Chissarossa の I LOVE CINEMA 31
〈ハロ〜〜〜!拙者は大興奮の中〜〉
ラッキーなことに、今回も第76回アカデミー賞を見ながらお届けです!このアカデミー賞授賞式、例年は3月の末なんですが、9.11以来、アカデミーと言えどもその影響を受けざるをえない状況(エリア・カザンや、チャップリンの時の様に、映画界に政治が介入するなどもっての他だとは思いますが!)で、殆ど一ヶ月も早い開催。しかし、昨年などは観客無し、それを思えば、今年は華やかで映画の祭典らしい風景でした。それに・・・あの、ショーン・ペンが・・・いつもウディ・アレンばりに、絶対に出ない・・・出席しとりました!!前回お届けした「ミスティック・リバー」にて見事、主演男優賞をゲット。ショーンは、その言葉からも、余程クリント・イーストウッドという人物が気に入った様です。賞こそ逃しましたが、アンチヒーローのダーティー・ハリーは、押しも押されぬ大御所監督になりました。ま、ごめんね、今年は相手が何と言っても【ロード・オブ・ザ・リング】、巨大にして完璧・・・クリント、間が悪かったわね、あなたの映画は、賞を取るにはいささか小品過ぎました・・・主演も助演も男優陣は、見事に賞をゲットした事だし、充分世に認められたってコトで・・今後の、あなたさまの、益々の御活躍を期待致します。
〈さあ、始めよ〜ロード・オブ・ザ・リングへゴー!〉
もうワクワクどきどき惚れ惚れ!製作、撮影に7年、市場に出ては3年掛りの映画賞を経て、ようやくこの映画について語る日がやって参りました。もう、語れるという事だけで拙者は涙でござい〜〜〜はあ、今回は何千文字と相成る事やら・・・おき合いの程もよろしゅうにお願い奉りまする〜
〈先ずは真面目に物語の解説なんぞを・・・〉
あまりに超大作で、一体どこから取りかかれば良いのやら・・・と、観客側としても、語るにしろ、書くにしろ、茫然としてしまう。まず、この映画を語る前に、この映画がいかに突出した傑作であるかを説明するためには原作の説明を少ししなければならない。
THE LORD OF THE RING〜ロード・オブ・ザ・リング〜(以下、世間並みにここではLOTRと省略)はJ.R.R.トールキン作「指輪物語」(邦題名)文庫本サイズで9巻、単行本サイズで7巻の代物。全体が3部に分かれており、第1部「旅の仲間たち」、第2部「二つの塔」、第3部「王の帰還」となっている。今や“ホビット”や“エルフ”等など、ファンタジーというより神話として語られるトールキンの「指輪物語」だが、実はこの本が世に出たのは、わずか50年程前の事、日本に紹介されたのなんぞは30年程前の話である。
トールキンはイギリスの神話を作る事こそ自らの使命・・・と、この物語を作ったが、その使命は見事に果たされていると言えよう。この本と共に育って来たわたくしと同じ世代の人々、またその前後の世代の人々は、とくにこの影響は大きいと思われる、それが証拠は、巷で流行りのテレビゲームのストーリーは、全てこの「指輪物語」といっても過言ないほど、この物語のパターンが使い尽くされている有り様だからである。
「指輪物語」には“指輪物語を読み解くための辞書”まで登場する程。その世界は現実的な設定ではないので、ファンタジー=空想物語という分野に分類される。神話故のファンタジーの必要性であるが、作品のテーマは、「人は常に自然とともにある」という宗教さえ依存する事の無い人間の意志であり、悪と善の対決はより際立ち、混沌の中からついぞ意志を持って善を執り行うは成熟度の高い人の英知、人の地に足つく高潔なる友情と勇気であって、科学や技術革新でも魔法=神話ではないのだという、想像する事で現実の中にある真実をことさらに照射する事に成功している。この原理は、ファンタジーに特異な事では無く、質の高いドラマというものに不可欠なものなのであろう。
〈・・・とまあ、云々申したが・・・〉
原作がファンタジー、つまり想像の産物であるところのモノ達を如何に“現実の”画像に写し出すか?が再大課題となる。世界中のトールキン信望者達が、何とか映像化したいと熱望して、何度も何度も映像化して来たけれど、結局アニメーションでしか作れなかった・・・だって、ホビットは、身長せいぜい140センチで、足デカで、足の裏には毛が生えていて・・・だし、エルフは地面を滑る様に歩くし、光に包まれた精霊そのもの・・・だし、ガンダルフは要は魔法使いなんだし、オークってなに?オバケ?怪物?・・・だし、エントって結局、木のオバケ?なんなの?だし、指輪をはめリゃ姿が消えるんだけど(これが物語の中でとっても重要!なのよ〜)はめてる間の指輪をはめた本人の感じをどうやってあらわすの〜?なんて問題山積・・・頭ぐるぐるぅ〜〜〜!想像が好きったって限度があるでしょう・・て言うくらい想像の山々で倒れちゃう。
それで!極め付けは先ほどから何回か申し上げている様に、物語事体が非常になが〜〜〜くて構造も難解。トールキンはオックスフォードの言語学者故に、言葉の設定からして凝りに凝ってるし(モルドール語にエルフ語に始まり他にも言語多数)、シェークスピアに代表されるイギリス文学独特の言い回しや装飾も曲者・・・と、今まで作られて来た映像物なんて子どもの漫画よ〜〜〜ぐらいにしかならなくて、作らない方が夢を壊されなくてマシやん!・・・という世界中のトールキンファンからの総スカンを食らってきたわけである。
つまり、この「指輪物語」は映像化不可能!!という御墨付きを貰って来たのだが、果敢にも、ピーター・ジャクソン監督は、このような映像界の禁断の実をもぎ取り、20世紀の神話を見事に映像化、大成功!!〜〜〜ピーター、あなたってなんてステキなの!あい・らぶ・ゆー〜〜〜〜その結果は、過去3年間に渡り、漏れなくゴールデングローブ、アカデミー賞にノミネートされ、受賞し、第三部の「王の帰還」にてゴールデングローブ賞、アカデミー賞を史上最多部門受賞した事に現れている。ここでま
たその実力を顕著に語るのは、双方共に演技部門でノミネートさえ誰もされていないことは、かえってストーリーテーイリングの巨大さを証明し、双方共に作品賞、監督賞を受賞していると言う事が前代未聞、更に、巷に溢れる、一つ作って調子が良かったので続編を作ったものとは違い、三部に分かれているものの、それはあまりに長篇なので分けざるを得なく、始めから一つの作品として三部を3年掛りで上映して行くというプロジェクトそのものが映画界での前代未聞の勇気ある挑戦、映画界の方向性さえ変えるきっかけを作ってしまったこの映画の突出した実力を証明し、今後10年間は、このLOTRに張り合うものさえ出ないであろうと言わしめる所以である。
〈お待たせ致しました〜やっとここから具合的に・・・〉
第1部「旅の仲間たち」
ホビット庄にてビルボ・バギンズ(イアン・ホルム)の111才の誕生日パーティーが催された。パーティーの最中、さらなる旅立ちを決めていたビルボは、不思議の指輪をはめて姿を消した。ビルボの旧友魔法使いのガンダルフ(イアン・マッケラン)は懸念を抱きビルボに指輪を養子のフロド(イライジャ・ウッド)に残す様に諭し、指輪の秘密を解くために旅立つ。フロドの元へ旅から戻ったガンダルフが指輪を火に投げ込むと文字が浮き上がる・・・それは、闇の瞑王サウロンの指輪だった!
〜一つの指輪はすべてを統べ、一つの指輪はすべてを見つけ、
一つの指輪はすべてを捕らえ、闇の中につなぎ止める〜
フロドは庭師のサム(ショーン・アスティン)と親戚で友人のメリー(ドミニク・モナハン)とピピン(ビリー・ボイド)も合流し、ブリー村へ・・・待ち合わせたガンダルフは来ず、黒の乗り手=ナズクルに追われ、さすらい人のレンジャー=アラゴルン=馳夫(ヴィーゴ・モーテンセン)に助けられ、エルフの国・リーベンデール(裂け谷)へ向かうも途中でフロドがナズクルに刺されるが、裂け谷エルフの王エルロンド(ヒューゴ・ウィービング)とその娘アルウェン(リヴ・タイラー)に助けられ、フロドはビルボ、ガンダルフ達と再開する事が出来る。
裂け谷ではエルロンドの呼び掛け、あらゆる種族の仲間で指輪の会議が開かれた。エルフ代表の闇の森の王子レゴラス(オーランド・ブルーム)、人間代表のゴンドール国執政官補佐ボロミア(ショーン・ビーン)、ドワーフ代表ギムリ(ジョン・リー=デイビス)とガンダルフ、フロド、メリー、ピピンは指輪をサウロンの住処モルドールの滅びの山へ破壊しに行く事になる。こうして旅の仲間達が結成されたのである。
旅はサウロンの部下となったサルマンの攻撃をうけ過酷を極める。モリアの坑道でガンダルフが倒れる。どうにかエルフの森、ロリアンヘ逃げ込み、ガラドリエル(ケイト・ブランシェット)に助けられるが、旅の仲間達にも亀裂が起きはじめる・・・
第2部「二つの塔」
旅の仲間達は二つの方向へと別れ別れになった。フロドとサムはモルドールへ。アラゴルン達は、オークに連れ去られたピピンとメリーを救い出すべくローハンへ。
フロドとサムはゴラム=スメアゴル=ごくりを道案内にモルドールの黒門へ向かうが、ゴンドールのボロミアの弟ファラミア(デヴィッド・ウェンハム)に捕まってしまう・・・・
ローハンでは蛇の舌グリマ(ブラット・ドゥーリフ)の策により、王のセオデン(バーナード・ヒル)はサルマン(クリスとファー・リー)に精神を乗っ取られていた。この世に息を吹き返したガンダルフとアラゴルン達はセオデンからサルマンを追い払い、サルマンのアイゼンガルドのオーク軍団との戦いに備える。一方、オークの手から逃れたメリーとピピンは、エントの木の髭に逢いこの戦いへの参戦を懇願するが・・・
いよいよホルム峡の戦いの火ぶたは切って落とされた!
第3部「王の帰還」
アラゴルン達はピピンとメリーと再開を果たすが、ピピンがパランティアの意志を覗き込んだことからサウロンの狙いがゴンドールに向けられている事を知り、ピピンとガンダルフはゴンドールへ向かう。
一方、フロド達は遂に黒門の梺に達し、モルドールへ入る秘密の階段に辿り着く。
ゴンドールでは、オークの1万を超える軍団とナズクル達が首都ミナスティリスを襲おうとしていた。ピピンの活躍でローハンへの援助を求めるのろしが上がり、セオデンはこの世を救うため、最後の力を振り絞ってゴンドールを救うべく立上がる・・・が、各方面の援軍を書き集めても兵力は足りない。エルロンドの指事と諭しにより、いよいよアラゴルンはレンジャーという立場を捨て、本来の姿であるゴンドールの王=統一人間界の王に戻り、山の民に援助を要請に死者の道へと向かう。それには、ギムリとレゴラスも一緒だった。
秘密の階段を上がる途中、指輪の魔力に蝕まれていたフロドはゴラムの嘘に翻弄され、腹心の友サムを置き去りにしてしまう。そうして、階段を上がったところにいたものは・・・シェロブ!!
フロドは滅びの山に辿り着けるのだろうか・・・
アラゴルン達は死者の道から無事に戻る事ができるのであろうか・・・
ガンダルフとピピンはミナスティリスを守れるのだろうか・・・
果てしない物語は、遂に完結に向かって走り始めるのである。
ハッキリ言って、あらすじを語るもの元が壮大過ぎて、もはやこれまで〜。上手く言い表わしようございません。だけど、物語を読んでから見るのも良いけど、その又逆も真なり・・・で、この映画を見て、物語を読もうという人口も増えた事でしょうし、映像を見た事により、あの独特な難解さ、辛気くささをクリア出来て、すんなり読書する事が出来るやもしれませんね。
〈そして最後の・・・まだ言うか〜〉
両手放しの誉めっぱなしだが、一部につき3時間半・・・これが息をもつかせぬ仕立ての良さで、長い時間とは思わせない・・・この長さでこの感覚とは誠に珍しい、だって通常は映画って2時間枠の感覚でしょ?名匠といわれる監督の映画には、難解さで長時間の結果という場合が多いが、質の高さとエンターテイメント性がかね備わって、長時間持たせるというのは誠に珍しいのだ。
それから。アカデミーにもゴールデングローブにもノミネートすらされなかったからといって、俳優陣達が不出来だったのでは無いことを明記しておこう。フロド=イライジャの表情は、悪と善の狭間で苦しみ、何とも言えず深い哀しみと当惑が見事に表されているし、サムのこれぞ本物の素朴なる賢い人よ(サムの正式名はサムワイズ・・・う〜〜ん、実に意味深)、朴訥な正直者の雰囲気、アラゴルンが回を追って見事に精悍になって行く様、ガンダルフの困惑なる表情はどれも全く見事であった。皆いずれも「目」の表情がとてもいい、“目は口程に物語る”そのものだ。ピーター・ジャクソン監督の意図でもあったのだろうが、常に「目」を中心にカメラワークがなされている・・・物語のキーワードがサウロンの「目」であったことを考えてみると、画面と演技の設定を、実に深い関係に作り上げている。
また、なによりこのファンタジーの難解さを平明にしてくれたのは、視覚効果技術である。ホビットの小ささを、何の違和感なく、あれ程みごとに表せたことがすべてにわたって物語の実感を増しているし、更に、細部にわたって、徹底した、まるでヴィスコンティが生きていたら喜びそうなくらい、CG頼みで無く、本物を使った現場での造り込みたるや見事、あっぱれ!中つ国とはこんな国だったんだ〜とまことしやかに、史実の再確認ような感覚にさせてくれる。
そしてそして。何がどうって文句のつけようもない・・・この水準が、見事に、3部共にぴったりそろえられているという事が「ワンダフル!」の、一言に尽きるのだ。
こんな凄い映画を見てないなんて・・・フルフル・・・人生の楽しみ捨ててるかもよ〜〜〜
2004年3月