サンテレビでお昼時に溝口健二監督の「祇園囃子」(1953年)をやると新聞のテレビ欄で見た。もう祇園祭が近づいているんだなと、なんとなく感傷的になる。わたしは祇園祭に行ったことがない。誘われたときにひどい雨で行くのを中止したことがあるだけだ。
お盆休みの終わりの日の大文字にはなぜか何度も行っている。会社勤めしているときに同じ会社の年配の人が、大文字の日に京都の西陣の古い家に招待してくれた。狭い間口を入ると中庭があって、井戸があって、古めかしい台所があって、夕食をご馳走になってから外へ見に行ったんだけど、家の中も外も暗くて、まだ若かったわたしはずいぶん心細くなったものだ。でも、そんな家に一夜でも泊まったことは、ほんものの京都に触れたことがあるという自信みたいなものになっている。この家には数年後の秋にまた泊めてもらった。そのときは家の中をよく見せてもらった。ここの家のお茶がね、すごい味だった。ラスサンプーチョンをもっときつくした味と言おうか。
映画は祇園の芸者の木暮実千代と妹分の舞子の若尾文子が美しい。祇園の小路や建物が美しい。外見は世界に誇る伝統美だけど、生きていくのはたいへんな世界だ。この世界で生きていくことを選んだ以上、その中でどうして自分を通すか。しかし自分を通すとお座敷がかからない。木暮が体を張って若尾をかばう。木暮を気に入った官僚の接待に使われることになるのだが、そのときの着物を脱ぐしぐさの美しさったらない。きびしく芸者たちをしばる浪花千栄子でさえ、自分の世界である祇園を守る意志の強さで美しい。それに比べると日本の企業を背負う実業家の卑しさ、接待される高級官僚の貧しさ、娘の稼ぎをねだりに来る父親の汚さ、遊び人のいやらしさ…。権力を持った男たちに搾り取られる女たちの、勝てない闘いを描いて美しい映画だった。
昨日の夕刊に、7月15日から夏休みロードショー、と大きく広告が出ていた映画「スチュアート・リトル」。身長7.5センチのすごく可愛いネズミくんだ。お鼻の先と耳の裏が可愛いピンクでね。表情もスタイルもすっごくいい。お子さま向け映画に、広告を見ただけで行きたくなるなんてはじめてのことだ。でも今年の夏は脚を冷やしたらアカンので、映画館へは行かない決心をしたばかりだ。しゃあない、ビデオ待ちしよう。それでも未練たらしく新聞を眺めていた。細かい字のところを読んだら、原作がE・B・ホワイトであった。
あちこちで書いたけれど、E・B・ホワイトの「シャーロットのおくりもの」の最後の一節をサラ・パレツキーが「バースデイ・ブルー」で献辞に引用している。「シャーロットのおくりもの」は殺される運命にある子豚のウィルパーを知恵で助けるくものシャーロットの物語だ。
E・B・ホワイト(1899〜1985)は3冊の子供向けの作品を書いていて、1冊目がこの「スチュアート・リトル」。日本では法政大学出版会から「シャーロットのおくりもの」とともに「ちびっこスチュアート」というタイトルで出版されている。もう1冊の「白鳥のトランペット」は近代文芸社から出ている。声のでない白鳥のルイが言葉の代わりにトランペットで意思表示するお話だ。
スチュアートはニューヨークでリトル夫妻の次男として生まれたんだけど、大きさも外見もハツカネズミそのものだった。親も周囲の人たちもごく自然に彼を迎え入れているところがとても良くて、彼の冒険と恋のお話がすっごく楽しい。わあーっ映画が見たい。
10年くらい前、日経新聞の夕刊に「同好同志」というコラムが毎週あって、けっこう長く続いていた。わりとマイナーな集まりの紹介があって、入会するというほどでもないけど、おもしろい会があるもんだと思い、愛読していた。
ある日そのコラムに“イギリス児童文学を15年かけて読む”「ホビットの会」というのがあってびっくりした。すでに10年近くたっているらしく、最初は17世紀の「天路歴程」から始めたとのこと。わたしは子どもころに読んだ本で、貧しい少女が家には本と言えば「天路歴程」しかなかったと言っていたのを思い出した。へえー、あんな本から始めたのかってちょっと感動。
で、主宰者の正置友子さんにハガキを出した。ホビットの会に“ビルボ”から連絡して喜ばしたろ、って思ってね(このページ6/23「ビルボのいわれ」参照)。すぐに返事がきて勉強会に出席するように誘われた。それから10年くらい毎月1回の勉強会に通った。カンで選んで読んでいた本が、系統だって作家のことも教えてもらえてうれしくてね。アラン・ガーナーのときなんか、フクロウ模様の皿の絵からフクロウを作って持っていった。こんなアホなことをするのはわたし一人だったけど…。
はじめのうちは新鮮だったが、毎月作家一人でも数冊以上の本を読まねばならず、それがよくこんな本まで翻訳されていると驚くようなのまであり、研究者ではないわたしにはしんどくなった。それとわがVFCがいよいよ忙しくなり、正置さんがイギリス留学されたのを機に行かなくなってしまった。
そうそう、「ホビットの会」の数年後、日経新聞文化部の記者にインタビューされ、同じ「同好同志」にヴィク・ファン・クラブが載って、Uさんがハガキをくださったのだった。
この暑いのに「くるみわり人形」とは季節外れだけど、1冊は図書館の本なので見つけたのを幸い、いま書いておく。数年前に洋書の絵本を買った。Lisbeth Zwergerという人のイラストで、カバーの内側に若いきれいな女性の写真が出ているのだけれど、カタカナではどう読むのかと思っていた。絵はあんまり子供向きってふうでなく、誇張されたところや、ドイツ風と言ったらいいのかな、暗い色調がとても気に入っていた。マリーの顔だっていわゆる可愛いふうでないところが好き。
図書館で見つけた本は、なんと表紙がわたしの持っている洋書絵本と同じ画家のものではないか! タイトルは「くるみわり人形とねずみの王さま」(富山房 1545円)で、もちろんE・T・A・ホフマン作。リスベート・ツヴェルンガー画となっている。あとがきによると、洋書のほうは文章が三分の一が原作から省略されているが、こちらは原文どおりだとのこと。本の形は洋書のほうがずっと良い。
物語は子どものときに買ってもらった本で知っているけど、ホフマンと意識してきちんと読んだことがなかったし、洋書のほうは絵を見るだけなので、ありがたく読ませてもらった。ほんとに素晴らしい物語だった。わたしが子どものとき読んだのは、物語の最後にやってくる若いドロッセルマイヤーさんは人間であった。そしてマリーと仲良しになるのであった。ややこしいなあ、「あれは夢だった」ということだったんだろうか。
ほんとはマリーはドロッセルマイヤーさんと1年後に結婚して、きらめくクリスマスの森や、マジパンのお城のある国で王妃さまとして、いまも暮らしているのだ。いまのいままで知らなかったが、この世のふしぎを見る目をもっているひとならば、だれでも、いつでも、見ることができるそうである。ふーむ。
木村さんから「加州通信」をメールでいただいた。ビル・プロンジーニの「凶悪」を翻訳されたと書いてある。本が到着するまで待ち遠しかった。いつも訳書や著書をいただいているので、勝手に今回もくださるだろうと思って待っていた。到着後、すぐ読んで、もう一度読んだ。
この本「凶悪」(講談社文庫 762円+税)はビル・プロンジーニの名無しの探偵もの、10年ぶりの翻訳である。それがね、読み始めるとびっくり、名無しの探偵の物語が結婚式の場面から始まるんだもん。60歳を目前にして、ついにケリーと結婚。しかし結婚式の指輪交換でもたつき、キスを交わすときはケリーの足を踏んでもたついて、壁の額を落としてガラスを割り…。それから初夜にはこぶらがえりになり…。
そんなドジな名無しさんだけれど、仕事はうまく行っていて、知り合いの弁護士の紹介で依頼人が来る。若く美しい女性が、死亡した両親が残した書類ではじめて自分が養子であることを知り、実の親を調べてほしいとのこと。調べ始めると、真実は知らないほうがよいという意見ばかりだ。そのとおり、16歳の少女がレイプされて産んだ子どもであり、父親はめちゃくちゃなやつだった。調べているうちにも新しく事件が起こる。ケリーにも危険がせまる。最後まで緊迫感のある作品であった。その上に、結婚して幸せな名無しさんを読む楽しみもあってほくほくした。
それ以外にも楽しいところがあった。コンピューターについて、自分は恐竜みたいなものだと言っている彼が、コンピューターの専門家の若い女性タマラ・コービンを雇うところだ。彼女がアップルのパワーブックを持って来ることにして、周辺機器は彼が買い、事務所に取り付けるのだが、最初に来たときのやりとりが笑わせる。年齢の倍ほどコンピューターにくわしいところも、話のしかたで大人をいらつかせるところも、わたしにはよくわかって笑った、笑った。
木村さんの訳書はどれもそうなんだけれど、解説がくわしくて勉強になる。10年間出ていなかった名無しの探偵だから、知らない人が多いだろうが、この本を読んで知ってほしい。ビル・プロンジーニ自身もヴィクに先立つ女性探偵シャロン・マコーンを書いたマーシャ・マラーと結婚したそうだ。この本がよく売れて、次作や未訳の本が出版されたらうれしいんだけれど…。
昨夜はヴィク・ファン・クラブの例会があった。せっかく治った足だが、他のところが筋肉痛になり歩きづらい。家も集会場所も地下鉄の駅から近いので大丈夫と出かけたのだが、やっぱり歩くのがしんどかった。ただ座っているぶんには、なんともないので例会中は元気なものだった。ハリの先生に言われたとおりに、冷房で足を冷やさないよう膝掛け毛布を持参した。ビールも自粛してコーヒーや紅茶のお代わりでガマンした。
例会は常連に加えて、Dさんが大津から来られて賑やかであった。6時から10時までの4時間、途切れることなくテーマなしでしゃべるという快挙(?)を成し遂げて喜ばしいことであった(笑)。勉強にならないからと出席されない人もいるのだけれど、勉強ってなんだろうって思うのね。雑談の中に参加者の生活や考えを垣間見るのが、わたしはすごく好きだ。そして参加者が当面している問題や悩みを話して、解決はないけれども、話してスッキリしたりすることができたら、例会は成功したと思うのよね。
最近は関東や北海道方面から例会に参加したいから貯金している、というお便りをいただいている。うれしいことだ。ほんまに待ってるから来てね。
お知らせ⇒“性差別と暴力を考える”「パンドラの箱」11号が発行されました。
連載「Battered Wives」は結婚契約の本質に迫っています。編集者大藏まきこさんによる「悪夢のような」というタイトルの沼津における殺人事件についての8000字におよぶ論評はすごいです。読みたいかたは私宛にメールをください。
昨日書いた「ビルボのいわれ」のもとである「ホビット」のことを書くことにしよう。本国のイギリスで最初に出版されたのが1937年だから、もう63年たっている。日本では瀬田禎二訳の「ホビットの冒険」岩波書店版(この本もだれかにあげてしまって手許にない)は、70年代はじめにわたしたちが手にしているから、もう30年はたっている。
はじめて読んだときはほんとうに楽しかった。できたてのカップルだったわたしたちには、ホビット族のビルボの心地よい住まいと、そこから冒険に出るスリル、両方ともに持ちたいという願望を持っていたのだろう。そして帰還してからのビルボに対する親族や村人の態度が、わたしたちの生活スタイルを取りざたする大人たちの態度と一致していて、同じように村的社会から孤立していると思ったのも親しみを持つひとつだったような気がする。
しかし、この本は児童書として取り扱われていただろうから、その後「指輪物語」で人気が出ても、その前の物語であるのに、知っている人は少なかったようだ。フロドは知っていても、最初にちょっと出てくるだけの、フロドのおじさんであるビルボを知っている人は少なかった。だからこそ知っている人は“共犯の目配せ”というような目線で、秘密結社のような親密さをみせるのだった。きっとイギリスやアメリカではそんなことはなかったのだろう。パソコンを買ってすぐにアメリカ版の「ホビット」のゲームを買ったし、イギリス留学の友人からはトールキン自身が描いた初版本のカバーの絵はがきをもらった。
そして1997年に新訳が出た。山本史郎訳「ホビット ゆきてかえりし物語」〈第四版・注釈版〉(原書房 2300円+税)である。これこそ待っていた(出てから待っていたということがわかった)、トールキンのファンやおたくが喜ぶ本である。勉強になる序文、詳しい注釈、トールキン本人が描いた挿し絵、各国版の挿し絵がある。毎晩眺めても飽きない本だ。細部へのものすごいこだわりが好き心をくすぐり、満喫させてくれる。
20数年前に夫と2人で事務所を持った。名称をどうしようかと思案して、いろいろな案の中から「ビルボ」を選んだ。それ以来、すぎやさんよりビルボさんと呼ばれるほうが多くなった。友人も名前よりもビルボで、つい最近も旧友にホームページをビルボで検索したのになかったと言われてしまった。事務所を閉めてからはまた名前にもどっているけどね。
今朝一番にとどいたメールはうれしかった。久しぶりにトールキンの「指輪物語」を読み返した友人からで、「ビルボ、君がビルボだったのか」って、夫に伝言するように頼まれたのだ。共に喜んだのは言うまでもない。
「ビルボってなにからつけたん?」とよく聞かれた。わかっていて好意を持ってくれた人は、若き日の須山公美子さん(歌手)ほか2人だけだった。3人とも岩波書店の「ホビットの冒険」を子どものときに読んだ幸せな人である。わたしたちが児童文学にのめりこんだのはもう30年前(いつも古い話になってごめん、しかし原点だからね)になるが、トールキン、ルイス、アラン・ガーナーなどに魅せられた(後にわたしはイギリス児童文学研究会「ホビットの会」で、もう少し系統的に読むようになったのだが)。ビルボはそのトールキンの「ホビットの冒険」の主人公の名前で、「指輪物語」はその続編になる。1997年に新しい訳で「ホビット」が出た。今日はここまで、続きはまた明日。
今日は3日ぶりに外へ出た。一昨日、昨日は足をだいじにして買い物も夫に行ってもらったが、今日はもう大丈夫。ビデオを返して、スーパーマーケットで買い物して、まだ足りずにローソンで雑誌の立ち読みをし、「Olive」を買ってきた。
「Olive」は昔ながらの少女雑誌の心がいちばん残っている雑誌だと思う。それで特集が気になったときは買うことにしている。今月は「ケータイ、ピッチ大研究」なので喜んでしまった。
うちのケータイは3年ほど前に買ったままで、重いのでずーっと家に置いてあった(笑)。夫がカバンに入れて出かけても、電話がかかるとわかっていなければ電源を入れないという、ええかげんなことであった。それが最近ケータイは電話だけとちゃうで、と言いだしiモードを買った。そして毎晩楽しく遊んでいる。うらやまし…。
わたしもそろそろ個人用がいると思っていたところで、手軽にPHSにしようかと迷ったりしていたが、「Olive」を読んでやっぱりiモードに決めた。おすすめの折り畳めて手のひらにすっぽり、そして大画面というのがいいな。色はシルバーかチェリーブロッサムか…。2・3日中に買いに行こう。
ついでだが、「Olive」は占いがよくあたる。今月の乙女座はぴたり。最後の「一言メッセージ」を引用すると【人がキミの期待どおりに動いてくれるはず、という思い込みは禁物。きちんと言葉にして、相手を納得させる手間をかけて。】です。その通りやわ。「デイリーライフ」というところは長いので引用しないが、わたしの悪い癖の指摘がすっごくあたっている。気になる人は立ち読みしてね。「Olive」7/3号61ページです。
ときどき子どものための本が読みたくなる。新しい本は本屋や図書館で勘で選んでいるが、“小学校5・6年生以上”とか“小学上級から”と書かれているのが目安になる。
この本は図書館の子供向け外国文学の棚から選んできた。スウェーデンの作家マリア=グリーベの3部作「エレベーターで4階へ」「自分の部屋があったら」「それぞれの世界へ」は勘が当たってとても楽しく読めた。マリア=グリーベは解説によると、現代スウェーデンのもっともすぐれた作家のひとりといわれているそうだが、うなづけるものがあった。
11才から12才になる父のいない少女ロッテンは母と2人で都会へ出る。母はお金持ちの家の住み込みのお手伝いさんとして雇われる。そこの家は銀行家のご主人と美しい女主人、拒食症の少女マリオンがいる。そこで育っていくロッテンはただの良い子ではない。母に知られずにいろんな冒険をする。学校へ行っても先生とやりあうし、いじめられていたジプシーのドリーと仲良くなり、ドリーが臭いといわれているので内緒でお風呂に入れてやったりする。
マリオンとは秘密に猫を飼う間柄になるが、マリオンは産みの母が別にいて、相談しあう友だちになる。ロッテンの部屋の窓の向こう側にはボーイフレンドのヤルマルの部屋の窓があり、窓辺に置くもので連絡しあい、猫の秘密もわけあう。
母の恋人にずいぶん意地悪したりするが、最後に和解するまで徹底的というくらいに自分を通すところを書いているのに感心した。愛してくれた亡きおばあちゃんに、出さない手紙を書くことで、自分を確認しながらロッテンは成長していく。登場人物の少年少女みんな、自分をちゃんと持っていて大人っぽいところが北欧文化なのかな。
まいった、まいった。急に左足が動かなくなった。以前雨に濡れてGパンがぐっしょりになり、両太ももが動きにくくなって鍼で治したことがある。それからだいぶ経って右ヒザをケガした。仕事を休まず無理したおかげで、いまも右ヒザが冬の間はどうも調子が悪い。
暖かくなって調子がよくなってきたので、いい気になって映画に行き(金曜日)、ビデオ屋でうろつき(雨の土曜日)、本屋で長時間立ち読み(日曜日)した。みんな冷房がきつかった。それに夜更かししてビールを少々だけど飲んだのがあかんかった。ちょっと足がだるいなと思ったけど、大丈夫と勝手に判断して、昨日(月曜日)用事で出かけた空き時間に映画を見た。夜になってから左足に力が入らない。右足をかばうからどうしても左足に無理がかかっている。マッサージしてもらって座布団に足を乗せて寝たら、だいぶましになって今朝は朝食もお弁当も作れた。今日は1日おとなしくしていよう。わたしにはマックがある(笑)。
難波駅近くに用事ができて、また3時間後に行かなくてはならない。その間に道頓堀へ行って映画を見て、さの半で天ぷらを買ってきた。映画見だしたらこれだからいやになる。と言っても見たい映画があるからで、「アナザカントリー」のルパート・エベレットがどういう感じになったか、マドンナがどんなふうか…。「2番目に幸せなこと」を見てきた。
新聞広告を見ている限りでは、「私たち結婚しないから離婚はありません」って言う言葉があるし、ゲイの庭師ルパートとヨガインストラクターのマドンナの楽しい生活の映画だと思っていたのよね。それが後半子どもをめぐって深刻な話になった。ゲイの男とちょっとした誤りで妊娠、出産し、2人で楽しく子育てする。数年後マドンナに恋人ができたことで、平和な生活が一変し、明るいカリフォルニアで子どもの養育権をめぐって裁判にまでいく。
マドンナとルパートが誤りの夜を過ごすとき、居候しているゲイのカップルの家で酔っぱらい、家具を壊しながらフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの真似をして踊る。ソファの背に飛び乗って、アステア組は優雅に飛び降りるが、こちらはソファがどしんとひっくり返って笑わせる。
1回映画を見ると、すぐはまってしまうのは毎度のことで、金曜日に「エリン・ブロコビッチ」を見たとたん、すぐレンタルビデオ屋に走り2本借りてきた。その1本が前から気になっていた「マイ・ネーム・イズ・ジョー」。スコットランドのグラスゴウを舞台にしている。グラスゴウはわたしの大好きな警察官ジョン・レイドロウが活躍している街である。そんなわけで、スラム街の住民が主役のこの映画を見ながら、レイドロウがこつこつ調査に歩く姿も想像してしまった。
「マイ・ネーム・イズ・○○○、アル中です」とではじまる告白は、ミステリーの中でもおなじみの言葉だ。アル中を克服してサッカーチームのコーチをし、失業保険で暮らしている中年男ジョーが恋をした。相手は福祉事務所で働く女性で、真面目なつきあいになっていた。サッカーチームのメンバーの妻がヤク中になり、ヤクザから借金のかたに売春をさせられるはめになる。それを助けたいジョーには選択の余地なく、2人を助けたければ、2回でいいから麻薬を運べと言われ、承知せざるを得ない。
スコットランドなまりのごつごつした言葉、暗い街のありさま、すぐキレて暴力に走る男、現実感あふれる映画だった。
昨日はおかしな日だった。夕方札幌へ電話した。その数時間後に沖縄の波照間島から電話がかかった。
札幌への電話は、VFC会員のOさんからおいしいポテトケーキを送ってもらったお礼のためで、サラ・パレツキーの新作が秋に出版されることや、パソコンの話をした。彼女はVFCが「会員は北海道から四国までいます」と言っている、そのありがたい北海道の会員である。貯金をして例会に出ると言ってくださった。行ったことのない関空まで迎えに行くのが楽しみだ。
波照間島からの電話は、30年来の友人GOがいまその地で飲み屋をしていて、その場にいまいるのが、わたしが20年前に付き合っていた仲間のJだ。このページによく書いている70年代はじめのジャズ喫茶の仲間と、80年代はじめの「ロックマガジン」を通じて知り合った仲間が、はるか沖縄で出会ったわけだ。どういうことで話が出たのかしらないが、共通の人間を知っていたことで盛り上がり、電話になったらしい。ひえーっと驚き、近況を話し合い、わいわい盛り上がった。こうして何年経っても昨日別れたような声でしゃべれる相手がいるのはうれしい。
新聞の広告を見ておもしろそうだと思った。金なし、職なし、学歴なしのジュリア・ロバーツが、思いっきり派手なミニスカート姿。そしてなにをしたんだか、大金を手にしたって…。女友だちから「行っておいで、元気が出るよ」のメールや電話があった。
映画の最初に「これは実際にあったことです」と出た。カリフォルニアで2回の結婚と離婚、3人の子持ちのエリンは失業中で仕事になかなかありつけない。いらついてクルマを走らせ高級車と接触する。むち打ち症の首巻きをして裁判に持ち込むが、相手はERのお医者さんで負けてしまう。万策尽きた彼女は、勝つと言っていた弁護士の事務所に行って無理矢理雇ってもらう。そこで働くうちに大企業のファイルに疑問を持ち、調査を始める。これが大きな環境汚染の裁判の始まりで、住人の聞き取り調査、川や井戸の水質調査、水道局の書類調査とせまっていく。そして弁護士が本気になり裁判に持ち込むことになる。
3人の子どもを預かって家事をしてくれていた隣人の男性と愛し合うが、仕事を辞めてくれと言われて、私は働くことをやめない、とエリンはしっかり断る。男性は出て行き、エリンは子どもを連れて被害者の聞き取り調査に出かける。
アメリカ史上最高の金額を勝ち取った裁判の物語は、やぶれかぶれのエリンが始め、見事に綿密な調査の結果勝ち取ったものであった。セクシーなミニスカート姿を最後まで貫き、啖呵を切るエリンの姿がかっこいい。出ていった恋人も戻ってきて、すねていた息子も被害者の病気の子どもの存在を知り、家庭をおいて仕事に出かける母親を理解していく。ジュリア・ロバーツ素敵!
“暮れなずむ甲子園”という言葉が好きだ。よく甲子園へ野球を見に行っていたころは、夕方仕事を終えて阪神百貨店で弁当を買い、球場へ駆けつけたものだ。当時は6時20分から試合が始まったから、ぎりぎりで間に合った。だんだんと夕暮れていく空の下の球場が哀愁をおびて、やがてお月さんがぽっかりと浮かぶ風景は最高だったなあ。阪神が優勝した前後、つまり15年は前のことだけれど(笑)。ちなみにわたしは掛布ファンであった。
今日は6時にテレビをつけた。日暮れごろに1回は球場の上空を写すところを見るのが好きでね。今日は梅雨の中休みで、とてもきれいな夕暮れを見ることができた。試合中は用事をしたり、食事をしたりでとびとびになるが、点を入れられると消すので、あまり最後まで見ることがない。もっとも野球ばかり見ていてはなんにもできないよね。
今日は最後まで余裕で見ていた。対戦相手は首位の中日だったが、もどってきて今年はじめて公式戦に出場の八木選手が、1回目、2回目の打席でホームランを打った。他の選手も気持ちよく打って12点をとった後を、すっきりと締めてほしかったが、最後にちょっともたついたのが残念だ。
田辺寄席世話人のOさんから「田辺寄席ニュース 寄合酒」6月号を送っていただいた。この「ほとんど毎日ページ」4月20日に書いた「北田辺の大楠」は残れることになったとトップ記事で書いておられる。先月は大楠保存ということで、大阪市にハガキを出す運動を始められたのだが、その運動が実って現地保存されることになったそうだ。大きなくすのきが大好きなわたしは無性にうれしい。まだ形状の問題等があるということだが、まず現地にあのくすのきが残ることができてよかった。
“歴史街道、木津川平野線を歩こう”という催しも成功されたとのこと。これは大阪は南北はしっかりしているのに、東西が無視されているということで、阿倍晴明神社〜天神ノ森〜松虫塚を経て大念仏時〜全興寺へと大阪南部の東西を結んで歩く試みであった。楽しかったと手紙もいただいた。
また昔話になるけれども、わたしは泉北の公団に住む前は岸里の文化住宅に住んでいたことがあり、帝塚山、北畠は散歩コースであった。阿倍晴明神社〜天神ノ森〜松虫塚はとてもなつかしいところだ。岸里から坂を上がっていくとお屋敷町。帰りは坂を下るとだんだん家が小さくなり、南海線の線路脇の文化住宅の我が家に帰り着くのだった。
OCATの屋上庭園が今月中一般に開放されているというので行ってみた。元「湊町駅」と言っていたJR難波駅の上にある大きなビルである。ここから関空行きのバスだか電車だかに乗れるんじゃなかったかな。縁がないので知らないけど…。近くなのに来たのは2度目だ。数年前にできたころ、ここに入った丸善を見にきたことがある。
5階の上が屋上で、上がってみるとまわりがみんなビル。しかもすぐ横で高層ビルが工事中だ。新聞によると、屋上なので軽い土とか水回りとかにずいぶん工夫してあるらしい。雨が降っていたが、傘をさして歩きまわった。お客は中年女性のグループの他はわたしを入れて3人であった。1人は屋根があるところにあるテーブルセットに座り、魔法瓶のお茶をいれて雑誌を読んでいる。もう1人とわたしは歩きまわっている。
広い屋上に美しい設計できれいな花やハーブがきちんと植えられている。ほんまにスキがないというか、雑草1本生えていない。きれいやけどつまらんねん。ようやく隅のほうのツツジの植え込みに、ツツジの間から這い出した昼顔が数輪ピンクの花を咲かせているのを見た。ほっとした。えっと、入園料が100円いる。
御堂筋にある難波神社には、大阪市指定第1号の保存樹のくすのきがそびえている。幹の周囲は3メートルを超えていると思う。わたしはときどき行って梢を仰ぎ、良い気分になって帰ってくる。この神社では初夏になるともう一つ良いものを見ることができる。毎年5月の末になると鉢植えの菖蒲が500鉢ほど神社の庭に置かれるのだ(今月の表紙の菖蒲はこれ)。白、ブルー、ピンクと美しく咲いた菖蒲を、御堂筋で見られるなんて幸せ。今日もたそがれどきに見に行ってきた。
昨夜ネコの夢を見た。ネコが死んでから4カ月近くたつのに、夢に出てこなかった。夢に出るほど意識の奥に入っていないのだろう。今回も花子が出てきたわけでなく、部屋でなにかしていると、ニャーとほのかに泣く声がしたのだった。「あ、花子が泣いている」とわたしが言った。耳をすましたがもうなにも聞こえなかった。死ぬ前に小さく泣いてわたしを呼んだ、あの声だった。
思い立って絵はがきの整理をすることにした。たくさんあるのを引き出しや箱に無造作に入れてあるから、見ることもなくなっている。ポストカードフォルダーに入れてきちんと見れば、お金を払ったものが生きるというわけで、8冊のフォルダーに分類した。
絵はがきを買うのが好きで、正倉院展やお寺の名品展へ行くと気に入った展示品のを必ず買う。東洋陶磁美術館等の常設品の絵はがきにもいいのがある。ネコのがたくさんある。40年代のハリウッド映画のポスターを絵はがきにしたのはフィオルッチが開店したときに買ったもの。中原淳一のもたくさんある。自家製の絵はがきもある。それにいただいた絵はがきはおしゃれなのが多い。マリア・カラスの美しい写真、イギリスへ留学した友人からの貴重な絵はがき。「マーガレット」の付録についていたさべあのまの2枚は宝物だ。もうひとつの宝物は「ホックニーのオペラ展」のもの。ホックニーが舞台装置をつくったオペラの舞台スケッチ。ユニークな装置の「魔笛」はレーザーディスクで持っている。
買わなかった絵はがきもある。何年かをおいて、滋賀県の美術館で見たメイプルソープとシンディ・シャーマンだけは展示された写真と絵はがきの差がはげしくて買えなかった。目録だけ持っている。
雨が降りそうで降らない、じっとりしたいやな天気だが、夕方になってもなかなか暗くならないのがありがたい。今日の散歩は橋を渡っていこうと思って出かけた。西へ真っ直ぐ行くと木津川にかかる松島橋がある。橋を渡るという言葉が好きだ。なんだか橋を渡ると景色が変わるような気がする。
橋を渡って松島公園を抜け九条へ出た。ネコが生きていたときは、モンプチの缶詰とサイエンスダイエットを買いに九条のペットショップによく行ったけど、最近は用事がない。シネ・ヌーヴォーって映画館があるが、映画を見る気がおこらず、めったに来ない。
茨住吉神社の前を通って、長い商店街をまっすぐ突き抜けると安治川に出る。安治川トンネルを抜けると西九条だが、今日はここまでにして戻ることにした。長屋が並んでいたりするところを選んでじぐざくに歩いた。まだ路地(ろーじ)があってね。なつかしい。子どものころ、ろーじでマリつきして、ゴムマリを溝に流してしまったことを思い出した。
傾いた空き家の庭にドクダミが群生していた。他の草花を圧倒して白い花を咲かせている。曇った夕方に不気味な空間をつくっている。この家がこわされるまで、ここをわたしの庭に見立てて通ってくるのもいいなと思った。
このあいだディクスン・カーも好きと書いたときに、この本を思い出し、むしょうに読みたくなった。昭和38年に出た角川文庫で、表紙はちぎれ中身も茶色く変色している。昨夜、雨の音を聞きながら、また一通り読んでしまった。
イギリス人女性のイヴは28歳で父親からランカシアの紡績工場とともに誇りも相続した。いまハンサムが理由で結婚したネッドとフランスで離婚したところだ。その後、海岸の保養地で、避暑客がカジノやバーにあふれているところだが、別荘でひとりでひっそりと暮らしている。向かいの屋敷に住んでいる、落ち着いたイギリス人一家と知り合い、息子の銀行員トビーと婚約する。トビー本人も家族もイヴが好きだが、ついているお金も好きであった。
トビーの父親が殺され、イヴが嫌疑をかけられる。動かしようのない証拠をつきつけらたところへ、キンロス博士が登場。そこからミステリーではあるけれど、美女と騎士の物語となる。真面目な道徳家のトビーが、実はとんでもない過保護の甘えただったということもわかっていく。1942年に書かれた本の中にいるイギリスの若者は、いまの日本人の若者に通じるところがあるように思える。
さて、キンロス博士はイヴの無実を実証し、犯人をつきとめる。そして最後にニースかカンヌでも行くというイヴを引き留め、イギリスへ帰ろうと言う。とっても粋な恋愛小説で大好き。
暑い日が続いているが、今夜あたりから雨になりそう。洗濯ものはみんな片づけたから気分が良い。夕方友人と待ち合わせてチャルカでお茶とスコーンでおしゃべり。あとは一人でアメリカ村へ出て買い物する。食料品は昨日「ポラン広場の宅配」にいろいろ運んでもらったので買わなくてもよい。無印良品で文房具を見て、ポストカードファイルを買う。台所用品のところにポリエチレンのラップがあるので来たのだが品切れだった。心斎橋へ出てまずアクタスへ行く。“街でいただいたポケットティッシュをこれに入れて使いましょう”というチラシの言葉に惹かれてのお買い物。街を歩いているとよくティッシュをもらってしまうのよね。金貸しや伝言ダイヤルなんかの袋から出して、この箱に入れて使う。メタリックな色で小さいから机の上で邪魔にならない。気に入った。合成漆器だそうで680円だった。わたしはアクタスとハンズのチラシが好きで、隅から隅まで読むことにしているので、こうしたすぐれものに出会える。
東急ハンズで洗剤を買う。濃縮液体で洗濯にも掃除にも食器洗いにも使えるのがお気に入り。詰替用を買い置きしておく。
クリスタ長堀をぶらぶらと長堀橋のほうへ行く途中に丸善がある。ポストカードファイルの大型がどこにもなかったので探してみたら、さすが丸善、あったあった。こまごまとした買い物ばかりだが大満足の夕方であった。
橋本治好き、さべあのま大好き、「花物語」というタイトルも好き。この数年間でいちばん開いた回数が多い本の1冊だ。春から次ぎの春までの14の物語が入っており、花の名をタイトルにしたものが6編ある。あとは季節感のあるテーマで、少年と少女の揺れ動く気持ちが繊細に書かれている。
6月は「紫陽花」でミチヨさんは【「自分はいつもお天気で、雨降りなんかメンドーなだけだ」と思っていたんじゃないのかなと】窓の外に咲いている紫陽花の花を見て思う。そういうほのかな気分がとっても好きだ。
夏のはじめのプールの授業がルリコさんのクラスにあたるので、プールの掃除をする。体の中が幸福で爆発しそうなキラキラと輝く夏の太陽の光。【ルリコさんは、太陽の輝く夏のプールが、世界で一番好きだったのです。】泣きそうになるくらい、若いということを感じさせてくれる。
受験に失敗したり、姉に子どもが産まれたり、つまらないお正月になったり、誰にでもあるちょっとしたつまずきが、生活のこまごまとした喜びを感じることで変わっていく。大きなことではない。ささやかな花や自然を感じる喜びが、この本を開くと溢れ出てくる。絵がね、とてもノスタルジックでね、好きやねん。(集英社 税共2200円)
我が家はお茶といえば、紅茶、うーろん茶、ほうじ茶とふだんは茶色いお茶ばかり飲んでいる。だが、たまに和菓子を食べるときには緑茶を淹れることにしている。和菓子は大好き。大福やおはぎ、きんつば、くりまんじゅう、みかさ、といったものも好きだけど、最中もけっこう好き。ようかんは夜の梅だい!
いまの季節の和菓子は「鮎」が最高。新茶が出たころ、鮎がお菓子屋に登場する。あの姿がいい。そして中味は求肥(ぎゅうひ)。辞書をひくと〈蒸した白玉粉に砂糖や水飴を加えて練った、薄いもち状の和菓子〉とある。あんこでなくて、あっさりとした求肥が入っていることで初夏のお菓子らしいさっぱり感がある。さ、新茶を淹れて鮎を食べましょうかね。
「既死感」でデビューしたキャスリーン・レイクスの第2作目、主人公のテンペランス・ブレナンは法人類学者で、ノース・カロライナ大学で教鞭をとりながら、カナダのケペック州法医学研究所にも勤務している骨の専門家である。シャーロットからケペックまで、片道千数百キロを定期的に移動しながら生活している。年齢は40代前半で弁護士の夫と離婚していて、娘が一人いる。猫のバーディはカナダへ行くときは元夫に預けるが、シャーロットにもどると連れに行く。飼い主の離婚でちょっと神経過敏になっている猫だ。
カトリック教会から聖女の骨の分析を依頼されて調べはじめるのだが、聖女のことを伝える文献について宗教学者に聞きに行くところから不気味な雰囲気になっていく。その上に妹のハリーが最近カルト的集団に惹かれているのも気になる。そこへ事件が起きる。放火の焼け跡からは赤ん坊を交えた死体が発見される。その死体はおそるべき損傷を受けていた。
前作ではシリアルキラーとの対決だったが、今回はカルト集団である。教会の尼僧の姪、妹のハリー、宗教学者、みんな事件につながっていく。休暇を過ごしに行ったアメリカ南部の島で新しい死体を発見するが、それがカナダの事件とつながっているのがわかる。最後、心身ともに凍り付くカナダで事件を追いつめていく。
一緒に事件の解明にあたるライアン刑事とは、いいところまでいったのに電話の邪魔が入って、気持ちが途切れてしまうが、ともに最後まで犯人を追う。怪我をしたライアンをシャーロットに休養に招くので、これで二人の仲は大丈夫と一安心。あたしもなにを読んでいるんだか…。(角川書店 1800円+税)
丸福珈琲店はわたしが子どものころもあったように思う。姉に大劇へ松竹少女歌劇に連れていってもらったときに入った覚えがあるのだが、そのときでさえ古い感じがしたような…。
だから70年代になって、ジャズ喫茶の仲間があそこのコーヒーの味すごいなあ、と言っていたのだって、あの店にとっては古い話ではないはずだ。
いつも散歩は近くばかりなので遠出しよう、といっても五十歩百歩だが、難波まで行くことにして地下鉄で出かけた。じゅんく堂の難波店で相も変わらず相棒はインターネットの本を探し、わたしは絵本の立ち読みに時間を費やした。千日前から道頓堀に出ることにして歩いていると、丸福珈琲店のところに出たので、何年ぶりやろと、本屋で立ちづめの疲れを癒すため店に入った。
運ばれてきたコーヒーは昔と同じものすごく苦い味。頼んだチョコレートケーキはこれまた強烈にたっぷりと濃い味であった。このふたつの呼吸がぴったりで、ほんま感心したけど、胃袋がちょっとびっくりしていたような。
そのまま北へ歩いて周防町へ出て雑貨店で遊び、家まで歩いて帰った。あんまり遠出ではなかったなあ。
さべあ のまのイラストが大好きなので、表紙をちらりと見ただけでローラ・リップマンの新刊だとわかった。このページの1999年4月に書いた「チャーム・シティ」は2作目で、この「ボルチモア・ブルース」(ハヤカワ文庫 840円+税)がシリーズの第1作になる。
だから「チャーム・シティ」に恋人として出てきていたクロウと知り合うところや、失業していて調査員になるまでのいきさつも、この本ではっきりした。
主人公のテス・モナハンは29歳の独身女性。ボートの練習が早朝の日課で、大柄で筋骨たくましい。働いていた新聞社が倒産して、叔母の書店の手伝いや、叔父に仕事をもらったりして暮らしている。
ある朝、ボート仲間のロックから婚約者の様子がおかしいから調べてほしいと頼まれる。尾行を続けるうちに婚約者が密会している相手(弁護士)が殺され、ロックが容疑者として逮捕される。テスはボートのコーチで弁護士のタイナーに雇われて調査を続けることになる。
テスの元恋人のジョナサンは新しい恋人とうまくいかなくなって、またテスのところへやってくるようになった。テスにとってジョナサンは「室内用運動器具の一つのようなもの」だが、二人で過ごした翌朝、暴走するクルマにはねられジョナサンが死ぬ。事故ではなくテスをめがけたものであった。事件のうしろに金持ち夫妻がいるのがわかってくる。実際に手を下した男に追われ殺されかけながらも調査を続ける。
殺された弁護士がレイプした男性の弁護をしていたということで、VOMA(男性による攻撃の犠牲者)に聞き込みに行って知り合った女性とかかわることになるが、アメリカのこういう組織がどういうふうに動いているか、よくわかって勉強になった。また、ボルチモアという街に親近感を覚えるようになった。いま第5作がアメリカで刊行予定で、次々に翻訳される予定と解説に書いてある。楽しみだ。
ネコの大写しの写真が目をひくチラシを、図書館のチラシコーナーでもらってきた。ニューヨーク、スコットランド、アリゾナ、ウィーン生まれと日本生まれ3人のフォトグラファーによるネコの写真展である。入場料等の記載の下に小さい文字で「誠に申し訳がありませんが、猫の入館はできません」と書いてあるのに好意をもったので、近鉄アート館まで行ってきた。
わたしは19年間ネコと暮らしたけれど、いささかも飽きることはなかった。花子が死んで、気持ちがネコと離れるかと思ったけれど、そうならずに、ネコ全体に愛をふりそそぎたいような気持ちが続いている。とはいえ、ネコたちの写真を見るのはやっぱりつらく、ゆっくりと見て歩く余裕がなかった。いい写真がたくさんあったんだけど、さっと見て通り過ぎてしまった。
出口付近で本や小物を売っている。写真の絵はがきのコーナーと別に、絵の絵はがきのコーナーがあった。ネコ絵はがきのコレクションだけはやめられない。コクトー、フジタ、ウォーホルのいままで知らなかった絵はがきがあったので買った。
帰りは近鉄百貨店の中をぶらついた。最近食料品売場以外の百貨店の中を歩くということがない。まず屋上へ行き、ハーブや花の苗をぶらぶら見て、エスカレーターで降りながら、各階の商品を鑑賞した。結局買い物したのは地下食料品売場だけだった。
今年の花粉症は例年に比べてわたしにはぜんぜんたいしたことがなかった。それで喜んでいたら大間違い、今ごろになって蕁麻疹の大嵐に見舞われている。痒いと痛いとどっちがいいか比べれば、痛いのはかなわんと思うし、蕁麻疹では死なへんわいと思っているけど、痒いのはいやなものである。なんとなくいらつくので夕方散歩に出た。四つ橋から本町へ歩いて靱公園まで行ったら、片隅にトランペットとサックス2人でジャズをやってる男の子たちがいた。なかなかうまくて、やっぱりナマはええなあ、とちょっとの間耳を傾けた。
帰り道に小さい洋品屋さんがある。ミセス向けのひらひらしたワンピースとかブラウスとか、わたしには縁のないものばかり置いてある店だが、今日はド迫力の立て看板にやられた。下手な手書きで大きく「おしゃれはエネルギー」と書いてある。
ふーむ、おしゃれでエネルギーを湧き起こせるのか、やってみようじゃん、と思っていたら夜遅くなってから、相棒がジャズバーへ行こうというので、おしゃれ(顔を洗ってへちまコロンをつけ、新しいTシャツを着た)して歩いて5分のジャズスポット街山荘へ出かけた。おしゃれついでにギムレットをたのんじゃったりした…。