2001年2月
木村二郎さんが訳された本は、解説も木村さんが書かれていることが多くて、わたしはそれを読むのを楽しみにしている。わたしのアタマの中の漠然とした知識に筋道をつけてくれるのはもちろん、新しい知識もたくさん授けてくれる。今回もまず解説から読み始めた。
ドナルド・E・ウェストレイクの作品だから笑えると思ったら大間違いらしい。シリアスな小説ということである。そして「斧」の原題「The Ax」にふれて丁寧な解説があり、最終的に「ax」には「クビ切り」という意味があることを教えてくれる。こういうところがわたしは大好きなのだ。
かんじんの小説のほうだけど、なんと言いましょうか、怖ろしい小説である。長年製紙会社の管理職だったのに、リストラされたバーク・デヴォアは再就職の口を探すが見つからない。考えた結果、バークは再就職するときにライバルになる人間を殺すしかないという結論に達して行動する。家のローン、子どもたちの教育費など、家庭を守ることを第一に考えているバークは黙々と殺人に励む。殺人の計画をこなしているバークに妻は自分への無関心を感じる、また息子が盗みで警察に捕まる。そういうことに冷静に対処していくところが不気味なリアリティがある。
中産階級の人間が仕事を失うということは、貧しい人間がつまらない仕事を失って生活保護を受けるにしてもそれは予期できるし、金持ちが事業に失敗して突然無一文になってもそれは予測できることだ、しかし中産階級はいまの生活から滑り落ちるとき本当に当惑する、というわけだ。わたしは貧乏人として中産階級の人に同情する(笑)けど、これは笑い事ではないと思う。現実に中産階級に殺人より怖ろしいリストラがせまってきていると思うから。
ドナルド・E・ウェストレイクはドートマンダーのシリーズや悪党パーカー(リチャード・スターク名義)がおもしろいし、タッカー・コウ名義の私立探偵ものが大好きだが、この本では新しい面を見せてくれた。わたしたちがいま生きている過酷な資本主義社会を分析して鋭い。(文春文庫 667円+税)
生まれてからつい数年前まで、木綿の布団で蕎麦殻の枕で寝ていた。「秘密の花園」とか欧米の少女小説を読んでいると羽根枕をぽんぽん叩いているところが出てくる。これをしたかった。しかし、現実には堅い敷布団と重い掛布団にはさまれて、蕎麦殻枕で眠っているのであった。
数年前にようやくベッド生活にしようと、ベッド一式と羽根枕をアクタスで買った。羽根枕は高価なので1個ずつ。映画で見る羽根枕はだいたい2つ重ねている。それで、エディ・バウアーのバーゲンのときに出ていたのを2個意気揚々と買って帰った。すごく上等の羽根が入っているらしくバーゲンでも高かった。これで夢のハリウッド映画と同じである。「秘密の花園」のコリンちゃんと同じく羽根枕をぽんぽんと叩いて眠るのだ。
こんな話を人にすると笑われる、そして羽根枕は羽根が縫い目から出てーなんておっしゃる。それはですね、きっと安もんだからですよ、高いのを買えばそんなことはおません、と貧乏ながら一点豪華主義の私は言うのである。そして狭い部屋ではあるが、羽根枕に肩からうまって羽布団をまきつけて、幸せをかみしめながら眠るのである。「小公女」のセーラが屋根裏部屋で目が覚めたときに掛けられていた羽布団の感触を感じながら。
わたしの料理はこれが関西風と人に言う自信がない。勝手に関西風味付けと思っているだけだ。親が中年になってから東京から大阪に来て、貧乏人の子沢山の所帯だったから食べさせてもらうだけでありがたいと思っていた。それに家で料理を仕込んでもらうなんてとんでもない、外遊びばかりしていたので、わが家の味の料理法というものも知らない。鯖の煮付け、秋刀魚の塩焼き、小麦粉でとろみを出したカレー、それに天ぷら、ちらし寿司くらいはよく食べたと思うくらいである。
菜っぱの炊いたのもよく食べたが、水菜とクジラ、しろなと薄揚げ、くらいかな。大人になってから、大阪には〈うまい菜〉というものがあるのを知った。かたい緑の濃い大きな葉っぱで白い茎がついているやつ。これを売っているのを見ると「わしは大阪人やで!」と叫んで(うそ)買う。
小松菜は「暮らしの手帖」の料理の本によく出てくるので、気になったいた。はじめて売っているのを見たのは心斎橋の大丸ピーコックで、「これが小松菜かー」と感動したものだ。25年くらい前の話である。いまや関西菜っぱの〈しろな〉なんかを追放してしまう勢いになっている。
わが家では毎週3束ほど配達してもらって食べている。薄揚げと炊いたり、炒めたり、みそ汁の具にしたり、おひたしにしたり、おいしいというよりも日常の味になっている。一人で夕食というようなときは、鶏肉のだしで小松菜をたくさん入れてお雑煮にする、これはうまい。大きく育ったのよりも間引いたような短くて数が多い束が好きだ。
このホームページの「ミステリー」にまず第一番に書いているわが熱愛の書「大学祭の夜」をコピーしておわけすることにした。一昨年の暮れ、知らぬかたからのメールの熱意にうたれてコピーしてさしあげた。その結果が「ミステリー」の「ドロシー・L・セイヤーズを旅して撮った写真集」になっている。そのときとったコピーをそのまま渡さずに、孫コピーをしていたらいまラクだったのにと思っても後の祭り。
以前に「貸して欲しいけどだいじな本を無理やろなあ」「コピーしてくれとよう頼まんわ」と婉曲に言われたことがあるが、こちらは素直なので、その言葉通り貸しもコピーもしなかった。好意をあてにされてるのがいやでね。そのときストレートに言ってくれたら貸すなりコピーするなりしたかも。
今回は1月の例会でコピーしてほしいとストレートにおっしゃったので、素直にOKした。ついでに現在読みたいと思っている会員におわけすることにした。発行が1936年で、古本屋で買ったのが50年代だったかな。もともと汚くてよれよれなのが前回のコピー作業で糊がはがれて1枚ずつになってしまったところもある。今回もっとはがれそうで、これからはわたしもコピーで読むことになりそう。
顧みれば、千里の国際児童図書館で本1冊まるまるコピーしてもらったことがある。発行から50年経っているからコピーしてもよいそうだ。たしか1枚につき30円か40円払ったけど、本を1ページずつめくってとる手間を考えたら当然だわね。今回は1回とってあとは孫コピーするのでそんなにいただきません(笑)。2月末日申込み〆切
昨夜は台所でタオル掛けがぼとっと落っこちたり、ゴミ袋から水がもれて床が濡れたりとややこしかった。それで最後に食器を洗ったあと、毎日の仕事なのにお米を研ぐのを忘れて寝てしまった。
今朝起きて、お鍋にお米が入っていると思い込んでガスにかけたが、なぜか吹き上がってこないので蓋をあけたらカラであった。うわっ! こんなんはじめて! お米を研ぐのを忘れるなんて、ボケのはじまりかもしれない。それに気になるのは2万なん千円したビタクラフトのお鍋である。もう10年以上使っているけど、一生もののつもりなのに…。冷めてから調べたら本体も蓋も外側が茶色くなったけれど、使えそう。やれやれ。
朝食はいつもご飯とみそ汁、納豆と焼き魚、野菜なんだけど、今朝はバナナとトーストとキャベツのミルク煮、ハムエッグになった。
タオル掛けをボンドでひっつけたり、ポリ袋を入れてぶら下げている容器をつけなおしたり、今日は台所の整頓をした。冷蔵庫の中も整理したし、流しの下も整頓した。暖かいと動く気になるものだ。
なんだかとても暖かい日になった。洗濯を干したついでにベランダの掃除をしてしまったくらい。暖かいうちに税務署に行ってしまおうと、確定申告のまだ書いてない部分を大急ぎで記入して出かけた。先に10パーセント源泉徴収されているので、精算して戻してもらうつもりだから少しでも早くと、毎年わたしは早めに行くことにしている。ぎりぎりだと混んでいるらしいし。しかし、いままで申告に行った日でこんなに暖かい日はなかった。いつも寒くて向かい風に震えながら木津川を渡っている記憶ばかりだ。
1年ぶりの税務署である。去年は受付の初日に行ってみたら、毎年この日に来ることにしている人がけっこういるらしく混んでいた。今日はぼちぼちと人が入っていく程度。受付で渡すだけだから1人待っただけですぐすんだ。
さあ、これでお正月から気になっていた確定申告がすんだと気持ちが解放され、九条のほうでも散歩しようと思ったが、足の調子を考えて喫茶店に入っただけで帰ってきた。小さい喫茶店に入ったのが間違いのもと、となりで制服のOL2人がエクセルの使い方で侃々諤々やっている。人の噂よりもましかもしれないけど、少し話がわかるだけにうるさくてすぐ出てしまった。読みかけの文庫本を持っていたのに残念。ぷらぷら松島公園を通り抜けると馬酔木、沈丁花のつぼみがもう咲き出しそうな感じ。ベンチに座って本の続きを読んだ。
ジャン・コクトー、堀口大学訳「阿片」(角川文庫)をいまごろ読んでいる。買ったまま置いてあったのを見つけてぱらぱら見たらおもしろそうなので読みだしたのだ。プルーストとつきあっていた話がある。【詩人は必然的に貧乏だという伝説的な信念をルーセルとプルーストは裏切る(生活のための争闘、屋根裏部屋、控室…)。(中略)プルーストは、彼の財産のおかげで、自分の宇宙に閉じ籠もって生活していた。彼には病気という贅沢も出来た。云わば、彼は病気が出来るので病気だった。】なるほど。
昨日の午後「ひきこもり」について取り組んでおられる斉藤環さんの講演会に行ってきた。主催のピア大阪に勤務していて今回の企画をした友人が、わたしが斉藤氏のファンであることを知っていて教えてくれたのだ。それで講演が決まった時点で出席の予約をした。斉藤さんは最近テレビに出はったし、新聞にも講演会のことがのったそうで、きっと混むと思って1時間も早く会場へ行ったのだが、先着順ではなく、予約申込み順に番号札をもらうというシステムだったので、ゆっくりと下の喫茶室でコーヒーを飲みながら待ち、おかげさまでミーハー魂をくすぐる最前列に座ることができた。
平日の昼間だから聞く人は女性が圧倒的に多かったが、ひきこもりの子どもを抱えている人が多いようで、今日の話をすぐ役立てようというような熱気が溢れていた。会議室にぎっしりと、たしか80人くらいの参加者だったが、まだ100人ほどの申込みを断ったらしい。ひきこもりが大変な事態になっていることをうかがわせるし、ひきこもりへの社会の対応が遅れていることでもあるのだろう。
講演の席に立った斉藤さんは、その空気に応えるように、「ひきこもり」についての自分の考えを述べ、さまざまな場合について親はどうしたらいいのかを語られた。理論家でありながら実践家である強さが言葉の端々に感じられた。
まず、ひきこもりは不登校からはじまるのが90%で、1,社会から、2,家庭から、3,自分自身からひきこもるということになる。そこから、ひきこもりは治療されるべきか、という問題を提起された。
あらゆる青少年にはひきこもる権利がある、という言葉にはハッとさせられた。ひきこもれなくて、仲間といなくては自分でない人もいるということで、ひきこもりの人は一人でも生きていける人だという言葉は納得できた。(講演の詳しい内容は、斉藤環「社会的ひきこもり─終わらない思春期」〈PHP新書 657円+税〉を読んでください。この本に沿って話された。)
質疑にたいしても、自分の治療した範囲のことについての断言と言ってもいい答えには説得性があった。他人のことについての質問には、「他人からの質問には答えられない、何故ならそのひきこもりの若者に対して10年間向き合えるかということを問いたい。それをできるのは現在は親しかなく、自分は親に対してのみ答えられる」とおっしゃった。
わたしのような者が最前列で聞くのはもったいない、即戦力になる講演であった。
その後に、3年間のひきこもり生活を経て、現在自助グループの活動家になっている山田さんのお話があった。ひきこもりの原因となる劣等感がどうして生まれたか、どんなことを考えてひきこもっていたか、親に対する暴力とか、こもっていたせいで15キロ太ったというような生々しい話をたんたんと話された。親の努力、本人の強い意志がいまの生き生きした山田さんを作りだしたのだ。
司会者(私の友人)がアノーを多発しつつも大阪弁のイントネーションでとつとつと話すのも感じがよくて、行ってよかった講演会でした。
今日も暖かそうだ。気温だけでなく気持ちも暖かい。それは若い友人にパートナーができかけているせいだ。毎日のようにメールしあっている中だけれど、最近の彼女の弾む心がわたしにも響いている。朝パソコンを開くと早朝書いたメールがとどいている。まさに「朝日のようにさわやかに」書かれたメールを読んでわたしも幸せになる。
いま聴いているのはアビー・リンカーンの「ABBEY IS BLUE」(1959)、さわやかで確かで幸せな歌声である。マックス・ローチがドラムに入っている。たしか2人が一緒だったころのはずだ。
アビー・リンカーンを京都のジャズ喫茶で聴いたのは70年代はじめのことだった。一番前の真ん中に座ったので、アビーの太股がわたしの膝にときどき当たった。そしてときどき微笑みかけてくれ、わたしは有頂天だった。そのときはもうマックス・ローチとは別れていたし、また病後とのことで声に絶頂期のはりがなかったけれど、説得力のある歌い方で、1ステージすんだときには、みんな近所のレコード屋に駆け込みアビーのレコードを買ってサインしてもらったものだ。もう1ステージねばって聴いて深夜京阪電車で帰ったときの満足感たらなかった。いまCDを聴いているとそのときの気持ちが思い出される。
そして、新しい生活に踏み出そうとしている友の弾んだ心が響いてくる。朝日のようにさわやかに…
今日は暖かかった。昼間はストーブを消して部屋に風を通した。気持ちがよい、と思ったらクシャミが3連発、どうやら花粉も舞い込んだようだ。
昨日と一昨日、一歩も外へ出なかったので、今日は夕方買い物に出た。短いコートで出たのだが、スーパーマーケットまで早足で行ったら汗をかいてしまった。こんな日もあってまた寒くなってを繰り返しつつ、春がくるのですね。
日が落ちると春の宵みたいで、なんとなく軽い気持ちになり、マイルス・デイビス「マイ・ファニー・バレンタイン」をかけた。何度聴いても美しい曲である。殊にバレンタインデーのころに聴くのが好きだった。でもね、今年は聴く気が起こらなかった。去年、バレンタインデーの真夜中に猫の花子が死んだ。今年はバレンタインデーがくることが怖ろしいような気がしていた。まる19年いっしょだったんだもんなあ。それがその日から存在しなくなった。いないのが日常になったこともいやなんだよね。
花子はまだ夢に出てこない。夢では儚い声を聞いただけである。今年、バレンタインデーの夜にベランダで泣くわめく猫の声を聞いた、ちらりと見えた猫の姿は白と黒のもようで、ベランダから中へ入れてくれと言っている。「もう猫と暮らす気はないねん、ごめんね」と夢の中であやまっている。目が覚めて「ああ、夢だったか、夢でよかった」と思った。
暖かさに誘われて「マイ・ファニー・バレンタイン」聴いてよかった。マイルスの音は、とても、とても、わたしをなぐさめてくれた。
毎日在庫のCDを点検しては聴いている。わが家がLPからCDに乗り換えたのはわりと早かった。ジャズからロック(パンク・ニューウエーブ)を買いまくった後のことで、たくさんのLPレコードを捨ててしまった。その後、どうしても聴きたいものをぼちぼちとCDで揃えている。長い間に分野を問わずに聴いてきたので、クラシック、ジャズ、ブルース、ロックといろいろをそのときの気分と財布の具合で買っている。
その中で今朝、なにを聴いたかというと、1枚しか持っていないニュージャズのアルバート・アイラー。彼のレコードは輸入盤を当時有名なLPコーナーというレコード店で手に入れて持っていたのに、CDになってから買っていなかった。堪能するほど聴いたあとだったからかもしれない。今日その「MY NAME IS ALBERT AYLER」(1963年コペンハーゲンで録音)を聴くとすごく新鮮だった。ジョン・コルトレーンに続いて、うわーっ、もおーっ たまらん、である。
アルバート・アイラーは1936年オハイオ州クリーヴランドで生まれ、1970年11月25日にニューヨークのイーストリバーで射殺体となって発見された。独特なサックスの響きでニュージャズという分野の最先端を激しく走り抜けた人であった。わたしの60年代終わりから70年代はじめの音楽を最も聴いた時代で、生意気にも共に歩んでいるという気持ちを持っていた。人が駄作と言っていたレコードもわたしは好きだった。まぎれもなく彼自身の音をわたしは聴いていると自信を持っていた。
さっき聴いていて、ジャニス・ジョプリンやいろんな人の「サマー・タイム」があるけれど、わたしはアイラーのがいちばん好きなんだということを再確認した。
最近昔の知り合いと会うことが多い。バレンタインの日にホビットの会(イギリス児童文学研究会)でいっしょだったKさんと5年ぶりに会うことになった。知り合ってからは10年くらい経っている。5年前までは月に1回イギリスの児童文学を読んで語り合っていた仲だ。今年の彼女の年賀状にEメールアドレスが書いてあったので、さっそくメール交換をはじめ、このkumikoページも読んでいただいている。
奈良から心斎橋まで出てきてくださったので、チャルカでスープとオムレツとパンの昼食をしながら5年間の話をした。Kさんは高校の英語の教師をしていたが去年辞められてお母さんの介護をしている。家を出にくいのでインターネットで英語の勉強をし、また以前ホームスティをしたウェールズにまた行きたいと、ウェールズ語の勉強も続けているとのことである。
Kさんには家族があり、確固とした生活基盤があり、わたしとは全然生活環境が違うけれど、好きなことをやり続けたいという気持ちがいっしょなので話が途切れない。またイギリス文学の話になると口角泡を飛ばしてという感じで話が行き交う。「高慢と偏見」を高校時代に読んで以来の読者で、英語の授業にもあの中の文章を使ったとのこと。「高慢と偏見」の話をしてヴィク・ファン・クラブで盛り上がりたいと言う(笑)。まずヴィク・ファンになってもらわなくっちゃね。ウェールズやスコットランドやヨークやコーンウォールが出てくる小説や映画の話も尽きなかった。
この辺の酒屋の娘さんが元教え子だということで、わたしが知っている店を教えたら、ほんとにその娘さんが出てきて2人が抱き合うシーンもあった。アメリカ村を散歩してパットオブラエンでコーヒーとケーキといつものコースになったが、話が尽きずに心斎橋に出て別れた。
インターネットは新しい友だちをつくることができるし、古い友だちとも改めてつきあうきっけかをつくれる。最近隣人とメールのやりとりをしているのも、いとおかし、である。
最近ミステリーに興味がなくなったというか、読む気が起こらなくなっている。数年前には毎月3冊の新刊ミステリーを読んで、ミステリクラブの会報に書評を書くということを2年以上していたのに…。もっともその3冊の本を選ぶのは他の人で、好きでない作家の本を最後まで読み通す苦痛をいやというほど味わった。
最近おもしろいのが出てないかなと気になっているものの「このミステリーはすごい」を買えばベスト作品とかがわかるのだが、買う気がしないし本屋で見ても手に取る気がしない。先日ジュンク堂で「このミス」のベスト20が置いてあり、その中の1冊が新しい警察小説と書いてあったので、買う気になったが、推薦者が「ハード・タイム」をぼろくそに書いていた人だったのでやめた(笑)。
こういうときに山本やよいさんが訳された本を送ってくださった。「炎の翼」はチャールズ・トッドの2作目で、前作「出口なき荒野」がとてもよかったのを思い出して、すぐ読み始めた。
ロンドン警視庁の警部イアン・ラトリッジは折り合いの悪い上司からコーンウォールで起こった事件を調べるように言われる。自殺として処理されたのに異議を申し立てた人がいたための調査だ。時代は第1次大戦が終わったときで、戦争神経症に悩むラトリッジはドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィムジイ卿を思い出させる。そう、この小説の舞台はいまから80年も前、ピーター卿と重なる時代である。自殺者の1人は大きな屋敷の主で女性詩人であった。「炎の翼」という詩集にわたしはエミリ・ディキンソンを思いだした。ラトリッジも前線で彼女の詩集を読んで強く影響を受けていた。
コーンウォールの荒々しい自然と古い大きな屋敷、輝かしい女主人(詩人の母)の3回の結婚で生まれた子どもたちの非情な運命が語られる。「嵐が丘」みたいなところもある。
コーンウォールの雰囲気が好きな人こそ読んだらうれしい小説だと思う。ミステリーファンだけでなくてイギリス児童文学が好きな人にもおすすめしたい。チャールス・トッドは現代のアメリカ人だからこそ、同時代のイギリス人が書いているよりも詳しく時代と場所を書いていると思う。(扶桑社文庫 800円+税)
この文章の右上を見てください。「BACKNUMBER」の下に、新しく「MAIL」の項目を加えました。ここをクリックすると、杉谷久美子宛のメールが書けるページになっています。ご感想、ご意見など気軽にメールしてくださいね。楽しく返信させていただきます。お名前、メールアドレスを忘れずにご記入ください。
ヴィク・ファン・クラブへのご入会の問い合わせなどもこちらへどうぞ。暖かいメールをお待ちしております。
ミニコンポを買ったものだからCDばかり聴いている。持っているCDをひっくり返して点検していたらコルトレーンのライブが出てきた。懐かしくもインパルスの1961年ビレッジ・バンガードでのライブ2枚組、11月3日と5日のものである。なんと1枚目11月3日のライブで、「グリーン・スリーヴス」を演奏しているのだ。知らんかったなあ。忘れていたのか、気がつかなかったのか、なんでやろ。さっそく聴いてみた。
最初はコルトレーンらしいというか、コルトレーンというとまずこのメロディを勝手に口ずさんでしまう「スピリチュアル」、泣きたいような美しい曲である。2曲目「インプレッションズ」、3曲目「インディア」それぞれ心にしみいる。40年前のコルトレーンの音がいまもわたしの心をゆする。涙が出そう。たまりません。
その次に、ちょっと気楽にという感じではじまった「グリーン・スリーヴス」、あの甘いメロディはあるけれど、途中でコルトレーン独特のフレーズになっていく。でも甘やかさ、懐かしさは損なわれていない。ザ・バンドの「グリーン・スリーヴス」とともに、忘れられない「グリーン・スリーヴス」体験である。
先日、水村美苗さんの連載小説が出ている「新潮」を買いにクリスタ長堀の丸善まで行き、家に帰るまで待ちきれなくて喫茶店で読んだ。短期集中連載と出ていたように思うが、3回目でまだ終わらない。軽井沢の古い洋館にいる3人の老女の妖しい雰囲気に語り手の青年といっしょに飲み込まれそう。
読み終わって他の小説や読み物に目を通したが、もうひとつ、もうふたつ、という感じなので、水村さんのだけ切り取った。そのとき目に付いたのが作家の動きを紹介するページで、見出しが「浅田彰氏のIモード批評」だった。わたしのはPHSなので、連れ合いのiモードで見せてもらった。立花ハジメが発信する有償サイト「アーティストC.TheEND」内にあるコンテンツということで、月300円で浅田彰のレポートが毎週更新しているのを読むことができる。去年の夏から書いているのだが、全原稿がストックされているので以前のものも読めて便利。
さっそく2・3読んでみた。映画「ベトナムを遠く離れて」、北野武の新作映画のことなど書いているのを読んだが、約700字だから「新潮」の人が書いている「浅田氏の手帖の1頁を盗み見る感覚だ」というのが当たっている。ちょっと物足りない。でも、これから毎週現在進行形で読めば、また違った感想が生まれるに違いない。
お日様が照って暖かそうな日曜日。ちょっと出かけようかということになったら、やっぱり日本橋。先日臨時にお金が入ったのを生活費で消費してしまわないよう、ミニコンポを買うことにしておいてあった。
わが家の音楽環境はめちゃくちゃ悪くなったまま1年くらい経っている。部屋の模様替えをしたときに大きいスピーカーが邪魔で小さいのにしようと捨てたまま新しいのを買ってなかった。それ以来ラジオでしか音楽を聴いてなかった。以前は相棒がカメラとオーディオに凝っていたのだが、パソコンにすべてとってかわられてしまって、もうオーディオに執着がないらしい。その上部屋が狭いということで手っ取り早くミニコンポを買うことに落ち着いたのだ。
それで日本橋の電器店を探そうということで出かけた。天気がいいせいかえらい混みようで人をかき分けるようにして歩かねばならない。いつもパソコンのお店しか入らないが、今日は音響専門店や家電の店に入った。5軒目のお店で小さくてデザインがシンプルで値段がほどほどなのを見つけた。
買い物をすませて更科へ行き、おいしいおそばを食べ、新世界市場で羽二重餅と桜餅を買って帰った。久しぶりに音楽のある夜を過ごせて幸せ。当面は在庫のCDを聴くつもりだが、新譜もいろいろ買いたい。去年出たU2の新譜でさえ買ってなかったのだから。
心斎橋の大丸でやっているキルト展の入場券があると隣人が誘ってくれたのでいっしょに行った。
ドールハウスと同じく上品な趣味としてキルトも女性に人気らしく混んでいた。わたしはいわゆる習いごとの世界にはまったくうといから、キルトというと建国時のアメリカの女性たちが集まってキルトを縫った話を思い出すくらいなものだ。またイギリスの児童文学「グリーン・ノウの子どもたち」を書いたボストン夫人が縫ったキルトのベッドカバーの絵はがきをイギリスに留学していた友人にもらったことがあって、これはたいへんな仕事だとひたすら感心したくらいだ。
今日はたくさんの現代キルト作品を見て勉強になった。日本の昔の端切れで綴ったものも美しいものがあった。中でも欲しいくらいに思ったのはケルト模様のキルトで、しぶい色のリボンでケルトの連続模様を縫いつけていて、描くのだってたいへんな渦巻き模様をリボンを縫いつけるという技には、ほとほと感心した。
会場を出ると材料を売っている。ついリバティプリントの端切れを買ってしまった。いつかお弁当を包む風呂敷でも縫うかもしれない。銘仙とか大島とか着物の端切れも欲しいのがあったが、これこそ宝の持ち腐れになるだろうと買わなかった。
帰りは雑貨店を見たりしながらアメリカ村を通り堀江に出て、最近わが家の応接間になった感じのチャルカでお茶して文房具など買った。
帰ってから気が付いたが、うちの夏の掛けぶとんはキルトなのだ。これはアメリカ村のアジア雑貨店で買った。技巧はぜんぜんないが布地のしぶい色が気に入っている。数年前2枚あったのを買ったあと他に見たことがないから、これだけしか買い付けしなかったのだろうか。ちょっと出してみて、キルトとしてはたいしたことはないが、展覧会にあったものよりも気に入っていることに満足した。
最近の新聞でジンジャーなるものについての記事を読んだのだが、ディーン・カーメンというアメリカの発明家が発明した正体不明なものであるらしい。それでYahoo!Japanで検索してみたら、ジンジャー情報の解説や関連ニュースやカーメン氏についての情報がどっとある。でもジンジャーがなにかわからない。ここで紹介している関連サイトを覗いてみたが、もちろんなんだかわかるはずがない。
でもわたしにわかることが一つある。その正体不明のジンジャーなるものの名称がきっと、ジンジャー・ロジャースからとられたものであろうということである。
ジンジャー・ロジャースはわたしの子ども時代のあこがれの神様のような人であった。敗戦後に青春時代を迎えた、いまは亡き姉が大好きだったジンジャーとフレッド。流行のみなりで遊びに出かけた姉は帰るとどこでなにをしてきたか自慢した。「スクリーン」「映画の友」「スタイル」「ソレイユ」と華々しい雑誌が家に散乱していた。そのころ住んでいた家は近くにお風呂屋がなく、きょうだいぞろぞろと歩いて行く。その道すがら映画のストーリーが話された。わたしは姉を通してまだ見ていないアメリカ映画に親しんだ。この姉は年の離れた小さな3人を引き連れて歩くのも好きで、よく心斎橋まで連れて行ってくれたが、よく男たちにナンパされた。そのときは末の妹だけを妹と紹介し、わたしと弟のことは“近所の子”と言うのだった。
それでも姉はわたしの憧れの的で、ジンジャーとフレッドのダンスシーンが出ている雑誌を手に、どんなに彼らのダンスが素晴らしいか自慢されると、早く大人になって映画を見に行きたいと思うのだった。しかし、自由に映画に行けるようになったころには、そんなことは忘れてその時代の映画に没頭した。
ジンジャーを思い出したのは、レーザーデスクを買ってからである。RKO時代のLDを見つけたときは狂喜であった。いまは出ているものは全部持っているし、LDの中でいちばん数多く見ている。フレッド・アステアだって、シド・チャリシだとかリタ・ヘイワース、ポーレット・ゴダードと出ているのも持っているけれど、ジンジャー・ロジャースとのダンスほど息のあったものはない。ジンジャーが両手を胸のあたりにもってきて、手のひらを外に向けて踊るところがいちばん好きだ。そのスタイルで白いドレスで踊ると、何重にも重なった裾がさっと広がってハイヒールをはいた美しい脚が見える。回転するとドレスの裾がついてまわって美しい渦をつくる。
勝手にジンジャーをジンジャー・ロジャースからと連想してしまったが、きっと合っているよ。だってアメリカ人って彼女が好きだしユーモアがあるんだもん、と勝手に思うのであった。
今夜のおかずが決まらなくて困るときがある。宅配がとどけてくれた在庫でうまく間に合うときもあるが、今日のように迷いながらスーパーマーケットへ行くこともある。
運良く魚売場にブリのあらがあった。かまと頭のところが入った大きなパッケージである。これはうまそう。今夜のおかずが決まった。
冬が始まるころに鍋ものやいろいろな汁ものをうれしそうにやってしまい、2月になるとちょっと飽きてきている。でも、このブリは脂がのってうまそう。かまのところは塩焼きに、頭は粕汁にする。そして春らしい野菜を付け合わせたら、と考えて絹さやの卵とじと菜の花の炒めものをこしらえた。酒粕は地酒のものを年末に買ってある。酒粕をお酒で溶いて濃厚な粕汁を作った。金時人参の赤い色が映えて見た目も美しい。緑の野菜の色と合って熱燗の酒がおいしかった。
今日は真面目に体操に行った。今年のはじめに張り切って行ったきり3回休んでしまった。1回目は寒いからずぼら、2回目は仕事の都合、3回目は前日からの胃痛。「どうしているん?」と電話ももらってしまって、今日はどうしても行くぞと決意した。なんとなく、ぐずぐずと1週間ばかり調子が悪かったが、昨日あたりから回復してきて体が軽いし頭もすっきりしてきた。
会費を払って休んだ詫びを言い、「意地汚く食べ過ぎて、上げ下げしてしまって…」と言ったら、「風邪引きやったんやね」と先生に言われた。「いえ、胃腸が悪かっただけです」「それが今年の風邪やん、だれそれも同じ症状やった」とのことである。そう言えばいくらかクシャミが出てたけど、わたしは花粉症やらなんやらでしょちゅうクシャミをしているので気にならなかったのだ。そうか、胃の薬を飲んでも2・3日の間胃がすっきりしなかったのは風邪のせいだったのか…。それで頭にカスミがかかったような1週間だったのかと納得した。
でも、3年前にかかったインフルエンザみないに強烈でなくてよかった。あのときは死んだように1週間寝込んでしまった。そんなことを思い出したついでに、猫の花子が昼も夜もいっしょに寝ていてくれたことも思い出してしまった。
10年で一昔なら30年ならどう言ったらいいのかな、三昔なんて聞いたことないよね。よく生きてきたものだなあとお互いの顔を探り合うように見ながらの感慨である。30年前に天王寺にあったジャズ喫茶マントヒヒの常連であったわたしたちだが、いつかそれぞれの道を歩みだして、年賀状でのみお互いの消息を知る仲になっていた。よくもまあ、年賀状を出し合っていたものである。と言っても出し合っているのは彼女ともう一人だけだが。
Tさんがインターネットを始めて、いつも年賀状にEメールのアドレスを書いているわたしたちにメールをくれたのがきっかけで、30年ぶりに会うことになった。インターネットはまさに人をつなぐものだと実感。こちらに来てくれると言うので、四つ橋の駅まで迎えに行き、チャルカで3時間話しこんだ。こういうことがあった、ああいうことがあった、と当時を懐かしみ、大阪を動かないわたしたちに入ってくる、当時の友人たちの情報を教えたりした。当時16歳で社交界(?)デビューした〈青少年〉とあだ名された少年が今や46歳なのである。わたしたちはおして知るべし(笑)。
でもTさん、少々のシワがよけいにカッコよさをつけ加えているいい女になっていた。相変わらずのしゃがれた大声が貫禄をつけている。うらやまし。
懐かしさを話すだけではもちろんなく、ホームページの相談もあった。釣りの専門家になってメシを食っている彼女のアイデアは抜群で、頭の回転の速いことにも驚いた。山深い田舎にも家を持っているので招待してくれるとのこと。イノシシが食べられるかもしれないというおまけつきだ。ラッキー。
日曜日の午後、NHKでやっていた1996年の香港映画。香港映画を見るのは久しぶりで堪能した。
中国本土から香港にやってきた2人の男女の10年間の愛の物語で、10年前レオン・ライは叔母を頼って香港にやってきた。部屋を貸してもらい、肉屋の配達の仕事をはじめる。彼には本土に婚約者がいるので成功して呼ぶのが夢である。はじめてマクドナルドで注文し、そこで知り合ったのがはしこいマギー・チャンでいろいろと引き回される。そして友人のいない2人は結ばれる。彼女はテレサ・テンのものなら大陸出身者に売れると、お金をはたいてビデオやテープを仕入れるが売れずにがっかりするが、今度は株をはじめて大金を稼ぐ。しかし大暴落にあい、借金で首が回らなくなり、マッサージ嬢になってヤクザと知りあい、その度胸を面白がられてヤクザと暮らすようになる。
10年間には中国本土にも香港にもいろいろなことがあり、個人的にもさまざまなことが起こる。彼は料理人になり、本土からやった来た恋人と結婚するが、妻に彼女のことを告白して離婚され、知りあいがいるニューヨークへ。ヤクザが台湾に逃げるのに同行した彼女もニューヨークに流れてきていたが、ヤクザはチンピラに街でかこまれ殺される。別々にニューヨークで暮らす2人は結ばれるのか?
通りがかりの店でテレサ・テンが亡くなったというテレビニュースが流されていて、彼女の歌声が流れている。ふと立ち止まった彼女、そこへ通りかかった彼、香港で出会ってから10年経っていた。
中国人のユーモア、たくましさ、真っ当さにひかれて見続けた。はらはらするラヴストーリーだった。彼女のものの食べ方のいぎたないというほどの生命力にもまいった。彼女にしても妻にしても女性が自分の意志で強く生きているが、やっぱり現実の反映なのだろうなあ。
2月2日(金曜日)の朝日新聞夕刊文化欄を読んでびっくりした。東大教授岩井克人さんがとてもわかりやすく、「英文学で考える資本主義の論理と倫理 小説『高慢と偏見』」という文章を書いているのだ。
【現代の資本主義とは、売れなければならない」という論理によってすべてが支配されている社会です。その中に生きている人間は、誰もが『高慢と偏見』の中に登場する娘たちと同じ立場に置かれているのです。そうです。二世紀も前に書かれたこの小説は、徹頭徹尾「女性向け」の小説であったことによって、すべてが「売れなければならない」という論理に対し、「売れればよいというものではない」というそれを超越する倫理の存在を示すことができたのです。】
という結論に、さすが水村美苗さんのだんなさんだと感心して切り抜いた。男性がきっちりと『高慢と偏見』を読んでいるなんてね。たしか夏目漱石はジェーン・オースティンを評価していたと覚えているが…。岩井氏は『高慢と偏見』は偉大な文学ではないという新潮文庫版の翻訳者の言葉を引用されているが、私が読んでいる岩波文庫版も同じような翻訳者の言葉がある。それにもめげず読みついできた女性たちはうすうす知っていたのだ。資本主義の論理に対して倫理で闘うことに生きていく可能性があると。
それから土曜日の夜、海外テレビドラマ「ダーマとグレッグ」を見ていたら、まあ、なんと特別ゲストにボブ・ディランが出てきた。ダーマが下手くそなドラムでオーディションを受けるんだけど、バンドの一員としてギターを弾いていて、ダーマの下手さに困った顔のニコニコでちょっと照れ気味。
私がボブ・ディランを見たのは最初の来日公演で大阪城ホールだった。私は特にファンではなかったが、知りあいが行けなくなって入場券が回ってきて行ったのだ。アリーナの前の方の席だったので、目の前に彼がいて、そのころはさすが眼光するどいという感じで恐れ入ってしまったのだった。
このシリーズ3作目「処刑の方程式」が出ていて評判が良いらしい。それで買おうと思ったが、まだ(2)を買ったまま読んでいなかったのを思い出した。1作目が良かったから2作目を買ったのだが、わたしはあんまりサイコ・スリラーを好きでないのだ。第1作「殺しの儀式」にしてもヴァル・マクダーミドの作品はサイコ・スリラーと言っても女性警官もののようなんだけれど、それでもついつい後回しになってしまう。しかも615ページ、23ミリもあるんだもん。
それで遅蒔きながら1週間ほど前から「殺しの四重奏」を読み出したのだけれど、一昨日は胃の具合が悪いし、昨日は寒い雨が降っているしで、なかなか読み終われなかった。でも昨夜は性根を入れて遅くまでかかって読み終わった。読み進めば自然に心理分析官トニー・ヒルとその研修生たち、警部に昇進し新しい職場に配属されたキャロルなどと物語の中に入り込んでいた。ただやる気の女性刑事シャズが殺されて、しかも目をくりぬかれ耳をそがれ、口に薬品をそそがれ、なんていうところはかなわんので、抜かして読んだりした(抜かして読んでなんで書けるねんと聞かれたら困るが)。
サイコ・スリラーと言ってもおなじみのアメリカものでなく、イギリスを舞台にしているためにどこか重厚であり、心理分析官という犯罪捜査への新しい取り組みを理解できない上部の人たちの描写もわかりやすい。いろいろなタイプの女性の警察官が出てくるが、イギリスには現実に女性警察官が活躍しているからこそ書けるのだろうと思う。これはイアン・ランキンやピーター・ラヴゼイにも言える。
とにかく達者な書きっぷりで、やっぱり次作も買おうと思う。でもどっちかというと、この人の女性私立探偵もの「私立探偵ケイト・ブラナガン ロック・ビート・マンチェスター」がヴィクのイギリス版という感じで大好きなので、この後を書いているのなら翻訳してほしいなあ。
朝から寒い雨が降っていると何回か書いたような気がするけど、ほんとに今年はよく雨が降る。寒くて冷たくてお手あげという気分になる。先日からひまひまに新しいミステリーを読み出したんだけど、残酷な連続殺人なのでこういう日はやめておこうと思う。午後からわずかながら日が射してきた。そこへエッセイページに読書日記を書いている嶽山さんから宅急便がとどいた。クッキーやキャンデー、お貸ししていた本といっしょに大島弓子「グーグーだって猫である」(角川書店 1100円+税)が入っていた。先日電話で貸してあげると言ってた本である。この本は書店でタダでくれる小冊子「本の旅人」に掲載されていて、気がついたときにもらいに行っていたが、最近無精になって単行本待ちしていた。お、出ていたのかって感じ。
嶽山さんとも話していたのだが、大島弓子さんのいままでの猫は擬人化というのか、猫が人間の姿をしているのだが、今回は猫そのものの姿である。それがねえ、可愛いんです。もうとっても。大島さんは肩の力を抜いてしまって猫とからまっている。グーグーが来る前にいたサバは13年生きて死んでしまったが、ときどきグーグーをサバと呼んでしまう。【グーグーが長生きしますように 病気しませんように 事故にあいませんように この家の生活がたのしめますように そして天寿を全うしたらこのわたしがグーグーを送ることができますように】という祈りの言葉はまったく、うちの花子のことを祈ったわたしと同じで、わたしはこのように花子を送れた幸せをかみしめている。
グーグーが同居生活に慣れたころ子猫の鳴き声が聞こえた。4日間探してケガをした子猫を見つける。そのまま住み込んだ子猫ビーとグーグーとのややこしくも楽しい日々が続く。2匹の猫の表情の可愛いこと、食べてしまいたいほど。そして猫の習性なんかも楽しく書いてあってこれから猫を飼う人にもためになりそう。
ある日大島さんは手術のため入院する。遺言書を書き、なにかあったら友人にこのマンションを譲るからここで猫のめんどうをみてくれと頼む。ほんとに一人暮らしで猫と暮らす人にとってたいへんな問題だ。手術は成功し無事退院できて猫との暮らしにもどれてこちらもホッとした。
写真:大島弓子「グーグーだって猫である」角川書店