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kumikoのほとんど毎日ページ

2001年6月


茅輪をくぐってきた

今日で今年の半分はすんだ。そんなことぜんぜん気にしていなかったのっだが、夕方になって相棒が突然「6月30日〆切やった」と叫んだ。OSのグレードアップの申し込み〆切日が今日だとのこと。それから、あわてて申込書に記入して本局へ出しに行った。今日の消印がいるんですけどと言ったら、にっこりして「大丈夫です」と言ってくれたそうだ。最近の郵便局員は愛想がいい。
そんなことで、今日は6月30日かあ、今年も半分過ぎたのかって思ったわけ。そして、じゃ今年後半の健康を祈って土佐稲荷さんの茅輪をくぐってこなくっちゃとなった。
夜遅くなったんだけど行ってきましたよ。そろそろ11時になろうとしていた。深夜の神社はこわい。しーんとしてまるで「陰陽師」の世界だ。鬼が出そう。鳥居の辺に茅の匂いが気持ちよくただよっていた。輪をくぐって、ちゃんとお賽銭もあげて、ちゃらちゃらと鈴も鳴らした。
お稲荷さんだから石の狐がたくさんある。狛犬の代わりになっていたり、並んでたくさん座っていたりする。中になぜか大きなウサギがいる。まるい大きな石のからだで小さな池の前に蹲っているのが不思議。

2001.6.30

クリント・イーストウッドのジャズ映画

クリント・イーストウッドの作品記録を眺めていたら、「セロニアス・モンク/ストレート・ノーチェイサー」(1988)があった。わたし、これレーザー・デスクで持っていたんだけど、置き場所に困って大量処分したときに売ってしまったらしい。当時はあんまりジャズを聴く気がなかったみたいで、1〜2回見ただけだった。だったらなんで買ったんやろう。やっぱりモンクを見たかったと思うけどなあ。このLDがクリント・イーストウッドの製作総指揮とはいままで知らなんだ。たしかドキュメンタリータッチで演奏旅行に行くところや奥さんのネリーさんのインタビューがたくさんあったような記憶がある。同じ年に撮った「バード」とどっちが先だったんだろう。もう一度見たい。
クリント・イーストウッドのジャズ好きはあまねく知られるところだが、「バード」よかったよね。モダンジャズを生み出す苦悩と歓び、ジャズミュージシャンが生きていくことの苦悩がずっしりと描かれていて感動した。フォレスト・ウィッテカーのバードは太っていてチャーリー・パーカーの感じではないのに、これしかないというチャーリー・パーカーであった。奥さん役のダイアン・ヴェノーラもよかった。彼女の出演作ってたくさんあるけど、「バード」がいちばんだと思う。しかしすごく重いしんどい映画だから、LD持っているのに2回目を見るのに覚悟がいる。こっちの現実もしんどいからねえ、つい軽い映画のほうへ流れてしまう。
セロニアス・モンクとチャーリー・パーカー、一方はドキュメンタリーで、一方はドラマ。どっちもジャズの巨人を真っ正面から描いていて、クリント・イーストウッド、すごい人だ。

2001.6.29

クリント・イーストウッド「ガントレット」と「タイトロープ」

クリント・イーストウッドの映画をビデオで見るなんてごめんなさいである。去年のいまごろクーラーのきいた映画館で足を思いっきり冷やして体調を崩して以来、映画館にはご無沙汰している。映画に使うお金は体操とプールの費用その他に消えている。そんなわけで、「スペース・カウボーイ」をいまごろビデオで見た。
テレビで「ローハイド」を見たときからはじまるのだから、わたしとクリント・イーストウッドとの仲は長い。「フェイバーさん、フェイバーさん・・・」と舌足らずに呼びかけていたクリント・イーストウッドは、家族の嫌われ者だったが、わたしはわりと好きだった。可愛いと思っていた。いま調べてみたら1959年から64年である。64年にはヨーロッパに渡って「荒野の用心棒」に出ている。この映画はだいぶ経ってから日本にきたと思うけれど、マカロニ・ウエスタンはガラが悪いとやはり家族の評判は悪かった。わたしは断固支持していたっけ。すごんでいても愛嬌があったよね。
それからわたしには、いきなり「ダーティ・ハリー」だ。「マンハッタン無宿」や「アイガー・サンクション」はその後テレビで見ている。「恐怖のメロディ」「白い肌の異常な夜」あたりは、映画雑誌での評価を読んでから見たのでえらそうに言えないが、ユーモアのあるものも暗いものも、どちらも陰惨な感じを持っているところが、なんとも言えなくすごいと思う。ソンドラ・ロック共演の「ダーティ・ハリー4」だって、すごく陰惨である。これで娯楽映画かって感じだよね。
いちばん好きなのは、「ガントレット」と「タイトロープ」である。どっちも気の強い女性が出てきて、クリント・イーストウッドといっしょに闘う。彼の女性に対する考えかたを見せてくれるようでうれしい映画だ。特に「タイトロープ」のジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがレイプ救済センターの指導員になっていて、クリントと堂々と渡り合うところも、気遣うところもよかったし、いっしょに闘うところもよかった。若いときもよかったけれど、中年になって貫禄十分な上に愛嬌のあるジュヌヴィエーヴ・ビジョルドがよかったなあ。若いソンドラ・ロックとも合うし、同じ年格好の人とも合うしクリントって魅力あるよねえ。クリント・イーストウッド賛歌はまだまだ続く、後は明日。

2001.6.28

ビデオの映画「サイダーハウス・ルール」

ジョン・アービングの小説はまだ1冊も読んだことがない。原作を読んで映画を見た人は、全然違うと言っている。小説のほうがすごく深くてよいそうだ。でも、わたしは読んでないからしかたないし、これから読む気も起こらないので、映画の感想を書くことにする。
第2次大戦中、メイン州の村にひっそりと建つ孤児院で育ったホーマー青年(トビー・マグアイア)は医師のラーチ(マイケル・ケイン)の弟子として医学を現場で仕込まれる。孤児院はときどき養子にしようと人が来る。その度に可愛く振る舞って連れていってもらおうとする孤児たち。ホーマーは一度目は泣かない子ということで返され、二度目は泣きやまないことで返された。それからは孤児たちの兄貴であり医師の助手としてまじめに暮らしている。ラーチ医師は妊娠中絶をする医師として知られている。ある日軍人が恋人を連れて中絶手術を頼みにやってくる。かっこよく気持ちのよいカップル。その帰りにいっしょに車に乗せてもらい孤児院を出る。そして軍人の実家のリンゴ園で働くことにする。リンゴ園では黒人労働者たちがリンゴもぎの仕事をしている。いっしょに働きつつホーマーは外の世界に目を広げていく。中絶した女性は漁師の娘で、彼女の手引きで、生まれてはじめての海で、生まれてはじめてでっかいロブスターを見る。野外の映画上映場での語り合いなどでだんだん2人は惹かれあっていく。映画といえば「キングコング」しか見たことのないホーマーを仕込むのは楽しいよねえ。街の映画館へもいっしょに行く。
しかし、軍人に悲劇がおそい、また、リンゴ労働者の親子に悲劇が起きる。そしてラーチ医師にも悲劇的なまちがいが起こり、ホーマーは孤児院にもどっていく。
まじめでまっすぐな孤児院育ちのホーマーが世間を見て学ぶ。それを助けつつ助けられるシャーリーズ・セロン扮する女性もいい。この2人が良くて、最後はこういう結末になってよかったなあと一安心。
サイダーハウス・ルールというのは、リンゴ園の労働者が宿泊する小屋での禁止事項で、屋根に昇るな、タバコを吸うな、とかアホな数項目が書いてあり、字を読めるホーマーが読みあげると、労働者たちがそんなもんいらんから火にくべるように言い、ホーマーも納得して火にくべる。

2001.6.27

もう熱帯夜

昨夜は寝苦しかった。新聞を見たらもう熱帯夜だったらしい。つい2・3日前、先週の土曜日は寒いくらいだったのに。あの日は夕方からVFCの例会があるので、早めに家を出て「わたしのボスはわたし」の装丁をしている高橋氏のところへ寄った。彼のオフィスのビルにあるカフェでお茶をしたのだが、外は雨が降っていて、クーラーがちょっと寒いくらいだった。20年ぶりに会ったのだが、体のスタイルも生活のスタイルも昔とぜんぜん変わっていない人であった。
今年はなんだか旧友に会う年だ。10年、20年、30年ぶりの人と会っている。もう一人、やっぱり20年ぶりくらいに会いたい人がいる。今年中に会いに行こうと思う。
例会でも寒かった。大判のスカーフを持っていったので膝をカバーできたが、これからは上着を忘れてはいけない。今回はにぎやかな新人の登場で楽しかった。また、つい先日入会された会員が「先約があったのですみません」と言ってちょっと顔を見せてくれたのもうれしかった。VFCは発足以来そろそろ10年になるが、古い革袋に新しいお酒という感じで新人の入会がある。ありがたくうれしいことである。
6月24日の朝日新聞書評欄の「著者に会いたい」というコーナーに山本やよいさんのインタビューがある。やさしいお顔の写真も載っている。本にはVFCのURLも載せていただいているので、本を読んだ人から問い合わせがあるかもしれない。また新しい出会いがあるかもしれない。
昨日このページに映画「男と女」について書いた。文中「モンテカルロ・ラリー」と書くべきところを「ル・マン」と書いていて、さきほどNさんから間違い指摘メールをいただいた。さっそく訂正しました。ありがとうございました。

2001.6.26

テレビの映画「男と女」

クロード・ルルーシュ監督の1966年のあまりにも有名な映画で、音楽が大ヒットしたりしたが、わたしは今回はじめて見た。感想は「おもしろくて、よくできてる映画やなあ」である。映像がきれいだし、特に最後の場面で犬が海岸を走っているところがよかった。うれしくってたまらない感じで海岸の砂浜を踊るように走り、飼い主のそばへ戻り、また走っていく。生きる歓びの表現っていうのかな。
子どもを預けているドービルの寄宿学校を土・日に訪れて、子どもと遊ぶ男(レーサー)と女(映画の進行係り?)が知り合う。二人とも連れ合いを亡くしている辛い過去がある。その二人が心を寄せ合う。モンテカルロ・ラリーに出た男に、女が「愛している」と電報を打つ。レース後その電報を見てすぐ男はクルマを飛ばしてパリへもどるが、ドービルへ行ったと聞き、すぐに追いかけると二人の子どもと遊ぶ女の姿があった。男がクルマを運転しながらの独り言がおもしろい。まだ亡き夫が気持ちの中にいる女を列車の駅に送り、一人クルマでもどりかけるが、考え直してその列車の乗換駅まで先に行って待っている。女が列車から降りてくる。
生意気盛りの映画ファン時代に見落としていた映画、クロード・ルルーシュ監督を軟弱とか思っていたのだ。取り消します。
ジャン・ルイ・トランティニアンは大好き。若いときの「危険な関係」も中年になってからの「刑事キャレラ 10+1の追撃」も大好き。アヌーク・エーメ、多分彼女が初めて映画に出た「火の接吻」を子どものとき雑誌「スクリーン」で見て惚れ惚れしていた。フェリーニの「8 1/2」にマストロヤンニの奥さん役で出ていたよね。

2001.6.25

今日はお知らせ⇒トップページに「メニューを選択」をつくりました

VFCサイトはいま開設以来2年9カ月経ちました。もうすぐ3年です。どんどん内容は充実してきましたが、規模が大きくなり、読みたいとことにいくのがややこしいですよね。それでトップページに「メニューを選択」ボタンをつくりました。ここから直接選んで読みたいところに行けます。いままで気がつかなかった箇所があったりするかもしれません。「VFC Search」と併せてどうぞご利用ください。
お気づきのことがありましたら、「kumikoページ」にある「届けっ!」メールでご連絡ください。感想や励ましの手紙なんぞもいただけたらすごくうれしいです。

2001.6.24

図書館のビデオ「クロッカーズ」

スパイク・リーの映画を見るのは「マルコムX」以来である。骨の太い社会派の映画で、わたしはまじめに感動した。アメリカの都市の黒人の生活を真っ正面から捉えて、出口なしの状況を描く。冒頭のクレジットシーンでは、銃で殺された人たちの写真が、これでもかこれでもかと現れる。そのシーンも音楽もタイトルの文字もあか抜けていて、スパイク・リーの感覚は相変わらず鋭い。
公園でヤクを売っているストライクは列車の模型を部屋で走らせているオタクっぽい青年。親分にハンバーガー屋の店長を殺せ、殺したら代わりに店長にしてやると言われる。公園で商売するよりも、店で商売するほうがなんぼかラクであるためだ。怖ろしくなったストライクは兄に話してしまう。兄はこの街から抜け出そうと2つの仕事を掛け持ちして働く家族持ちのまじめな男である。
死体が発見されると、兄は自首して正当防衛だと言う。弟のために罪をかぶったと思った刑事はストライクを追いつめる。親分はストライクを殺そうと子分に命令する。ストライクになついていた少年が殺しにきた男を冷静に銃で殺してしまう。
最後に刑事がストライクを汽車の駅に送っていく。いままで模型の汽車に心を寄せていた彼が、本物の汽車に乗って窓から景色を眺めているところで映画は終わった。ハーヴェイ・カイテルの老練な刑事が、絶望的な状況の中で少しの出口を示そうとする。「テルマとルイーズ」を思い出した。

2001.6.23

VFCサイトの検索

検索はおもろい、そしておそろしい。昨日からヴィク・ファン・クラブの検索ができるようになったので、なんだかだと遊んでいる。さっきなにげなく入れてみた「トネリコ」だけど、なんでや、9個も該当ページが現れた。全部「kumikoページ」なんだけど、トネリコの文字が最初に記されたのは98年11月で、最新は2001年5月である。書くことがなくなったらトネリコのことを書いているんやないかと思われそうだ。
調子に乗って「kumiko」でひいたら65個、「久美子」が30個であった。「ドロシー・L・セイヤーズ」30個はさすが好きなんだってわかるなあ。ふん、フジミシリーズは4個かあ。
エッセイページに書いている人がサラ・パレツキーのページに読後感を書いている場合がある。わたしもサラ・パレツキーのページ、ミステリーのページに書いている。いままでそれぞれのページで別々だったけど、ここで検索したら各々が書いているものがまとめてわかる。そして一発でそれぞれが書いている場所にとべる。便利だー。ちょっとおそろしいけど。

2001.6.22

鯛のお刺身

昨日は美容院に行って白髪染めとカットをしてもらった。ちょうど入ってくるのを見ていた美容師の男の子が「今日の歩き方はすごく元気がいいですやん、前回までと全然ちがうわ」と言ってくれた。髪を染める係りの人が「顔がしまってきてる、表情が明るうなってる」と言う。お世辞でもありがたい。「今度来るときはもっと元気やで」と笑って帰ってきた。
プール効果が3カ月を待たずして現れたのかなあ。目方は減ってへんけど、筋肉がしまったきたのかも。わはは・・・愉快じゃ。それにダイエットかてしてるもん。おやつ食べてえへんし。
そんなもんで今朝は元気いっぱいで台所の掃除をした。約1年ぶりに食器棚を拭きあげた。体調さえ良ければマメがな人なんだなあ、わたしって、と自分で感心してしまった。考えれば体調を悪くしてから1年経っている。そろそろ治ってきたのかもしれない。これで喜んで去年の秋のようにはしゃぐとまたぶり返しそうだから、ここは慎重にしないとね。
ご機嫌の上に夕方九州から帰った隣人からお土産があった。今朝九州の海で穫れた鯛とアジである。鯛のお刺身をつくってアタマとアラはみそ汁にした。美味しかったよう。アジは明日の朝塩焼きにする。たのしみじゃ。

2001.6.21

歩く人

わたしが見ている限りここのプールで歩いているだけの人はいない。泳ぐだけの人、大股にさっそうと何往復か歩いて泳ぎ始める人がいる。歩いたり泳いだりしゃべったりの人がいちばん多い。その中のひとりが大声で言っていた。「ここに来たら嫁がおらんから、好きなことをなんでもしゃべれるから極楽や」なるほど、である。いまどきの姑さんはしんどいのだ。3・4人がグループになって大将が真ん中で前向き、あとの人は取り囲んで横歩きしながらしゃべっている。
新庄選手が最初のホームランを打ってもどってきたときのインタビューで、挨拶の仕方がわからないんだよね、と困った顔で言っていた。わかる、わかる、わたしもそんな感じで最初のうちは挨拶に困った。挨拶をしてもあとの話に加わりたくないからね。でもそんな心配はしなくてもよかった。いまは敬遠されつつある。なんたって最初から最後まで歩きっぱなしの人はいない。わたしだけが黙々と歩いている。泳げたらきっと泳いでると思うが、泳げないからしかたない。誰もそんなことは知らないから孤高(笑)の存在なのである。
着替えをしているとき「おたく歩いてる人やね」と聞かれた。また目立ってしもた。

2001.6.20

ドロシー・L・セイヤーズ「顔のない男」

「顔のない男」(創元推理文庫 780円+税)はこの文庫のドロシー・L・セイヤーズの短編集「ピーター卿の事件簿」の2冊目で、あと1冊「事件簿3」が出る予定だそうだ。翻訳の出ているのは全部読んでしまっているし、なにが残っているかを調べもしていなかったから、こうして新しく本が出ると、余分にプレゼントをもらったようでうれしくてしかたない。「事件簿3」には遙か昔、古本屋で買った「アリババの呪文」も入っているのだろう。新訳で読むのが楽しみだ。 
私はセイヤーズの長編小説ほどおもしろいものはないと思っている。でも創元推理文庫から出ている9冊とあと2冊「大学祭の夜」「忙しい蜜月旅行」(どうやら2冊ともこれから刊行されるもよう)を読んでしまっている。もう新しい長編を読む楽しみはないから、短編集でも知らなかったピーター卿に会えるのがうれしい。ピーター卿ミーハーとしてはとても楽しめた。
「顔のない男」には、7編の短編小説と実際にあった殺人事件について書いている「ジュリア・ウォレス殺し」と「探偵小説論」が入っている。いま小説を読み終えたところだ。小説は楽しいが、あとはちょっとめんどくさそう。でも、読むぞ。解説(真田啓介、詳しくて勉強になった)を読むと、「探偵小説論」はセイヤーズが編集した探偵・怪奇小説の傑作集の序文として書かれたもので、非常にすぐれたものだそうだ。
いつだったか突然本格ものを読みたくなって、わたしは実は国書刊行会から出ている本格探偵小説全集を買っているのだった。これを機会に読もうかな。

2001.6.19

奇怪なゴムの木

ゴムの木というと濃い緑の葉っぱが繁った、色気のない木を思い浮かべるでしょう。うちのは違う。去年の春が来る前に、靱公園横のおしゃれな植木屋さんで買ったもので、若緑色の小さな(2×5センチ)葉っぱが数枚ついて、高さが20センチくらいだった。「これからどんどん伸びていきますよ」という言葉につられて楽しみにしていたら、春になったら2枚ずつ葉っぱが生まれてきて大きくなっていく。あれまあ、と思う間に10×15センチの葉っぱになった。あわてて大きい植木鉢に植え換えた。夏は暑すぎてそのままだったが、秋から冬、部屋の暖かさがよかったのか、毎月葉っぱが生まれてくる。真冬はおとなしかったが、春になったらまた葉っぱが出てきて、15×23センチの葉っぱが数枚ある。木の高さも1メートルを超えようとしている。
こんなはずではなかった。おしゃれな若緑色の小さな葉の植木と思っていたのに、なんじゃいなである。かさだかいったらありゃしない。なんて言いつつ、けっこう可愛がっていたりしてね。

2001.6.18

お風呂のたのしみ

山本やよいさんの「わたしのボスはわたし」を読むと、なつかしい時代のヴィクに出会える。疲れて帰ってお風呂に入って黒ラベルを飲むところなんか、ヴィク・ファン・クラブのメンバーのいちばん好きなところだ。関東方面の男性会員が大阪で開かれている例会に出席されたとき、家ではできないからと、ホテルでお風呂に入って黒ラベルを飲んでみたと笑っておられた。
わたしもお風呂が好き。たいてい半身浴にして長時間入る。たくさん汗をかいてツ・ジャンの手作りせっけんで洗うと肌がすべすべになる。ときどきツ・ジャンからもらう手製の入浴剤を入れるともっとすべすべになる。
朝湯も好きでときどき入る。「温泉に行くわけでなし、このくらいの贅沢ええわなあ」なんて言い訳しながら入っているが、ほんとうに贅沢な気持ちになる。
わたしはアレルギー症で蕁麻疹になりやすい。冷えたときのあと、暖かくなったときがあぶない温熱蕁麻疹なので、なったときはもちろん、なりそうなときも、ぬるいお湯に長時間つかって芯から温めることにしていえる。

2001.6.17

わたしの大阪地図

わたしは地図を見るのが好きである。でも地図を読むのが苦手で、これから行く場所の地図をしっかり見て、コピーをとって道順を書いて出かけても、たいていトンチンカンなほうへ行ってしまう。強度の方向オンチであり、場所を肉体化できないうちは迷うのが当たり前なのだ。
いま行ってるプールの場所もそうで、最初と2度目は途中で帰りたくなったくらいだ。それがいまは行き慣れて、道草くったり買い物したり回り道したりと地図が肉体化してしまっている。そしたら今度はいまいる場所がどんなところか確認したくなった。バスで弁天ふ頭を通るとき、左折してしまうのだが、まっすぐ行けばどこなんだろうと思う。じっとバスの窓から見ているとカラフルな建物が複数見える。あれはなんだろう。地図を広げたら、なんと天保山運河があって、その対岸は天保山で建物は海遊館なのだった。
それで、ようやく住之江区、大正区、港区、此花区と大阪湾に面した区がつながっているのを理解した。海遊館の向こう側(安治川河口を渡る)にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがある。

2001.6.16

カズオ・イシグロ「充たされざる者」

ああ、早くこの本を読んでおけばよかった。上下2冊の長さに日和ってしまい買わなかったことが悔やまれる。完成度が高い「わたしたちが孤児だったころ」を先に読んだので、ちょっと長すぎると思ったのだけれど、これはやっぱりこの長さが必要な作品だと思い直した。しかし、「わたしたちが孤児だったころ」は集中して読めたけど、こちらはだーっと読めず、ぐだぐだと2週間かかってしまった。
読み出したとき、これはベルイマンの「沈黙」だと思った。と言っても「沈黙」を見たのは何十年も前のことで、ほとんど覚えていない。ただ、これは「沈黙」だと思っただけだ。
高名なピアニストのライダーは小さな町に講演と演奏のために訪れるのだが、これがただの演奏旅行ではなく、町の人たちは救世主のように彼を迎える。最初についたホテルで年老いたポーターのグスタフが荷物を持ってくれるが、エレベーターの中でも下に置かずに持ったままで話をはじめる。話が延々と続くので、荷物を持ったままのグスタフがしんどかろうと読むほうはイライラしてしまう。読み進めばこのイライラは序の口であった。行くところ、行くところで、「ライダーさま」と呼びかけられ話しかけられる。どないするねんなとイライラする。
いっしょに行ってほしいと言われると、嫌だとは言わずに引き受けて、動き出すとその行為の途中でまたなにか頼まれるという具合。また、頼まれるときの事情説明の長いこと。グスタフの娘と孫に会ってほしいと言われて会うが、その2人がまるで妻と子のようなところもありなのだ。わたしはライダーさまといっしょに2週間引き回されて疲れてしまっただ。
ライダーが行くところ行くところにいっぱいドアがあって、ドアを開けると違う風景や人物が現れる。シュールな小説と言ったらいいのだろうか。

2001.6.15

図書館の映画「苺とチョコレート」

最近図書館で借りるビデオはアタリが多い。今夜の「苺とチョコレート」はその中でも抜群によくて、最後には涙が出た。1993年のキューバ、メキシコ、スペイン合作映画で、1996年に亡くなったキューバのトマス・グティエレス・アレア監督の作品である。
キューバの大学生ダビドは、革命のおかげで農村から大学に入れたことをありがたく思っている真面目な共産主義者だが、裕福な暮らしをのぞむ恋人にふられてぼーっとしている。その様子を見たゲイの青年2人が、彼を部屋に入れてみせるという賭をする。うまく誘われてダビドはアーティストのディエゴの部屋に行ってしまう。ディエゴはジョン・ダンの詩を教え、ロルカ、オスカー・ワイルド、ジイドはゲイだと言う。
ディエゴはダビドを愛するが、絶対ゲイはいやなダビドは断りつつも、インテリのディエゴと共感するものを感じていく。つきあっていくうちに、反社会分子のディエゴを見張っているナンシーという女性と3人の友情がなりたっていく。
おとなしくしていれば、この国にいられるのだが、ディエゴは踏ん張って芸術活動をしようとがんばり、亡命するしかなくなる。ダビドはナンシーと愛し合い、オンナはいいとディエゴに言い、2人は笑いあうのだが、そんな2人が別れのときにきつく抱き合うシーンがすっごくよかった。2人ともいいオトコなんだけど、特にディエゴが美しくて気に入ってしまった。
軽いタッチで楽しく見せながらもテーマは重い。革命政府の全体主義に対抗するアーティストとしての少数派であり、人間社会の中でのゲイという少数派でもある人間の愛と闘いを描いた映画であった。

2001.6.14

気ばかりせいて

わたしは自他共に許すせっかちである。なんやかやと毎日気忙しい。と言いながら自営業のありがたさ、ときどきベッドに横になって寝てしまうので、気がせくわりに用事が片づかない。用事をしながら他のことに気をとられて、最初の用事がをおろそかになったりすることもしばしば。たまにテレビをつけても、テレビを見ながら新聞を読んでしまうし。その上、メールに呼ばれると(1時間毎にメールが入ると音がするように設定してある)途中まで読んだ新聞を持ったままパソコンに向かうので、ゆっくり飲もうと思って入れたお茶がさめてしまう。
そんなせっかちオンナではあるが、小説を読んでいるときだけは別な時間が流れているような気がする。電車の中でもバス待ちでも、どんなうるさい状態でも本の中に入り込める。いちばんの快楽はたまに喫茶店で本を読むときで、熱いコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を開くときほど幸福なときはない。
毎月10日から15日まではVFCのニュースづくりと発送に追われるので、本がなかなか手にできない。カズオ・イシグロ「充たされざる者」上下を手にしているが、いつ読み切れるやら。今月も文字がぎっしりとつまった「VFC NEWS」A4で22ページ、もう少しだよん。

2001.6.13

バジルがあればイタリアン

1週間お休みしていたプールに行った。プールに入っているときは気分が良かったし、45分間連続で歩いて、いつもと同じような快い疲れを覚えたのだが、帰ってきたらどっと疲れが出てきて、昼食のあと足湯をし、ががっと寝込んだ、2時間も。はじめてプールに行った日と同じだ。
睡眠不足も解消したらしく、目が覚めたら気分壮快! しゃきしゃきとパソコンに向かった。今日はメールがたくさんとどいている。山本やよいさんの本「わたしのボスはわたし」の装丁をしていらっしゃる高橋秀夫さんからのもあった。本をいただいて装丁者の名前を見たときに、たしか知ってる名前だと思った。先日お会いした編集の松井さんに尋ねてみようと思っていたところだった。20年くらい前に仕事のつき合いがあり、仕事だけでない共通の知り合いもいた人である。人の縁はおもしろいとつくづく思った。
ベランダの植木鉢でバジルが大きくなった。さっそく大きい葉っぱを2枚切り取ったら、バジルの独特の香りがただよった。乾燥したのとは違う新鮮な香りである。
晩ご飯はフランスパンを買ってきたので、今日は簡単に炒めものですませよう。少々の豚肉とブロッコリー、ニンジン、タマネギを炒め、春雨があったので入れ、あとトマトとバジルを入れて炒めた。なんかわからんが簡単イタリアンである。晩ご飯は早めに軽く食べ、その後はなにも食べない。慣れたらできるものだ。でも、目方はいっこも減れへんのは、なんでやろ。

2001.6.12

バーネット「秘密の花園」

わたしは子ども時代を「小公女」を読むことで生き延びてきたと最近とみに思う。関東から関西へ、また関東へ、また関西へと小学校を転校したのだからきつかった。きつい環境を生きているとき、主人公セーラ・クルーの「あたしはプリンセスなんだから・・・」という言葉を自分に置き換えて、わたしは子ども時代を生き延びてきた。
しかし、最近は同じバーネットなら「小公女」よりも「秘密の花園」のほうが好きになっている。手のとどくところに置いて、お気に入りのところを読む。何度も読んだのでわかっているけど、また同じところを読む。
メアリー・レノックスはインドで生まれて育ったが、両親がコレラで亡くなったあと、イギリスのヨークシャーのおじさんのところに引き取られる。“つむじ曲がりのメアリー嬢”と友だちにバカにされて歌われた意地の悪い女の子が、イギリスの田舎のお屋敷でどう生きていくのかとまず興味をひかれる。妻を亡くしたおじさんは陰気で話しかけてはいけない存在だ。いつも旅行して歩き、この屋敷にいるときは部屋に閉じこもったままなのだ。
部屋が100もあるお屋敷に住んでいるうちに、メアリーは秘密の花園の存在を知り、駒鳥に助けられたりして花園の鍵を手に入れる。女中の弟のディコンは動物たちと話ができる自然児で、一緒に花園を生き返らせるために働く。
夜中に泣き叫ぶ声の主を探したら、それは屋敷で隠されるように養育されている従兄弟のコリンだった。コリンはいずれ背中にこぶができるという恐怖にさいなまれている。コリンの話し相手になり、医者や召使いに内緒で秘密の花園に連れて行き、新鮮な空気と太陽を与える。大人相手に策謀をめぐらす少年少女がかわいい。ブサイクだったメアリー嬢もだんだん顔色がよくなってきれいになっていく。
ディコンの母スーザンが花園へ牛乳など栄養のあるものをとどけてくれることになり、体操したりしてコリンはどんどんよくなっていく。スーザンが父親に屋敷にもどるように手紙を書き、父はもどってきて元気になったコリンと花園で出くわす。
まあ、なんというか、ええかげんな話やねんけど、ヨークシャーの自然と大きいお屋敷、そして誰も入り口を知らない秘密の花園と道具立てがそろっていて何度読んでも楽しい本だ。

2001.6.11

図書館のビデオ「トゥリーズ・ラウンジ」

最近の図書館のビデオの棚には気になる映画がけっこうあってありがたい。今回借りた「トゥリーズ・ラウンジ」(1996)もそうで、“ありきたりな毎日の、イノセントな瞬間”という言葉に惹かれて借りてきた。最近は新作情報をほとんど知らないので、タイトルや惹句に惹かれたりて借りてくる。みごと駄作にひっかかる場合もあるけどね。
監督・脚本・主演のスティーブ・ブシュミは解説で「ファーゴ」のあの男とわかっただけだったが、解説の雰囲気からして、なにかあるだろうなって感じがした。
映画がはじまるとトゥリーズ・ラウンジというバーが道から見える。広い道に木が1本ぽつんと立っていて、ニューヨーク郊外といっても田舎なのだが、そこは南部や西部の町とは違う洗練された感じがする。しかし住人はだれもが顔見知りのようで息苦しい。
失業中でオンナもいない、バーに入り浸りの31歳のしがない男トミー、その元恋人といまの夫、友人たちがいる町で自堕落な毎日を送っているが、アイスクリームをクルマを走らせながら売る仕事をすることになる。そのクルマに乗り込んできて、アイスクリーム売りを手伝う17歳の少女デビーとバーで飲み、友人宅に連れて行くが、友人に帰るように言われ、自宅に連れて帰ったのが間違いであった。レスリングごっこなんかをやっているうちに、抱き合ってしまい、朝になる。それからがたいへん、デビーの父親に追い回され、アイスクリームのクルマは壊されるし、町中逃げ回るがつかまって殴られ大けがをする。ひどい顔で子どもを産んだ元恋人の枕元にいるところで映画が終わる。
“ありきたりの毎日”を撮っているんだけど、ちょっと古風でちょっとアンニュイな雰囲気がただよう。どうにもならん男のどうにもならん日常の中の、それこそ“イノセントな瞬間”を捉えることができた映画だ。スティーブ・ブシュミは自分で自分が主役の映画を作りたくて作ってしまった幸福な人のように思える。

2001.6.10

今日はお知らせ⇒「こども診療所だより」第6号の発行とホームページ

お知らせがおそくなりましたが、梅村こども診療所発行の「こども診療所だより」復刊第6号が4月に発行されました。ホームページもすでにアップされています。URLは http://www.sgy2.com/umemura/
この号も子育てに役立つ情報がいっぱいです。
山田真さんの病気についての連載は、“抗生物質は安易に使ってよいのか”というタイトルで、風邪の熱にも気軽に抗生物質を与えてしまう現在の医療について述べています。梅村浄さんの“予防接種について”のくわしいお話は第5回目で、最終回になりました。
“幼児期の集団保育についてのアンケート”では“転園”について考えています。“心の仕事”と“不登校について”では、子どもの心の問題にせまっています。その他、お母さんたちが書いた手記や手紙があります。
「こども診療所だより」の冊子を読みたいかたは私までメールをください。

2001.6.9

昨日は中田、今日は新庄

ニューヨーク・メッツの新庄選手、今日はいいところでホームラン打ちましたね。9回左翼へ勝ち越しのホームランだったが、コメントがおもしろい。「あの場面ではホームランが一番いいかなって思いっきり打った」だれでもそう考えて打席に立つやろけど、そう簡単に打たれへんで。そして、そんなコメント言えへんよね。わが新庄選手だからこその名セリフだ。そういうことを話す新庄選手大好き、中田選手はそういうこといっさい言わないところが好き。両方好き。
今日は天気が良かったので、買い物に心斎橋まで行ってきた。今週は部屋の模様替えその他することがたくさんあって疲れ果てていて、プールも体操もお休みしてしまった。夜遅くまで起きていることが多く、睡眠不足だしたまった疲れがとれない。
でも、買い物をすると元気が出てきた。なにも無駄遣いはしてないんだけど、単純にお金を遣うのがいいのかも。下着の補充、スパイス類、パン、ジャスミン茶、ノート類、それから水村美苗「本格小説」連載中の「新潮」を買った。心斎橋へ行って人混みの中をあちこち歩いたのが、心と体の両方にいちばん効いたみたい。

2001.6.8

今夜は中田選手とジュリーで終わり

今日のサッカー、中田選手のフリーキックすごかった。わたしはサッカーファンというわけではなく、中田ファンなもので、ものすごくうれしくて、うれしくて・・・と書いていると横から、決勝戦はどうでもええのやな、とチャチャを入れられてしまった。さっきニュースステーションで言ってたけど、決勝戦には出ずローマにお帰りになるそうだ。めずらしく試合後のインタビューに答えてたけど、精悍ないい顔になった。はじめて見たときは少年ぽかったのに、最近とみに大人っぽくなって・・・とミーハー丸出し。
その後、ジュリー沢田研二がうたばんに出ているのをみた。タイガースのデビュー当時から好きでね。あのほっそりしていたジュリーが中年太りで少しがっかりだけれど、人のことは言えない、こちらも30年前にはほっそりしていたのだ(ほんま)。
タイガース時代ではなく、一人になってからのヒット曲がいっぱい流れたが、色気があっていま見てもやっぱりすてき。そんな時代の思い出話をしても、話しのしかたにイヤミがなくて、ほんとの大人になりはったんやなあと思った。最後に新曲を歌ったけれど、声に独特の艶がある人やね。

2001.6.7

梅雨だから湯豆腐

梅雨に湯豆腐を食べる話は池波正太郎の本にあったような気がする。今日はわが家も晩飯は湯豆腐にしよう。コンロにのせた土鍋からふーふー言いながら熱いお豆腐をすくって食べると、額から汗がたらたらと流れる。からだにいいぜー、という感じである。お酒も熱燗である。梅雨はこうして冷え防止しなくちゃね。ハリの先生にも「お豆腐は夏でも冷や奴はやめて湯豆腐にしーや」と言われている。
去年の春は体調が良かったので調子に乗り、梅雨どきにバカなことをしてすっかり体を冷やしてしまった。雨が降る日にクーラーで冷えているビデオ屋と本屋で長時間過ごして、仕上げは映画館に2回、それを短期間にやってしまって、簡単な修理では直らない機械よろしく体を痛めてしまった。いまだに足の調子がよろしくない。それで今年はとにかくクーラーで冷やさないことをアタマにおいて行動している。
それで、湯豆腐なんだけど、これが体のためというよりなによりおいしいのだ。こんなことを言うと年寄りになった証拠と笑われそうだけど、外は雨模様だがまだまだ明るい夕方の景色の中で食べるとよく似合う。
ここまで書いたので、台所から「鬼平料理帳」を持ってきた。献立に困ると引っ張り出していた本だが、最近はちょっとごぶさただった。夏の項を見ていたら、これはうまそう! 軍鶏の臓物鍋(しゃものもつなべ)である。中村吉右衛門の鬼平さんが「五鉄」で食べているシーンがテレビドラマでもあったよね。これそのうちに食べよう。軍鶏はないだろうけど、名古屋コーチンのモツなら売っている。若いゴボウのささがきといっしょに食べたらうまかろう。

2001.6.6

山本やよいさんの本「わたしのボスはわたし」

翻訳家山本やよいさんが書いたはじめての本「わたしのボスはわたし」(廣済堂出版 1200円+税)が出版されました。山本さんの人生はサラ・パレツキーの作品と出会ったことで、大きく開けたような気がします。また、読者の私たちはこの十数年の間、山本さんの訳文を通してサラ・パレツキーの思想に接する幸せを味わえたのです。私の人生もV・I(ヴィク)とVFCによって、いまがあるなあとつくづく感じます。現在たくさんの人と手をたずさえているのはV・Iのお陰だからです。
「わたしのボスはわたし」は山本さんがV・Iのことを縦横に書いた本であり、最初と最後にはサラ・パレツキーによる、この本のための文章「V・I・ウォーショースキーとともに生きて」「わたしがシカゴに住み、シカゴを愛するようになった経緯について」が掲載されています。この文章はまったくこの本のために書かれたもので、特に後のほうの文章は、私には「ウーマンズ・アイ」序文以来の感動でした。V・Iがどういう状況の中から生まれたかということをサラ・パレツキーが熱く書いています。
その上に、VFCも登場しているので、「kumikoページ」を読んでくださっている方たちにも必読の本ですよ。VFCには10年後のV・Iがどうなっているかを書いてほしいということだったのですが、6人の会員がそれぞれの考えを寄せました。私も一言書いていますので買って読んでくださいませ。
まだV・Iを知らない人が、この本を読んでV・Iがどんなにカッコいいかを知り、ヴィク・シリーズを読みはじめてくれたらうれしいなあ。

2001.6.5

引越で大さわぎ

けっこう“ほとんど毎日”書いていたのに、今回めずらしくも2日続けて休んでしまいました。心配おかけしてすみません。
実は引越ししてたんです。と言っても住まいを引っ越したわけでなく、相棒が仕事していたところに置いてあったマックを持って帰ってきたのです。これからは2人で完璧なSOHO生活をしようってわけです(笑)。
土・日、そして今日は仕事しながら、おっきなマックを2台とそれぞれに付属するプリンタ、スキャナ、MO、外付けハードデスク等々をつなぎ、インターネットもそれぞれでできるようにルーターでつなぎというような作業に追われていました。ケーブルとコンセントの量すごいですよ。もっともその作業をしたのは相棒で、わたしの仕事は部屋のお掃除と本箱等の整理でした。狭い部屋の中の移動ではありますが、インテリアもずいぶん変えました。自分でいうのもなんですが、とてもおしゃれな部屋になりましたよ。
植木鉢もたくさん置いてあるし、大きな窓からはまっすぐ北にスカイビルが見えます。すごくいい環境です。なんていうと恵まれたところにいると誤解されそうですが、狭い部屋の工夫にかけてはちょっと並ぶ人がいないのでは? と自分で思っているわたしです。なにしろ「小公女」や「あしながおじさん」でインテリアを学んだ人なんで(笑)。パソコン関係以外にお金をかけずに、ここまでできたということに自己満足しちゃってます。

2001.6.4

もらってないもの

NHKテレビに都はるみと南こうせつの二人が出て、お互いのヒット曲を歌っている。二人が歌う「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」で、思い出し笑いをしてしまった。今年の春先、女ともだちにマフラーを編んでもらうことになっていた。春先にふさわしいきれいなふわっと巻けるマフラーを編むから毛糸を買ってきた、ところまで話があったのだけれど、それでおしまい。なぜかというと、彼女は恋をしてしまって、女ともだちのマフラーなんか、吹き飛んでしまったというわけ。別に怒っえへんよ。笑ってるだけやよ(笑)。ジューンブライドおめでとう。
それでまた思い出しちゃったんだけど、小学生4年生のときの話。たまたま道で出会った叔父さんがわたしの靴を見て、「なんだ、おまえの靴は。破れてるやんか。ボール紙でできてるんとちゃうか。今度来るときに新しい靴を買うてきてやる。何センチや」と言った。わたしは親が貧乏だから新しい靴を買ってくれなんてよう言わんので、ガマンして破れ靴をはいていたのだ。そんなもんで、金回りがよいと言われている叔父さんが、靴を持ってくるのを待っていたのだが、来なかったですね。そんなもんでしょう(笑)。叔父さんはとうに亡くなったが、子どもに約束したら守らなあかんという教訓を残してくれた(笑)。靴を約束したときの叔父さんの言葉と顔はいまだに覚えている。

2001.6.1
写真は「田辺大根」の花(撮影:鴻上和雄)

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