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1998年10月分

図書館のビデオ 3
(サミュエル・フラーの西部劇)

がらんと空いた棚が目立つ図書館のビデオコーナー。残っているのは、もう見た映画、ぜんぜん見たくない映画のみの日もある。でも、ラッキーな日もたまにはある。サミュエル・フラーの西部劇「四十挺の拳銃」(1957)を見つけて小躍りして借りてきた。
サミュエル・フラーは、去年「脳髄震撼」というハードボイルドな小説を読んで感激した。「赤ん坊が父親を撃ち殺す六十秒前、…」という書きだしにくらくらした。その数行あとが「エミリー・ディキンソンの詩を読みながら、ポールは枕で母親を窒息死させた十歳の自分…」と続く。
その人が脚本を書き、監督・製作した西部劇なのだ。期待どおりおもしろかった。最初のシーンで、馬車に乗ってやってきた3人をはさんで疾走する40人の馬に乗った男たちの不気味さはさすが。荒くれ男たちをあごで使う牧場経営主がバーバラ・スタンウィックで大姉御ぶりがすばらしい。50歳のバーバラの美しさと貫録に圧倒された。3人の男はFBIみたいなものらしく、調査のためこの村にやってきたのだが、悪いやつの目の前を歩く姿が東映ヤクザ映画の高倉健そっくりで思わず笑ってしまった。

1998.10.29

天満の天神さん

南森町へ行く用事がこのごろよくあって、帰りには必ず天満の天神さんへ寄って帰ることにしている。つい最近までは天神祭にしか来たことがなかったから、とてもトクをした気分だ。普通の日の昼間は人が少なくて、雨でも降っていればよけい静かだ。お賽銭をあげて、傘をさして境内を歩く。街の中は緑が少ないので、ここのように大きい木が繁っている場所へ来るとほんとうにほっとする。
境内の牛の像のアタマがつるつるになっている。きっとこのアタマを撫でれば勉強ができるようになるんだろう、と推察してわたしもいつも撫でることにしている。境内の建物の欄間に蛇の絵馬がある。これがお気に入り。
境内の隅に廊下のような建物があって、そこは菅原道真公の一代記が博多人形でつくられていて、ガラスケースの中にぼんやり見える。うす暗くてちょっとおどろおどろしているのが気に入っている。
後の出口から天神橋筋商店街へ出ると、すぐおいしいコロッケ屋があって、ご飯時前には長蛇の列だ。人が並んでないときにコロッケやミンチカツを買って帰る。下町の味がしておいしい。

1998.10.23

「たたきあげ」と「独学の人」

世間では学歴がないのに目立っている人を「たたきあげ」というらしい。わたしは単に相手に学歴があり、わたしにないということを表現するのに「私と違ってあなたはたたきあげだから」と言われたことがある。そんなぁ…わたしなんか、叩かれても、上がってもないのにね(笑)。
ホームラン競争で2人の野球選手を紹介する記事で「エリート」と「たたきあげ」というのがあって、ドミニカ共和国出身のソーサ選手は「たたきあげ」とされていた。こういう記事を書く人は一流大学を出て大新聞社にお入りになったエリートな人であろうから、「たたきあげ」という言葉を使うことに違和感がないよな。
10月20日の朝日新聞夕刊で新しいドイツの外相の紹介記事に「独学の人」という言葉があった。あっ、この記事を書いた人はわかってるな、って思ったよ。でも記事を読んでいくと、勉強や仕事や活動のしかたが「たたきあげ」のイメージとは違う人だったので、使えなかったんやね。
わたしもこれからは自分からは「独学の人」と言おうかな。「たたきあげ」よりかっこええやん。でも、内容はいっしょかぁ。

1998.10.22

「嵐が丘」を読む

エミリ・ブロンテ「嵐が丘」を読んだのは1回だけで、それも中学生のときで、姉シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」を読んだあとだった。「ジェイン・エア」はそれから何十回も読んで、生涯の愛読書となったのに、「嵐が丘」はおそろしくて、わけがわからなくて、そのまま手にすることなく、いままで生きてきたんです(オーバーやなあ)。
数年前に「ブロンテ姉妹」という映画を見て感動し、また見たくなって最近ビデオを買ってしまった。この映画のエミリはイザベル・アジャーニがやっていて、荒野をさまようところが息をのむほど素晴らしい。イギリスのヨークシャーはバーネットの「秘密の花園」の舞台でもあって、気にかかっている場所のひとつ。映画の「嵐が丘」は本を読んだ後で見たのだが、ローレンス・オリヴィエとマール・オベロンの悲しい恋物語になっていて、それなりに、いまも2人の表情を思い出すくらいなのだが、あれはエミリではないと子ども心に思ったものだ。
S嬢からケイト・ブッシュのCD「嵐が丘」を貸してもらった。これがなかなかいいんですよ、エキセントリックで、おきゃんな感じ。こうして盛り上がったところで、文庫本「嵐が丘」を買ってきました。前置きが長いけど、こういう舞台装置をそろえなければ、エミリに対して申し訳ないじゃないですか。
読みました。ネリーって家政婦が語るというかたちで、おそろしい男ヒースクリッフと美しい女キャサリンの物語が展開します。ヒースクリッフはキャサリンに恋い焦がれる以外は、めちゃくちゃで、あくどく養家の財産を取り上げるわ、自分の子どもだって利用するわ、虐待するわ。よくこんな男の造形ができたなあと感歎あるのみ。物語るネリーが信仰をもつごく普通の人という設定のうまさ。ヒースクリッフとやりあう常識人としてのネリーが、よけいにヒースクリッフを際立てる。拾われた子ども、雇われ人としての生きることの常識を覆すのに、ヒースクリッフはここまでやった。
キャサリンの持っていきようのない怒りは、その時代の女性がおかれていた立場から、自ら脱却できず、狂うことでしか逃れられなかった自分への、世間への、怒りなのだ。せつない。

1998.10.21

ハードボイルド映画の秀作「狼たちの街」

「狼たちの街」がテレビ大阪で放映された。以前見て感動したのを思い出して再見。96年のアメリカ映画で、50年代のロスアンゼルスに実在した対組織犯罪特捜隊の4人の捜査官の活動を描いている。ある女性が殺されたのを調べるうちに、軍部の秘密に気がついていく。FBIもからみ、軍部も妨害してくるが、なんのそので秘密にせまっていく。ものすごい迫力で、とことん捜査に入れ込む警官のニック・ノルティとメラニー・グリフィスが愛し合っている夫婦なんだけど、殺された女性とニック・ノルティに関係があったことがわかって、もう元に戻れない。せつない別れの最後のシーンが余韻を残します。
はっきり言って、いま評判の「L.A.コンフィデンシャル」より数倍ハードボイルドで上等な映画です。同じように帽子をかぶっていても、肉体化しているのと、ファッションでかぶっているような差がある。

1998.10.18

マウスのお掃除

キーボードの掃除はしょっちゅうするわたしですが、マウスの掃除に気がまわらなくてね。今回はホコリを限界まで詰まらせてしまった。昨夜はなにをするにもマウスが勝手に違うところへいってしまって、思うところに持っていけなくて…。そうでなくても肩凝り性なのにね。ついに故障したかと思ったくらいにひどかった。そうや、そうや、長いこと掃除をしてなかったんや、と思い返してお掃除しました。ボールをはずすと、部品に綿ボコリが巻き付いていました。綿棒使って内部を拭いていったらいっぱいホコリが出てきた。すっごくいい気持ち。
今日は快適に使っています。これからはキーボード掃除をしたら、ついでにマウス掃除をしよう。

1998.10.15

「イングリッシュ・ペイシェント」

新聞の映画広告を見ていたら『モンタナの風に抱かれて』というのがあった。ロバート・レッドフォードの相手役の女優がとてもきれいな人なので、だれかと思ったら『イングリッシュ・ペイシェント』の人妻役をやってた人(クリスティン・スコット・トーマス)だ。
『イングリッシュ・ペイシェント』は最近友人からビデオをもらって見たところ。3時間の長さを感じさせない美しい映画だ。ジュリエット・ビノシェが演じる感受性の鋭い看護婦がよかった。地雷除去任務のインド人兵士が彼女を恋して壁画を見せるところがロマンチックだった。そして、看護婦と患者の緊密で微妙な精神状態のなかで、患者の回想に現れる主人公のイギリス人と人妻の恋がとことんよかったなあ。上流階級の誇り高い女性の恋する気持ちがナイーブで…。
原作のM・オンダーチェ『イギリス人の患者』も貸してもらって読んだ。看護婦が戦争が終わって故郷に戻り、年が経ち、寡黙なすばらしい女性に成長している。インドに帰った恋人が妻子持ちになって静かに暮らしていて、彼女を回想するところもじーんときた。

1998.10.11

ノルウェーの小説

「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」10月号で平田さんが紹介している「ノルウェーの汀の物語 ディーナの愛」をようやく手にした。とたん、読むのをやめられず、わずかな時間もこの本に向かって昼も夜も読み続けてしまった。
この本のおもしろさは、なんといっても主人公ディーナの激しい性格や身勝手な生き方にある。男たちを思いのままに動かしてしまう魅力。と同時に牛の乳搾りをこわがる新入りの雇い人の少女に、牛に話しかけることを教えるやさしさがある。自分の子どもの乳母にしたラップ人の女性にも親身になる。そのしかたがなにもかも身をもってするところが魅力のもとだろう。重い病気の老馬を死なすのだって、自分の手で首を切り、血を浴びるのだからすごい。ノルウェーの最果ての地で、狩りをし、チェロを弾き、恋をするディーナにまいった。
ノルウェーの小説を読むのは2人目。先に読んだミステリーの「女神の沈黙」「土曜日の殺人者」の著者アンネ・ホルトは法務大臣を経験した女性で、オスロのさっそうとした女性弁護士や女性刑事を書いている。
どちらも女性が思うように、あるいは思うことを実現しようとして、へこたれないで生きているところが魅力。

1998.10.10

橋の上でお月見

お月見をしようと、夜遅くなったけどちょっと歩いて、木津川の松島橋までいった。中天の月はウサギが餅つきをしているのが見えるほど。雲がうっすらとまわりにあるのも風情がある。泉鏡花の日本橋はお雛さまの夜の橋の上のことだったなあ。川のなかでちゃぽんと音がした。のぞいたら魚のおなかががきらりと月光で光った。お月見の夜って、曇ったり雨が降ったりのほうが多いよね。今夜は運がいい。
子どものころは、両親が縁側にススキや鶏頭の花をかざり、お芋や月見団子を供えたものだ。自分が大人になってからはしたことがない。そのかわりによく遠出した。職場の台所でお酒を温めて魔法瓶に入れ、お弁当を買って奈良や京都へ出かけた。最近はきっとライトアップしたり、ぼんぼりをつけたりして演出しているだろうが、わたしが出かけたころは、月の明かりだけですてきな夜を過ごせた。老夫婦がススキの横に座って、野だてをしていた夜もあった。
いまのわたしには今夜のように名のないところの月見がぴったりくる。

1998.10.4

今日は外食(長居植物園)

たまには外食したいなって、今朝なにげなく言った。近頃は食事係を引き受けて、毎日3食ごはんをつくっているので、たまには言うよね。そしたら夫は、今日は外食しようって返事したのに、なんとお米を研いでる。塩鮭を入れた大きなおにぎり(こればっかりは負ける)を4個つくって、外で食べようだって。
前から行ってみたかった長居植物園へ行く。大きな池のそばでおにぎりを食べた。今日の外食終わり。いままでは、こういうシチュエーションだと奈良へ行って飛火野でお弁当を食べ、お寺を拝観したり、博物館へ行ったりしながら難波へもどり、一杯飲んで夜おそく帰宅というふうになっていた。えらい変わりようだ。
さて、長居植物園は良かったよ。とても広くて樹がいっぱいある。つゆくさ、ひめじよん、まんじゅしゃげ、あかまんま、ねこじゃらし、などの雑草も生い茂っていていいところだ。カロリナポプラと名札がついている素晴らしい大きな樹に行き当たった。広がった枝を眺めると空には秋の雲。松ぼっくいを拾った。どんぐりに似た実も拾った。とても楽しい外食だった。

1998.10.4
タイトルバックは大阪市長居公園

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