VIC FAN CLUB
MYSTERY


女性探偵たち、
スカーペッタとヴィクとキンジー

岡田 春生
Haruo Okada

『女には向かない職業』(P・D・ジェイムズ)と言われながら1980年代に女の名探偵が次々に誕生して「女の時代」といわれ、「4F」著者、訳者、主人公、読者が女性で占めるようになったようだ。それもマープルおばあさんのように田舎に隠棲していて、たまたま事件に巡りあわせ推理で真犯人をあげる、そんなのではなくて、職業として探偵の仕事をこなして、生計をたてていく。仕事の上では男子に伍して一歩も譲らず、女の弱点の腕力の点でも、空手をやり、拳銃を練習して、犯人を射殺する勇ましい働きをする。まったく愉快な名探偵の続出である。

 また遅れて登場したパトリシア・コーンウェルの女検屍官ケイ・スカーペッタのシリーズに到っては、日本でも92年に翻訳された第1作『検屍官』は実に80万部出たとか、続く『証拠死体』は46万部、『遺留品』は43万部という講談社文庫の中でも突出した売れ行きであるとのことである(『VFC通信』97年8月号より)。出版社でも営業政策のためか、もう翻訳済みの作品もなかなか出版しない。
 パトリシア・コーンウェルの「女検屍局長ケイ・スカーペッタ」とサラ・パレツキーの「私立探偵ヴィク・ウォーショースキー」。そして、スー・グラフトンの「私立探偵キンジー・ミルホーン」を三羽烏とでも呼ぼうか。活躍の舞台はスカーペッタは東部のバージニア州やニューヨークであり、ウォーショースキーは中部のシカゴ周辺である。そしてミルホーンは西海岸のロサンジェルスの近くの海岸に面した小都市、サンタ・テレサ(架空)が縄張りでひろく東部、中部、西部となわばりを分けて全アメリカをおおっているのも面白い。

 しかもミルホーンが『アリバイのA』で世に出た1982年に、ヴィク探偵も世に出た、いわば同期生である。しかもこの二人は性格も活動も全く対照的である。筆者はヴィク探偵に傾倒したあまり、スー・グラフトンの「キンジー・ミルホーン・シリーズ」の12冊も読んでしまった。やはりスケールが違う。ヴィクは「社会派」とでもいうかはじめは「人捜し」などの小さなことから出発して、次第に社会的背景が現れてきて、結局大企業の不正をあばき、傷だらけになりながら弱いものを守り、壮絶な闘いを展開する。その辺はまさに「ネオ・ハードボイルド」といえるかもしれない。
 しかしキンジー探偵は医者でいえば往診して廻る田舎の開業医で、どことなく市原悦子の派出婦探偵に似ている。「台所から今日わ」式に家庭に入り込んで、皿洗いや掃除などしながら、クライアントの信頼を得る。なるべく目立たないようにして、警察とも摩擦なく、警察のやり残しを補い、功績は警察に帰する態度である。私立探偵を嫌うコン・ドーラン警部補は彼女を強引におとり捜査に巻き込んで働かせて(殺人のH)報酬を出さなかったりするが、一方、彼女を保険金詐欺にまきこむために、証拠として勝手に彼女の銀行口座に入れられた5千ドルの処置について、事件解決後、どうしたらよいかとの相談をうけて「口をつぐんで黙っていろ」と答えるなど、優しさを示している。(証拠のE)
 それに対してヴィク探偵は、死んだ父の親友であったマロリー警部補がかばってくれるのをよいことに、マロリーをからかい、おちょくって激怒させて楽しむ。そして警察と対立していつも鼻をあかす。警察も彼女には一目も二目も置き、上院議員とも地域のギャングの大ボスとも対等でやりあう点は、ちょっとした地域の名士である。(バースデイ・ブルー)
 しかしケイ・スカーペッタに到っては、高級官僚として、少しも隙のない態度である。しかし本人の謙虚な振る舞いの中に光る資質は、見る人を感心させ、味方も増えている。上司の男性のセクハラをうけつつ、それに耐えて、潜りぬけながら難しい事件を解決して、着々と信用を築いていく。彼女の盟友マリーノ警部は言う。「女の友達はあんただけだ。でもあんたはどっちかというと男みたいだからな」「あらま、それはどうも」「あんたとは男と話すように話ができる。あんたは自分がなにをやってるかわかってるしな。あんたがここまで来たのは女だからじゃない。…あんたはむしろ女なのにここまできたんだ」(私刑)

 3人に共通なのは独身で子供が無く離婚歴が(キンジーは2度)あることである。そして新しい分野の仕事で、3人とも、外部の暴力に対しては、身をまもることを心がけ、拳銃の練習をおこたらない。ヴィクは空手の黒帯であるが、キンジーの場合はなぐられて鼻の骨を2度も折っており、また左腕を撃たれて骨折もしている。
これらの小説をとおして、アメリカでは未だに人種差別があり、また女性にたいする差別も相当あることが感じられた。

 3人の女傑の中でもっとも慎ましく地味で謙虚なのが、キンジー・ミルホーンである。警察に対しても協力的で、正直で敏腕との信頼を得ている。彼女は5歳で事故で父母をうしない、独身の叔母に育てられた。叔母は生涯を独身で通し、子供もつくらなかった。そして姪に自分の哲学による女性像をたたきこもうとした。8歳から自分のオートマチック拳銃の撃ち方を教え、なによりも経済的自立を心掛がけ、まちがっても誰かに、ことに男に経済的に依存してはならない。手に職をつけて、自力で生きなければならないと彼女に叩きこんだ。(騙しのD)
 冠婚葬祭用のドレスは1枚しか持たず、食事も簡単で、化粧はせず、貯金に励み、口は固く秘密は厳守する。キンジー・ミルホーンは年齢33、離婚歴2回、20歳で警察学校卒業、サンタ・テレサ警察に配属。しかし理想と食い違った警察の規制の煩わしさ、男子警官のセクハラ、そして薄給がいやになって、私立探偵事務所を開いた。それから5年、どうやらぼちぼちと生計をたてている。勤勉に情報を記録し整理して、又忍耐力を養い、張り込みも禅の瞑想で悟りを得るつもりでやっている。すごくストイックである。化粧はしないが外出の前に脛の毛を剃ったりする。
 天涯孤独を身上とする身で、のちに10冊目の『裁きのJ』で従姉妹が2、3人いることがわかるが、付きあわず1間のアパートを借りてくらしている。家主は元パン屋をして、今でも少量の美味のパンを焼き、またクロスワード・パズルを作る趣味がある。81歳だけど、温厚な人柄は、孤独のキンジーからは父とも恋人とも慕われている。キンジーの場合は古典的な探偵の手法で、周囲の聞き込みから、次第に情報を収集し、それをコツコツと記録し整理して、壁に配列して、繰り返し眺めて解決のヒントを得ようとする。パッとしないが、丁度、小料理屋で一品料理を味わいながらチビチビ飲むような楽しみがあり、その人の好みでファンも増えるのであろう。
 しかし一作ごとに腕をあげていき、『無実のI』などは絶賛をかい、最近作の『無法のL』などは全米でベストセラーの第一位となったという。早川書房はこの本から、いままでのミステリー文庫刊をハヤカワ・ノベルス刊に切り換え、先の『バースデイ・ブルー』同様にハードカバーにして、そのために650円から1,700円になった。

 ウォーショースキーはハードボイルド探偵の後継者といわれるが、キンジー探偵はヴィク探偵のような壮絶さ、痛快さはなく、家庭的・箱庭的であるが、しかし最後は大抵、拳銃戦となり自分も手負いとなりつつ、最後に相手を射殺する。殺した数では第一である。ヴィク探偵は殴られ、汚水の川に投げこまれ、自宅も放火され、満身創痍であるがキンジー探偵は爆弾で2度、吹っ飛ばされ、アパートも吹き飛ばされる。この辺のところはキンジー探偵もハードボイルドといえよう。
 しかもロス・マクドナルドやチャンドラーらの先輩の持つ、虚無的な味、地獄の蓋が開いて、奈落の底が見え、怪獣が首をもたげるような、また3代にわたって遡る因果の報いなどのゾッとする味は、女流三傑の中で、キンジー探偵が一番持っているようだ。「深海の底の堆積物は、光がまったく射さないために鈍い灰色に輝き、石のようにずっと動かぬ宝物がところどころに散らばっているに違いない。時は真実を覆い、下に平原や谷が横たわることを示す痕跡を、表面には何ひとつ残さない。現在ですら、6年前に起きた殺人の真実を探ろうとしても、多くの事実が覆い隠されている。わたしは現在という海岸で、荒石みたいに洗い流された人口遺物を集めなくてはならず、手の届かない所にあって、発見できない宝物のことを気にかけていた。」(無実のI)
 また、「水のように、われわれの感情は割れ目や裂け目からこぼれ落ち、困窮や無視といった小さなポケットを捜し出し、われわれの人格のかすかな亀裂は、たいていは人目につかないように隠されている。心の底の暗いよどみに用心しろ、冷たく暗い底に潜む、奇妙でねじれた怪物は、静かに眠らせておいたほうがよい。今回の調査によってまたしてもきづいたのは、よどんだ水に手を突っ込んだために、そこにうごめく捕食動物にわが身をさらしているという事実だった。」(無実のI)
 なかなかの名文である。今後の「おさんどん」型探偵の活躍を期待する。

1996年7月

本の表紙(上から)
パトリシア・コーンウエル
『接触』講談社文庫
スー・グラフトン
『証拠のE』ハヤカワ文庫
サラ・パレツキー
『バースディ・ブルー』早川書房


   
VIC FAN CLUB:MYSTERY