『バースデイ・ブルー』から3年、短編ではありますが、久しぶりにヴィクに出会いました。6人の読後感です。
▼ヴーヴ・クリコの苦い味 北村伊佐子
▼ヴィクとの再会 谷澤美恵
▼産む当事者は女なんだから 吉岡 縁
▼Vicは健在だった 土谷哲子
▼「売名作戦」を読んで 下岡加代子
▼叩かれるフェミニズム 大藏まきこ
『ハヤカワミステリマガジン』1997年11月号掲載(写真左、中はそのページ)
『ウーマンズ・ケース(下)』ハヤカワ・ミステリ文庫(写真右)に収録
北村伊佐子
ぶっとい「ミステリマガジン」を手にして、わくわくした。ヴィクの小説を読むのは、何カ月、いや何年ぶりだろう。前作の「バースデイ・ブルー」の終わり方が、「これでシリーズは終了」と語ったというサラ・パレツキーさんの言葉を彷彿とさせたので(あとで撤回したそうだが)、不安になっていたのだ。
さて、この「売名作戦」。読後すぐに私が感じたことは、なんか、日本でも似たようなことがあるなあ、だった。私が似ていると考えたのは、近年かますびしい「歴史認識」問題である。
ヴィクが戦うのは、「ゆきすぎた」フェミニズムに対する反動派だが、日本でも、教科書が「従軍慰安婦」を記述しだしたと思ったら、それは自虐だうんぬんと抵抗する人々がいる。もっとも、ヴィクと違い、私は何の行動も起こしていないのだが。
作中にある、クロード・バーネットのラジオでの科白、「いやあ、みなさん、フェミュニストたちがまた動き回っています…彼女たちの考えに同調なさい。でないと…強制収容所行きですよ」を読んで、心底ぞっとした…しかし。
あれだけフェミニズムが盛り上がり、その精神が浸透していると思われる米国でさえ、反動派の動きは活発だ。ひるがえって日本では、フェミニズムはなにやら「ブーム」のように思われ、伝統的な価値観が根強い。若い人々も、結局は「結婚」に落ち着きたがっているような傾向を感じる。
歴史の問題でも、お世辞にも活発とは言えない歴史「認識」の流れ、イデオロギー色が強いとはいえ、それなりに日本の加害者性が認識されてきたところに今回の教科書騒動。こんな具合で、もし、日本が歴史を「清算」するため、中国や韓国(と北朝鮮)等とチームを組んで、戦争中なにがあったか徹底的に調査し発掘し認証する… なあんてことにでもなれば、国を挙げての大騒ぎになるんじゃなかろうか(チームを組んで云々、というのは実際にある動きではなく、私の空想、いや願望です)。
最後の「その苦い味をわたしの口から拭い去ることはできなかった」には、複雑な感情を抱いた。おそらくヴィクは、今まで自分が全精力をささげてきたフェミニズム運動が、予想以上の反対にあって考えたほどの成果を上げていないこと、一筋縄ではいかない女性(子供)差別、そして当の女性自身が、反動派に賛同していること… などに、苦みを感じたのではないだろうか。
なにかを主張すれば、必ず反発するものが現れる。たとえそれが、どんなに崇高で、誰にとっても真実である、と確信したとしても。
40歳を超えたヴィクは、30代の時のように「猪突猛進」というわけにはいかないようだ。かわりに、やや弱気で、逡巡しているような姿が目につく。しかし、だからこそヴィクがよけい好きになる。人間的に苦しみ、成長していくヴィクを描くのは大変だと思うが、やはり次の作品を期待してしまう。ヴィクと肩を組んで、信頼される友人となりたい。この作品を読んで、ますますその気が強くなった。
1997年12月
谷澤 美恵
久しぶりのヴィクとの再会。思ってた以上にうれしかったです。もう私は、ヴィクの相変わらずの威勢のよさに、ニヤニヤしながら読みました。やっぱりカッコいいよ、この人は。
短編だけど、短編特有の物足りなさみたいなものはあまり感じなかったです。何より、ヴィクが生き生きしてるように思いました。今までのいくつかの短編は、なんとなく窮屈そうな感じだったので…。40歳を前にしたブルーな気持ちは、40歳になってふっ飛んだみたいですね。
バーネットは吐き気がするぐらいイヤな奴だけど、もっとイヤなのは殺されたライザ・マコーリーの母親。娘がパンツをはくのを嫌がるという事が、彼女がどんな母親であるかをよく表してると思います。女の子はパンツなんてはくもんじゃありません、女の子らしくスカートをはきなさい、なんて言ってたんじゃないでしょうか。
真実がわかって、自分が娘にした事の残酷さに彼女が気づいて後悔したかどうか…それが気になるところだけど、バーネットの番組のファンたちと同じ様に思ったかもしれないなあ、と思うとやりきれない。まあ、そこまで書かれていないので、あくまでも私個人の想像ですけど。それから、このファンたちにも本当に愕然とします。でも、それに対して怒りを覚えるというよりも、こういう人たちっていくら言っても解らないからしょうがないよね、っていうあきらめの気持ちの方が強い。最近、怒りのエネルギーが不足してるのかなあ…。ライザ・マコーリーの売名作戦もほめられたこじゃないけど、こども時代に受けた傷の深さを思うと、非難する気にはなれないです。
ヴィク・シリーズはいつもそうだけど、今回もまた「苦さ」や「重さ」を読後に味わわせてもらいました。サラ・パレツキーという人は、物語の中で浮かび上ってきた問題の解決方法を提示して見せるのではなく、読者に「あなたはこれをどう思う?」という疑問を投げかけているんだな、とあらためて思います。ますます新作が早く読みたくなっちゃった。でも、待つ時間もまたたのし…。ゆっくり、楽しみにして待ちたいですね
1997年12月
吉岡 縁
おもしろかったです。でも短編だったので活躍場面が少ないような気がして、寂しいです。読み進むのはとても楽しかったのですが、終わりが近づくにつれてあぁっ!と 思ってしまいました。やっぱり早く、長編の新作が読みたいですね。
私はどうも性犯罪って好きになれません。(あたりまえか)そんなことをする、その心理をどう理解すればいいんでしょうか。あと日本では、中絶問題ってあまり問題視されませんよね。タブーだから話題にならないのか、宗教観の違いなのかなぜなんでしょう。
大統領選挙の時ニュースで中絶肯定派だから当選はどうとかいっているのを聞いてなんでなんやろ? と不思議に思っていました。よくヴィクの本の中にも取り上げられているので、そんなに真剣にならなあかんものなんかなぁ、と漠然と考えたりもしました。私としては、肯定派です。“赤ん坊殺し”とか言われるとむっちゃ良心いたむけど、でも産むのってとてつもないエネルギーのいることなんです。10ヶ月も共生せなあかんし、ただ産んだら産んだで、一人立ちまでは結構時間いるし、母親になる人が納得しとらんと、とてもじゃないけど我慢できんことやと思うんです。
はっきりいって、親が納得できてないのに産んでもらっても子供は困るだけです。幼児虐待ってそういうとこからも発生するんじゃないでしょうか。仏教の教えというか宗教ノンポリの日本人だからか、今回この世に産んでやれなくても、きっと巡ってくるときが来たら、必ず産んでそして前の分までうんと幸せにしてあげたい、と思います。
なんといっても産む当事者は女なんだから、傍観者の男の方々に難癖つけられたくないね。というところが本音ですかね。
1997年12月
土谷 哲子
Vicの短編読みました。今の私には長編はちょっとHeavyなので、ちょうど良い、久々のVicの作品でした。
最近、小説というものをあまり読んでなかったなーと思いつつ読んで、「気にいらない人間(というか嫌な奴)に対しての理性を保とうとしつつも、つい出てしまうストレートな物言いとかは健在でいいなー」と思い、自分よりも大きな力を持つものに挑んでいる姿勢も、毎度のことながらうれしかったです。
ただ、私個人としては「やっぱり誰が殺されないと探偵小説は成り立たへんのかなー」って思っています。「あ、この人が殺されて、犯人はこの人で」って話が見えてしまったので。もちろんその動機をつきつめていくところが、Vic作品の良さでもあるのですが…。
社会の問題を絡めつつも、もっと痛快感を読んだあとに味わえるものを、私は求めてました。短編でちょうどいいと思いつつも、やっぱり長編を求める気持ちがあるんかな?
1997年12月
下岡加代子
まず、ヴィクが変らず精力的に活躍してて、毒舌にもさらに磨きがかかってるのを知って、嬉しかった!
彼女の普段の仕事は私には理解不能だろうから(金融関係の事件なんて、ねぇ…)、その他の分野で係った事件についてこうやって時々知らせてもらえると、ヴィクも元気でがんばってんねんな、と嬉しくなります。しかし最近はなかなか知らせてもらえない…、まぁ、仕事のほうが忙しかったんでしょうね。カネの取れる仕事を中心にやってもらわないと、生計のほうが心配。だいたいが自転車操業もいいとこなんですからね。
このごろは破れフェンスを乗り越えたり、引き摺られたりする回数もかなり減ってるだろうから、治療費やシルクの服代も以前ほどはかからなくなってるだろうと思うけど。そのかわりシャンパンをぶっかけられたりして、クリーニング代は急増してたりして。ま、以前ならクリーニングせず捨ててましたから、多少はマシでしょうか。
「売名作戦」、こんな短い話にするにはもったいない内容の事件だと思うんですが、ヴィクの仕事がつまってて忙しいのかな? それじゃ仕方ないですが、私の感想をいくつか書いてみます。
まず、ライザ・マコーリーのアイデンティティというか、ものの考え方の成り立ちについて。彼女が幼いころに経験したことが、現在の彼女の主張にどうやって結びつくのか、よく解りません。普通に考えたら、ライザこそ「フェミュニスト」になりそうな気がするんですが…。
彼女の「夜をとりもどせ」や「殺人の鐘がなる」を読んでみたい。フェミニスト・パッシングを擁護する女性の考え方を知りたいです。これは私の勉強不足でもあるんですが、できればこの話、長編にしてもらって、そのへんのことも教えてほしかったなぁ。キリスト教右派の考え方もよく知らないし(単にむちゃくちゃ「保守的」というくらいのイメージしかない)。こうなるとアメリカ社会の根底にあるキリスト教哲学を一から勉強しないとダメでしょうけど…理解できても賛成できないですが。だいたい私、浄土真宗徒やし。
それから、アメリカではほんとにマスコミに特定の宗教的・政治的主張のある番組が多いんですね。大統領選挙の選挙活動なんかでもすごいですが、日本では考えられない。例えば自民党のTVCMなんて見たことない(電信柱の破れたポスターくらいかな?)。せいぜい政治討論くらいですね。企業も宗教的・政治的イメージがつくのを避けるだろうから、そういう番組を企画したとしてもスポンサーがつかないんでしょうし……「皇室アルバム」のスポンサーはどこか知りませんが、まぁ、企業にとっちゃあ安全牌でしょう。民主主義の身の付きかた自体が日本とアメリカとでは違うことの現れでしょうが……しかし、リベラリストを攻撃できるのも民主主義のお陰じゃないんだろうか(妙な言い方ですが)。
と、解ってる人から見たら「アホか」と思われそうなことばっかり書いてますが、すいません。
ヴィクのを読んだらいつも、勉強せんとあかんなぁ、と思うんですが、ねぇ…。最近仕事上の悩みが多いんですが、どんな仕事でも、何をするにしても、自分の雑務に追われてなかなか余裕はありませんが、どうにか時間をつくって、自分の信念を育てていきたいと思います。これこそまさにライフワークなんでしょうね。久しぶりにヴィクの現在を知って、改めてそう思いました。
1997年12月
大藏まきこ
アメリカにホームスティした知人から聞いた、妻が堂々として夫が甲斐甲斐しいカップルが多いとの話に、アメリカは進んでいると感心していたのだが、やはり国自体が進んでいるという訳ではなさそうだ。
「売名作戦」を読むと、反フェミニズムをかかげる保守勢力が、いかに一般受けしているかうかがえる。以前「バックラッシュ―逆襲される女たち」(スーザン・ファルーディ 新潮社)を読んだ時、フェミニズムをつぶそうとする勢力の巧妙さ、強固さに驚いたのだが、サラ・パレツキーはこの風潮にがまんがならなかったのだろう。
叩かれているから叩きかえすという事かもしれないが、反フェミニズムは悪者であり病気ですらあるというメッセージが露骨すぎ、ミステリー性は軽んじられている気がする。私にはストーリーが報復的に感じられる。それよりも、前作では『TUNNEL VISION』をやっとくぐり抜けたのだから、新たな視野で大らかに生きてヴィクを描いてほしかった。
しかしながら、認知すらされてない日本のレベルでは想像もつかないのだが、フェミニズム叩きは心からどうしても拭い去れないほど苦い味なのだろうか……
1997年12月