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ESSAY


 1回目

2人の出会い

竹内ひろみ


 1989年5月17日。四ツ橋は、厚生年金会館のそばに小さなカレー屋がオープンした。大きな通りからはずれたその店は、開店から11年経った今も潰れることもなくちゃんと存在している。開店当初の「5年経ったらスッパリとやめて、違うことをしよう。5年ごとに全然違うことをはじめようよ、おもしろいやん」という店主の目論みにも屈することなく、どうも皆の隠れ家的な空間として生き続けてきたようだ。
 その小さなカレー屋「ラクシュミ」は、実は私と友人の高原和子さん(以後カズちゃん)とで始めたお店なのだ。何か「細腕繁昌記」のようなものを、という話しが舞い込んで、今回の運びとなったわけだが、とりあえずは私とカズちゃんとの出会いあたりからはじめようと思う。

 はじめて彼女と会ったのは、なんとこの時にことはすでに動き出していたのかもしれないのだが、20年程前の9月。彼女は旦那と2人、インドの長旅から帰国したばかりだった。私の旦那と彼女の旦那とは、高校時代の悪友。年が明けて、2人が我が家に泊まりに来た時には、もうカズちゃんのお腹は大きかった。当時、私の旦那には定職がなく、カズちゃんの旦那にも同じく定職はなかった。学生気分の延長線でへらへらしていた私たちのなかで、大きなお腹でドーンと構えた彼女はとても魅力的で、頼もしかった。私の、ここ一番という時にカズちゃんに頼るくせはこの時から始ったようだ。
 そして、その年の春に彼女は女の子を出産し、その2年後には離婚した。私はカズちゃんの離婚届けの保証人になった。会社の昼やすみに待ち合わせ場所に出向くと、彼女は颯爽と自転車でやって来て、天満橋の橋の上で私は保証人の欄に署名しハンを押した。「ありがとう」と言って、笑顔で去って行く彼女はやっぱり頼もしくカッコよかった。その後、30才を目前にして今度は私が離婚することになった。勿論、お返しに今度はカズちゃんに離婚届にハンを押してもらい、ついでに私の引っ越しにも引っ張りまわした。

 こうして、私たちを引き合わせた男どもはさっさと現場から立ち去り、女2人が残ったのだ。自由の身となった私たちはさっさと仕事をやめて、どこかに旅に出ようと目論んだ。行く先はカズちゃんの一言、「もう1回、インド・ネパールへ行きたいねん」で決まり。浮かれ気分の私たちは仲良く「ネパール語教室」なるところへも通いはじめた。私とカズちゃんと小学校入学を翌年の春に控えたカズちゃんの娘と、そしてもう1人この旅行に加わったのが、当時人生の帰路に立って思い悩んでいた女友達「タッチャン」。30才過ぎてプー太郎となった女3人の、子供も巻き込んでの珍道中。1986年12月、それぞれの思いを胸に、帰ってきても仕事が無い状態でインド・ネパールへ向かおうとしていた。


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