vic fan club

chicago

chissarossa_top.gif

Chissarossa の I LOVE CINEMA 2

「戦場のピアニスト」〜生きるという事〜

 天の邪鬼根性のわたくしは、たとえ大好きな映画といえども、巷の一番人気となるとなんだかわざわざ観たくなくなる(大体、題名がダサイわよね)のであるが、最もメジャーなアカデミー賞2002年度(2003年3月)の監督賞と主演男優賞を受賞した作品だし、其れ故、わざわざ再度、映画館にかかったというからには、義務のような感覚に襲われて、観に出かけた次第である。
 ・・・で、結果。これまた何処そこでも、この映画に関する批評も感想も見受けられるので、書きにくい事しごくなのだが、良いものは良いので、吾も・・!と口を挟もうと思う。
 ストーリーといえば、題名から充分想像出来るままの内容で、ポーランドに実在した(2000年7月没)有名なピアニスト&作曲家シュピルマンが、ナチのホロコーストを生き延び、生還した物語である。ホロコーストというと、あまりに大命題で、またか・・・と思われる題材でもあるが、此所で当然、皆が思い出すのは、スピルバーグの「シンドラーのリスト」。過去の歴史から未来のために学ばなければならないのは人間の義務というものだが、この映画はそのためにあると言って良いと思う程、ホロコーストの悲惨さを教えてくれたし、押しも押されぬ名作だ。
 ところが、ポランスキーの「戦場のピアニスト」はちょっと変わってる。この手の映画を見なれている人はすぐに気がつくだろうけれど、「シンドラーのリスト」が上から全体を見渡していると言う印象に対して、「戦場のピアニスト」は家の窓から外を眺めてると言った感じだ。あるいは、「シンドラーのリスト」のある部分を取り出して展開させた様。
 そして特徴の最もたるは映画の後半で、収容所送りを免れたらば、やった!助かった!・・・と普通は終わるところ、この映画は、収容所に行くのも、そこから逃げるものも、どちらも同じだけ悲惨だと言う事が淡々と描かれている。シュピルマンがゲットーを脱出しようとする際に手引きをしてくれた仲間が『逃げるのは逃げられる、だけど、問題はその先だ。敵の中でどうやって生き延びるかだ。』と言うのだが、これが映画の後半全てを表している言葉である。
 映画紹介などで強調されていた様に、隠れ家でピアニストがピアノを目の前にして弾けないのは死ぬ事と同じぐらい辛い事なのであるが、これはピアニストに限らず、隠れ家で生きるという事事態が既に死んでいるのと同じ事だという事である、狭い狭い部屋の中、コトリとも音をたてずに、息を潜め、そこに居ないものとして振舞う・・・映画を見る観客は想像力あるものこそ返って、このひとつひとつのシーンに緊迫し、その先をたっぷり想像して更に緊張してしまう、実に上手い演出である。
 そして、やっとピアノが弾ける時はドイツ人将校の前・・・緊張のクライマックス、息が詰まる思い。そして、彼は敵に助けられる・・・音楽が彼を助けた。ゲットーでの彼も、隠れ家での彼も、逃げさまよう彼も、飢餓のどん底で喘ぐ時も音楽が支えてくれた。あるいは、音楽が彼の中に常にあったからこそ生き延びられたと言うべきか・・・。ゲットーを逃れる時も、収容所への列車から逃れる時も、そして今も。彼の音楽を愛する人々に、それは皮肉にも敵であっても、彼は助けられた。彼の愛するショパンもベートーベン(映画の中で効果的に演奏されている)も、絶望を音楽で乗り越えて生きた音楽家である。彼が最も恐ろしい孤独の中を生ききれたのは単なる偶然だけでもあるまい。愛するもの(ここでは芸術)への強い念いがあったから。これはきっと、ホロコーストを生き残ったポランスキー監督自身の事でもあるのだろう。哀しいのは生き残った人々が、本当に助かってさえ、生き残った事に罪悪感を持ち続けていると、始終画面を通して伝わって来る事である。戦争を描いているが、静寂な映画である。

2003年5月

VIC FAN CLUB  連絡先:kumi@sgy2.com