先日美容院でお金を払っているとき、受け持ちのお兄ちゃんが突然大声で「ブランドもんのバッグ持ってはる」と言った。だれに言ってるのかと思ったら、わたしが財布を出しかけたバッグのことであった。もう10年くらい使っているバッグである。「ああ、これねえ、古いもんよ」とまんざらでもなく返事した。この日のバッグは一澤帆布店製としては、ちょっと変わったもので、柔らかい感じである。麻布なので油分がとれるため洗濯できない。汚れたらぬるま湯で拭いて大切に使っている。
最近また雑誌に出たらしく、若い人が持っているのを地下鉄などでよく見かける。声をかけた彼も雑誌で見て欲しくなり、買いに行くつもりだそうだ。お店の場所を教えてあげた。
最近京都へ買いに行った友人は、注文制作やったと言う。「えらい値打ちが出てきてるから大切に使いや」だって。「そんなにたいしたものやないで」と言いつつ、ふふふって感じ。そういえば20数年前に買ったトートバッグを破れるまで10年くらい使っていたことを思いだした。
いま、わたしは麻布のバッグを2つ、帆布のバッグを1つ、旅行鞄を1つ、小さいリュックサックを1つ持っている。旅行しないから旅行鞄はまだ1回も使っていない。災害の時に猫を入れて逃げようと思って身近に置いている。
11月14日のこのページ「藤田美術館」で、寒山拾得の絵のことを書いたのだが、手紙を見て笑っているというわたしの解釈は大間違いだった。わたしが通っている東洋療法の先生であるSさんは、趣味で水墨画を描かれている。ホームページを読んでくださったSさんは、絵のモチーフである寒山拾得のことをていねいに教えてくださった。
寒山は洞窟に住む隠遁詩人である。拾得は捨て子だったのを、天台宗のお坊さんに拾われて大きくなり寺男となった。寒山が寺を訪れると拾得が僧の残飯を恵与した。そして2人は仲良くなった。寒山と拾得はいつも粗末な服装でザンバラ髪でひょうひょうとしている。寒山は手にいつも経巻を保ち、拾得は箒を持っている。2人とも悟りの境地にあり、大口を開けてカラカラと世の中を笑い飛ばしているそうな。
「我が心は秋月に似たり」という寒山の詩の一句は、禅文学の最高峰だそうである。えらい勉強になった。ありがたい。
今年は週末ボランティアの活動(仮設住宅そして復興住宅訪問)に1回しか参加しなかった。でも、在宅でできるボランティアとして、参加者に配ったり希望者に郵送する「今週の資料」用に週ボラホームページの「掲示板」をプリントする仕事を毎週担当しているので、参加資格はあると勝手に思って参加してきた。
そもそもわたしが最初にインターネットに接したのは、週ボラのホームパージで、「掲示板」におそるおそる参加の感想をアップしたのが始まりである。それからなんだかんだと書き込んでいるうちに度胸がつき、いま、こうやって書いているわたしにつながっている。
週ボラのメンバーは、昨年92歳で亡くなられるまで現役だった藤原さんをはじめ、男女を問わずさまざまな年齢、職業の人がいるところがすごい。
一昨年いっしょに仮設訪問した高校生が大学生になり「あのときはお世話になりました」なんて立派に挨拶されて驚いたり。ここで知り合ってVFCに入会されたNさんが、4歳になる息子を連れてきて、久しぶりに楽しくおしゃべりしたり。楽しかった。
それに2年前にここで出会って、ヴィクの存在を教えてあげた人がいるんやけど、ついに「バースデイ・ブルー」まで読み上げ、これから自己紹介を書いてVFCの会員になると約束してくれてん。わーい。
図書館で目についた、高宮利行「アーサー王物語の魅力」を借りてきた。高宮利行さんはずっと前、雑誌「マリ・クレール」に、やはりアーサー王物語について書いていた人で、文章がやさしくて読みやすかったのを覚えている。
わたしがアーサー王を知ったのは子どものころで、夏目漱石の「薤露行」を、わけもわからずに読んでかっこいいと思ったのだった。しかも長い間、この「薤露行」がアーサー王の物語とは知らなかった。ただ、ロマンチックな美しい文体に心惹かれているのだと思っていたが、やっぱり元のアーサー王があっての美文に惹かれていたんだと改めて思う。
この「アーサー王物語の魅力」を読んで、伝説と現実と小説のこと、印刷技術の発展など、この物語が書かれ、受け入れられた背景がよくわかった。
わたしが興味を惹かれたのはこのくだり。【英国において、アーサー王伝説の面白さが再認識されたのは十九世紀のヴィクトリア朝になってからである。効率を重んじる資本主義、機械主義がめまぐるしい勢いで進んで、社会の構造が根底から揺すぶられると、人口の都市集中と貧困・衛生・環境問題などが表面化した。すると病める現代文明より中世の方がよかったと考える人々が現れたのである。】そしてウィリアム・モリス等の仕事にふれている。なるほどなあ。19世紀の終わりではなく、20世紀の終わりにいるわたしたちは、中世のほうがよかったと考えはしないが、受け入れる気持ちの構造があるのはたしかだと思う。
数年前、イギリス児童文学研究会にいたときに、タイトルを忘れてしまったが、産業革命に翻弄される零細機織り業者の子どもの物語があって、まるで、そのとき現在のわたしが属している業界の仕事がコンピューターに追い払われていくのと、同じ課程をたどっていくのに驚嘆したことがある。そういうことを話しても児童文学研究家の人たちには通じなかったのだが。
「グリーン・スリーブス」が話題になって思い出したのだが、映画「ラストワルツ」の最後、ラストワルツの演奏の後に「グリーン・スリーブス」が流れる。私にとっては、これ以上の「グリーン・スリーブス」の演奏はない。いろんな人やグループのを聞いたが、この映画の最後にさりげなく流れるのが最高。
映画「ラストワルツ」は、ザ・バンドの解散コンサート(1976年)のライブとメンバーのインタビューを交えたマーチン・スコセッシの監督作品である。はじめてこの映画を映画館で見たときはショックだった。だって、私は同時代人なのに、解散コンサートに出演しているアーチストをぜんぜん知らなかったのだ。ボブ・ディランくらいは知っていたが、ニール・ヤング、ニール・ダイヤモンド、ジョニ・ミッチェル、エリック・クランプトンなどはじめてだった。それにかんじんのザ・バンドも知らなかった。いい映画だということを聞いて行っただけだったから。ほんと、驚いてしまってね。それから気に入ったニール・ヤングのCDを買ったりしたもんだ。
「ラストワルツ」のレーザーデスクが出たときは迷わず買った。以来ときどき見ている。今夜は久しぶりにドロシー・L・セイヤーズがらみで「グリーン・スリーブス」を思い出し、聴きたくなった。
やっぱりええわ。哀愁ただよう男の魅力のロビー・ロバートソン。16年間バンドやってきて、売れないときの苦労、巡業先の夜の過ごし方、たまった疲れ…それが表情や声にあらわれていて、ええわ。
今回の収穫は出演者の中にビート詩人がいたこと。Loud Prayerを朗読したローレンス・ファーリンゲッティは、以前このページに書いた映画「死にたいほどの夜」でニール・キャサディについて話していた人だったのだ。少しずつ糸がほぐれて、いろいろなことがつながっていくのがうれしい。
今月10日にザ・バンドのボーカル兼ベースのリック・ダンゴが亡くなった。56歳だった。
子どものころ、家に講談本の「忠臣蔵」があった。全体の話のほかに銘々伝と外伝があって、こちらのほうが好きで何度も読んだ。挿し絵も気に入っていて“かんざけよかろう 飲みやすい”の神崎与五郎が“できぬ堪忍 するが堪忍”をする話、兄さんの着物に酒のとっくりを捧げて別れを告げる“赤垣源造 徳利の別れ”、討ち入りの前日、橋の上で俳句の師匠の其角と出くわし“明日待たるる その宝船”と詠んだ大高源吾などを覚えている。堀部安兵衛、不破数右衛門がごひいきだった。なんせ義士の名前を全部言えたくらいだ。
10代の頃は歌舞伎に凝っていたからよく見たが、「仮名手本忠臣蔵」はあんまり好きでなかった。前進座の真山青果作「元禄忠臣蔵」の「御浜御殿綱豊卿」が最高に良く、綱豊卿を演じる河原崎長十郎にしびれたものだ。
映画ではもうこれしかないと言えるのが、溝口健二監督の「元禄忠臣蔵」。大石内蔵助を演じている河原崎長十郎ほど、わたしにとって内蔵助らしい人はいない。画面全体がろうそくの光のように暗くて、つぶやくようなせりふにぞくぞくする。この映画は第2次大戦中の作品で、政府の思惑に沿って作られたものらしいが、忠君愛国思想をはるかに超えて、すばらしい人間のドラマになっている。ビデオを買ったので毎年12月になると見る。最近の史実に忠実な映画やテレビドラマは好きでないが、真ん中を過ぎて、討ち入り前の艱難辛苦する姿を、ついつい見てしまうのがおかしなところ。
じゃがいも、にんじん、たまねぎの3種の野菜があればいろいろな料理ができる。肉類を少し入れて、カレー、シチュー、肉じゃが、サラダ…。
去年買った松井ゆみ子さんの「アイルランドのおいしい毎日」に教えてもらったアイリッシュスチューは、にんじん、たまねぎにターニップとなっているのだが、ターニップというのがわからないので、じゃがいもを代用品にしてつくっている。肉はラムの細切れとなっているところは豚肉にする。これでおいしいシチューができるのだ。このシチューのすごいところは、肉の細切れを水から入れてダシをとることだ。ゆっくり煮てダシを出し、肉を取り出して野菜と炒める。そして再び煮汁に入れて煮込む。スパイスを入れてできあがり。これがとてもおいしいのだ。
毎日新聞に連載されている間(95年10月〜96年3月)、毎朝、新聞を読むのが楽しかった。本になったら買おうと思っていたのに、うっかりしているうちに、作者が亡くなられてしまった。もともと、わたしは辻邦生の小説の熱心な読者でなかった。「背教者ユリアヌス」ほか2、3冊を読んでいただけである。それがこの連載小説を読んでいっぺんに好きに転じてしまった。
その後、朝日新聞に連載されていた水村美苗さんとの往復書簡(96年4月〜97年7月)を読んで、「好き」が「大好き」になった。
さて、「光の大地」は、京都出身のあぐりと日仏混血のジョゼという2人の若い女性が愛しあう物語で、不思議な美しさで光っている。タヒチやパリで2人が交わす言葉や、ジョゼが立ち向かうラリーの砂漠での場面など、湿っぽくなくて翻訳小説を読むようであり、でも古典的な日本という感じもある。
男社会に女性が入っていき、男に成り替わるのでなく、【女の意味は、男にはできなかった“人間社会を作ること”】と闘うジョゼに言わせる辻邦生はすごいと思う。だから、水村さんと「手紙、栞を添えて」で、あんなに女性の立場をわかって対話していたんだ。毎日新聞社発行 1500円
好きだというと不思議がられるんだけど、フィギュアスケートが好きである。ライブで見たこともなく、だいたいがスケート場に入ったことすらない。もっぱらテレビ観戦である。選手が3回転半とか4回転して着地するところがスリルがある。ほっとしたり、やっぱり…だったりする。まあ、ロシアの選手だとスリルも心配もないけど。
先日のNHK杯のアイスダンスの一位になったフランスのカップルがご贔屓だ。マリナ・アニシナとグェンダル・ペーゼラ組は女性が赤い髪をなびかせ、男性も栗色の長い髪をなびかせて美しいので好き。リフトをするとき一回は女性が男性を持ち上げるところがあり、今回もあったのでうれしかった。3年くらい前になんで男ばかりが持ち上げる役やねん? と疑問を口に出したらすぐにこの組が出てきて、女性が男性を持ち上げたのでびっくりした。それ以来のファンである。今年も健在でうれしい。採点の時の気の強そうなマリナの顔を見るのも楽しみだ。
野球シーズンが終わったら野球映画のシーズンになる。「くたばれヤンキース」「私を野球に連れってって」なんかまでレーザーディスクで買ったけど、まあ、何度も見る映画ではないわね。ケビン・コスナーが出ていてトウモロコシ畑を球場にするやつ、あれも、もうひとつだ。「エイトメンアウト」も期待しすぎて拍子抜けした。
何度も見るのはロバート・レッドフォードの「ナチュラル」とケビン・コスナーの「さよならゲーム」で、この2本は何年間も飽きずに見ている。両方とも中年の野球選手のやるせなさが漂ってすてきだ。
「ナチュラル」は女優陣もすごくて、バーバラ・ハーシーとキム・ベイシンガーが悪女役で、グレン・クローズが儲け役をしている贅沢な映画だ。最後のホームランシーンの豪華絢爛が何度見ても良い。チームの監督とコーチ、選手たち、新聞記者、オーナー、賭の親分、それぞれいい味を出していて見飽きない。ロバート・レッドフォードっていくつになっても、いつでもすてき。
「さよならゲーム」のスーザン・サランドンもええ味出している。ケビン・コスナーがアイロンかけているところが好きだし、ラブシーンもとてもすてき。ティム・ロビンスってこの映画ではアタマの悪い新人のピッチャー役なんだけど、ほんまはすごいインテリやということを、後々知った。この映画でスーザン・サランドンと知り合ったんだろうな。
本町あたりに大きな本屋さんがないのがおかしいと思っていたところへ、紀伊国屋書店が本町に開店するとう新聞広告を見たのでさっそく行ってきた。本町通りを御堂筋から堺筋に行くまでの北側、国際ビルの1階全フロアが本の売場なんだもん。広いよー。
お目当ての本があったしね。というのは新開店する本屋さんには、わりと探している本がある可能性が高い。創元社文庫の「暗号ミステリ傑作選」はドロシー・L・セイヤーズの短編がひとつ入っている。昔読んだんだけど手元にない。それで人(12月3日に書いた亀田さんだけど)に言われると気になってね。あちこち本屋を見たけどなかったのを、ここで探し出したわけ。亀田さんの調査によると、問屋にも創元社にも1冊も在庫がないということなのだ。うっふん。
ハヤカワポケットミステリもが揃っているのもうれしい。広いし、明るいし、これからここが私の本屋のメインになりそう。帰りはスターバックスでお茶をしながら買ってきた本をひもどくことになりそうだ。
10月のはじめのある日、1通のメールが舞い込みました。
このホームページのミステリーのところにある私が書いた「大学祭の夜」を読んでくださった亀田恵理子さんからで、ご自身が熱烈なセイヤーズのファンであること、そして熱っぽく、創元社に「大学祭の夜」の新訳を早く出してくださいとハガキを出しましょう、と書いてありました。笑いながら読み進むと、「大学祭の夜」を貸してくださいとのこと。あまりの熱っぽさに、コピーをしてさしあげますと返事してしまいました。
創元社がセイヤーズの著作をずっと出してきたのに、「ナインテイラーズ」からこっち途絶えているのは私も気になっていました。しかも次が「大学祭の夜」の順番なのです。でも昭和11年版を持っている強みと、せっかく独り占めにしてきたのに、みんなに読まれるのが惜しいという独占欲(笑)で、出ないのならそれはそれでまあいいかって感じでした。
メールの人にお会いしたくなり、本1冊まるまるコピーを取って、手渡すことにしました。
「大学祭の夜」の中に、主人公のピーターとハリエットが「グリーン・スリーブス」を唱う場面があります。お節介にもその「グリーン・スリーブス」の楽譜もあげました。その夜はたしか5時半から10時半まで5時間も話していました。こんなに情熱的にセイヤーズについて縦横無尽に話したことはなかったし、仕事や生活の話も楽しかったんです。
そのとき、彼女が月末ごろ友人とイギリスへ旅行するかもしれないと言いました。そしてほんまに10月の末に「大学祭の夜」と「忙しい蜜月旅行」を読んでからオクスフォードとロンドンへ行く旅に出かけられました。「グリーン・スリーブス」を口ずさみながらオクスフォードとロンドンの街をカメラ片手に歩く彼女の姿を思いやって笑ったものですが、実際ここか、あそこかと歩きまわったんですって。すごい枚数の写真をおみやげと引き替えに見せられました。喫茶店で3時間びっしりの難行苦行でした。
「ミステリー」のページにある「ドロシー・L・セイヤーズを旅して撮った写真集」は、こうしたいきさつがあってできあがったものです。ごゆっくりご覧くださいませ。