2000年10月
本町の西側、御堂筋を曲がったところ、以前ビフテキの花房だったところにしゃれたレストランができた。ずっと更地で広い場所なのでなにができるかと思っていたら大きいレストランだ。わたしにはあんまり関係がないと思っていたが、おいしいパンを売っていると聞いたので行ってみた。
全粒粉のフランスパン、田舎風のパン、おしゃれなクリームパンを買った。ここまで来たから、ちょっと南御堂さんに寄っていこう。本堂の横に獅子吼園という庭園がある。獅子が口を開けて叫んでいるように見える大きな石がどーんとあるから獅子吼園というのであろう。また芭蕉の句碑があることでも有名だ。多分芭蕉終焉の地のはずなんだけど、はっきり知らない。この辺りに来たときにひとときの静寂を求めて寄るだけだ。庭園を流れる水の音がこころを安らかにしてくれる。お腹が空いてきたのでベンチに座ってクリームパンを食べ、けっこう和ませてもらって帰ってきた。
ついこの間まで暑い暑いと言っていたのに、日曜あたりから寒いほどだ。昨夜はガスヒーターをつけた。温かい料理が恋しい。パンに合った温かいもの。じゃーん、アイリッシュシチューに決めた。超簡単だが煮込む時間だけは1時間かける。
わたしが女性ライフサイクル研究所(FLC)の会員になってから5年経つ。年誌第5号《阪神大震災─女の視点から捉え直す》を新聞の家庭欄で読んで申し込んだときからだ。それから毎年、年誌と年4回のニューズレターを送ってもらい、ときどきフリートークに参加させていただいている。それからたまにニューズレターに投稿している。
いつも感心してしまうのだが、FLCほど真面目なところをわたしは知らない。わたしもおちゃらけが嫌いで生真面目だと思っているし、VFCは真面目な人の集まりだなあといつも思っているんだけど、ここほどではないわ。ほんとにすごいところだと思う。
今年の年誌の特集は《フェミニスト心理学をつくる─癒しと成長のフェミニズム》だ。送ってもらってからもう半月も経っているのに、なかなか読むのがはかどらない。わたしは小説を読む人で、FLCは学問の本を読んでいる人の集まりだなあとつくづく思う。しかもその学問は机上のものだけでなく、開かれた具体的な人間相手のものなのだ。
サラ・パレツキーの小説を読んで知ったアメリカにおける社会問題(幼児虐待、妻への暴力、レイプなどなど)が、日本にも起こっていているのは知っているけれど、その問題で闘っている人がたくさん関西にいることなど、わたしはFLCの年誌で知ったわけね。ちょっと情けないなと思うし、知ったからといって自分になにもできないのもわかっているけど、わたしの場合、せめて自分の身の回りの人や、VFCの会員たちの話を聞くことくらいはしていこうと思っている。
昨夜はVFCの例会日、買い物を先にしておこうと早めに梅田へ出た。シャーロック・ホームズと同じビルに石井スポーツ店がある。体操の冬用トレーニングパンツのいいのが欲しい。スーツもワンピースもいらないけれど、カジュアルウエアだけは上等のフリースにしたい。ということで探していたが、近所には気に入ったのがなかった。ここにはアシックスのウエアがあったので買った。ちょっと高かったが濃いめのブルーグレーがとても素敵。
例会日はいつも地下鉄から地下街に入ってしまうので外を歩くことはめったにない。ビルの1階には古本屋が数軒あるのに最近は入ったことがなかった。時間があまっていたのでぶらっと入ったら、ここに「シャーロック・ホームズの愛弟子」があったんですね。実は先日買ったのはシリーズの(1)が品切れで(2)であった。それで(1)を買ってから読もうと楽しみに置いてある。うれしくてすぐシャーロック・ホームズへ行ってギネスを片手に読み出した。
すぐ会員のUさん、Sさんが来てにぎやかにおしゃべり、そこへシャーロック・ホームズの女主人が紹介してくれたのがシャーロック・ホームズのファン・クラブのメンバーの男性だった。若くて独身でものすっごくミステリーにくわしい。欧米本格からはじまって日本の新本格に心理もの、ハードボイルドはあんまり読まないと言いつつ、けっこう読んでいると見受けられた。ふだんミステリーのことを話す相手がないそうで、喉の渇きを癒すが如く喋る。ま、こちらもSさんが蘊蓄を少々傾けて応戦したけどね。時間を見計らって途中退場されたのでわたしらはほーっと一息。
VFCの例会ってミステリーの話はほとんどしなくて、人生の話ばかりしているもんね。それからはまた3人でなんやかやと喋って今月の例会は終わった。
金井美恵子が絵本について書いている本ということで、広告を見たときから買うつもりだったのにころっと忘れていた。だがえらいもので、本屋に行ったらこの本が並んでいる棚に引き寄せられてしまった。
まず表紙がきれいだし、本を開くと絵本の表紙や中の絵がいっぱい入っていて、きれいなレイアウトで読みやすい。しかし絵本についての本と言っても、書いているのは金井美恵子だからさーっと読み通すわけにはいかない、曲がりくねったいつもの文体である。
以前、絵本の専門家に彼が新聞で紹介していた本を「私もあれ好きです」って言ったら、「私は嫌いだ」と返事されてびっくりしたことがある。要するに客観的に本を紹介しただけということらしい。金井美恵子はそんなことはもちろんしない。気に入った本についてぞんぶんに書いているだけである。ただ絵本について私と好みが合わない部分がたくさんあるということを発見した。
絵本の話は「タンゲくん」からはじまるのだが、ネコのタンゲくんは私も大好きだけど(タンゲくんのこわい顔のTシャツを手に入れたときはうれしかった)、ここまで分析して書けないなあと感嘆するしかない。そしてマドレーヌのシリーズ(また買い直して読もう)、ピーターラビットのシリーズ(わたしもピーター柄の食器を持っている)についても鋭いし楽しい。
こういう本は、こちらの好きな本をほめているとうれしいが、嫌いな本をほめているとうっとうしい。わたしはモーリス・センダックは嫌いなので飛ばし読み。
「三月ひなのつき」や「くまさん」を読むと、金井美恵子は幸福な幼年時代を送った人だなあと思う。しかしそれだけの人ではない。本の最後で、マーガレット・ワイズ・ブラウンとジャン・シャローの「おやすみなさいのほん」「おはようのほん」について【選ばれた幸福な中産階級の子供たち以外の、もっと別のところで生きている子供たちに向かって語りかけようとする意志をみてとることが出来るかもしれない。】と書いている。絵本というものを中産階級が生みだし中産階級的知識やマナーを教えるためにあるということを認識したうえで、最後にこの言葉に至る。
タイトルもいいよ。「タンゲくんがいるだけでうれしいです」「食べものとしてのうさぎ」「静かな夜と眠り」、ね。
「ポランの宅配」で、新鮮な紅玉が手に入ったのでアップルソースを作ることにした。酸っぱいせいか紅玉って最近お店であんまり見かけないから貴重だ。そのまま酸っぱいのを食べてもいいが、ソースにするとまた格別の味わいがある。作るのは簡単、ビタクラフトの鍋に薄切りしたリンゴを入れて(水、砂糖などなんにも入れない)弱火にかけておくだけ。30分くらいでできる。他の鍋で作るときは水を少々入れる。
できたアップルソースを小皿に入れて食べながらいまマックに向かっている。
昨日はカリフォルニア在住のかたから入会希望のメールがありました。海の向こうでこのページを読んでいる人がいると思うとうれしくって! 「シカゴだより」の中野さんもシカゴからメールをくださったのが最初です。その縁で東京在住の会員梅村さんが用事でシカゴへ行かれたときに二人で楽しい一夜を過ごされました。(このときの報告はもう少ししたらシカゴページにアップします)
このページを毎日20人くらいの人だけれど、読んでもらっていると思うとほんとにうれしく励みになります。はじめて読まれたかた、何度も来てくれているかたも、ご感想ご批判なんでもメールをくださればありがたいです。返信しますので。
「掲示板」をという声も聞くのですが、ヴィク・ファン・クラブは会員制で、会報(年2回)と「ニュース」(毎月)を発行しており、「掲示板」「メーリングリスト」のようなものは「ニュース」で行っています。で「掲示板」はつくりません。
翻訳者の山本やよいさんにいただいた本、もちろんやよいさんはサラ・パレツキー作品を全部訳しているかたである。
女性もの翻訳ミステリーはしっかりジャンルができたようだ。一時4Fとか言ってもてはやされた時代があった。VFCもずいぶん恩恵(?)を受け、新聞の家庭欄や文化欄に登場した時期があった。それから何年か、わざわざ4Fと言わなくても翻訳が続々出版されている。一定の読む層がいるのだろう。ミステリー雑誌の書評など読むと、女性ミステリーは男性の書評家にずいぶんバカにされているが、なにもオトコものだってイアン・ランキンほどの作品は少ないのだから、声を大にしてバカにする必要はないと思うけどね。
この「女性キャスター」の著者をちらりと見て間違える人がいるかもしれない。「J」のところが「H」ならば有名なメアリ・ヒギンズ・クラークだもんね。「J」は「H」さんの息子の奥さんだけど離婚したそうだ。でも、この名前でデビューしたほうがトクと思ってやるところがしっかりしている。
テレビ局でのライターの仕事をしてきたので、小説を書くとき、よく知ったテレビ局で働く人々を主題に選んで書いたそうだ。疲れ切っていても、カメラの前に立つといきいきと働く女性が書かれているのもそのせいだろう。主人公のイライザはとても素敵に書かれている。が恋人のマックがね、ちょっとこんなやつがいるか、と考えたらいるような気もするんだけど…。
今日は久しぶりにアメリカ村を散策し、アセンスとヴィレッジ・ヴァンガードで本を買ってきた。金井美恵子の「ページをめくる指」、ジュンパ・ラヒリ「停電の夜に」、ローリー・キング「シャーロック・ホームズの愛弟子」、雑誌「小説ジュネ」12月号、これで当分秋の夜長を楽しめる。
帰ってから冬に向けて部屋の模様替えをした。今年は冷やすのがコワイので、ごちゃごちゃ言わずに電気カーペットを買うことにして、その分の床を空けた。体操もするんだもんね。ま、「あしながおじさん」のジューディの部屋にパソコンを置いた感じかな。「ポパイ」とか「オリーブ」のインテリア特集号に出したいなあ。あとはガスストーブを出して冬のカーテンに替えるだけ。
週に1回の体操教室が楽しくなってきた。わたしにはできないことが多いが、できる人は3年近くやっているそうなので、安心して自分にできることだけをやっている。同じくらい下手で仲良しになった人もいるし、たまたま組み手の相手になって教えてくれ、微笑みを交わす友もできた。教室まで散歩がてら道をじぐざくに20分くらい歩くのも、長いこと朝の散歩をしていなかったわたしにはうれしいことである。
今朝は大阪市立西高校の校庭の周りに植えられた木犀が咲いているのを発見してうれしかった。こんなにたくさん植えてあったなんて、いままで気がつかなんだ。満開の木犀を昨日は今年はじめて見たのに、今日はまた続きでたくさん見られてうれしい。
体操は楽しい。体を動かして汗をかく快楽ってあるんだ。最近はだいたいのメニューを覚えたので、毎日風呂上がりに30分体操する。足の調子もまずまず上がってきたし、お腹の肉が引っ込みそうな気がする。気がするだけでまだ実績はなく、それよりも食欲のほうが先に進んでいるようでちょっとなあ、ってところ。
こぼれ落ちていた木犀の花を拾ってきて盃に入れてテーブルに置いた。いい香りが部屋中に漂っている。そこで柿を剥いて食べると、秋の幸せがじわーっと押し寄せてくる。
木犀の花が咲いているという新聞記事を読んだり、もう散ったという友人のたよりを聞くと、こころ穏やかではいられない。先週だったか、毎年咲くのを楽しみにしている事務用品メーカーのプラス本社の前を通ったとき、花など知らんとばかりの木犀の木であった。
今日通ったら、もうっ! 満開! で香りが遠くからでも感じられた。あ〜よかった。ここの木犀は大木で花が咲くととっても豪華。ありがとう、プラスのコピー用紙使っているからね。
それから毎年咲いている場所に行ってみた。みんなよその家とかマンション、会社の前なんだけどね。みんな咲いていました。みんな満開。ここいらもみんなにありがとう、だ。
今日は髪を染めカットしたのでとっても良い気分。
昨日のこのページで、夜遊びの外出をする元気がない、って書いてからなんとなく淋しい気持ちがしたんやけど、家で夜遊びしているのを忘れてたわ。外出の夜遊びよりももっとおもしろいもの、それはインターネットだ。
夜の外出を控えるようになったのはいつごろだったかな、と考えたら、レーザーディスクを買ったせいもあるのを思い出した。家で映画を見だしたらおもしろくってソフトがどんどん増えた。昔見た映画、見たかったのに見逃していた映画、何度も見たい映画、もう欲しいのをどんどん買った。高かったのにね。その見たい欲求があること、なにがなんでも欲求を満足させたい情熱があることがわたしの強み(笑)。そのせいでいつもお金がなくてピーピーしているのだが。
見たいから買ったわけだけれど、見てしまうとどうでもよくなるのがけっこうあってね。昔からものを持たないようにしていたが、阪神大震災以来、特に持つことに執着しないようになった。レーザーディスクのソフトはほとんど処分してしまい、ほんとに気に入ったものだけを残している。とはいえ、いまあるレーザーディスクの機械が壊れたらどうしよう?
映画はレンタルビデオでじゅうぶんかな。本は図書館でじゅうぶん…ではないな、本はそこまでいかへんね。
それよかインターネット、いまはこればっかり。
「お茶飲みに行けへん?」という言葉ひとつからでも思い出すことが多く、時代をさかのぼってはるかかなたから始まるので長くなりそうだ。
その昔、うたごえ喫茶というのが大阪にもあって店の名は「炎」だった。本町のビルの何階かにあり、だだっ広い店に何回か行った。恥ずかしくもハイキングのグループでみんなの前に立ち“娘さんよく聞けよ、山男に惚れるなよ”という歌を唱った覚えがある。その前後には難波に「ナンバ一番」という、グループサウンズがライブをやる店に行った。これはこれで別のグループ活動。また別の面々で「どん底」という店にも行ったような気がするが、ここは飲み屋だったかも。
名曲喫茶「ウイーン」というのがミナミにあった。キタにもたしか「日響」という店があった。クラシックファンの友だちと行って静かにコーヒーを飲みながら、リクエストしたレコードがかかるのを待ったものだ。「ウイーン」は席がみんな前に向いていた。真ん前にたしかステレオがあり、曲名が白い紙(学芸会のプログラム用のようなやつ)をめくって知らされる。しゃべると「しーっ」と店主か他の客に怒られた。今から思うとずいぶん滑稽な風景だったね。レコードが高価な時代の話だ。
「こんなとこ知ってるか」って大人ぶった男に、桜橋にある色気のある女性がえぐれた胸元からマッチを出して、タバコに火をつけてくれる喫茶店に連れて行ってもらったこともあった。あれはなんという名称の喫茶店だったか。女どうしで行く洋酒喫茶にもよく行った。20人くらい座れる大きな馬蹄型のテーブルの真ん中に美男のバーテンがいて、カクテルをつくってくれる。お目当てのバーテンを目がけて行き、たいていのカクテルをここで覚えた。
何年かは普通の喫茶店「アメリカン」とか「モカ」とかの時代が続き、そのあとは一気にジャズ喫茶になった。大阪と京都のジャズ喫茶はそうなめに行った感じ。天王寺の「マントヒヒ」は年がら年中行った。外に出ると「三喜屋」「丹波屋」など飲み屋があり、維新派や憂歌団のメンバーをよく見かけた。維新派には友人がいたので、この話はまたいつか書くことがあるだろう。
京都では「カルコ」と「蝶類図鑑」がお気に入りだった。京都の街を相棒と歩いていると「今日はどこでライブがあるの?」って知らない人に聞かれたりした。京都でのライブにしょっちゅう行っていたから、ただ歩いていただけなのに、なにかあるからだとどこかで会った人は思ったらしい。毎日まともに働いていてよくこれだけ出かけられたものだ。体力があったんやなあ。
そのあとはカフェバー。四つ橋の「パームス」に土曜の夜出かけ、日曜日の夜明けに歩いて帰るときの堀江公園の木々が美しかったこと! 古い酒問屋のビルを生かしたお店で、1階がカフェバー2階がバーで、来日したミュージシャンや東京から来たミュージシャンやおしゃれな連中がよくたむろしていた。「ロックマガジン」の阿木さんたち、絵描きの友人たちとよく行った。80年代になったころからいつの間にか行かなくなって、店も何度も様変わりした。いまも建物はあって、アジア料理の店になっている。
南森町の「チャイハナ」もよく行った。夜は飲み屋になっていて、後に東京に行きお洒落な店をやって、ブルータスなんかによく出ていた○○右衛門と名乗る料理人が作る料理がおいしかった。
このころから大阪ではチャイだ。南森町にあったころの「カナディアン」に仕事の納品の帰りによく寄った。そこから移転した谷町のお寺がいっぱいのところにある地下の「カナディアン」にもよく行った。アメリカ村にもチャイの店ができた。ネパールのカレーを食べてチャイというコースはいまもときどき行く。「カンテグランテ」と「モンスーン」。
最近は「スターバックス」かな。コーヒーとサンドイッチで昼食にするという手軽な楽しみがある。御堂筋のお店では、最新流行スタイルの男の子たちを眺められるという目の楽しみもある。
こんなことを堀江のカフェ「チャルカ」で、土曜日の午後、流れるミニマルミュージックをぼーっと聞きながら、バナナケーキとコーヒーを前にして考えていた。「お茶にいこう」っていままで何回言ったり聞いたりしたのかなあ、と考えると、そのときどきの友人たちの顔が思い出される。決して同じメンバーと次の時代には行かないのよね。そのときどき、流れる水のように人とつきあう。そして新しい友だちに言う「ちょっとお茶飲みに行けへん?」。
さすがにクラブにはもう行けない。外での夜更かしは明日にさわる、なんて言うようになったらおしまいよね。それに大音響のロックが騒音になったからほんとにおしまいだわ。それに着ていく服がないしねえ。
わたしのアタマの中にはキラキラ光っている女性が何人かいる。映画のヴィヴィアン・リー、バレエのマーゴ・フォンテーン、音楽のジャクリーヌ・デュ・プレなど、彼女らの私生活なんかどうでもよく、それぞれの仕事で輝いているところだけを愛している。
だから「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」という映画が上映されても行くつもりはなかった。ところがジャクリーヌ・デュ・プレを演じている女優がエミリー・ワトソンとなると話がちがう。「奇跡の海」の夫を愛してとことんまでいってしまった女性、「ボクサー」のIRAの闘士の妻であり子どももいるけれども、昔の恋人との愛が燃え上がる女性、これほどせっぱ詰まった表情を見せる女優を他に知らない。そのエミリー・ワトソンがジャクリーヌ・デュ・プレになっているのなら、見なければ。
見てよかった。ジャクリーヌ・デュ・プレはほんとうにたいへんな人生を生きた人であった。なんで病気は絶頂期の彼女に襲いかかったのだろう。また天才を家族にもった人たちが引っ張りまわされるありさまも、ほんとうにたいへんだ。演奏先の街から小包がとどいて家族総出で喜んで開いたら洗濯物が包んであって、あっと言ったりするところなどおもしろかったが、ジャクリーヌが身勝手なようで、でも慣れない街のホテルで言葉も通じない、洗濯もどうしてよいかわからない孤独を味わっているのだ。
バレンボイムと結婚していたことや、演奏家としての生活や、病気になってからマーゴ・フォンテーンの家で世話になっていたことなど、はじめて知った。クラシック音楽の人なのでつい時代と切り離して考えていたが、ビートルズやミニスカートの時代の人なのだ。
エミリー・ワトソンはインタビューでジャクリーヌを自分から追い出すのに数カ月もかかったと言っている。それほどに入れ込んで演じている。そのエミリー・ワトソンが主演の映画がこの秋2本くる。「クレイドル・ウィル・ロック」と「アンジェラの灰」。えらいこっちゃ。
自慢するわけではないがうちのカレーはうまい(やっぱり自慢だ)。チキンと野菜のカレーにいま凝っている。月に2回くらいつくるかな。
ニンニクとタマネギをたくさん、大鍋で20分ばかり炒める。火を弱めて炒めるかたわら、チキンにカレー粉をまぶして別のフライパンで炒めておく。野菜をたくさん(今日は、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、三度豆、ピーマン、カリフラワー、生椎茸、茄子であった。トマトはあとで入れる)切っておく。タマネギのかさが減って金色になってきたら、チキンを入れて野菜を入れてまた炒める。野菜スープが作ってあるときはそれを入れるが、ないときは水を入れて、月桂樹の葉っぱを入れる。ぐつぐつさせてからカレー粉とタラゴンやらクミンやらコリアンダーやら、手許にあるスパイスを入れてまたぐつぐつ炊く。30分ばかりしてトマトを入れ、そのあとでグラムマサラを入れてまたぐつぐつ。これでできあがり。塩は入れない。
いやもうおいしくておいしくてたまりません。大鍋いっぱいあるから今日食べて冷蔵庫に入れておく。あと3回食べられる。
昔から手紙を書くのが好きである。もらうのも大好きである。毎日数回メールが来ているか調べる。その他にファックスがたまに来る。そして郵便箱を見る楽しみがある。それぞれ楽しい。メールにはメールで、ファックスにはファックスで、郵便には郵便で返事を出す。
それぞれよいところがあって、これがいいって言い切れないよね。メールは革命的なできごとだった。ホームページを見てくださったかたとのメール交換は楽しい。毎日メールを出し合う友もいる。いままで手紙だった友人から、突然「初めてのメールです」というメールがとどくのが嬉しい。
ファックスは相手の字がそのまま読めて、しかもすぐ着くところがいいわね。ファックスの向こうにいる友だちの息づかいが聞こえる感じ。そして電話でおしゃべりする。
手紙は相手にとどくまで時間がかかるぶん楽しみが長持ちする。それにプラス便箋と絵はがきと切手の楽しみ。最近は手紙を書くことが少なくなったから便箋を買う楽しみが減った。文具屋や雑貨屋に行くことも減った。でも在庫がまだまだあって、先日遊びに来た友人に見せびらかしたら、なんたる無駄遣いと言われてしまった。「あんたが1年間に田舎に帰ったり旅行したりするお金ほどかけてーへんのやで」と答えておいたが、なんというか世間に認められないお金の使い方ばかりしているようで嬉しいわ(笑)。
イアン・ランキン「死せる魂」(原題 Dead Souls)のタイトルはマンチェスターのパンクバンド「ジョイ・ディヴィジョン」の曲名「Dead Souls」からとったものだということを、訳者のあとがきで読んで、わたしはしばし、ぼーっとなっていた。
「ジョイ・ディヴィジョン」は1977年から3年間だけ活動したとある。だったらボーカルのイアン・カーチスの自殺は1979年か80年のことだったんだ。わたしは「ジョイ・ディヴィジョン」が好きだった。イアン・カーチスの歌い方が好きだった。不安な感じがたまらなかった。輸入レコード店に通って新しいレコードを待ったことを思い出す。レコードジャケットもとってもよかった。いまでも口ずさむことがよくあるのだが、スピードがあって切れ味がよくて、そして不安に満ちている。たった数分間写っているイアン・カーチスが歌う姿のビデオを持っている。赤いシャツのイアン・カーチスの不気味な歌いかたは死の予感がする。わたしにとってイアン・カーチスは約10年後に現れた阿部薫だったが、活動期間は短く、その死は阿部より1年か2年遅れただけだった。
わたしはそれからしばらく音楽から遠ざかっていたが、80年代もずっとあとになってU2が引き戻してくれた。
イアン・ランキンの小説はどれも長くて本の厚さにめげてしまい、読みはじめるまでに時間がかかる。でも読み出すとはまりこんで、ジョン・リーバス警部が行くところ、どこであってもいっしょに行ってしまうのだ。今回もさまざまな場所で起きた犯罪が重層的に描かれる。そして最後におさまっていくのだが、とても解決とはいえない解決で、問題の重さがずっしりと胸に残る。
故郷の友人夫妻の一人息子デイモンがエディンバラに遊びに出たまま帰ってこないのを探し続けるのを縦糸に、釈放された幼児虐待者をめぐる住民の動き、めぐまれた環境にあった同僚の自殺か事故か原因不明の死、等々さまざまな事件がある。そこへアメリカから釈放された殺人犯オークスがエディンバラへ戻ってくるという。殺人犯には新聞記者が独占記事を書くためにへばりつきホテルを世話する。
リーバスの娘サミーは前作「首吊りの庭」で事故に遭い、車椅子でリハビリ中である。リーバスは恋人のペーシェンスといっしょに暮らしはじめたのに、昔の恋人が息子を捜しに出てくると気持ちがゆらぐ。そんなこんなのリーバスの忙しいことったらない。ずたずたになりつつも幼児虐待の真相にせまり、失踪したデイモンの行方を追って上流階級子女の腐敗に行き着く。同僚の死のおどろくべき原因も明らかにする。主任警部ジル・テンプラー、刑事シボーン・クラークの2人の女性が気持ちよく書かれているのがいい。(ハヤカワ・ミステリ 1800円+税)
毎週日曜日の新聞には書評のページが大きくとられている。本が好きで活字が好きだから、毎度毎度目を通すけれども、書評を読んで本を買うことはほとんどない。はじめから買うつもりの本について書いてあれば、書評を書いている人がどう書いているか読むだけのことだ。ただ出版情報としてこんな本が出ているというのは参考になる。だいたいにおいて期待していないから別に話題にもしない。でも今日の朝日新聞の川上弘美さんのジュンバ・ラヒリ「停電の夜に」という本の書評がすごくよかったので、ごちゃごちゃとここまで書いたわけ。
書評のタイトルの「美しさ、笑い、絶望…ものすごくよいのだ」にまず惹かれた。そして本文全体を引用したいくらいなんだけど、それは今朝の朝日新聞を読んでください。最後が「なんだかとても、嬉しい」と結んである。わたしは近々この本を買いに行くつもりだ。
書評ってなんだろうと考えるのね。数年前、わたしは2年ばかり連続して指定されたミステリーを毎月3冊読んで、ミステリー愛好会の会報に書評を書いたことがある。苦しかったのは読みたくない本を読まなければならなかったこと。ただよかったのは基本的に本を自分で買って書いていたので、気兼ねせず自由に書けたことだ。
この経験で、書評って自分が好きだから、他の人にもこの本を読んでもらいたい、って情熱から書くからこそ通じるものがあるということがわかった。
なんと美しい恋の映画だろう。久しぶりのベルナルド・ベルトリッチ監督のすばらしい濃密な恋の映画である。
アフリカの村で夫が政治犯として逮捕された女性シャンドライ(サンディ・ニュートン)はヨーロッパに逃げ、ローマで大きな屋敷の使用人となり、働きながら医学の勉強をしている。その屋敷には英国人のピアニストキンスキー(デヴィッド・シューリス)が独りで住んでいる。叔母から相続したという屋敷は中央に何階もある螺旋階段があり、古い骨董品が飾られ、いつもキンスキーは黙ってピアノを弾いている。訪れる人はたまにピアノを習いにくる子どもたちくらいだ。各部屋に飾られた置物の埃を払い、螺旋階段の手すりの美しい模様を拭く毎日。ピアノを弾きながらピアニストはシャンドライが働く姿を眺め、彼女を愛するようになっていき、ある日突然求婚する。夫が獄中にいると答えた彼女をあきらめたようなピアニストだったが、それから屋敷の骨董品がなくなっていく、壁のタペストリーも業者が引き取りに来る。やがてピアノが…。
すべてを売ったお金はシャンドライの夫を牢獄から解放するために使われたのだ。ある日夫からそちらへ行くと手紙がくる。すべてを悟ったシャンドライは夫が着く前夜、感謝の手紙をキンスキーに書きだすが、その文字は感謝から愛の告白になっていく。朝、夫が到着するが…。
デヴィッド・シューリスは、人前で演奏することもなく寡黙に生きているピアニストを、ちょっと異常な感じでだしてよかったし、サンディ・ニュートンは知的でありながら原始的な魅力があってとっても素敵だった。なんといってもピアノがね、すっごく官能的でよかった。やっぱりベルトリッチはすごい人だ。
東洋体操をはじめてから1カ月、休まずに毎週1回2時間続けている。なんとなく肩こりがやわらぎ、足も元気になったような気がする。でも「思い切って悪くしたね」って言われているくらいだからまだまだだ。早く正座ができるようになりたい。
軽い体操からだんだんむずかしいことをやっていくのだが、寝転がって足を曲げてお尻の下に挟み込むとき、「できる?」と聞かれて「がんばってみる」と答えたら、「がんばったら、あかん、あかん」と先生があわてて大声でとめた。全員の爆笑をさそってしまったが、でけへんことまでがんばってしまう、いやな性格なのだ。同時に入会した人はのんびりしたもので、「でけへんもんはせーへん」主義者である。うーん、うらやまし〜。
“まじめ”と“がんばる”が嫌いな言葉だと若者が言ってるとかなにかで読んだけど、わたしは“まじめにがんばる”のを悪いともダサイとも思わない。ただわたしの場合、やりすぎてしまうのがナンギなんである。当分「がんばったら、あかん」をモットーに暮らしてみたい。
とか言いつつ、ヴィク・ファン・クラブのニュースA420ページをばたばたと作り、送ったところである。ああしんど。またがんばってしもた。
図書館の料理本の棚にひときわ美しい背を見せていた本。副題が“ガートルード・スタインのパリの食卓”である。アリス・B・トクラスとガートルード・スタインは女性どうしのカップルでパリで暮らしたアメリカ人である。ガートルード・スタインは「三人の女」などたくさんの小説を書いた人で、アリスはパートナーとして秘書として、出会ってから40年を共に生きた。ガートルード・スタインが書いた「アリス・B・トクラスの自伝」で世に知られたアリスが、ガートルードが亡くなってはじめて書いた本である。
そういう人の料理の本なのだから中身もたいしたものだ。ピカソのためのスズキ料理には、フランシス・ピカピア風オムレツがついている。キッチンの殺人とタイトルがつけられた章には、田舎から鳩が6羽とどいて、それを殺して料理して食べる話が書かれている。料理は「鳩の蒸し煮」。次は鴨を食べる話で名前まである鴨を食べるにいたる残酷で滑稽な話である。料理は「鴨のオレンジソース掛け」。
こんな具合にどんどん美味しいものの作り方が書かれている。本物の材料がふんだんに使われているから、こちらはもう作るための料理の本という考えを捨てて、読んで楽しい本と思って読むだけだ。
パリで長く暮らす2人が講演旅行でアメリカに行くのだが、行くかどうかを思案したのは食事のことだった。友人が彼女らが泊まるはずのホテルのメニューを送ってくれて、これなら大丈夫と出かけたのだから、ほんとに食いしんぼなのだ。そしてアメリカで食べたものの数々が語られる。ニューオーリンズのオイスター、サンフランシスコの魚など大満足の話が続く。
本を書くのはガートルードと決めていたアリスが書いたこの本は、食べる情熱をユーモラスで巧みな筆使いで書いていてすごい。(集英社 2000円+税)
児童文学、少女小説、本格ミステリに加えてディケンズの小説、切り裂きジャックなど犯罪実話、果てはエンゲルスの労働者階級の分析に至るまで、わたしはイギリスの読み物が好きである。アタマにはイギリスの地図が入っていて、あそこの話かってすぐわかる。その上にグラスゴウには愛するジャック・レイドロウ警部、エジンバラには興味惹かれるジョン・リーバス警部がいる。
そんなわけでマンチェスターという街の名前のついたこの本をさっさと買うつもりが、近所の本屋になくて手にするのがおそくなってしまったが、期待に違わずこくのある現代の暗黒小説であった。
ロンドンのカジノにマンチェスターのグリーン警部がやってくる。15年前マンチェスターの不良少年で、いまはカジノの支配人をしているジェイクを訪ねてきたのだ。ここでジェイクのいまの生活ぶりをグリーン警部が見ていく。30歳を過ぎ、結婚してきちんとした市民生活、書棚には「マルコムX自伝」、カント「純粋理性批判」もある。紅茶はアールグレイである。
15年前にジェイクの親友ジョニーが殺された。15年経った今度はジェイクといっしょに行動していた男娼のケヴィンが同じ手口で殺された。ジェイクはグリーン警部に強制されてマンチェスターへもどる。物語は現在と過去を行ったりきたりしながら進んでいく。幼児虐待、麻薬、ポルノビデオ、すぐキレル男たちなど1981年のマンチェスターの出来事が語られる。犯人をつきとめ復讐してきっぱりロンドンに帰るまでジェイクの過去がなまなましい。(文春文庫 657円+税)
我が家は衛星放送を見られるようにしていない。ふだんテレビを見る時間がないから、お金を払うのはもったいないという考えなんだけど「ER」だけは見たくて困る。「ER」の(1)(2)は親切な人がいて録画しては送ってくれた。だからといって、いつまでも好意に頼っているわけにいかず、(3)はレンタルビデオを待っていて見た。人の会話に追いつけなくて困ったけど、(4)は普通のNHKで金曜日の11時からやっているのを見ていた。先週の金曜日にシリーズが終わったんだけど、話がみんな中途で終わった感じがして、その後が知りたい。
それでレンタル店で(5)を2本まず借りてきた。テレビの4回分だけど、後を引いて次々見てしまい、この連休のうちの1日は「ER」で終わってしまった。明日も次の2本を借りようという話になったんだけど、それはあんまりだということで、来週のお楽しみにおいておくことにした。
それほど「ER」はおもしろい。場所がシカゴということもある。ループや街並がたまに写るとうれしい。カーターくんやロス先生やキャロルやウィーバーまで登場人物に親近感をもつということもある。アメリカの救急医療の現場を見ているという興味もあるよね。
そういう興味の中でもいちばんわたしが惹かれるのは登場人物の行き方だ。ロス先生が自分の治療室を持つことになってすぐ、ジェニーが自分をその部屋で働けるよう売り込みに行く。ウィーバーが部長になろうと試験を受けに行く。自分の考えで自分の行き先を決めようと必死だ。
また、受付は受付として、看護婦は看護婦として断固としていることが気持ちよい。医者が上にいるのでなくて、医者の仕事をしている、受付は医者の下にいるんでなくて受付として仕事している。自分の領域の仕事にはプロであること。気分良く見ているのは、どんな仕事をしている人も、その仕事に対してプロ意識を持って働いているからだろう。
「うまいものはかぼちゃのほうとう」というのは、ほんまは、山国でお米がとれない山梨県の貧しい農家の人たちが言っていた言葉だそうだ。カボチャみたいなものを入れることすらご馳走だったのか、夏も終わる頃からカボチャやサツマイモが採れて「おほうとう」が格別うまくなったからか。臨終の人の枕元で、お米を入れた竹筒を振ってお米の音を聞かせたという昔話も聞いたことがある。
それはおいて、これからカボチャがおいしいよね。包丁が入らないほどかちんかちんに堅いカボチャにあたるとほんとにうれしい。炊いても炒めても、スープにしても、みそ汁に入れてもおいしい。今朝の新聞に焼きコロッケが出ていた。タマネギのみじん切りを炒めたのと、カボチャを茹でたのを混ぜて作るらしい。オーブンで、と書いてあったが、うちはオーブンも電子レンジもないので、フライパンで焼いてみよう。
ついでに言えば、うちには炊飯器もない。ご飯は食べる量だけビタクラフトのお鍋でガスで炊く。「はじめチョロチョロなかパッパ…」という感じでやるんやけど、たまに火を消し忘れてお焦げができる。これも愛嬌。贅沢でもあるとわたしは思っている。
おいしいものの外食が続いているS嬢からのメールの返事に、うちは湯豆腐や「おほうとう」がいまはご馳走、と返事したのだが、「うまいものはかぼちゃのほうとう」と思わず書いてしまった。山梨県のおばあちゃんが言ってた言葉だが、最近はグルメの人が郷土料理のことで書いていたりする。でも山梨県出身の1人に「おほうとう」がおいしいと言ったらいやな顔されたり、もう1人にはメールに書いたんだけど無視されてしまった。山梨県出身者にとってはあんまり言われたくない食べ物らしい。それに最近は食事が近代化してしまっているから食べていないかもね。
でもほんとにおいしいんだよ、毎日食べて飽きないし、作り方は簡単だし、根菜をいっぱい食べられるし。油揚げと豚肉をほんの少々入れた水をぐつぐつさせたところへ、あり合わせのキノコなんでもよし、サツマイモ、サトイモ、ニンジン、それにカボチャを入れて煮込んで、そこへうどんを入れてさらに煮込み、味噌で味付けする、それだけ。青ネギを好みで入れてもよい。
これをおかずにしてご飯を1杯食べてもよし、お刺身かなんかでお酒を飲んだ後にこれだけ食べてもよい。
わたしは翌日残ったおほうとう(カボチャもサツマイモも溶けてぐじゅぐじゅになっている、うどんが2・3本)にご飯を入れておじやにして食べるくらいに好き。
新しいミステリー雑誌「ジャーロ」に掲載されているサラ・パレツキーの短編小説だが、残念ながらヴィクは出てこない。時代が1933年で禁酒法がしかれているシカゴである。〈進歩の世紀博〉が開かれようとしている。主人公は60歳代のイギリスの老嬢ミス・パーマーで、甥のエリックとシカゴへやってきた。エリックは父譲りの財産を詐欺師にまきあげられ、きっと詐欺師は万博に来るはずだと言うので、ミス・パーマーはエリックの母に頼まれてついてきたのだ。ミス・パーマーはイギリスの警視総監が認める探偵の才能の持ち主である。
かたやニューヨークの私立探偵レース・ウィリアムズも人捜しの依頼を受けてシカゴへやってきた。彼はシカゴの孤児院で育ち、30年前にニューヨークへ逃げ出した過去がある。二度とこの街に来たくなかったのだが、財布の中身がさびしいので仕方なかった。この3人がシカゴユニオン駅で出くわす。駅でまごついているイギリスの2人をタクシーに乗せてやったのがレースだった。
エリックが殺されて、もぐり酒場でポーカーの相手をしていた黒人レイデンが逮捕される。レイデンは労働争議の指導者なので警察にはちょうどよかったのだ。そこでミス・パーマーとレースが協力して真犯人を捜すことにする。
ミス・パーマーが博覧会のショーに出ている気っぷの良いダンサーと仲良くなったり、ホテルの掃除の黒人女性との会話でさらりと博覧会批判があったりと、サラ・パレツキーらしい批判精神があちこちにみられる。そして、ミス・パーマーの過去があきらかになる。そういう生き方しかなかった時代の女性の悲しみがきちんと書かれていてさすがだ。
今日お昼過ぎ大きな地震があった。大きく揺れたし揺れが長かった。あれあれと阪神大震災を思い出したが、今日のはあのドカンときたのがなかったのが違いだ。しかし怖かった。終わった後もいつまでも揺れているような感じだった。
タイトルを植草甚一ふうにしてみたけど中身はどうなるやら。
昨日図書館で「ジャーロ」を見てしまった。「ジャーロ」は早くから木村二郎さんに教えていただいていたミステリーの新雑誌で、サラ・パレツキーの短編がのっているのだ。9月中旬と聞いていたので、ときどき本屋をのぞいていたのだけれど、近所の本屋には入っていなかったみたいだ。えらいこっちゃ、これは大きい本屋へ買いにいかなければ。
それで他にも欲しい本があるので難波のジュンク堂まで行ってきた。回復したというものの、長い間自宅で過ごしたので長時間歩くと疲れる。わたしの快楽のひとつ本屋を全部見て回るのはまだお預け。ミステリーだけを見て「ジャーロ」(光文社社発行季刊ミステリー誌 1500円)とイアン・ランキンの新刊「死せる魂」と探していたニコラス・ブリンコウ「マンチェスター・フラッシュバック」を買った。
めったに空いていない1階のベストセラー書の側の立ち読み用の椅子が空いていたので、評判の斉藤環「社会的ひきこもり」をほとんど読んでしまった。ちょっとあつかましかったかな。
帰りは高島屋地下で京都の薄揚げを買い、スーパーコーヨーでミズヒキグサとホトトギスの花束をやっぱり買ってしまった。とても栽培したと思えない曲がりくねったミズヒキグザである。
さあ、用事もすませたし、秋の夜長にサラ・パレツキー「〈進歩の世紀博〉での殺人」を読むとするか。
秋らしい穏やかな日が続くのがうれしい。きれいな空色の空にいわし雲が広がっている。夏は午後になると西日がきつくて追われるように外へ出かけた。またその時間に外出するように時間を配分していたのだが、いまはその時間を黄金の午後と呼んでいる。そうそう、ネコの花子の本名は「花子あるいは黄金の午後」なのであった。陽の当たる椅子の上でまどろむ花子の美しさってなかったなあ。いまはトネリコの鉢植えが代わりにちょこんとある。
だから出かけるのは夕方になる。6時過ぎ、ちょうど半分の月が早くも出ている。暮れる前は気ぜわしいが、暮れてしまうとこっちのもんみたいな気分になる。夜道に日暮れなしって言ったっけ? 図書館が8時30分までやっているので、つい長居してぶらついてしまう。今日は料理の本をあさってきた。アリス・B・トクラスの料理読本、楽しそうだ。
スーパーマーケットに寄ったら、花のコーナーにみずひきぐさとほととぎすが280円でセットになっていた。こういう草も栽培して売る時代なんだ。
「ELLE」11月号をぱらぱらめくっていたらいい顔に出会った。イーグル・アイ・チェリー、ええっ、もしかして、とよく読んだらやっぱりジャズトランペッターのドン・チェリーの息子さんだった。ドン・チェリーは数年前に亡くなってしまったけれど、ジャズを聴いていたころむちゃくちゃ好きだった。音もよいのだけれだ、おしゃれでね。わたしはいろんな色を使ったセーター姿のレコードジャケットを部屋に飾っていた。
彼が来日したのはかなり遅く、ニュージャズが沸騰してしまったあとだったんじゃなかったかな。ヨーロッパの北のほうの少数民族出身のパートナーと6・7歳という感じの娘のネナ、そして息子のイーグルは赤ん坊だった。パートナーが関心があって集めたという日本の古い布地がサンケイホールの舞台にいっぱいかかって、4人が座ったタタミのような床も布に被われていた。古い布団柄が気に入ったという話をジャズ雑誌で読んだような…。子どもたちも参加した演奏はジャズというより静かな内省的なものであった。
それから10年くらいたったころは、わたしはパンク・ニューウエーブのバンドが来日するたびに出かけていた。その終わりごろに「リップ・リグ・パニック」というバンドが厚生年金中ホールにやってきた。このバンドの中心が16歳くらいのネナ・チェリーだった。おもしろいバンドで、中央にピアノがあって、男の子が燕尾服を着てクラシックな曲を1曲弾くと、それからばーっと変わって、ネナがバケツと箒を持った女中さんスタイルで飛び出してきた。その元気のよいこと! ほんとにおかしな素敵なバンドだった。
ネナはそのあととてもいい感じの女性になった。相変わらず元気がよく、でっかいお腹で、そのあとは産まれた子どもを抱いて、歌い踊りまくっているビデオがある。
そうかあ、あのときの弟か。記事を読むとフジ・ロック・フェスティバルで成功をおさめたとある。なんだ、知らなかったなあ。ネナとデュエットしている曲も入っているCDが今年4月に発売されているらしい。探さなくっちゃ。
9月9日のこのページに阿部薫の思い出を書いた。忘れてしまいそうな記憶を書きとめておきたいという気持ちだったのだが、当時を思い出していたら、意外と熱っぽくなってしまった。
書いてから気になってヤフーで検索してみたら「阿部薫」というサイトがあった。やっぱりあるんやなあ、と読みだした。どうも若い人が作っているらしい。いやみのないまじめな態度に感心して、「わたしの書いた阿波薫の思い出を読んでください」とメールを出した。すぐ返事をいただいたのだが、大阪の人なのでびっくりだった。関西での阿部薫について語った人はほとんどいないとのことで、書いてよかった。メールも送ってよかった。
そして、「阿部薫」のサイトに転載させてほしいとのこと。すぐにOKした。で、いまわたしの「阿部薫の思い出」は http://www.yo.rim.or.jp/~t_okuno/akmem.html に転載されている。もし「ほとんど毎日ページ」を読んで、阿部薫について詳しく知りたくなった人はここを訪ねてくださいね。CDを聴きたい人にはディスコグラフィがあります。
去年曼珠沙華を見つけた秘密の場所、って言ってもなにもたいしたところではない、毎日のように通る長堀通の安全地帯にあるのだ。去年、雑草と不法ゴミの中から茎が1本すっくと伸びて花が咲いていた。もちろん折って持って帰り、我が家の賓客になってもらった。
そこは安全地帯といっても、広い道路の真ん中が臨時の駐車場みたいな場所になっているところの隅で、今年も手を加えられずに雑草と不法ゴミは相変わらずだ。曼珠沙華は今年も咲いていた。株が大きくなって3本。2本いただいて1本残してきた。でも誰も見る人はいないだろう。気がつくのは、子どものころからよそ見ばかりして歩いている私くらいなものだろうから。折ってきた曼珠沙華はなに食わぬ顔でテーブルの上ですましている。
来年はどうなるだろう。いまは歩道を工事中なので、次は緑地帯をつくるか自転車置き場を作るかなんかするだろうから、そのときは根こそぎいかれてしまうのだろう。