わたしのサラ・パレツキー論(1)
杉谷久美子
1994年秋来日したサラ・パレツキーは『マリ・クレール』のインタビューで一番直接的な影響を受けた作家は、ロバート・B・パーカーだと語っています。「私が小説を書く前に、彼は3冊の本を書いていました。彼は、ハード・ボイルドというジャンルの中で、現代に生きる主人公を作りだしたのです。」たくさんのインタビューの中で最後に読んだのがこの記事、わが意を得たりという感じでした。
『サマータイム・ブルース』が1985年私の前に登場したとき、ついに現れた本格的な女性探偵と評価はしたものの、さして強い衝撃を受けなかったのは、すでにロバート・B・パーカーによる作品の中の女性たちがいたからでした。サラ・パレツキーはインタビューで「ロバート・B・パーカーの3冊の本」と言っていますが、日本では1985年には『約束の地』『レイチェル・ウォーレスを捜せ』『初秋』も翻訳・出版されていて、スーザン・シルバーマン、レイチェル・ウォーレスといった、強く、賢い女性たちの存在が私を圧倒していました。その時期のロバート・B・パーカーはまさに「現代に生きる主人公」を生み出していました。90年代の彼は人種問題、フェミニズム、ゲイ、エイズなど知識人らしくラジカルな問題を1作ごとに提起していますが、いまのロバート・B・パーカーは、なにか貯金で食べているような気がします。時代はサラ・パレツキーに代表される女性探偵たちに移っているのです。彼の女性登場人物たちは、ヴィクの登場を用意していたとも言えます。
もうひとつの時代の流れは、好き者が読んでいたハードボイルド・ミステリが、大衆化の時代になったことです。もうこれは、好き者男性が地団駄踏んで悔しがってもどうにもならないことでしょう。ロバート・B・パーカーを女性たちが支持したことから始まっていると思います。
長い間ミステリに親しみ、チャンドラーに熱中していたのに、10年ばかり離れていた時期があり、1970年代後半にミステリの世界に戻ってきた私に、ネオ・ハードボイルドと呼ばれている作家たちとの出会いがありました。いい男性の探偵がいっぱいいました。その探偵たちとわくわくする冒険に同行しました。その中でいちばん強く影響を受けたのがロバート・B・パーカーでした。
そこに今から考えると矛盾していたこと、つまり“男性の視点”から眺めていたことには気がつきませんでした。ロバート・B・パーカーの作品について語るとき誰もが騎士道精神といいますが、騎士道精神は男性の側からの見方であって、騎士に崇拝される女性はいったいどうしたらいいんでしょう。この大切なことを、「自分がスーザンである(ありたい)」という錯覚で気がつきませんでした。また、ホークになぞらえられる男友達を持つ快感に酔ってもいました。
若いときから性差別に対して、私は個人的な解決法をとってきました。“男性と同じに働き、同じに遊ぶ”ことです。としても、差別はあるわけで、よく疲れもせず怒りまくったものです。もうひとつ「他の女の子と一緒にしないで」という気持ちがありました。その結果、非常にねじれた人間になってしまいました。男性に怒りつつ、女性を軽蔑する、という思考形態で過ごした時代は長く、今も染み着いています。まあ、ようするに“名誉男性”だったわけです。そして公言してはばからなかったのですが、「女でよかった。いい男がいっぱいいて。男やったら困ったで。いい女の子がおれへん。」本気で思ってました。しかし、名誉男性というのは名誉白人と同じで、有色人種が白人と一緒だと思っていても、ハナもひっかけられないように、ほとんどの男性からはいいようにあしらわれるんです。
『ウーマンズ・アイ』を1992年に手にしたとき、サラ・パレツキーが書いた序文こそが衝撃でした。この文章によって“名誉男性”として生きてきたことをはっきり自覚したのです。目の前にものすごく明るい道が開けるのを見ることができました。
そのあとにモリー・ハスケルの『崇拝からレイプへ 映画の女性史』を読みました。「女が仕事のために愛を犠牲にすることが許されている映画は、千に一つもないだろう。しかし現実には、自ら選択したか、あるいは愛に怠慢だったために、女優たちは常にそれをやってきた。仕事に多くの時間とエネルギーを注ぎ、輝かしい名声を手に入れた結果、結婚生活は破綻し、家庭は崩壊した。」そして「ベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォード、キャロル・ロンバート、キャサリン・ヘプバーン、マーガレット・サラヴァン、そしてロザリンド・ラッセルらが強いられた結末がなんであれ、私たちの胸に残るのは、彼女たちの服従や屈辱のイメージではない。むしろ、私たちは彼女たちのいっときの勝利を思い出し、その知性と個々の生き方、力強さを胸に刻む。」というように、それまでの、フェミニストの映画批評と一線を画しているのです。いきいきした具体的な映画への愛と語り口は、ほんとに、ほんとに、すばらしいものです。
その次に読んだのがスーザン・ファルーディ『バックラッシュ』でした。これもすごい調査と語り口。「バックラッシュ特有のポーズは、昔からいろいろあったが、今度はそこに冷めたシニシズムを加えたのだ。しかも、これが一種のオシャレと受け取られた。性差別の不当さをいちいち取り上げ、男を批判したりすることは女らしくないどころか、今やカッコ悪いことになってしまったのだ。」なるほど、これで私の知り合いの女性たちが“杉谷さんはマジメやからなあ”と冷ややかにいうのがわかりました。“名誉男性”であってすら、マジメとケナゲは私のトレードマークでしたから。さらに、「まったくの無関心を口にする人たちに立ち向かうのはさらに難しい。」のです。
もう1冊キャスリーン・グレゴリー・クラインの『女探偵大研究』はハズレでした。本には“情熱”がないといけません。学者が調査して書いても、何にもならないということがよくわかりました。たとえサラ・パレツキーを評価していてもです。
『ガーディアン・エンジェル』はそれ以前の作品に比べて『ウーマンズ・アイ』で、はっきりさせたサラ・パレツキーの考え方が、作品に強く反映されています。さらに『バースデイ・ブルー』は強くなっています。私は『バースデイ・ブルー』でヴィク(サラ・パレツキー)に“私はこう生きている。あなたはどう生きるの?”と訊ねられているような気がして、物語のなりゆきを気にしつつ、アタマは“私はどう生きるか”考えていました。モリー・ハスケルやスーザン・ファルーディが情熱をもって調査し、主張していることを、サラ・パレツキーは小説で表現したのです。私立探偵小説という形式を踏まえて。
『バースデイ・ブルー』で、書くことについてエミリーにヴィクが言う言葉「また始めたらどうかしら。日記をつけて。もっと詩を書いて。詩を書くうちに、何をすればいいかわかってくるわ」その通りだと思います。生きることに向かって言葉を書き続けることが大切なのではないでしょうか。
サラ・パレツキーの視点をはっきり知り、私自身のいる場所について考えているうちに出会ったのが、ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』でした。ノーマ・フィールドは父がアメリカ人、母が日本人で、二つの国で育ち、いまはアメリカ在住、シカゴ大学教授です。朝日新聞に最近よく登場して、するどい意見を述べているので、ご存じの方も多いでしょう。この本は沖縄、山口、長崎に住む3人の日本人を取り上げていて、日本と日本人について考察しています。男性であれ、女性であれ、日本という国で自分の考えに忠実に生きていることのしんどさをつくづくと感じてしまいました。
たまたまその頃手にしたのが、ザ・スミス写真集でした。87年に解散したロンドンのロックバンド「ザ・スミス」、美しい彼らを眺めるために開いたこの本で、ヴォーカルのモリッシーのインタビューを読んだのです。
「…僕はほんとうにたまたまフェミニストの作家にとても影響を受けてしまったんだ。モリー・ハスケル、マージョリー・ローズにスーザン・ブラウン=ミラー。名前を挙げ始めたらきりがないよ!
フェミニズムの話ばかりし続けたくはないけど、フェミニズムというのは理想的な状態なんだ。でも理想を超えて現実のものとなることは決してないだろう。この社会は強い女性を忌み嫌っているからね。気絶し、へつらい、結婚しか望んでいない。そういう女性だけを好む社会なんだ。神経過敏になっているわけじゃないけど、この問題は僕の曲作りになくてはならない要素になっている。」(『The Smith「もう誰にも語らせない。」ザ・スミス写真集』)
これは衝撃でした。私はモリー・ハスケル、スーザン・ファルーディ、ノーマ・フィールドの本を読んで、サラ・パレツキーをより理解できたと思っています。しかし、モリーッシーの言葉はなぜ、サラ・パレツキーの小説が熱い支持を得るのかを理解させるものでした。
1995年12月