知っていますか?出生前検査
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考えたこと、あれこれ・・・
大野有紀子

 この企画の前から「子どもに障害があったら…」という問いは、これから子供を産む私にとっては大きく重い問いでした。アンケートの集計を通して、たくさんの方の意見を読ましていただいて、更にいろいろなことを考えました。
 子どもに障害があったら…それが産む前にわかっていたら…どうするか?
 「不安である」というのが私の今の本心であると思います。
 私は障害を持っている子供に関わる仕事をしています。だから、障害を持っていても、子どもがどれほど輝いているか、その子どものペースで成長していく姿にどれほど教えられることが多いか…(毎日子どもから本当にたくさんのことをを教えられています。そして、それが私の仕事の醍醐味であると思っています。)だから、障害があろうと子どもに対する不安は、これっぽちもないのです。では、何で私は「不安である」と思ってしまうのだろう?突き詰めて考えると、私を不安にする要因は「社会の偏見」なのだということに改めて気づかされました。
 「社会の偏見」…それは私を含めたその社会に住んでいるひとりひとりが作り出すものです。つまり、いくらでも変わりうるものでもあるはず…。しかし変えることが決して簡単じゃないことも事実です。どうして簡単じゃないんだろう?

  アンケートの中で「 自分と異質なものをみると拒否的な反応をするのは、人間の生理である。(だから障害を持っている人に対する反応もそうなる)」というような感想を書いてらっしゃる方がいました。それを読んだとき、ある意味では書いてらっしゃる事はごもっともなことだと思いました。率直な感想を書いていただきありがたいとも思いました。
 でも、もう少し考えてもらえたらうれしいと思います。
 昔、顔に大きな傷を持った友達がいました。外見上はちょっと近づきがたい様相を呈していました。でも、その人と友達になり、彼女のことをよく知るに従って、顔の傷のことは私の頭の中から消えていました。「怖い」と思った最初の印象など、何でそんな風に思ったのだろうと思うようになりました。お互いよく知り合うことではじめの印象や偏見は変わっていくものでないでしょうか? 異質なものに出会ったときに感じる不快感と同様に知ることで印象が変わっていくのも人間の自然な生理ではないでしょうか? 障害を持った人に出会ったとき、驚きや不快感を感じ、そこで終わりにしてしまうのはお互いにとってとても残念なことではないでしょうか?
 奇声を上げたり、行動上で逸脱していると余計に「不快」「怖い」という印象をもたれるかもしれません。でも、「何であの人は奇声を上げているんだろう?」と考えるとまた違った見方ができるものです。

 私は、不安なことがあると、夫に不安な気持ちをしつこく話し、時にはうるさがられたりします。たぶん私の経験や判断能力を越えた事態に対して、先が見えなくなる不安をそうやって解消しているのだと思います。私が関わっている子どもの中にも、びっくりするような行動をする子もいますが、「どうしてだろう?」とよくその子の行動をみてみると、「なんだ、私と同じじゃないか…表し方が違うだけだ」と思うことがよくあります。
 こんな風に書くと、私がとても「よい人」みたいですが、それは違います。わかっていても「むかっ」ときたり、理由がわからずしかって後から反省することがしょっちゅうです。それでも、つきあっていく中で、互いに少しずつ分かり合える部分が増えていく…そんな気はします。
 これって普通(?!)の人間関係と同じですよね。
 そんなこんなのあれこれを考えたわけですが、まだまだ考えるべきことはたくさんあるような気がしますので、ひきつづき「あれこれ」考えていきたいと思います。

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