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Chissarossa の I LOVE CINEMA 10

〜ハリウッドからのエール、SAMURAI〜

 感無量。もう胸が一杯。国粋党といわれても構わない。この映画に感動はもちろんだが、今回ばっかりは、「THE LAST SAMURAI」という映画を観ている日本人に感動!!真っ暗な映画館の中、あちらこちらからすすり泣きが聞こえて来るのである。わたくし、一瞬耳を疑ったが、まぎれもなく事実。歴史に興味がある人間ならなおさらだが、例えそうでなくても、この映画に写し出される、もう今はほとんど失われてしまった・・・といっていい程の美しく気高き日本人の姿に胸が詰まり、自然と涙する事であろう。2時間半というフィルムの長さが、殆ど一瞬に感じられる事にも驚いてしまう・・・・画面から迫る静寂で鋭利な気迫に引きずられっぱなし。映画が始まって、ひと息ついたと目を外して時計を確認したらば、そこで既に1時間半とは、本当に参った。(どこをどうすれば1時間半経過してるわけ?!その間、こちらは10分ぐらいの感覚しかない〜)
 その昔・・・20年程前だったか・・・「将軍」だとか10年前でも「コロンブス」だとか、確かに日本をメインにしたハリウッドの映画が存在した。ぶっ飛んだ勘違いなアメリカ人の日本にはもう恥ずかしいばかり〜というチンケな映画が出来上がるのが常であったが、確かに、今迄になく少ないにしては、日本にそんな森はありません〜ってなソノへんてこな風景や、日本ってアジアの中の日本なのね〜とばかりに感じさせるアジアが混同した設え、何で英語が喋れるんだ?オランダ語でしょ〜・・みたいに突っ込みたくなるというか、ここ迄美しい映画を作っておきながら、この変な手抜きは一体なんだ、泣くに泣けない勿体無さよ〜という部分は否めないにしても、そこに現される物語の中の真実には何の支障もない。大して立派である。
 キャスティングもいつもにありがちなハリウッド二番手の俳優・・・ではなくてどころか!これは正しく、ハリウッドでもトップひた走りのトム・クルーズが主役(ネイサン・オールグレン大尉)。相手役は渡辺謙(勝元)、真田広之(氏尾)、小雪(タカ)。トム・クルーズは華のある役者だが、渡辺謙も真田広之も小雪も全然見劣りしてない・・・見劣りする必要はない。そういうチャンスに恵まれていなかっただけで、彼らは世界にちゃんと通用する役者なのだ。それどころか、真田広之の立ち居振る舞い、剣さばきの綺麗な事!!世界中の皆さん、たんと御覧あれ〜〜〜!これぞ日本男児ぞ〜〜〜〜!!もし、真田が渡辺謙と同じぐらい上背があったらば、確実に勝元の役は真田がとった事だろう。この映画で、渡辺がアカデミー助演男優賞にノミネートされるとかなんとか噂も出ているが、うむ、真田なら確実と信じられるというもの・・・。トム・クルーズに「真田サンは恐い」と言わしめている彼こそは自分に厳しく、彼に武士道を感じるのは最もな事だと思われる。真田は「日本人が見ても恥ずかしくないように、一杯口をはさんだ」と言っている。気後れする事無くする、この努力が素敵ではないか。全部と言わぬが、かなりその努力が実って上質の映画になって良かった。また、最近の若手の女優陣で、こんなにまっとうに着物が着られている人も珍しくて、思わず嬉しくなる小雪も日本人のよき特徴=しっとり感が上手く出せている・・・いや、これはカメラがイイのか・・・・・だけど、ちゃんと上品だ。
 下手な日本の時代劇より、余程きちんと衣装もセットもリアリティーを持って作られている。監督のE・ズウィックは、御多分にもれず黒澤ファンだし、ハーバード大に通っていた頃は、何とあの駐日大使のライシャワー教授の教え子だったので、そりゃ日本の歴史に詳しいはず。日本の歴史の中でも安土桃山の戦国時代に明治維新は抜きん出て劇的で面白いって事も。
 撮影のジョン・ト−ルASCは才能の固まり。「シン・レッド・ライン」も「ブレイブ・ハート」も彼の作品です。たとえば、小雪の長所をこんなに美しく出させる人は、日本には居ないと思う。全て自然光にこだわったのも、”我が日本の美しさは、自然に由来する”という事を理解しているからだろう。カメラワークは戦闘シーンでは激しく動き揺れるし、人々の生活を映す場合には、自然光の中効果抜群にて深々としているし、その昔にペ−リ−来航の際、やって来たアメリカ人達に、「自然との調和がとれた、なんて美しい国だ!」と感嘆せしめたそのものを写し出してくれている、例えそこがロケーション地のオーストラリアだかでも・・・だ。ありがとうございますとお礼を言いたい位だ。
 衣装はあの超大作「ロード・オブ・ザ・リング」のナイラ・ディクソンで、凝っている事凝っている事〜素材と言い、色合といい、わたくし達なんかより、余程詳しいと思われる・・・絹等着る事の無い人々が日本のほとんどであったろうし、侍と言えど、その妻が糸を紡ぎ自ら手織りで着物の生地を織り仕立てていた方が普通のことだ。その慎ましやかで凛とした自給自足の様子が見事に再現されているし、こういうふうに研究して映像にする力(これだって嘗て小津や黒澤はちゃんと持っていたのよね)を、現在の日本のメディアの方々こそ見習って頂きたいものだ。
 音楽はハンス・ジマ−。「ライオン・キング」「グラディエータ−」「恋愛小説家」「シン・レッド・ライン」等々、もうアカデミー賞のご常連様でござーい〜〜〜〜〜その特徴は、映像が大きければ大きい程よく生かされていて、スローの動きによく合わせ、それによって返って切迫感と高揚感溢れ出る事である。彼の音楽は心に伸びやかで、戦いに向かってでさえ「さあ、行くぞ」という気分にさせてくれるのだ。元ザ・バグルスのバンド時代からは想像出来ぬ旋律の美しい音楽を紡ぐのだが、もうひとつの特徴として、一般的なクラッシック出身の人間ではなかなか思い付かないような、楽器の組み合わせの面白さにセンスが光り、わたくしのお気に入りだ。
 物語は、明治維新より数年経過した日本。南北戦争の経験を持つオールグレン大尉(T・クルーズ)は、政府軍を西洋式に近代化させるために高額給料で来日した。世界に認められるためにも、早急に近代化日本を作りたい政府=大村には、旧勢力である武士達の圧倒的指事を集める勝元(渡辺)が邪魔でならない・・・これは多分、大村=伊藤博文+大久保利道、勝元=河井継之助+西郷隆盛ってなところだろう・・・。明治天皇(中村匕之助)も勝元を信頼しつつも、世界の動向としては明らかに近代化をすすめるべきであると判っているし、そういう流れにもはや逆らえないでいる。廃刀令が出され髷を切られる・・・とは、武士の魂が切り捨てられて行くと言う事、その哀しみが切々と画面から伝わって来る。
 オールグレンが教育している民間人寄せ集め政府軍は、まだまだ軍にはなり切っていない。そんな時、大村から勝元討伐の命令が出る。が、案の定、政府軍は慣れない戦いに敗走、オールグレンは勝元の捕虜となる。敵を知るために捕虜として連れてこられたオールグレンに勝元が言う「私の祖先は、この地と民を1000年間守って来た・・・私はそれに失敗したのだ」その1000年間なんてさらりと言えるあたり、日本という国に神話があって当たり前、興味あるアメリカ人等にはたまらない魅力だろう。雪に閉ざされる季節の間、こうしてオールグレンは勝元の客人として村の人々や勝元の部下=本物の武士たちと一緒に生活する事になる。彼はその生活の中で、自分の中にも在る武士道精神を引き出され、次第に武士道に惹かれて行く。オールグレンが「人々は自分に厳しい。朝目覚めるとその日の完璧を目指して、一生懸命生きる」と語る。ああ、嘗て日本はそういう人々が大勢居たのだ・・・その姿は凛として、皆美しい。
 いよいよ政府軍が攻めて来る。勝元にオールグレンはギリシャ(100人)とペルシヤ(100万人)の戦いを語り自らも勝元と共に戦う事を決意する。自らの運命は滅びだと理解していても、それに向かって信念を貫いて行く・・・有終の美ここにあり。
 今、何故、侍スピリットなのか?ハリウッドでも、今や「キル・ビル」など多くの作品に日本が必須アイテムとなっている。時代が過ぎ、やがてどこでどう履違えたか・・・特攻隊等いう愚かな行為に美化されてしまった武士道だが、自ら機械的進歩と銃を捨て、戦いの無い統治を250年以上続けた、どこからどこを見渡しても世界史上類の無い平和を築き上げて来たその精神文化に、心ある世界の人々から注目が集まっているのである。メディアに載ってこなくても、世界各国で懸命に己の使命と受け止め、律儀に勤める名も無き日本人に拍手が送られている。日本人より諸外国の人々が日本人の誇りが何たるかを知っているなんて・・・不景気にばかり喘ぐ現代の日本、喘ぐばかりでなく、もう一度自分達の祖先が築き上げて来た足元を見よ・・・ということか。
 映画の最後に、中村匕之助演じる明治天皇が「どんなに西洋化しても、われわれは日本人である、その事を決して忘れるな」と宣う。これは頑張れ日本、ここがふんばり所だ、我を見よ!と世界からのエールなのかもしれない。

2003年12月

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