タシは、大阪心斎橋をちょっと北に行ったところの古いビルの一室を友人と共同で借りて編集やデザインの仕事をしています。
数年前のことです。文房具についての文章を連載で書くという仕事が来たときに、編集者(依頼人)が、ハードボイルドにしてくれと、言い出しました。ちょうどそのころキャスリン・ターナーの映画「私がウォシャウスキー」のテレビコマーシャルをがんがんやっていて、あんな感じで、と言うのです。彼にしてみれば、センチメンタルで甘ったるい文章は避けたいという意味で言ったのだと思いますが、ワタシはそのままことばどおり受け取ってハードボイルド文房具小説を書くことにしました。探偵になったつもりで調査をし、報告書をまとめて、調査日誌を原稿として提出しようと考えたのです。大毎地下にキャスリン・ターナーを見に行き、まず探偵業とはどういうものか研究することからはじめました。
ちょうどそのとき、以後ワタシの事件簿にたびたび登場することになる相棒(諸戸美和子)が「原作も読んでみたら」とすすめてくれたのです(彼女は実はVFCという結社に入っていたのでした)。そうして読んだ「サマータイムブルース」がワタシを後に結社に引きずりこむことになるのですが、このときからワタシは文房具専門の私立探偵になる決心をしたのです。いまでも表向きに編集やデザインの仕事をしながら、ほそぼそとではありますが、探偵業もつづけています。
ヴィクが、ボーイフレンドのラルフにカブスが好きかどうか尋ねます。しかし、ラルフはヤンキース・ファン。ヴィクは札束の力で選手を集めていると、ヤンキースを批判し、ラルフはシカゴチームの道化芝居にはうんざりと応酬します。
〈そうよ、いるのよね、日本にも。みさかいなく金で選手をひっぱってきて収拾がつかなくなってしまっているチームが〉
ヴィクとマリの会話。「今年のカブスはいつ沈むと思う?」春先はなんとかがんばっているんだけど、夏になるといつのまにか後退してしまう。カブスがいつまでもつかという話題は、シカゴではあいさつ代わりのようです。
〈そうなのよ。日本にもいるのよ、そういうチームが。今年こそはと思わせておいて、オールスターすぎにはずるずると定位置へ。タイガースのシーズンは秋を待たずに終わってしまうんだわっ〉
タイガース・ファンのワタシは、カブス・ファンのヴィクと一方的に意気投合したのです。そして、ワタシも探偵になれると思いこんだのでした。
〈何年か経って、ワタシは、ある日、ちょっと変わった依頼人の訪問を受けた。ワタシの専門は文房具の調査なのだが、彼女はある野球チームについて調べてほしいと言う。それも、シカゴ・カブスというメジャーリーグのチームで、できればそのホーム・グラウンドについても。ワタシの専門は文房具で野球ではなかったが、ワタシは「サマータイム・ブルース」を読んで以来、カブスに興味を抱いていたので引き受けることにした。依頼人は、VFCという結社の杉谷と名乗った〉
という話はワタシの創作です。実際は、ワタシが勝手に杉谷さんに、「シカゴ・カブスについて調べて原稿書くわ」と言ったのです。
しかし、調査はそう簡単には進みませんでした。野茂がドジャースへ行ってから日本でも注目され出したとはいえ、メジャーリーグの、それもシカゴ・カブスの資料を手に入れることはなかなかむずかしい作業でした。ワタシは「サマータイム・ブルース」をもういちど読み返しました。
ヴィクがループ沿線(ダウンタウン)の酒場を聞き込みにまわるシーン。同じ時刻にカブスはシンシナティ・レッズと試合をしていて、ヴィクは酒場のテレビで切れ切れに中継を見ながら、32軒の酒場をまわり、カブスは結局6対2で負けてしまいます。
ワタシは、ヴィクが調査にまわっていたのは夜だと思っていたのですが、よく読むと、午後となっています。日本ではほとんどの試合がナイターなので、勝手に夜だと思いこんでいたのですが、この日のカブスの試合はデーゲームだったのです。
聞き込みは徒労に終わり、その翌日、今度はナイフグラインダーズ界隈をまわり、昼食を食べに入った店でヴィクは有力な手がかりを得ます。リグレー・フィールドでは、カブス対フィラデルフィア・フィリーズの試合が行われていて、5回の裏、カブスは8対1とリード。ハッピーなヴィクは、思わずリグレー・フィールドへ寄って試合の残りをみようかと思います。ということは、この日もデー・ゲーム。
ワタシの調査は、酒場の聞き込みではなく、図書館めぐりでした。北区の図書館で、やっと手がかりを見つけました。「大リーグ選手名鑑'90」(JICC出版局)に、シカゴ生まれのシカゴ育ちというデーブ・スペクターさんが大好きなシカゴ・カブスについてのエッセイを寄せていたのです。
いくつかの謎が解けました。
リグレー・フィールドには、ナイター設備がなかったのです。「野球は太陽の下でやるもの」というのが、オーナーのリグレー社の方針だったそうで、現在はシカゴ・トリビューン社がオーナーになり、ナイター設備も整い、カブスもすこしは強くなったらしいのですが、リグレー・フィールドにライトがともり、最初のナイト・ゲームが行われたのは1988年8月8日でした。ヴィクが酒場の聞き込みにまわっていたころ(「サマータイム・ブルース」の出版は1982年)には、リグレー・フィールドの試合はすべてデー・ゲーム、カブスは1908年のワールドシリーズ以来の挫折パターンをくり返していたのです。
そのころのリグレー・フィールドは、7回以後入場料がタダになり、地元の子どもたちは授業が終わるのを待って、球場へ駆けつけていたそうです。手がかりを見つけたヴィクは、リグレー・フィールドでほっと一息、子どものころのように日光浴をしたかったにちがいありません。
シカゴ・カブスの魅力は、勝てないとわかっていながらも幻想を抱かせるその圧倒的な弱さと、いつ行ってもあたたかく迎えてくれるオールド・フレンドのような球場にあるのでしょう。
ワタシは、タイガースが好きなのは、甲子園球場のせいでもあると考えるようになりました。リグレー・フィールドの魅力とはまた違いますが、あんなに広くて美しい球場はめったにないと思います。浜風の吹く外野席で、焼き鳥を食べながら、六甲山に沈む夕陽をながめるのが最高です。さらにタイガースがリードしていれば完璧。
6月3日現在、タイガースは甲子園球場で最下位ジャイアンツに3連勝し、勝率を5割に戻しました。今年こそです。海の向こうでは、カブスがレッズとパイレーツを相手にリグレー・フィールドで3連勝。開幕14連敗(!)がひびいて23勝32敗と5割にはほど遠いですが、がんばっています。