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わたしのサラ・パレツキー論(2)

探偵の闘い、作家の闘い

杉谷久美子

ロバート・B・パーカーとサラ・パレツキーはハードボイルド私立探偵小説の伝統を勉強して第一作を書いた。

 「わたしのサラ・パレツキー論(1)」に書いたように、『サマータイム・ブルース』が出たころ、私がいちばん夢中になっていたハードボイルド私立探偵小説がロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズでした。最近、第一作の『ゴッドウルフの行方』を読んで、サラ・パレツキーの第一作『サマータイム・ブルース』ととてもよく似ていることに気がついたのです。社会の裏の裏を知り尽くしてから書き出した人と違って、インテリと言える二人はハードボイルド私立探偵小説の伝統を勉強して、そのパターンをものすごくうまく踏襲して第一作を書いています。
 『サマータイム・ブルース』で依頼人が登場するところで、ヒューズが飛んだため電気が消えている暗い事務所に、外のステーキ屋のネオンが光ると依頼人の顔が浮かび上がります。まるでフィルムノワールの一シーンです。

 また、『サマータイム・ブルース』『ゴッドウルフの行方』ともに大学でのシーンがとてもよく書かれています。作者がよく知っている大学の学生たちや教師たち、授業風景をうまく自然に小説の舞台に取り入れています。そして被害者発見のところも、警察に通報するまでのところも、ほほえましいほどハードボイルド小説の伝統にのっとっています。
 この二作がとても好きなのは、私自身に私立探偵小説への郷愁があるからかもしれません。私が「ヴィクに会いたいな」と思ったときにまず開くのは『サマータイム・ブルース』ですし、いまはあんまりありませんが、スペンサーに会いたいと思うと『ゴッドウルフの行方』を開いたものです。ちょっと感傷的な気分でもって。

第二作は伝統に左右されない、新しい探偵が闊歩するものになっていた。

 サラ・パレツキーの『サマータイム・ブルース』が出たときには、もうロバート・B・パーカーは彼自身の個性で第二作『誘拐』第三作『失投』を発表していました。だからその時は女性探偵ということでの驚きと関心はあったけれど、トップランナーはロバート・B・パーカーのように思えたのです。しかし、その後、サラ・パレツキーも新しい作品を自分の個性で書き出します。それはもう伝統に左右されない、新しい探偵が闊歩するものになっていました。第二作『レイクサイド・ストーリー』、第三作『センチメンタル・シカゴ』に影響されたという女性が多いのもうなづけるところです。
 その点で、この二人の作品はネオ・ハードボイルドとか女性探偵という枠の中で語られるものではなくなっていったのではないか、というのがわたしの考えです。

 ロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズは、始めのうちは差別や権力と闘う探偵の小説だったと思います。『約束の地』『ユダの山羊』『レイチェル・ウォーレスを捜せ』『初秋』をどんなに熱中して読んだことでしょう。それがいつの間にかライフスタイル小説と言われ、言われているうちに作品がライフスタイルという言葉にぴったりになりました。そして秀才らしくそのときどきの社会状況を取り入れながら、現在まで進んできましたが、結局、ライフスタイル小説という言葉の罠にはまったように趣味の小説に堕ちていってしまいました。ほんとうにスペンサーのファンとして残念なのですが、そう言わざるを得ません。
 恋人のスーザン・シルバーマンを嫌いな人が「あの女がいるからいやだ」と言い、「いつまでもスーザンだからスペンサーはダメなんだ」と言いますが、「最近のスペンサーがダメなのは、趣味に堕ちてしまったからなんですよ、きみ」と私は言う。『スペンサーのボストン』を私も買いましたけどね(笑)。あのころからおかしくなったような気がします。

 最近は作品の中でスペンサーが死にかけても少しも気になりません。そりゃ、シリーズ小説ですから主人公は死にはしません。しかし、あまりにも痛みがこっちの身にわいてこない。いつまでたっても「スーザン、永遠に愛してる」はいいとしても。そして、ユダヤ人の恋人スーザン、黒人の同志ホークをはじめ、さまざまな人種、同性愛者などを登場させていますが、初期の頃はとてもリアリティがあったのに、最近は芝居の背景みたいです。それでも被差別者の友として作品が書かれているから「その点異存はありません」という感じで読んでいるんですけど…。いまだに出版されるとすぐ買いに行ってます。
 伝統的な私立探偵小説から飛び抜けたことでトップランナーになった、まさにそのことが、闘う気持ちを失ったときに、私立探偵小説にもう後戻りできない、普通小説家になってしまったのです。かえって私立探偵小説という形式で地味な歩みを続けてきたスティーブン・グリーンリーフのジョン・タナー・シリーズが細い道ながらゆっくりと確実に進んでいるように思えます。

一作ごとにヴィクは怒り傷つく。その疲れや痛みは読者を直撃する。

 サラ・パレツキーはというと、私立探偵小説から飛び抜けて、ずっとそのままトップを走っています。一作ごとにヴィクは怒り傷つく。その疲れや痛みは読者を直撃するのです。お風呂に入るのが好き、おしゃれ、ワインやウィスキーの好み、登場人物のだれそれ、恋人ともいい時間を過ごす。スペンサーと変わらないほど細部はライフスタイル小説でありながら、決定的に違うのはすべての作品が闘う小説であることです。
 それは基本的にはサラ・パレツキーとヴィクが女性であることだと私は思います。作家も登場人物も差別されているほうに属している。もちろん、女性だからといってだれもが差別を実感し、闘っているわけではありません。だからなお、売れる作家になったいまも闘う姿勢を崩さないサラ・パレツキーの存在は貴重です。女性ミステリ作家のアンソロジー『ウーマンズ・アイ』の序文を書いたことで、サラ・パレツキーは自分の作品のバックボーンを改めて確認したのです。

ほかの女性のために手を差し延べること、この姿勢でいるかぎり、普通小説になるはずはない。

 最新の短編『売名作戦』では、厳しい現実の前に苛立つヴィクの姿があります。でも負けるはずはない。今年(98年)2月発行の『ウーマンズ・ケース』の序文を読むと『ウーマンズ・アイ』以後のさまざまな活動が書かれています。そしてこの『ウーマンズ・ケース』編集の仕事をする決心をしたのは『「あなた、ほかの女性作家に対する義務と、同世代の女性たちの苦しみに対する義務を果たすために、すこしは努力してるの?」と問いかけてくる』声に応えて自分の仕事を脇にどけてのことなのでした。この本には、初めて作品が活字にされた作家が二人と、英語で紹介されるのが初めての作家が四人入っています。ここにサラ・パレツキーの姿勢がはっきり見えます。ほかの女性のために手を差し延べること、この姿勢でいるかぎり、作品が普通小説になるはずはない。

 二年後にはヴィクシリーズの新作が読めるとのことです。『バースデイ・ブルー』では40歳になり、疲れ切って、しかしやることは最後までやったヴィクを書いて、一時はこれでヴィクシリーズを終わらせようとしたのかもしれません。しかし、まだまだヴィクに闘ってほしいという読者の熱い期待が彼女を思い直させたのでしょう。
 あまりに過酷な仕事をしたヴィクをしばし休ませ、自身も『ゴースト・カントリー』を書くことですこし心を遊ばせた後、再び大きな事件に取り組むヴィクの姿が、そして、成長したニーリイやケンが、相も変わらぬミスター・コントレーラスが現れる、というのが私の観測です。とはいえ、サラ・パレツキーのことですから『ゴースト・カントリー』もたいへん厳しい作品であるようです。

1998年6月

写真は上から
ゴッドウルフの行方(ハヤカワミステリー)、サマータイム・ブルース(ハヤカワ文庫)
失投(立風書房)、約束の地(早川書房)、レイチェル・ウォレスを捜せ(早川書房)
ウーマンズ・アイ上、下(ハヤカワ文庫)
バースデイ・ブルー(早川書房)、ウーマンズ・ケース上(ハヤカワ文庫)

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