているので、可哀想なほどの枝振りである。ふーっ! さむーい。暖かいうちに大物を洗濯しておいてよかったわ。
今日は友人が仕事の話で来るというのでプールはお休みして、部屋を片づけたりした。Y嬢は30年も前の知りあいで、仕事ではすごいキャリアをもっている女性だけど、昔と全然変わらずエネルギッシュで賑やかである。長いこと会ってなかったのに、今年のはじめに再会して、いっこも変わってないお互いを見いだした。仕事の話も滑り出しよく、こちらは来年の仕事の見通しがつきそうでやれやれである。
それに女性のお客がくるとおみやげがあるのがうれしいよね。今日はお菓子とミカンをたくさんいただいた。最近はおやつを食べるのを控えているので、買わないようにしているけれど、でもいただきものは別。当分おやつがあると思うと豊かな気分だわ。体重さえ気にしなければね。
「ナイン・テイラーズ」は難解なミステリーというのが定説になっていて、しかもはるか昔一度訳されただけだったので、よけいに神秘性が上積みされていた。わたしは古い訳を子どものときに読んでわからなかったもんだから、いっそうそう思っていた。いま思えばそんなこと全然ないんだけど、新訳で一度目に読んだときも難しいと思ったのがおかしい。1998年に浅羽莢子さんの訳で読めてほんとにうれしかったが、そのとき一度読んだだけでしまいこんであった。
最近もらった友人からの手紙に「ナイン・テイラーズ」の良さが書いてあったので、出したのだが、全体が思い出せなくてあせった。最近読んだ本って一度読んだくらいではすぐ忘れる。それがつまらないのならともかく、愛するドロシー・L・セイヤーズ&ピーター・ウィムジイ卿を忘れるなんてとんでもないよ。読みだしたら思い出していったけど、二度目の読書でも飛ばして読むなんてことなくて、じっくりと楽しんだ。
大晦日の4時過ぎというと、もう真っ暗である。ピーター卿のクルマが溝につっこんで、バンターと歩いて人家を探して教会にたどりつく。へんぴな村なのに立派な教会と塔があり、塔には鐘がある。鐘をつく人間が流行り風邪で動けなくなり、代わりにピーター卿が大晦日の鐘をつく役をつとめる。都会的洗練の極地にあるピーター卿の田舎ふうもいける反面を見せてくれてうれしい。
その後、村の墓地で死体が発見される。ピーター卿は教区長から要請されて赴くが、これが昔盗まれた宝石の事件とかかわりがあるらしいということで捜査をはじめる。
あとは読んで楽しんでくださいませ。おもしろいです。166〜7ページ作家志望の女の子と話してる言葉には笑えます。それから冷静沈着なバンターが教会の女中に無茶苦茶怒るところがある。ここもおもしろい。
終わりのほうで村が洪水になったときに、全村の人や家畜や物を丘にある教会に運んで、全村民がいっしょに暮らすことになるんやけど、ピーター卿もバンターもボランティアでがんばるところが微笑ましく読めます。
プールのある下福島公園はイチョウの木が多い。遊歩道がイチョウ並木になっている。野球場の向こう側も金色に輝いている。プールに一週間ぶりに出かけたのだが、この一週間のうちに色づきかけていた葉がいっせいに金色になった。
まだ疲れ気味なのだが、水の中に入るとさぁーっと快感が押し寄せてきた。たまに数日休むのもいいかもしれない。大きいガラス戸の向こうにロイヤルホテルの建物と色づいた木が見えて、どこにも行かなかった連休ではあるが、少しだけよそ行きの風景が見られてよかった。
休みの日のプールは子ども連れがいる。はじめて水に入ったという感じの小さい子も、30分もすれば嬉々として戯れいる。子どもって水の中が好きなんだ。障害を持っている子どもが、わたしが歩くそばで母親といっしょに水と戯れていた。通るたびにニコニコしていたら、向こうもニコニコしたり手をさし出してきたりした。後ろからちょんとお尻をさわられてびっくりしたら、「気に入った人の体に触りたがって・・・」と母親が謝ったので、気に入られてうれしいわと答えた。
栃東! 12勝! ようやりました。
今日は祝日であるらしい。以前働いていた会社は日曜日しか休みがなかったので、勤労感謝の日は、“勤労を感謝して働けてうれしい日”とイヤミを言いながら働いたものだ。自営業になってからは祝日を休みにしたが、土曜日は仕事をしていたため、日曜に掃除、布団干しなど家事をするので、丸一日休めるのは祝日だけだった。今は仕事があるのがありがたく、仕事がありさえすれば、土・日・祝日であろうが深夜であろうが関係なく働いている。
今朝パソコンをつけたら、インターネットがつながらない。当たり前のように、メールを出したり、ホームページを見ていたりしているけれど、ときどきパソコンがどうにかして、つながらなくなったらどないしょうと思うことあがある。今朝そのときがきてしまったのだと思った。わたしにはとんとわからないことで、相棒の四苦八苦がはじまった。結局ルーターがなんだかおかしくなっていたらしく、初期設定にもどして解決したわけだが、見ているだけでも疲れたー。
インターネットがつながって、よかったよかったと喜んだが、うちらの“幸福”ってこんなもん。しょっちゅう「よかった」と喜ぶことがあるのだが、単なるよかったでなくて、「あそこまでならなくてよかった」が多い。“不幸中の幸い”ばかり味わっている。うちらには、不幸中にしか幸いがないのさ(笑)。
今日は疲れ果てたので、日本酒とお刺身でいつになく長い晩ご飯になった。今日の献立はカツオのたたき、春菊のおひたし、チリメンジャコ、切り干し大根の炊いたん、納豆、お茶、柿、でした。
1994年に早川書房から出版された「ファミリー・ポートレート」には、19人のアメリカの作家による家族の物語がキャロリン・アンソニーによって編集されている。その中にサラ・パレツキーが入っているのがうれしい。
その他の作家でわたしが読んだことのあるのは、マーガレット・アトウッド、メイ・サートン、グロリア・スタイネム、ジョイス・キャロル・オーツ、メアリ・ヒギンズ・クラークくらいだ。しかし知らない作家のことでも、読んでみるといろいろな生まれや育ちがわかり、数十年前の南部の生活や移民してきた人たちの暮らしもわかり、興味深く読むことができる。ときどき取り出してはあちこち読んでいる。当然サラ・パレツキーのところは何度も読み返している。
アメリカの黄金時代のカンザスで過ごした少女時代、少女たちはみな、ハイスクールか大学を卒業してから、カンザスシティのプラザで豪華な花嫁衣装を整える結婚式を夢見ていた。そんな時代に、母のいとこのアグネスは、未婚でいつでもどこへでも旅をし、夫とではなく女友達といっしょに暮らし、女友達といっしょに学校を運営していた。サラは自分で事業を興した女性のことを聞くのはそれがはじめてだった。父はアグネスのことを陰ではボロクソに言うが、いざ面と向かうと、心ならずも卑屈になってしまう。両親が事故で亡くなってサラはアグネスのところへ行くことになった。サラはそこで助けられ鍛えられ、大人になった。
アグネスとは「サマータイム・ブルース」の出版を祝うために来てくれて以来会っていない。サラにはもう助けはいらないとアグネスが判断したからだ。他にアグネスを必要としている少女達がたくさんいるのだから。
サラ・パレツキーはこの話の最後をこう結んでいる。【V・Iが私でなくロティがアグネスでないとしても、彼女たちの関係は実在する。女なら誰でもアグネスを必要としている。アグネスがいれば自分の声が見つけられるし、おかげで物語も頭の中に閉じこめられたまま死なずにすむ。】
前編「悪名」がすごくおもしろかったので、覚えていてしっかりと続編を見た。解説者によると、このシリーズは全部で16本あるそうだ。最後の方はカツプロの製作ということだから息が長い。この2作目で田宮二郎がやっている弟分の貞が殺されるので、3作目からは貞の弟の清二として登場する。なんと言っても朝吉の勝新太郎がいい。愛嬌があってすがすがしいオトコマエなのだ。
朝吉はおきぬ(中村玉緒)を連れて河内へ帰る。相撲をとっている河内の若者たちのところへ頬被りして相手になり、ぴしぱしと勝って、手拭いをとったら朝吉とわかり、みんなから歓迎されて実家に帰ると、親は百姓をしておきぬの手にマメができたら祝言と言う。農作業をしていると貞が来て、親にヤクザは出て行けと言われて出ていく。話がどんどん進んでいき、ヤクザの世界でも一目おかれるようになる。
そこへ前作で遊郭からの足抜けを助けた水谷良恵が東京から会いに来る。彼女は朝吉に惚れているが、おきぬがいるので諦めて、子持ちの他の男と結婚すると言う。因島まで見送って、女親分(浪花千栄子)と再会すると、朝吉の男気に惚れ込んだ彼女は必要な金は貸してやると言う。ところが大阪の大親分(中村雁二郎)は朝吉を見込んで松島という土地ををまかせたのに、金を他で借りてきたことや出過ぎることで見放す。
そこへ朝吉に召集令状がくる。ときは満州事変のさなかであった。出征する前に、朝吉は貞にタタミの上で死んでほしいと言うと、貞が戦争もヤクザの出入りの大きいやつに過ぎないと言う。朝吉が出征してすぐ、貞が妻と買い物に行くとき、蛇の目傘をさしたふたりを刺客が襲う。最後は満州の地で歩兵として戦争している朝吉が、国のやってることはヤクザと変わらんなあというような感慨をもらして終わり。
すごくうまくできたストーリーとスピードのある展開で飽きない。その上に河内弁である。「なにさらすねん、われ」とか「ええかげんにさらせ」とか、「どうもこうもならんで」とか、目下わが家は河内弁一色である。
ちょっと注釈を入れると、「われ」というのは相手のことである。「自分」と言うと大阪では相手のことである。毎日使っているけど、いとおかし。
昨日・今日は人に会うと流星群を見たかという話になる。わたしが話した人はみんな見たかったけど、寝てしまった人であるのがおかしい。宇宙や星が大好きだから、いままで正直に起きていてだまされた(笑)人たちで、今回もだまされると思って寝てしまった人が多い。
「VFC BBS」ではひとりだけ3時に起きて見た幸運な人がいるけれど、他にもいらっしゃったら感想をアップしてくださいませ。
それで、残念がっている人に「夢で見られるかも」と返信したのだけれど、今夜はわたしの豪華な夢の話を書きますね。
天の星の夢は2回見たのだけれど、どっちも総天然色で豪華なものだった。1回目は、夜空いっぱいに星が降ってきそうに輝いていた。色とりどりの星で、その色が光っていて、光が垂れ下がっているのもあった。仏さまの頭の上にぶらさがっている金色の飾りのような感じで、天からぶらさがっているのであった。2回目はプラネタリウムで星の説明をしていて、星座になる場面のように、星が全部星座になっていた。その星座がきらきらと東西南北の地平線からはじまって天空にいたるまで輝いていた。星と星を結ぶ線が銀色であった。
2回とも、あまりにもなまなましくて、目が覚めてもぼーっとしていた。もうだいぶ前のことだけれど、よく覚えている。わりと間隔をおかずに見たので、そのころの心理状態がなにかおかしかったのかもしれない。
昨夜は2時過ぎまで起きていたのにダウンしてしまった。もう眠くて眠くて、もし無理して起きてて、流れ星が見えなかったらアホらしいぞと思った。その反面、後悔するやろなあとも思っていたのだけれど…。結果は、後悔先に立たず。いままでの苦労はなんやったんやろ。
70年代はじめにも流星群が見えるという話があった。これはみんなで見るべえと、真夜中に天王寺のジャズ喫茶の常連を誘って天王寺公園から美術館のほうへ出て、小高いところを探した。敷物とワインとチーズ、魔法瓶も持っていって、みんなにバカにされながら座るように強要した。しかし、流れ星は現れず、みんなお義理で飲むものを飲むとさっさと立ち上がって帰ってしまった。
その後も流星群のニュースがあると、靱公園で寝転がって数時間待ったり、明け方まで木津川の側の見晴らしのいいところで待っていたり、バカみたいに天文好きなのであった。
そして昨夜である。わたしの人生ってこんなもんでしょう。
でも、ただの流れ星なら母の田舎や、ひところ熱中した登山のおかげで、ずいぶん見た記憶がある。降るような星空の中をさっとよぎる流れ星、これがほんとの流れ星ってものよ。負け惜しみながら言っておこう。
1年ばかり前からこのページを読んでくださっていたNさんと昨日心斎橋で会ってお話しした。このページで書いていることに、コメントをメールしてくれるほんとにありがたい人である。わたしが映画のことで思い違いして書いたときには、すぐ訂正を入れてくれるので心強いし、彼女が見ていない映画のことを書けば、面白そうだからこれから見ると返事をしてくださる、打てば響くという感じの人である。
今回はわたしのほうから誘わせてもらったのだが、初対面と思えない親密さでしゃべっていた。会ってから4時間、ずっとしゃべり続けていたのだが、それは会話の糸口があると、そのことで延々としゃべる話題があるということだ。フレッド・アステアが話題になると、2人ともアステアに惹かれたときの話になるし、維新派の芝居の話題になると、彼女は最近の室生の里での維新派公演の話、わたしは昔の維新派の玉水町煙がどんなにきれいだったかと話の交歓になった。口が渇いていたわたしのほうがかなり一方的にしゃべったんやけど、それには共通の知識や好みがないと話になれへんよね。
帰りにおみやげを出されたのにはびっくりした。このいただいた葛湯 吉野拾遺(よしのしゅうい)というのが、とても由緒ありそうなもので、【吉野山のあらん限り南朝の悲史「吉野拾遺」と共に、この銘菓は永遠に名を留めるであろう】という能書きがついている。さくら模様の和紙の包み紙をひろげて桜の型押しがある白い干菓子みたいなのを、熱湯で溶いて飲んでみたら、子どものとき風邪を引いたときに飲んだ思い出が湧き出てきた。この葛湯ただものでない。
先日週末ボランティア(週ボラ)のメンバーだったNさんと久しぶりに会って話しをしたんだけど、もう5年も前のことなのに、わたしが言ったことを覚えていてくれて、しかも影響を受けたと言われたんでびっくりした。
週ボラは阪神大震災の被災者が住む仮設住宅を訪問して、お話伺いするという変わったボランティア団体である。仮設住宅は兵庫県だけでなく、大阪にも何カ所かあった。いつもは土曜日に兵庫県の仮設に行くんだけど、そのときは番外で日曜日に10人(うち女性3人)くらいで大阪市の北、神崎川のそばの工場跡にある仮設住宅に行った。たしか十八条仮設というところ。わたしは週ボラに参加して2回目だった。
終わってから「ふれあいセンター」(仮設住宅の入り口にあって、住民が集まれるようになっている。ふれあい喫茶とかいろいろな行事をした)でカレーをごちそうになったのだけれど、食べ終わったカレーの皿を、えらそうな年配の女性が若い女の子を指図して片づけだした。わたしは自分のお皿は片づけたけど、仕方ないのでいやいや大きい寸胴鍋を洗った。カレーが底にこびりついててたいへんやったよ。男性たちは会議をなさっている。新参者だからと思って黙々とやってんけどね。
その後、場所を居酒屋に移して慰労会と会議の続きと相成った。そのとき、年配の女性が「私らどこに行ってもソンやわ。いつも後片づけは女の仕事やもん」と言った。わたしはメラメラと燃え上がって(笑)、「なに言うてんねんな、あたしは新参者やからと思て鍋洗ろたやんか、あんたが勝手に自分であろといてなに言うてんねんな。あんたがオトコに自分の皿は自分で洗いやとひとこと言うたら、あたしは鍋洗わんかてすんだんやんか」って一気に言ってしまった。
代表がびっくりして、「これからはちゃんと僕らも自分で片づけるから」と取りなして、その後は男性が率先してあと片づけしだしたように思うが、本心は“うるさいばばあ”と思っているだろうとばかり思っていた。
ところが、Nさんはそれで目覚めたそうだ。“お皿を洗う”というようなことは、したことも、しようと思ったこともないように育てられたらしい。こういう人もいるから、やっぱり言いたいことは言わなきゃね。でも考えたらそんなことになる前に、その場でオトコたちに「皿は自分で洗ってね」と言うべきであった。しかし、この場合のほうがインパクトが強かったから成功したのかもしれないし…。
子どものころ一家が洋画ファンだったので日本映画を見ることはなかった。自分のお金で映画を見るようになっても変わらなかったが、コーラスで知り合ったSさんが日活映画の株主招待券をもらってきてから、2人で梅田日活によく行くようになった。小林旭が「銀座旋風児」だったかな、二階堂なんとかって役をしていたのを見て惚れ込んでしまった。それからタダ券で「渡り鳥シリーズ」ずいぶん見ましたね。映画を見て梅田新道をちょっと入ったところにあるお好み焼きの店で、お好み焼きと焼きそばの両方を食べるのがクセになっていた。お好み焼きにマヨネーズとケチャップつける草分けだった、って自慢にもならんけど。わたしの10代ってめちゃくちゃ遊び人(笑)。
それからずっと後で自分のお金で見たのが東映ヤクザ映画だ。
大映映画は「氷壁」くらいしか見たことかなかった。雷蔵の「大菩薩峠」もビデオでのちのち見た。残念なことをしたものだ。仲世朝子さんの「のんちゃんジャーナル(2)」に「『悪名』シリーズはかわいい」というのがあって、読んだときにこれは一度ビデオを借りようと思いながらまだ見ていなかった。それが昨夜京都テレビであったのでありがたく見せていただいた。
「悪名」は大映京都で撮影された1961年の大映映画である。溝口健二監督のチーフ助監督をしていた田中徳三監督の作品であり、カメラ、美術などもそのスタッフたちだそうで、しっかりした映画なのに感心した。遊郭のある町並みや町屋のたたずまいがしっくりしている。テンポの速いことにもおどろいた。河内弁のキレのよさ、おかしみがすごく楽しい。
悪名コンビ、朝吉の勝新太郎、貞役の田宮二郎、勝に惚れて女房になる中村玉緒、遊郭の女の水谷良恵、みんな若くていきいきとしていてすごくよかった。中でも女親分麻生イト役の浪花千栄子のすごみったらない。いまどきの「極道の妻シリーズ」どころやない。朝吉って無邪気で真っ正直でケンカに強くて・・・ほれぼれした。中村玉緒って顔の線が羽子板の貼り絵にしたいくらいに端正で美しい。来週も続編があるらしい。楽しみだ。
今日も栃東勝ちました。5連勝。
相撲好きというほどでもないんだけど、いちおうその時々に好きな力士がいる。柏戸(古いなあ)の潔い感じの顔と態度が好きだった。富士桜(これもけっこう古い)のなにがなんでも一直線が好きだった。その他ちょこちょこと好きな力士がいたんだけど、いまや忘却の彼方だわ。
時代をずっとくだって、栃の和歌が好きだった。育ちが良さそうで欲がなさそうで、器は大きいと思ってたけど、大関までいかなかった。一度だけ優勝争いで千秋楽まで行ったことがあるが、たいていはええかげんのところを行ったりきたりして、いつのまにかという感じで引退してしまった。負けてもあんまり悔しくならなかった。「そうなん、八勝してるからええやん」という感じ。
いまは千代大海、朝青龍に好意を持つているといったところかな。えへん、実は好きな人がいる。栃東である。栃の和歌と似ていて、他の力士がさっさと大関になるのに、一人だけその前をさまよっている。欲がないのかと歯がゆい。ところが今場所の栃東は違いそう。昨日まで三連勝だから今日勝ったらファン宣言しようと思っていたら、あの朝青龍に勝った。ここでファン宣言します。大関を勝ち取って欲しいな。がんばれ栃東。
野菜が週に1回届くので、先に葉ものを使う。キャベツやピーマンなんかは冷蔵庫で長持ちするからいいけど、小松菜やほうれん草やニラは早く食べないとね。
それで配達の前2日くらいは根菜料理が主になる。今朝はカボチャスープとじゃがいものサラダをつくった。ジャガイモ、ニンジン、タマネギって、豚汁、カレー、シチュー、炒めもの、サラダと大活躍である。
お昼は大根のみそ汁と塩鯖、ピーマンやタマネギやキャベツをツナと炒めた。夜はゴボウ、ニンジン、サトイモでお煮染めをつくった。ただ濃いめの出汁で炊いただけだけど、これがおいしいねん。みそ汁はワカメで、イカの焼いたのと納豆とサツマイモのレモン煮。
子どものころはお正月のお煮しめって大嫌いで、だから長いこと自分ではつくったことがなかったけど、丸元淑生さんの本で目覚めて以来、定番となっている。今日は1日中、根菜の日であった。明日は野菜がどばっとやってくる。
「ニュース」のページを新しくつくりました。まずは10周年パーティの記事をのせたのでごらんください。左側グレー地のところ、2つめの「VFC News」をクリックしてください。
ガス管が5メートル5,850円(税別)するのに驚いて、結局ガスヒーターを動かさずに模様替えして、ゴキゲンなのだけれど、うちらのそのときのセリフは「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」であった(笑)。いま豊かな気持ちなのはしっかり磨いた床がピカピカだから。狭い部屋だからこそきれいな床が目立つのよね。って、なんか負け惜しみっぽいね(笑)。
今日もプールに行ってきた。いまはプールとインターネットがわたしの生活と心の中心になっていて、それを大いに楽しんでいる。
コンサートにも行かないし、映画にも行かないし、ビデオさえなかなか見るひまがない。本を読む時間も減っている。そう言うと、なんか時代に遅れているかのように、「いまはこういう音楽が云々」と教えを垂れようとする人がたまたまいるのがおかしい。自分がいまどんな音楽に熱中しているか、その映画にどんなふうに感動したかを話してくれたら、ちゃんと聞くのにね。
ガス管がこんなに高いとはしらなんだ。東急ハンズを見ても同じのしかなくて、買うのはやめた。でも安全を考えたらしっかりしてんとあかんわね。いま使っているのもしっかりしてるもん、昔のゴムホースではない。ま、そういうことで、ガスヒーターを動かさずに部屋の模様替えをすることにした。本棚を動かし、テーブルを動かし、床を油拭きした。それだけでもすごく新鮮である。部屋が広くなったような気がする。こうして本棚を動かすと本の上のホコリも掃除できるしね。
朝刊を読んでいたらこんな記事があった。【深夜勤務で乳がんのリスク増】午前1時から2時の間に起きていることが1日増えるたびに危険率は14%高くなるんだって。夜勤や夜更かしで光を浴びると、なんとかいうホルモンが分泌されにくくなるという。えらいこっちゃ。昨日も一昨日も3時まで起きていたわ。今日こそは今日中に寝ようという願いもむなしく、もうすぐ12時だ。1時までに寝られるか?
ようやくカーテンを替えた。暖色なので見た目も暖かそう。トネリコやゴムの木が引き立って、狭いながらも楽しいわが家になった。少し模様替えしてガスヒーターの場所を変えようと思ったら、ガス管の長さが足りない。立花通りの平田家具に買いに行ったら5メートルのものが5,800円もする。税金入れたら6,000円超してしまう。すごく丈夫そうだがちょっと高すぎやしないかい。買わずに他の店も探すことにした。去年エアコンの修理代が24,000円だった。もう少し足したら新品が買えそう。なんでも本体は安くなっているのにね。
先日東急ハンズと心斎橋ロフトに行ってきた。目的は日用品を買いに行ったので、行くところは決まっているのだが、なにか無駄遣いをするようなものがないかを見るのも楽しみなのである。なにもなかったのでがっかり。そりゃお金があれば買いたいものはあるけど、そうじゃなくて、ちょっとしたおしゃれなもの、つまりレターセットとか文房具のたぐいで欲しいものがなかった。心斎橋のロフトはわたしには向いてないような気がする。でもカレンダーや年賀状やクリスマス用品が終われば、もうちょっと欲しいものが出てくるかもしれない。
帰りに地下街で会員のYさんにばったり出会ったのにはびっくり。アロマテラピーの勉強をしている彼女に、ロフトにアロマテラピー関係の売り場があるよと情報提供した。
女性ライフサイクル研究所(FLC)は所長の村本邦子さんを中心に、5人の女性スタッフが運営している大阪にある団体で、設立してから今年で11年目を迎えました。いつも感心してしまうのは、その真面目さです。VFCも真面目だと思うけれど、真面目の度合いが違います。わたしが入会してからもう6年になりますが、少しも手抜きしない仕事ぶりに感心するばかりです。
FLCは自分たちが主催する講座や各地での講演活動などのほかに、年に4回のニュースレターの発行と、年に1回テーマを決めた分厚い年報を発行しています。今年の年報の特集は「子どもの虐待」で、いろいろな局面からの対応がスタッフたちによって書かれています。虐待児の心理と治療、子どもに関わる専門家のこと、周囲の大人のこと、虐待から子どもを守ること、虐待サバイバーの回復、虐待の連鎖を断ち切る、そしてシステムと法律などあらゆる角度から論じています。わたしは読むだけでふーっと言ってるだけですが、彼女たちは論じているだけでなく、虐待からの回復や援助のために活動している人たちです。すごいです。
今回この本を読んで、虐待とは「力関係を背後にした人権侵害」ということがよくわかりました。アメリカのミステリーを読むと子どもの虐待をテーマにしているものが多くて、かなり具体的に事情はわかっているつもりでしたが、しっかりと理屈を身につけましたよ。
ホームページは http://www5b.biglobe.ne.jp/~flc/
昨日、近畿地方で木枯らし1号が吹いたそうだ。去年より36日早いとのこと。そう言えば去年はなかなか寒くならなかったっけ。
公園のイチョウが黄ばんできた。この間ギンナンが落ちていたところなのに…。寒椿がいつのまにかつぼみをつけている。毎日のように見ているのに、葉っぱばかりだったのに、いつの間につぼみみがついたのか不思議。
窓のひとつに西日がまだ入ってくるので、すだれを外すのが遅れている。いつもなら外して日が入ってきても気にしないのだが、今年はコンピュータの置き具合で画面が見にくくなる。でも明日は外そう。そして厚地のカーテンに付け替えだ。
オイルヒーターだけでは夜は冷える。夏の間ほとんどつけなかったエアコンを温風にしてつけている。ガスファンヒーターも出さなきゃ。毛布も出さなあかん。冬が来るのが早すぎるぞ。準備万端整ったら暖かい日が続いたりして…。
ミステリーの新刊を読むのは久しぶりだ。あんまり読みたい新刊がないところへ、現実のニュースのほうに気持ちがいってしまう毎日なので、気分を安らかにしてくれるお気に入りの本や絵本ばかりを広げている。
「捜査官ケイト」のシリーズ4作目は翻訳が出ないのであきらめていたところに出た。アメリカでは何冊か出ているのに翻訳しないのかと思っていたら、この本は2000年2月にアメリカで刊行されたとのことで、シリーズ自体が久しぶりなのであった。このかんにメアリ・ラッセルのシリーズやノンシリーズの作品を書いてはったらしい。
さて、久しぶりのケイトは相変わらず、まっすぐで力強くて愛があって、いい感じ。全力投球で連続殺人にいどんでいく。しかし、しんどいテーマである。捨てられていた死体にはスタンガンで胸を焼かれたあとがあり、死因は絞殺、ポケットにはキャンディという共通したところがあるが、殺された男たちの身元を調べると全員が妻を虐待していた。特にインドからきた少女のような花嫁の悲劇が悲しい。FBIに捜査の主導権をとられながらも地道な捜査を続けるケイトは、虐待された女たちの怒りに気がついていく。
ケイトにはパートナーであるリーとの生活があり、親友のロズとマイのやはりレズビアンのカップルとの交流があり、またゲイの友人との深い信頼関係がある。レズビアンのカップルが子どもを持ちたいという問題もある。マイはもう妊娠しており、次作ではきっとリーが子どもを産むことになるだろう。
今日の「VFC BBS」で吉岡さんが書いている大根のことを、くわしく説明するとこういうことになる。大阪市東住吉区田辺で古本店を営んでいる大久保さんは、地域で田辺寄席という落語の会を毎月開いておられる。そのかたわら阪神大震災の救援活動や地域でさまざまな活動をされている。田辺大根の復活もその活動のひとつである。
わたしが週末ボランティアの掲示板に書き込んだことに、大久保さんが返事をくださり、それから交際がはじまって会報を送りあう仲になった。
田辺大根のことはこのページ2000年9月13日に書いている。また今年の5月16日に花のことを書いているし、今年6月の表紙には田辺大根の花の写真を入れた。たのしい話だもんね。
その貴重な田辺大根の種を9月に送っていただいた。イラストつき育てかたのパンフレットがついていて、どうやらベランダでもできそうだ。ところがうちのベランダときたら狭いところへ洗濯機や物入れが置いてあり、その上に洗濯物がぶらさがっているという状態なので、普通の鉢植えならともかく、大根となると…ということで、若狭の吉岡さんに育ててもらうようにお願いした。
こういう因縁で若狭の畑に蒔かれた大根だが、ちょっと時期が遅かったかなあ。田辺大根が若狭でどんな風に育つかも楽しみにしているんだけど…。
「キューピッドとプシケー」あるいは「アムールとプシケ」の話は神話だとずっと思いこんでいた。解説を読んでから思いだしたんだけど、最初に読んだのは家にあったイギリス文学の選集みたいな本で、大作家ではない作家って言い方おかしいけど、ワイルドとかディケンズとかではなく、よく知られていない作家ばかりが入っているところにあったんだった。
みすず書房だと思うんだけど「アムールとプシケ」という精神分析の本もあったよね。精神分析はともかく、作品の引用があったから持っていたんだけど、どこへ行っちゃったのかな。とにかくこの物語は「ダフニスとクロエ」の話とともにすごく好きなのだ。
物語が好きなところへ、この絵本のエロール・ル・カインの絵はビアズレー風で神話的でとてもロマンチック。一目惚れして買ってしまった。いま読んだら、神話を題材にしながらも19世紀末の作品であることが理解できた。やっぱり世紀末ふう、そして神話より理屈っぽい。
シンデレラも美女と野獣もプシケも三人目の女の子なのがおもしろい。わたしが三女だから特別好感を持つわけだけど、三女って本当はまったくダメな子なんだと思う。それで親からも上の二人からもバカにされる。それでもけなげなので同情がわき、こういう一発逆転の物語が生まれたんじゃないかと思いますよ。現実に三女が幸せになれば、物語なんか生まれてこないじゃん。そやけど、三女ってすっごく苦労しないと幸せになれないんやなあ。
10月29日にご案内したヴィク・ファン・クラブの「掲示板」を昨夜設置しました。ウェブデザイナーが、VFCらしいおしゃれで品の良い掲示板をつくるのに時間を使ってくれました。わたしが最初の書き込みをしましたが、なかなかよきものであります。この場から新しい友情や交流が生まれることを期待しています。
ヴィク・ファン・クラブの掲示板ですから、ヴィクとサラ・パレツキーを基本に、女性探偵やその他のミステリー、本や映画のことなどの話題を中心に書き込んでください。最初の書き込みでは、会員のかたは会員であることを、会員でないかたは簡単な自己紹介などを書いてくださいね。
トップページの左側、グレー地に白文字のところ、2行目に「VFC BBS」があります。そこをクリックすると掲示板の画面になります。楽しくてためになる書き込みをお待ちしています。早う書いてくれぇ!
海外ドラマの中で実は「ER」より好みがあうのが「アリー・myラブ」。「ER」を社会派とすれば、こちらは心理派とでも言おうか。弁護士事務所が舞台だから、いろんな人が出入りし、いろいろと問題が起こるけど、みんな喜劇に仕上げている。たまにしんみりすることもあるけど、しんみりしながら笑えるところが好きというか、気分良く笑ってベッドに入れるのがいい。
今夜も笑えた。アリーが年配の男性と親しくなってデートのあと散歩していると、若い男がいろいろ通る。はじめは服を着ている男だが、だんだんサーファーやボクサーの筋肉マンになる。アリーの心の動きが絵になっていて笑わせる。
年配の男性とデートしながら、偶然会った若い弁護士に惹かれて二股かける。これはなにかあると思っていたら陳腐な筋書きながら、彼らは父と息子だった。さて、来週は? で終わった。もう一組、マイケルとトランスジェンダーの女性との間はどうなるのかな。
アリーをはじめ女性たちのファッションを見るのも楽しみ。弁護士事務所のトイレが男女共用になっていて、これが最近のアメリカの傾向とか新聞に出ていたけど、いいんじゃないだろうか。
エロール・ル・カイン(1941〜1989)の絵を知ったのは、児童文学研究会「ホビットの会」を子どもの本の店の1室を借りてやっていたころ、研究会がはじめる前に書棚をていねいに見ていて発見したのだった。そのときは装飾的すぎるなんて思ったのだが、なにか心を惹かれるものがあったんですね。数カ月後に原書を2冊買った。「Tborn
Rose」(眠れる森の美女)と「The Twelve Dancing Princesses」、どちらもグリム童話である。物語るところのイラストも素敵だけど、物語や目次の文字の部分を囲む花柄の装飾がなんとも言えない。中世的なのに現代風なのである。12人のお姫様が眠っている寝室の絨毯やカーテンの豪華だけど抑えた色彩、彼女らが踊るシーンのドレスの薄い色や襞、もう、ほんとに素敵です。茨に囲まれたお城の絵も素敵。
エロール・ル・カインは「アーサー王の剣」を最初に出版してから、10数冊の絵本を描いている。翻訳もけっこう出ている。わたしがいま持っているのはエリオットの詩を田村隆一が訳した「魔術師キャッツ」とコリン夫妻文、矢川澄子訳「フォックスおくさまのむこえらび」で、両方とも猫が出てくるので買ったものだ。(両方ともホルプ出版)
この4冊をしょっちゅう開いていたのだが、先日もう1冊「キューピッドとプシケー」を買ったので5冊になった。
写真:10周年パーティでいただいた花束