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kumikoのほとんど毎日ページ

2000年11月


佐々木禎子「野菜畑で会うならば」

“やおい”という言葉を知ったのは数年前にわがVFC会員の下岡さん(エッセイページにコーナーがあります)が会報「VI」のために書いた原稿からで、手書きの原稿用紙にびっしりときれいな文字で書かれた文章を驚愕して読んだものだった。まだ下岡さんがパソコンを使っていない時代で、文字入力をした嶽山さん(エッセイページにコーナーがあります)もはじめての世界にびっくりされたそうだ。わたしはその原稿を理解するために(笑)、本屋へ行き角川ルビー文庫の棚の前に立った。フジミシリーズとやおい文学の中でも優れた作品と薦められたものを買って読み、おもしろかったもののお腹いっぱいになった感じ。それからしばらく遠ざかっていたが、またフジミにはまりだした。自分ではこの作品は“やおい”というよりも若き音楽家の成長物語と思っている。そんなわけで、わたしはファンには申し訳のないような“やおい”読者である。
前置きが長くなったが先月久しぶりに“やおい”雑誌「小説June」を買ったのは、お会いしたことはないが名前を知っている人の原稿が載っていることを聞いたからだ。彼女はゲイ映画の解説を書いていて、わたしはいままで知らなかった興味ある世界を教えてもらえた。
その流れで今月も「小説June」1月号を買ってしまったわけ。まずフジミを読んでぱらぱらとめくっていたら“名作復刻”として佐々木禎子「野菜畑で会うならば」がある。これ読みたかったのよね。
立野宇宙(たつのたかおき)くんは県立高校の2年生、自分以外の人間の顔が野菜や果物に見える。母親はイチゴ、父親はキュウリ、テレビに写る顔もみんな野菜と果物だ。唯一人間の顔は鏡に映ったぼくだけ。小学校のときの学芸会であがったときに「カボチャかジャガイモだと思えばいいのよ。人間だと思うからあがっちゃうのよ、ね?」と先生が言って、立野くんがそう思ったときから他の人間が野菜と果物に見えだしたのだ。千葉・ジャガイモくんから「友だちになろう」って言われたときも「ぼくね、人間、嫌いなんだ、ごめん」と言って断ってしまった。そして立野くんは「友だちになろう」なんて恥ずかしい台詞を吐かせたぼくを憎んでください、って思う。
そこへ転入生がきた。小学校のとき同級生だった阿坂くん、彼の顔は人間の顔だった。彼を観察しているうちにわかったのは阿坂くんは人の顔を見ないで視線をそらすこと、これは自分と同じだ。体育の時間に阿坂くんがプレイする美しい姿を見て思う、人間ってなんてきれいなんだろう。阿坂くんの目はきれいで、ぼくはものすごく醜くて見られるのが嫌と思う。そしてその場から逃げ出す。トイレに駆け込んで鏡を見たら自分の顔がメロンになっていた。阿坂くんが追ってきて肩に手をかける、うっとりしながらも悲鳴をあげ失神してしまったのを阿坂くんが担ぎ上げて保健室へ運んでくれる。千葉くんが服やカバンを持ってきてくれていっしょに帰るときの会話と行動がこの物語の鍵だ。結局家に帰って干渉する母親・イチゴを傷つけ失神する。
いま病院にいる立野くんは、ママは他の外科病院にいるようだ、阿坂くんと千葉くんが会いに来てくれて云々の最後に【みんな大嫌いだ─/─みんな大好きだよ】と書き記している。
1992年に「小説June」に発表された作品だが現在を先取りしている。3人の少年のこころがやるせない。

2000.11.30

パソコンにとどく文(ふみ)

吉屋信子の伝記を読むと、恋人の千代子さんやその前の恋人におびただしい手紙を書いていることに驚く。速達郵便で送られ返事が着くとまた書く。吉屋信子のようにたくさん書かなくても、ついこの間までだれでもそれしかなかった。それがファックスを経ていまやメールです。
平安時代は文(ふみ)や和歌(うた)をとどけるのに人間を使った。文をとどけて、待っていて返事の文や和歌を書いてもらう。心のたけを文や和歌にして選び抜いた紙に書く、もらったほうは返事がたいへんだ。受けるにせよ、断るにせよ、心映えや教養を見せねばならない。少しの人間がその快楽と便利さを享受していた。
その一握りの階級の人間が持っていた通信の手段をメールというもので現在は誰もが享受できる。ありがたい世の中である。毎朝パソコンを開いて文(メール)がとどいているか確かめる。とどいたものに返信する。最近はシカゴやカリフォルニアからとどく。東京の友から日に何度もとどく日がある。若い友から毎日便もある。紙を選ぶことはできなくとも文面に工夫を凝らして書く。たまに「今日は手紙にしました」というすてきな封筒と便箋の手紙や絵はがきがとどく。贅沢な暮らしをしていると実感する毎日です。

2000.11.29

鳩居堂の絵はがき

以前から京都へ行くと鳩居堂へ寄るのが習慣になっている。関東方面から友人が来るとお茶の一保堂とここへ連れていく。何年も行かなくても場所を覚えていてさっさと行ける数少ない場所である。先日も博物館の帰りに勝手に友人を引っ張っていった。たいして買うわけではないのだけれど、なんとなくどんなものがあるか見たいのよね。今回買ったのは白地に椿の花のと、ピンクのうさぎもようの便箋セットなどで、まったくどうというところのないもの。高価な茶道具とか書の道具とかたくさんあるけど関係ない。女性のお客があふれるほどたくさんいたので、お店も安泰かなと安心したりして…。
数年前に気がついたんだけど、鳩居堂の絵はがきを大阪のロフトで売っている。季節がかわるとできるだけ行くようにして、その季節の花の絵はがきを買う。一筆書きに使ってもとても便利だし、勝手に思っているのだけれど風雅な感じがするのよね。

急に寒くなった。夕方このへんには置いてない「小説June」を買いに難波の本屋まで行ってきた。その他「ELLE」「クロワッサン」とローラ・リップマン「スタンド・アローン」を買った。日が暮れるのが早い。薄暗かったが、なにわ筋の銀杏のうち真っ黄色になっているのが数本見えた。もう少しして木枯らしが吹いて金色の乱舞を見る日が楽しみだ。

2000.11.28

伊藤若冲展

わたしが伊藤若冲という名前を知ったのは30年も前のことだ。「奇想の系譜」といったかな、辻という当時の新進美術学者の本でだった。そのときは若冲でなくて絵金のほうに惹かれて画集を買ったが、こちらのほうは数年で飽きて売ってしまった。伊藤若冲はほんわかと気持ちに残ったまま年月が過ぎていった。最近になって若冲の名前をよく活字で見るようになり、なつかしいような嬉しいような気分だったが、宮内庁所有の絵も含めた展覧会があるという。これはどうしても行かなくてはと久しぶりの遠出を決意した。(オーバーね。)
会場に入ると薄暗いのが気に入った。人が多いのはしかたがないが、それでも前に立つ人の服装などの色が見えないのがよかった。わりと良い場所にベンチがあったので座ったまま、人が動いた隙間に好きな絵をじっと見ることもできた。
伊藤若冲は途方もない絵描きである。鶏の絵で有名だけれども、鶏や鶴や象などの真っ正面からの顔なんてだれも描けへんよね。お金に困らない生活だからここまで描けたのかもしれないけれど、でもお金のためでなくここまで描くなんてあるのか、とも思ってしまう。江戸時代中期、京都の裕福な商人階級の出身で、生涯独身でなんの遊びもせず絵一筋であったそうだ。解説の狩野博幸氏は「オタク」の気味がありはしないかと書いておられるが、鶏と鶏頭の図なんてもうめっちゃおかしくてどんなアタマの人かと思ってしまう。
わたしが惹かれた絵は水墨画で花を描いたもの。特に屏風と掛幅とふすま絵で細長い画面を活かしたものが気に入った。いろんな菊、葡萄、朝顔、月下の梅、なんかが空間を実によく活かして描かれている。家業だった野菜の絵もたくさんあったがおもしろいのを通り越してものすごい。十六羅漢図にも驚いた、糸を針に通そうとして目をこらしている、優しく動物と話をしている、文を読んでいる、お酒を飲んでとろんとしている、それぞれの目の描き方がおもしろいのだ。それから宮内庁からの出品に特に良いものがあった、彩色画の梅花皓月図、薔薇小禽図には立ちすくんでしまった。
最高だったのは、蓮池図(ふすま六面)である。真っ正面にベンチがあったのでこれ幸いと長居してきた。お寺の本堂の内陣に面して描かれていたもので、銅版画のような水墨画である。外陣には総金地極彩色の絵が描かれていたそうだ。そのセンスのすごさには感動してしまう。その絵をいまは掛幅に仕立ててある。地味っぽく蓮の花もあるのだけれど、破れて虫の食った葉がようやく立っている、花が終わったあとの萼がむなしく立っている。この世の終わりを池の姿に託したような絵を七十五歳の若冲が描いたのだけれど、悟ったような絵ではなく力の入った絵であり、技法を追求していることもわかる。年齢をとって枯れた人が描いた絵ではないところに、すっごく励まされてしまいました。
帰りに買ったカタログ「若冲」は厚さ3センチあり中身も充実していて2500円という超お買い得だった。お気に入りの絵をまた眺め、解説を読んで納得したことも多かった。

2000.11.27

友、遠方より来る

25日はVFCの例会日、エッセイ、サラ・パレツキー、ミステリーのページに原稿を書いている大藏さんが静岡から参加されると連絡があった。例会の前に京都で伊藤若冲展を観たいとのこと。わたしも若冲展には行くつもりだったのでいっしょに行くことにしてJRで出かけた。地下鉄以外の電車に乗るのは久しぶりである。京都へも数年ぶりだ。
新幹線のホームで待ち合わせ。ベンチで「VFCニュース」を膝において読んでいるボーイッシュな姿があった。初対面だけど数年間手紙と電話でやりとりしている仲だから座り込んでもうおしゃべりである。駅構内の蕎麦屋でにしんそばを食べながらも、タクシーで京都国立博物館へ向かう間も話は絶えない。
混んでいる会場に入っていくと薄暗いんですね。これはよかった。絵も照明を抑えて見やすかった。わたしは足をかばわなくてはいけないので、ベンチがあるときはたいてい座ってみていたが、人がすっと退くときがあって、見たい絵をゆっくり見られる隙間があってよかったわ。
若冲の感想は別に書くとしよう。別々に観て出口で落ち合い、紅葉した木が美しい博物館の庭のベンチで買ってきたカタログを見ながら感想を言い合い、それからまた友人のことや本のことなどしゃべり。タクシーで三条まで出てリプトンでお茶とケーキ、そぞろ歩きで鳩居堂まで行き絵はがきなどを買う。京極を歩いて四条に出て阪急で大阪へ、というコースであった。その間しゃべりづめね。
例会は大津から来たDさんを入れて計5人で6時から10時まで4時間にわたり雑談が続いた。夜行列車で帰る大藏さんを送って大阪駅まで行き、それぞれ帰路についたが長くて短かった1日であった。今朝「楽しかった、これからは年に1度は行くようにする」と電話があったので、わたしだけでなく彼女も楽しかったのだとほっとした。

2000.11.26

久しぶりの電話はホームページ開設の知らせ

VFC会員でありずっと前からの知りあいであるmikoさん(シカゴページに「シカゴカブスとリグレーフィールドに関する報告書」を書いている山口由美子さん)から久しぶりに電話があった。格別連絡しあわなくても昨日会ったような軽さで話していたが半年ぶりかな。こちらの足の具合を話したら、プールがいちばんと言う。彼女はプールで歩きからはじめて水泳に、水泳熱がこうじてダイビングも習いはじめ日本海で潜ったという。「グランブルーやってんねんで」と言う声に張りのあること! どちらかというと文化系の彼女だからびっくりだ。そして久しぶりに会おうよということになって、彼女がうちへ来てくれることになった。うれしい。そのうえホームページも作ったから見てと言われた。わーい、友だちが元気なのはうれしいな。
さて、そのホームページ「雑貨飯店」 http://www.ne.jp/asahi/zakka/fandian/ は楽しいページであった。mikoさんは編集とデザインの仕事をしているだけあって、色使いがきれいだし上品に手際よくまとまっている。イラストも描けるんだもん、いいなあ。旅の話はうらやましいし、文房具の話はフリークと言えるくらいの人だからね。文房具のイラストおしゃれやなあ。それから猫! わたしも猫のサイトを作りたいんだけど口だけで一向に実現しない。このページがあるからもうええやん、という気になってしまった。

2000.11.24

休日の昼食は「究極そば」

去年のいまごろは2000年問題でたいへんやった。いままで使ったことのない携帯コンロを買ったし、保存食もたくさん買い置きした。携帯コンロは鍋物に便利なのを発見して日常使っている。いろいろ買った保存食の中でお薦めの逸品が「究極そば」です。
ふだん乾麺ってソーメン以外に食べたことがなかったんだけど、「ポランの宅配」のカタログにあったので保存食を買い集める中のひとつとして買ってみた。2000年は無事すぎて、買ってあったものはお腹の中に処分してしまったんだけど、そばは食べる習慣がなくてそのままになっていた。夏になってソーメンに飽きたときに出してきて袋を読むと、「そば粉90%使用、今までの乾そばとちがい、国内産の良質なそば粉を使用し、秘伝の高度な技術で作った…」と書いてある。茹でる時間は5〜6分、差し水不要、だそうだ。これはカンタンだ、そばつゆは市販のを買ってきた。
作ってみたら、これがうまいんです。通ではないから、死ぬ前にたっぷりと汁をつけて食べたかった、なんてことは言う必要はない。たっぷりとつゆをつけて食べてます。休日のお昼に、出かけたときは夜食に、うまいうまいと言いながら食べている。1袋が200g入っていて2人前見当と書いてあるけど、うちではお腹が空いているときは2袋、普通は1袋半食べる。そば湯もうまいです。

2000.11.23

ビデオの映画「ジャンヌ・ダルク」

リュック・ベッソン監督はミラ・ジョヴォヴィッチを見たとたんにジャンヌ・ダルクを撮ってみたいという気になったのかもしれないほど、彼女がジャンヌ・ダルクだった。ジョン・マルコヴィッチやフェイ・ダナウェイ、ダスティン・ホフマンなどハリウッド勢が後ろを固めていて手堅い。でも途中までは緊張して見たけど、魔女として火あぶりにされるまで緊張がもたなかった。むずかしい題材だと思うけど。
それよりも、久しぶりにジル・ド・レーに出会ってうれしかったというか…。もう忘れかけているけれど、ずいぶん澁澤龍彦の本などで読んだ興味深い人物だもんね。そう言えばジャンヌといっしょにオルレアンで闘ったのだった。この映画では若く雄々しい。ここで味わった修羅場がのちの彼に影響を与えたんだろうな。

子どものころ読んだジャンヌ・ダルクは怖かった。それよかフランスの田舎の少女の話が心に残っている。なんの罪か覚えていないが、父が教会の鐘の音を合図に処刑されることになる。その少女は鐘が鳴るのを止めようと教会の鐘楼を必死で上り、鐘の中に入ってぶら下がり、鐘の音が聞こえないようにする。処刑の時間がきて死刑執行者は鐘がなるのを待つがもちろん鐘はならない。なぜか調べると少女が鐘に必死でぶらさがっていた。その孝行心に免じて父は死刑を免れる。高いところに上る怖さ、鐘が鳴るときに鐘の中に入っているのだからものすごく痛いだろう、という恐怖心が今になるまで物語を忘れさせてくれない。しかし、フランスの少女の話もこのくらいまでならついていけたのだろう。オルレアンの少女は凄すぎた。

2000.11.22

ドロシー・L・セイヤーズ「雲なす証言」

去年の秋このページのミステリーのところを見てメールをくださった人がいた。ドロシー・L・セイヤーズの「大学祭の夜」を読みたいのに、創元推理文庫はその前の「ナイン・テイラーズ」で止まったままなので、あつかましいけどお持ちの本を貸してください、というものだった。熱意にほだされてわたしとしては大サービス、本を全部コピーしてさしあげたのだった。その結果が同じミステリーページの「ドロシー・L・セイヤーズを旅して撮った写真集」になった。創元社には彼女が手紙を書き、そのうち出すというような返事をいただいている。わたしも彼女に言われて、ぜひ出してほしいと手紙を書いたが返事は来なかった。1年経っても「大学祭の夜」は出版されていない。女性に売れると思うけどなあ。
創元推理文庫でドロシー・L・セイヤーズの作品集が出ると聞いてどんなにうれしかったか。出るたびにさっさと買って何度も読んだので汚れてしまった文庫本を今日も出してきた。「雲なす証言」はわたしの憧れの人ハリエット・ヴェインがまだ出てこないが、喜劇的センスが光った楽しい作品だ。ピーター・ウィムジイ卿の兄ジェラルドが殺人の罪に問われる(という古典的な言い方がぴったり)が、真犯人を捜し出し救う。この作品にはピーター卿の一族が出てきて田舎でのイギリス貴族の生活がよくわかる。母親の先代公妃は楽しく賢い。妹のレディ・メアリは解放された女性であるが世間知らずのお嬢さんのところがある。兄は典型的な英国紳士だが嫂がえらく権高な女に書かれている。全体に古き良き時代という感じがする。
「毒を食らわば」で殺人罪で捕まったハリエット・ヴェインをピーター・ウィムジイ卿は綿密な調査で助け出す。拘置所にいるハリエットに惚れてしまって求婚するがOKがでない。探偵作家として再出発したハリエットが旅行中に出くわした殺人事件(「死体をどうぞ」)では協力して解決する。その後の「大学祭の夜」で理解しあって結婚に進むのに、出版されないなんてほんまに中途半端やわ。

2000.11.21

能楽堂で過ごした日曜日

謡を習って30年を超える兄が大阪能楽会館で「高砂」を演じるという。本人にとっては一世一代の事件だから、長年続けていて定年後はますます力を入れている地域活動の仲間たちにも来てもらうことにしたそうだ。能を見るのははじめての人ばかりとのことで、能鑑賞の手引きみたいな小冊子を作るのを手伝った。
日曜日は朝寝坊の日だがしかたがない、出演時間を目指して能楽堂へ出かけた。えらく動員力を発揮したもので、会場はほとんど満席。一番後ろの隅の席にようやく座れた。素謡「葵上」「俊寛」がすみ、能「高砂」が始まった。同じ親から産まれた兄弟なのだけれど、まったく違う性格でわたしには考えられないことをする人である。こんな大舞台でようやるわ、という感じ。能衣装を着ると動きがとれないそうで、練習のときは熊手を縦にして掃いていたらしいが、今日はさすがきちんと持っていた。衣装の袖を振ってかざすのもうまくいった、やれやれ。バックの太鼓、鼓、笛の人たちがプロだからすごくよかったし、間に入る狂言の善竹隆司さんは若い人だが鮮やかな語りぶりで、素人の芸を引き立ててくださっていた。
わたしが能をはじめて見たのは金剛巌さんの「土蜘蛛」だった。感動が残っている梅若万三郎さんの「杜若」、梅若六郎さんの「楊貴妃」、みんな故人である。毎月観世流の会に行ったこともある。あのころ見た若手たちがいま能の世界を支えているのだろう。
延々と続く謡の声にまどろみながら、たまにこういう日曜日の午後を過ごすのもよいものだと思ったが、帰りは日常性にもどった。東梅田から西梅田へけっこう長い距離を歩き、L・L・ビーンで連れ合いの靴を買い、シャーロックホームズで生ギネスとフィッシュ&チップスで夕食して帰った。

西梅田へ行く途中、阪急からJR大阪駅へ出る交差点で数人の人が空を仰いでいた。つられて見上げたら、青い空のかなり高いところに白い美しいものが8つ浮かんでいて、なんだろうとみんな口々に言っている。白鳥だ! ゆっくり歩きながら見ていたら、高層ビルのずっと上を8羽揃った真っ白な姿が南西の方向に向かっていった。

2000.11.20

堀井和子さんの本、もう2冊

パンと朝食の本のほかに同じ体裁の本が2冊ある。1988年「ヴァーモントへの本」と1989年「おいしいサンフランシスコの本」(白馬出版)だ。ヴァーモントのほうは旅しながら出会った食べ物を中心に自然や雑貨に触れている。パンケーキにバターとヴァーモントでとれたメイプルシロップをつけて食べる、その焼きたてのパンケーキの焦げ色とバターの溶け具合、メープルシロップのガラス瓶の深い色合いにため息がでる。いろいろなベリー類の花と実、それを使ったジャムやケーキ、これらは現地でしか味わえない味だけれど、こうして美しい本で眺めさせてもらう幸福というものもあるのだ。
サンフランシスコの本、こちらは少し生活が近いから作れそうなものもある。フランスパンのフレンチトーストにバナナの輪切りをのせてシナモンパウダーとメイプルシロップをたっぷりかける(これは本を買った当時よく作っていた、またやろう)、こういうものを含めた数多くのメニューを出す朝食やさんがサンフランシスコにはあるらしい。野菜、卵、ハム類のたっぷりと入ったサンドイッチ、アメリカ西部の大地で穫れた小麦でできたしっかりしたパン。豊かな材料を使った都会の料理のおいしそうなこと!
そういうおいしいものの本ではあるけれど、おいしさを伝える技がある著者と編集者、デザイナー、カメラマンたちがいることが素晴らしいのだ。最近出版された本で気がつくことだが、デザイナーが介入しているという感じを受けるものが多い。一見美しいなと思うのだけれど、読んでいるうちに鼻持ちならなくなってくる。
そういうとき、この本を出して見る。このレイアウトをじっと見て目を養っているから、毎月の「VIC FAN CLUB NEWS」も品よく(!)まとめられていると自分では思っているのです。

2000.11.18

袋ものが好き

布の袋が好きで気に入ったのがあるとすぐ買いたくなるので困ったものだ。ただの長方形の布袋に持ち手がついているだけのをたくさん持っている。どこへ行くのもこの袋を下げて行く。改まってどこかへ行くこともないから日常これで充分なんだけどね。
でも、今日はもうちょっとましなのを、つまりかばんを買いにアメリカ村へ行ってきた。ビッグステップの向かいにある(フランス語を読めないから店名を言えないのだが)パリの袋物のお店で前から目を付けていたやつ。店の品物がみんな布製のバッグで大きさと色が違うがほとんど同じ形なのだ。小振りな黒のショルダーバッグに決めてあったので買うのは早い。これでちょっとした外出がOKだ。
買物袋をぶら下げてビッグステップへも入ってきた。大きな空間にクリスマスの飾り付けが見事だ。クリスマスもクソもないわたしだって華やいだ気分になってしまいそうな雰囲気。お気に入りの2階の雑貨店にまっ赤な布に花柄の刺繍がしてあるきれいな袋があった。先にこっちへ来ていたら買っていたかも。でもエスニックすぎて合う服がないわ。やっぱりパリ製が正解だ。
かばんの買い物に満足して今日は本屋にも寄らず、大丸地下食料品売場へ行き地鶏売場が空いていたので砂肝など焼き鳥を買った。今夜はこれで熱燗にしよう。

2000.11.17

サラ・パレツキーの新作短編「PHOTO FINISH」

サラ・パレツキーの最新長編「ハード・タイム」は10月25日が発行予定日だったらしいがまだ出ていない。問い合わせたファンへの早川書房の返事は、遅くとも年内に刊行とのこと。問い合わせたかたから今朝メールが入ったので、トップページに書かせていただいた。
待ち遠しい皆さんへ、長編が発行される前に最新短編の紹介をいたしましょう。今年の雑誌に載ったものだから、いちばん新しいヴィクの姿じゃないでしょうか。
サラ・パレツキーの短編「PHOTO FINISH」は今年の夏発行された雑誌「Mary Higgins Clark mystery MAGAZINE」の“Summer 2000”に掲載されている。ミステリ評論家の木村さんにその存在を教えていただき、シカゴ在住の中野さんに送ってもらったものが目の前にある。ところがわたしには猫に小判なんですね、英語ができないんだもん。そこに手が差しのべられた。ありがたくも下岡さん(エッセイページに彼女のコーナーがあります)が訳してくださった。おかげでこうして紹介できる。

ヴィクのところへチャールストンからやってきたハンターという人捜しの依頼人が訪れる。新聞社が調査ならこの人に頼めとヴィクを紹介してくれたとのことで、11歳のときに出ていった父親がシカゴにいるはずだから捜してほしいと言う。若い美貌の男性と南部の夏の話をしていると、ヴィクも幼いころの夏を思い出し郷愁に誘われる。いい出だしだ。
苦心してハンターの父の住所を探しだし訪ねる途中、ハンターをちらと見かけたような気がしたがそんなことはないと打ち消す。訪ねた家に本人はいたが、おそろしく窮乏している様子。あなたの息子が探していると言うと、子どもはいないという返事。世界をかけまわったカメラマンだったがいまは仕事をしていない。あなたと妻のヘレンの間に産まれた息子が探していると言ってもだまされたんだろうと言う。
帰りしなに止まっているクルマが目に入った。ドライバーはシートを倒して新聞を体にのせているので顔は見えない。依頼人をホテルまで訪ねるが留守だったので、彼宛に手紙を書いて受付が棚に置くのをみて部屋番号を確認しておく。オフィスにもどると依頼人から調査中止の電話が入っていた。オフィスにいるのはメアリ・ルイーズ・ニーリイである(覚えがあるでしょ?)。ニーリイはこれで一件落着じゃないかと言うんだけど、中途半端に終わらすヴィクではない。新聞社で調べるとハンターは偽名で有名な社交界の女性の子どもだったことがわかる。そして彼女が悲劇的な死を遂げたことも。
翌日明け方に電話で起こされる。ジョン・マゴニガル巡査部長(この名前もなつかしい)からで、ヴィクの名刺を持った男が事故で大けがをしているという。それは昨日会ったカメラマンだった。続けて調査するとハンターの母の死はパパラッチの騒ぎが関係しているのがわかった。真っ青な少年が母の死体を膝に乗せて揺すっている写真もあった。
もちろん、ヴィクはホテルの部屋に入りハンターを見つける。疲れて眠っているハンターを起こして、彼がヴィクを尾けていたこと、クルマで顔を隠していたのも彼だったことを聞き出す。そして真相をあばきだすが……なんとも言えない哀しい結末です。
要所を押さえて見事な短編です。わたしはヴィク節を堪能して幸せになった。こんな紹介だけどお裾分けしたくてね。

2000.11.16

雨が多い秋

今年の秋は雨が多い。夏はあんなに雨を待望したのに降らず、降り出したらこんなに降るんだもん、たまりません。
洗濯物がオイルヒーターの上に積み重なっている。オイルヒーターは英国製でシンプルなデザインが気に入って10数年前に買ったのものだが、買ったときから姿を現しているより洗濯物が乗っている時間のほうが長い。乾ききらない冬の洗濯物の整理にとても便利なすぐれもの。
今日は午前中体操に行って、午後は週末ボランティアの「今週の資料」のために、ホームページ「掲示板」をプリントした。今週は書き込みが少ないので、“枯れ木も山のにぎわい”とばかりに数行の書き込みを入れた。最近うちの自転車が盗まれたので「自転車盗難にご用心」というもの。
それから15日を発行日としている「VFCニュース」の発送を途中まで、後は明日にしよう。メールや手紙の返事がたまっているし、アイロンかけする衣類が山になっているのだが、ぼけーっとしていたい気持ち。と書いたものの、気持ちを励ましていまアイロン仕事を片づけた。

2000.11.15

ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」

ようやく読み終えたのだけれど読み終えるのがもったいなくて引き延ばしていた感じだった。静謐という言葉がぴったりの短編小説集である。本のタイトルになっている「停電の夜に」は若い夫婦の間に入った亀裂が、工事があって続いた毎夜の停電のために、蝋燭を灯して食事したり話したりすることでふさがりそうで、ふさがらない。なんとも言えないアンニュイな書き方がたまらなく気持ちよい小説である。他の作品もおおおかたは在米インド人である知識階級の男女の物語で、結婚の相手を決めるのは親や親戚の世話になっていることが多くて、先にアメリカにいる夫とインドから来た妻との気持ちの微妙なすれちがいが書かれている。
インドに住む貧しい女を書いた2作も、耐え難い窮乏を書いているのだが淡々としていて、でも読み手の心にじーんととどくものがある。どこかあっけらかんとした書き方がとてもよい。
読んでいる間、先日見たベルトリッチの映画「シャンドライの恋」を思い出していた。あの映画を小説にしたような感じだ。表面は静かだが中身は情熱でたぎっている。
ジュンパ・ラヒリはロンドン生まれのカルカッタ出身のベンガル人で、子どものときに渡米して大学、大学院を卒業、現在ニューヨーク在住だそうです。カバーに写真があるんだけど、すごく美しい人です。

2000.11.14

ビデオの映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

キューバの音楽というとなつかしく「シボネ」が思い出される。子どものころ、父親が古道具屋で手に入れた古い蓄音機と古レコード屋で買い込んだSPレコードが家にあった。レコードというとアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団と勝手にアタマに浮かんでくる。トスカニーニという名前も浮かんでくる。後々ジャズに入れ込んだときのほかは、そのころががいちばん音楽を聴いていたかもしれない。すり切れたレコードはクラシックのほかにシャンソンや映画主題歌やキューバ音楽があった。何枚かあったキューバ音楽の中でシボネだけ不思議とタイトルもメロディも覚えている。そこで思い出は途切れるんだけど、SPレコードがLPレコードになるまでの間になにかあったんじゃなかったかな? もう忘却の彼方です。
思い出が長くなったが、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」で歌われるたくさんの曲の中にシボネが入っていて、なんか感動してしまった。ビム・ベンダースの映画は「パリ・テキサス」はよかったんだけど、「ベルリン・天使の歌」があんなに評判だったのにもかかわらず、わたしは途中で見るのをやめてしまった。それ以来彼の映画を見る気にならなかったのだが、今回はキューバとその音楽に惹かれて見ることにした。結果は見てよかった。
ライ・クーダー夫妻が70年代にキューバで聴いた音楽を忘れられなかった。そしていま散り散りになった年老いたミュージシャンたちを捜し出す。すごい老齢の彼らが元気で集まってきたこと、すぐすばらしい演奏ができたことにキューバという土地とそこに住む人間の力を感じた。そして最後はカーネギーホールでのエネルギッシュな演奏。
監督に関係なく「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、音楽をやることの楽しさをミュージシャンたちが体で見せてくれた。ライ・クーダーもほんまに嬉しそうで、見ているこっちまで嬉しくなってしまう。そして、ああ、シボネ! ニューヨークでクルマに乗るときアタマをぶつけるシーンがある。その直前にピアノでやっていた哀愁をおびた曲です。

 
2000.11.13

多肉植物に魅せられて…

良いお天気の日曜だが片方が仕事に追われているので、もっぱら家事専業で、おいしい朝食を作ったりお茶を淹れたり柿を剥いたりの大サービス。夕方息抜きにお茶しようとチャルカに行った。コーヒーとバナナケーキで、雑貨や花をあれこれ見てカレンダーを買ったり楽しい夕方であった。このページにチャルカで撮った写真をのせたので、お店の人に言ったらチャルカのホームページもあったのだった。お互いに見ましょうということになった。URLは、http://www.charkha.netです。写真について問い合わせが何件かあったので書いておきます。ここを見れば何処にあるか、どんなお店かわかるよ。
そこから熱帯植物&熱帯動物のお店にまわった。名前を忘れてしまったがサボテンみたいだが違う変わった形の多肉植物を買った。見た瞬間からこれをうちの部屋に置きたいと思ったのね。高価ならしかたがないが2800円だったので買うことにした。ちょっとの間切り花買うのを節約しよう。同じので2本植えてあるのや枝が出ているのは高かったけど、わたしが気に入ったのは1本がひょろっと立っているやつで、まあまあの値段でよかった。多肉植物は最近になってから気になりだしてこれで4鉢目。
わが家の園芸家は羊歯科と蘭科の小さい植木鉢たちに魅せられている。貧弱な枯れ葉と見まがうのもあるが、店主の話ではなかなかたいしたものらしい。こらからがコワイ。

2000.11.12

天気が良いので掃除しました

窓際の植木たちにお日様が気持ちよくあたっている土曜日の午後、部屋を片づけて今週2度目の掃除機をかけた。わたしはあんまり掃除って好きではない。家事の中で料理と洗濯は苦にならず必要に応じてやっているが、掃除機をかけるのはエイヤッと声をかけてからはじめる感じだ。でもきれいになると気持ちが良い。好きではないけど嫌いでもないというところかな。
掃除機よりもっとやる気が起きないのが雑巾掛けだ。埃では死なないという言葉もあることだし、そこそこにして、パソコン機器だけはしっかりクリーナーで拭いた。古いTシャツを細かく切っておいてある。持っているのはカジュアルな服ばかりだから着られなくなったものは捨てずに雑巾になる。板張りの床を油拭きしなくてはいけないのだが、足を痛めて以来していない。ひざまづいて雑巾掛けができないので、もうしばらくはこのままでいこう。
掃除を終えて、静かな落ち着いた午後、わたしのアタマは「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズ3冊を超特急で読み終えて満足の放心状態である。次の本に移るまでの小休止、煎茶を淹れて甘納豆を食べながら、ドロシー・L・セイヤーズとクレイグ・ライスの何度も読んだ本を取り出してぱらぱらと読むともなく読んでいる。

2000.11.11

梅田方面散歩とサラ・パレツキーの新作

女性ライフサイクル研究所のフリートークで楽しく会話を交わしたあと、今日はヒマだしまっすぐ帰らず少し歩くことにした。扇町まで市場や居酒屋のある地域を行き、扇町公園から北野病院の前へ出た。ここを通るのは何年ぶりだろう。新旧の建物が入り交じった地域で、ちょっと入ったところにある古い民家の塀にカラスウリがぶらさっがているのが見えた。YWCAの前の喫茶店モーツアルトでコーヒーとケーキを頼んで足を休め、バナナホールの前をまっすぐ行き阪急へ出た。この辺はわたしの昔の遊び場で、まだ昔の名前のまま残っている店もある。足場にしていた本屋の店主が数年前に亡くなり、店のあとはビルになっていた。

紀伊国屋でサラ・パレツキーの「ハード・タイム」を探したがまだのようだ。「ミステリマガジン」には広告が出ていたけれど、早川書房のホームページの11月前半の新刊案内になかったので、出てないとは思っていたがやっぱりなかった。
先日、はじめてのかたからメールをいただいた。ホームページに出てないから知らないのでしょう、秋に新刊が出ますよ、と教えてくれたのだ。新刊が出るのはとうの昔に知っていて会員はみんな首を長くして待っているのだが、そう言われれば、このページには新作についての記事がのっていない。発売されたらすぐわたしが読んでこの「kumikoページ」に紹介と感想を書くことにします。会員の「ハード・タイム」の感想は会報「VI」次号の特集にするつもりで、そのあとでホームページにアップということになる。

紀伊国屋を出て、ソニープラザ、ナショナルトラストの店と昔のようにまわった。これだけ歩けるように足が回復したと思うとうれしい。阪急の地下食料品売場で森嘉のうす揚げとひろうすを買い、豆狸のいなり寿司を買った。

2000.11.10

ローリー・キング「シャーロック・ホームズの愛弟子 マリアの手紙」

シリーズ3冊目。前作の最後で結婚したメアリ・ラッセルとシャーロック・ホームズはサセックスで暮らし、メアリは神学の研究に没頭している。そこへ以前パレスチナで知り合った女性の考古学者ドロシー・ラスキンから会いに行くと手紙が来る。
ドロシーがみやげに持ってきたのはたいへんなもの、見事な小箱に入ったパピルスの巻物はマグダラのマリアが書いた手紙だった。2人の学者が贋物と言ったが、自分はそう思えないと彼女はメアリに言う。楽しい午後を過ごした後、ドロシーは人に会う約束があるとロンドンに帰っていく。
翌々日身元不明の老婦人の死について、新聞に警察から協力を求める記事が出ていて、服装などからドロシーであることに気づき2人はロンドンへ行く。現場を見て事故ではなく殺人と判断した2人の探偵仕事がはじまる。
容疑者の1人に秘書となって接近したメアリが、雇い主と郊外に出かけてピーター・ウィムジイ卿と出会うところはケッサク。ピーターに用事を頼むとやすやすと引き受けてくれて、すんだ後は「どうか、パイプの御仁に私からよろしくと」「この件が終わったら週末に遊びにきてね」という仲なんてね。もう一人、トルキーンと訳されているけど、オクスフォードで会ったルーン文字に夢中な学者は「ホビット」のトールキンの若き日に違いない。
ホームズのほうはドロシーの妹の家に雇い人となって入り込む。緊密な連絡を取りながら2人とスコットランドヤードは捜査を続ける。独身を続けたホームズがパートナーについて考えを改めたことをメアリに話すところや、一つの椅子(大きいけれど)に座わるところなど、愛にあふれていてとってもいいです。
蛇足ながら、メアリ・ラッセルの独白【すくなくともわたしに関していえば、彼は、思考と行動に完全一致を求めるのだ。ああ、厄介な男、と内心ぼやいた。どうしてよその夫みたいに、愛らしい言葉に操られてくれないんだろう。】すごーくよくわかる。

2000.11.9

堀井和子さんの料理の本

堀井和子さんの料理の本はおしゃれな装幀でたくさん出ているけれど、なんといってもわたしが持っている古い本がいちばんいいと思う。白馬出版から出ている4冊のうち、今日は1986年「堀井和子の気ままな朝食の本」1987年「堀井和子の気ままなパンの本」を久しぶりに開いた。
朝食の本は少しいたんでいる。買った当時ずいぶん勉強させてもらった名残だ。“トマトとニンジンのサラダ”はいまもわが家の定番だ。“あさつきとマヨネーズ入りスクランブルエッグ”忘れてたなあ、明日の朝はメニューにこれを加えよう。“ベーグルにレバーペースト”これも忘れていた。“紫花豆のサラダ”わが家の定番だが最近作っていなかった、とページをめくるごとに思い出がいっしょに出てくる。文章が楽しくて写真がきれいで、本人が描いたイラストがすっきりしていて、本の綴じ方が、なんていうのかしら、針金のくるくるしたやつだからページを開いたときに安定していて使いやすい。本を箱に入れておくのは好きではないが、この本は別、きれいな色の薄手の段ボールのギザギザの上に小さなタイトルの紙が貼ってある。好きなのできちんと箱に入れてしまってある。わりと版を重ねていて、後のほうは箱が段ボールでなくなっていたように思う。だからとっても貴重。
パンの本は副題が「ニューヨークで出会ったいろいろな国のいろいろなパン そのお話とレシピ」とあるとおり、堀井さんがニューヨークの暮らしで得たパンについての話である。マンハッタンのアベニューを次々と歩いておもしろいお店やカフェをのぞく。ナプキンやテーブルクロスや部屋着などのリネンのお店の話からは真っ白なリネンの手触りの心地よさを感じる。それからいろいろなお店、招かれたおうちで食べたものの話が続く。自然に話題がパンになってパンのレシピがある。わたしはパンを焼くところまではしないので、おいしそうな写真を眺めているだけだけど…。
ずいぶんたくさんの人にこの本をプレゼントしたように思う。この本を買った雑貨店アリコベールにも長いこと行ってないなあ。プレゼントというとこのお店に行ってたんだけど、最近はプレゼントというものもあまりしなくなった。

2000.11.8

ビデオで「ER」続き

せっせと毎週のように土曜日にレンタル店へ通って「ER」(5)を1巻から8巻(16週分)まで借りて見た。レンタル店にはその後は置いてないけれど、8の最後に予告があったのでまだ続きがあるらしい。いつ見られるのか待ち遠しい。
昨日見たのは8巻の1、ロスがもう数時間の命の遺伝病に苦しむ子どものために、母親に懇願されて鎮痛剤の点滴がたくさん落ちる操作を教える。子どもが亡くなった後に別れていた父親が来てロスのしたことは殺人だと警察に訴える。病院側はロスの個人プレーに対する罰のひとつとしてキャロルが苦労して作ったクリニックの閉鎖を決める。いままでいっしょに行動してきたキャロルだが、ロスへの不信感がつのる。ロスがERを辞めてシアトルに行く決心をしてキャロルにいっしょに行って欲しいと頼むが、キャロルはシカゴが故郷だと言う。クリニックは他の人が運営するということで再開される。ジョージ・クルーガーはこれで「ER」からいなくなってしまうのかしら? 映画で忙しそうだもんなあ。でもこれで終わらないストーリーが用意されているのかも。
8巻の2は、ベントンがお金を稼ぐためにミシシッピーへ2週間診療に行く。クルマが故障したところへ白人の若者の車が通りかかるが、黒人とわかるとアカンベして行ってしまう。これは映画の「夜の大捜査線」になってしまうのかと心配して見ていたが、無事歩いて目的地に着く。白人の娘が逆子を産むのを手助けしたり、事故のけが人を助けたりと住民の信頼を得ていく。
思わずストーリーを書いてしまったがとにかく考え抜いた脚本なのだ。今回のシリーズは、特にベントンが息子のリースの難聴という障害を受け止め、いっしょに成長していくところをゆっくりと描いている。最初は障害を認めようとしなかったベントンが、聴覚障害者の医者の仕事ぶりをみたり、話を聞いたりしてリースをどう育てていくか現実を受け止めて考える。ミシシッピーとシカゴを結ぶテレビ電話で手話で話すベントンはすっかり明るい。「息子は難聴で…」と話せるようになったベントンが、HIV感染者のジェニー(元恋人でHIVにかかっていることを知ったのをきっかけに別れてしまった)に寄り添って、いっしょに生きようと話かけるところで終わる。

2000.11.7

ソーラービルのアラカシ

3連休と言っても用事がたくさんあって、秋の行楽とやらには無縁であり無関心である。昨日は心斎橋のアセンスと丸善に本を買いに行って、今日は近所の公園に散歩に行っただけ。
良いお天気に誘われて紅茶と菓子パンと果物を持って行き靱公園でくつろいだ。公園は人がいっぱいでみんな楽しそう。コスモスやトコナツや小菊が花壇に植えてあってなかなかよかった。毎年のことながらうれしそうに飾ってある菊の懸崖だけは好きになれない。
ついでにいつもの植木屋さんへ寄って小さな花の鉢を買った。蓼科のピンク色の花、葉の細かいミント、名前を忘れたけど淡いピンク色の細かい花。牧草の種をおまけにもらった。お皿に蒔いて育てれば室内で楽しめるという。
包みを下げてぶらぶらと帰り道、本町通に出たらおもしろい形の枠の中に木が植えてあるのが見えた。あんなビルあったっけ、といぶかしく思ったんだけど、この道に出てきたのは数カ月ぶりだから、その間に建った新しいビルらしい。10階建てくらいのビルの半分が丸く深くえぐれていて、その部分に大きな木が立っている。最上階の高さに丸い鏡のようなものが見える。側へ行くと表示板があった。木は鹿児島県から持ってきたものでアラカシであること、鏡のようなものは太陽の光を受けて木に届くようにする装置であることが書いてあった。そしてビルの名前がソーラービル。木の周りの枠はその会社が製造している橋梁用のワイヤーらしい。2000年11月吉日と日にちが入っているのでびっくりした。だって、今日は11月5日ではないですか。出来たてほやほやなんだ。

2000.11.5

ローリー・キング「シャーロック・ホームズの愛弟子」

「シャーロック・ホームズの愛弟子」(集英社文庫 819円+税)と「シャーロック・ホームズの愛弟子・女たちの闇」(集英社文庫 724円+税)を、ものすごいスピードで読み上げたところである。プルーストも「停電の夜に」も途中でほったらかしで。
わたしにとってシャーロック・ホームズは毎月VFCの例会でお世話になっているパブ「シャーロック・ホームズ」でおなじみである。通路に面したガラスに大きく描かれたドイルとホームズの顔、額に入れて飾ってあるホームズの肖像画とコナン・ドイルの直筆の紙、隅の本箱には原書がどっしりと並んでいて、それがわたしには日常になっている。だからローリー・キングが書いた本であっても、なにをいまさらシャーロック・ホームズという感じで買わなかった。ばかね。会員のあみぃさん(ホームページ楽しいです、http://www2.plala.or.jp/amy/)が、すごくいいよと教えてくれたのでようやく手を出した。
ローリー・キングは「捜査官ケイト」のシリーズが大好きで、3冊読んで後を待っているのだけれど、なかなか次が出てこない。ところが「シャーロック・ホームズの愛弟子」を読んでしまったので、いまはこっちのシリーズをどんどん読みたいと気が変わってしまった。
主人公のメアリ・ラッセルは15歳、父母と弟を自動車事故で亡くし、サセックスでいけすかない叔母と暮らしている。ある朝、丘を散歩していてけつまずいたのが、寝ころんでいたシャーロック・ホームズだった。賢い少女はホームズに気に入られ、いろいろ教えてもらうことになる。ビクトリア朝の紳士シャーロック・ホームズと第一次大戦後の新しい思想を身につけていくメアリ・ラッセルがぶつかり合いながらお互いを信じあって共通の敵と闘う。1冊目はなんとモリーアーティの娘がふたりを殺そうとせまってくるのだ。
2作目はロンドンが舞台となり権利を主張する女たちの活動の裏側が主題となる。21歳になり財産を相続し、オクスフォード大学での学問でも自信を得たラッセルは、ホームズと譲り合えない主張で緊張感が張りつめる。だけど最後はね、ふたりは抱き合いホームズが言う「きみをひと目見た瞬間からずっとこうしたかった」ふーっ、ホームズにこんなこと言わせるメアリ・ラッセルもすごいが、この小説を書いたローリー・キングもすごいわ。
第一次大戦後のロンドンと言えば、ドロシー・L・セイヤーズのピーター・ウィンゼイ卿が戦争の後遺症に悩まされているし、ピーターの妹も戦後の開放感で芸術家のサークルに出入りしていた。同じ時代の同じロンドンの街だと思うといっそう楽しい。

2000.11.4

テレビの映画「網走番外地・北海篇」

お風呂に入るときはたいてい腰湯(半身浴)である。20分くらいじっとつかって顔と上半身から汗がにじんでくるのを待っている。その間は老眼鏡が曇ってしまうから本を読めないので、考えごとをしたり歌をうたったりして過ごす。昨夜は「網走番外地」をごきげんでうたっていた。お気に入りの歌詞は「あーかいまっかなハマナスが海を見てます泣いてます…」である。
お風呂から上がって、遅く帰ってきた相棒と深夜映画があるかなと新聞を見たら「網走番外地・北海篇」がはじまるところであった。初期のものらしく高倉健がめちゃ若い、大原麗子が10代の感じ。網走の刑務所にはなんと嵐寛壽郎がいて、ケンカした高倉健を助けてくれたりする。出所した高倉健が中で頼まれた用事(母親にお金を送るよう頼んでくれという)をしに運送店に行く。不景気で払うお金がないが、北海道の奥深いところへトラックで行けばお金になると言われて引き受ける。映画はそこでロードムービーとなり、大原麗子が無断で乗っていたり、途中で心中の片割れを拾ったり、脱獄囚が乗ってきたり、けが人を運ぶよう頼まれたりする。なんやかやあって、トラックを頼んだのは人里離れたところで麻薬を製造するためだったことがわかる。それを引き取りにヘリコプターがやってくる。殺されそうになるところへ、アラカンがまた猟銃を持って出てきて助けてくれる。
最後に「あーかいまっかなハマナスが海を見てます泣いてます…」と高倉健の歌が流れて終わる。もう一つ頼まれた用事、妻を服役中に盗んだ親分のところで、結局親分の指をつめさせてしまうところがすごく生々しい。いまの映画でたくさんの殺しがあり血が流れるよりずっと怖い。また庭に投げた切った指を鶏がつつくところもリアル。さすが石井輝男監督だ。音楽が八木正生だから全体にジャズが流れて前衛的な映画みたいなところもあり微笑ましい。

2000.11.3

お風呂でうたう歌

わたしはうたうのが好きだがカラオケには行ったことがない。もっぱら道を歩きながらとお風呂である。道を歩きながらだと大きな声を出せないのがつらいわね。鼻歌でがまん。いつかいやなことがあったとき、自分を鼓舞するように自然にスキップしてしまった。たまたま近所の人とすれ違ってしまい、じっと見つめられてね。アタマがおかしいと思われたんじゃあないかな。
まあ、お風呂なら大声出しても安全だ。でもさあ、うたう歌がね、いつも同じ。歌謡曲は「アカシアの雨に打たれてそのまま死んでしまいたい」こればっかり、あとは「恍惚のブルース」か「人生劇場」か「網走番外地」ってところ。小学唱歌「園の小百合、なでしこ、垣根の千草、今日はなれを眺むる終わりの日なり…」もよくうたう。映画「どっこい生きてる」の主題歌「雨や風にはひるみもせぬが、ニコヨン暮らしはアブレがこわい…」これも哀愁があって好き。うたごえ歌集から「カチューシャ」「雪の白樺並木…」なんか。「シベリアの大地は水と森はてしもなく…」というのも好きである。
そんなことをお風呂で歌いながら思い出していた。そこで急に昔のソ連(いまはロシア)の評判の映画「シベリア物語」のことを思い出したんだけどね。うんと若いころこの映画を見てソ連が階級社会であることを理解した。映画の最後にインテリはインテリどうし結ばれ、トラックの運転手は食堂のウェイトレスと結ばれる。それがソ連の自然な姿に、宣伝映画制作の意図を超えて描かれていると子ども心に思ったわけ。ひねた子どもだったんだなあ。お風呂でうたう話がなんでこうなっちゃうんだろう。

2000.11.2

田中康夫さんとの午後

最近は毎日のようにテレビに田中康夫さんの姿が写っています。昨夜のニュースでは、名刺折り畳み事件があった後ですから、挨拶に訪れたところのパンフレットをもらって折り畳み、「これは折ってもいいんですね」と冗談を言われてました。それで思い出したんだけど、田中さんが紙を折る話を書きますね。
私が田中さんにお会いしたのは「阪神・淡路大震災 週末ボランティア」(週ボラ=当時は仮設住宅を訪問してお話を聞くボランティア、今は復興住宅)で、最初は週ボラが活動をはじめて100回記念だかの集会に講演に来られたときです。当時代表の東條さんがお願いしたのですが、週ボラメンバーの田中さんに対する評価がもひとつよくなくて、私は「なんとなくクリスタル」時代から読者ですから、援護の気持ちで参加しました。で、講演中は好意あるまなざしを送っていました。田中さんと神戸で知り合うまでなにも知らなかった東條さんに「噂の真相」の「ペログリ日記」を拡大コピーしてファックスしたことなどを思い出します。
2度目は週ボラの仮設住宅訪問活動に参加されました。このときは東條さんが田中さんと私が一緒に行動するように編成してくれて、ほか2名の男性と4人で数軒の住宅を訪問したのです。軒先で話すこともあるし、部屋に入れてもらってゆっくり話すこともあります。お留守の家には“留守シート”(A5の用紙にイラストが入った挨拶文、“今日伺ったがお留守でした”という)を郵便受けに入れておきます。たいていは書いてある面を中に折りますよね。それを「ただのチラシと間違われて捨てられたら困るから、週ボラであることがすぐわかるように書いてあるほうを外に折ったら?」と言われて実践されました。ごもっともです。紙を折る話というのはこのことです。
このときに、私もそうしているんだけど田中さんが訪問先の表札を見て、ちゃんと名前を呼ばれることに気がつきました。訪問前レクチャーが毎回あって、訪問先の女性に“おばさん””おばあさん”と呼んではいけないと念を押されます。そのことを話して「私も“おばちゃん”と言われてハラがたったことがある」と言ったら「それでどうしたの?」と聞かれるので、「私はあんたの親戚やないで、表に出るか、って言いました」と答えたら大笑いで、それからは私のことをS嬢と呼んでくれるようになりました。アホみたいな話ですが、「噂の真相」に何度か出ているS嬢とは私のことです(笑)。
その次は震災記念日でした。恋人(と言っていいと思うんですが)のW嬢と参加されたのですが、是非とご指名を受けて3人で行動しました。1軒の家で80代の女性の地震からの延々と続く人生の話を2時間か3時間か聞いていました。寒い部屋で足からお尻から冷気がやってきて震え上がりながら。拠点にしているふれあいセンターにもどってから「支援シート」を書きます。田中さんとW嬢は真剣に聞いたことをまとめてました。
移動中など時間が空くといろいろ質問されます。仕事のこと好きな小説のことなど。私はちゃんとサラ・パレツキーとヴィクを宣伝しときました。
こんなことを当時VFCの「ニュース」や週ボラの「掲示板」に書いたものですから、長野県知事に立候補されたときは友人たちに「S嬢どない思う?」って聞かれたりしましたが、まあ、袖摺り合うのも他生の縁、みたいなもので少しくらいは気になりますけど。

2000.11.1
 
写真:チャルカにて

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