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1999年2月


ヴィク・ファン・クラブの2月例会

昨日はヴィク・ファン・クラブの例会日。
シャーロック・ホームズに6時前についたのだけれど、待てどもだれも来ない。下岡さんだけは「少し遅れるけど行く」と前日電話で聞いていたので、本を読んで待っていました。常連の上野さんは風邪引いたので欠席とメールが来ていたし。寒いしねえ、しゃあなあいか。「こういう日もありますって」とシャーロックホームズの女主人に慰められたりして…。
でも、下岡さんと結局10時半までしゃべってました。女の子っていくらでも話題があるものです。しゃべっていたらだんだん元気になっていった。
覚えている話題を書くと、最近読んだ本のこと、70年代・80年代のロックミュージックについて(久しぶりにクラッシュやジョイ・デビジョンのイアン・カーティス、エルビス・コステロやB52、ザ・スミスやU2の名前を口にして楽しかった)。山本やよいさんから教えていただいた(「ミステリマガジン」4月号にも出ている)サラ・パレツキーメニュー(東京の早川書房のビルにあるレストラン「ラ・リヴィエール」の4月のメニュー)からヴィクの食事のこと。ファンクラブやったら、だれかがヴィクの食事のレシピをきちんと書くべきだということで意見は一致したけど、自分がするとはふたりとも言いませんでした。映画「ユー・ガット・メール」から本屋さんの経営のこと。テレビドラマ「やんちゃくれ」からバブル崩壊のこと。もちろん、会員のかたがたについてのこと。などなど、尽きませんでした。東梅田の地下鉄の入口で別れるまで、えんえんとしゃべってました。

1999.2.28

リリアンとピーター「一緒に食事を」

リリアン・ヘルマンとピーター・フィーブルマンによる料理と回想の本(影書房¥2,500)。出版社のPR本で知ってあわてて注文した。料理のところか、エッセイのところか、本屋の棚のどこにあるかわからないと思って、さがすよりも注文してしまった。
数年前にピーター・フィーブルマンの「リリアン・ヘルマンの思い出」を本屋で見つけて読んだ。分厚い本だったけど、一気に読んで、びっくりしたり、感動したり…。リリアン・ヘルマンはダシール・ハメットの連れ合いだというほかは、映画「ジュリア」を見るまでなんとも思っていなかったのに、この本を読んでから大ファンになった。すごい人やわ。リリアン35歳、ピーター10歳のときに知りあって、43年にわたった交友だったという。ピーター33歳のときからは恋人どうしとなった。
2人は料理で人をもてなすのが大好きで、共同でなにかしようという計画が、このレシピつきの回想記になったそうだ。この本は「彼女のやり方」「彼のやり方」とふたつに分かれていて、得意な料理のレシピが回想つきで書かれている。「今日は忙しい日だから、大切なことだけを話そう」ってふたりで言ってて、その大切なこととは「晩ご飯なににしょ?」って、うちの会話と間違えてしまった(笑)。ま、むこうはディナーなんだけど
豪快なもてなし料理が多いが、よく読んでいけば小粋な野菜料理もあって、台所の良き伴りょとなりそう。でも料理のあいだに書いている回想記がおもしろくて、読みふけってしまうので、いまのところ実際の役にはたっていない。

1999.2.26

図書館のビデオ5 「或る夜の出来事」

フランク・キャプラ監督の1934年の作品。クラーク・ゲイブルとクローデット・コルベール主演の恋愛コメディです。なぜ見たくなったかというと、クローデット・コルベールをまだ見たことがなかったから。子どものころ、姉の映画雑誌を見てて、いいなあと思った、そのままのコルベールが動いてました。カメラがスチール写真のように斜め横顔を撮るんだよね。
そして有名なヒッチハイクの場面を見ておきたかったこともある。ゲイブルがいくら指を立てても止まらないのに、コルベールがスカートをめくって脚を出したらいっぺんにクルマが止まる有名な場面。納得いった。
結婚式の誓いのときに花嫁が逃げ出すパターンはこの映画からなのかしら。65年も昔の映画なのにスピードがあってけっこうおもしろかった。やんちゃくれのヒロインの伝統は永遠のものなのね。

1999.2.25

びんせんの楽しみ

この近くにも雑貨屋さんがたくさんできたので、散歩の楽しみが増えた。子どものときから少しも変わらない、買うのはびんせんと絵はがき。
最近はEメールでのやり取りが増えて、びんせんの使用量が減ったけれど、でも季節のびんせんを選んで手紙を書くときがけっこうある。パソコンのおかげで自家製もできるし、びんせん好きにとってこんなたのしい時代はない。
子どものときは中原淳一のびんせんや絵はがきが宝物だった。使うのがもったいなくて、薄い紙に細い鉛筆で写して色鉛筆で色を付けて作ったものだ。10年くらい前に中原淳一展がどこかの百貨店で催され、そのとき手に入れた「淳一便箋」を大切に使っている。友人にもらった大島弓子のイラスト入りびんせんも宝物。
ずっと昔のことだけれど、「哀愁」や「風とともに去りぬ」のヴィヴィアン・リーに「スクリーン」って雑誌の英文ファンレターの書き方のとおりに書いてファンレターを出したことがある(断っとくけど、あとにもさきにも映画スターへのファンレターはこれきりです)。サイン入りの返事がきた。美しい薄いブルーに透かしで名前が入った、この上ない上品なびんせんだった。わたしはそのときから、いつか自分の名前入りのびんせんを作りたいと願っていた。もちろん色は薄いブルーで。
いまは透かしではないが、ブルーの名前入りのびんせんを自分で作って使っている。花もようや猫のイラスト入りもたくさん作って使っている。
ソニー・プラザで買うカジュアルなのも好きだし、アリコベールというお店で買った和紙に桜の花びらが散っているのも好きだ。理屈っぽい手紙を書くときは丸善の原稿用紙にする。

1999.2.23

木村二郎さん訳「誓いの渚」

ロジャー・L・サイモン「誓いの渚」(講談社文庫 ¥714)は1973年の「大いなる賭け」からはじまった私立探偵モウゼズ・ワイン ・シリーズの9年ぶり、7冊目の長編小説です。
このシリーズに最初からずっとつきあってきたわたしは、ひそかにモウゼズ・ワインを弟のように思ってきた。ほんとうにこの世に生きている人のように。それくらいに、モウゼズはわたしには親しいひとで、今回、問題を起こす次男のサイモンも長男のジェイコブも甥のような気がしていたものだ。
そのモウゼズが50歳になろうとしている。探偵事務所がうまくいき、大きな仕事を成功させて休暇をとり、恋人と楽しい旅行をしようという矢先に、サイモンが行方不明で殺人容疑者になっていることを警察に知らされる。2人の子どもの母親である別れた妻スザンヌとともに息子を助けようとモウゼズは出発する。

ぱーっと読んで、おもしろくて2回目をいま読んでいるところ。ジェイコブはゲイで作家を目指してニューヨークにいる。スポーツ好きなサイモンは急進的な環境問題の活動家になっている。団塊世代の親が子どもにどう思われているか、これがこの本のいちばんおもしろいところ。サイモンがモウゼズとスザンヌをなじるのだけれど、“自分本位に解釈する。訳知り顔する。そこにも行った…あれもやった。すべての経験の王様だ”と言われるのだ。モウゼズはこの批判に死に物狂いの行動で応える。
最初の数ページ、成功して若い恋人と、ヴェトナムに8000ドルかけて遊山旅行するというところでは、ひえっ! となったが、子どもへの愛につき動かされて、捨て身の行動をとるモウゼズ・ワインは素敵な男だ。そうよねえ、単にお金があるからどうってことではないのだ。苦しいときは身も世もなく泣く男モウゼズ、そして闘うモウゼズ。勝手だけどいまもわたしは弟と思っているわ。
途中からいっしょに行動する、新聞記者として登場する勇敢な女性サマンサ・バッカスとのこれからを次の作品では期待できそうでうれしい。
解説を読めばシリーズのいままでがよくわかるので、この本から読みだしても大丈夫。題名がちょっとかなわんけど。原題はTHE LOST COASTです。

1999.2.22

映画「ユー・ガット・メール」

久しぶりに映画館で映画を見た。メグ・ライアンがリンゴマークのついたノートパソコンを使っている広告を見たら、同じパワーブックを持っているわたしとしては行かざるを得ない、なんてね。
だけどね、そんなことよりずーっとすごいことに気がついたんです。この映画は、かのジェーン・オースティンの名作「高慢と偏見」の現代版なのだ。映画のなかでメグ・ライアンがこの本を200回読んだと言う。負けた、わたしは20回しか読んでないぞ、なんて見ているときは「高慢と偏見」の熱烈な愛読者の一人として喜んでいるだけだったけれど、見終ってから「高慢と偏見」をなぞった映画であることにはたと気がついた。
「高慢と偏見」は18世紀の終わりに書かれたイギリスの家庭小説で、田舎の上流階級の社交生活のなかで、どうして結婚相手をさがすかという、まったく退屈な話のはずなのに、延々と読みつがれてきた。それは、ひとえに主人公エリザベスの健気な性格と、機知に富んだ会話のおかげなのだ。そんなエリザベスに高慢にふるまっていた、お金持ちで男前で、だけど頭の良いダーシーは惚れ込んでしまう。“高慢な男”を許せない“偏見に満ちた”エリザベスが、だんだんダーシーの真実をみとめて惹かれて行く過程がすっごくいいんで、何回でも読みかえしてしまうことになる。
そう、トム・ハンクスが「高慢」なダーシーで、メグ・ライアンが「偏見」のエリザベスなんだわ。顔を合わせたときの2人はお互いにパートナーがおり、お互いの立場があって、彼は高慢に振る舞い、彼女は偏見のかたまり。
軽快なタイトルで映画がはじまり、メグ・ライアンがだぼだぼのパジャマでソックスはいてベッドから起きだす。そして同居の恋人が出勤していくと、いそいそとパソコンを開く。「ユー・ガット・メール」って、メールが来ていることを知らせてくれて、彼女はうれしそうに返信を書きだす。彼女は母譲りの小さな児童書専門店のオーナーで、トム・ハンクスは大書店の経営者の息子で仕事ができる。2人とも匿名なので相手があのメール相手と知らず、実生活で知りあっていがみあう仲…というストーリー。
メールではお互いに本名も住所も知らない、ただ、こんなことが最近あったなどと打ち明ける。素直になり、最高の話し相手になる。メール上での気持ちが高まって現実に会うことにし、デートの場所を決めるのだが…。

こころ温まる映画ではあるが、大型店が近所にできれば、ニューヨークでも小さな良心的な本屋がなりたっていかないのがわかった。大幅値引きの大きな本屋の内装がスーパーマーケットみたいでなく、考え抜かれた気の利いたものであることも空恐ろしい感じがした。
小さな本屋の棚に「シャーロットのおくりもの」がちらと見え、閉店セールでは「白鳥のラッパ」(日本語の訳本では「白鳥のトランペット」だから、多分間違いないと思う)を買うという客がいて、E・B・ホワイトがいまも人気の作家であることがわかってうれしかった。ちなみにサラ・パレツキーの「バースデイ・ブルー」の献辞ページの引用文は、E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの」からとっている。

1999.2.15

タタミがまってもおかしくない

前回の「おほうとう」を書いてて思い出したのだけれど、山梨県の祖母がよく言ってた言葉です。甲州弁でどう言うんだったか、後のほうは多分こうだった。「うんだー、たたみがまってもおかしくないだよ」。大阪弁でいくね。「あんたらはお箸がこけてもおかしいやろけど、うちらはタタミが踊ってるのを見てもぜんぜんおもろうないわ」。子どもに言うのはずいぶんシニカルな言い方やなあ。女の子5人、男の子1人を育て上げた上に孫の面倒をみていたんだものね。子どもたちが笑い転げているときに言ったんだわね、多分。「あんたらかて、もうすぐに、わたしみたいに、タタミが踊っているのを見てもおかしくなくなるで」。
へそ曲がりなわたしは、祖母の期待を裏切って、いまだにお箸がこけても笑っている。

1999.2.12

おほうとう

母親のふるさとが山梨県なので「おほうとう」にはひときわ愛着を感じているけど、こんなもの、最近は食べる人はいないとか。子供の頃母親の実家へ行くと、伯母がうどん粉をこねて“あーしゅっしゅ、あーしゅっしゅ”というリズムで棒で延ばしていた。薄く広げたものを、折り畳んで、包丁で切る。太いうどんができあがった。お米の採れない山梨県では毎日こうして「おほうとう」を晩のごはんにしていたそうだ。昔の話だ。 「おほうとう」というのは、味噌煮込みうどんのことです。甲州では「うまいものはかぼちゃのほうとう」と言うそうな。 煮汁に、かぼちゃ、さといも、さつまいも、きのこ、うすあげなどを入れる。これらが柔らかくなったら、うどんを入れて煮込む。味噌で味付けし、最後にあおねぎを入れる。だしは煮干しでも豚肉の細切れでもOK。これだけです。うどんは太い煮込み用がいい。本場の作りかたはどうなのかしらない。自己流です。 わたしの経験では「おほうとう」をうまくつくる秘訣は、かぼちゃを厳選すること。水っぽいかぼちゃではおいしくありません。

1999.2.9

映画「奇蹟の海」

「ボクサー」でまたもや素晴らしい演技を見せたエミリー・ワトソンが、その前に、出演した、そしてこの映画が初出演の「奇蹟の海」は、とことんまで夫を愛して、いくところまで行ってしまった女性のせつなさと強さの映画だ。そんなことまでしなくても…、そこまでやるの…、と何度も見ながら彼女に問いかけた。でも、やるのが正しいかどうかじゃなくて、やらねば生きている意味がないのだ。いままで、たくさんの女性が魔女にされ、抹殺されてきたけど、こうして甦るのをだれも抑えることはできない。
「ピクニックatハンギングロック」「乙女の祈り」に続く“乙女もの映画”の傑作だ。

1999.2.8

映画「ボクサー」

雑誌でこの映画のことを知ったときは、絶対見ようと思っていたのに…、忙しかったんやなあ。上映されたのを気がつかなかった。レンタルビデオで見つけてしあわせ。
ダニエル・デイ=ルイスが14年間の刑務所生活を終えて出てくる。もとボクサーでIRAの活動で投獄されていたが、刑務所でも黙々と鍛練を欠かさなかった真面目な青年である。もと恋人のエミリー・ワトソン(「奇蹟の海」での彼女はすごかった)は親友の妻になっていて、男の子がいる。そして夫もまた刑務所にいるのだ。IRAの指導者の父親のもとで忍耐の生活を正しいと教え込まれてきた彼女だが、もとの恋人と再会して愛が燃え上がる。押し殺しても沸き上がってくる気持ちを上目遣いの表情に見せるエミリー・ワトソンがすばらしい。
禁欲的な彼がボクシングの練習をしていくうちに、こころとからだが解放されていくところが感動的。ロンドンへ出ていっての試合で、人間らしい感情を否定されるところもせつない。
ダニエル・デイ=ルイスの演技で、ボクシングをするということの意味がわかったような気がする。ダニエル・デイ=ルイスとエミリー・ワトソン、この2人がいてこそできた映画だ。

1999.2.7

久しぶりに道頓堀

今晩のおかずなにしよう、と毎日考えるのが楽しいときとめんどうなときがある。わたしなんか晩だけじゃなくて3食だもんね。今日突然、今シーズンおでんを食べていないのに気がついた。
おでんには「さの半」のてんぷら(※関西以外の人に…さつまあげのことです)がなくてははじまらない。仕事もヒマだし道頓堀まで歩くことにした。行きはなにわ筋を南へ、帰りは御堂筋からアメリカ村を通るお気に入りコース。「さの半」は道頓堀をまっすぐ、もう少しで堺筋というところにある。池波正太郎さんが大阪の食べ物の話を書くと必ずといっていいほど出てくるお店である。同じてんぷらなのにどっか違う。とにかく旨い。キクラゲ入り、ササガキゴボウ入り、ゴボテン、チクワと梅焼きを買った。
ついでにSY角座で「ユー・ガット・メール」の前売券を買ってきた。

1999.2.6

スペンサーシリーズ最新作

25冊目のスペンサーシリーズ「突然の災禍」をやっぱり買ってしまった。生活のパターンはなかなか崩せないものです。(笑)
これを読んでから後生大事に持っていた24冊中20冊まで処分してしまうことにした。この作品が格別悪いわけではなくて、徐々にこちらの気持ちが離れていった、きっかけになっただけなんだけど…。
思い起こせば、長い間スペンサーとスーザンはわたしの憧れだった。すこしは似ているところもあると自負もしてきた。じゃあ、なぜなんだろう、と考えるとスペンサーもスーザンも(作者も)お金ができて立派になりすぎたということかな。
「突然の災禍」はスーザンの前夫が登場することによって、結果的にスーザンの幼児体験など精神分析のような展開になってしまうのだが、作者ロバート・B・パーカーの夫婦関係が投影されているのでしょう。
でも、なんかねえ、どっか違うと思う。根本的にもっと真剣にならなければ、精神分析では解決しない問題があると思う。

1999.2.5

今日は立春

この2・3日やけに寒い。マフラーと手袋で身支度して午後用事で出かけたら、このへんにもついに雪が降ってきた。嬉しくてどしどし歩いた。
2月は1年中でいちばん寒いけど、日が長くなって、なんとなく明るい気分になる。公園の南向きのところや、空き地や道端でも雑草がたくましく生きている。ナズナの小さい白い花が咲いている。ハコベの白いつぼみ、ホトケノザのピンクのつぼみがぼちぼち見られる。マンションの前のジンチョウゲも咲きはじめた。
午前中にでかけたときに立ち寄った天神さんでは、境内の梅もすこうし咲きだした。天神さんの北側にある「星合の池」という由緒ある池のほとりの梅の木も白と紅が咲いている。きれいなグレーのネコがひなたぼっこをしていた。やあ、立春だ。

1999.2.4

なつかしや、まついなつきさん

「ぱそ」というパソコン雑誌の広告を見ていたら「iMacを買うぞ〜!」という特集があったので、いつ買えるかわからんけど勉強しておこうと思って買ってみた。なつかしや、まついなつきさんがiMacを買うところから解説とイラストを書いている。とても親切な記事だ。周辺機器もおしゃれなのを集めてある。わたしの役にたつときがくるのを祈るのみです。
それはそうと、わたしはまついなつきさんとは知合いではありません。ただ、20年くらい前に雑誌「宝島」に「かるめらビンボー生活」というまついさんが書いている連載の愛読者だっただけ。当時の「宝島」はおもしろかった。斉藤綾子さんの「愛より速く」もよかった。両方とも単行本になったのを買ったくらいだもん。
まついさんはいまは3人の男の子の母親である。出産の本を書いているのは知っていたけど、3人の男の子というのは知らなかったので、特集でないほうの「パソコンぼちぼちでんな―49」という記事が近況がわかってたのしかった。

1999.2.2

今日はホームページ内容変更のお知らせです

ヴィク・ファン・クラブのホームページを開設してから5ヶ月経ちました。長かったような、あっと言う間だったような感じです。なにしろはじめての経験ですから、試行錯誤を繰り返しています。はじめの思いの大きさに比べて、実際の作業は無知と怠慢で、web制作者には迷惑のかけどうしでした。
さて、2月からの内容変更をお知らせします。「ニュース」のページですが、いまの状況では、毎月定期的に全部の原稿をのせていくのが大変なので、休刊することにしました。原稿はいままでどおりに書いていただき、その都度「エッセイ」のページにのせていきます。「エッセイ」のページでは、執筆者それぞれのページをつくりました。見てくださいね。いままでの5ヶ月間の「ニュース」は、ぼちぼちと「エッセイ」ページに移動させます。
それから、このホームページはいまのところ、会員と知合いの口コミだけで見ていただいています。たくさんの人に見てほしいのですが、現在でも会員のかたたちからのメールや手紙の返事に追われている状態なのです。もう少しなんとかなるまでこのままでいきます。こちらからのリンクもまだしていません。
まあ、ぼちぼちいきます。このホームページについてのご感想やご批判をお寄せくださればうれしいです。

1999.2.1

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com