私の本箱 2
相澤せいこ
もう1年以上前の映画になるでしょうか、誰がご覧になりましたか?『ぼくんち』。詳しい内容はよく知らなかったのですが、なんとなく観てみたいなーと思いつつ日が過ぎていきました。先日、本屋さんで原作の西原理恵子さんの漫画『ぼくんち』を偶然発見。カラー版だと全3巻がモノクロ版全1巻にまとまっている。これは買いだ!と入手しました。西原さんの漫画を買って読んだのは初めてでした。どぎつい感じが苦手で、これまでまともに読んだことがありませんでした。いつの間にか彼女はお母さんになっていて、今毎日新聞に週1で、子育て日記風の漫画を連載しています。それを読んで、「あれっ」と、ちょっと私のアンテナにひくひくしていたのです。
『あたしンち』じゃありません。『ぼくんち』です。中身、180度どころか、3回転して1080度違います。もうとんでもないです、主人公達の置かれている状況。母親は家の権利書持ち出して家出。残された水商売の姉が弟2人の面倒をみて暮らしています。住んでいる街も社会の隅っこの、弱い弱い人たちの溜まり場。裏稼業っていうのかな、そういう人たちしか出てきません。西原さん一流のギャグ漫画風の味付けだからなんとか読めてしまうけど、これ、どうやって映像になったのだろう…と考え込むくらいのすごさです。そこで暮らす兄弟、一太と二太。物質的な豊かさゼロの中で、彼らの人間に対する目はピュアです。やさしいのです。猛烈に貧しい街で、人の心の温かさ=姉の存在が彼らの心を守っているのです。
とあるエピソードの中で、小さい二太くんが心の中でつぶやきます。「ぼくは、フツーはあったかいごはんの中にあると思った」って。ここに出てくる人たちは、幸せどころか、フツーの暮らしすら望んでもなかなかつかめない人たちなのです。フツーってどこにあるんだろ、と思って生きてる。みんなしあわせになりたいだけ。ただそれだけなのに、ここに住んでいたら悲しい目や痛い目や、つらい目にしか会わない…ひとり立ちしようと決意してとうとう行方知れずになった弟。もう一人の弟が同じ道を行かないように、泣く泣く姉は「遠い親戚にもらわれていけ」と送り出します。
自分の生まれは選べない。ここに生まれて、精一杯やってる。生きていかなきゃ。でも、ただ生きているだけでは満足できないのが人間です。幸せになりたい−でも、幸せって何?人それぞれに幸せを感じる時は違うでしょうね。消費社会にどっぷりつかって暮らしていると、不必要なものそぎ落としていって残る、これだけは失えない!というものが何か、わかりにくくなります。鈍くなる、というか。好きな人がすぐそばにいてくれること。「世界のみんながダメだといっても、姉ちゃんが許してあげる」そんなふうに受け止めてくれる人がいること。ホカホカのご飯を誰かと一緒に食べられること。ぐっすり眠れる場所があること。一見なにげない事だけど、失いがたい幸せ。この本読んで身に染みました。読んだあとすぐに新潟での震災があって、またまた身に染みています。ただひとつ、困ったことが。ひとりぼっちを感じたとき、涙が出るようになってしまいました。たまには泣くものいいのですが・・・38歳にもなって、夜中にさみしくなって隣の娘の布団にもぐって、体温感じて安心したりするのは少々情けなかったです。
こう書いてしまうと、ただ泣かされる本みたいですが、それだけではなかったです。人間の生き抜く業(ごう)みたいなもの、そのたくましさも感じました。人間てホント、しょーもないことばかりする。しょーもないけど、でもいとおしい…そう思わずにはいられないのです、読み終わると。
寒くなってきました。冬のお布団のぬくぬく。気持ちよいですよね。なんでもないけど、ものすごく幸せ。そのなんでもない事を守るのが大変な人が、日本にも、世界にも、たくさんたくさんいます。どうしてなのかな…なぜこんな「フツー」すら守れないのだろう。
2004年11月