雨が降っているけど、銀行へ行った帰り靱公園まで足をのばした。傘をさして雨の中を歩くのが好きなので、用事がなくてもつい歩きたくなる。ほんまは照ろうが降ろうが、歩くのが好きなだけなんだけどね。
公園では椿が咲き出していた。桜はつぼみがふっくらしてきた。花が咲く前の、葉が出てくる前の木は雨にあたって精気がみなぎっている感じ。
明日からの植木市に備えてもう準備ができている。春の花の植木が運ばれてよしずで囲った外にも石楠花や椿の苗が置いてある。明日来て小さな鉢植えを買おう。
帰りは見たいものがあるので、歩く道を選んでいく。まるでアミダクジみたいにじぐざぐに曲がっていく。中央大通りとなにわ筋がぶつかったところに、ツインズという真っ赤に塗った鉄の大きなオブジェがある。その側を通って、立派な数本の乙女椿が咲いているビルの前を通る。それから植木鉢がたくさんあるイタメシ屋、春の花がいっぱいの花屋も前も通る。お腹が空いてきた。帰って昨日買ってきたチョコレートベーグルを温めて食べよう。
数年前出版されたときに読んだままだった。VFC会員のHさんが飼い猫の花子に追悼文を書いてくださって、そこにこの小説からの引用があった。うかつにもわたしはそんな箇所があったのを忘れていたので、あわてて読み直した。
数年前のわたしは「私小説」のなにを読んでいたのだろう。
「私小説 from left to right 」(新潮社1942円+税)はユニークな本である。左から開くと文章は横書きで英文まじりだ。そして物語は美苗と姉の奈苗の長い電話を中心にして構成される。12歳のときに父親の仕事の都合で母と姉と一家4人で渡米して20年。いまや父は病気で施設に入院中、母は若い男性と新しい生活に入りアメリカを離れている。姉の奈苗は彫刻家でSoHoのロフトで猫2匹と暮らしている。大学院に籍を置く美苗が、日本へ帰ろうと決意するまでの、不安定な一人暮らしのなかで振り返った過去の生活が、独白と奈苗との電話の会話で語られる。
アメリカの都会、なかでもニューヨークの町中で暮らすことの孤独は、都会の孤独の中にいると思っているわたしの考えがはるかに甘いのがわかる。アメリカ人でさえ孤独で狂うことが白人の友人の例で語られる。
アメリカで暮らしながら日本語の小説に耽溺した水村美苗が漱石の「明暗」の続編「續明暗」を書いたのも納得できた。
とりわけ今回気が付いたのは、長女の奈苗の身勝手な性格と彼女に対する母親の態度だ。母親と長女の一体感について考えることが多かったこの1年のわたしには身にしみた。おとなしくていい子の次女たる美苗の気持ちがよくわかった。物語の中に住む少女なのだ。
だけど、この小説を読み進む中で、アメリカという国で暮らす奈苗の身勝手だけでない孤独感もわかってきた。最後に美苗にあなたは日本に帰ってもいいわよって言うまでになるところで泣けた。「私小説」は人間の孤独を描いたみごとな小説だ。
小説の中では日本に帰ってしまっている、「殿」と呼ばれているすてきな男性が水村さんのおつれあいであることを雑誌で読んだことがある。かっこええなあ…。
おいしい京都の薄揚げが大阪の百貨店で手に入るのがありがたい。これだけはスーパーマーケットで「京風揚げ」という名称で売っているものとは格段の差がある。それで、梅田へ出ると阪急百貨店の地下の森嘉で薄揚げを5枚買って帰る。1枚190円なので税金を払うと1000円で3円お釣りがくる。3枚は冷凍しておいて、菜っぱ、切り干し大根、ひじきなんぞを炊くときに使う。2枚は3センチ角くらいに切って薄い甘辛味で炊くと、それだけで美味しい酒の肴になる。そうそう、新玉葱が出ているいまの季節はいっしょに甘辛く炊くととってもおいしい。玉葱を間引いたのか、濃い緑の葉のついた小さな玉葱を葉っぱごと炊くのも好きだ。
いろいろと京都の美味しいものを売っているのに、いつも薄揚げしか買わないので申し訳ないような。
木に咲く花が好きだ。近所の小学校の庭に、もくれん、つばき、ぼけの花が咲いている。うめ、さくら、もも…と春に咲く花は木の花が多い。子どものときに気に入って覚えた短歌がある。〈木に花咲ききみわが妻とならん日の四月なかなか遠くもあるかな〉というので、作者は島木赤彦だったと記憶する。子どものとき覚えたままなので、うたも名前も間違っているかもしれない。知ってる人がいたら教えてください。
花が咲く春と恋人と結婚できる春が重なって、春を待つ気持ちがみずみずしい。ここの場合もそうだし、普通「木」と言えば桜だわね。でも、わたしは桜よりも椿が好きである。特にやぶ椿の赤色と乙女椿のピンクが好きでたまらない。庭があったら椿の庭にしたいところ。まあ、ええわ、公園や道ばたで見ていても幸福なんだから…。
三連休と世間の人はいうけど我が家は休みなし。わたしは仕事がないけど夫が忙しいので、毎日ご飯を3回作って静かにしていた。二日目、疲れたから散歩ということになった。
心斎橋へ出てアクタスで広告に出ていた台所用品を買う。おしゃれなメモを吊すワイヤーとポリ袋を整理する入れ物、それときれいなブルーの写真立てを買った。東急ハンズではノートと小さな鉢植えといつもの洗剤を買った。オーパの紀伊国屋で本を買って、隣りにあるオーパKIREI-KANの雑貨屋に行く。ここは欲しいものだらけなので、かえってなにを買ったらいいのか迷ってしまう。いずれお金があるときにがばっと買うぞ、なんて負け惜しみを言いながら、なにも買わずに出てきた。
帰り道にこの前焼きたてスコーンを食べたチャルカってお店がある。コーヒーとスコーン、バナナケーキを食べた。美味しかった。客はほかに少女コミックから抜け出してきたような若いカップルがいるだけ。近場で満足のひとときであった。
翌日は雨の中を肥後橋へ出てじゅんく堂で本を買い、昔なじみのムジカって喫茶店を探したけど、見つからなかった。そういや震災後に友人と待ち合わせして以来来てなかった。しゃあないのでスターバックスでコーヒーとサンドイッチにした。珍しくソファの席が空いていたので、落ち着いていま買ってきたばかりの本を読みだした。至福の時間だ。
あとでムジカの移転場所をメールを始めたばかりの友人にメールを出して尋ねた。喜んで返信メールが来た。ほんの近くやってんなあ。またこんど行こ。
今年の始めに1通のメールがとどいた。19年前に事情があって大阪から東京へ行ったカップルの女性のほうからだった。2人は東京へ行く前の1カ月ちょっとの間、うちの事務所に居候して仕事していた。上京後は交際も絶えていたが、共通の友人から聞いてこのホームページを読んだそうだ。そしてなつかしくなりメールをくれたというわけ。
そうか、19年前か、花子が来るちょっと前のことだったなあ、と感慨にふけったものだが、その花子が死んでしまった。
それで花子の死をちゃんと報せなきゃいけない人を思い出した。門田千香さんである。わたしが花子を連れて仕事に通っていたころ、得意先で働いていたひと。子猫の花子と遊んでくれたひとである。子猫のころの花子を知っている数少ないひとりだ。その後、偶然わたしたちの知り合いと結婚して、たまに電話で話していた。「はなちゃん元気?」「うん、元気」いつもこうだった。
電話すると、彼女は泣いてくれた。そして翌日10数年ぶりに会うことになった。電話の後すぐに作って持ってきてくれたのが表紙の写真のオブジェです。花子がいまいる世界を表してくれた。
19年前の知り合いの女性2人が、思い出の中から姿を現した。うれしい。
自分自身のロルカに関する気持ちを思い出し、本もしっかりと読んで映画を見に行った。映画に関しては先入観なし。アンディ・ガルシアがロルカをやっていることも知らなかった。映画がはじまると、ロルカの詩を朗読する深い声が聞こえだした。
【午後の 五時/きっかり 午後の五時だった】とはじまり、【五時だった すべての時計が!/五時だった 午後の影でも】で終わる「角にかけられた死」の朗読がロルカの死を予感させる。
1954年、プエルトリコで暮らすリカルドは31歳、新聞記者をして穏やかに暮らしながら、ロルカについて本を書いていたが、調査のためにスペインへ行こうと決心する。彼は子どものときスペインに住んでいて、ロルカを崇拝し劇場でサインをもらって言葉を交わしたことがある。ロルカが「僕を忘れないで」と言って目の前を立ち去ったことが忘れられない。18年前にフランコの独裁政権から両親と共にプエルトリコに逃れてから、はじめての帰国であった。フランコ政権下のスペインで、ロルカについて聞き回ること自体が危険なことで、常に尾行がつく。探し回って話を聞いた相手が死んでいく。死の危険をくぐり抜けて最後に探り当てたロルカの死の真相はリカルド自身にも関わることだった。
ファシスト政権下のスペインで生きていることの困難、無惨な姿で生きている人間が描かれる。アンディ・ガルシアが精魂込めて演じる回想の中のロルカが艶やかに光っている。詩の朗読の声の美しさにも打たれた。
パンフレットによると、この映画は1965年にアイルランドの学者イアン・ギブソンが、ロルカ調査のためにフランコ独裁政治下のスペインに入ったときのことをモデルにしている。彼が書いた伝記「ロルカ」を読んだプエルトリコの映画監督マルコス・スリナガが連絡して映画にした。スリナガ自身子どものときにロルカに取り憑かれた一人だった。プエルトリコはスペインからの亡命者が多く、ロルカの作品が自由に出版されていた。
アンディ・ガルシアは「800万の死にざま」ではじめて見たのだが、つまらない映画のなかで彼だけがかっこよかった。その後は「ゴッドファーザー」以外はあんまり印象に残っていなかったが、こんなに艶がある人だったとは!
わたしがフェデリコ・ガルシア・ロルカの名前を知ったのはかなり昔のことだ。ロルカの芝居「ベルナルダ・アルバの家」を労演の例会で観た。劇団民芸だったか、スペインの田舎が舞台の、暗い芝居だった。黒いストールに覆われたベルナルダ・アルバの姿に強い印象を受けたことを鮮明に覚えている。ロルカの名前が深くこころに刻み込まれた。
そのころ労演事務局で友人が働いていたのでよく遊びに行った。会報に会員が書いた劇評が毎月掲載されている。その月は投書が少なかった。わたしのことだから、オーバーに感動したとくっちゃべっていたのだろう。いましゃべってたことを書いてくれって言われて、劇評を生まれて初めて書いた。劇評というよりもロルカに捧げる賛歌だったと思う。
その後気になって探したら詩集が出ていた。詩集の解説でロルカが銃殺されたこと、死の状況が謎であることも知った。それから長い年月、ロルカは気持ちの奥に引っ掛かっていた。
いま、ここに読みかけの本がある。アグスティン・サンチェス・ビダル「ブニュエル,ロルカ,ダリ…果てしなき謎」(白水社 6200円+税)。分厚い本だけど、興味があることばかりなので、飽きずに読んでいける。3人とも仰ぎ見てきた人たちである。この3人が若き日に密接な関係を持っていたなんて思いもよらなかった。ロルカがダリを愛していたなんてびっくりだ。
ダリについては、ダリの最愛の妻ガラが、詩人エリュアール夫人だったときの写真をエリュアール詩集で見て(たしかマン・レイが撮影したものだった)きびしい美しさに圧倒された覚えがある。
ブニュエルは大阪で最初に上映された「忘れられた人々」を観た。これは衝撃だった。それからだいぶたって観た「黄金時代」がいちばん好きだ。
そう、この本を読みだしたのは、映画「ロルカ、暗殺の丘」が上映されているから。先週初日に行きたかったのに、用事があったり風邪を引いたりして行けなかった。明日は行くと決めている。
テレビの名作映画シリーズで「OK牧場の決闘」をやっている。もう何回も見ているから、テレビをつけたまま用事をしていた。
先日ジャンヌ・モローの自伝を読んでいたら、バート・ランカスターと共演したときのことが書いてあった。バート・ランカスターは撮影中も演技論ばかり言っていて自然流のジャンヌ・モローと全然違っていたとのこと。そのバート・ランカスターがワイアット・アープをやっていて、ジャンヌ・モローの言ってるように演技しているのがおかしかった。その上、ドグ・ホリディ役のカーク・ダグラスも張り合って頑張っているので、申し訳ないけど笑ってしまった。
それはさておき、やっぱりクライマックスになると座ってしっかり見るのよね。OK牧場へ向かうところ、並んで歩いて行く姿がかっこいい。撃ち合いになって、バート・ランカスターがあとの3人に「援護しろ!」って叫んで飛び出す。何回見ても感激する場面だ。刑事ものを見てもよくあるシーンで、わたしは大好きである。
現実にはわたしが飛び出したとき、後ろにだれもいなかったことがある。わはは…。それはしゃあないとして、「援護しろ!」って友だちに言われたときは、しっかり援護するぞ。
若いときの話だけど「金盞花(きんせんか)が好き」と言うと、あれは仏さんの花やんか、って家族も友人も呆れた。そう言えば、昔の仏壇の花には金盞花が1本よく混じっていたよね。いまもそうなのかな? 仏壇とも仏壇の花ともごぶさたの年月が経って久しい。毎年春になると金盞花を1束買う。今年も10本1束で350円だった。ダサいと言われる花の色もかたちも、がばっとまとめて瓶に入れると、とてもおしゃれよー。
わざわざなんで金盞花のことを書くのかというと、これがね、わが愛するドロシー・L・セイヤーズの「大学祭の夜」最後のほう、犯人を突き止めたピーター・ウィムジイ卿が大学関係者に囲まれて真相をあかすシーン。会議室のテーブルの上の金盞花の花を好ましげに眺めながら話し出す。すごーく感じええねん。
それで、毎年金盞花を買うのだけれど、なんせ古い翻訳だから、実際はどんな花かは不明。早く浅羽莢子さんの新訳で知りたい気もある。でも知ってもこれだけなじんだ花だから、わたしは金盞花だと変換して読むわ。
数日の暖かさから、また、いっぺんに冬にもどってしまった。関西では奈良のお水取りが終わらないと春にならない、ということを重々知っていながら、数日の暖かさにいい気になって薄着になっていた。今年の冬は一回も風邪を引かなかったのに、ついに引いてしまっただ。残念。
用事があって千里まで出かけたときにぞくっとしたので、やばいなあと思った。大阪市内と北の千里では温度差があるのに配慮が足らんかった。くしゃみと鼻水がやたら出る。花粉症でもあるので、くしゃみ・鼻水はどっちかというところだが、喉もいがらっぽくなって、ほんまの風邪らしい。予定していた外出をとり止め、生姜湯を飲んでベッドに入り爆睡。2時間後にはかなりよくなって目覚めた。
靱公園を散歩していたら、寒いのにもかかわらず、バラ園にナズナとホトケノザがいっぱいの陽を浴びて元気に咲いている。タンポポ、タビラコ、オオイヌノフグリもちょっと咲いている。バラ園の向こう半分はきれいに手入れされ、バラの苗だけが植えられているので、いずれこちら側も雑草は抜かれてきれいになるのだろう。あと数日の命を懸命に咲いているところがけなげだ。きれいなピンクのホトケノザを1束手折ってきた。花のかたちも葉っぱも好き。
雑草は家の中では映えないのはわかっているけど、お気に入りのカップにがばっと挿して猫の写真の前に置いてやった。
ナバナが出はじめるのは2月だがつぼみは固い。それが3月に入るとつぼみが目立ちだす。黄色い色が見えるのも入っている。食べるために買ったものだが、2・3本黄色が目立つのをコップに挿してテーブルに置くと、葉っぱの新鮮な緑と黄色い花の色がとてもきれい。
食べるのは、多めのお湯で茹でてから、かつお節たっぷりといっしょに油で炒める。ちょっとほろ苦さのあるおいしさが春を感じさせる。ほうれん草や小松菜や水菜に飽きてきたいまごろが食べどき。
菜の花のさきっちょを切ってあるナバナにはないけど、野菜の束の中に雑草が混じっているのが好きだ。葉っぱものの束をほどくと、ときどきハコベやナズナのか細いのが1本2本混じっているのがうれしい。陽の当たる畑が思い浮かぶ。捨てるしかないのに、あったというだけで温かくなる。
今日は暖かかった。春の日があたると部屋の汚れがいやに目立つ。毎日の掃除は使用済みのお茶の葉をまいて箒で掃くだけだが、今日はていねいに掃除機をかけて、雑巾掛けをした。昨日は友人が花をたくさん持ってきてくれたので、前からあるのに加わって、スイトピーと菜の花とマーガレットがにぎやか。そこへ田舎に住む友から宅急便で蕗のとうとセロリの子がとどいたので、籠にいれてテーブルに置いた。部屋の中がめっちゃくちゃ春だ。
だけど「美しい部屋は空っぽ」ってエドモンド・ホワイトの本の名前が浮かんできた。実はまだ読んでないんだけど、近ごろいやにこの本のタイトルがこころをよぎる。そう、いくら掃除しても花をかざっても、猫の花子がいない部屋はからっぽ、という気持ちはどうにもならない…。
とはいえ、この2週間、電話、メール、手紙をたくさんいただいた。暖かいお心遣いに感謝の毎日です。
イアン・ランキンのジョン・リーバス警部ものの翻訳3作目(ハヤカワポケットミステリ1600円+税)。期待したとおりの力作で読むのに力が入った。
物語の最初に娘のサミーが幼いときのひとこまがある。【「しんだひとはおきないわ」パ・ブルーン(娘のテディベアの名前)を抱きしめながらサミーが言った。「いくらキスしたって」】これはどういうこと? 不吉な予感がして読みはじめた。
そのとおりサミーが怪我をして昏睡状態で生死の境をさまよう。その原因を突き止めるリーバスの執念の捜査がひとつある。中心には、実際にあった1944年フランスのオラドゥール・シュール・グラヌ村における虐殺をモデルとして、そこでの犯人と目される老人を調べる仕事を任命されたリーバスと老人のやりとりがある。そして、エジンバラのギャングたちと日本のやくざの絡みがあり、サミーの恋人が無分別な行動に出たり、という具合で、一言では紹介できない複雑で重厚な作品になっている。
なにかあるとロックの一節を感じるリーバス、今回はエルヴィス・コステロの引用があり、エルヴィス・コステロの大阪御堂会館での痛快なライブに立ち会った者としてうれしかった。
先々週くらいかな、FM放送でDJが盛んにジミー・スコットのライブがクラブ・クワトロであるから行くって言っていた。わたしも行きたい気持ちはものすごくあったんやけど、結局行かなかった。最近ライブにはとんとごぶさたしている。ごぶさたが長引くと、ますます行けなくなってしまうのよね。あかんなあと思うんやけど…。
若いときからずっとレコードで聴くよりライブに行くほうが好きだった。最初はクラシック、そして60年代はジャズ、70年代はパンク・ニューウェーブに明け暮れた。大阪での公演はほとんど行っている。それが80年代からは猫、90年代はマックが来て、わたしのライブ生活は途切れたままだ。
1カ月くらい前、テレビでジミー・スコットのドキュメンタリー番組を見ていて、この人知ってる、と思った。そりゃ、古い人だからジャズを聴いているころに知っていたかも…と考えていたら、画面にルー・リードが出てきて、「自分のライブでバックコーラスをしてもらったが、もったいないことだった。ほんまはこっちがバックコーラスをするべき人なのに」というようなことを話した。それでほれ、あの人じゃんって思い出して、ビデオを探し出した。
ルー・リードのライブビデオ「MAGIC and LOSS LIVE IN CONCERT」のケースに写真が出ている。そうそう、買ってきて見たとき、このおっさんすごいなあって思った。その人であった。聴いてみた。例えようのないリズム感を持ったすごい歌い手である。
やっぱりライブ行きたかったなあ。