読書の楽しみ 7
喜多篤子
ハリー・ボッシュはどうして生きていけるのだろう?しかも、どうして刑事という仕事をあんなにも真っ正直に続けられるのだろう?虚しくはないのか、寂しくはないのか、辛くはないのか、悲しくはないのかとハリー・ボッシュシリーズを読むといつも考えてしまうことです。
ハリー・ボッシュ、本名ヒエロニムス・ボッシュと16世紀の画家の名前を母がつけてくれた、ボッシュは、少年の頃に娼婦ではあったけれどボッシュを慈しみ深い愛情で育ててくれた母を殺され、ベトナム戦争に従軍し帰還した後で、母を殺した犯人を捕まえたいという目的もあったのでしょう、ロスアンジェルス市警に職を求めます。パトロール警官、刑事そしてエリートの本部強盗殺人課の刑事となり、左遷され現在はハリウッド署の殺人課の刑事です。「シティ・オブ・ボーンズ」はハリー・ボッシュシリーズの長編8作目になり、前作までに生い立ち、母の死、ベトナム戦争、父との出会いと別れ、母の死の真相、運命の女エレノア・ウイッシュとの出会いと別れ、そして刑事として市警との軋轢、自己の葛藤などが、虐待や連続殺人など悲惨で重い事件を解決しながら語られています。
今回の作品、「シティ・オブ・ボーンズ」というタイトルはカタカナで見てもぴんと来ず、読み始めるまでは私に何の意味をもたらしませんでした。読み始めるとすぐに事件が発覚します。それは骨が発見されたことでした。ここでやっとボーンズ、bones、骨の街だとタイトルが意味を持ってきたように感じます。発見された骨は虐待の跡が残る20年も前に埋められた少年の骨。読み進むうちにその骨、そしてそれが物語るその短い悲惨な少年の生涯が常に文字の背後に読み取れるような気がしてきて、読んでいる間中悲しい気持ちにさせられます。それはボッシュの心にもとりついてしまって、そんな古い事件を簡単に納めたいロスアンジェルス市警の思惑に相変わらず反してボッシュは解決に躍起となります。最後にわかる犯人は被害者少年の持つスケートボードがほしいだけのために、友人であり、虐待されていた悲惨な生活を自分の力で抜け出そうとした少年を殺したのでした。
事件の発覚から、一度被害者の友人として捜査線上に浮かびながら犯人ではないとし、再び犯人と知るまでには、被害者の他に二人の人間が命を亡くしてしまいます。一つの命はボッシュにとっても個人的に大切な大切な命でした。そんな辛い捜査のなかで、ボッシュは前作まで、うまくやってきたパートナーのエドガ−や上司のビレッツとも次第に距離を置くようになり、結局捜査そのものもひとりで進めてしまいます。孤独を深めていくようです。最後にはボッシュがひとりで犯人を突き止めるのですが、その犯人もまた、司法の裁きを受けるのではなく、警官殺しの仇討ちのように殺されてしまいます。市警の方針に逆らって事件を解決したボッシュに何故か、本部長の目の届くところに置きたいのか、市警は本部強盗殺人課への辞令を、昇進の辞令を出します。しかしボッシュの結論は・・・
ここは書かないでおきましょう。
これまでにも、警察、司法の裁きではなく、私刑のような、神の裁きのような形で悪が罰を受けたような決着がありました。それでも、警察という組織の中で、悪を憎み、憑かれたように正義、真実を求めてきたボッシュがここでこのような結論を出すのはもう避けられないことなのでしょう。
いつものように、辛く、重いボッシュストーリーなのですが、そんな中で、恋するボッシュの可愛いところが救いです。エレノアにしてもその他の恋人にしても意外とボッシュは惚れっぽく、すぐに一生懸命になってしまうところが、本当に可愛く、素敵です。
母の深い愛情を受けて育ったボッシュ、でも家庭には恵まれなかったボッシュ、ベトナムで悲惨な戦争を経験してきたボッシュは、深く人を愛せる人、男なのです。だからこそ愛する女性だけでなく、弱き者、不当に虐げられた者の側に立って、真実、正義を愚直なまでに、真っ正直に追い求めるのでしょう。だからこそ、これまで、辛くとも悲しくとも刑事として真剣に生きてきたのでしょう。
それにしても、アメリカの警官、刑事や検事は、言葉に、行動に、方法に、視線に、声にと、とにかくすべてに効果的に見せるように、そして、「ケーキに髪の毛を入れない」=台無しにしないように、いつも神経を尖らせているのでしょうか?アメリカで有能で、正義のある警官、刑事であるということは本当に大変な事だと思います。それは日本でもどこでも同じなのかもしれませんが実情はわかりません。おまわりさんを見ていてもあんまり緊張感は感じられないし、なかなか実際に刑事さんには接することはありませんし、あったら大変な事かもしれませんが・・・。ボッシュシリーズだけでなく、ヴィクシリーズを読んでいても、自分があまりにのんびりと何も警戒せずに生活していると思ってしまうことが多々あります。平和ボケ、安穏ボケ、正義は行われるものだというボケでしょうか・・・。平和、安穏の中に納まるのではなく、常になされてあるべき正義を当てにはできない時、現在に、それらを守るために掴み取るために自立的に関わって生きていくのが、ボッシュであり、ヴィクなのでしょう。平和と思っていても昨今それがいつ崩れるかわかりません、ボケてしまっている私にボッシュもヴィクも緊張感を与えてくれ、ソフトボイルドな卵を更にぐちゃぐちゃにしないようにと叱咤激励してくれているようです。
ボッシュシリーズはまだ続くということですが、次回からはどんな展開になるのか待ち遠しいです。暗くて落ち込んでしまう時もありますが、ジャズが好きで、煙草は止めようとしていて、好きな女性にはメロメロで、寡黙で、もう52歳というボッシュはなかなか渋くて素敵でまた読みたくなります。私はボッシュのほかにはキズミン・ライダーが好きなのでこれからも登場してほしいと期待してます。
2004年2月