2001年7月
山城新伍が司会するサンテレビの映画の時間は、ときどきおもしろいのをやるので目を離せない。今日は「ダウンタウン」ってタイトルがいいよね。それで見ようと思った。出演者にアンソニー・エドワーズとあったので、もしかして「ER」のグリーン先生かと思ったが、映画の前に登場した山城さんが「トップガン」に出ていたというので、同名異人かとも思った。だって、グリーン先生がトム・クルーズといっしょにあの映画に出ていたとは思えなくって…。
映画がはじまったらやっぱりグリーン先生であった。だったら「トップガン」もそうだったのだとわかってよかった。
この映画では若くて青くて真面目でこっけいな役を演じている。フィアデルフィアの郊外の警官だったグリーン先生は真面目すぎて融通がきかず、ダウンタウンに左遷される。着いたところは黒人居住区で警察署もひどいものだ。着いたとたん車は解体されてしまう。そこでまず出会った黒人刑事(フォレスト・ウィテカー)につきまとって、嫌がられながら信頼を得ていくという典型的な刑事ものである。
黒人刑事の妻と子から信頼されると、ビーチボーイズを聴かせて自分の趣味に引っ張り込んで刑事から怒られたり、手錠をかけられて置いてきぼりされても執念でがんばってつきまとったり、笑わせながらカーチェイスもある映画。劇場未公開だがビデオはある。1989年、リチャード・ベンジャミン監督。
うちはBS放送を見ていないので「ER」がどうなったかと考えるのも停止している。放映がすんだあとで多分ビデオを借りてみることになるだろう、と思っていた。そこへ東京のKさんが【キャロルの双子が無事に生まれ、新しい仲間もなじんできたのに突然こんな悲劇が起こるなんて、神様も、マイクル・クライトンもあんまりです!】というメールをくださった。こちらはチンプンカンプンで、双子を産んだキャロルがどうかしたのかと聞いたところ、録ってあったビデオを送ってくださった。見たら、違ってた。大きな悲劇はバレンタインデーの夜、真面目に働いていたルーシーとカーター君に襲いかかってきた。医師たちの必死の奮闘でカーター君はもどってきたが、ルーシーはもどってこなかった。
うーん、俳優が何年かの契約が終わるところで、どういう終わりかたにしたらいいか、脚本家と相談したのではないか、という冷めた見方をわたしはしてしまったけど…。
だいぶ前だけど、医師のスーザンをやってた人は実生活で忙しい俳優生活を降りたんだっけね。それでスーザンはマークをおいて田舎のほうへ行ってしまう結末になっていた。ルーシーはどうだったのかな?
久しぶりに「ER」を見たら、レギュラーだと思っていた人たちもけっこう変わっているんでびっくりしたわ。
昨日はヴィク・ファン・クラブの例会日だった。今回もにぎやかな新人が加わって女性5人で大いに盛り上がった。例会に使わせてもらっているシャーロック・ホームズはダーツで有名なお店で、お店の半分はダーツをする人たちでにぎわい、あとの半分の一角をわたしたちがしめている。昔わたしがこの店に来はじめたときにいたダーツの人と久しぶりに会ったら、「相変わらずお元気ですね」と言われてしまった。声が大きいうえによく笑うんで目立ってしまうみたいだ(笑)。
今日の日曜日は、手作りせっけんのツ・ジャンさんのサイトを開いたお祝いをシャーロックホームズでしょうと、わたしら夫婦とツ・ジャンさんの3人で西日があたる前に出かけて、ゆっくりと夏の夕方から夜を過ごした。ここの生ギネスは続けて飲んでもおいしい。
彼女と知り合い、ホームページを作ることになって、わたしは手作りせっけんのいろんなことを学んだ。そして半年経ち、今日ネット販売の開店祝いにこぎつけた。
ツ・ジャンのサイト見てくださいね。VFCのサイトと同じデザイナーが作っています。URLは、http://www.sgy2.com/tujan/
このサイトを見て手作りのせっけんに興味を持たれたら買って使ってみてください。
聞いてください。これはわたしが本当に体験した話です。
いまから十数年前、わたしたちは新町一丁目のエレベーターのない四階建てのビルの三階の二部屋を借りて仕事をしていました。三階には片側に廊下があって五つの部屋が並んでおり、突き当たりが301、わたしの部屋は302と303、隣りの304号室には立派な株式会社名がついていて、Wさんという男性が毎朝セールスに出て夕方もどっていました。昼間は女性が一人留守番に雇われていました。朝と夕方、共同トイレか台所か廊下でWさんに出会います。挨拶と「暑いですね」とかなんとか、そんな毎日が十年くらい続いていました。
ある年のお盆過ぎ、真っ黒に日焼けしているWさんに「海に行きはったんですか」と尋ねたら「グアムに行ってきましてん」と答えて誇らしげでした。廊下が狭いので、出会うとちょっと体をひいてにこっとされるのです。
その翌年の夏のことです。黒い顔をしたWさんは元気がなさそうです。しかも不機嫌でにっこりもありません。どないしたのかなと思っていました。
お盆休みがすんで仕事に出ていったわたしは、トイレの帰りにWさんと廊下で出会いました。以前のように体をひいて「こんにちわ」という感じでにっこりされました。あとで考えたら言葉はなかったですね。それも朝でも夕方でもなく、お昼ごろでした。あれ、セールスに行かないのかな、とふっと思ったのを覚えています。
それが、なんということでしょう。Wさんはお盆前に肝臓癌で亡くなっておられたのです。それじゃあ…とわたしは真っ青になりました。この部屋の外の廊下で会ったのはなに? お盆休みという区切りがなければ、日にちの間違いと思うでしょう。でもしっかりお盆休み後に会ったのです。いつものはにかむような笑いは十年間も見てきたものです。留守番の女性に亡くなったときのことを聞きました。入院していても仕事を気にして、起きると言ってきかなかったそうです。そんな執念が形になって廊下に現れたのかもしれませんね。その後304号室に入居した人は長続きしないのです。隣室が空き家になっているときは、わたしたちも夜が怖くて残業ができず困りました。
辻邦生の「微光の道」に吉田健一について書いているところがあって、しかも「東京の昔」が出てきたのでうれしくなった。わたしは吉田健一の本の中で「東京の昔」がいちばん好きなのだ。「金沢」もいいけど、ちょっとかっこつけているような気がする。しかし、こう思っているのは、だいぶ前に読んでの感想で、いま読めば違っているかもしれないから断言できないけど。
「東京の昔」は毎年出してきて読んで、しかもその度にいいなあと思う。どこがいいんんだろう。
主人公は30歳を過ぎたくらいの独り者。本郷で下宿していて定職はなく、横浜でコーヒーを仕入れて東京の喫茶店に卸したり、中古自転車にちょっと細工して新品に見せかけて売ったりしている。そのころの東京はそんなことで暮らせたらしい。寒い夜におでん屋で角の自転車屋の息子の勘さんと会い、そこの熱燗のとっくりを10本あけて勘さんを感心させ、それから神楽坂のバーでウィスキーを飲み、そのあとは顔見知りの待合いへ行ってビールと日本酒を朝まで飲む。とことんお酒を飲む快楽をわからせてくれて最高。
その次におでん屋で知り合ったのは東大生の古木くんで、こっち(と自分のことを言っている)がちょっと話を合わせてプルーストのことなんかを言うと、あれって感じでインテリどうしの対話になっていく。そして外国で暮らしたことのあるこっちは古木君を銀座や横浜へ連れて行く。レストランやバーなどの場所、そしてそこで交わす二人の会話が西洋を意識したものだけれど、嫌味でないのはさすが。
こっちは別々に知り合った若者をおでん屋で引き合わせる。一方勘さんは新しい自転車を考案したが、どうしようということになり、こっちは昔家庭教師をしたことがある金持ちの川本さんを引き合わす。自転車の完成と川本さんを引き合わせて目途がたったことで、下宿でお祝いをするが、下宿のおしま婆さんが二人にご馳走をつくってくれる。お刺身なんかと、「ここのおからには小えびが入ってる」というおからも出てくる。(だから、我が家のおからにはいつも小えびが入っているのさ。)
また、ヨーロッパにあこがれていた古木君は、こっちの紹介で川本さんがフランスへ行くときに秘書のような役目で同行することになる。
それだけのストーリーなんだけど、冬から次の春への一年間、まだのどかな時代の東京、そして若者が一人前のおとなであった時代がのびやかに書かれていて気持ちよい。
チリンという風鈴の音で夜中目を覚ました。ベランダへの戸を開けっ放しで寝ているけど、ベランダには洗濯物が干してあるので、外の明かりが入ってこないから真っ暗。蚊取り線香の煙がたなびいている。そこへチリンと音がしたのでぞっとした。お菊さんとかお露さんとかお岩さんを一瞬思いついたが、そうそう、風鈴だったと思いなおした。夏は怪談、と言いつつわたしは暗いところが苦手なのである。
数年前に吊っていた風鈴はガラス製品でよく音がなりすぎて困って処分してしまった。8階だから風が強くてなりすぎる。あんまりチャラチャラなると近所迷惑だよね。
今年もらったのは南部鉄であんまりならないが、なると音がきれいだ。かたちがヘンなんだけど音のよさでうちの夏の常備品になりそう。
昨日「潮風のサラ」のことを書いたら、さっそくNさんがメールをくださった。わたしが書いているのはその1・2年後に放映された「続・潮風のサラ」なのだそうだ。「潮風のサラ」は【かんじんのジェイコブが実は前の奥さんの死を乗り越えてなくて、サラを迎える心の準備ができていなかった…】というテーマだったそうだ。知らんかったなあ。そういうことがあって、理解しあったところに旱魃があったわけだ。それでついに雨が降ってメイン州まで迎えに行く、というところで「続・潮風のサラ」は終わった。
そこで「潮風のサラ・冬の終わり」になるわけだ。1918年のカンザスの農場で暮らす一家、サラとジェイコブの間に生まれたキャシーは6歳くらいかな。ケイレブとかくれんぼをしているときに納屋に隠れていた老人に父親の名を聞かれる。サラと子どもたちにジョンと名乗った老人は疲れているので、長女アンナの部屋に寝かす。アンナは看護婦として医師のところで働いている。戦争に行っている医師の息子と婚約中みたいだ。ジェイコブが帰ってくると、老人は父親だと名乗る。母と息子を捨てて出ていった父親を許せないジェイコブと、祖父として喜ぶ子どもたちの間で、サラはなんとかして父子の間を取り持とうとする。しかし2人はケンカし、はずみでジェイコブは怪我をして当分動けないということになる。
嵐の中をケイレブが夜中に馬(だったと思うけど)のお産が近いのを心配して厩へ出かけていく。帰らないので心配してサラが見に行くが、嵐の中で倒れてしまう。凍死するところをようやく助かり、ジェイコブも治ってきたので、父親は出ていこうとするが…。あとはおわかりでしょう、ハッピーエンド。
グレン・クローズとクリストファー・ウォーケンは農場の夫婦がぴったりとはまっているが、今回はちょっとやりにくそうなウォーケンであった。父親にジャック・パランスというのは考えたなあ。彼を出そうと思って脚本書いていたりして。なんてったって「シェーン」の悪役が印象に残っている。「バグダッド・カフェ」もいい味出してたよね。アップが多いこういう役で、いかにも苦労してきた善人という感じがして悪くない。
1910年ごろ、メイン州の海辺で育ったサラは兄が結婚したので、出ていくころだと思っていた。ある日「たすけを求む」というカンザス州の農家の主ジェイコブの新聞広告を見て手紙を出す。手紙のやりとりのあと、サラは行ってみることにした。「汽車でまいります。黄色の帽子をかぶっています。わたしはのっぽで、ぶさいくです」という手紙を受け取ってジェイコブは馬車で駅に出迎えにいく。サラは猫のあざらしちゃんをバスケットに入れてやってきた。農園には妻に先立たれたジェイコブと娘のアンナと息子のケイレブがいた。ケイレブはすぐになついたが、アンナはなかなか気を許してくれない子だった。サラは2人の子どもに池で泳ぐことを教える。子どもになつかれてうれしいが、でも、サラは海が恋しい。ジェイコブは乾し草の山を砂浜と言ってすべらせてやる。
嵐の来る前には屋根に登って補強する大工の腕もたしかだ。嵐の夜は家畜小屋で馬と羊と牛と犬と猫と鶏と一家4人で過ごす。「わたし、もう大丈夫みたいよ」とサラは言った。
馬車の乗り方を覚えた日、サラは一人で出ていく。夕方、心配する子どもたちの前に海の色の鉛筆を買って帰ってきた。2人は結婚する。
ここまでが「のっぽのサラ」で、その次がテレビドラマ「潮風のサラ」になる。サラにグレン・クローズ、ジェイコブにクリストファー・ウォーケンという豪華な顔ぶれ。干ばつにおそわれて大地は干上がり、周りの人達が去っていく。めげずにがんばる一家だが、火事になり、ジェイコブはサラと子どもたちをメイン州のサラの故郷へ行くように頼む。
メイン州ではサラの兄夫婦、3人のおばさんがおり、そして海がある。陽気な日々、しかしサラの心は農園にあった。サラは妊娠していることに気づく。
クリストファー・ウォーケンが雨を待っているときの目つきがすごい。そしてある日、農園に待望の雨が降る。ジェイコブはみんなを迎えにメイン州に行き、生まれてはじめて海を見る。
先週と2回にわたってNHKで「潮風のサラ・冬の終わり」が放映された。パトリシア・マクラクランの原作のこのドラマのもともとは「のっぽのサラ」で、1985年にアメリカで出版されている。わたしは図書館のヤングアダルトコーナーで翻訳書(福武書店)を借りて読み、よかったので買って何度も読み、ずっと大切にしていたのだが、友だちの子どもにあげてしまって、いまは手許にない。
いまこうして書いているのは、そのころ「キャットクラブニュース」という小冊子を発行していて、その版下が残っているからだ。1993年5月10日発行の創刊号は手書きで、B4を8ページに区切ったもので、折り畳むと13センチ×9センチの可愛い手帖風になっている。それを毎月テーマを決めて発行してきた。9月までは手書きである。大胆にも下書きなしで即原稿を書いているのが自慢というなんともお粗末なものであるが、いま読むと「ほとんど毎日ページ」を彷彿させるものがある。猫に関する本や少女漫画や映画の紹介、猫の草の作り方なんかけっこうおもしろいので、いずれ再版しようかな。
「のっぽのサラ」特集号は1993年10月発行で、このときはマックで文字打ちし、本の中の挿絵をスキャンして入れている。文字数がだいたいわかってきたので、文章を適当に書いてあまったところに挿絵を入れたように思う。きれいなピンクとブルーの上等な紙をロフトで買ってきて使っていた。折り畳んだとき黒いコピーの文字がピンクとブルーの地にきれいに出ている。1994年2月号で終わってしまったのは残念至極だが、やっぱり小冊子を個人で出すのはしんどい仕事だったと思う。
この「キャットクラブニュース」を自分でホームページに、というのが悲願で(笑)、やろうとしかけたこともあったが、挫折してそのままになっている。
昨日ワイルドターキーを久しぶりに飲んで思い出したんだけど、このウィスキーの名前を知ったのはロジャー・L・サイモン「ワイルドターキー」を読んだときであった。「大いなる賭け」で知った私立探偵モーゼズ・ワインものの2冊目の翻訳で、木村二郎さんが訳した本をはじめて読んだのもこの作家のものからだったと思う。
1ページ目からワイルド・ターキーが出てきてね。12月のある木曜日の朝5時に現れた男がワイルドターキーの【甘い匂いを吹きつけてきた】とある。そして注釈がついていて【キャリフォーニア・バーボンの銘柄】とある。そのあとにも出てきたから、当時(1977年)飲みたくて飲みたくて身もだえしたくらいだ(笑)。
ある夜ミナミのバー、カントリーで飲んでいたらカウンターの向こうのお酒の棚に七面鳥のラベルが見えた。もしかして? とご主人に聞いたらそれがワイルドターキーだった。たいして飲めもしないのにストレートでもらったが、高かったのを覚えている。その後阪神百貨店の洋酒売り場で見つけたのが10,000円だった。なにかのときに父親に買ってやったことがあるが、なかなか自分では買えなかった。カントリーに行ったときにはいつも1杯だけ飲んだっけ。いまはいいよねえ。8年ものが2,250円だもん。
さて、私立探偵モーゼズ・ワインは、別れた奥さんが旅行するので預かった子ども2人の面倒を見ながら仕事している。マリファナを吸いオナニーにふける新しい私立探偵の姿にびっくりし感動し支持しようと思った。このときに木村二郎さんの解説で、“クローゼットに隠されていた”という形容を知った。(オナニーという行為を)【ワインは、この寛大な時代に、クローゼットの鍵をあけて取り出したのだ。】
押入のミステリ箱から久しぶりに出してきたら、おもしろくて離せない。今夜も夜更かしの予感がする。その前に、新庄選手の4打席4安打を祝ってワイルドターキーで乾杯だ。
毎年暑い暑いと過ごしているが、今年ほどではなかったように思う。またまた今日は最高に暑かったような。大阪は36.5度って夜のニュースで言っていた。暑かったはずだ。
最近は晩ご飯の後に仕事やらなんやらをするので晩酌をしていない。今日は土曜日だし、一仕事片づいたので飲もうということになったが、長いことウィスキーを飲んでないので、心斎橋のマルシェまで買いにいった。いろいろ眺めた末にワイルドターキーの8年ものを買った。
ついでに大丸でアシックスのウォーキングシューズを買った。今年も真っ白な靴で歩けてしあわせ。それからぶらぶら歩いて生活雑貨やお茶やお菓子を買った。久しぶりに大荷物を持った。買い物は楽しい。ただ、外は猛烈に暑くて、建物や地下鉄の中はめちゃくちゃ冷えているのがかなわんわ。
夜は開け放した窓から涼しい風が入ってくる。久しぶりに飲んだウィスキーは甘い香りがしておいしかった。
今日は祝日だけど、今週はまだ1回しか行ってないのでプールに行ってきた。ここのプールは2階にあるのでガラス窓の外を電線が横切っている。そこに雀がとまっていたり、トンボが飛んでいたりするのが見える。向こう側が幼稚園で、庭にある竹の植え込みと桜の木が見える。その後ろはビル群だが、そのもっと向こうに今日は入道雲がもくもくとわいている。ちょっと人が多かったけれど、気持ちがよくて1時間水の中を歩いてきた。帰りに市岡の市場で鰺とお昼のパンを買った。
手作りパンの店のサンドイッチとクリームパンを食べながら、朝刊を開いたら「天声人語」の下にある本の広告に「平松洋子の台所」というのがあった。「ブリキの米びつ、・・・著者が愛してやまないもの・・・」という広告文だけど、ブリキの米びつって、そういうものなの? 実はうちもブリキの一斗缶を米びつにしている。これってもしかしておしゃれなことだったりして(笑)。
今日の夕食は、麦飯、鰺の塩焼き、焼き茄子、揚げと菜っぱの味噌汁、トマトでした。ある日の鬼平さんか、おまさと大滝の五郎蔵夫婦の晩ご飯みたいとはしゃいで食べた。
一昨年やはり木村二郎さんにいただいた「サム・ホーソンの事件簿1」でエドワード・D・ホックをはじめて読んだ。あの1冊ではエドワード・D・ホックという作家がどんな人かよくわからなかった。今回2冊目を読んですこしわかりかけたような気がする。
21の短編小説が収められているので最初から読んでいった。性悪な女が出てくる小説が多い。また、性悪な女にひっかかりそうだと思いつつひっかかる男の小説が多い。あらら…と思って読んでいくとやっぱりひっかかって抜き差しならぬところにいく。すべて終わりかたがいい。哀愁があって、人間てそんなもんだよなあって思わせる。
「夜はわが友」は深夜ソングライターがパトロールカーに乗せてもらっているときに、おかしなそぶりの金髪娘を見つけるが、彼女は街の大物の名前を言って死んでしまう。
「秘密の場所」はおじさんが事故死したと聞いて両親とおじさんの農場に行った少年が知った事件の裏。禁酒法時代の話である。
「キャシーに似た女」は語り手が本屋で昔の女キャシーに似ている女性に声をかけ、それからつき合いがはじまる。彼はキャシーにだまされて刑務所に入ったことがある。同じタイプのローラにまたもや利用されてしまうのだ。
世界へヴィー級チャンピオンにおかしな招待状がくる「陰のチャンピオン」もよかった。
あとからフランシス・M・ネヴィンズ・ジュニアの序文を読んだら、エドワード・D・ホックは短編小説を書いて生計を立てている唯一の人物だそうだ。それで納得、うまい短編小説ばかりだもの。この本はすごく親切で、木村二郎さんの「(序文があるので)この解説は蛇足である」と言いつつ書いてある解説も勉強になったし、この二つを踏まえた村上貴史の解説もおもしろかった。(創元推理文庫 980円+税)
「リプリー」はストーリーがわかっているだけに見たくない気がしてね。なんかトム・リプリーが可哀想と思う気持ちがあるやん。最後を見るのはかなわん、みたいな。
ちょっと斜めにかまえて見だしたら、クレジットタイトルに「あっ」となった。すごーく新鮮で、あわてて座りなおしました。文字が出る部分の色が違っているところとか、文字の現れ方とかいろいろ感心した。
それとこれはジャズの映画なんやね。貧しいリプリーが金持ちのディッキーの親に頼まれて(これにもわけがあるんやけど)イタリアまで連れ戻しに行く。そのときにディッキーがジャズが好きなのを知り、にわか勉強で「マイファニーバレンタイン」を歌う練習をしたり、レコードを何枚か聴いて「バード」を知ったりするわけ。目隠しして聞いて演奏者を当てたりと涙ぐましい努力。そしてイタリアの酒場でディッキーとサックスを吹いたり歌ったりするシーンがあり、レコード屋に行くとモンクやマイルスがある。それから1958年のサンレモジャズフェスティバルに行く。ディッキーが生きていると実感するのはジャズをやっているときだけかもしれない。
評判の悪かったグウィネス・パルトロウは演技しているんやけど分が悪い。オトコマエの男3人がただならぬ雰囲気を漂わせているんやから。わたしの好みはどっちかと言えばピーターかな。リプリーを愛してるのにやっぱり殺されてしまうんやけど、そのときの愛の言葉が静かに変化していくところにぞくっとした。
「太陽がいっぱい」でも感じたんだけど、貧乏人は金持ちに近づかないように、自分の道を生きていかなあかんとつくづく思いました。せっかく貧乏を相続したのだから、金持ちにすり寄らず、自分が貧乏であることを認識して自分の行き方を決めなきゃね。
梅雨明けしてからうっとうしい日が多い。今日も午後になって突然強い風が吹いて雨が降ってきた。
今朝は今年はじめて窓の下の街路樹と、バス停の側の公園の2カ所でセミの声を聞いた。もちろんシーシーシーとやかましいクマゼミである。
昨夜は雨が降ったのだろうか。窓から見ると道が濡れているから、かしこい雨だったようだ。わが家では、夜降っていた雨が朝あがっていると「昨日の雨はかしこい雨だ。夜降って朝やんだ」と叫ぶ。このときばかりはなぜか標準語だ。東京に住んでいたときに家にあって、きょうだいの上のほうから下がってきた本だから、大阪住まいになっても標準語で言っていた。遊びにいく日曜日なんか大喜びで叫んでいたっけ。タイトルは覚えていないけれど、けっこう分厚いかっちりした本で、水たまりのそばにちっちゃな男の子が立っている絵に、その詩(?)がついていた。
この絵本にはもう一つ覚えている詩がある。「ぶたさん、ぶたさん、よく食べる。明日のぶんまで食べるのかい」というものだ。太った豚がせっせとご飯を食べている絵がついていた。これは子どもたちの食べっぷりを見ながら母親がとなえていた。
1975年知人に会うために自宅を出てから行方不明になったままの、元全米トラック運転手組合会長ジェイムズ・R・ホッファーの生涯を真っ正面から描いた映画である。知人と待ち合わせの店の前でホッファー(ジャック・ニコルソン)と側近のダニー・デヴィート(すみません、役名を忘れた)がいらついているところから映画ははじまり、回想シーンが時代順に現れる。
ダニー・デヴィートがトラック運転手をしていた1930年代、資本家側からのおどしにも屈せず、1台1台のトラックに組合に入れと呼びかけているホッファーがいた。ダニーはおどかされてホッファーとその子分に車を運転するように言われてついていく。彼らは組合に反対している店に放火し、その火で子分は全身火傷で死ぬ。それからダニーはホッファーの側近となる。マフィアに呼び出され脅かされるが、ホッファーは組合のためにとつっぱりながらマフィアと手を組むことは辞さない。
労働者を掌握するのがうまいし弁はたつしで、組合は発展していき、ホッファーはカリスマ的指導者として輝かしい会長になる。強引なやりかたを新聞記者に批判されると、即ダニーが記者に嫌がらせをして記事を抑えるところなぞ、マフィアと変わらないのだが。
組合費、積立金など大金が集まってくる。その金の運用問題で新しく司法長官に就任したロバート・ケネディに裁判の場に引き出される。エリートとたたき上げの対決である。ホッファーは言い逃れできるつもりだったが、取引の場に居合わせた者が裏切り、ダニーともども逮捕される。刑務所へ護送車が行く道をトラックが延々と並んで見送る。人気ある実力者に刑務所の待遇も悪くなかった。
10年後の1975年、刑務所から出て当然会長に返り咲くつもりのホッファーに役員達は冷たかった。そんなとき現会長が車に乗る前にちょっと人と話している間に車が爆発して吹き飛ぶ。もう生かしておけぬと思ったのはだれか。待ち合わせ場所には殺し屋が2人を待っていた。
1992年にダニー・デヴィートが製作・監督・出演。ジャック・ニコルソンのホッファーにはまりきった演技、ダニー・デヴィートのホッファーに心酔している男の演技が芯になって、アメリカの現代史を描き出している。
先日「マンハッタンで抱きしめて」という小粋なビデオを見て、ダニー・デヴィートに感心してしまった。それで関係している映画を調べたら「エリン・ブロコビッチ」の製作者でもあった。そうか、社会派のひとだったのかと気がついて、彼が製作・監督・出演の「ホッファー」を借りてきた。いま見終わったところなので、感想は明日書くことにする。
昨日滅多にないことにプリンタのインクリボンを切らしてしまって買いにいった。それからがたいへん、土曜日というのに深夜まで、今日の日曜日も1日中「VFC NEWS」の制作と送付にかかってしまった。いままでで一番ページ数が多い。11・12日と併せて深夜まで4日間かかったことになる。しんどいけど楽しいです。
夕方ようやく片づいたので、レバーをニンニク醤油につけておいたのを炒めて、野菜も炒めてビールを飲んだ。それからNHKテレビで北条時宗を見た。北条時輔をやってる渡部篤郎がいまうちでは人気なのだ。その後に「ホッファー」を見たら11時半になっていた。
夕立があったせいか、すこし涼しい風が吹いている。これからメールの返信するから、やっぱり寝るのは遅くなってしまいそう。
いつも楽しい「若狭だより」の新しい原稿がとどいた。タイトルは「梅雨明けはいつ?」だが、内容は小浜の「くずまんじゅう」のおはなしである。おいしそうだがこればかりは送ってもらうわけにもいかず・・・しゃあないので、心斎橋まで行く用事があるのを思い出し、買ってくることにした。
ソニープラザの地下広場で記念切手を発売中とお知らせをもらっていたので、会報発送用にいくらか買って、今日のメインの用事であるナニワへ行った。プリンタのインクリボンを買おうとして、いつものを手にしてレジへ行ったら店員(男性)が「これはアルプスのマイクロドライですよ」と言う。「どういうことですか?」と聞くと、「普通のプリンタと方式が違いますから」と言う。「わたしはアルプスのプリンタを使っていて、いつもこのインクリボンを使っています」とゆっくりと子どもに話すように言ったら売ってくれた(笑)。この店員はオバハンなにもしらずにインクを買いにきたと思ったに違いない。
それで思い出したんだけど、先日NTTから電話(女性)があったとき「奥様ですか」と言うので、「はい」と答えたら、「インターネットをしている方をお願いします」ときた。いまどき奥様だってけっこうインターネットしていると思うけどなあ(笑)。
大丸で「くずまんじゅう」と晩のおかずに地鶏の焼き鳥を買い、ハンドバッグと小物の売り場をひやかした。ほしくてもガマン。それからパルコへ行き、4階の雑貨店AIDAでティーポットの気に入ったのがあったので買った。
心斎橋界隈は買い物客で大にぎわい。スターバックスなんて若者ですごかった。ここらの人だけ単純に見ていると「民の竈は賑わいにけり」って思えてくるが、お金のある人ばかり集まってきてるんやろね。
暑い、暑い、その上すごい湿度、まだ梅雨なんだろうね。昨夜は雨が降ったらしく、朝起きたら道路が濡れていたが、そのあとは猛暑プラス湿気のすさまじい1日であった。
午前中プールに行ったが、きつい日差しの中を歩くと喉が渇いてたまらない。帰って冷えたトマトを食べて、ようやくすっきりした。うちでは毎週完熟のトマトを1箱ポランの宅配に持ってきてもらう。料理にも使うが、そのままかじるのが美味しい。こんなのが畑とか庭になっていたらうれしいだろうな。
うちのアパートの1階に和食の店がある。そこの主人がビル側と街路樹の下にずらっと植木鉢を置いてハンパではない緑の楽園をつくっている。朝顔やふうせん葛などつるものはお店の窓にはいあがっているし、胡瓜が黄色い花を咲かせているつるもビルにたてかけた竹の棒をはい上がっている。紫陽花、芙蓉、松葉ぼたんも咲いている。先月は菖蒲も咲いていた。
その仲間にトマトの鉢もあって、実が赤くなりかかっているのを見つけた。もう少しで食べられるなあと眺めているところへお店の主人が出てきた。「トマトなってますねえ、もうすぐ食べられそう」と声をかけたら「こないだ、トマト1個盗まれましてん、ほおずきもひとつ盗まれましてん」と言う。大阪のどまんなかでトマト泥棒なんて、おかしくてご主人には悪いけど笑ってしまった。
暑い盛りに出かけた相棒がアイスキャンデーを買って帰ってきた。わたしも掃除機をかけ終わって汗だくだったのでありがたくちょうだいした。アイスキャンデーを食べるのは何年ぶりかなあ。何年前だったか若いカップルががばっと持ってきてくれたことがあって、その年は自分たちも食べ、猫にも舐めさせた。それ以来だ。アイスクリームはたまーに食べることがある。
若いときは夏に喫茶店に入ると、チョコレートサンデーやらフルーツポンチやら、アイスクリームの上に山のように盛り上げられた果物やチョコレートのが大好きでよく食べたものだ。いまはフラッペといわれて豪華になっているかき氷も好きだった。ユーモア少女小説を読むと「蜜豆」がよくでてきたが、あれは東京の風俗かな。大阪ではあんまり食べないよね。
天井にとりつけられた扇風機がゆっくりけだるく空気をかきみだしている喫茶店で、パナマの帽子をぬいでアケビのカゴといっしょに横に置き、ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。スカートが広がった赤い水玉のワンピース、素足に赤いサンダルをはいて…。ほんとにあった風景とは信じられないけど、ほんとの話よ。
わたしは何年か前にアズキのフラッペを食べておなかをこわした。それ以来クーラーが効いていると熱いものしか口にしなくなってしまった。サンダルをはかなくなってスニーカーばかりだしね。したいことはできるときにやっとかんとアカンね。
若い友人が携帯電話のストラップを送ってくれた。ビーズで編んだとってもきれいなものだ。入れてあった封筒と便箋もとてもおしゃれだ。お礼を書こうとわたしも気張ってレターセットを選んでいたら、アランジアロンゾのお魚が泳いでいる涼しげなのがあった。うん、これにしよう。そやそや、久しぶりにアランジアロンゾのサイトへ行こう。これが虫の知らせやってんね。
アランジアロンゾはずっと前はアメリカ村のビッグステップの2階に小さいお店があって、よく行っていた。心斎橋の東のほうに本店ができてからは若い子のあこがれのお店になっている。「若狭だより」の吉岡さん親子も去年行ったそうだ(「大阪での一日」)。うちからは歩いて行くには遠いので、わたしはこの本店に行ったことがない。たしかレターセットも東急ハンズで買ったものだ。
ところがですよ。いま見たら、えーーっ、アランジアロンゾがうちの近くにくるんやんか。今月26日に本店がお引っ越しで、今度はカフェもできるそうだ。地下1階がカフェで1階2階がショップだって。ふんふん、人生には突然たのしいことが起きることがある。
今朝の新聞に、エルサレムで指揮者のバレンボイム氏がイスラエルでタブー視されているワグナー作品を、聴衆との話し合いの末、アンコールで演奏した、と出ていた。賛成派と反対派がいて会場は騒然となったそうだが、バレンボイムが「ここからは私の責任で演奏したい」と言ったそうだ。8割以上の聴衆が残るなか、演奏したのは「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」だった。
ちょうどわたしは、先日からお気に入りのローズマリー・サトクリフの「トリスタンとイズー」をときどき開いて読んでいたので、うれしいようなへんな気がして新聞記事を読んだ。
サトクリフの「トリスタンとイズー」はケルト伝説を下敷きにしている骨太な作品である。前書きに「媚薬」を飲むという設定は、中世の物語作者が人妻であるイズーの愛を描くための言い訳ではないかと言っている。そしてこの作品では真実でなまなましいものを、そのまま書くために「愛の薬」のモチーフを削除したという。
この本でわたしの好きなことろは最後の章、トリスタンが死の床にいて、指輪をコーンウォールのイズーに持って行かせる。イズーは夫と国、王冠と名誉を捨ててブリタニーのトリスタンのところに駆けつける。トリスタンには「白き手のイズー」と呼ばれる妻がいたが、嫉妬にかられて、やってくる船の帆の色をいつわって言ってしまう。失望してトリスタンは死ぬ。やってきたイズーは白き手のイズーに「わたくしこそ、このかたの側に・・・」と言う。「それは果たしてどうでございましょう。けれど、たしかに、このかたは、わたくしよりもあなたのほうをはるかに愛しておりました」そしてコーンウォールのイズーはトリスタンの亡骸に口づけして彼女の心臓ははりさけ、二つの死骸が並ぶ。永遠の愛の物語だ。
わたしは「3日、3月、3年」という言葉が好きだ。若い人が就職したりすると、「3日、3月、3年ていうから、まず3日行ってみ」なんて言う。また、「3年やってみないとわからんよ」なんて言う。
プールに行きだして3カ月経った。と言っても、週に3回行ったのが1回であとは週2回である。しかも1回も行かなかった週が2度ある。ま、それにしても続いたものです。水中歩行とダイエット(ほんまにしてるよー、目方は変わらんけど)はまだまだ続けようと思う。体調もましになったみたいだし、半年行けばはっきりと効果が出るという話だからね。3月がすんだから3年を目指すぞ。
体操のほうは先月で辞めてしまった。プールと違って、みんなで同じことをするのがしんどくなってね。あれだけ体操、体操と騒いでいたのにさ。わたしには熱しやすくさめやすい部分と、ずーっとねばりよくやっていく部分と両方あるみたい。
ヴィク・ファン・クラブはずーっとやってるほうだ。もう10年だもん。しかし、ずーっとやってくつもりはなかった。ただ、いろんな人と知り合ったりケンカしたりしながら続けてきた。その過程が楽しかったんだよね。めんどくさいと思いながらも毎月「VFC NEWS」を作る。ページメーカー(パソコンのソフト)を少しでも使いこなせるようになったのは、毎月、ああしよう、こうしようと、楽しんで考えたせいだ。“実戦で学べ”“過程を楽しめ”だよん。
そして、今回山本やよいさんの本「わたしのボスはわたし」を読まれた2人から入会申込があった。このような新しい出会いがあることも、続けている理由だろうな。
わたしが辻邦生の小説を読んでいたのはかなり昔のことで、「夏の砦」を最初に読み、「背教者ユリアヌス」は雑誌連載されていたのを毎月楽しんで読んで、単行本も買って読んだ。
それからなぜか離れてしまっていたが、最近になって朝日新聞に連載された水村美苗との往復書簡「手紙、栞を添えて」で目を覚まし、毎日新聞に連載された小説「光の大地」を読んで感動し、いよいよ「西行花伝」を読もうと思っていたところだったが、1999年に亡くなってしまわれた。
「微光の道」は今年になって出た評論集である。前半は自作についてふれ、後半は読書について語っている。自作については、一応読んだもののこれから作品を読んでからまた参考にしようと思う。
読書については、こんなに文学への愛の溢れた人だったのかと感心するばかりだ。世界文学ではなにを読んだらいいかというベストテンみたいなのもあり、文庫本ベストもあり、なんとミステリベストもある。
日本文学のところでは、夏目漱石の「門」についての文章には目を開かされた。横光利一の「旅愁」は子どものとき読んだままだ、辻邦生の書いていることを考えながらまた読んでみようと思う。
外国文学のところでは、トーマス・マンの「魔の山」の中でドアをばたんと開けていた女性クラウディアのことなんか、読んだときのことを思いだしてほんとにうれしかった。(新潮社 1900円+税)
フレッド・アステアの映画はほとんど見たような気がしていたが、調べたらずいぶん見ていないのがある。気長に見ていこうと思っていた矢先に、図書館で「足ながおじさん」を発見した。見ているようで見ていなかった映画だ。原作は100回以上読んでいると言ってもいいのだが、こういうものを否定していた年頃に映画が上映されたのだと思う。横目で見ながら行かなかった覚えがある。
主人公の少女にフランスのバレリーナ、レスリー・キャロンを配したので、アステア扮する足ながおじさんが仕事でフランスへ行っときに偶然孤児院で見つけた娘になっている。
1953年の「バンドワゴン」はやはりバレリーナのシド・チャリシだったが、味をしめてまたバレリーナ出身にしたのかな。「バンドワゴン」のほうがダンスもストーリーも断然良かった。「バンドワゴン」の私立探偵が出てくるハードボイルドなダンス、あれは最高だ。何度見ても素敵。今回もちょっとあれに似たダンスがあったけれど、ちょっと物足りなかった。
長い間にわたって絶大な人気を保ってきた小説「足ながおじさん」の映画化だから、たいへんだったと思う。レスリー・キャロンを持ってきたのが成功だったんだろうな、って1955年製作の映画に言ってもはじまらんけど。
けっこう笑わせてくれたし、アステアのダンスもそこそこ見られたので見てよかった。この後にオードリー・ヘップバーンと「パリの恋人」に出ているが、カーディガン姿がちょっとおじんぽかったように記憶している。だって「足ながおじさん」56歳、「パリの恋人」は58歳のときなんだもん。すごい人だ。
「マジソン郡の橋」「モンタナの風に抱かれて」の脚本を書いているリチャード・ラグラヴェネーズが脚本と監督をしているというので借りてきた。中年の男女の恋を書いたら天下一品の人だ。映画館では上映されずにビデオになった映画で、地味だが味わいのある恋愛映画だった。制作したダニー・デヴィートがホリー・ハンターの相手役をしていて、しぶくて味がある。
ホリー・ハンターは看護婦の勉強をしているときに結婚したが、16年連れ添った医者の夫に若い女性ができて離婚。マンハッタンのマンションで一人で暮らしているが、夫にむかついて夜遊びしたりマッサージマンを呼んだり、むなしい生活をしている。ダニー・デヴィートはそのマンションでドア番とエレベーターの運転をしているイタリア男。娘が亡くなり妻は出ていって、バーを経営している兄の家でやっかいになっている。夜遊び帰りのごきげんなホリーが話しかけ、コーヒーを控え室に運んできておしゃべりの続きをする。そこへ賭けの借金取りが来る。やむなくホリーに、預かっていたガス代を無くしたと言って借りて払う。返すときに兄に借りたお金で上等のワインを持っていく。ようやるわ。
ホリーは下町のジャズバーで黒人の歌手と知り合い彼女と友だちになり、いっしょにレズビアンのディスコみたいなところに行ったりする。このへんのエピソードもなかなかうまいし、ダンスシーンもきれい。
2人は仲良くなり食事に行ったりするが、言い寄る男に女のほうは揺れている。このへん、イタリア男の面目躍如だ。背が低くて太っていて表情豊かで女に親切。だんだんかっこよく見えてくるところが不思議。
ダニーはイタリアの従兄弟と相談してトマトの缶詰の輸入をしようと、イタリアに行くのでいっしょに行ってくれという。ホリーはいまこの話を受けると、前の夫と結婚したときと同じ状況になるからと、断って、看護婦の道に進むことにする。
最後はさっそうと病院で働くホリーが夜ジャズバーに行ってみると、仕事に成功したらしいダニーが他の女性と来ていてキスを交わしている。これでよかったのよねって感じで終わり。
暑い、暑い、「言うまいと思えど今日の暑さかな」だれの句か知らないが、毎日口に出る。まだ梅雨明けしていないというのに、毎日太陽が照りつけて暑い日が続いている。今日の大阪は36.7度あったそうだ。あっそう、ふーんという感じ。暑くなりはじめた30度くらいのときがいちばん暑く感じられたような気がする。それに真夏と違って夕方になると涼しい風が窓から入ってくるしね。でも、そろそろクーラーつけないとパソコンが熱を持ってダウンするかもしれない。うちの夏支度はウチワとスダレと蚊取線香だから、パソコンは困っちゃうよね(笑)。
今日は月蝕だというのに曇っている。次の月蝕までだいぶ年月がかかるらしいから、今夜は雲にどいてもらいたいなあ。昨夜は11時半ごろには西向きの窓からめちゃくちゃ美しい光をはなつ満月が見えたのに、うまくいかないものだ。その時間が今日月蝕でいちばん月がかげる時間というのに。
と書いていたら稲光と雷、間髪をおかず雨が窓から降り込んできた。この雨があがれば涼しく眠れるぞ。と書いてテレビで「ゴッドファーザー3」を見ているうちに雨はやんでしまった。これくらいの雨じゃかえって逆効果だ。
人によってはあまり評価されない「マジソン郡の橋」(1995)だが、わたしは好きだ。達者な表情を見せる相手役のメリル・ストリープもいいけれど、恋する男のクリント・イーストウッドがとてもいいのだ。マジソン郡の屋根のある橋の写真を撮りに来て偶然知り合った二人の4日間がせつない。アメリカ兵とイタリアで知り合って結婚し、夫の故郷のアイオア州マジソン郡で農家の主婦をしているフランチェスカが、夫と子どもが農作物の品評会に行った留守に、たまたま通りかかったカメラマンのキンケイドに橋への道を教え親しくなる。
フランチェスカの故郷の街に行ったことがあるキンケイドと話があい、いつのまにか惹かれあう。蝋燭を灯して食事をし、ダンスをし、お風呂に入る。近所の人たちからおかしな男がいるから気をつけるようにと電話があったり、留守番見舞いにケーキを届けてきたりする。キンケイドが出かけた近くの街では不倫をしたらしい女性がつまはじきされている。フランチェスカは彼に惹かれているのに、世界中を旅した男がわたしなんかと・・・という気持ちで反発したりする。
最後に自分といっしょに来てくれと言う男の言葉に、もう少しで行くところを踏みとどまりフランチェスカは夫とともに家に戻っていく。雨に濡れて立っているクリント・イーストウッドの期待と絶望の表情が素敵。いくつになっても恋する男を演じられるクリント・イーストウッドだ。制作・監督・主演である。
「ザ・シークレット・サービス」(1993)では、大統領の警備にあたり、動く車といっしょに走って息を切らしていたシーンが忘れられないけど、若いレネ・ルッソと恋をしても似合うんやもんね。この映画は出演だけ。
今朝、今年はじめての朝顔が3つも咲いた。昨夜つぼみがふくらんできたので、ベランダのいちばん近いところに置いて寝た。朝目が覚めて戸を開けると大きな花が咲いていた。色がねえ、ちょっと青が淡くて白の部分が多くて期待はずれ。なんかしまりのない花なんですよー。土のせいかなあ、見本の絵はきれいな青やったんやけどなあ。でも、自分のものだと思うとやっぱりきれいに見えるっす。これも個性的でいいやんかなんて(笑)。続々とつぼみがついていて、蔓はどんどん針金にからまっている。これから秋までずっと楽しめそう。たった1本の朝顔でこんなに楽しむんだからいいよねえ。相棒は江戸時代の長屋のおかみさんみたいやと言うが、いいじゃあないの、楽しいんだから。
ミントが伸びて伸びて小さな紫色の花をいっぱい咲かせた。切り取って束ねて部屋に吊すといい匂いがただよっている。バジルもどんどん伸びて食べるのがおっつかない。白い小さな花が咲いているのを切り取ってコップに挿すといい匂い。猫の花子が好きやった匂いだ。今年は花子がいない2度目の夏だ。
去年ラベンダーをいっぱい送ってくれたOさんが、今年もまた送ってくださるとのこと。うれしい。ささやかな人生の歓びがいっぱい。
このページではつまらなかった映画のことは基本的に書かないことにしている。でも今回はクリント・イーストウッドの映画を連載してしまったから、彼の映画ならなんでもいいのかと思われてしまったら困る。今夜は勇んで映画館に行ってアジャーとなった映画のことを書くとしよう。
製作・監督・主演「ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場」(1986)
海兵隊の鬼軍曹に若手が反発するが、だんだん連帯感が生まれる。若者たちにとって初体験の実戦に出撃命令が出て、アメリカ軍人の勇気を見せる。クリント・イーストウッドの鬼軍曹とマーシャ・メイソンの元妻のところは芸達者どうしで見せるが、安易な作品だと思った。
「許されざる者」(1992)
これも制作・監督・主演である。しかもアカデミー作品賞・監督賞をもらっている。功労賞としか思われへんねんけど・・・。この映画はドン・シーゲルとセルジオ・レオーネに捧げられている、そのクレジット・タイトルにはじーんときたが。
「目撃」(1997)
これはねえ、会報「VI」に書いた「映画で夢見る、映画で目覚める」というタイトルの映画についてのエッセイを、もうすぐエッセイページにアップするつもりなのだけれど、これを読み直したら、「目撃」を見てすぐのときでね、ボロクソに書いている。これも製作・監督・主演。クリント・イーストウッドは昔気質の泥棒役で大統領の後援者夫人の宝石を狙って部屋にしのびこむ。留守の筈が大統領と夫人が入ってきて口論となり、夫人が大統領に怪我をさせ、シークレット・サービスが夫人を殺す。それを見てしまったクリントは・・・という映画。
時流にのったテーマで安易に作ってしまった映画という感じの3本であった。それでもみんな頑固な“叩き上げ”の主人公であるところが好きだ。
今日の朝日新聞家庭欄の「子どもの本棚」は5冊の児童書を紹介している。中の1冊が「おすのつぼにすんでいたおばあさん」、作者はルーマー・ゴッテンだからきっとたのしいお話だろうと、紹介文を読み出したら「貧乏だけど、幸せに暮らしていた、おばあさんと猫。」という書き出し。これはないで(笑)。ここで“貧乏だけど、幸せ”という言葉は、貧乏に関係のない人の言いかたやね。貧乏人が自分で言えばいいけど、貧乏でない人が貧乏な人のことをこう言うと差別語だ(笑)。
「ときどき、みんなは貧困を犯罪の一種とみなしたいんじゃないかと思うときがあるよ。ある意味で法律がすでにそうしているといえないこともないけれどね」と言ったのは、マイケル・ナーヴァ「喪われた故郷」の主人公、ゲイの弁護士ヘンリー・リオスである。(ミステリーページ「マイケル・ナーヴァ」を読んでください。)
わたしは“貧乏”という言葉に敏感である。かつて兄の一人がわたしの部屋を見渡しながら、「貧乏は相続するんやなあ」と名言(?)を吐いたことがある。その兄はちょっと貧乏から脱出したのが自慢であった。その人が「人生ははかない」と言い、わたしが「人生はたのしい」という会話がそのあとに続いたのがおかしい。わたしの場合は「貧乏だけど、幸せに暮らしている」と自分で言うとります(笑)。
ホームページをリンクでたどったいたら、「貧民日報」というサイトに巡りあった。「法政の貧乏くささを守る会」だってさ。いま学生さんたちに“貧乏”という言葉が流行っているとしたら、わたしは流行の先を走ってるなあ。