テレビをつけたらコンビニのコマーシャルで、若者がブリ大根を食べていた。大根の色がちょっと濃かったが、美味しそうに食べているのが気持ちよかった。いまどきの若者がああいうものを食べるかね、って思ったのはわたしの偏見だわね。
そういや、今年はまだブリ大根を食べてなかった。なんという偶然、この日はブリのアラを買っていたのだった。粕汁してもいいし、塩焼きしてもいいなって思って。さっそくぶっとい大根と炊き、深夜の酒宴となった。翌日、お昼に温かいご飯に冷たい大根を食べたら、おいしかったこと!
ブリのアラをさっと熱湯をとおしておいて、水とお酒とみりんと醤油で炊く。炊きあがったら出しておいて、汁で大根を炊く。大根が柔らかくなったら、ブリを戻して、もう少し炊く。これだけの簡単なことで、美味しいおかずができる。
図書館にジャネット・リー、ジューン・アリスン、エリザベス・テーラー、マーガレット・オブラエンが4人姉妹になっている「若草物語」があったので借りてきた。映画館で見たことがなく、以前レンタル屋で見つけたときうれしかったのを覚えている。「ひまわり」って少女雑誌に、中原淳一さんがこの映画からヒントを得てデザインした服の特集があったので、あこがれていたのよね。
1940年代の映画だから古くさいけど、4人の姉妹がそれぞれ生きて行くところは、いま見ていても気持ちが良い。タイトルバックが可愛らしくてすてき。次女ジョーになったジューン・アリスンの低い声が良い。可愛らしいだけというスターでないんだ。三女のエリザベス・テーラーってほんとに美しく生まれてきた人なんだなあとつくづく感心した。
葉ぼたんの花って知ってる? お正月になるとあちこち植えてあるけどあれは葉っぱ。お正月を過ぎると、いつのまにかなくなっているのが不思議。ところがわたしの散歩コースに、夏近くまで植えているおうちがある。葉ぼたんが半年経ったらどうなるか、知っている人は少ないんじゃないだろうか。
その家はプランターに大きな紅白の葉ぼたんを年末に植える。そのまま春になると葉ぼたんが上に伸びて背が高くなってくる。真ん中から細い茎がすっと1メートル近いくらいに伸び出てくる。そして黄色い地味な花を咲かせる。菜の花とか、タビラコの花の感じ。花が終わると、秋の花サルビアに植えかえるのも毎年同じ。何年も繰り返しているところがすごい。
例会の日、少し早めに家を出て梅田の旭屋8階、コミック売場へ駆け込んだ。年末から買いそびれていた大島弓子の新作をどうしても今日は買いたかった。そこそこの本屋ではなかなか見つからないのが困ったものだ。今日はすぐ見つかった。ついでに久しぶりに例会に参加すると連絡のあった大島ファンのDさんのぶんも買った(角川書店 600円+税)。大島弓子のマンガは、少女というものを描いてだれも真似できない世界をもっていて、わたしは20年以上前からほとんどの作品を読んでいる。
「野の花が好き」って言葉が流行っていて、誰でも言う今日このごろだが、あっさりと「雑草物語」ともってきて堂々としているところがえらい。羽良多平吉さんの装丁でとてもおしゃれな本。大島さんが最近こっている雑草の写真が小さくあちこちにある。雑草の花が謙虚に咲いているようだ。しかし、目次に飾られたこれだけは大きな写真、白バラの裏側、つまり萼がついているほうを撮った写真には驚いた。だれがバラの裏側を撮る?
かんじんのマンガは、そりゃいいのに決まってるじゃん。そして、巻頭の「クリスマスの奇跡」って絵物語、涙が出た。単純と笑うものは笑え!
そうそ、帰りの電車で読み出したらはまりこんで、地下鉄を1駅乗り越してしまった。
新人作家のハードボイルド作品と聞くとやっぱり買いに行く。角川文庫(860円+税)の翻訳本はなぜかそのへんの本屋で見つけにくい。オーパの紀伊国屋でようやく手に入れた。
それでいそいそと読みだしたんだけど、達者に書いているのに熱中できなかった。ボストンのアイルランド系の私立探偵パトリック・ケンジーは相棒の女性探偵アンジェラ・ジェナーロと事務所を持っている。この2人のからみもいいし、事件にのめりこむところもよい。だけど、なんでだろう。なんかもう、もうええやん、って感じがした.。アンジェラはDV被害者だし、パトリックも父親の暴力を受けて育った。黒人対白人の関係についても教えられる。これだけ盛り込んだからってよいってわけでもないよなあ。
わたしはエスター・アベレルの絵本を、先に書いた「黒ネコジェニーのおはなし1・2」、「しょうぼうねこ」のほかに、「THE FIRE CAT」(しょうぼうねこの原書)と「JENNY'S BIRTHDAY BOOK」を持っている。ほかに2冊のノラネコが主人公の本があるのを知り、図書館で検索して借りたことがある。「しょうぼうねこ」のあとがきによると、ジェニーのシリーズはアメリカの子どもたちにとても人気があり13冊も出ているんだって。それで気になってよく見たら、「THE FIRE CAT」に広告が出ていた。原書の「黒ネコジェニーのおはなし」はお話がひとつずつ1冊になっているようだ。翻訳のほうは3つの話が1冊に入っているので、13冊のうち6冊は翻訳の2冊で読んでいるわけ。でもいつか原書でそれぞれを欲しいな。
エスター・アベレルはライターとして出発したが、「黒ネコジェニーのおはなし」に自分で絵を付けたのが評判を呼び、ライター&イラストレーターとして活躍している。文章も絵もとっても楽しくて大好き。ジェニー・リンスキーはうちのネコ本のネコのなかでピカイチの存在である。
豆のサラダは好きなのに、茹でるのがめんどうで長いこと作っていなかった。大豆の水煮というのが有機野菜の宅配にあるものだから、ついこれをサラダや煮物に使ってしまう。小豆の塩煮をよく作るのは、水につけておかなくても、作ろうって思ったときに火にかければよいからだ。今晩水につけておいて、明朝茹でる気になるかって問題。
2000年問題のために買ってあった保存用食べ物を整理していたら、一昨年産の紫花豆が出てきた。こりゃ早く食べなければ…。4カップもあったので、朝のうちに水につけておいて夕方大鍋で茹でた。1カップはすぐにサラダにして、3カップは分けて包み冷凍しておく。
今回のサラダは「堀井和子の気ままな朝食の本」の通りに作った。茹でた紫花豆に玉葱とパセリのみじん切りを混ぜて、ワインビネガーとサラダオイルに塩・胡椒のソースであえる。ビールのおかずになるし、朝食の友にもなる。
この本は初版は1974年だけど、版を重ねていまも本屋さんの棚にある(文化出版局 880円+税)。
「黒ネコジェニーのおはなし」の主人公ジェニー・リンスキーの友だちである、やんちゃなネコ、ピックルズが消防署で活躍するおはなし。ピックルズは元気で力がありあまっている男の子で、消防署で署員といっしょに訓練し、消火活動に参加しているのだが、そうなるまでのいきさつが書かれている楽しい本だ。
「黒ネコジェニーのおはなし」で猫の寄宿学校に預けられたジェニーをいじめるが、いじめかたがハンパではない。ジェニーははじめは逃げていたが、仲間の激励を受けて独力でたちあがる。「世界でいちばん大きい火の玉のお通りよ!」とはしご車のピックルズに立ち向かうジェニーがとてもすてき。負けたピックルズは小さな猫をいじめるのをやめて、学校が終わる頃にはすっかり親友になっている。その後の「黒ネコジェニーのおはなし」では、ジェニーといっしょに遊んだり冒険したりする大切な相手役になっている。
「黒ネコジェニーのおはなし・1」で黒ネコのジェニー・リンスキーが入会するキャット・クラブには立派な会則がある。「誠実」「献身」「正直」「会費」の4つ。最後の「会費」でキャット・クラブの会則がええかげんのものでないことをはっきりさせた、エスター・アベリルさん、えらい。
絵本で子どもたちの語りかけるのに、「あなたはなにか、できますか?」と問いかける。そして会則に立派な言葉を3つ並べたあと、どーんと「会費」をもってくる。4つめに「会費」があることで、前の3つも口だけではないのだぞ、ってことがわかる。
わたしは、わたしのキャット・クラブの会則に、これをかかげている。VFCの運営もこころは密かにキャット・クラブの会則のつもりでいるんだから…。
ヴィクが事件について調べるために、子どもから1ドル受け取って領収証を渡すところがある。また映画「依頼人」でスーザン・サランドンが子どもから1ドル受け取って弁護士として雇われる。それも「会費」という考え方だと思う。もう一つ、自腹を切ることも、ボランティアすることも、「会費」を払うことだとわたしは思っている。会費を払うのは大切なことだと思っている。
ネコを拾ってから19年になろうとしている。ネコと暮らすなんて考えたことがなかったので、拾ったときに、ネコ好きの友人に「8年くらい生きるで」と言われてびっくりしたものだ。それがもう19年になろうとしている。風邪も引いたことのない元気なネコやねん。
ネコと暮らすようになって、夜遊びが減ったし、外泊もしなくなり、ネコ一番大事大切生活になってしまった。ネコ日記を書いたり、ネコに関する記事を集めたり、絵はがき・びんせん、置物、ハンカチ、アクセサリ、包装紙、食器等々を集めたりした。ネコ本を集めだしたのもそうで、一時はネコさえ出ていれば買ったものだ。最近はしっかり整理して、気に入ったのを十数冊大切にしている。なかでも大切にしているのが「黒ネコジェニーのおはなし・1」「黒ネコジェニーのおはなし・2」(福音館書店 多分絶版だと思う)だ。
黒ネコのジェニー・リンスキーはニューヨークのみなしごネコで、キャプテン・ティンカーに拾われてしあわせにくらしている。冬になってキャプテンが赤いマフラーを編んでくれた。マフラーをしてそっと出かけると近所のネコたちが集まっている。キャット・クラブの会合なのだ。ジェニーは怖くて入っていけない。そっと戻って、いじいじと地下室で寝たふりをしている。
案じたキャプテン・ティンカーが、雪が降り出したとき銀のスケート靴を作ってくれた。その靴をはいて池に出ていったジェニーは月あかりにスケート靴をきらめかせながらすべる。キャット・クラブのメンバーたちが見つけて入会を誘う。
やがてキャット・クラブで会長が聞く。「あなたはなにか、できますか?」「はい、スケートができます。」胸をはって答えるジェニー。この話がまずあって、ネコの学校にいくはなし、パーティに出るはなしが「1」。「2」はきょうだいができたり、成長していくジェニーがいて、楽しい。
けれども「1」のキャット・クラブの章、「あなたはなにか、できますか?」、わたしはこの質問にまいった。答えられるものがあんまりないやんか。それで、「書く」ことを始めようと思って、「キャット・クラブ・ニュース」という、ほんとに小さな小冊子を作った。キャット・クラブのメンバーは「キャット・クラブ・ニュース」を渡した人、ネコを飼っている人、ノラネコに餌を配っている人という想定で、毎月手書きで8号までいったかな。
B4の紙を折って8ページ、評判はよかったんだけど、すごく手間のかかる仕事だったし、VFCの会報に力を入れだしたので止めてしまったけど、この小冊子はわたしが自分の文章を書きはじめることにすごく役だった。
友人のHちゃんはうちの近所で友人の女性と2人でカレー屋をやっている。北インドの家庭にホームスティをして覚えたカレーやから、独特の味わいでおいしいねん。彼女は友人と「OK新聞」というたのしいミニコミ誌を作っている。アメリカ村のカレー屋さんなどに置いてあるから見たことがある人もいるやろと思う。
だんなさんが家でマックを使っているが、彼女はずっとワープロで満足していた。ところがこの「OK新聞」の原稿を書くのにマックでということになった。そこで彼に教えてもらうことになったのだが…隣の部屋にいる彼に「教えてーな」と声をかけた。隣の部屋から「立ち上がってるか」と言われて、「えー、座ってるけど、立ち上がるの?」って…これほんまの話やで。
だれかの落語で、お酒を飲んでいて、とっくりの中味が少なくなったときに「そら、尻をあげるんや。ちゃう、ちゃう、お前の尻やない、とっくりの尻をあげるんや」っていうの、よう似ていると思えへん?
まわりにたくさんマックのおたくっぽいのがいるので、わたしは、まあ、パソコン用語はよく知っているほうだと思う。内容は知らずにうちの内蔵ハードデスクはスカジーなんて言ったりしていたが、スカジーというものの語源など考えたこともなかった。先日なんの略か知ったところ。
デージイ・チェーンという言葉もなんの疑いもなく受け入れていた。デジタルなんやらの頭文字くらいに思っていたのよね。えっとデージイ・チェーンというのは、パソコン本体・モニター・プリンター・MO・ハードデスクなどをケーブルでつないでいる状態をいう。そのデージイがひなぎくのことだと最近はじめて知った。そうタイガース(グループサウンズの)が歌っている「ひなぎくの花のくびかざり」なんだって。いきやなあ。
最近日本橋へ行くことが多い。わたしが使っているパワーマックにカードをさしたらスピードが速くなるということで、年末29日にG3カードを買いに行った。ほんと、いままでのったらくったらしていたソフトがしゃきしゃきと動くようになった。これでまた3年はもつんだそうだ。iMacと言わず、これでいこうってわけ。
それから年賀状の用紙が不足してしまって、正月2日に買いに行った。どこも日本橋のパソコンショップは満員だった。
9日、今度はハードデスクを買いに行った。いま使っているのは容量が小さい。しかも相当に古くていつ壊れるかわからない。と言っているうちに、昨日、突然動くのを止めてしまった。大慌てで処置をして新しいハードデスクを買いにいくはめになったのだ。
お金の心配なくさきにさきに対処できたらどんなに楽だろうと思うが仕方がない。そんなこんなで着るものを買う余裕もないから、いまのわたしは“花衣…紐いろいろ”(杉田久女)でなくて、“パソコンコードの紐いろいろ”というところだわ。
そうそう、今宵が9日で宵えびすってのを忘れていた。難波へ出ると笹を持った人をたくさん見たのでようやく気がついた。そういえば戎さんには2・3年詣ってなかった。神様詣でというよりも、人混みを歩いていると気持ちが安らぐ。基本的に人混みが好きなんだよね。
バリー・ギフォード、ローレンス・リー「ケルアック」(毎日新聞社、3400円+税)を図書館で借りてきた。ニール・キャサディの映画を見て以来気になっていたビート世代のことを知りたくてたまらなかったので、寝不足になりながら読んでしまった。
本の書き方は本文よりも関係者から聞き書きしている分が多いくらい。翻訳者が複数なのは、それぞれが聞く相手をわけて翻訳しているせいで、これはなかなかうまい方法だと思った。
本文の間に、関係者の証言、また証言という、うちのLD(ビート・ゼネレーション、フレッド・アステア、ヌレエフなど持っている)にもあるんやけど、伝記の定石みたいなものなのかな。
本を手にしたとき、表紙のケルアックの写真に驚いたのよね。おとこまえ! 本の中にたくさん出てくるニール・キャサディととってもよく似ている。ニールはバイセクシュアルでアレン・ギンズバーグと関係を持ちながら、女性の恋人がおり、3人でベッドにいるところをもう一人の女性の恋人に見つかったりする。女、クスリ、酒…すさまじいわ。
この本はケルアックの伝記でありながら、ニールの伝記でもある。とどまるところを知らず話し、走って、生き疲れて早死にしてしまったニール・キャサディ…。
わたしはまだ「路上」を読んでいない。
ピーター・ダイヤモンド警視が活躍するピーター・ラヴゼイの新作で、シリーズ第6作目。古代遺跡のローマ浴場の地下室で白骨化した人間の手が発見される。ところが、そこはかつて「フランケンシュタイン」を書いたメアリ・シェリーの家の番地なもので、マスコミが騒ぎだし、たんへんややこしいことになる。バースで「フランケンシュタイン」が書かれたとは…と、みんなびっくりするが、わたしもなんとなくびっくりした。
そこへメアリ・シェリーのことならなんでも調べる、というアメリカ人の学者が居合わせ、歩き回るのでよけいに混乱するなかで、警察官が殴られて重体となる事件が起こり、その捜査中にまた殺人事件が起こる。ダイヤモンド警視と部下のねばり強い捜査。
新しい上司の女性副本部長とのからみや、例によっていけすかない主任警部ジョン・ウィグフルの動きなど、達者な筆づかいが飽きささない。そこへフリージャーナリストだが捜査の仕事に興味を持つ、警官志望の美しい女性が重要な役どころで登場する。最後に警官の面接試験にやってくるのが、前作までダイヤモンド警視のもとで働いていた、今回はよそに転勤しているジュリー・ハーグリーブス警部でなつかしい。充実した作家の余裕ある楽しい作品だ。
田辺聖子が書いた吉屋信子の伝記を読んですごく感心してしまって、他の本も読んでみようと思っていたら、図書館でこの本が目についた。吉屋信子はなんやかや言っても成功して世を去った人である。それに比べると、この本の杉田久女はもうなんと言ったらいいか、不幸のどんづまりのような人生を送った人だ。
しかも亡くなったあとに松本清張と吉屋信子が久女をモデルに小説を書き、その作中人物が本当の姿として世に広まってしまった。わたしも世間に伝わる話をそのまま受け取って、いやな女だったんだなあと思っていた。
この本を年末1週間の間、用事の途中や、電車の中や、ちょっと空いた時間に読んでいたのだが、読み進むにつれ、気持ちはくら〜い奈落に落ちていった。ほんと、年末は暗かったわ、わたし。
明治23年に生まれ、恵まれた家庭で育ち、東京の有名な女学校を出た才媛の彼女だったが、芸術家と思って結婚したのに、夫は小倉の中学校の図画の教師で満足していた。「足袋つぐやノラともならず教師妻」と詠んだ生活だった。
2人の子どもを産み、教師の妻として家事に追われる生活。夫に申し出た離婚も承諾されず、鬱々とした毎日の暮らし。そのなかでほとばしるように俳句が生まれた。「花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ」は田辺さんが書かれているように、ナルシズムにはまりこんだ女の句だ。しかし、なんと美しい句なのだろう。
東京の俳句結社「ホトトギス」に認められるが、やがて高浜虚子に嫌われ除名される。そこへ行くまでの泥沼はほんまに息苦しい。東京の結社の人たちの“ゲームの規則”がわからなかった、そんな“ゲームの規則”の存在自体を知らなかったための悲劇であった。意欲いっぱいではじめた俳誌「花衣」も4号で廃刊している。
わたしがこの本を読んで落ち込んだのは、わたし自身がいままでさまざまな“ゲームの規則”に則らなかったための軋轢の繰り返しを、いまさらながら感じたからだ。いま現在わたしはこうしてインターネットで自由に発言しているけれど、久女の時代は“それしかなかった”のだと思うと切なくなる。
しかし、ほんまは「風に堕つ楊貴妃桜房のまま」のような美しい句を詠み、自分の感性を信じて突き進んだ幸せな人だったと思う。わたしはそう思いいたって、明るくなった。
お正月2日のテレビ深夜映画の始まりを待っていて見た甲斐があり、ショーン・ペンとロビン・ライトの演技に堪能した。断っておくと、我が家のビデオは録画やらできる機能が壊れていて、再生専門機なので、深夜映画を見るには起きていなければならない。再生部門がいつまでもつのかこうなったら楽しみ(笑)。
ニューヨークの貧しいアイルランド人のちんぴらだったショーン・ペンはニューヨークの全てと縁を切り、ボストンへ行って警官になった。そして何年かたち、ニューヨークの様子がわかっているということで、幼なじみの一家の暴力団のもとへ潜入捜査官として入り込む。そこは郊外に家をかまえる長男のエド・ハリスが仕切っている。次男のゲーリー・オールドマンはすぐ切れるぶっそうなやつだが友情を重んじる男。その妹のロビン・ライトは初恋の人だったが黙ってその前から姿を消したのだった。
帰還を受け入れたものの、警官であっても暴力の世界の人間であることを、いまは別の世界に住むロビン・ライトはわかってしまい、別れて行く。とってもせつない。
長男が保身のために殺していく弟や親友の仇をとるために、警官のバッジを捨てて最後に立ち上がるショーン・ペン。酒場での撃ち合いがすごかったよ。彼は「シン・レッド・ライン」で、戦場でめざましい働きをし、勲章なんかいらないよって言ってたけど、あれみたいにセリフで言うんでなく、この映画では行動で表現していた。その夜ショーン・ペンの夢を見た。わたしの今年の初夢…。