広辻 万紀
Maki Hirotsuji
シカゴきっての実力派探偵、V.I.ウォーショースキーの活躍ぶりは、もうご存じでしたか。一人で探偵事務所をきりもりしている、頭が切れる上に美人で、なのに口が悪くて相手構わず、すぐ喧嘩を吹っかけてしまう人です。
1982年(日本では1985年)の『サマータイム・ブルース』でデビューした彼女は、それは目だっていました。いや、実のところ、5年前にサン・フランシスコではマーシャ・マラーによってシャロン・マコーンが、活動を始めていました。更に時代を遡れば、1960年代からジョー・ゴアズのDKA探偵事務所で、キャシー・オノダやジゼル・マークが凄腕の男達に混じって働いています。イギリスでは1980年からリザ・コディの産んだアンナ・リーが活躍していたことも確かです。ただ、1982年はアメリカ西海岸の架空の街、サンタ・テレサでも、キンジー・ミルホーン・シリーズの第一作『アリバイのA』が、テレビ界出身のスー・グラフトンによってデビュー、東のシカゴを舞台とする『サマータイム・ブルース』と揃って、共に高い評価を受けました。一躍、女性私立探偵時代が到来したわけです。
なにしろV.I.ウォーショースキー(ヴィクと呼びます)が、ビルの4階に構える事務所ときたら、大したものです。物騒な通りにあるのは仕方がないとしても、しょっちゅうエレヴェーターは止まる、電気のヒューズは飛ぶ、トイレの修理まで自分でやらなくてはなりません。彼女には夜、一人でサーロイン・ステーキとジョニ黒を楽しめる店があり、当然、二日酔いにも見舞われます。バツイチで元弁護士、空手の達人でギャングとも堂々と渡り合う、という設定で、暗黒街のボスに殴られた晩ですら、デートの約束を守ります。そんなヴィクのことを「ブラをつけた左寄りのマイク・ハマー」と言った人もいました(The Armchair Detective誌 Vol.21 No.2‘AJH Reviews’by Allen J. Hubin)。余りに行動的な彼女に拒絶反応を示した、保守的なハードボイルド愛好家も、多かったのではないでしょうか。それでも彼女は、常に事件と真正面から取り組み、なんとか探偵として自立してきました。彼女自身の親戚や社会からの重圧と闘いながら…。
今では作者のサラ・パレツキーは「スー・グラフトンやパトリシア・コーンウェルと並んで、その小説が一貫して真摯な評論の対象となり、賞賛を受けている数少ないアメリカの女性ミステリー作家」(KILLER BOOKS by Jean Swanson & Dean James, 1998年)、「1980年代に登場したハードボイルドの女性作家として、最も成功した一人」(ENCYCLOPEDIA MYSTERIOSA by William L. DeAndrea, 1994年)などとまで、評価されるようになっています。1988年には『ダウンタウン・シスター』で英国推理作家協会のシルバー・ダガー賞も受賞しました。そして、ヴィクやキンジーたちが困難に耐えてがんばったお陰で、90年代には多くの女性探偵が、ミステリー界のなかで随分楽に動けるようになったことも、確かです。ジャネット・ドーソンのジェリ・ハワードやS・J・ローザンのリディア・チン(ビル・スミスというパートナー有り)などはその好例で、各々、主にオークランドとニューヨークを舞台に、伸び伸びと活動しています。
さて、この辺でもちろん、ヴィクを創造したサラ・パレツキーの紹介をさせていただかなくては。アイオワ州6月8日生まれ。カンザス大学で政治学のB.A.、シカゴ大学で歴史学のPh.D.を獲得。シカゴのアーバン・リサーチ・コーポレーション勤務、フリーランスのビジネス・ライター、CNA保険会社のダイレクトメール・マーケティングプログラムのマネージャーを経て、1986年からフルタイムの作家に転じています。ミステリー、映画の両方の分野で名高い作家であり、また大学でも教鞭をとるスチュアート・カミンスキー(代表作に『ロビン・フッドに鉛の玉を』など)の講座で、文章を学びました。書き上げた処女作がいくつもの出版社から断わられた、という話は、今では信じ難いことです。『サマータイム・ブルース』が世に出て以来、ヴィクのシリーズがどれほど多くの女性達に支持されてきたか、また女性達を勇気づけてきたかを考えれば、隔世の感があります。
ところで、このシリーズがハードボイルド小説の系統上にある、もしくはその手法を多く取り入れている、と言われてきたことは間違いありません。ただ、パレツキーが他の多くの作家と小説の作り方で違っているところが2つあります。
まず、ヴィクは事件に関わる上で、かつてのフィリップ・マーロウに代表されるような「孤高の存在」でいられません。ポーランド系の父とイタリア系の母を持つ彼女は、決してその血から逃れられないのです。自らの幼い頃の思い出や、古くからの友人たちとの繋がりを断ち切ることも、有りえません。複雑な家族関係や昔の事件を暴いていくというのは、私立探偵小説の常道ですが、ほとんどの場合、探偵自身は他の登場人物とは一線を画し、クールに事件を眺めることが出来ます。ヴィクの事件はたいてい家族や友人たちが深く関わっていて、そうでなくとも、彼女は始終、自分の生い立ちや亡くなった両親のことに、思いを巡らせています。だから「高みの見物」なんて、到底出来ません。自分も傷つくし、回りの大切な人々も心ならず傷つけて、それで更に自分が苦しんでしまいます。ヴィクはその重荷を全部、自分の肩にしょって、なお、一人で走り続けなければならないのです。
次に、そういった「家族の問題」で始まることの多い事件にも関わらず、それらは決して個人的なレベルのまま、終わってくれません。保険金詐欺、中絶、貧困者問題等、長編のみならず、いくつかの短編の中ですら、ヴィクは社会問題のなかに踏み込んでしまいます。昔からの探偵小説ファンには懐かしい響きを持つ、「なんとか家の惨劇」でおしまいになる事件などない、と断言出来ます。これはパレツキー自身が、社会問題に関して、常に生身で関わってきたことの表われに他ならないのですが、読者もヴィクの物語を読みながら、その「問題」について、考えざるを得ないのです。自分自身の問題と引き比べる人も少なくないでしょう。それを「重い」と感じる人もいるでしょうし、もうちょっと、自分なりに突っ込んで考えてみようか、と考える人もいるでしょう。
更にパレツキーは1986年に「シスターズ・イン・クライム」を創立したメンバーの一人で、初代の会長にも就任しています。会の目的は、ミステリー界における女性作家の地位の向上です。現在、世界中に会員は3千人以上、アメリカに39、カナダに2、ドイツにも1つ支部があります。
私生活では17才から自活し、20代で結婚。お相手は物理学者のコートニー・ライト氏で、彼の亡き前妻が残した3人の男の子を育て上げ、保険会社に勤務しながら小説も書き、聖歌隊でも(ソプラノ)歌っていました。現在の彼女は祖母でもあり、本国版ホームページをクリックすると、お孫さんと一緒の写真を見ることが出来ます。
あと一言。「ヴィクの話を読むなんて、まるでフェミニズムの闘士とデートするみたい」などという先入観は、持たないで欲しいのです。素顔のヴィクは料理作りが大好きで、でも家事は苦手で、機嫌のいいときにはオペラのアリアなんかも口ずさむ(彼女はアルト)友達思いの人だから…。それから、このごろ自分がもう40代になって、大いに悩んでもいます。一人暮らしでも、愛犬ペピーと共に、なんとかやっていけるに違いない、と読者としては信じているのですが。(だいたい、年取ることが怖くない、と言い切れる人が、世界に何人いるでしょう。)そんなこともあって、ここしばらく、ヴィクは私たちの前から姿を消しています。でも、もうすぐ戻ってきてくれるはずです。パレツキー本人が本国版ホームページのインタビューの中で、ヴィクの新しい物語について、明言してくれていますから。その新作が出るまでに、もう一度、ヴィクの歩いてきた道をたどってみるのも、興味深いかも知れません。
ヴィク・ウォーショースキー以外に、ここで紹介した女性探偵たちと出会いたくなった方のために。
シャロン・マコーンのデビューは『人形の夜 シャロン探偵物語』作者はマーシャ・ミュラーと表記。(小泉喜美子訳 講談社文庫 1980年)ただし、これは絶版なので、徳間文庫からでた『タロットは死の匂い』(深町真理子訳)、『チェシャ猫は見ていた』(大村美根子訳)、『安楽死病楝殺人事件』(広津倫子訳)を捜す方が早いでしょう。
DKA探偵事務所については、日本で出版されたオリジナル短編集があります。『ダン・カーニー探偵事務所』(石田善彦訳 新潮文庫 1990年)。初期の長編は手に入りにくいですが、この9月にタイミング良く『32台のキャディラック』(木村仁良訳 福武文庫 1998年)が出たばかり。ジゼル・マークの成長ぶりを見ることが出来ます。
アンナ・リーのシリーズは『見習い女探偵』(佐々田雅子訳 ハヤカワポケットミステリ 1994年、英国推理作家協会才優秀処女長編賞受賞作)を始めに『夏をめざした少女』『ロンリー・ハートの女』(堀内静子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)が出ています。そのあとリザ・コディは『汚れた守護天使』『掟破りのリターンマッチ』(堀内静子訳 ともにハヤカワポケットミステリ)で悪役の女プロレスラー、エヴァ・ワイリーを主人公にして、更に有名になりましたが、そちらでもアンナ・リーが、脇役で登場しています。
キンジー・ミルホーンのシリーズは『アリバイのA』から『無実のI』(嵯峨静江訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)、『裁きのJ』から『悪意のM』(嵯峨静江訳 ハヤカワ・ノヴェルズ)が刊行されています。
ジャネット・ドーソンのジェリ・ハワード・シリーズは『追憶のファイル』(押田由起訳 創元推理文庫 1990年)を始めとして4冊が、S.J.ローザンのリディア・チンとビル・スミスのコンビは『チャイナタウン』(長良和美訳 創元推理文庫 1997年)で翻訳されています。ローザン次作のCONCOURSEはビル・スミスが主役で彼の一人称形式、12月刊行予定です。彼の目から見たリディアは、どんな女性でしょう。
なお、「ブラをつけた…」の箇所は『ハヤカワ・ミステリマガジン』1994年11月号のサラ・パレツキーに関するガイ・シューバーラの評論「ファミリー・タイズ」に引用されていたもの(訳は山内三枝子)です。その箇所が面白かったので、The Armchaier Detective 誌のバック・ナンバーの原文も読みました。Hubinはサラ・パレツキーの力量は買っていますが、ヴィクのことは苦手なようです。『ゴースト・カントリー』は彼のお気に召したでしょうか。
1998.9