「モンテ・クリスト伯」を出してきて、7冊あるからってどんどん読んでいたら、もう後が無くなってしまった。しゃあないからもう一度最初から気に入ったところを探しては読んでいる。
土牢から逃げて密輸船に助けられるところ、モンテ・クリスト島で宝物を掘り出すところがまずいい。そして、マルセイユで破産寸前のモレル一家を助けるところも何度読んでもいい。
数年後モンテ・クリスト伯は、彼を土牢へ追いやり、許婚者を略奪し、父を餓死させた悪人どもに復讐するために、万全の準備をしてパリへ乗り込む。モルセール伯爵夫人となったメルセデスが、一目でエドモン・ダンテスと見破るところ、晩餐会に招いて必死でなにか食べさせようとするところもすごい。仇の家ではなにも食べないものだという東洋の掟を知っているからだ。メルセデスは伯爵に声をかけ、邸宅から石楠花と椿にふちどられた石段をおりて、庭へ出て温室に誘う。葡萄と桃を手ずからもいで伯爵に食べてもらおうとする。「わたしは葡萄は絶対いただかないことにしていますので」という断りの言葉と、その言葉を聞いたメルセデスの絶望が、胸を痛くする。
この物語をなぜこんなに好きかというと、やっぱり最後にあるのかしら。一度は葬られたヴァランティーヌが伯爵の手で蘇り、後追いをしようとしたマクシミリアンも生き返る。ロミオとジュリエットのように死なずにすんだ2人に遺産を残して、全部終わったと伯爵は思う。だけど、エデがいる。あなたを父のようでなく恋人として愛しているとエデが言う。そして2人はこれからいっしょに生きていくのよね。ああよかったって読者は思う。この大安心! 長い小説を読み通した満足感と重なって読者は幸せになる。
東京の友人がワインを送ってくれた。有名イタリアレストランのもので見るからに上等そう。さっそく飲ませてもらおうと、今日のご馳走はイタリア料理にした。バジル風味のトマトのサラダ、シーフードと野菜たっぷりのスパゲッティをつくった。久しぶりの美味しいワインで、気持ちよく酔っぱらって一寝入りしてしまった。
目が覚めたら地震があった。さっそくテレビをつけたら、三宅島で震度6と言っている。じっと見ていたら、大阪は震度1であった。阪神大震災以来、地震にすごく敏感になっていて、震度1程度でも感じてしまう。
それからテレビでK1グランプリ開幕戦を見た。昔はプロレスファンだったが、最近の格闘技にはとんと暗い。それでも見ているとなんか血が騒ぐものがある。テレビ観戦を忘れず続けよう。
終わって新聞のテレビ番組を見ていたら、なんとケント・ナガノさん指揮のベルリン・フィルがあるじゃありませんか。今年の6月ベルリン郊外の野外音楽堂で開かれたコンサート。“ベルリン・サマーコンサート2000”。あわててつけたら、ちょうどラベル「ダフニスとクロエ」がはじまるところだった。そのあとソプラノ歌手が加わってガーシュインの歌曲になった。「サマータイム」がよかった。ケント・ナガノは数年前はじめてテレビで見て、指揮ぶりの美しさとお顔の美しさに惹きつけられたが、今夜もまた美しかった。少年ぽさが抜けて貫禄がついてきたよう。
わたしはちょっと外出すると道を聞かれる。最近は市役所、図書館、郵便局、もよりの地下鉄の駅、四つ橋筋方面はここまっすぐ?、梅田方面はどっち? 住友銀行のカードコーナーがあるはずやけど? などなど聞かれた。以前は事務所が厚生年金会館の側だったので、しょっちゅう厚生年金会館への道を聞かれていた。四つ橋方面、本町方面から来る人、どちらもよく聞かれた。お年寄りならいっしょに入り口まで行ってあげたりした。人がよすぎると自分でも思うけどね。
厚生年金会館は出演者によって客筋が違うし、若い人は出演者と同じメイクをしているので、今日はだれが来ているのかわかってけっこうおもしろかった。それで、四つ橋筋を難波に向けて歩いているとき、メイクをした女の子が数人ぞろぞろ歩いていたので声をかけた。われながらお節介ババアだわ。「あんたたち、厚年行くのと違う?」「そうやけど」「それやったら反対方向やで、厚年会館はあっち」。彼女たちは地下鉄を降りて反対側に歩いていたのだ。方向音痴のわたしがよくやる間違いだからわかったんだよね。
サラ・パレツキーさんが来日されたとき、講演会の翌朝、ホテルのそばのお寺(たしか増上寺)を散歩していたら、道を聞かれた。聞いた人が大阪弁だからおかしい。「わたしも大阪の人やねん。東京の人に聞き」と言っておいた。
でもさ、物理的な道を聞かれたら、わかってさえいれば親切に教えてあげるけど、生きる道なんか聞かれたらたまらんわね。わはは・・誰も聞けへんて?
昨日ちょっと出かけたときに、近所の家の前にひまわりの花が咲いているのを見た。暑い日差しの中にすっくと立っている。帰ってテレビをつけたらNHKの関西ニュースで、気象予報士の南さんがひまわりの話をしていた。今朝早く兵庫県の小野町(だったと思う)にあるひまわり畑に行ってきたと言っている。ひまわりの花が本当に太陽にあわせて顔を動かしているのか、確かめてきたのだそうだ。その結果、つぼみのときには太陽の方を向いて動く、花が咲いてしまうと東を向いたまま、ということがわかったそうである。
ひまわりの花が好きだ。見事な花がみっしりと咲いているひまわり畑も悪くないが(テレビの画面を見ただけで比較してすみません)、1本だけで立っているひまわりが好きだ。庭の物干しの横とか、長屋や文化住宅の玄関の前に植えてあったりするやつ。よく街路樹の側に2・3本植えてあったりする、あれもええなあ。しおれて打ち水を待っている姿も風情がある。
ひまわりと言えば中原淳一を思い出す。死後何十年も経ったのに、この数年、雑誌に取り上げられたり、展覧会が各地で開催されたり、伝記が書かれたりしている。わたしは少女時代に雑誌「ひまわり」からどれだけの恩恵を受けたか、はかりしれない。はじめは中原淳一にはもっとなよなよとした花のほうが似合うと思っていた。ところが、それは違っていた。お日様のほうを向いて、ひとりですっくと立っている少女の姿というイメージが雑誌「ひまわり」だった。彼の少女への思いが凝縮した雑誌が「ひまわり」だった。
徹夜で本を読むことを覚えたのが小学校6年の大晦日だった。アレクサンドル・デュマ原作・黒岩涙香訳「厳窟王」を手にしたわたしは、家族が寝静まったあと朝まで読んでいたのだった。明かりはなんだったんだろう? 電灯は天井から下がっている60ワットくらいのものだった。ヒモを引っ張ってつけたり消したりするやつ。7人きょうだいのうち5人くらいが、目刺しみたいに枕を並べて寝ていた。
大切に持っていたその本は、他の全集本といっしょに阪神大震災のあと処分してしまった。だって、地震のゆれで本棚の上段からでっかい本がばんばん飛んできたんだもん。わたしは本棚の前に寝ていたので、地震で目を覚ましたときはもう本は飛んできていた。ふとんをかぶる機転もきかず呆然と眺めていたが、身体に当たっていたらどうなっていたことやら…。その後、もう読まないと思える本や、図書館で読めるだろう本は処分してしまった。
さて、いま手にしているのは岩波文庫の山内義雄訳「モンテ・クリスト伯」全7巻(1985年・第33刷)である。この前にも持っていたのだが、失ってしまい、また買ったものと思う。2年おきくらいに出してきては読んでいる。これほどおもしろい小説は他に知らない。メルセデスがお露さんと訳されている「厳窟王」は、古風でそれなりによかったんだけど、やっぱり詳細なこっちがいい。
仲間にはめられて土牢に入れられ、14年間を過ごしたエドモン・ダンテスが脱獄し、巨万の富を得てから、昔世話になった不運に泣く人を名を告げず助ける。その後、出世してパリで華々しく活躍する悪者たちへの復讐の準備万端整えて、ついにパリ社交界に登場する。時計が10時半を告げたときに召使いが告げる。【「モンテ・クリスト伯爵のお見えでございます!」それを聞いた一同は、われにもあらずおののいた。】車の音もせず、足音もたてずに入ってきたモンテ・クリスト伯の姿に、待ち受けた人たちとともにこっちもドキッとする。
それから、それから…もう全部いいので、これって言えないくらいなドキドキの連続。何回読んでもドキッとするところではドキッとする。いま第6巻に入ったところ、モルセール伯爵への復讐がすんだところだ。
今日は天神祭。子どものころから天神祭には欠かさずというくらいに行っている。けど、今日はアンヨの具合にまだ自信がなく欠席だ。天神さんの近くで働いている友人が、昼休みに神社のにぎわいをケータイで聞かせてくれた。粋なことをするなあ、と一度は思ったが、嫌味なやつと思いなおした。人が行けないのを知っていて、あおるんやもん(笑)。
子どものころは、姉に連れていってもらって、氷スイカやかき氷をおごってもらうのが楽しみだった。淡い水色の絽の着物を着せてもらってね。働くようになってからは、仕事帰りに行った。朝から職場に浴衣と下駄を持っていって、仕事が終わってから職場の人に着せてもらって出かけたこともあった。こんなに浴衣が流行る前だったから得意だったよー。白地に藍で朝顔の柄のが好きだった。下駄で鼻緒ずれになったりして…。
最近はもう暑いというのが先にたって、Tシャツ・Gパンでウチワ持って、屋台でビール飲んで土手焼き食べてね。色気なし…。
しゃあないなあ、今日は家でテレビ中継でも見るかー。ビールあったっけ。
日曜日の夕方、京町堀へ出るのに靱公園を通った。夕暮れの公園の隅っこに紅い夾竹桃が咲いている。この花ちゃんと見るときれいだよね。でも1本もらって家に持って帰ろうなんて思わない花だ。
夕方の夾竹桃を見ると思い出すのは、子どものころ、外で遊んでいるうちに暗くなり、あわてたことだ。近くの橋の片隅に夾竹桃が1本あって、子どもたちはその毒々しい花から死人の血が流れ落ちると言っていた。ここから川へ飛び込んで死んだ人の血だって…。それで夕暮れどき、そこを通るときは必死で走ったものだ。
それで思い出しちゃったんだけど、小学校の便所の一番奥はだれも入らなかったなあ。そこへ入ると、天井と便器から「あかい紙やろか、しろい紙やろか」と呼びかける声がきこえるという。オシッコが出そうで地団駄踏み踏み並んでいても、その空いた便所にはだれも入らなかった。
見る気のない映画だったが、テレビやからタダやし、コマーシャルも入らんNHKだから、とつけてみた。わかりやすすぎる映画だけど、セリフが効いていて感心したところ、考えさせられるところもあって最後まで見ていた。
孤児で里親に虐待されて育った青年が、掃除夫として働いていた大学の数学教授に天才を認められ、暴力事件で逮捕された拘置所から出してもらう。その条件のひとつがセラピーを受けることだった。ひどい態度の彼にセラピストがみんな怒ってしまったあと、教授は旧友の心理学者ロビン・ウィリアムスを頼む。ハーバードの学生との恋愛、労働者仲間4人の連帯、などと並んでマット・デイモン扮する天才青年とロビン・ウィリアムスとの葛藤と和解にいたるドラマが描かれる。最後のセラピーでロビン・ウィリアムスが「君は悪くない」と何回も言って、抱き合い理解し合うところがきっと感動的なんでしょうね。
別れが怖くて恋人に愛していると言えなかった彼が、おまえは天才なんだからこの労働者の世界から出て行けと言う友情と、セラピストの枠を超えた愛に支えられ、最後にひとりで恋人のいるカリフォルニアへ旅立つ。
陶器神社とせともの町筋で三百年以上続いてきた「せともの祭」が今年で終わると新聞に出ていた。準備を入れて5日間、露店を出店するのが交通の邪魔になるからだそうだ。
事務所のそばだったので、わたしは20年ばかり毎年行ってなんやかやと買っていた。その後も夕涼みをかねて毎年出かけている。振り返れば、以前は一家のお茶碗や皿を毎年ここで買い揃える人や、水商売らしい人が大量に買っていくのを目にした。最近はお客の数も少なくなっているような気がする。
今夜はわたしの全快祝いということで京町堀までアフリカ料理を食べにいった。2回目なので注文は慣れて、野菜のクスクス、とりのガーリック唐揚げ、トマトのサラダ、ラム肉の炒めものとケニアのビールを頼んだ。みんな独特の味付けとソースでおいしかった。
それから歩いてせともの町へ行った。割ったまま気に入ったのがなくて、中途半端なものを使っていた急須のいいのが見つかってごきげん。とてもシンプルでかわいい。ほうじ茶でも紅茶でもいけそうでうれしい。せともの町の真ん中に昔からあるかわいらしい喫茶店でお茶とケーキを頼んだ。すっごく大きなチョコレートケーキに大満足。
それにしても長かった今回の脚の痛みであった。今夜はけっこう歩けたのでうれしい。
毎年のことながら、暑い、暑いと毎日うるさく騒いで過ごしている。毎日がなんだかお祭り騒ぎ。風通しがどうとか、蚊取り線香だ、うちわだ、と寝るときも合宿のような感じである。
食欲は衰えないので、夏の味覚を堪能しようといろいろ考えて献立を考えるのだが、面倒なことはしたくないというのが、ここ2・3年の気持ちみたいね。ソーメンだって、めんつゆを作るのが面倒やねん。これって老化現象かしらん? 2・3年前までは、干しエビのつゆ、椎茸の細切りと錦糸卵と茗荷と梅干しと生姜で、ガラスの器にソーメン入れて上品に食べてたのになあ…。なんか思い出のソーメン話みたいになってきたぞ(笑)。
思い出と言えば、何十年か前の今ごろ、信州の梓川で流しソーメンをしたことがある。男女2人づつのパーティで、燕岳を登って、それから槍ヶ岳を登って、上高地に降りてきたことがあるんだけど、梓川で最後のご飯にした。目立ちたがりの大阪人として、人のいないところではしない、あまりたくさんいるところではかえって目だたない、というわけで上高地よりちょっと上のほう、槍・穂高から登山者が降りて来るとこらへんでやった。おいしかったなあ。けど味覚よか、みんなに見られて得意だったことのほうが楽しかった。性格だけは今も昔も変わらんみたい。
1997年制作のアメリカ映画。なんでこう書いたかというと、主演のケヴィン・ベーコンがとても若く見える。ケヴィン・ベーコンをはじめて見たのは、ミッキー・ロークの「ダイナー」だったので、レーザーディスクを調べたら、「ダイナー」は1982年の映画であった。わ、若い! ま、それだけのことだけど…。それと、メアリー・スチュアート・マスターソンが出ているけど、ビデオのケースの解説を読んで、もしかして母親の役かしら、ってちょっとたじろいだ。「恋しくて」(1987)では少女だったんだから…。気になる女優なので、そのあとの出演作はほとんど見ているけど、まだ母親役はなかったよね。
通りがかった田舎町で車が故障したため、母とモーテルに泊まった知的障害者のケヴィンは、モーテル経営者の10歳の娘と仲が良くなる。メアリー・スチュアートは母でなく、姉として出てきたけど、母が事故死したあと、妹に実は私は15歳のときにあなたを産んだ実の母だって言う。やっぱり母親役やったか(笑)。ケヴィンのほうは母が面倒を見きれなくなったので、ホームに入るための旅であった。
孤独な知的障害者の青年と風変わりな少女が、気持ちを通い合わせるが、大人の社会常識とすれ違う。母として責任を持とうとするメアリー・スチュアートともぶつかる。そういう中で、少女が学校へケヴィンを連れていったときの教師の対応がすごく良くって感心した。最後にはホームに向かうケヴィンと少女がガラス越しに別れる場面が悲しい。線路や池や林や廃屋が「フライド・グリーン・トマト」の村を思い出させる、哀しいようなアメリカの田舎を舞台にした映画だ。
「有次」の名前を知ったのは、70年代はじめ、京都に住んでいる友人が誕生日にワインの栓抜きを贈ってくれたときだった。それからずっと愛用している。すっきりとして使いやすいドイツ製である。有次で買ってきたと、まだ学生だった彼は興奮気味であった。ずいぶんと奮発したんだろうと思う。
わたしは京都の有次に行ったことがないのだが、その後、有次が阪急百貨店の家庭用品売場に出店しているのを知り、包丁を買いに行った。それまではステンレスのそこそこの包丁を使っていたので、これから一生ものを買うぞって心意気だった。売場でとっくりと眺めた包丁はそんなにめちゃくちゃ高価なものでなかったので、普通の包丁とさしみ包丁とプチナイフを買った。売場の年配の男性は売り惜しみをする感じで、使った後は柄もきちんと洗って拭くようにとくどく言ってたなあ。それで研ぎ方も教えてもらって、砥石もそのとき買ったような気がする。
以来、毎日気持ちよく使っている。わたしには包丁を研ぐという観念がない(笑)ので、切れなくなっても力ずくで使っているので、夫が使うとき、なんだこれはとモンクを言いつつ研いでくれる。柄はわたしがきちんと洗って拭いている。
いつだったか、お金持ちの知り合いと話しているとき、有次の包丁を使っていると言うと、微妙にいやな表情を見せたのでおどろいたことがある。有次の包丁には、たかが包丁と言えないなにかがあるのかもしれない。
ちょうど散髪に行こうと思っていたときに調子が悪くなったので、白髪が3センチくらいも伸びて、ぶさいくきわまりなかった。ようやく今日美容院へ行ってきた。髪を染めてもらい、短くカットしてもらい、何度も頭を洗ってもらってすっきりした。昨日は東洋療法センターで身体をいじってもらったので、もう言うことなしの気分になったが、調子に乗らないよう静かに暮らさなきゃ。
先日久しぶりにチャルカにお茶しに行ったときに、サンドイッチの新しいメニューがあった。使っているパンが無農薬の国産小麦粉で天然酵母使用、手作りの「くるみ」というパン屋さんから配達してもらっているとのこと。「くるみ」のメモがあったのでもらってきた。なんだ、いつも行く美容院のすぐ側やんか。それで今日帰りに寄ってみた。
小さい店だが品がよくて、パン以外にもお茶や豆や調味料なども売っている。ケーキもおいしそう。ひよこ豆とライ麦パンとイタリアン・ハーブブレッドとジャムパンを買ってきた。薄く切って温めるとふっくらしておいしくなるというので、ビタクラフトのフライパンを弱火にして温めた。ジャムパンはリンゴの甘くないねっとりとしたジャムが入っている。どっちもとてもおいしかった。明日はひよこ豆のカレーでも作ろう。
VFC会員の下岡さんから下記の催しについて「多角的にHIV/AIDSについて知る絶好の機会です。ぜひご参加ください。」とお誘いがあったのでお知らせします。もちろん下岡さんは3日間にわたるこの催しに参加します。もっと詳しい内容を知りたいかたはご連絡ください。
≪2000AIDS文化フォーラムin横浜 −いま、ひとり一人ができること≫
☆入場自由! 入場無料! まず、会場に足を運んでください☆
期間:2000年8月4日(金)〜8月6日(日)3日間
会場:かながわ県民センター(横浜駅より徒歩5分)
※AIDS文化フォーラムとは:1994年、横浜で開催された国際エイズ会議をきっかけに始まり、今年で7回目の開催となります。このフォーラムは、市民による、市民のための手作りフォーラムとして行われており、活動発表の場、交流を深める場、情報交換の場として全国から参加者が集まります。
☆プログラムスケジュール☆(6月27日現在、変更の可能性あり)
●8月4日(金)
10:00〜12:00 ホール:岡田美里と語るエイズ
12:30〜 1階展示場:開会式
13:00〜15:00 301号室:北沢杏子の「エイズの模擬授業」(性を語る会)のほか4室にて催しあり
16:00〜18:00 303号室:第13回国際エイズ会場(プアン)ほか3室にて催しあり
●8月5日(土)
10:00〜12:00 301号室:結局、やっぱり、コンドーム(岩室紳也)ほか6室にて催しあり
13:00〜15:00 ホール:神様がくれたHIV(北山翔子)ほか3室にて催しあり
16:00〜18:00 301号室:医師が語るエイズ基礎知識(都立駒込病院感染症科 今村顕史)ほか6室にて催しあり
●8月6日(日)
10:00〜12:00 301号室:性感染症入門講座 −STD・HIV(同人斎メディカルクリニック:西大條文一)ほか3室にて催しあり
13:00〜15:00 ホール:ジャズコンサート(AIDS&Society研究会議JAWSプロジェクト)ほか4室にて催しあり
16:00〜18:00 ホール:《エイズキャンペーンのストラテジーpart2》コンサート、カフェ、そしてメディア…高度情報化社会の現場から(AIDS&Society研究会議)ほか4室にて催しあり
◎10:00−17:00 406号室:エイズ出前法律相談(特定非営利法人 動くゲイとレズビアンの会)
主催:「2000AIDS文化フォーラムin横浜」組織委員会
共催:神奈川県
後援:横浜市・川崎市・横須賀市・相模原市・横浜商工会議所エイズ問題対策懇談会(申請中含む)
事務局:「2000AIDS文化フォーラムin横浜」事務局
TEL:0466−26−1151 FAX:0466−26−3406
E-mail: abunkaf@yokohama-ymca.or.jp
〒251−0025 藤沢市鵠沼石上1−13−7 藤沢YMCA内
昔の友人が会いたいと言ってきたとき、突然、フランソワーズ・サガンを思い出した。サガンの小説は長いこと読んでいなない。何年間も何十年間もあんなに何度も読んだのになぜだろう。あれだけ熱中していたものを忘れてしまったのは、ロバート・B・パーカーとフランソワーズ・サガンだけだとほろ苦く思った。
わたしは「一年ののち」「すばらしい雲」「失われた横顔」のジョゼ・サン・ジルを主人公にした3作品が特に好きだった。ジョゼは親からの送金でパリでのんきに暮らしている女性で、美しいし、頭はよいし、気持ちもゆったりとしている。そういう人間が突き当たる人生というもの、お金で妥協しなくてよい環境だから純粋に愛せる、それ故の葛藤、苦しみが描かれているところが好きだった。
「一年ののち」では、ジョゼは荒っぽい若者ジャックと恋をする。作家志望のベルナールは妻ニコルがいるのにジョゼを愛している。女優のペアトリスに惹かれている男たちがいるが、ペアトリスには成功しか頭になく突き進んでいく。一年ののちのパーティで、ジョゼとベルナールは愛についてけだるく話し合う。
「すばらしい雲」ではジョゼはアランと結婚して3年経っている。アランはアメリカ人の金持ちで美男子で気狂いじみた嫉妬でジョゼを悩ませている。夏のバカンスからニューヨークにもどったジョゼは、作家になって講演に来たベルナールと偶然出会う。彼の助言でパリに逃げたジョゼだが、アランは後を追ってパリに来る。なかなか別れきれない2人が、最後には力尽きた闘士たちのように、寄りかかったまま動かずにいる。
「失われた横顔」はジョゼの一人称の小説になっている。アランとの愛と暴力と優しさと反抗の4年間を過ごしたあと、ようやく別れたのだが、今度はジュリュスという銀行家の親切を受けるはめになる。そして最後に田舎で獣医をしているルイとめぐり会い、子どもも産まれて本当の幸せをつかむ。
と、いうのが3作のあらすじです。
なんでこの本を思いだしたかと言うと、パンクロックの時代から疾風怒濤という感じで生きてきた知り合いが結婚したのよね。その結婚が幸せそうで、ジョゼとルイみたいとわたしは思った。それで、本を出してきて読んで、サガンがなんでこの2人を幸せにしたんだろうって、一昨日、昨日と考えていたんだけど、わたしはサガンは「文学」よりも「幸福」を選んだんだなあと結論を出した。
サガンのもう一つの連作の「スエーデンの城」の華々しい兄妹はパリに来て波紋を巻き起こしたが、世話になった人の自殺の後、スエーデンに帰ってしまう。かれらは社交界のパーティで、映画「ボニーとクライド」について意見を求められ、その映画は見ていないといって呆れられ、「わたくしたちは映画を実際に生きてますの」と答えている。その彼らもスエーデンに帰ってしまって、わたしの前から姿を消してしまった。サガンの優しさだろう。そしてサガンの愛読者たちは、もっと小説のうまくなったサガンとともに年老いていっているに違いない。
わたしがサガンの主人公に求めていたものはすでにない。彼らはお金があるのに、あそこまで過酷に生きたのだ。それを評価しよう。わたしがお金に縁がないために、「幸福」を求めることができず、疾風怒濤の時代をまだ生きていられているのは、なんと幸せなことだろう。
今日はそろりそろりとケータイ屋さんまで行ってきた。といっても窓から見える範囲にある店やねんけどね。脚さえ痛くならなければ、いまごろはiモードで遊んでいるはず。外出できない間に考えが変わってPHSを買うことにした。わたしは基本的に家からあまり動かない。そして、家には電話とファックスがあり、インターネットに24時間つなぎっぱなしのパソコンがあるのだ。ちょっと出たときの連絡用にはピッチで充分という考えに変わった。
そんなわけで、ピッチを買いに行った。欲しかった機種がすぐに手に入らないとのことで残念だった。どうしようかと迷っていると「Olive」に限定バージョンと書いてあったシンプルなホワイトを出してきてくれたので、それに決めた。
帰りに長堀通りを渡るとき、信号待ちで安全地帯に立っていたら、雑草の中に小さなネコジャラシが伸びているのが目についた。今年はじめてのネコジャラシだ。信号を1回余分に待って探したら10本くらいあった。摘んで帰り、コップにさして花ちゃんの写真に供えてやった。わたしが外出から帰ると、いつもおみやげを持っていると期待しているネコだった。
うちの麻婆豆腐は格別うまい。なぜかというと、味付けに2年前に浸けたニンニク醤油を使っているからだ。毎年新ニンニクを買って上等の醤油につけておく。いま使っているのは一昨年つけたもので、これからつけるのは再来年使うことになる。
ずーっと毎年6月は忙しかった。ラッキョをつけ、梅酒と梅のシロップをつくり、イチゴジャム、夏みかんのマーマレードをつくる。そしてトマトが安くなるとトマトケチャップ、ピューレをつくる。それがだんだんさぼるようになった。トシのせいかあんまり飲み食いしなくなったということもあるんだけどね。冷たい梅酒よりも熱いお茶がよくなったり。去年作ったのはニンニクとトマトだけだった。今年はどうやらニンニクだけになりそう。
ニンニク醤油はレバーの料理にも欠かせない。レバーをニンニク醤油につけておいて、フライパンで炒める。タマネギとトマトを輪切りにし、小麦粉をまぶしておく。レバーを取り出してタマネギを炒めて、そのあとでトマトを炒める。それだけの料理だけどビールによく合って夏の休日のご馳走になる。もちろん真っ黒になったニンニクもちゃんと細かく切って入れておく。
まだ梅雨明けしていないそうだが、天気のよい日が続いている。天神祭(25日)が近づくころでも雨が降っているときがあるくらいだから、これから降るのかな。天気がよいと洗濯ものが乾いてうれしいというのが、まず第一だわね。でも、うちは西日がよく入るので天気がよいのも考えもの。4時から6時にかけてが西日真っ盛りだ。すだれをつるしているが、太陽はぐっと傾いているから、すだれの隙間に直角に部屋に入ってくる。なんか暴力的な日差しだ。先日来た友人が部屋の中で日傘をさすか、帽子をかぶるか、UVカットをつけたほうがいいなどと、言いたい放題言って帰ったが、クーラーつけてやれへんかったせいかなあ(笑)。
太陽が沈んでも、壁に熱が残っていて夜になっても冷えない。いまは夕方になるとまだ冷たい風が入るが、真夏になると風があってももなま暖かいし、風そのものがぴたっと止まるもんね。でも、「暑い、暑い」と言いながらうちわを片手に過ごす夏の夜が好きだ。風呂上がり、家中開け放して蚊取り線香をたいて、冷たいビールでなく熱いお茶を飲むのが快感。
今日は素晴らしい夕焼けだった。西から北にかけた空に、薄くかかった赤からピンクのさまざまな色の雲が美しかった。窓から梅田スカイビルが輝いて見えた。
体調がよくなったので、したいことをいろいろ考える。家ではコーヒーを飲まないことにしているので、美味しいコーヒーを心斎橋の喫茶店で飲みたい。夏の服のバーゲンに行きたい。今年も新しい真っ白なスニーカーを買いに行きたい。もう少しのガマンだ。体操とストレッチで早く調子をとりもどさねば…。
この2週間疲れるとひっくりかえって「ジェイン・エア」を開いていた。この本、中学1年ではじめて読んでから、もう30回も読んだのではなかろうか。読むたびにこころが落ち着くし、はげまされる。今日も感心したんだけれど、ジェインが家庭教師として働いている家で、主人のロチェスターさんと婚約しそうなイングラム嬢の様子をじっと見ていて、イングラム嬢がたいしたことのない女と見抜く。あの時代、主人とその客の貴婦人となれば、無一文の家庭教師風情が批判的な目で見ること自体たいへんなことのはずだ。しかし、ジェインはじっと見つめて、あの女に惹かれるのであれあば、ロチェスターさんはわたしより下だ、と考えるのである。
また、たいへんなことが起こって、ロチェスターさんのところを去るが、さまよって死にそうになったとき、宿と食を頼んだ家の女中に断られる。さいわい主人が家に入れてくれ助けてくれる。身体がよくなってから女中に貧乏を犯罪と考えているのかと問う。そこで話し合って許し合い、同じ家で暮らしていくことが可能になる。そういう合点がいくまできちんと話し合うこともこの本で学んだ。
先週の金曜日に週末ボランティアのYさんが、出張先で買った葛のお菓子をお見舞いと言って持ってきてくださった。透明な容器の中に葛と餡が入っていて、見た目も涼しげなお菓子だ。大切に食べて、まだ2つ残してある。
土曜日は昔なじみの女の子たちが持ってきてくれたケーキやチーズを食べたが、上等な焼き菓子とチョコレートがまだ残っている。わたしはお菓子がたくさん家にあると思うだけで豊かな気分になる人です(笑)。
今朝、VFC会員のOさんから箱にいっぱいのラベンダーがとどいた。わあわあわあと、さわぎながら束ねて吊したり、瓶にさしたりたいへん。ご自分用に注文するときに、わたしのことも思いだしてくださったとのこと。うれしいなあ。
この2週間、宅配と夫がしてくれる買い物で過ごしている。必需品は頼むけど、お菓子や花や本まで頼むのは気がひけるから、いただきものが届くのがうれしい。でも、ようやく治ってきた。今日は銀行と郵便局へ行ってきた。そろそろと日常生活にもどれそう。
「セコーカス・セブン」と言えば、「再会の時」をすぐに思い出す。うちではこの2枚のLDを並べてしまってある。「セコーカス・セブン」(1980年制作)は結果的にはヒットした映画だけれど、作ったときはマイナーな手づくりの映画で、出演者も監督の友人たちであった。
「再会の時」は同じような内容だけれどメジャーな映画だ。1983年ローレンス・カスダン監督で制作され、当時は元気な若手の、のちに大スターになった人たちが出演している。トム・ベレンジャーがテレビスター、ケヴィン・クライン(実業家)とグレン・クローズ(医者)夫妻、ジェフ・ゴールドプラムが雑誌記者、ジョベス・ウィリアムスが裕福な主婦、メアリー・ケイ・プレイスが弁護士、ウィリアム・ハートだけがベトナム戦争の後遺症で性的不能になり、定職を持たずにいる。彼らは60年代末期の反体制運動の時代に大学生活を送った仲間だった。10数年後のいま、リーダー的存在だったアレックスが自殺し、葬式のためにみんなが集まる。ひとり若いのがアレックスの愛人だったメグ・ティリーで、最後はウィリアム・ハートと新しく生きていく決意をする。
大きなケヴィン・クラインの家にみんなが泊まり、彼が配ったスニーカーをはいてフットボールで遊んだり、気のあった2人がスーパーマーケットへ買い物に行ったり、みんなで食器を片づけながら踊ったり、楽しい時間を過ごす。ヤクを運んでいると警官に疑われたウィリアム・ハートが戻ってくると、トム・ベレンジャーが警官をなだめようと、テレビそのままクルマに飛び乗りをしてケガをするところもおもしろい。弁護士が夫はいらないが子どもだけが欲しいと言い、最後の夜にグレン・クローズが解決策を考える。
わたしはその当時はジャズ一辺倒だったので、映画を見たときは人が言うほど感激しなかったのだが、当時の音楽がふんだんにかかる。ザ・テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソンとザ・ミラクルズ、スリー・ドッグ・ナイト…。わたしはこれらを今ごろになって、ふんふんと聴いていたりする。
バジルが5本、ベランダの植木鉢で元気である。小さい間は園芸家が切ってくれていたが、いまはどんどん伸びているので、好きに使ってくれと言われている。
トマトのサラダに刻んでのせるだけでも美味しいけれど、ちゃんとドレスアップしたサラダが格別においしい。みじんに刻んだにんにくと玉葱とバジルに、オリーブオイル、ワインビネガー、塩、こしょうを混ぜ、薄切りトマトにかけて、冷蔵庫に入れておき、数時間後に食べる。
暑くなってトマトがおいしくなった。完熟した有機野菜のトマトを毎週1箱買う。そのままかじっても、サラダにしても、カレーに入れても、ラタトゥイユをつくっても美味しい。都会で美味しいトマトが食べられるなんてありがたい話だ。
真夏の暑さにならないうちにトマトケチャップとトマトピューレを作っておこうと思う。本格的に暑くなったら、ガス台の前に長時間立っていられないもんね。脚の具合をいいことに、今年はやめとこうかなと日和ってしまいたい気分でもある。
このページを読んで、クミちゃんが19年ぶりにメールをくれたのはまだ寒いときだった。それからメールが行き交って、今度彼女が大阪へ来たときには会おうということになり、それが明日に決まった。そこへ、3年に一度くらい不意にやってくるメグがわたしもと言いだし、連れ合いもいっしょに連れて来るという。これは大宴会になりそう。20年前の夏、彼女たちが前後して東京へ行き、その半年後にネコの花子が来たんだった。
まるで「セコーカス・セブン」を地でいく感じ、と感慨にふけってレーザーディスクを探した。ジョン・セイルズの監督第1作(監督のほか、脚本、編集、出演もしている)のこの映画は、1968年に反戦デモに行く途中、セコーカスでマリファナ所持のためつかまった7人の男女が、10年後の夏に集まる話である。中心になる学校教師のカップルがトイレの掃除をしているところから始まり、夏の休暇をともに過ごそうと友人たちがばらばらにやってくる。出演者はセイルズ監督の友人たちでノーメイク、衣装は自前という。そのせいか、すごくリアルで日常的で、わたしなんかが普段の生活でやっているようなことをする映画なのだ。
いちばん好きなところは、みんなで夜芝居を見に行くんだけど、芝居が始まると、女主人が主演女優をけなし倒す、そのめちゃくちゃな言い方がすごい。何回見ても笑い転げてしまう。また、夏のけだるい午後、男たちが順番に河に飛び込むところがリズムよく続くところも好き。
表紙のきれいな色彩とおしゃれなタイトルの書体に惹きつけられたが、本文の色つき活字を見て買うのを思いとどまった。なんとなく気恥ずかしくてね。そしたらちゃんと買った人がいて貸してくださった。読んでよかったわ〜。Sさま、ありがとうございました。
9つの物語はみな少女が主人公。読んだ後、なぜかオオカワラミチコさん(川端康成の「乙女の港」の主人公)を思いだした。ミチコさんは本物の少女で、ミチコさんのクラスメートは年齢だけは少女である。そんな感じで、この物語に登場するアメリカの少女たちも本物の少女で、本物の少女はそんなにたくさんいない。だから少女は貴重な存在なのだということがわかる。
両親に大切に育てられている幸せな子のある日、母が自殺した子が書いた亡き母の思い出、レズビアンの両親に育てられて父を捜す子が捜しあてたのは…、さまざまな環境と育ちかたであるが、みんな彼女たちは少女だ。“少女神”というのは、2人の少女が作っているミニコミ誌で、創刊のいきさつを書いた第9号そのものが小説になっている。やさしい言葉で書いていて、シュールな世界に誘いこむ、うらやましいような作品集だった。(理論社 1600円+税)
春にはツバキの花が好きと言っていた。アセビも好きなんだよね。こうして季節が移ってくると、また好きな花が現れる。草の花も好きだけれど、木の花。山吹が終わって、卯の花が終わって、泰山木の大きな白い花が好き。庭を造るときはどうするか困っちゃうな(笑)。
で、いま好きなのはクチナシです。この花は近所のあちこちの公園や街路樹のそばで咲いている。15年くらい前、阪神タイガースが優勝したことがあった年だけど、夫が1カ月入院した。6月20日に救急車で運ばれたんだけど、あの年はその頃まで雨が無くて暑くてね。その日もかんかん照りだった。それが入院してからは雨ばかり。毎朝傘を差して、クチナシの咲く松島公園を通って病院へ通った。雨に濡れて濃い匂いが漂うクチナシの白い花っていいなあってそのとき思った。以来、毎年見に行っているが今年はまだだ。早くさっさと歩けるようになりたい。クチナシの花が待っている。
昨夜はすごい雷と雨だった。おかげでかなんなのか、真夜中、強烈なジンマシンになった。その代わりに脚の痛みが引きはじめた。持病の温熱蕁麻疹は冷えた身体が温まったときに痒くなる。脚がおかしくなってからぜんぜん痒くならなかったということは、冷えがとれてなかったんだわ。ようやく10日も過ぎて身体の芯まで温かくなったみたい。やれやれ、これからはクーラー病に気をつけねば…。
今日は蒸し暑かった。一人で部屋にいてクーラーなしでどこまで行くかガマンの1日であった。まあつけないのを当たり前にしているから、そんなにガマンと言うほどでもないんだけどね。風はけっこう窓から入っていたし…。マックの前に座っているとキーボードが手の汗で光っている。汗まみれでTシャツの洗濯ものばかり増える。例会の日にみんなに笑われたんだけど、月1回のお米屋さんと毎週の「ポランの宅配」の日はクーラーをつけておく。ミエクーラーだってさ。いやいや外から来られる配達のかたに涼しい風を当ててあげたいだけですって(笑)。
今夜は大嵐、雷と雨がものすごい。どこかで電車が止まったらしい。天気予報が今夜中こんなだと言っている。これで梅雨明けするのかな? さばさばと暑い夏になって健康も回復してうわっと遊びたい。
VFCの例会で、Dさんが間違えて2冊買ってしまったのでと1冊くださった。カバーに“「羊たちの沈黙」に匹敵するサイコ・サスペンス”と書いてあるので、これは絶対自分では買わない本だと思った。最近とみにサイコ・サスペンスがかなわん気分になっている。だれでも買って、だれでも読むという感じの「ハンニバル」だって、読む気がしないし、買う気ももちろんない。
いただいた本にモンクをつけたらアカンなあと、読みだしたら、なんだ、これは! 警察小説ではありませんか。わたしの好きな、警官が地を這うような調査を続けるやつやんか。しかも女性刑事で中国系のエイプリル・ウー刑事が主人公なのだ。うゎーい。
犯行のえげつないところは避けて、ウー刑事の出てくるところで、気に入ったところは何度も読んだ。彼女は中国出身の親と2所帯住宅に住んでいて、母親からは警官であることをボロクソに言われながらも、犯罪司法大学の夜間部に通っている。娘の失踪の調査依頼で警察に来た白人の金持ちの女性から「中国人ね」と言われ冷静に「そうです」と答える。次ぎの質問は「生まれはアメリカ?」と聞かれ、「ええ、そうです。あなたは?」とやりかえす。答えながらの観察も鋭い。同僚のメキシコ系のサンチェス巡査部長とのやりとりもなかなかのものだ。付き合っていた中国系の刑事を振るところがかっこいい(265ページ)。(講談社文庫 895円+税)
「スターウォーズ」という言葉だけでときめいていた時代があった。いま「スターウォーズ」の公式サイトを見たら、あの映画は「スターウォーズ・エピソード 4」になっている。
20数年前、「ポパイ」という雑誌が創刊されたころのこと。わたしには「ポパイ」と「スターウォーズ」がいっしょに記憶されている。ジョージ・ルーカス監督が映画を撮っているときのうわさ話、アメリカで上映されたときの騒ぎ、ハワイまで見に行った人の話、わくわくする記事があった。そして、ようやく日本で上映された。もちろんわたしはロードショー第1日目に並んだ。あのころは並ぶとか混んでいるとか、考える余地なしに好きなものを見に行ったものだ。「スターウォーズ」も「ポパイ」もきらきら光っていた。
いまさら「スターウォーズ」と言われても映画館に行く気にならなくて、ビデオ待ち、しかも今ごろである。いままでの3作品を何回も映画館とビデオとテレビで見ているから、出てくる人物については興味があった。ルーク・スカイウォーカーの父親が子ども時代の話なんだもんね。
映画がはじまると、ほら、文字がスクリーンを向こうに走って行くところはいいよね。最初見たのは南街劇場だった。OSシネラマで深夜に見たときもすごかった。アタマの上が大宇宙になり文字が走っていった。音楽がバアーンと響いた。今回、ええなあと思えたのはそこだけ。あとは巧すぎるコンピュータ・グラフィックスの使いすぎと簡単すぎるストーリーにがっくりした。
今年ももう半年経ってしまった。昨日6月30日は土佐稲荷さんの夏越えの輪をくぐる日なのに、行きそびれてしまって残念。どうも脚の筋肉痛が治らなくて、今週は夕刊と郵便物を取りに郵便受けに降りていっただけで、ラプンツェルのように、塔の上ではないがビルの8階暮らしである。でも一人で部屋にいるのが好きなので苦にはならない。けっこうそういう状態を楽しんでいる。いっしょに生活している人には負担をかけているが、たまのことだから諦めてもらわないとね(笑)。
こういうときはアタマも休業したほうがよいようで、ぼーっとしている時間が多い。それにいくらでも眠れるので、時間さえあれば横になっては眠っている。